みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね『約束のネバーランド』について書いていこうと思います。
多くの人も指摘していますが、やはりこのシリーズは序盤のGFハウス脱出編のクオリティが高くて、脱出編が終わると、しばらくトーンダウンするんですよ。
ですので、その中で離脱してしまった、途中で読むのを止めてしまったという方も多いと思うのです。
英雄譚というものは「行って帰って来る物語」としばしば形容されますが、まさしくそうした物語のプロトタイプを継承しつつも、ジャンプマンガの王道である「友情、努力、勝利」に「対話」の要素を加えた少年漫画の新しい地平を開く作品に仕上がっています。
ぜひ、完結したこのタイミングで、最後まで読んでみて欲しいと思っております。
本記事では、脱出編(序章部分)の大まかなあらすじ解説から始まり、作品の謎として挙がっていたポイントを適宜解説・考察していき、最後に作品の総評を書いていく予定です。
記事の都合上一部作品のネタバレになるような要素を含む内容になります。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『約束のネバーランド』あらすじ
GFハウス脱出(第1巻~第5巻)
衝撃の事実
様々な年齢の孤児が暮らす孤児院であるGFハウス(グレイス=フィールドハウス)では、「ママ」と呼ばれるイサベラの管理の下で子供たちが幸せに暮らしていました。
そこでは、子供たちが特殊なテストを受けさせられ、頭脳を鍛えながらも、のびのびと生活していました。
GFハウス(グレイス=フィールドハウス)においてはいくつかルールが定められていました。
- 森に作られている柵の外に出てはならない
- 外へと通じる門へ行ってはならない
- 12歳になるまでに里親が決まり、外の世界へと旅立つこととなる
子供たちはこんなルールにもさして疑問を抱くことなく、家族のように穏やかな生活を送っていました。
ある日コニーという少女が里親の下へと旅立つこととなりました。
コニーが旅立つ日の夜、本作の主人公でもあるエマは、コニーが大切にしていたウサギの人形が孤児院に忘れられていることに気がつきます。
エマは友人のノーマンと共に彼女の下に人形を届けようと、外へと続く門へと向かっていきます。
そこで彼らが目撃したのは、衝撃の真実でした。
なんと、コニーは既に殺害されており、人肉として出荷されようとしていたのです。
鬼のような形をした異形の存在が、コニーの亡骸を瓶に詰め、トラックに乗せて外の世界へと持ち出そうとしていました。
衝撃の事実を知ってしまったエマとノーマンは戸惑いますが、GFハウスから脱出することを決意します。
脱出計画
その日からエマとノーマンは、友人で頭脳明晰なレイを巻き込み、脱出の計画を進めることとなりました。
門からの脱出は難しいと考えた彼らは、森から脱出することを決断し、柵の向こう側を調査してみると、そこには塀がありました。
そこから導き出される道具等の準備の段階へ移ろうとするエマ達でしたが「ママ」のイザベラは一枚も二枚も上手でした。
なんと、彼女は発信機を使って孤児院で暮らしている全ての子供たちの位置情報を把握していたのです。
それに加えて、彼女はあの夜に門のところにうさぎのぬいぐるみが捨てられていたことと、発信機のデータから「真実」を知ってしまった子供が少なくとも2人いることまで把握していたのです。
「ママ」の目をかいくぐり、脱出計画を進行させる3人でしたが、大きな問題が生じます。
イザベラは新しいシスターとしてクローネという女性を呼び寄せたのです。
監視の目が増えたことに困惑する3人でしたが、まずは発信機の解除を目下の目標として動き始めます。
その後、発信機が耳の後ろに隠されていることを知った彼ら。
一方で、新しくやって来たクローネは、イザベラを失脚させて自分が「ママ」になる野望を抱き、独自に行動を開始します。
計画を進め、新たな仲間を引き入れようと画策する3人でしたが、想像以上に情報がイザベラ側に漏れていることから、「内通者」の存在を疑い始めます。
ノーマンは「内通者」をあぶりだすために罠を仕掛け、その結果レイが「ママ」のスパイであることを探り当てます。
レイは長年にわたり自分が脱出するために「ママ」に内通し、脱獄の準備を進めていました。
さらに彼は発信機の解除方法にもほとんど辿りついているというのです。
こうして二重スパイとして暗躍することになったレイ、そしてドンとギルダを仲間に加え、計画をさらに進めることとなります。
クローネの暗躍
シスターのクローネは監視を続けるうちにエマたち5人が計画を進めていることを悟ります。
「ママ」の座を狙う彼女はなんとエマたちに協力関係を結ぶ提案を持ちかけられるのでした。
しかし、ノーマンは彼女の目的に気がついていました。
クローネの目的とリスク
- 目的:エマたちと関わることでイザベラを失脚させるための証拠をつかみ、子供たちは即時出荷してしまうこと。
- リスク:イザベラのスパイであるレイに密告されてしまえば、自分の立場が危うくなる。
エマたちの目的とリスク
- 目的:「ママ」と共闘する重要なキーになる上に、外で生活していく上で必要な情報を聞き出せる可能性がある。
- リスク:ボロを出してしまえば(証拠を出してしまえば)、即時出荷されてしまう。
クローネとエマ、ノーマンは夜に密会の場を設け、探り合いをしますが、一枚上手だったクローネは彼らの表情や挙動から手の内を徐々に把握していきます。
「証拠」を掴もうと、暗躍するクローネでしたが、イザベラはさらにその先を読んでいました。
イザベラはクローネを昇進という名目で、GFハウスの外へと出し、人肉として出荷してしまう算段を整えていました。
クローネは掴んでいた「証拠」を盾に、保身を図りますが、殺害されてしまいます。
しかし、彼女は最後の最後で、ノーマンの机に1本の「ペン」を置いていきました。
それはウィリアム・ミネルヴァに纏わるキーアイテムだったのです。
