みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ワンスアポンアタイムインハリウッド』についてお話していこうと思います。
これまで多くの映画史に残る名作を世に送り出してきたクエンティン・タランティーノ監督の最新作である本作。
カンヌ国際映画祭でも称賛を浴び、勢いそのままにアメリカでも公開され、高い支持を獲得しています。
北米大手批評家レビューサイトのRotten Tomatoesでは以下のような評価となっています。
- 批評家支持率:85%
- オーディエンス支持率:70%
驚くべき支持率であることには変わりないのですが、彼の作品はいつも80~90%の評価を叩き出しているので、だんだん感覚が麻痺してきましたね。
また、今回の映画はかの有名な「シャロンテート事件」を題材にしているということで、基本的にはこの事件についてある程度調べたうえで鑑賞するのがベターでしょう。
この記事でも後程、ある程度は解説を加えておこうと思います。
では、早速そんな話題作について語っていきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『ワンスアポンアタイムインハリウッド』
あらすじ
1969年2月ハリウッドで、1人の落ち目の俳優が必死に栄光を取り戻そうともがいていた。
リック・ダルトンという名のその男は、かつて『賞金稼ぎの掟』という西部劇で名を馳せたが、若い世代の台頭に伴い、次第に仕事を失っていた。
ドラマの悪役やゲスト出演といった不定期の仕事で何とか食いつないでいる状態で、相棒で親友のスタントマン、クリフ・ブースに満足に仕事を与えられない状況に陥っていた。
それでもハリウッドで生き残るために必死にもがく2人。
対照的に、『ローズマリーの赤ちゃん』で話題沸騰中のロマン・ポランスキー監督と勢いのある若手女優シャロン・テートは活躍の場を広げ、公私ともに順調だった。
一方、街は空前のヒッピーブームであり、街はそんなヒッピーたちに溢れかえっていた。
そんなヒッピーたちを束ねていたのが、チャールズ・マンソンという男だった。
そしてハリウッドは1969年8月9日の夜を迎えることとなるのだった・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:クエンティン・タランティーノ
- 脚本:クエンティン・タランティーノ
- 撮影:ロバート・リチャードソン
- 美術:バーバラ・リン
- 衣装:アリアンヌ・フィリップス
- 編集:フレッド・ラスキン
今作が監督としての第9作目となるクエンティン・タランティーノ監督。
当ブログ管理人はやっぱり『パルプフィクション』が1番好きですね。王道ですが。
あとは『デス・プルーフ in グラインドハウス』と『レザボアドッグス』あたりも個人的には好みです。
逆に一番最近の『ヘイトフルエイト』はあまりハマらずだったので、今回の作品ももしかして・・・という不安はあるんですが、この手のアメリカノスタルジームービーはジャンルとして大好きなので、期待しておりました。
撮影には、これまでにもタランティーノ作品に参加しており、3度のアカデミー賞撮影賞受賞経験を持つロバート・リチャードソンが起用されました。
また、この手のノスタルジー映画って意外と美術や衣装に注目されることが多いです。
美術には、『一枚のめぐり逢い』や『フォーリングダウン』などの美術を担当したバーバラ・リンが起用されています。
衣装には『キングスマン』シリーズや、トムフォード監督の『ノクターナルアニマルズ』でも非常に注目されたアリアンヌ・フィリップスが加わっています。
編集には『ヘイトフルエイト』にもクレジットされていたフレッド・ラスキンが起用されました。
- リック・ダルトン:レオナルド・ディカプリオ
- クリフ・ブース:ブラッド・ピット
- シャロン・テート:マーゴット・ロビー
- ロマン・ポランスキー:ラファル・ザビエルチャ
- マーヴィン・シュワルツ:アル・パチーノ
- リネット・フロム:ダコタ・ファニング
- スティーブ・マックイーン:ダミアン・ルイス
- チャールズ・マンソン:デイモン・ヘリマン
レオナルド・ディカプリオがブラッド・ピットと共演するなんて、本当に豪華としか言いようがないキャスティングですよね。
タランティーノ作品でレオナルド・ディカプリオと言えば、やはり『ジャンゴ 繋がれざる者』ですよね。
この作品のヴィランを熱演して、アカデミー賞受賞に迫ったんですが、この時は惜しくも受賞することは叶いませんでしたね。
この2人に加えて、アカデミー賞にノミネートされた経験を持つマーゴット・ロビーまで起用されています。
持っている独特の雰囲気というか「コミカル要員」的な香りがシャロン・テートにそっくりなんですが、マーゴット・ロビーは演技の方も超一流です。
その他にも超豪華な顔ぶれが集結しています。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!!
