みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『アドアストラ』についてお話していこうと思います。
想像以上にテレンスマリック監督作品っぽさと『2001年宇宙の旅』感のある映画だったので、正直睡魔に襲われながらの鑑賞でした。
ただ深く考えれば考えるほどに味わい深い映画でもあるので、鑑賞後の余韻は心地よかったです。
そして何と言っても見どころはその圧倒的な視覚効果でして、これまでに体感したことの内容な圧倒的な映像美がスクリーンいっぱいに広がります。
展開される物語は耽美的で、静的な心象風景を巡る雄大なロードムービーのようなテイストです。
表面的なところだけを見れば、すごく簡単にな話ですし、逆に深読みしようとするとひたすらに難しい物語でもあります。
今回は考察系ブログの端くれとして、徹底的に深読みしていこうじゃないかと思っております。
「Per aspera ad astra.」という有名な言葉があり、これが「困難を克服して栄光を獲得する」という意味なのですが、ここからタイトルをつけたと言われていますね。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『アドアストラ』
あらすじ
地球外生命体の探求に人生を捧げ、かつて太陽系の彼方へと旅立った父クリフォード。
そんな彼に憧れを抱きながら育ち、自分も宇宙飛行士になる道を選んだ息子のロイ。
しかし、クリフォードは地球外生命体の探索に旅立ってから16年後、地球から43億キロ離れた海王星の付近で消息を絶ってしまった。
ある日、ロイは宇宙軍に呼び出され、極秘任務の遂行を言い渡されます。
地球や太陽系全体に、海王星の付近で為されているリマ計画の実験によって「サージ」と呼ばれる現象が起こり、危機的な状況になっているというのです。
そしてその根本原因足るのが、かつて海王星付近で消息を絶った父クリフォードなのです。
ロイは宇宙軍に火星にある基地からメッセージを発信し、父クリフォードを説得するように依頼されます。
火星に向かうべく、まずは月を目指すロイ。
それは親子を巡る壮大な旅の始まりでした・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:ジェームズ・グレイ
- 脚本:ジェームズ・グレイ イーサン・グロス
- 撮影:ホイテ・バン・ホイテマ
- 美術:ケビン・トンプソン
- 衣装:アルバート・ウォルスキー
- 編集:ジョン・アクセルラッド リー・ハウゲン
- 音楽:マックス・リヒター
今回の映画『アドアストラ』は彼の前作である『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』を見たことがある人であれば、すごく納得のいく内容だと思います。
舞台をジャングルから宇宙へと移しただけで、描こうとしている対象や主題、展開は酷似しています。
ただ、父と子の物語として1つ新しい展開を魅せる物語だと思いますし、今のアメリカというものをきちんと捉えたうえで作られて真摯な映画だと思います。
撮影にはクリストファーノーラン監督の『インターステラー』などにも参加していたホイテ・バン・ホイテマが加わりました。
監督も、パンフレットに掲載されているインタビューで撮影を担当した彼に感謝を告げており、彼が『インターステラー』の中で培った無重力のシーンを撮るためのノウハウなどが大きく作品に貢献したと語っています。
『インターステラー』の撮影風景
また今作はデジタル撮影ではなく、フィルム撮影を行っています。
監督もデジタルでは絶対に得られない映像の微妙なタッチがフィルムであれば、表現できると語っており、今作の映像美がフィルム撮影へのこだわりに裏打ちされていることも分かります。
他にも優秀なスタッフが多数参加しており、映像とそして音楽が一体になった美しい世界を実現しました。
- ロイ・マクブライド:ブラッド・ピット
- H・クリフォード・マクブライド:トミー・リー・ジョーンズ
- ヘレン・ラントス:ルース・ネッガ
- イヴ:リヴ・タイラー
- トム・プルーイット大佐:ドナルド・サザーランド
ブラッド・ピットが素晴らしいのって、『ワンスアポンアタイムインハリウッド』を見た時にも感じましたが、喋らずとも存在感を発揮してしまうところなんだと思います。
映画や舞台における演技ってどうしてもセリフを発している場面が注目されるわけで、そこでどれだけセリフをエモーショナルに観客に届けられるのかが役者の技量みたいなところがあります。
しかし、本当に巧い役者って言葉以外の部分ですごく魅せてくれるんですよね。
今作『アドアストラ』で、ブラッド・ピットはセリフを発しない時間がすごく長いんですが、そういう時でも全身でエモーションを観客に伝えようとしています。
そして何と言っても「偉大なる白人」の役が似合ってしまうトミー・リー・ジョーンズですよね。
科学者としての誇りと意地だけを胸に、必死に生きようとする彼の頑な姿とロイとのコントラストが絶妙で、この役も彼でなくては務まらなかっただろうなと思います。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!