ノーマンの出荷
そしてエマたちの暗躍にも気がついていたイザベラですが、彼女が脱出計画を悟りながら彼らを泳がせていた理由も判明します。
それは、彼女にとってはテストで300点満点を取っているエマ、レイ、ノーマンの3人を12歳の満期でもって出荷することが至上命題だったからです。
だからこそ彼女は、脱出計画に過度に干渉することをせず、「制御」するに留めていました。
時期が整ったと見たイザベラは、本部からの要請だとしてノーマンの出荷をエマたちに告げます。さらにエマの足の骨を折り、脱出計画を妨害します。
ノーマンを死なせないために、エマやレイは、彼に1人でGFハウスを脱出するように提案し、そのための準備を進めていきます。
計画実行の当日、ノーマンは予定通りに「ママ」の目を盗んで逃亡しますが、その後、ハウスに戻ってきてしまいます。
彼は、エマたちに逃亡中に知り得た塀の向こうが崖であったという真実やハウスや門を取り巻く施設の構造を説明しました。
その情報を置き土産にして、ノーマンは出荷されるために門へと連れて行かれてしまうのでした。
脱出実行へ
ノーマンが出荷され、絶望し、すっかり意気消沈した様子のエマ、レイでしたが、水面下で計画を進めていました。
そしていよいよ計画実行の日。GFハウスに放火し、それを陽動にして脱出する算段でした。
そんな時に、レイは「奥の手」としてあらかじめ考えていた作戦を実行に移します。
それはイザベラが300点満点の個体である自分が焼けているのを見れば、助けようとし、時間稼ぎができるだろうというものでした。
しかし、エマはその「奥の手」の内容を、全てを悟っていたノーマンから伝えられており、その作戦を遮りレイを助け、共に脱出を目指します。
- フェイクでもって実際に人が焼けているように演出したこと。
- エマとレイは耳を切り落とし、無効化されていない発信機をGFハウスに残して来たこと。
- 4歳以下の子供たちは、また機会を改めて救出に来ることとし、ハウスに残したこと。
3つの作戦が見事に的中し、子供たちは無事に脱獄するための「時間稼ぎ」をすることができました。
計画を悟ったイザベラは子供たちが脱出するために「橋」を活用することを予見し、警報を発令し、先回りしようとします。
しかし、エマたちが脱出経路として選んだのは「崖」でした。
2046年の1月15日、こうしてエマたち15人の子供がGFハウスからの脱出に成功しました。
ミネルヴァ捜索(第5巻~第6巻)
外の世界
GFハウスを脱出したエマたちを待ち受けていた外の世界はとても厳しいものでした。
彼らは人食い木の誘い穴に落ちてしまい、絶体絶命の危機を迎えます。
そんな時に、エマは人食い木の特性や習性がミネルヴァの本に登場した「アルヴァピネラの蛇」に似ていることに気がつく。
本の通りに行動したエマたちは何とか、誘い穴から脱出することに成功するも、既にハウスからの追っ手鬼たちが迫って来ていた。
そんな彼らを謎の人物が、助ける。その正体はソンジュとムジカという男女ペアの鬼でした。
世界の真実
ソンジュは原初的な鬼の在り方を信仰しているため、食用に養殖された子供を食べるのは神への冒涜であるとして敬遠していました。
彼は、エマたちを気に入り、彼らに世界の秘密を語り始めたのでした。
- エマたちがいる世界は地球だが、人間の世界とは隔てられた鬼の世界であるということ。
- 人間の世界と鬼の世界はかつて結ばれた「約束」によって隔てられていること。
- 2つのの世界を行き来することは現在できなくなっていること。
絶望的な状況ながら、エマとレイは人間の世界に行ける可能性があることに歓喜します。
そうして脱出した彼らの目標が人間と鬼の間に結ばれた「約束」を結び直し、人間の世界に戻ることになりました。
そんなエマにムジカは「7つの壁」に向かうように助言します。どうやらそこには鬼の最上位に君臨する「謎の存在」がいるようです。
その後、彼らはソンジュとムジカと別れ、ミネルヴァの本が指示した目標地点に辿り着きます。
何とそこにあったのは、地下シェルターでした。
『約束のネバーランド』キャラクター
エマ(認識番号:63194)
本作の主人公で、物語開始時点では11歳の少女。
運動神経と学習能力が非常に高く、GFハウスで実施されるテストでも常に300点満点を獲得している。
天真爛漫で、勢い任せな側面もありますが、脱出計画が始まると、狡猾で知性的な側面も見せるようになり、成長していく。
当初、レイから少数精鋭で脱出することを提案された際は、ハウスの全員を助けるという意志を曲げない姿勢を見せ、非常に仲間想いな性格であることが伺えます。
しかし、ノーマンが「出荷」され、状況が厳しくなると、後に迎えに戻ることを誓い、4歳以下の子供たちをハウスに残して脱出計画を実行に移します。
レイ(認識番号:81194)
本作のメインキャラクターで、物語開始時点では11歳の少年。
幼児健忘症を経験しなかったこともあり、6歳の頃には既に「鬼」の存在やGFハウスの秘密に気がついていた。
その事実をイザベラに打ち明け、彼女の「協力者」になった。
それにより、報酬として外の世界からの物資を得られるようになり、それを用いて外の世界の事情の把握や発信機無効化装置の開発を進めた。
エマとは方針が合致しないものの、共に脱出計画を進めていくこととなる。
しかし、脱出計画の最後の段階では、エマの熱い思いに感化され、ハウスの子供たち全員を救いたいと熱望するようになりました。
イザベラの親友レスリーの好きだった歌を彼が歌っていたことから、イサベラは彼が自分の産んだ子供であることを悟っている。
ノーマン(認識番号:22194)
同じく本作のメインキャラクターの1人で、物語開始時点では11歳の少年。
頭脳明晰で、GFハウス始まって以来の傑出した頭脳と知性を持っています。
エマに好意を寄せており、彼女を助けたいという強い熱意を持っている。そのためエマが願うハウスの子供たち全員での脱出を成し遂げたいと熱望しています。