『ワンスアポンアタイムインハリウッド』解説・考察(ネタバレあり)
本作を鑑賞する上で知っておきたい用語解説!
まずは、本作を鑑賞する前でも後でもお読みいただけるように本作を読み解く上で知っておく必要がある人物や出来事等の用語について簡単にではありますが解説を加えていきます。
もちろん知らずに見ても楽しいのですが、せっかくなのでこれらの知識を踏まえて作品を味わい尽くしてください。
シャロン・テート事件
今作『ワンスアポンアタイムインハリウッド』はもうシャロン・テート事件については観客が知っているという前提に立って作られている節があります。
まず、この映画で一番、分からないと感じる方が多いのは、なぜシエロドライブ10050番地にある彼女の家にマンソンファミリーが向かったのかということですよね。
本作は基本的にチャールズ・マンソン本人の出番は非常に少ないのですが、その数少ないうちの1つが、彼がシャロン・テートの自宅を訪ねてきた中盤のシーンです。
この時、彼は誰かに会うためにシエロドライブ10050番地を訪ねてきました。
その人物というのが、音楽プロデューサーのテリー・メルソンでした。
この人物がマンソンと関係を持っていたことをお話するには、さらにさかのぼる必要があります。
簡単に言うと、マンソンは音楽活動をして、ヒッピー歌手としてデビューしようと画策していたんです。
そんな彼に手を差し伸べたのが、ビーチボーイズのデニス・ウィルソンという男でした。
デニス・ウィルソンはテリー・メルソンと知り合いであり、彼をプロデューサーとしてマンソンに紹介します。
ただ、この話が実現することはなく、結局マンソンのデビューの話は白紙撤回となってしまうのです。
こういった経緯があり、彼がシエロドライブ10050番地に訪ねてくることとなり、そしてそこで後から引っ越してきたシャロン・テートと邂逅することとなったというわけです。
では、なぜ一度会っただけの女性を殺そうという思考へと辿り着いてしまったのでしょうか?
これについてはもはや偶然としか言えないような気もしますし、その一方でマンソンは後に自分がこの家を訪ねてきた時に、彼女たちに「クズのような扱い」を受けたことに腹を立てたとも語っています。
そして8月9日の夜にマンソンファミリーのうちの4人が(映画版では4人のうち1人が逃走した)シャロン・テートとポランスキーが暮らす家を訪れ、そしてそこにいた4人の男女を殺害したというわけです。
ちなみにこの時、ポランスキー監督は映画の撮影でヨーロッパへと飛んでおり、家を留守にしていました。
『ワンスアポンアタイムインハリウッド』の劇中でテックスたちが「金持ちのブタを狩る」という趣旨の発言をしていましたが、このセリフは史実からの引用です。
というのもテックスたちは、シャロン・テートらを殺害し、そして彼女の血で玄関にという文字を書いて立ち去ったからです。
これがハリウッド映画界ないしアメリカ社会を激震させたシャロン・テート事件というわけです。
チャールズ・マンソン
© 2019 Sony Pictures Digital Productions Inc. All rights reserved.