『アドアストラ』解説・考察(ネタバレあり)
大宇宙と小宇宙を対比する撮影の妙
本作の映像はもう見ていただけると分かるのですが、とんでもなく美しいです。
宇宙の美しい惑星などの風景は、CGによって徹底的に細部までこだわって製作されており、これにはNASAや元宇宙飛行士などへのリサーチも反映されているということです。
一方で、月や火星に降り立ったシーンはスタジオでのCG撮影ではなく、ロケ地での撮影を敢行しています。
月面での『マッドマックス』よろしくなカーチェイスのシーンはカリフォルニア南部にある砂漠で撮影し、後から無彩色の世界に映像を加工するという形をとりました。
美しい視覚効果とそしてクリストファーノーラン監督を思わせる徹底したロケーション撮影が今作の美しい映像を生み出しているんですね。
そして『アドアストラ』という作品が、優れていると感じたのは、映像と物語のテンポの作り方なんだと思います。
冒頭にも挙げた『2001年宇宙の旅』やテレンスマリック監督作品って素晴らしい映画ではあるんですが、基本的に作品のリズムが一定で、それ故に見ている側としては忍耐が必要になります。
本作も映像のテイストは非常に似ているのですが、俯瞰のショットとクローズアップショットを巧妙に使い分けることで映像のリズムを転調させていることが分かります。
例えば、月面でのシーン1つとっても俯瞰のショットで車で移動するロイたちとその向こう側に広がる青く美しい地球を捉えるものがありました。
しかし、その直後には月面で盗賊が襲い掛かってきて、カメラは一気にクローズアップショットで近景を捉え、激しい攻防戦を映し出します。
(C)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation
終盤のロイが父クリフォードを救出しようとするシーンも同様で、クリフォードが宇宙の彼方へと消えていくショットを俯瞰とクローズアップの使い分けで、交互に映し出すという手法を使っていました。
そしてこの映像的な対比は本作の物語性へも強く寄与しています。
壮大な宇宙とその中で生きる小さな人間。
その大小のスケールの対比が面白いのですが、この作品はむしろ宇宙というものを「人間の心象風景」のように描こうとしていました。
そのため人間とその人間の内に秘められた心の中を覗き見しているような感覚があり、遠くから見ると凪いでいるようなのに、近くで見ると激しく揺れ動いているという映像の対比が、心情の揺れにリンクしていたという点も指摘できます。
この独特の映像のリズム感をぜひ多くの方に劇場で体感して欲しいと思っています。
隠された「父親」を巡る壮大な成長譚
(C)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation
映画『アドアストラ』を裏打ちしているのは、『オイディプス王』の「父殺し」のコンテクストと『オデュッセイア』に代表される英雄物語の母型です。
本作の中心にあるのは、ロイという主人公が抱える父親に対する複雑な感情です。
彼は確かに宇宙の彼方へと飛び立ち、宇宙飛行士としての仕事を全うしている父親のことを誇りに思う反面で、家庭を顧みず、母と自分を不幸に陥れた父のことを快く思っていません。
その正と負の感情に揺れる彼のコンフリクトを宇宙という広大な世界を1つの心象風景としてその中で描こうとしたのが『アドアストラ』という作品であると定義できます。
彼は冒頭で、「本当に父親に会いたいのだろうか。」と自問自答しますが、宇宙軍の本当の目的が明かされていく中で、彼は自分の本心に気がつきます。
自分は父親と再会したいのだし、加えて、地球に戻ってきてほしいのだということにです。
そんな父クリフォードに対する思いが火星での通信の際に溢れ出し、個人的な思い出や感情が止めどなく口からこぼれてしまいます。
しかし、彼の父親がしてきたことはとても「英雄譚」などという美談では語れないことが分かってきます。
父が乗ったリマ計画の船のクルー達は、地球との距離と無重力の生活に限界が来てしまい、心理的なストレスから反乱を起こしました。
それに対して地球外生命体の発見に命を懸けているクリフォードはそんなほかのクルーたちを皆殺しにしました。
彼は宇宙飛行士としての仕事を全うした英雄であることに間違いはないのですが、同時に地球外生命体の発見に囚われ、周囲の人たちに暴力を行使したのです。
このエピソードから何となく彼が家庭でも暴力的な振る舞いをしていたのではないかということが透けて見えます。
そして海王星を目指す船の中でロイは乱闘騒ぎを起こし、その結果他のクルーたちを皆殺しにしてしまうという事件を起こします。
ロイは徐々に父親への憧れめいた感情と会いたいという切なる願いに取り込まれていっており、同時に父クリフォードに重なっているのです。
そうして彼は海王星にて「隠された父親」に再会します。このあたりは『オデュッセイア』の英雄譚を思わせますね。
彼は必死に父親を説得し、地球へと連れて帰ろうとしますが、クリフォードはそれに応じません。
結果的に、父は宇宙の彼方へと姿を消してしまい、間接的に「父殺し」が達成されてしまいます。
しかし、個人的に思うのはこれは「父殺し」ではあるのですが、それ以上に父が子のために自ら離れる決心をしたという方が正しいのではないでしょうか。
父クリフォードは、科学者としての誇りを胸に長らく生きてきたわけで、今も地球外生命の発見に取り組んでいるのですが、何の成果も得られていません。
