Netflixオリジナル映画「バード・ボックス」より引用
目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね現在Netflixにて公開中の映画『BIRD BOX バードボックス』についてお話していこうと思います。
本記事は一部作品のネタバレになるような要素を含む解説・考察記事になります。作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『BIRD BOX バードボックス』
あらすじ
マロリーは幼い2人の子供を守るために、目隠しをしたまま川を下ることを決意する。
なぜ彼女は目隠しをしているのか?2人の子供は彼女の子供なのか?父親はどうなったのか?
そんな数々の謎がナラタージュ形式で明かされていく。
出産をその年の9月末に控えたマロリー。
その当時ヨーロッパやロシアなどで謎の集団自殺が横行し、世界中を恐怖に陥れていた。
妹と共に検診のために病院を訪れた彼女。
その帰り道、突然彼女たちの周囲でも謎の集団自殺が起き始め、マロリーの妹も車に身投げして命を落とす。
街がパニックに陥る中で、彼女はなんとか1件の家に辿りつき、そこで生活を始めることとなる。
外を見なければ安全という環境の中で、見ず知らずの他人と生活をしていくという状況。
そして外部から家にやって来る人たち。
信じるか?信じないか?
人間の疑心、猜疑と共に愛や希望にも言及していく、究極の人間ドラマである。
監督:スサンネ・ビア
本作『BIRD BOX バードボックス』の監督を務めるのは、スサンネ・ビア監督ですね。
デンマーク出身の女性映画監督で、これまでの作品でも高く評価されてきた人物です。
当ブログ管理人が鑑賞したのは『ある愛の風景』と『未来を生きる君たちへ』、『真夜中のゆりかご』の3作品です。
・『ある愛の風景』
愛する夫ミカエルが戦場に出兵し、命を落としてしまったことを知らされる妻のサラ。
そして夫の不在を支えた弟のヤニック。2人は少しずつ心を通わせていくが、そんな時に夫が捕虜として捕らえられており、生きていることが判明。
しかし、サラの下へと戻ってきたミカエルは依然とは別人のような人になっていた。
それでも家族として繋がらろうと、夫を強く抱きしめるサラという女性の姿に胸を打たれる感動のヒューマンドラマ。
・『未来を生きる君たちへ』
原題は『復讐』であり、そのタイトルが明示する通り、作品は暴力に暴力でもって抵抗することについて考えさせる内容になっている。
暴力を振るわれたことに対して、暴力で復讐することしかできないのか?
理性的にふるまおうとするアントンという人物は医師であり、そんな復讐の連鎖を断ち切ろうと尽力しているが、戦場にはそんな理性が通じない世界がある。
そして日常にもそんな負の連鎖が渦巻いている。
その連鎖をどこで断ち切るのか?深い問いを投げかけてくるような作品であり、まさに「未来を生きる君たち」に見て欲しい作品である。
・『真夜中のゆりかご』
主人公のアレクサンダーは警察で一児の父親でもある。
そんな彼はある時、捜査で薬物中毒者の家を訪れ、そこで育児放棄されているソーフスという子どもを見つける。
ある時、アレクサンダーの息子は変死してしまい、妻のアナはすっかり気が狂ってしまう。
どうすれば良いのか分からなくなった彼はあろうことか、薬物中毒者の家を訪れ、自分の息子の遺体とソーフスを入れ替えてしまう。
親の愛情とは何なのか?本当の幸せとは何なのか?を突きつける意欲作となっている。
そうなんです。そして彼女が女性映画監督であるということもあって、女性にスポットが当てられていることも多いですね。
今回の『BIRD BOX バードボックス』という作品は原作小説がある作品ではありますが、スサンネ・ビア監督らしい視座に裏打ちされた作品であることは間違いないでしょう。
キャスト
映画『BIRD BOX バードボックス』において主人公のマロリーを演じるのはサンドラ・ブロックですね。