映画を見る前は、もう少し出番が多いのかと思っていましたが、意外にも登場シーンそのものは少なかったですね。
今作で、ヒッピーたちが集団でスパーン映画牧場にて暮らしていましたよね。
そこで暮らしてたヒッピーたちを束ねていたのが、チャールズ・マンソンという男でした。
売春婦のように暮らしていた母親の下で育ち、後にその母から捨てられたことで心に大きな傷を負い、そして非行に走りました。
そんな彼は刑務所から出た時に、ヒッピーとして生きる人たちの姿に驚きました。
マンソンはヒッピーという存在に惹かれ、カルトの教祖のようにヒッピーの少年少女につけいっては、自分のファミリーへと加えていきました。
彼は音楽への夢を持っており、前述のとおりでビーチボーイズのデニス・ウィルソンの力を借りて歌手デビューしようと目論んでいました。
しかし、その夢が現実になることはなく、彼は大きな喪失感と挫折感を味わうこととなりました。
そんな時、彼はビートルズが発売したアルバム『ホワイトアルバム』の中に収録されていたとある一曲に強烈にインスピレーションを掻き立てられます。
それがマンソンの掲げた「ヘルタースケルター」の到来です。
「ヘルタースケルター」とは人類の最終戦争のことを指していて、黒人と白人が死闘を繰り広げ、黒人が覇権を握るものの、彼らには世界を統治する能力がなく、結果的に生き残っていたマンソンファミリーが世界を掌握するというビジョンです。
この考え方を彼が提唱し始めたことで、これまでフリーセックスとLSDに明け暮れていたマンソンファミリーがどんどんと過激な方向へと傾倒していきます。
そして音楽教師であり、マンソンファミリーとも交流があったゲイリー・ヒンマンという男を、自分たちを裏切ったと見なし、殺害してしまいました。
その後、有名なシャロン・テート殺害事件を引き起こし、他にも殺害事件を引き起こすこととなります。
マンソンは現場に挑発的なメッセージを残し、それらの一連の殺害が当時活動が活発だったブラックパンサー党によるものだと見せかけようとしました。
これは彼自身が掲げている「ヘルタースケルター」が少しでも早く到来することを願っての行動でもありました。
マンソンファミリー
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今作の中で印象的登場したのが、マンソンファミリーと呼ばれていた彼に付き従うヒッピーたちですよね。
プッシーキャットやスクィキーフロム、ジプシーなど多くの女性たちがマンソンにほれ込んでいたわけですが、なぜこんな状況になっていたのでしょうか。
まず、マンソンファミリーに属していた女性たちの多くが、家庭に大きな問題を抱えており、両親と上手くいっていませんでした。
例えば、劇中でダコタ・ファニングが演じていたスクィキーフロムは、父親と喧嘩し、そのまま家を飛び出してきてしまった少女です。
その他にも、両親と問題を抱えていた少女が多く、そんな彼女たちにマンソンは「私をお父さんだと思ってセックスしなさい。」と甘い響きでささやき、絶対的な信頼を獲得したようです。
つまり、マンソンという男は、彼女たちがどれだけ欲しても手に入れることのできなかった「親の愛」を代わりに提供する役割を買って出ることで、彼女たちの心を鷲掴みにすることに成功していたわけですよ。
マンソンファミリーはスーパーのゴミ箱を漁っては、残飯をかき集めてそれを食べて生活し、さらにはLSDを乱用し、フリーセックスを楽しみました。
そうしてファミリーは結束を強めていき、マンソンが「ヘルタースケルター」を掲げるようになると、その行動はどんどんとエスカレートしていきました。
というのも彼らはマンソンが考えていることを忖度し、行動するまでになったのです。
彼が「そろそろ食べ物が必要だ。」とこぼすと、それだけでファミリーが街へと繰り出し、ゴミ箱を漁っては残飯を手に入れて戻ってきます。
そしてそれが「殺人」に変わっても、同じことが起こった結果シャロン・テート事件が起こったとも言えます。
『ワンスアポンアタイムインハリウッド』の中で、テックスが「あの方は確かに殺して来いと言っただろ?」とファミリーの3人に尋ねているシーンがありました。
