みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『アス(Us)』についてお話していこうと思います。
前作『ゲットアウト』がアメリカで空前大ヒットを記録し、アカデミー賞脚本賞も受賞するという快挙を見せました。
徹底的に張り巡らされた伏線が織りなす緻密な脚本と、そしてホラーとコメディの絶妙なバランスが特徴で、当ブログ管理人も絶賛した作品です。
既に全米で公開されており、批評家からも高い支持率を獲得しています。
- 批評家支持率:94%
- オーディエンス支持率:61%
当ブログ管理人としてもプロットの緻密さや強度が『ゲットアウト』には及ばないような気がしましたし、脚本の穴もちらほらと見受けられたので、冷静な部分もあります。
ただアメリカで彼が「ヒッチコックの再来」とも評価されているように、圧倒的な演出力は見事だと思いますし、まさに今のアメリカに必要とされているテーマやメッセージ性は素晴らしいと思います。
そんな謎めいた新作『アス(Us)』について余すところなくお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
映画『アス(Us)』
あらすじ
1986年、アデレード・ウィルソンは両親とともにサンタクルーズにある遊園地を訪れる。
父親がアトラクションに夢中になっている間に、アデレードはビーチにあるミラーハウスへと足を踏み入れてしまう。
突然、ミラーハウスの電源が落ち、暗闇の中で何とか脱出しようとする彼女。
そんな彼女の前に、突然自分とそっくりな女の子が現れる。
その後、救出されたアデレードだったが、恐怖とショックで大きなトラウマを抱えてしまい、しばらく話せなくなってしまった。
大人になった彼女はゲイブと結婚しており、娘のゾーラと息子のジェイソンという2人の子供にも恵まれていた。
幸せな毎日を送っていた4人だったが、ある日、ゲイブが家族でサンタクルーズのビーチを訪れるという提案をする。
奇しくもそのビーチは、かつてアデレードがトラウマを抱えるきっかけとなった場所だった。
海水浴を楽しんでいた家族たちだったが、長男ジェイソンがはぐれてしまう。
その頃、彼はビーチで、腕から血を流しながら立っている男を見つけた。
夜、自宅に戻ったアデレードはゲイブに、かつてサンタクルーズのビーチで起きた不思議な出来事によってトラウマを負ったことを打ち明ける。
ゲイブは彼女をなだめるが、その時、突然停電が起こる。
気がつくと、玄関先に4人の不審者が立っていた・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:ジョーダン・ピール
- 脚本:ジョーダン・ピール
- 撮影:マイケル・ジオラキス
- 編集:ニコラス・モンスール
- 音楽:マイケル・エイブルズ
今作の監督・脚本を務めたのが、冒頭でも紹介しましたがジョーダン・ピールですね。
元々はコメディアンや俳優として活躍していた人物で、バラエティ番組の製作を手掛けたりもしています。
彼の作品に通底する優れたコメディ要素の感覚というのは、こういう経歴の中で養われてきたものであるということが分かりますね。
撮影を担当したマイケル・ジオラキスは『イット・フォローズ』にて高い評価を獲得した人物で、デビッド・ロバート・ミッチェル監督やM・ナイト・シャマラン監督などの名匠からの支持も熱いですね。
そこにコメディ畑出身のニコラス・モンスールの独特な編集や『ゲットアウト』でも観客の緊張感を煽る独特の音色で存在感を発揮したマイケル・エイブルズの音楽が加わり、完成度を高めています。
- ルピタ・ニョンゴ:アデレード・ウィルソン/レッド
- ウィンストン・デューク:ゲイブ・ウィルソン/アブラハム
- エヴァン・アレックス:ジェイソン・ウィルソン/プルート
- シャハディ・ライト=ジョセフ:ゾーラ・ウィルソン/アンブラ
主演を務めたのは、2013年に『それでも夜は明ける』でアカデミー助演女優賞を受賞したことでも知られるルピタ・ニョンゴですね。
ディズニー版の『スターウォーズ』シリーズにもマズ・カナタ役として出演している彼女ですが、今作『アス(Us)』での演技も圧巻です。
2つの役の使い分けというのも恐ろしいぐらいに巧いのですが、彼女の役はプロットの性質上、観客を欺くことが求められているわけで、だからこそそれを見事にやり遂げてしまっていることにただただ驚きです。
夫のゲイブ役には、『ブラックパンサー』で長編映画デビューを果たしたウィンストン・デュークが起用されています。
また、経歴こそまだまだ浅いものの2人の子役エヴァン・アレックスとシャハディ・ライト=ジョセフも1人2役の難しい役どころを見事に演じ切っており、これからに期待が持てます。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!!