しかし、突如として早期出荷の対象にされたことをイサベラに告げられ、葛藤することとなります。
出荷の日に、エマたちに1人でも脱出するように提案されますが、調べぬいた情報を置き土産に、自分が出荷される運命を受け入れます。
ドン(認識番号:16194)
物語開始時点では10歳の少年。
ハウス脱出の中心メンバーの1人として活躍する。
GFハウスにある秘密の部屋に潜入するべく、イザベラのポケットから鍵をくすねるなどのスキルも発揮。
秘密の部屋で、気にかけていたコニーの遺品のバニーを発見し、気持ちを押さえられなくなる一幕もあった。
ギルダ(認識番号:65194)
物語開始時点では10歳の少女。
当初は、シスターのクロードと夜に密会をしているところを垣間見られるなど、「内通者」として疑われていたが、内気な印象とは相反する芯の強さを見せ、脱出メンバーの1人として活躍する。
GFハウスでのテストでも200点台を獲得するなど頭脳も優れている。
フィル(認識番号:34394)
物語開始時点では4巻の少年。
テストの得点でも200点台を獲得し、以前からGFハウスの独特の空気感を察知しており、孤児院ではなく飼育農場であることを薄々感じ取っていた。
また、エマがミネルヴァの書籍に隠されたモールス符号の秘密に気がつく手助けをする一幕もあり、他の子供たちとは比べものにならない才能を秘めていることが伺える。
第1巻の表紙の時点で既にメインキャラクターの1人であることが仄めかされているので、GFハウス脱出編では出番は少ないですが、今後物語のキーマンになることは間違いないでしょう。
イザベラ(認識番号:73584)
GFハウスを管理する飼育監。
飼育監のなかでも特に優秀で、鬼たちやグランマからも一目を置かれている。
彼女自身も一度脱出を試みたようだが、塀の向こうに広がる断崖絶壁を目撃し、諦めた過去がある。
脱出計画を知り、何とか300点満点を取る優秀な個体であるエマ、レイ、ノーマンを12歳の満期に出荷しようと策を巡らせる。
しかし、結局は脱出を許してしまい、最後にはエマたちの未来が明るいものになることを祈るなど「母」の顔を見せた。
また、レイは気がついていないが、彼女は彼が自分の実の子供であることを悟っている。
『約束のネバーランド』解説・考察(ネタバレあり)
本作の世界観
『約束のネバーランド』の独特の世界観はこれまでにもいくつかの作品で見られた要素を踏襲しています。
特に強く影響を受けていると考えられるのが、カズオイシグロの『わたしを離さないで』ではないでしょうか?
この作品では、人間たちによって臓器売買のためにクローンとして製造された子供たちの物語が描かれています。
似ている要素をいくつか挙げていきましょう。
- 子供たちが「真実」を知らされないままに施設で育てられている。
- 主人公たちは秘密に感づき、情報を探るようになる。
- 一定の年齢に達すると施設の外に出され、臓器提供を待つこととなる。
このように『約束のネバーランド』の世界観や設定は『わたしを離さないで』の影響を受けていることが分かります。
他にもルシール・アザリロヴィック監督の映画『エコール』の影響も強く感じられます。
この作品は、森の中の閉鎖空間で少女たちだけが育てられているという世界観の物語です。
以下の点は非常に『約束のネバーランド』に似ています。
- 少女(子供たち)だけの閉鎖空間
- 初潮を迎えると外の世界へと連れ出される。(その後は明らかになっていないが、売春をさせられるのではないかという説も)
- 脱出しようとすると、命を落とす。
昨年放送されていた、『ダーリンインザフランキス』というテレビアニメもこの2作品御影響を色濃く受けていたように感じられますが、『約束のネバーランド』はさらに強く世界観を受け継いでいるように思います。
ちなみにですが、最終巻で描かれた食用児たちが人間の世界に戻ったときに、海辺で遠くに町が見える場所で目覚めるという描写は、同じくルシール・アザリロヴィック監督の『エヴォリューション』という映画のラストにすごく似ているので、併せてチェックしてみてください。
認識番号のルール
本作では登場人物にそれぞれ認識番号(コード)が振り当てられています。
先ほど紹介したキャラクターたちのコードを見てみてみましょう。
- エマ(認識番号:63194)
- レイ(認識番号:81194)
- ノーマン(認識番号:22194)
- ドン(認識番号:16194)
- ギルダ(認識番号:65194)
- フィル(認識番号:34394)
- イザベラ(認識番号:73584)
しかし、この番号我々が普段そうしているように左から読んでしまうと、何の脈絡もない数字の羅列に見えますよね。
ただ注目してみるとエマたちの世代の人間は下2ケタが「94」になっています。
その点に気がつくと、この認識番号は後ろから読むことで意味を成すということが把握できるでしょう。
つまり並び替えるとこうなるわけですね。
- エマ(認識番号:49136)→11歳
- レイ(認識番号:49118)→11歳
- ノーマン(認識番号:49122)→11歳
- ドン(認識番号:49161)→10歳
- ギルダ(認識番号:49156)→10歳
- フィル(認識番号:49343)→4歳
- イザベラ(認識番号:48537)→ママ
きちんと年齢順に配列されていますし、レイの方がノーマンより誕生日が早いことも仄めかされていましたので、これで認識番号を適切に読むことができるでしょう。
謎の鬼文字について
『約束のネバーランド』最大の謎の1つがやはり鬼が用いている文字(言語)ですよね。
特に鬼たちが崇めている謎の存在は物語のキーになること間違いなしです。
「謎の存在」の鬼文字 ©白井カイウ・出水ぽすか/集英社
ラテン文字とか古代ギリシア文字、ヘブライ語等を参照してみると、似たような文字は見当たるんですが、それが解読に繋がるかと聞かれると微妙なところです。
他にもエマたちがGFハウスからの脱出後に出会ったソンジュやムジカたちが鬼の言語を使っていましたが、これに関しては完全に独自言語という印象ですね。