これはマンソンが「殺して来い。」といったというより、そのニュアンスを仄めかす発言をした点からファミリーが彼の真意を推し量り行動に打ちした結果とも言えます。
ちなみにマンソンファミリーは、彼が逮捕された後も活動をつづけました。
ロマン・ポランスキー
彼は、映画ファンの間では有名な映画監督ですが、妻であるシャロン・テートの死は彼の映画人生にも大きな影を落とすこととなりました。
そもそも彼がシャロン・テートと出会ったのは、『吸血鬼』という作品を撮影するためのカメラテストの時でした。
この時、ポランスキーは彼女を主演女優として抜擢し、その後恋人関係になりました。
彼女は、駆け出しの女優であり、出演作でもどちらかと言うとおとぼけな演技が多く、ポランスキーとの結婚が決まった際には、バッシングもあったと言われています。
そしてハリウッドへと上陸し、1968年に『ローズマリーの赤ちゃん』を公開し、大きな注目を集めることとなります。
狂信的な悪魔主義者たちに囚われた女性が悪魔の赤ちゃんを妊娠するというとんでもない内容の作品は、ハリウッドに衝撃を与えました。
その翌年、シャロン・テートの殺害事件が起こり、彼は絶望のどん底へと叩き落されます。
以後彼の撮影した映画は『マクベス』『チャイナタウン』など、血みどろの凄惨な映画が続きました。
トーマス・ハーディの小説の映画版なのですが、『ワンスアポンアタイムインハリウッド』の劇中でシャロン・テートがその小説の初版本を夫にプレゼントしようとする一幕がありました。
彼は、この時、当時18歳のナスターシャ・キンスキーという女優と交際関係にあり、そして彼女をその『テス』の主演に起用しているのです。
というより、この人その後結婚した相手にしてもそうですが、自分の恋人を自分の映画にとにかく出演させたがるんですよ(笑)
また、彼は1977年に当時13歳だったモデルの少女に性関係を強要した容疑で逮捕されており、この事実が『ワンスアポンアタイムインハリウッド』の中で、ブラットピット演じるクリフ・ブースがプッシーキャットから関係を迫られても頑なに拒否するという描写に現れているように思えます。
西部劇とマカロニウエスタン
アメリカでかつて絶大な人気を博していたのが、西部劇と呼ばれるジャンルです。
主人公が絶対的な正義であり、悪を打倒するというアメリカの高潔なフロンティア精神を体現するこのジャンルは、当時大人気でした。
本作の主人公であるリック・ダルトンは、本作に出演予定でしたが、死去してしまい叶わなかったバート・レイノルズをモデルにしていると言われています。
50年代・60年代に大人気でしたが、徐々に人気が低迷し、80年代にはスキャンダルが相次いで、完全に人気が失墜してしまいます。
その後、演技派俳優としてカムバックし、ゴールデングローブ賞を受賞するなどの活躍も見せてくれました。
ただ、本作の彼の描かれ方を見ていると、個人的にはクリント・イーストウッドを思い出したりもしました。
彼はアメリカのテレビ番組『ローハイド』でブレイクし、一気に人気が出るんですが、後に『ローハイド』という作品そのものの人気に陰りが見え始めてしまいます。
そこでイーストウッドはセルジオ・レオーネ監督からのオファーを受け、イタリアで『荒野の用心棒』に出演しました。
その後、セルジオ・レオーネ監督とタッグを組み、マカロニウエスタンに数多く出演し、ハリウッドへと戻って来ると、今度は『ダーティハリー』で一気にスターへの仲間入りを果たします。
ちなみに、『ワンスアポンアタイムインハリウッド』の中でリック・ダルトンがマカロニウエスタンを嘲笑し、見下すようなシーンがありました。
これは、アメリカの正義のヒーローが必死に勧善懲悪するのとは違い、マカロニウエスタンの主人公は暴力的で、ダーティーなイメージが強かったんです。
それに加えて、マカロニウエスタンはアメリカに対抗心を燃やし、アンチアメリカ西部劇を志向したために、アメリカ人からは煙たがられているでしょう。
その他の小ネタ
シャロンテート事件が与えた影響
ヒッピーの集団によって襲われ、壮絶な最期を遂げたシャロン・テートというアイコンはその後のハリウッドにも大きな影響を与えているのは間違いありません。
映画の出来は悪く酷評されたが、1976年公開の『スナッフ/SNUFF』というスプラッター映画は、シャロン・テート事件からインスピレーションを得ています。