以下ネタバレ注意です。
映画『アス(Us)』解説・考察(ネタバレ)
本作が描いたものとその意味とは?
(C)2018 Universal Studios All Rights Reserved.
まずジョーダン・ピール監督の作品は、前作もそうなんですが、黒人の歴史や差別に裏打ちされて作られています。
『ゲットアウト』の中では、奴隷売買を思わせるような描写が登場したり、現在の白人リベラル層に残る潜在的な差別意識を浮き彫りにするなどしていました。
さて、そんな彼が今回『アス(Us)』において何を描こうとしたのでしょうか。
それを読み解く上で重要なヒントになっていたのが、Hands Across Americaです。
これは1986年5月26日に実際にアメリカで行われたイベントで、劇中にも紹介されていたように広大なアメリカ大陸の東の大西洋と西の太平洋を人間が手を繋いで、1つにしようという運動でした。
50年代・60年代に公民権運動が活発に行われ、アメリカでは、黒人が徐々に社会進出を果たすようになったと言われています。
Hands Across Americaというイベントはまさに、アメリカの多様な人々の融和を統合を世界に発信するかのようなものになっていました。
現在、映画を見ていてもポリティカルコレクトネスという考え方が浸透しており、黒人監督・俳優が積極的に起用され、作品の題材も黒人のパワーを強調するかのようなものが増えてきています。
表面的に見ると、アメリカでは黒人の社会進出が進み、白人と黒人が平等に共生する社会に変化していっているという風に見えると思います。
しかし、これがまやかしに過ぎないことはジョーダン・ピール監督が『ゲットアウト』の中で言及していた通りです。
公民権運動の真っ只中である1963年にアメリカ南部のアラバマ州で州知事に当選したジョージ・ウォレスは「人種隔離政策」の支持を表明し、保守派層から熱狂的な支持を獲得しました。
彼の当選に対する熱狂が表現していたのは、まさにアメリカ白人層に残る根強い差別意識と、彼らが黒人と融和した社会を望んでなどいないという意思表明だったのかもしれません。
そこから公民権法が改正され、当初「血の日曜日事件」を初めとした黒人と白人の衝突が各地で起こりながらも、融和に向けて少しずつ動き出すわけです。
ただ、それまで融和に強く反対し、分断・隔離を臨んできた白人たちが、突然リベラルな思想を持っているかのように振る舞い、ポリティカルコレクネスを意識して差別に反対して生きるようになったことには、いささかの違和感がありますよね。
そして面白いのが、ドナルド・トランプの登場です。
彼は、扇動的な発言を繰り返し、白人至上主義的な国づくりを訴えることで白人リベラル層の意識の奥に眠っていた差別意識や白人至上意識を蘇らせ、指示につなげたとも言われています。
Hands Across Americaというアメリカにおける人種融和の象徴が、極めて表面的なものでしかなく幻想でしかなかったことを、現在のアメリカの在り様はまさしく証明してしまっているわけですよ。
本作『Us アス』を見ていて、面白いのがタイラー一家がクローン人間(テザード)たちに襲われるシーンです。
妻のキティが喉を割かれ、何とか助けを求めてオフェリア(スピーカー型のAI端末)に「警察を呼んで(Call the police.)」と吹き込むんですが、端末は「警察糞くらえ(Fuck the police)」と認識してしまいます。
すると室内にN.W.Aの楽曲「Fuck The Police」が響き渡るのです。
この楽曲は1980年代後半に、西海岸を席捲した楽曲で、当時はびこっていた白人警察官による黒人に対する不当な操作や逮捕に対する批判を込めたヒップホップとなっています。
そんな楽曲が、白人の比較的裕福な家の中に響き渡っていて、その中で一家が惨殺されているという状況に何だか皮肉めいたものを感じてしまいます。
『マルコムX』や『ブラッククランズマン』などを手掛け、近年のハリウッドに蔓延している白人目線のポリティカルコレクトネスに辟易としているスパイク・リー監督。
ジョーダン・ピール監督と親交が深い彼も、近年の白人と黒人の分断という現実を、理想と幻想で覆い隠そうとする社会の在り様に警鐘を鳴らしています。
『アス(Us)』という作品において、地下に住んでいるクローン人間として描かれた人たちは「私たちはアメリカ人だ。」と自称していました。
彼らというのは、まさしく近年のアメリカ社会において、人々が理想と幻想にばかり目を向け、いつしか目を背けようとするようになった暗い現実の象徴なのです。