後にこの言語(文字)の秘密も明らかになるかもしれませんし、注目しておきたいところです。
鬼たちが崇める謎の存在について
鬼たちが崇めている謎の存在は今のところ正体は分かっていませんが、いくつか情報は提示されています。
まず、第6巻で鬼のソンジュの口からこの世界の「真実」が明かされました。
その時に、ムジカがソンジュが子供たちの「謎の存在」について話していないことを指摘しました。
ソンジュはムジカに対し鬼語で「謎の存在」を「疾うに食用児の敵になる存在」であると評しています。
また、本作最大のキーワードとも言える「約束」にこの「謎の存在」が絡んでいることも明確になっています。
「約束」とは、人類と鬼が互いの領域を守るために結んだ協定で、これにより人間と鬼は互いに殺し合わないことを取り決めました。
その際に鬼の世界に残された人間は、家畜として鬼たちに飼育される立場に置かれ、今の「食用児」という存在が出来上がったこととなります。
そしてその「謎の存在」について更なる情報が示されるのは、第12巻です。
エマたちは、不思議なお守りを頼りにグヴィディダラと呼ばれる場所を捜索します。
そこで、エマは「謎の存在」と竜の幻覚を見ました。(正確には「謎の存在」とエマが主張しているにすぎませんが)
彼女のビジョンに登場した「謎の存在」の姿は、小さな鬼の形をしていました。
その後、エマが見たビジョンを頼りにして彼らはとある「寺院」と「金の水」を捜索することとなります。
辿り着いた寺院で彼らが目撃したのは、人間に似た姿をしている「謎の存在」だったのです。
「謎の存在」が人間なのかそれとも鬼なのかというところもまず気になるのですが、12巻の内容にキリスト教や聖書的な内容が絡んできている点も気になります。
まず、このコマですが、明らかに聖母マリアとイエス・キリストを思わせる作りをしています。
イエスキリストを思わせる像 ©白井カイウ・出水ぽすか/集英社
そしてイエスに当たるのが「謎の存在」ということになるのでしょう。
加えて、「昼と夜が一緒になった場所」という記述も興味深いです。旧約聖書の創世記において、神(創造主)はまず、最初の日に昼と夜を作り出しているんです。
そう考えていくと、「謎の存在」というのは神と人間、そして鬼が三位一体となった超越的な存在なのではないかということも予見されます。
またこの像と共にヴィダ(挿し木)が映し出されているのも意味深です。
というのもマリアというのは「処女懐胎」を象徴する存在です。それとクローンを象徴する挿し木が同じ場所に置かれているという事実が非常に多くを物語っているようにも感じられます。
鬼たちの設定や正体について
さて、ここからは『約束のネバーランド』に登場する鬼たちの設定や正体についての解説や考察を書いていきます。
大きく分けると鬼には知性鬼と野良鬼の2種類が存在しているようです。
まず、知性鬼は人間の様な知性を持っていて、鬼の言語だけでなく人間の言語も操り、都市や社会を形成し、階級制度や家畜制度をも構築しています。
また自分たちの弱点が目であることにも気がついていて、それを守るために仮面を身につけています。
階級が低い知性鬼は、量産農場で育てられた安い人肉を食べ、逆に貴族はGFハウスのような高級農場で育てられた人肉を食べているという格差社会は人間さながらとも言えます。
そして一方で存在しているのが、第5巻以降に何度か森の中でエマたちに襲い掛かっている野良鬼ですね。
野良鬼は知性を持たず、仮面も付けておらず、鬼社会には属さず、小さな家族コミュニティを築いて生活しています。
このように鬼たちにも人間の様な格差社会が存在しているわけですが、鬼たちが人間を食べるのには大きな理由があるのではないかということが推察されます。
というのもこれは第1巻でも既に描かれていましたが、鬼たちは成績が優秀な人間を高級肉として扱います。
つまり、知性鬼たちの高位層の認識では、人間を食べるうえで最も大切なのは「脳」なのです。
そうなんです。第10巻では鬼の正体に迫っていく上で、重要なヒントが示されています。
ゴールディ・ポンドでの戦いを繰り広げている際に、ノウスという鬼がペアで行動していた女性の鬼ノウマを殺され、激高するんですが、彼が次にとる行動が驚きです。
何と、ノウスはノウマの亡骸(頭部)を捕食し始めるんです。
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社
すると、ノウスにノウマの人格が乗り移って、2人が会話し始めたりするんですね。
このことから鬼たちは、人間の脳を食べることで人間の「知性」を捕食することができるのではないかという可能性を指摘することができます。
さらに第12巻でもまた重要なヒントがさりげなく残されています。
エマたちが訪れた寺院で見た1枚の掛け軸のようなものに注目してみてください。
鬼たちの進化の系譜 ©白井カイウ・出水ぽすか/集英社
この内容が表しているのは、鬼と何か別の生物の遺伝子をかけ合わせることで様々な形の鬼が生み出されていくという設定です。
鬼が人間同様の社会構造や文明を築いているのは、やはり人間の「知性」を取り込んだからであるという可能性が高いと思われます。
また、鬼がいろいろな形状をしているのは、掛け合わされた動物の遺伝子によって左右されているということなのでしょう。
この進化の系譜が表現していたのは、鬼たちが人間を食べることでその形質を受け継ぐことができる、そして食べるのを止めると崩壊してしまうという特性を持っていたためです。
しかし、これは言わば粗悪な人肉を流通させて、民衆に高い知能を与えることなく、支配者側から管理できるという搾取被搾取構造の担保にもなっていたわけですね。
だからこそ、この食糧管理社会を転覆させなければ、市井の鬼たちは「自由」を得られないということで、クライマックスでは、支配構造の転覆、鬼たちが人間を食べるのを止めることの根拠へとリンクしていきました。
ソンジュとムジカの謎