この作品は、南米に有名女優が映画の撮影のためのやって来て、その際に狂信的なカルト集団に襲われるという内容です。
また、1967年の映画『哀愁の花びら Valley of the Dolls 』に彼女は出演していたのですが、その続編として企画されていた映画をラス・メイヤー監督が脚本を変更し、その際にシャロン・テート事件の要素が入ってきました。
その映画が『ワイルドパーティ』という1970年公開の作品です。
この作品は、ヒッピーが登場したり、ラストで女優たちの乱交パーティーが大量殺人へと繋がっていくというトンデモ展開を描いています。
もちろん、彼女の夫であったポランスキー監督の映画は事件以後、その影響を大きく受けていましたし、他にもマンソンファミリーやチャールズ・マンソンを題材にした映画は多く作られました。
当然、今作『ワンスアポンアタイムインハリウッド』もその1つということになります。
タランティーノ作品との関連
まず冒頭に『賞金稼ぎの掟』のインタビューの場面で、リックとクリフがインタビューを受けている場面がありました。
この場面のロケーションになっていたのが、Melody Ranchと呼ばれた映画牧場でしょう。
そしてクエンティン・タランティーノの監督作品の中で同じくここで撮影されたのが、『ジャンゴ 繋がれざる者』です。
ちなみに『賞金稼ぎの掟』には『レザボアドッグス』や『キル・ビル』に出演していたマイケル・マドソンも出演していました。
他にも小さなアイテムの中にもタランティーノ作品を見ている人にはニヤッとできるものがあったりします。
例えば「レッドアップル」という銘柄のたばこはタランティーノの作品の中で何かと登場します。
『パルプフィクション』でも売り子のセリフの中で登場したり、『キルビル』の中では東京の空港で看板に描かれていたりしました。
もちろん他のタランティーノ作品にも登場しますし、前作である『ヘイトフルエイト』でも「レッドアップル」が登場しました。
ちなみに今作『ワンスアポンアタイムインハリウッド』のエンドロール映像にこのたばこのコマーシャル撮影がありましたが、このCMの監督がタランティーノ自身のようで、声だけ出演という形になっているようです。
また、今作でリック・ダルトンがナチの会議に潜入し、火炎放射器で党員を焼き尽くすという一幕がありましが、これは完全に『イングロリアス・バスターズ』からの引用です。
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あと、これは作品からの引用というほどではないですが、本作の構成はどことなく『パルプフィクション』に似ています。
様々な登場人物の視点を入れ替えたり、現在時制と過去時制を行き来するマジックもまさにタランティーノ監督の1つの原点回帰とも言えるアプローチだったといえるでしょうか。
タランティーノとハーヴェイ・ワインスタイン
クエンティン・タランティーノのキャリアを語る上で、欠かすことができないのがハーヴェイ・ワインスタインという男の存在です。
彼はハリウッドきっての豪腕プロデューサーで、タランティーノ監督がスターダムを駆け上がっていく上では不可欠な存在でした。
そんなワインスタインが過去30年にわたってセクハラを行っていたことを暴露した記事がニューヨーク・タイムズ紙を初めとするメディアに取り上げられハリウッド映画界を揺るがす大騒動に発展しました。
当然、関係の深かったタランティーノにも騒動は飛び火し、彼は発言を求められました。
「ただの噂やゴシップにとどまるものではなかった。人づてに聞いたことではなかったんだ。私は彼によるいくつかの行為を知っていた。私は自分が聞いたことに関して、自分の義務を果たすべきだったと思っている。もし当時、私がすべき行動をとっていたら、私は彼と仕事をしないことを選択していただろう」
彼は実際に自分の目で、ワインスタインの行為を目撃しており、その上で自分のキャリアを支えてくれた恩人に口出しすることができず、見て見ぬふりをしたと語っています。
また、タランティーノはポランスキーが1977年に当時13歳だったモデルの少女に性関係を強要したという一件でも、彼を擁護するような発言をしており、それについて謝罪しました。