だからこそ彼らは「アメリカ人」なのであり「私たち」なんですよ。
そして今の社会には、トランプ大統領の登場で顕在化しつつある白人と黒人の分断という現実を、必死に理想と幻想で掻き消そうとする動きが見受けられます。
まさしく1986年にHands Across Americaというまやかしの融和の幻想で、暗い現実から人々の目を逸らそうとしたことと同じことが今起こっているんです。
だからこそジョーダン・ピール監督は、今この『アス(Us)』という作品を描く必要がありました。
そこなんですよ!実はジョーダン・ピール監督はこの映画で人種的側面に加えて、もう1つの「分断」を描いています。
それは、アメリカにおける富裕層と貧困層の分断という経済的な側面です。
注目したいのは、またもやタイラー一家がクローン人間(テザード)たちに襲われるシーンです。
この時、家に押し入ったクローン人間(テザード)たち、とりわけキティのクローンは興味深い行動を取っています。
彼女は、アデレードを殺害するチャンスにも関わらず口紅を塗って化粧を楽しんでいるんですよね。
本作の設定の中で、クローン人間たちはオリジナルの人間たちの生活や行動に影響を受け、とりわけその負の側面を背負ったり、逆の影響を受けたりするとされていました。
そう考えると、裕福なタイラー一家のクローンは、貧困層であり、貧しい生活を地下で強いられていたと考えるのが自然ですよね。
アメリカだけではなく、日本でも近年同じような傾向が見られますが、経済的なランクによって人々が分断され、貧困層を見捨てる方向に社会が向かっているようにすら思えます。
本作『Us アス』の中で地下の世界に向かうエスカレーターは下に向かう方向にしか伸びていませんでした。
これって裕福な人が貧困層に転落することはあれど、一度転落したら最後ないし貧困層に生まれついた人間が富裕層に上がることはできないという近年の経済の停滞性を象徴しているようにも見えます。
このようにアメリカないし世界中で、近年人種的や経済的な分断が起こっており、私たちはそれを必死に見て見ぬふりをしています。
しかし、私たちが暗い現実から目背けてしまった時、必ずそれは地の底から現れて、私たちの社会を包み込んでしまうことでしょう。
大切なのは理想や幻想ばかり見るのではなく、現実から目を背けないようにすることです。
ジョーダン・ピール監督は『アス(Us)』という作品を通じて、「私たち」に警鐘を鳴らしています。
「Us=U.S.」として捉える本作の正体
今作『アス(Us)』のタイトルを見た時に、これが「私たち」を意味するweの目的格である「us」という単語が使われているのは明白です。
その一方で、このタイトルは「U.S.」つまりUnited States of Americaを表していると考えることもできます。
ジョーダン・ピール監督はこの作品にアメリカという国の歴史を反映させたのではないかと私は考えています。
アメリカ史を語る上で、まず欠かせないのは先住民たちとそして黒人の存在です。
アメリカでは、1960年代の公民権運動に至るまで自分たちの崇高なフロンティア精神のもとに徹底的に先住民たちを排除してきたことを歴史から抹消していました。
というよりも「先住民=文明進歩を妨げる障害物」であるとして、特定の区画に閉じ込めたり、ジェノサイドを敢行したりして自分たちの国を作るための犠牲にしてきたのです。
有名な史実としてはリンカーン大統領が1862年に「ホームステッド法」という法律を成立させたことが挙げられます。
これは、実質的には先住民たちに自分たちの固有の土地や文化、風習を放棄させ、保留地に定住させて白人のために農業に従事させることを強制させる法律でした。
こういった背景を考えると、本作において「テザード」と呼ばれるクローンたちが地上に生きる人間たちの手によって、地下世界へと葬り去られ、そこで暮らすことを強いられているという設定は先住民の辿った歴史と共通する部分があります。
一方で、アメリカにおける黒人の扱いというのは、長らく奴隷であり、今もなお根強く差別が残存しています。
白人たちは、自分たちのための豊かな社会を築くために、黒人たちを奴隷として酷使し、使い捨てました。
それはまさに社会の表と裏であり、白人たちはその甘い蜜を吸い上げ、逆に黒人たちは辛酸をなめました。
この白人と黒人の関係性が、本作における地上の人間と地下の人間の関係性にそのまま投影されているように思えます。
そう考えると、本作においてレッドが「私たちはアメリカ人だ。」といった意味が何となく理解できませんか?
