目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね、「交響詩篇エウレカセブン:ハイエボリューション1」の公開が迫っているということで、エウレカセブンシリーズのもう一つの劇場版「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」について考えていきたいと思います。
エウレカファンの方はこのタイトルを聞いただけで、苦笑いをしてしまうかもしれませんね。かくいう私も、初めてこの作品を見た時、これを許すことは永遠にないだろうという強い失望感に襲われたことを今でも覚えています。
数年ぶりに見返して見ますと、やっぱり矛盾だらけなんですが、実はこの映画にも面白いところがあったんだなあとしみじみ考えさせられました。
今回はそんな「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」を自分なりに考察していきたいと思います。
良かったら最後までお付き合いください。
『交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』
あらすじ・概要
2005年4月から1年間に渡って放送されたロボットアニメ「交響詩篇エウレカセブン」の劇場版。新作カットにTVシリーズの映像を加え、主人公レントンとエウレカの“もうひとつの物語”として生まれ変わる。
謎の生命体イマージュと人類が半世紀に及ぶ戦いを繰り広げてきた西暦2054年。独立愚連隊の戦闘母艦・月光号に乗る少年兵レントンは、8年前に連れ去られた幼なじみの少女エウレカを助け出して故郷へ帰ることを胸に誓っていた……。
(映画com.より引用)
中心人物のテレビシリーズとの違い
レントン・サーストン
©2009 BONES/Project EUREKA MOVIE 映画「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」より引用
本作の主人公。研究者のチャールズ・サーストンとレイ・サーストンの息子。人民解放軍に所属する少年兵です。幼少期から、ニルヴァーシュ(幼生)と暮らしていて、ニルヴァーシュの言葉や感情を理解することができます。
その頃に(5~6歳)、エウレカとすでに出会っています。しかし、8年前に起こった「ドーハの悲劇」に両親が関与していたということもあって、「カルトの子」として壮絶ないじめを受けます。
人民解放軍でもニルヴァーシュの専属ライダーとなっています。
テレビシリーズとの違いとしましては、まず両親がチャールズとレイに変更されています。アドロック・サーストンの存在はどこへやら・・・?人民解放軍に所属する少年兵という設定もテレビシリーズにはありません。
また、最大の違いはテレビシリーズでは英雄アドロックの息子として、もてはやされていたのにも関わらず、劇場版では両親のために、「カルトの子」とされ、いじめを受けています。
エウレカ・ズィータ
©2009 BONES/Project EUREKA MOVIE 映画「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」より引用
レントンの幼馴染。その正体はイマージュが送り込んだスパイロボットでした。ワルサワ研究所でレントンと共に暮らしていましたが、人民解放軍によって拉致されてしまいます。
その後、研究所で実験の対象とされ、壮絶な日々を送ります。そしてその8年後に少年兵としてニルヴァーシュに乗っているレントンと再会します。直射日光を浴びると、肌が焼けるという特殊な体質を持っています。
テレビシリーズとの違いは、幼少期にレントンに会っているということですね。
テレビシリーズでは14歳の時にベルフォレストで初対面でした。またコーラリアンの設定がイマージュに変更されていることもあり、それに伴ってエウレカの設定もテレビシリーズとは異なっています。」
月光号メンバー(ホランド・タルホら)
©2009 BONES/Project EUREKA MOVIE 映画「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」より引用
月光号のメンバーは大きく設定が変更されています。デューイ主導の下行われた実験で、ドーハの悲劇と呼ばれる大災害が起こります。その際に、ハートの中にレントン・エウレカの文字が刻印された月が浮かぶ銀河(テレビ版の世界)を垣間見ます。
その時に見た、異世界にいる同一人物と同じ年齢まで急速に成長してしまい、さらに元の世界に戻っても、自分たちが常人の3倍のスピードで成長する体質になってしまったことを知ります。
彼らは人民解放軍の一員として月光号に乗り込んでいます。そして、ホランドは冒頭よりKLF「デビルフィッシュ」を操縦しています。彼らはエウレカを利用して、自分たちが「ドーハの悲劇」の際に垣間見た異世界(テレビシリーズの世界)に行ければ、永遠の命を獲得できると信じています。
月光号メンバーに関しては、テレビシリーズと根本的に設定が異なっているので、わざわざ比較していく必要はないかと思います。
ドミニク・ソレル
©2009 BONES/Project EUREKA MOVIE 映画「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」より引用
ワルサワ研究所で働いており、「神話再生計画」の中枢を担っていました。そのため、レントンとエウレカを使った「夢」の研究を行っていました。
しかし、ある日突然レントン達の前から姿を消し、後に「ドーハの悲劇」の犠牲者となってしまいます。
アネモネとは相思相愛で、本作では、テレビシリーズでのアドロック・サーストンの名言「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」という言葉を伝える役割も果たしています。
アネモネ