こういう事実を知った上で『ワンスアポンアタイムインハリウッド』を見てみると、少し違った見え方をしてくると思います。
確かにこの映画は「古き良きハリウッド」を描いた作品です。
その一方で、この映画はタランティーノ監督が「古き悪しきハリウッド」との決別を意思表示した映画でもあると思うからです。
とりわけ「暴力」「淫行・セクハラ」はワインスタイン騒動で「Metoo」の流れができるまで、その多くが隠蔽され、なかったこととされていました。
そんな騒動があった今も、まだ明るみに出ていないものも山ほどあると思います。
それでも彼はワインスタインを擁護し続けた側の人間として、この映画を作らなければならなかったのです。
先ほど解説したように、本作はクリフを通じて「未成年との淫行」を拒否するシーンがあります。
加えて、後に解説しますが、本作のラストで「暴力」を暗に否定する描写もあります。
映画に純粋に惹かれ、そのために懸命に努力する人たちにスポットを当てた本作は、まさに「暴力」や「性暴力」といった不協和音を排除することで「映画」そのものの純粋性を取り戻そうとするタランティーノ監督自身のコンフリクトの表出です。
ぜひその点も踏まえたうえでご覧になって欲しいですね。
タランティーノ監督がこの「お伽噺」の結末に込めた意味とは?
「Once Upon a Time in…」というのは、日本語にすると「むかしむかし」というニュアンスであり、アメリカでも「お伽噺」を聞かせる時のイントロです。
とりわけ今作はクエンティン・タランティーノ監督が私たちにどうしても聞かせたかった「お伽噺」という意味合いが強い映画なのだと思います。
では、彼が作り上げた「お伽噺」とは、一体誰のためのものだったのでしょうか?凄惨な最期を遂げたシャロン・テートを救うという意味だったのでしょうか?
私はそうではないと思っています。
この作品は映画という「妄想」がチャールズ・マンソンという男が作り出した巨大な「妄想」に打ち勝つ映画なのだと率直に感じました。
チャールズ・マンソンという男は、心に傷を負った若いヒッピーたちの心につけ入り、彼らに自分の「妄想」を共有することで、ファミリーを形成しました。
そしてビートルズの楽曲に着想を得た彼は、人類存亡をかけた戦いが始まり、最後には自分たちが世界の覇権を握るという「ヘルタースケルター」と呼ばれる誇大妄想を抱くようになりました。
そしてこの「ヘルタースケルター」という誇大妄想の犠牲になったとも言えるのが、他でもないシャロン・テートです。
だからこそクエンティン・タランティーノ監督は、映画というフィクションないし妄想が、この凄惨な事件を引き起こしたマンソンファミリーの集団妄想に勝利するという「お伽噺」を描きたかったのだと思います。
これはタランティーノ監督なりの映画への愛であり、信頼です。
本作『ワンスアポンアタイムインハリウッド』の終盤に、マンソンファミリーのテックスがハリウッド俳優たちは自分たちに「殺人を教えた」のだと言っていました。
確かに映画は人々に大きな影響を与え、もしかすると殺人を引き起こすきっかけを作っているかもしれませんし、それを否定することはできないはずです。
そう考えると、映画はマンソンファミリーの共有する集団妄想とどこかで共通点を持っているのかもしれません。
それでも、彼は映画の力を信じる自分流の「お伽噺」として「映画の勝利」を描きたかったのだと思っています。
何とも面白いのは、テックスたちが家に侵入してきたとき、クリフはLSDで完全にラリった状態なんですよ(笑)
LSD常習者のマンソンファミリーがシラフで、逆にそれに対抗するスタントマンのクリフがトリップ状態というまさに「妄想」VS「妄想」のシチュエーションを作り上げているところが憎いですね。
また、リック・ダルトンの方も、突然自宅のプールにゾンビのような面持ちになった女性が侵入してきて、何が何だか分からないままに自分が出演していた映画同様に火炎放射器で彼女を黒焦げにするという始末です。
そうして彼の作り上げた「お伽噺」は「めでたしめでたし」ということで幕を閉じます。
クエンティン・タランティーノ監督の作り出した映画という「妄想」は、チャールズ・マンソンという男の作り出した巨大な「妄想」に勝利したのです。
これこそが本作のラストのシャロン・テート事件の歴史改変に彼が込めた意味なのだと思っています。