『アス(Us)』という作品が描いたのは、まさしくこれまで特定の人種や種族の人たちを虐げ、我が物顔で豊かな社会を築き、享受してきた「アメリカ人」にその歴史を突きつけるという行為なんですよ。
近年、ポリティカルコレクトネスが注目を集めています。
もちろんこの考え方は正しいと思いますし、推奨されるべきです。
確かに表面的には差別をなくし、多様性を愛してい生きようとする動きが見られますが、それはある種の本質からの逃げという側面を孕んでいると思います。
なぜならアメリカにはまだまだ根強い人種差別と分断が現存しているからです。
スパイクリー監督の映画『ブラッククランズマン』だって、まさしく今日のアメリカにおける「分断」を真っ向から描いた作品です。
こういう現状から近年「アメリカ人」たちは目を背けようとしているのではないかとジョーダン・ピール監督は憂えているのではないでしょうか。
そういうコンテクストを踏まえて考えると、今作は間違いなく、今作られるべきだった作品です。
ラストシーンが意味する2つのこと
おそらく多くの人が衝撃を受けたであろう映画『アス(Us)』のラストシーンですが、ここには一体どんな意味が込められていたのでしょうか。
個人的には、あのラストシーンには2つの意味が内包されていたと考えています。
まず1つには、テザードたちには文化を築いたり、芸術を解したり、言語を話すポテンシャルが備わっていたということが明らかになったことが挙げられます。
作中で、レッドがテザードたちは人間によって作られ、そして「魂」を持たないからという理由で地下のトンネルに閉じ込められ、そこで生活することを強いられていました。
しかし、地上で他の人間に溶け込んで当たり前のように暮らしていたアデレードという人物がいるわけですから、その理論は成立しなくなります。
この設定が明かされることにより、本作におけるテザードたちの位置づけが、より現実世界の貧困層に重なったような気がしますね。
というのも、私たちは生まれつき一定のポテンシャルを持った人間なのに、生まれた環境によって受けられる教育の水準、生活の水準が異なるがために後天的に能力に差がついていってしまいます。
とりわけアメリカではヒルビリーと呼ばれる白人労働者階級が貧困と無教養を世代を越えて引き継ぐことで、経済的な停滞を生んでいることが明らかになっています。
先ほども書きましたが、映画『アス(Us)』において、地上と地下を繋ぐエスカレーターは下への一方通行です。
まさに、今の社会でまともな教育を受けられず、言語教育すらままらないような貧困層が成り上がることの難しさを表現しています。
アメリカの相対貧困率は17.8%ととも言われ、非常に高く、とりわけアメリカの保守派層は貧困を自己責任論で片づけようとするような風潮すらあります。
しかし、本質はそうではありません。自己責任などではなく、生まれ育った環境によって人間の将来の限界値がある程度決められてしまう現状が確かにそこにはあるのです。
だからこそ本作において、批判はあるとは思いますが、偽物のアデレードが勝利するという結末にも意義があります。
人は先天的にその能力の限界が決められているわけではなく、育つ環境によってそのポテンシャルをどこまで発揮できるのかが決定づけられるというわけです。
そういう意味でも、偽物のアデレードという存在も1つの希望なんですよ。
そしてもう1つ、これはアメリカ人たち自身が歴史の中でやって来た、他民族・人種の蹂躙を自分たち自身に突き付けられているという側面があると思います。
これは先ほどの章で解説した内容にも重なりますが、そもそもアメリカ大陸にはネイティブアメリカンと呼ばれるインディアンたちが住んでいて、そこにヨーロッパから移民でやって来た白人が作ったのが今のアメリカです。
つまり、白人たちがアメリカ人(原住民)たちを迫害し、殺害し、文化を破壊し、そして自分たちの国を作り上げて「俺たちがアメリカ人だ。」と名乗ったことでできたのが今のアメリカの原形なんですよ。
これはまさにアデレードとレッドの関係性に当てはめて考えることができます。
元々地上の世界に住んでいたのは、アデレードなんですが、遊園地の一件でレッドが地上でアデレードとして暮らすようになりました。
だからこそ偽物のアデレードが勝利して幕切れる本作のラストは、「私たち=アメリカ人」に対する強烈な皮肉なんですね。
この映画に散りばめられた小ネタたちが持つ意味とは?