本作に登場する数多くの鬼の中でも特に謎が多いのが、やはりソンジュとムジカですよね。
ソンジュとムジカが最初に登場するのは、第5巻ですね。そしてその正体が明かされたのが第6巻です。
彼らは原初の鬼の在り方を信仰していて、そのため養殖された人間を食べることを良しとせず、神が自然に作り出した人間を食べることは厭わないと述べています。
ソンジュは「狩り」によって人間を捕食することには抵抗がない姿勢を示していますし、だからこそエマたちに「約束」を崩壊させて、昔の様な世界に戻してほしいと願いを託しています。
さて「狩り」と聞くと、やはり思い出されるのが、レウィウス卿ですよね。
第11巻で、レウィウス卿はエマたちによって倒されますが、彼が絶命する瞬間に見た走馬灯に要注目です。
レウィウス卿の走馬灯 ©白井カイウ・出水ぽすか/集英社
レウィウス卿は設定では、1000年以上生きていることが明かされています。
そのため彼の回想には非常に面白い要素がたくさん詰まっています。
- 猿に似た形態の鬼(進化の過程か?)
- ソンジュとムジカ
- 培養されている鬼の細胞?
- グヴィディダラ
ソンジュとレウィウス卿は「狩り」を志向しているという点では、考え方が似ているので、かつて共に行動していたのではないかと個人的には考えています。
そんな時に2人が決別するきっかけになったのがムジカの存在なのではないでしょうか?
その重要なヒントになりそうなのが、走馬灯の中に映し出されている鬼の細胞のようなものです。
私の推測では、ムジカは人間に鬼の細胞を埋め込んで作られた存在です。
彼女の存在がソンジュが食用児を食べない理由にも関係しているように思えます。
彼らはおそらくまた物語に絡んでくると思いますが、一体どんな秘密を抱えているんでしょうか?非常に楽しみです。
結論から言うと、ムジカは鬼の中でも特異な血を持つ存在で、通常人間を食べることでしか人の形を保てない鬼たちですが、彼女の血には人間を食べずとも、鬼が人間を保つことができる性質がありました。
ムジカに似た存在はかつて多くいたようですが、体制側が自分たちの利権を守っていく上で、不都合な存在だと考え、抹消しようとしました。
レウィウス卿の走馬灯の中で、ソンジュとの決別を想起させる内容がありましたが、これは推測でも書いたようにムジカが原因ということになります。
レウィウス卿は体制派につき、そしてソンジュはムジカをそこから守ろうとしたが故に対立することになりました。
そして、ノーマンの指摘から、鬼たちは食べ続けることでしか形態と保てないということが分かっていましたが、ソンジュが人間の知性と形を保ち続けているのは、ムジカの血を摂取しているからでしょう。
クライマックスでは、このレウィウス卿が生存しており、体制の打破に一役買うという展開が描かれていました。
彼は、かつてムジカを巡りソンジュとトラブルになったわけですが、彼は目先の利益を優先し、体制派の搾取構造を容認したわけです。
それを悔いた彼は、エマたちの行動にも感化されながら立ち上がり、市井の鬼たちに「邪血」の真相を伝えました。
挿し木とクローンについて
本作を語っていく上で、やはり気になるのが、ヴィダと呼ばれる吸血植物ですね。
最初に登場したのは、第1巻のコニーが出荷されていくシーンでした。
そしてその植物に関しての説明が登場したのが第6巻です。
獲物が生きているうちに、このヴィダを獲物の胸に刺すことで血抜きとグプナ(儀程)の役割を果たすということです。
ヴィダはスペイン語にvidaという似たような言葉がありますが、スペイン語では「生」「生命」を表す言葉です。
また、このヴィダはある種の挿し木なんですよ。
挿し木というのは、茎の一部を切り取って、それを挿し床に刺すことでクローン生成の要領で個体を増やす農業技術のことです。
そして第11巻にはとんでもないシーンが登場しています。
ラートリーが研究しているシーンが映し出されたときに、ノーマンに似た子供が6人彼の前で培養されている様子が映し出されていました。(カプセル詰めにされている)
ノーマンに似た子供たち ©白井カイウ・出水ぽすか/集英社
そして個体それぞれの胸部に挿し木が刺さっています。
こういったことから考えても、挿し木やクローン技術が物語において何らかの形で絡んでくる可能性は高いでしょう。
またクヴィティダラの竜の目って実は、挿し木が刺さった人の形をしているようにも見えるんです。
竜の眼の紋様 ©白井カイウ・出水ぽすか/集英社
皆さんもぜひぜひ考察してみてください。
第120話で明かされた鬼の正体
第120話の『形のない怪物』にて『約束のネバーランド』における大方の鬼の設定が明かされましたね。
ここで明かされた重要な設定はズバリ「鬼はなぜ人間を食べるのか?」という部分についてでした。
では以下に鬼の特性をまとめてみました。
- 鬼とは元々は「細菌のようなもの」だった。
- 他の生物を捕食し、食べた生き物の形質を受け継ぐことができる。
- その過程で、人間を捕食したことで高度な文明を築いていくこととなった。
ただ1つ面白かったのは、鬼がなぜ人を量産化してまで食べ続ければならないのかについてです。
この答えとして示されたのは、「鬼はその生物を食べ続けないと、その形質を維持できない。」というものでした。
ここでようやく『約束のネバーランド』の世界に「農園」などという施設が存在しているのかが判明したわけですね。
この記事の中でも何度か触れてきたソンジュとムジカの存在ですよね。
彼らは食用児を食べないと公言していますし、おそらく一定規模以上人間を食べていないでしょう。
しかし、人間の形質や知能を維持しているのです。
ここで1つの齟齬が生じてきたことからも、今後ソンジュとムジカがキーキャラクターになってくることは明確ですね。
ムジカは「邪血」の持ち主であり、それを飲んだ者は人間を食べずとも形質を保つことができるという設定が明らかになりました。
それこそが、2人が人間を食べる必要がなかった理由というわけです。
127話で明かされたムジカの正体とは?