また、この映画はテックスが語っていた「殺人を教えた」という言葉や暴力を全肯定しているわけではありません。
LSDの「妄想」に囚われ、そしてふと我に返った時にクリフは自分の足につきたてられたナイフに気がつきます。
奇しくもそのナイフは彼がスパーン映画牧場を訪れた際に、車につきたてられたナイフを想起させるように作られています。
暴力に身を任せ、これまでもキャリアを棒に振ってきたクリフ。
そして西部劇というジャンルの衰退により、リックからも解雇されてしまった彼は、車のタイヤが交換されるが如く、捨てられ忘れられていく存在なのかもしれません。
そんなクリフというキャラクターにタランティーノ監督は「暴力」という狂気を背負わせ、物語から退場させたようにも見受けられました。
実際のシャロン・テート事件において、映画界から去ることとなったのは、という純粋無垢に映画に憧れるシャロン・テートその人でした。
しかし、今作『ワンスアポンアタイムインハリウッド』の中で、この事件がきっかけで退場することとなったのは、集団狂気から他社に危害を加えるようになるマンソンファミリーとそして「暴力」を背負ったクリフです。
このラストにこそ、タランティーノ監督がシャロン・テート事件を映画の中で再定義した意味があるのだと思っています。
映画人による映画人のための映画
映画を見ている我々にとって「for us」だと感じられるような作品はたくさんあります。
有名な『ニューシネマパラダイス』も、どこか映画を愛する私たちのための作品だと感じられるからこそ、これほど多くのファンに愛されているのだと思います。
しかし、この映画は映画を愛する人々であれば、当然楽しむことができる映画だと思いますし、作中の当時のアメリカを生きた人たちであればノスタルジー映画の1種として見ることもできるでしょう。
その一方で、『ワンスアポンアタイムインハリウッド』という作品は、映画ファンのために作られていないことも明らかなのです。
というのもこの映画はハリウッドに生きる人々、つまり映画に携わるすべての人たちに向けての映画なのだと私は感じました。
この作品には、3つのパターンの俳優が登場します。
1つ目はリック・ダルトンという落ち目の俳優です。かつて西部劇でスターとして華々しい活躍を見せていましたが、若手の台頭によって徐々に仕事を失っています。
2つ目はシャロン・テートですね。彼女は、本作の中でも描かれていたようにまだまだ無名で駆け出しの女優です。
3つ目は天才子役のトルーディですね。彼女はプロ意識が高く、またジェンダー観も現代的で男性優位社会に疑念を持っています。
そして今作はその3つのタイプの俳優たちに、「映画に携わる喜び」を提示しています。
リック・ダルトンは落ち目で仕事も西部劇の悪役ばかりになっていきましたが、その悪役を演じる中で圧倒的な怪演を見せ、マカロニウエスタンの巨匠の目に留まりました。
レオナルド・ディカプリオは『タイタニック』の頃は本当に2枚目でシュッとしたイケメン俳優でしかないというイメージだったんですが、もはやその演技は円熟の域に達していますね。
『ワンスアポンアタイムインハリウッド』って正直、感動して涙を流すような映画ではないと思うんですが、このシーンについては完全にレオの演技に持って行かれました。
そして若きシャロン・テートは、自分の出演している映画に対する観客の反応を客席からひっそりと確かめています。
自分がブルースリーと共に稽古して臨んだ武術のシーンで観客が湧くと、思わず涙をこぼしながら喜んでいました。
シャロン・テートというもはやカルト集団による殺人のシンボルとなってしまった女優を、映画の世界へと引き戻し、スターになることに憧れ、映画を純粋に愛する1人の女性として再構築したところにもタランティーノ監督の映画愛を感じます。
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そしてトルーディは、プロ意識が高く、どこか自分中心的な傲慢さも漂わせる子役ですが、撮影の中でリック・ダルトンの演技に感銘を受けます。
このように本作は、映画を撮る中で、映画人たちが日々感じている小さな苦悩や葛藤、努力を描き出し、そして同時にそれがもたらす喜びを描いた映画讃歌なのです。