前作『ゲットアウト』もそうですが、ジョーダン・ピール監督は作品の中に様々な小ネタを仕込んでいて、1つ1つにきちんと意味があります。
今回はその中のいくつかを取り上げて、徹底的に解説していこうと思います。
「11:11」という数字が持つ意味
今作『アス(Us)』の中で「11:11」という数字が意味深に登場しましたよね。
- 冒頭のアデレードが遊園地で迷子になる際に立っていた男性が持っていた札
- サンタクルーズで救急車で運び込まれる男性が持っていた札
- ジェイソンが夜に指さした時計が表示していた時刻
では、この「11:11」にどんな意味があるのかということについてですが、これは作中でも触れられていた通りで旧約聖書に含まれるエレミヤ書への言及です。
エレミヤ書の11章の11節にどんな内容が書いてあるのかを引用しておきます。
それゆえ主はこう言われる、見よ、わたしは災を彼らの上に下す。彼らはそれを免れることはできない。彼らがわたしを呼んでも、わたしは聞かない。
エレミヤ書11章の11節より引用
まさに破壊の到来の福音とも言える内容ですよね。
もっと踏み込んでいきますと、エレミヤ書というのは、エレミヤという人物の預言書になっていて、神ヤハウェに従わないイスラエル国民がバビロンによって滅ぼされるという内容が綴られています。
しかし、イスラエル国民は楽観視して、これを受け入れなかったために、後に「バビロン捕囚」と言われる憂き目にあったとされています。
そしてエレミヤ書の29章の10節にはこんな記述が書かれています。
まことに、【主】はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。
エレミヤ書29章の10節より引用
つまりエレミヤという人物は、バビロン捕囚という憂き目にあった人々を何とか希望と平安へと導こうとした人物でもあるのです。
これを踏まえて『アス(Us)』という映画を振り返ってみると、バビロン捕囚された人々というのは、人類に作られ、地下の世界へと幽閉されてしまったクローンたちの存在のように思えます。
また、そんな存在を希望と平安へと導こうとする旗手として君臨したエレミヤとレッドの姿が重なるという点を指摘することもできますね。
マイケルジャクソンの「スリラー」に込められた意味
本作の冒頭で、幼少期のアデレードが父親に景品でマイケルジャクソンの「スリラー」のTシャツを取ってもらいますよね。
ここにどんな意味が隠されているのかを考えてみるのですが、これについては「スリラー」のMVを見たことがある人であれば、すぐに気がつくと思います。
「スリラー」のMVってマイケルジャクソンが満月の夜に狼になってしまい、彼女に襲い掛かるというプロットなんですね。
ただ、それは彼女が見ていた夢でした=という夢オチに見せかけて、最後に実はマイケルジャクソンは本当に狼男だったんだよということを仄めかすオチを用意してあります。
思えば本作『アス(Us)』のプロットって、この「スリラー」のMVの展開と全く同じなんですよ。
この小ネタに気がついた人は、かなり早い段階で本作の結末が読めたんじゃないでしょうか。
また、クローン人間たちが身に纏っている赤いジャンプスーツは80年代のスラッシャー映画の要素でもあるのですが、それ以上にこのMVのマイケルジャクソンを想起させますね。
ファーストカットに登場したVHSたち
本作のファーストカットでは、1986年の時系列で幼少のアデレードが見ているテレビの映像が映し出されます。
この時、テレビの横の棚には、意味深に映画のVHSが並べられているんですよ。
その作品を見ていくと、以下のようになっていました。
- 『チャド』
- 『2つの頭脳を持つ男』
- 『グーニーズ』
- 『ライトスタッフ』
- 『ナイトメア』
まず、『チャド』という映画は正体は政府が不当に処理した放射能廃棄物によって変異したチャドと呼ばれる地下に住む怪物と人々の戦いを描いた作品です。
また『グーニーズ』は有名な作品ですが、これは地下室の向こうに広がる洞窟で少年たちが宝物を探して冒険をする話でしたよね。
この2つの作品には、「地下」という共通点があります。
そして『ナイトメア』という作品は、当ブログ管理人は見たことがないのですが、どうやら主人公の少年が幼少期に抱えたトラウマに苦悩し、両親を殺害してしまうという作品だそうです。
これは「幼少期に抱えたトラウマ」というキーワードで『アス(Us)』とリンクしています。
『2つの頭脳を持つ男』という作品は、そのタイトルがすでに示唆的ですよね。
本作のクローン人間たちの、オリジナルの人間と身体を別にしながら、その思考や行動を1つに共有するという設定を暗に仄めかしている様でもあります。
『ライトスタッフ』については、先ほどご紹介したHands Across Americaに通じる皮肉を交えて登場させているように思えます。
というのも当時の宇宙開発ってとにかく問題がありながらも個人や莫大な予算を犠牲にして、栄光と理想のために突き進んで行ったという側面があります。
そういう現実問題から目を逸らすために宇宙という理想を掲げていったことに対する皮肉が、『ライトスタッフ』という作品のVHSを置いておくことで感じられるようになっているのです。
他にも、映画で言うと、作中でジェイソンが『ジョーズ』のTシャツを着ていましたが、これはビーチに遊びに来ていた家族がサメの登場で恐怖のどん底に追いやられるという映画でした。
これも『アス(Us)』という作品の展開に強くリンクしていますね。
やっぱり『シャイニング』は意識してるよね!