さて、最新話の第127話にて、ついにムジカの正体が明らかになりました!
端的に言うと、ムジカは「人を食べなくてもヒト型の形質と知能を保てる超特異個体」だったのです。
また、ムジカはその血を分け与えることで、他の鬼に自分と同じ能力を授けることができたようです。
エマはノーマンの「鬼を全滅させる」という考え方に対して、懐疑的でした。
故にムジカの特性を使えば、彼女が望む鬼と人間が共生する世界を作れるかもしれないと考えたのです。
しかし、王家はその力を恐れ、ムジカは追われる身となってしまったと言います。
そして、何とも面白いのが、王家がムジカを「邪魔だ」と考える理由ですよね。
ムジカの力は鬼の世界にとっても素晴らしい。しかし、その力が普及してしまうと、今の人間を家畜にして食べるという利権に恩恵をあずかっている王族は、利益を失うんですね。
今の人間の世界でも、まさに同じことが起こっています。
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社
例えば、石油は今の世界におけるエネルギー利権としては最も大きいものでしょう。
ただ、そういった人たちは、石油に代わる環境に優しく、安定供給が可能なエネルギーが登場してもそれを快くは思わないでしょう。
なぜなら、自分たちの確立した安定的に利益を生む社会の構造が再編されてしまうからです。
だからこそ、自分たちの利権の確保のために、邪魔な存在は排除しようとするのであり、これは『約束のネバーランド』の世界でも私たちの世界でも同じことなのだと思います。
世界を良くする方法が見つかったとしても、それを選ばないむしろ捻りつぶしてしまうという体制派の保守性が、世界の時計の針を前に進めることを許さないのです。
第163話で、ラートリー家の暗躍が始まり、この段階になると、ムジカの力で救われた鬼たちが口封じのために捕らえられていきましたよね。そして彼ら自身も捕らえられてしまいました。
ただ、そんな体制派によって「邪血」とされてきたムジカの存在の本質に気づき、体制派の陰謀であることに気づく鬼たちも出てきました。
そう思うと、『約束のネバーランド』は人間たちの手でこの社会システムに終止符を打つというよりは、目覚めた市井の鬼たちと人間による「市民革命」のような形で、体制の転覆が図られるのではないかと思います。
鬼と人間の共生における最重要ピースでもある彼らが、今後どんな形で扱われるのか非常に楽しみです。
この展開予想はほとんどそっくりそのまま19~20巻で扱われていましたね。
GFの食用児たちだけが立ち上がるのではなく、シスターたちや市井の鬼たちも含めた搾取される側の者たち全員が立ち上がり、新しい体制を打ち立てるという内容になっていました。
他に気になる点
まず気になるのが、やはりフィルという存在ですよね。
まず、彼はミネルヴァの本に隠されていたモールス符号を読み解いているんです。
キリスト教でも神の言葉を人間に伝える役割を果たしている人のことを「預言者」なんて言いますが、フィルはまさにこれですよね。
ミネルヴァが本に残した言葉を汲み取り、解釈してエマたちに伝えたわけです。
そして彼は農場に残ったわけですが、第12巻でラートリーの手下であるアンドリューに目をつけられる一幕がありました。
ここで何があったのかはまだ不明です。
ただ最終章がGFという「はじまりの場所」での戦いであることと、フィルがラートリーから目をつけられていたことを鑑みるとは重要です。
なぜならエマたちの最後の大きな敵として立ちはだかっているのは、ラートリー家ですからね。
彼がどんな形で物語に再び参与してくるのかは非常に楽しみです。
また、第1巻の冒頭の「鬼ごっこ」ってすごく意志深な伏線のように感じられます。
というのも、ノーマンが鬼で逃げ回るのが子供たちで、最後まで逃げ続けるのがエマです。
ノーマンは出荷されずに、新しい農場であるラムダ7214に連れて行かれたわけですが、ここはある種の人体実験場ですよね。
そう考えると、ノーマンが鬼の細胞と同化させられて、エマたちの前に立ちはだかるという悲しい展開の可能性もあるのかもしれません。
エマが最後まで逃げ続けているという序盤の設定は、クライマックスに彼女が記憶を失くし、GFの食用児たちによって最後の最後に発見されるという展開に還元されていました。
この物語のシチュエーション的な印象の巧さには唸りましたね…。
あとは「フクロウ」というモチーフも気になりますよね。
ミネルヴァが自分の著書に暗号を隠す際に用いたマークは「フクロウ」です。
そのため、「フクロウ」は食用児たちを助けるためのものなのかと思わせつつ、ラートリーたちの監視のための道具としても使われていて、エマたちを窮地に陥れることもあります。
細かい部分でも今後の伏線になりそうな要素やシーンが散見されるので、目が離せません。
アイシェについて
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社
鬼たちに育てられたアイシェというキャラクターを登場させてきたのは、非常に面白かったと思います。
彼女の存在があることで、人間が鬼を殺すことが必ずしも人を幸せにするわけではないという側面が浮き彫りになりましたし、同時に鬼と人間の共生の可能性も示されました。
アイシェは鬼に育てられたために、鬼のことを父親だと思っており、同時に鬼の方もアイシェのことを実の娘のようにかわいがっています。
つまり、彼女は鬼と一緒に居られることが幸せだったわけですよ。しかし、それをノーマンたちに奪われてしまいました。
ただ、ノーマンたちは自分たちが彼女を鬼から助けたのだと思い上がっていますよね。
自分たちの幸福観や価値観を相手にも当然当てはまるものだと思って、押しつけてしまうと、それが実は相手のためにはならないなんてことは、たくさんありますよね。
特に、戦争という行為は自分たちの正義や価値観を押し通すために行うものであり、それによりたくさんの人を不幸にしてきました。
しかし、私たちが真の意味で共生を目指していくのであれば、相手の目線で、相手の状況に身を置いて物事を考える必要があります。
自分たちの正義が、必ずしも正義ではないということを理解しなければなりませんし、それを『約束のネバーランド』では、アイシェというキャラクターを通じて見事に表現していたと思いました。
エマが要求されたごほうびとは何なのか?