©2009 BONES/Project EUREKA MOVIE 映画「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」より引用
イマージュのスパイロボット。ワルサワ研究所で、ドミニクと恋愛関係になります。しかし、ドミニクと共にイマージュの持つ異次元への扉を開く実験に参加した際に、実験が失敗に終わり、後遺症を負います。
そのため常人の3倍のスピードで成長してしまう体質となっています。ドーハの悲劇ののちは急激に老化が進み、現在はヴォダラ宮の地下にジ・エンドの幼生と共に身を隠しています。
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世界観の解説
さて今回も書かせていただきました!!「ナガ特製エウレカポケ虹世界観解説イラスト」になります。絵が下手過ぎるのはご愛敬です(笑)。今回はこのイラストを使って世界観や設定の説明をしていきます。
まず大前提ですが、今作「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」の舞台となる世界ないし銀河というのは、テレビシリーズの舞台とは全く異なるものになっています。お互いがお互いに完全に異世界、つまりパラレルワールドのようなものですね。
アゲハ神話
ではテレビシリーズと本作の世界を繋ぐものは何か?ということですが、それがスカブコーラルでありアゲハ神話なのです。
アゲハ神話というのは、テレビシリーズの「エウレカとレントンの物語」をベースとして作られた神話になっています。
これは地球において、人とコーラリアンの共存を実現させた物語として、劇場版の世界に流布しています。おそらくスカブコーラルが人類に「神話」という形で授けたのでしょう。
アゲハ神話
「星の粉をまといし、その白き聖なる者、 欠けた月と共に星の虹の橋をかけ、選ばれし乙女と男の子は地より生まれし全てのものを青き珠に帰するに至らん。」
「星の粉」というのは、お馴染みのトラパー粒子ですよね。
そして、「白き聖なる者」これがニルヴァーシュのことですね。
「欠けた月」というのは、ハートマークの中にレントンとエウレカの名前が書かれているものが刻印された月のことですね。
「星の虹の橋」というのは、テレビシリーズの最終回でも出てくる、粒子の輪っかですね。
「選ばれし乙女と男の子」、これは言うまでもなくエウレカとレントンのことです。
「地より生まれし全てのものを」、これは地表を覆っていたスカブコーラルのことですかね?
「青き珠に帰する」これは、人とコーラリアンの共生を実現し、青い地球を取り戻すということでしょうか?
そして、この神話の挿絵に羽の生えた少女の絵が使われていました。これが劇中で月光号メンバーのもめ事にも繋がることとなります。
羽の生えたエウレカをスカブコーラルが認識したのは、スタッフさんたちの解説等によると、テレビシリーズ第47話の「アクペリエンス4」の時だということです。取り込んでいたエウレカの姿をスカブコーラルが読み取りました。
ドーハの悲劇
劇場版におけるドーハの悲劇というのは、テレビシリーズにおける「ファースト・サマー・オブ・ラブ」のようなものです。
デューイ主導の下に、イマージュの異世界への扉を開く実験をしていた際に、実験が失敗し、ドミニクは消滅してしまいました、またアネモネやホランドら40人の子供たちは、欠けた月の世界を垣間見たのち、元の世界に帰ってきました。
しかし、彼らは常人の3倍の速度で成長する体質になるという後遺症を抱えてしまいました。またこの時、レントンの両親であるチャールズとレイも死亡しています。
「神話再生計画」
「神話再生計画」というのは、もともとチャールズとレイ、そしてドミニクが主導していた計画でした。これはアネモネやエウレカと言ったイマージュのスパイロボットの記憶をすべて素粒子に置き換えて、新たな世界を構築してしまおうという計画です。
チャールズとレイは自分たちの息子レントンをエウレカに接近させて、2人の夢をシンクロさせる「第7次E懸案神話計画」、通称「エウレカセブン」を同時進行で進めていました。この計画を引き継ぐことになるのが、月光号のメンバーであるホランド達というわけです。
引き継がれた後は、エウレカの体内にあるクリスタルに刻まれたパスワードを用いて、イマージュに異次元への扉を開かせて、ネバーランド(テレビシリーズの世界)へと辿りつこうとする計画へと形を変えました。
「神の鉄槌計画」
「神の鉄槌計画」はデューイが主導していた人類起死回生の作戦でした。太陽光を用いた光学兵器でイマージュの中枢を攻撃してしまおうという作戦です。
それと同時にこの作戦の失敗に備えて、「メガロード計画」と呼ばれる、いわゆるノアの箱舟のような計画が進行していました。
しかし、その責任者であったデューイが何者かによって暗殺されてしまい、計画が停滞していました。計画は首相のブラヤに引き継がれます。コーダは計画の実行に反対しますが、もはや計画を止めることはできず、実行に移されるのでした。
アネモネ
©2009 BONES/Project EUREKA MOVIE 映画「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」より引用
彼女はヴォダラ宮の地下で、「新たな神話を紡ぐ2人」を待ち続けていました。そして、産衣と「新世界神話」という本、そしてジエンドの幼生と共に「2人」を待ち続けていました。
これが、「レントンとエウレカ」ということですね。
そして、物語の最後では、月光号のメンバーたちに産衣を、コーダには「新世界神話」の本を、そしてエウレカとレントンにはジエンドを譲り渡しました。
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「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」とは何だったのか?