ジョーダン・ピール監督は前作の『ゲットアウト』でも映画『シャイニング』へのオマージュを存分に込めていました。
というよりも前作は冒頭の映像とそしてタイトルロゴの出し方、タイトルロゴのフォントやカラーまで同じという徹底ぶりで、同作への献辞としていました。
そして彼の長編監督作品第2作となる本作でも、やはり『シャイニング』を意識したであろう点が多々見られます。
例えば、今作の現在パートの冒頭ではアデレードたち家族が車で林道を通って家に向かっているシーンが描かれますが、ここでやたらと空撮が使われたのは、完全に『シャイニング』の冒頭のカットをイメージしています。
また本作のキャラクターを見ていっても、『シャイニング』ではトランス一家の中でとりわけ息子であるダニーが不思議な力を持つようになるのですが、『アス(Us)』でも同様にジェイソンには重要な役割が与え得られていました。
また、主人公一家の友人のタイラー一家に双子の姉妹がいるという設定も、『シャイニング』のあの有名な双子を思わせる設定です。
本作にウサギが多く登場する意味
(C)2018 Universal Studios All Rights Reserved.
さて、映画『アス(Us)』を見ていると、実に印象的にウサギが登場しますよね。
真っ先に頭に浮かぶのはルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』かもしれません。
アメリカの地下に広がる世界とそこに暮らしているウサギという設定はまさしく近似しています。
また物語的に見ても、冒頭に少女アデレードが地下世界に迷い込む展開が近似していることやレッドという地下世界のボス的存在が同作の赤の女王を思わせることも指摘できるでしょうか。
一方で、宗教的な視点から見ても、今作におけるウサギは非常に示唆的と言えます。
ウサギは、イエスキリストの復活祭でもあるイースターのシンボルとされており、生命の復活と繁栄を表すとされています。
しかし、旧約聖書のレビ記を紐解くと、ウサギは不浄の生き物であるとされているんですね。
つまり、不浄なものとしての旧約聖書的な解釈に基づく、ウサギ像は葬り去られてしまい、後にイースターのシンボルとしてのイメージを付与されたというわけです。
同じウサギという生き物に不浄なものというイメージとそれとは対照的な聖なる生き物というイメージ2つの側面を与えたんですね。
この経緯を見ていると、本作のオリジナルの人間とクローンの人間の関連性に通じるところがあるようにも感じられます。
それは「テザード」と呼ばれる人たちは、現実の私たちと繋がりを持ちながら、その負の側面を背負い、一方の私たちがその正の側面を背負っているからです。
未公開シーンについて
今作『アス(Us)』の北米版ブルーレイにはいくつかの未公開シーンが収録されています。
前作の未公開シーンはとりわけ「別エンディング」的な位置づけとなるシーンだったんですが、今回の『アス(Us)』のものは、カットされるべくしてされたシーンかな?という印象でした。
その中でもいくつか興味深かったものをご紹介します。
まず1つ目が「Rabbit Season」と題された1分ほどのシークエンスです。
これは、アデレードたちがサンタクルーズのビーチへと車で向かっていたところにインサートされることになったであろうシーンですね。
おそらくジョーダン・ピール監督は、この削除シーンと救急車で運ばれる男性が「エレミヤ 11:11」を持っていたシーンとでどちらを採用するか悩み、後者を選択したのだと思います。
削除シーンの方は、アデレードたちの車が交差点で誘導員によって止められて、その間に横断歩道を白い服を着た11人の船乗りたちが歩いて渡っていくという内容です。
そこがこのシーンの残念なところでして、まず「エレミヤ 11:11」を強調する必要があるので船乗りが11人いるという事実は強調する必要があるのですが、正直ゆっくり数えないとまず気がつかないです。
その上、OPロールで地下の世界にはウサギがいるという事実についてはそれとなく仄めかしてしまっているので、ここでOPロールと同じ劇伴音楽を用いて、アデレードの表情にフォーカスしてしまうと、本作の結末が読みやすくなってしまいますよね。
船乗りたちの白い衣服が彼女に地下世界のウサギを思い出させているのではないかという何となくの想像がついてしまいますので・・・。
ですので、この削除シーンは肝心の「11」という数字を観客に伝えるにあたっては、いささか弱いですし、逆に劇伴音楽のために結末が読みやすくなってしまうという非常に良くないシークエンスになっていたんですね。
こういう削除シーンを見ると、いかに映画というものが計算されて作られているかがよく分かります。
個人的に好きではあるんですが、本作の雰囲気やテンポ感的にはカットして正解だったかな?とも思うのが、「THE P IS SILENT」という削除シーンです。