2009年に『しあわせの隠れ場所』にてアカデミー賞主演女優賞を獲得するなど、これまでもゴールデングローブ賞やアカデミー賞に何度もノミネートしてきたハリウッドを代表する女優の1人です。
近年も2013年公開の『ゼロ・グラビティ』での演技は非常に高く評価されています。
また、2009年に『ウルトラ I LOVE YOU!』にてゴールデンラズベリー賞(最低映画賞)に輝いた時も、受賞者はほとんど出席しないのが通例の中で、大量のDVDを携えて登場したんですよ。
そしてそんなマロリーを支える男性トムをトレヴァンテ・ローズが演じています。
彼は映画『ムーンライト』にて、数々の賞でブレイクスルー賞を獲得するなど、一気に評価と知名度を獲得した俳優でもあります。
2018年に日本で公開された映画の中でも『ホースソルジャー』や『ザ・プレデター』などに出演していて、まさに今注目の俳優と言えるでしょう。
その他のキャスト陣も非常に豪華な顔ぶれとなっています。
・シェリル:ジャッキー・ウィーヴァー
映画『アニマル・キングダム』にて、数々の映画賞を総なめにした女優。
・ジェシカ:サラ・ポールソン
アメリカではドラマ女優として高く評価されている一方で、『それでも夜は明ける』や『キャロル』などの作品にも出演している。
2018年には『オーシャンズ8』にて、サンドラ・ブロックと共演している。
・ダグラス:ジョン・マルコヴィッチ
ブロードウェイにて高く評価される俳優で、アメリカでは「悪役」を演じていることが多い。
映画『BIRD BOX バードボックス』でも「悪役」を匂わせるキャラクターを演じているため、彼のイメージも相まって不穏なイメージを掻き立てられる。
・ルーシー:ローサ・サラザール
2019年公開の映画『アリータ』にて、主人公のアリータを演じる女優。要注目です。
・ゲイリー:トム・ホランダー
2018年には『ボヘミアンラプソディ』でジム・ビーチを演じていました。
舞台、ドラマ、映画など幅広いメディアで活躍する俳優です。
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『BIRD BOX バードボックス』解説
本作に反映されたキリスト教的モチーフ
アメリカ映画にはキリスト教的な世界観が通底していることが多いですが、本作にも多くのモチーフが見られます。
まず、冒頭に部屋の中でマロリーが絵を描いているシーンがあったと思うんですが、そこで彼女が描いていた『繋がりない人間関係』の絵は言うまでもなく『最後の晩餐』をモチーフにしています。
そしてその真ん中に位置するイエスのポジションに描かれている人物は女性であり、どこかマロリーの姿を模しているようにも見受けられます。
つまり、映画『BIRD BOX バードボックス』がマロリーの受難を描く作品であることが既にこの点で仄めかされているんですね。
また、マロリーは子供を身籠っているんですが、徹底的にその父親の存在は描かれません。その点で、この作品が彼女に「聖母マリア」的な側面を付与しようとしていることが分かります。
本作における「鳥」は機能的な側面から見ると、「あれ」が迫ってきたことを知らせてくれるという点で「炭鉱のカナリア」的に描かれてはいるんですが、それ以上にキリスト教的モチーフとして登場しています。
ヒワの聖母
この絵画に登場しているのは、「ゴシキヒワ」という鳥でして、キリスト教においては重要なモチーフとして扱われています。
聖画等の中でも「キリストの受難の象徴」として扱われることがしばしばでして、この『BIRD BOX バードボックス』においても「鳥」がマロリーと共に行動することになるという点で、共通点を見出すことができるでしょう。
また、この有名な絵画で聖母マリアと2人の子供(イエスとヨハネ)が描かれているわけですが、『BIRD BOX バードボックス』においてもマロニーは2人の子供を抱えています。
そして本作はマロリーが2人の子供たちと川を下るシーンから幕を開けるわけですが、川という場所は元々イエスらが洗礼を受けた場所でもあり、黙示録などでも「いのちの水」と記述され、ある種の聖域のように捉えられていました。