西部劇とスタントマン
今作『ワンスアポンアタイムインハリウッド』において、主人公となったのはリック・ダルトンとクリフ・ブースであり、映画俳優とスタントマンでした。
西部劇というジャンルは50年代ごろからアメリカでも人気を博し、一大ジャンルとなっていましたが、徐々にその人気は陰りを見せ始めます。
というのも多様化し、どんどんと変化していく社会そのものに西部劇というジャンルがそぐわなくなっていったからです。
主人公は品行方正な白人であり、そんな白人が勧善懲悪するという単純明快なストーリーの型は、とりわけ公民権運動が盛んになり始めた頃から通用しなくなりました。
70・80年代に入ると、急速に西部劇の作品数は減少していきましたし、残った作品もクリントイーストウッド主演作に代表されるように善悪の境界を曖昧にした従来の型とは決定的に異なる内容になっていきました。
そして90年代に入ると、クリントイーストウッド監督・主演で『許されざる者』という映画が製作されました。
この作品は、本当に名作なので、ぜひともご覧になっていただきたいのですが、まさに西部劇というジャンルの1つの終わりを背負った映画だと思います。
西部劇というジャンルの衰退に伴って、当然の如くリック・ダルトンのような西部劇のスターたちは憂き目にあうこととなります。
一方のスタントマンも同様に、衰退の歴史を辿ってきました。
西部劇全盛のハリウッド映画界は徐々にヒューマンドラマなどの非アクション映画へと傾倒していき、その後にはCGやVFX技術が発達したことで職を奪われることも少なくありませんでした。
だからこそ、この映画においてシャロン・テート事件を払拭する存在はリック・ダルトンとクリフ・ブースという斜陽のスターでなければなりませんでした。
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ハリウッドで徐々に必要とされなくなりつつある落ち目な2人が、シャロン・テートという映画の未来を守るんです。
作中に登場するトルーディだって、映画女優がカルト集団に殺害されたなんてニュースを見たら、自分のこれから歩む道に暗い影を落とすに違いありません。
だからこそ、西部劇というジャンルを牽引し、映画界を支え、そしてドロップアウトしかけている「老いぼれ」が映画の未来を守るという展開に熱くなるわけですよ。
そして同時に、現代では当時に比べて小さな存在となってしまった西部劇スターとスタントマンが、「あの頃」で活躍するからこそ、この映画は「映画のお伽噺」足り得るのです。
「お伽噺」とは、ある種のベッドタイムストーリーであり、子供の機嫌を取ったり、退屈を紛らわせたり、そして寝かしつけるためのものでもあります。
今作は、西部劇のスターが父親になり、そして「あの頃はすごかったんだぜ・・・。」と武勇伝的に自分の子供にこの「お伽噺」を聞かせているようにも聞こえます。
ベッドタイムストーリーは当然ハッピーエンドでなければなりません。
それ故に、本作はシャロン・テート事件という凄惨な事件をバックボーンに背負いながらも、ハッピーエンドを迎え、「めでたしめでたし」となるわけです。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ワンスアポンアタイムインハリウッド』についてお話してきました。
タランティーノ監督作品はこれまで『レザボアドッグス』と『パルプフィクション』の2作品がダントツで好きだったんですが、今作は個人的にそれらに匹敵するくらい気に入りました。
映画という「妄想」への愛と信奉が、マンソンが作り出した「妄想」に勝利するという寓話に、彼の強い意志を感じましたね。
また、タランティーノ監督はインタビューの中でシャロン・テートは「時代の精神」であり、あの時代にアイコンとして凍結されてしまった存在だと語っていました。
だからこそ彼は、シャロン・テートを1人の純粋に映画に憧れる駆け出しの女優として描くことで、「映画人」としての彼女を取り戻そうとしたのだと思います。
何度も見返して、その細部まで味わい尽くしたいと思わされる、傑作でした。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。