この削除シーンのタイトルであり、その中でゾーラが父ゲイブに言っていた「THE P IS SILENT」は有名なジョークです。
「プテラノドンがお風呂に行く音が聞こえないのはなぜだと思う?」-「それはPは静かだからだよ。」
英語において「p」の音を発音しないことが多い(psychologyなど)ことから生まれたジョークなんですね。
このゾーラと父ゲイブが会話をしているシーンは、まさにアデレードがレッドと死闘を繰り広げていた頃ですね。
ゾーラはジョークを言ってみたりするんですが、世界の終わりが来たんじゃないかと不安になり、泣き出します。そんな彼女を父として温かく励まそうとする、まさに家族の連帯を表現したシーンです。
そして一番恐ろしかったのは一番最後に収録されていた「I WANNA GO HOME.」ですね。
この削除シーンは地下に閉じ込められた本物のアデレードが地下世界に住む自分の両親のテザードに出会うという衝撃的なシーンです。
これは映画本編にあっても良いのではないかと思いましたが、トラウマものです・・・。
本作に隠された伏線と謎を徹底解説
ジョーダン・ピール監督の作品は、何と言っても最初に見た時と2回目に見た時では、全くその映画の見え方が変わるのが1つの特徴とも言えます。
そこで、今回は映画『アス(Us)』に隠されていた伏線や謎についてできるだけ多く解説していきたいと思います。
アデレードの行動の裏に隠されていたもの
(C)2018 Universal Studios All Rights Reserved.
やはり映画『アス(Us)』において1度目の鑑賞と2度目の鑑賞で一番見え方が変わってくるのは、アデレード(レッド)の行動でしょう。
まず、最初の不協和音はサンタクルーズの海辺へと向かう車の中での彼女の指を鳴らす音のリズムに違和感があることに気がつきましたでしょうか。
この時に車内に流れているのが、「I Got 5 on It」という有名な曲なのですが、彼女の刻むビートが明らかに楽曲とズレてるんですよね。
その後、ビーチを訪れた夜に、アデレードがジェイソンと会話をしているシーンがありましたよね。
この時、ジェイソンが彼女に「僕が死んだと思った?」と尋ねていて、それに対して彼女は「迷子になったか、連れ去られたと思った。」と回答しています。
一見普通の母親としての発言ですが、よくよく事情を把握したうえで見てみると、彼女が心配していたのはクローン人間たちに自分の息子が連れ去られてしまうことだったということが分かります。
そして、彼らの家の前に4人の家族が現れた時に、家族の中で1人だけ異常な警戒心を示していて、すぐに警察に連絡していたのも彼女でした。
夫のゲイブが理性的な対応をしようとしていただけに、彼女の感情的な行動が余計に目立ちました。
もちろん1回目に見た時は、彼女が幼少期にトラウマを抱えていたからこその行動だと納得はできるんですが、2回目に見ると、これほどまでに彼女が警戒心を示したのは、自分がアデレードの人生を乗っ取ったクローンだと知っているからだったと解釈できます。
そしてもう1つ面白かったのが、アデレードはなぜか4人の不審者が家にやって来た時に、娘のゾーラに靴を履いてきなさいと指示しているんですよ。
これって、後々考えるとアデレードとレッドは思考が繋がっているので、レッドがゾーラに走らせるように仕向けることが読めていたということなのかもしれません。
あとは、レッドがアデレードたちの家のスペアキーの位置を知ることができたのも、思考が繋がっているからと解釈できるでしょう。
その後のシーンで興味深いのは、やたらとアデレードが自分の子供のクローンの死に心を揺さぶられているところでしょうか。
アンブラの死に際しても、真っ先に車を降りて確認に行きましたし、プルートの死に際しては「ダメ!やめて!」と否定的な発言すらしていましたよね。
ここで分かるのが、アデレードとレッドの感情のリンクなんですが、他の家族の面々はクローンの感情が流れ込んできている様子がありませんよね。
しかし、アデレードには確かに、レッド側の感情が流れ込んできていて、だからこそレッドが自分の子供たちの死を悲しむ感情が流れ込んできているのです。
つまりどちらが主導権を握っているオリジナル版なのかということがここからもうっすらと見えてきますよね・・・。
そして視覚的に面白いのが、物語が後半に進むにつれて、アデレードの白い衣服が血に染まって、だんだんと赤色に近づいていっているところですよね。
これは視覚的に、徐々に彼女の正体が明らかになっていっていることを示すものでもあります。(クローン側の赤いジャンプスーツに近づいていっているため)
彼女の行動は、1回目と2回目では違った意図や感情を見て取ることができると思います。
ぜひぜひ見返してみて、じっくりと確かめてみてください。
ジェイソンがプルートを火の中に誘導したギミック
(C)2018 Universal Studios All Rights Reserved.