川を下った先に彼女たちの「救い」が示されているという舞台設定もまた、キリスト教、聖書的な世界観に裏打ちされていると言えるでしょう。
最後にこの映画では、終盤に「盲者(目が見えない人)」が「あれ」に対して最も耐性を持つ人物であるという風に描かれているわけですが、これも実にキリスト教的です。
新約聖書の中でもイエスが盲者について「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです」と述べるパートがあります。
旧約聖書において「障がい=罪の表出」であると捉えられていたのに対して、新約聖書になると「障がい=神の現前の前触れ」とイエスの登場により意識が変化していったんですね。
その点で、映画『BIRD BOX バードボックス』のラストは聖書的な価値観に強く影響を受けているわけです。
見えてない登場人物と見えている我々
今年の9月に日本で公開された映画『クワイエットプレイス』は非常に大きな話題となりました。
この作品が我々にとてつもない恐怖感を与えるのは、作品を見ている時、我々は登場人物と全く同じシチュエーションに置かれるんですよね。
そうなんですよ。つまり『クワイエットプレイス』という作品のすさまじさというのは、映画と鑑賞者の間にある「壁」を取り払い、見ている人を作品の世界の中に巻き込んでしまうような没入感にあるわけです。
一方で『BIRD BOX バードボックス』という作品は、それとは異なるアプローチを取っています。
というのも映画の中の登場人物には「見えない」という設定が付与されているのも関わらず、その作品を見ている我々は「見える」という特権を有しています。
時折、カメラに目隠しをかけた登場人物の1人称視点が紛れ込んでいますが、その直後には俯瞰のショットが使われているわけで、没入感や1人称へのこだわりを志向した作品とは思えません。
では、この作品が何を志向したのかというと、鑑賞者にある種の「特権的な視点」を与えることで「見えないものに疑いを投げかけ、恐怖を抱き、パニックに陥る人間の姿です。
『クワイエットプレイス』は観客自身もそんな人間の1人に落とし込んでしまったわけですが、『BIRD BOX バードボックス』はそれを客観的に視認させることで、それを知覚させます。
「見えない何か」の存在におびえて、閉じこもり、逃げ惑い、疑い合う登場人物たちの姿は、全てを見通している「鑑賞者」の視点から見ると、滑稽ですらあります。
しかし、作品を見終えた時に、我々もまたそんな滑稽な人間の1人であるということを強く思い知らされます。
鳥を閉じ込めた箱を覗くかのようにして我々はこの映画を嘲笑的に鑑賞し、そしてその体験を通じて我々もまたそんな箱に閉じ込められた鳥なんだと気づかされるわけですね。
『BIRD BOX バードボックス』は「見えている」ことと「見えていない」ことを巧みに使い分け、作品の主題性を観客に伝えようとしたわけです。
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『BIRD BOX バードボックス』考察
なぜ、子供が争点になったのか?
映画『BIRD BOX バードボックス』において、子供というのは非常に重要なモチーフとして扱われました。
「それ」を信奉している「病」に侵された人々もまたマロリーから「子供」を奪おうとしていましたよね。
作中でゲイリーもまたマロリーとオリンピアが産んだ「子供」たちを奪おうとしていました。
これも実は『クワイエットプレイス』という映画に通じる点があるポイントです。
この作品では、宇宙から襲来したモンスターから逃れ、子供を身籠り、出産をしようとする家族の姿が描かれていました。
というのも「子供」というのは、その種の存続において最も重要なファクターであり、「未来」や「希望」の象徴なんですね。
だからこそ「子供」を守り抜くという点がそのまま未来や希望を守り抜くという意味を表すわけです。
「それ」の正体とは何だったのか?