レントンとエウレカの恋物語
©2009 BONES/Project EUREKA MOVIE 映画「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」より引用
本作では、レントンとエウレカが幼少期から心を通わせているという設定になっています。
そして、エウレカが人民解放軍に拉致されてしまいます。エウレカはレントンがいつか迎えに来てくれると信じて、8年間の実験ないし拷問に耐え抜きます。そして、8年後、少年兵となったレントンがニルヴァーシュと共にエウレカの前に現れます。
そして月光号で共に過ごすレントンとエウレカ。一時は月光号のメンバーとぶつかりますが、レントンはエウレカを守るために、月光号に留まります。
「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」」の最大の名シーンといえば、やはりレントンとエウレカの空中デートのシーンですよね。
「手放し運転」
このシーンは本当に最高です。
そして、最後はお互いがお互いを思い合いながら、ニルヴァーシュと共にイマージュの中心核へと向かいます。その思いが通じたのか、2人は約束の地ネバーランド(ワルサワ?)でアダムとイブのような存在になります。
この時のエウレカの目からは、彼女の死の象徴である赤い輪が無くなっており、また彼女は言葉を離せなくなっています。
これはエウレカがイマージュにクリスタルを変換し、記憶を失いながらも、人間として生き残ったということではないでしょうか?そして、死に行くレントンを生かしておく必要があることをクリスタルを通じて、イマージュに伝えたのも間違いなくエウレカです。
©2009 BONES/Project EUREKA MOVIE 映画「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」より引用
テレビシリーズでは描かれなかった幼少期からの2人の恋物語が丁寧に描かれ、最終的に約束の地ワルサワでその物語が帰結した点も素晴らしかったと思います。
「神話」と「未来」
本作において特に重要なキーワードが「神話」と「未来」です。「神話」というのはつまりアゲハ神話のことであり、テレビシリーズで描かれたレントンとエウレカの物語のことを指しています。
本作において月光号のメンバーたちはその「神話」の世界を目指して、行動しています。なぜなら、その「神話」の世界たる、時間の止まったネバーランドでなければ、常人の3倍のペースで成長する彼らには「未来」がないからです。
©2009 BONES/Project EUREKA MOVIE 映画「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」より引用
しかし、物語の終盤にタルホのお腹にホランドとの子が宿っており、しかもその子は3倍の速度で成長する特性を背負っていないということが判明しました。
月光号のメンバーたちは時の止まった世界にたどり着くことはできませんでしたが、無事「未来」を見出したのです。
一方で、レントンとエウレカの行動も新たな「神話」を作るためのものであり、「未来」を切り開くためのものでした。
テレビシリーズ全50話で描かれた「神話」ではなく、今この世界の自分たちが新たな「神話」の創造主になるんだということで、イマージュ中枢へと向かいました。結果的に、彼らは2人で生きる「未来」を手に入れました。
©2009 BONES/Project EUREKA MOVIE 映画「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」より引用
そしてそんな月光号のメンバーやエウレカ、レントンの築く「未来」ないし新たな「神話」を記録する者として、コーダが選ばれたのです。
テレビシリーズを通して何度も我々の心に訴えかけられてきた「交響詩篇エウレカセブン」の魂「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん。」は確かにこの劇場版「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」にも息づいていたんですね。
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おわりに
かつて酷評していた作品を久々に見直してみると、大きく評価が変わる、そんなこともあるんですね。
私も含めて、やはり人って自分が少し気に入らないことがあったり、理解できない部分があると、思考停止して酷評をしてしまうことがあると思うんですよね。思い入れの深い作品だと特にそうなってしまうかもしれません。
しかし、思考停止してしまう前に、もっといろいろと考えてみる必要があるのかもしれません。考えて、考え抜くことで、作品の真の魅力が見えてくるかもしれません。
作品を貶すのは、考えに考え抜いて作品を理解しようとするあらゆる努力の後でも遅くはないと思うのです。
私は、こんな大切なことを数年ぶりに見直したこの「交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい」に教えられたような気がします。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。