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社
『約束のネバーランド』も物語的には佳境に差し掛かっていますが、そこで明かされていない最後の大きな謎となっているのが、エマが約束を結びなおした際に求められた「ごほうび」です。
彼女が、願ったのは、次の2つです。
- 食用児全員で人間の世界へ行くこと
- それを最後に二世界観の行き来を完全に不可能にすること
かつて、ユリウスとイヴェルクが「約束」を結んだ際には、前者は2世界観の調停役になることを要求され、後者は最上の人間の肉を提供することを要求されました。
結果的に、2人が望んだ人間の世界と鬼の世界を分けるという願いは聞き入れられましたが、ユリウスは鬼と関わる宿命に縛り付けられ、イヴェルクは最上の肉という自分の望むものを未来永劫、奪われ続けることとなったわけです。
「ごほうび」の何たるかを考える上で、重要なのは、以下の3つだと思っています。
- 望みは何の支障もなく叶えられるということ
- 「ごほうび」は望んだ者(とその家族)だけが苦しむものであるということ
- また「ごほうび」は○○(表記できないので…)の喜ぶものである
○○は「ごほうび」を願った者に課すわけですが、それって望みを妨害するものではないんです。
ユリウスとイヴェルクの時も、2人に課せられた「ごほうび」は、鬼と人間の世界を分けるという望みそのものに支障は一切きたしていません。
つまり、彼女の願いに「食用児全員で人間の世界へ行くこと」が含まれている以上、「食用児」のカテゴリに含まれているエマが鬼の世界に残る、またはその肉体を食われるなんてことは、まず起こり得ないわけですね。
また、エマは、仲間から「ごほうび」について聞かれた際に、けろっとした表情で「大丈夫だった。」と答えていることからも、「ごほうび」の影響が彼女の仲間に及ぶことは考えにくいです。
どちらかというと、あの時の彼女の表情は、自分1人だけで「ごほうび」を背負い込もうとしているような感じでした。
では、エマの望んだ世界が実現した上で、彼女が最も奪われたくないものは何なのかを考えることで、「ごほうび」の正体を暴くことができるという流れになりますね。
そう考えた時に、やはり「みんなで笑顔で暮らせること」そして「ノーマンやレイと共に生きること」といった部分を削り取られることになるのかなと思いました。
また、他にも気になるのは、エマの「約束」が「食用児全員で」という条件に鵜裏打ちされていることです。
実は本作に登場する人間にはエマたちやシスターのような食用児と、ラートリー家の人間たちのような人間世界側の人間がいます。
つまり、「食用児全員で」という条件が何らかの足かせとなる、つまり私たちがこれまで「食用児」だと思っていたキャラクターの中にそうではないキャラクターがいるという含みを持たせているのです。
本作の考察をしている界隈では、エマが鬼ないし鬼の遺伝子を有した存在なのではないかということが盛んに取り沙汰されています。第1巻の「鬼ごっこ」が伏線だったと仮定するなれば、ノーマンが鬼ということも考えられるでしょうか。
ただ、当ブログ管理人が思っているのは、やはり「食用児全員で」という条件に何らかの理由でエマが合致しておらず、彼女は人間の世界に行くことができず、加えてただ1人代償を背負うことになるのでしょう。
このセリフからも、○○の欲しいものと言う観点で考えると、エマの脳が「ごほうび」の対象になるとも考えられます。
しかし、『約束のネバーランド』の中心になるのは、エマとノーマンとそしてレイの3人の友情を超えた繋がりですよね。
きっと、エマは自分だけで「ごほうび」という名の代償を背負い込もうとしています。
ただ、それをノーマンとそしてレイが加勢して、3人で共に乗り越えるのが『約束のネバーランド』という作品の最終的なゴールになるのだと私は確信しています。
これについては最終第20巻で真相が明らかになりました。
エマの要求された「ごほうび」は、やはり彼女だけが犠牲を背負い込むというものでしたね。
ただ、私の予想とは少し違っていて、「食用児全員で」という条件を満たしつつ、エマから何かを奪うために、彼女の記憶を奪うというアプローチが取られました。
『約束のネバーランド』が切り開いた少年漫画の新しい地平
さて、記事の最後に『約束のネバーランド』というシリーズを総括しての自分なりの見解を書かせていただこうと思います。
まず、多くの人がレビューなどで書かれているように、確かに一番面白いのはGF脱出編なんですよ。
ルシール・アザリロヴィック監督の『エコール』やカズオイシグロの『わたしを離さないで』を想起させるような、世界観や展開が魅力的で、そこからの子どもたちの脱出劇、大人への抵抗という物語の「面白さ」が凝縮された部分なのです。
しかし、そこからはどちらかというと、良くも悪くも少年漫画の王道とも言える、冒険、成長、友情、努力、勝利といった要素に裏打ちされた物語に収まっていくんですよね。
ここで、冒頭のジャンプマンガとしては異色の「館ホラー的な魅力」があったGF脱出編とのギャップが生まれ、読者の関心が離れていったという側面があります。
ただ、クライマックスでは、まさしくそんな冒頭の展開をミラーリングするような形で、GFの食用児たちの成長を描いたり、シスターたちの立ち回りを描いたりしていくわけです。