物語の中盤過ぎで1つ大きな謎となったのが、ジェイソンが自分のクローンであるプルートを火の中へと誘導したシーンですよね。
なぜ、彼は自分のクローンが自分と同じ行動を取ることを見抜くことができたのでしょうか。
実は、序盤のクローンたちがアデレードたちの暮らす家に侵入してきたパートにヒントが隠されています。
ジェイソンとプルートが小さな物置で対峙した際に、彼はマスクをかぶると自分のクローンが同じ行動を取るということに気がついているんですよ。
例えば、自分の手に手を重ねてきたり、自分と同じ手の動きをしたりしていました。
ここでプルートの性質に気がついていたらからこそ、家族の危機に際して咄嗟に自分の動きを真似するプルートを葬り去る方法を思いついたんでしょうね。
そもそもアデレードとレッドが入れ替わることができたギミック
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この映画を見ていて、どうしても気になってしまうのは、なぜ本物のアデレード(レッド)は地下世界に連れ込まれた時に、脱出しようとしなかったのかという点ですよね。
もちろん2人が入れ替わってすぐは2人の行動の主導権は、本物のアデレード(レッド)の方にあったはずです。
しかし、徐々に地上の世界で生きるアデレードの方へと主導権が移っていったことが本作の中で仄めかされています。
さて、今作の作品内ルールでは主導権を握っている側の人格が出来事の+の側面を背負い、逆に持っていない側がーの側面を背負うということでしたよね。
そう考えると、みなさんは、地上の世界で生きるアデレードが主導権を徐々に握り始め、さらに英語を話せるようになっていけば、地下で暮らす本物のアデレード(レッド)はどうなると思いますか。
そのまさかです。本物のアデレード(レッド)は他の「テザード」たちが言語を話せない一方で、かつての名残で辛うじて言語を話せていました。
しかし、アデレードが言語を習得していったがために、その反動で彼女はどんどんと言語が不自由になっていったことが推察できます。
終盤にバレエダンスを地上に住むアデレードが取り組み始めたことで、地下に住むアデレード(レッド)もそれに付き合わされる羽目になったことを明かしていました。
その際に彼女は、「あなたの影響を受けていなければ、私はダンスなんて踊ることはなかったわ。」と語っていました。
このセリフこそが、まさに本作において本物とクローンの間で主導権の移動が起こったということの何よりの証明でもあります。
アデレードがバレエで美しいダンスを観客の前で披露する最中、それに作用されて地下にいたアデレード(レッド)もそれを踊る羽目になったわけです。
地下で踊っているアデレード(レッド)は何度も壁に激突したり、転んだりしており、さらには踊り終えると発狂しています。
本作において、2人における主導権は完全に地上のアデレードに移ってしまっていたことは、このことからも明らかです。
そうして、地上のアデレードは少しずつ地下世界の記憶を忘れていくことになったわけで、それは同時に地下に住むアデレード(レッド)が徐々に地上の記憶を無くすことでもあります。
しかし、地上のアデレードが入れ替わった自分のことを心の片隅で覚えていて、トラウマとして抱き続けてくれていたおかげでアデレード(レッド)は、かろうじて自分の分身の存在を忘れずにいられたのでしょう。
少し都合よく解釈している部分もありますが、こう考えるとさほど本作のプロットに矛盾は感じられないような気がしました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回はジョーダン・ピール監督最新作の『アス(Us)』についてお話してきました。
ホラー映画としても一級品なのですが、時折挿入されるコメディ要素のセンスや現代アメリカへの痛烈な皮肉交じりのメッセージも巧妙で、非常に完成度の高い仕上がりになっていたように思います。
ただ、脚本やプロットの完成度は、やはり前作『ゲットアウト』には及ばない印象は受けました。
ともかく、ジョーダン・ピール監督は今後も非常に楽しみな監督であることに疑いの余地はありません。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。