先ほどちらっと触れましたが、今作における悪魔信仰者たちが進行している悪魔はゾロアスター教等の宗教や世界各地の民俗がモチーフになっていると考えられます。
チャーリーはアカ・マナフ、ダエーワ、スルガト、妖狐、プーカといった様々な悪魔の名前を挙げていました。
- アカ・マナフ:人間が正常な判断を下すのを妨げる悪魔(ゾロアスター)
- ダエーワ:ゾロアスター教の悪魔の総称
- スルガト:あらゆる鍵をこじ開ける悪魔(キリスト教)
- 妖狐:人に憑りつくと、その人を凶暴化させ、国を滅亡させるとも言われている。
- プーカ:様々な姿に化けることができるケルト民俗の妖魔。その呪いによって人は人あらざるものへと姿を変える。
チャーリーがこのように様々な宗教や民族の悪魔の名前を挙げ、それらが導き出すのは「世界の終焉」であるという1つの共通解を導き出しています。
つまり、この作品における「それ」の正体は時や場所を超えて、人類が抱いている「恐怖」や「弱さ」の感情の集合体なのではないかと推察できるのです。
映画『BIRD BOX バードボックス』において「それ」はその人に関連のある人物の声で話しかけてきますよね。
例えばマロリーには、妹やトムの声で語りかけることで、彼女の「弱さ」を引き出そうとしました。
マロリーが連れている2人の子供には、マロリーの声で語りかけ、攪乱しようとしていましたよね。
「見えない」という事実は人間にとって最大の恐怖であり、同時に人間は「見えない」と信じることができません。
だからこそまだ見ぬ「未来」に不安と恐怖を感じ、人々は「過去」や自分の弱さを許してくれる生ぬるい環境へと引きずられてしまいます。
本作における「それ」とは、人間を「弱さ」から逃れることを肯定し、唆す、人類史を通底する「恐怖」の集合体なんでしょうね。
キルケゴールは「死に至る病」とは絶望であるとし、その逆の位置に「希望」を位置づけました。
そう考えると、映画『BIRD BOX バードボックス』における「それ」は「死に至る病」のような哲学的な側面をも持ち合わせているでしょうか。
ラストシーンが示した希望の意味
Netflixオリジナル映画「バード・ボックス」より
さて、映画『BIRD BOX バードボックス』のラストシーンは非常に希望に満ちています。
それを読み解くキーワードはひとえに「愛」と「希望」なんだと私は考えています。
主人公のマロリーは他人との関係性を経ち、ましてや自分の生まれてくる子供にも「つながりのない他者」的な関係性を築くことを仄めかしていました。
そして現に彼女は失うことを恐れて、自分の娘と息子を「ガール」「ボーイ」と呼称しています。
彼女は「未来」や「希望」をもって生きることができていないんですね。
娘と息子に名前をつけていないのは、失うことを恐れているからであり、自分が母親であることを伝えていないのも自分が死んだときに彼らを悲しませないためです。
自分以外の他者というある種のブラックボックスと関わり、関係を築いていくというのは実に不安と恐怖に満ちた行為です。
本作の中でも描かれたように、人との関わりが裏切りを生み、そして死をもたらすことだってあるわけです。
しかし、「未来」や「希望」があるとすれば、それは人との関わりの中でしか生まれてきません。
マロリーがラストシーンにて、彼らの親の生を冠しそれぞれに「オリンピア」と「トム」という名前をつけ、そして自分が「母親」であると告げました。
これは、彼女が初めて「死」や「絶望」から解き放たれ、人との関係性を築くことが出来た瞬間でもあります。
人間は「絶望」を感じると恐怖に駆られ、死へと至ることでそこから解放されようとします。
それでも人間は他者と共生しながら「愛」と「希望」を見出し、生きていくしかないわけです。
箱の中に閉じ込められた鳥は、外の光を求めて、他者との関係を求めて、箱を突き、外の世界へと飛び出さんとしています。
そんな鳥たちが解放されたラストシーンというのは、キリスト教的な「受難の象徴」が飛び立った瞬間であり、マロリーがこれまで拒み続けた「希望」を持ち、生きていこうと決心した瞬間でもあるわけです。
イエスは自らの「死」でもって、人類の原罪を贖いました。
その「死」の際には彼の頭にゴシキヒワがとまったという逸話もあります。
しかし『BIRD BOX バードボックス』のラストで描かれたのは、「死」とは対照的な「生」であり、鳥が飛び立っていく姿です。
その点で、この物語は聖書的な「救済」の物語を脱構築したとも言えるのです。
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おわりに
いかがだったでしょうか?
今回はNetflixで配信中の映画『BIRD BOX バードボックス』についてお話してきました。
ぜひぜひ作品の方、ご覧になって見てください。
そして見終わった後に、いろいろと考えを深めてみてください。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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