英雄譚においては「行って帰って来る」というベクトルが重視されていて、それはつまり、始まりの場所へと「帰還」することが英雄の誕生には欠かせないということですね。
その点をきちんと踏襲し、『約束のネバーランド』という作品は、ラストバトルの地を「始まりの場所」であるGF農場としています。
その上で、序盤のパートでは鬼やシスターたちから逃げ回る存在だった食用児たちが、彼らを翻弄し、どんどんと追い詰めていくという形でその成長を端的に表現しているわけです。
そして、この作品において何を差し置いても重要なのは「友情、努力、勝利」の少年漫画の鉄板とも言える3つの要素に「対話」という新しい要素を加えた点でしょう。
『約束のネバーランド』において、序盤にエマたちがGFから脱出する際には、実際にノーマンも含め(結局生きてはいましたが)多くの犠牲を払いました。
という具合に、物語の序盤から中盤にかけて食用児たちは、多大な犠牲を強いた上での勝利というものに支えられてきました。
だからこそ、「もう誰も失いたくない」という信念を強めて行き、終盤においては犠牲を出さずに勝利することを目指しているわけです。
まあ「犠牲を出さない」というのは、誰しもが味方を失いたくないですから、理想として掲げられるのは何ら奇抜なことでもありません。
『約束のネバーランド』が最も私たちを驚かせたのは、その「犠牲を出さない」という共生の意志のベクトルを憎むべき敵となる人間や鬼に対しても向けたことなんですよね。
つまり、自分たちの仲間を奪った、殺そうとした敵と「対話」を経て、分かり合おうとするんです。
これまでの少年漫画においては、とにかく敵を打倒していくというのが基本的には王道だったわけで、それに疑念を呈する人もそれほどいなかったと思います。
しかし、時代は変わり、現代において「悪」というものを純粋に断罪してしまうことは難しくなってきました。
なぜなら「正義の敵は他の正義」だからです。
だからこそ、本当の意味で共生を実現していくのであれば、打倒し、力で服従するのではなく、対話でもって分かり合う、妥協点を見出していくという作業が必要なんですよ。
人間の世だって、今も世界を見渡すと紛争が起きている地域がたくさんあります。
宗教や信仰の違い、民族的な対立、人種間の衝突。いろいろな原因があるでしょう。
しかし、本当の共生を望むなれば、それをどこかで止めなければならないのです。
リスクを冒しても、分かり合おうと手を差し伸べる。
戦争や紛争という規模の大きな物事は一朝一夕にはどうにもなりませんが、私たちの身の回りで起きる小さな争いやいざこざであれば、攻撃するのではなく、分かり合おうとしてみようとマインドセットを変えることは可能です。
憎いから相手を排除しなければならない、蹴落とさなければならない。
あいつとは考え方や価値観が違っていて、自分が正しいのだからあいつは非難されなければならない。
こういう言動って私たちの身の回りにも、インターネット上にも溢れていると思うんです。
でも、そうした小さなことから、そして自分発信で変えていきませんか?ということなんですよね。
「対話」をするというのは、相手を誹謗中傷したり、相手に暴力を振るって服従させることよりもよっぽど難しいことです。
なぜなら、自分も相手の考えや価値観を聞いたり、受け入れたりしながら、落としどころを見出していくという協働的な作業だからなんですね。
『約束のネバーランド』はそうした「対話」でもって、世界を救う、敵とされていた存在との共生を実現してくと言う点で、これまでの少年漫画の王道から逸脱しています。
ただ、このアプローチこそが、本作が革新的たる所以なのだと私は思いました。
「ネバーランド」という言葉には、「現実世界には存在しない、夢の中だけの理想郷」という意味があります。
「対話」で平和が実現する、共生が実現する。そんなものは「夢」だ「理想」だと一笑されてしまうかもしれません。
それでも、エマたちは愚直に、そして純粋に「ネバーランド」を「現実」にしようと前進し続けていくのです。
そんな物語に、胸が熱くならないはずがありません。
ラストのエマが記憶をわずかながら取り戻し、仲間たちとの再会を果たすという展開は、「ご都合主義」「綺麗にまとめすぎ」と批判されるかもしれません。
それでも、「ネバーランド」を「現実」にしようと戦い続けた子供たちの物語の最後に、そんな青臭い「夢」や「理想」が描かれたって良いじゃないかと私は思うのです。
少年漫画の新しい地平を切り開いた『約束のネバーランド』という作品に、惜しみない賛辞を贈りたいですね。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は『約束のネバーランド』という作品についてお話してきました。
書きたいことが山ほどあるので、少しずつ解説や考察等を書き足していくようにしたいと思います。
まだ完結していない作品で、アニメ放送もこれからということでどんどんと盛り上がっていくことと思いますし、私も何度も読み返す中で作品を深く考察していけたらと思います。
今後とも定期的に記事の内容を加筆していくつもりですので、良かったらまた読みに来てください。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
関連サイト
・テレビアニメ『約束のネバーランド』公式サイト
・週刊少年ジャンプ『約束のネバーランド』公式サイト