そして、彼は1度は息子と共に地球へと戻ることに同意しているんですね。
つまり、父クリフォードは、息子には自分と同じような道を歩んでほしくなかったのではないでしょうか。
息子が自分に対して抱いている感情を彼は敏感に感じ取っているはずです。というより父親が宇宙のかなたに消えたにもかかわらず、宇宙飛行士になろうとした息子ですから、父に憧れを抱いていなかったはずがありません。
しかし、自分がここで共に地球に戻る決断をしてしまえば、きっとロイは自分を英雄だとし、その憧れを持ち続けてしまうだろうと察知していたのです。
だからこそ、父クリフォードは、「父殺し」をしようとしない息子に代わって、自らの命を絶ったのでしょう。
これまで父親らしいことを何もできなかった彼が唯一できることが、自分を「殺す」ということだったという悲哀に涙がこぼれます。
そして『オデュッセイア』同様に最後は成長した主人公の「リターン(帰還)」が描かれます。
物語の最後には、父とは違う道を歩もうと決心したロイの姿が映し出されます。
「先の事はわからない。でも心配はしない。身近な人に心を委ね、苦労を分かち合う。そして、いたわり合う。私は生き、愛する。」
彼は関係が上手くいかなくなっていた妻のイヴとの関係を修復します。
それは決して父クリフォードにはできなかったことです。
宇宙のかなたに憧れを抱き続け、身近なものをおろそかにするのではなく、身近な人を大切にして生きるという道を自分の意志で選び取って見せました。
偉大なる「アメリカ」にさよならを
『アドアストラ』という作品が父子の物語とダブルミーニング的に描いているのは、アメリカ人の物語ではないかと思いました。
まず、本作の冒頭で描かれるのがサージ(電気嵐)によって国際宇宙アンテナが崩壊する事件ですよね。
(C)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation
この事件が強く想起させるのは、ワールドトレードセンターで2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件です。
宇宙軍がその犯人を海王星にいるクリフォードであると特定し、息子を利用して亡き者にしようとするという展開も、何だかテロ事件からイラク戦争への繋がりを思い出します。
イラク戦争も報復戦争でありながら、その実は資源を巡る戦争だったとも言われていますので、そういう意味では『アドアストラ』の中で描かれる月面での資源を巡る戦争にもリンクが伺えます。
そしてアメリカ同時多発テロ事件がもたらしたものは何だったのかと言うと、それは「偉大なアメリカ」の崩壊でもありました。
これまでアメリカという国は偉大であり、世界の警察であると信奉されてきたわけで、グローバル化へと向かう世界の中でも中心に君臨していました。
しかし、そんなアメリカを中心として形成されていた世界秩序が、極めて単一的な思想に裏打ちされたテロ集団による攻撃でもって簡単に壊されてしまったのです。
現実から乖離したイメージが、現実から乖離したままで現実とし化し、現実を飲み込んでしまったというような恐ろしい出来事であったことは言うまでもありません。
ポストモダニズムの思想の世界では、この同時多発テロはこれまで何の疑いもなく信じられてきたものが、もはや信じられなくなるという転回を引き起こしたとしばしば指摘されます。
つまり、「偉大なアメリカ」というこれまで現実とは乖離しながらも現実として信じられてきたことが、幻想でしかなかったのだということをまざまざと突きつけられたということです。
では、そもそも「偉大なアメリカ」という幻想を作り出したのは、何だったのかと考えた時に1つ象徴的な出来事だったのがアポロ計画だったのではないでしょうか。
冷戦下のソ連との宇宙開発競争の最中で、アメリカは宇宙開発に国を挙げて取り組み、そして人類初の月面着陸を達成し、「偉大なアメリカ」を世界中に打ち出すキャンペーンに成功しました。
しかし、先日公開された映画『ファーストマン』でも少し描かれていましたが、アポロ計画って当時の国民に多大な負担を強いる形で実現していました。
というよりもアメリカ人の根底にあるフロンティア精神が、国民の生活を豊かにという理性的な意見を凌駕するという状況の中で強行された計画です。
『アドアストラ』のパンフレットを読んでいると、本作の宇宙服は基本的にアポロチームをリスペクトしたものであるということが書かれていました。
つまり、本作におけるクリフォードという英雄は、アポロ計画という「偉大なアメリカ」という幻想を作り出すために、身近なもの(国民の生活)を犠牲にしたという史実を背負っているのです。
そうして作り出された幻想が、国際宇宙アンテナの崩壊という同時多発テロ事件を思わせる出来事の中で崩壊していきます。
一方でロイというキャラクターは、物語の中でそんな父を取り戻そうとする動きを見せますよね。
父クリフォードを殺害しようと動き出した宇宙軍の面々を皆殺しにしてしまいました。
言わば彼の取っている行動って「Make America Great Again」に近いとも言えるんですよ。
つまり、父親を地球へと連れ帰り、彼が「英雄」であるという幻想を再び打ち立てることで、「偉大なアメリカ」を取り戻そうとしているわけですね。
近年ドナルド・トランプ大統領が「偉大なアメリカ」という言葉をしきりに使い、それを取り戻すんだという幻想を人々に信じ込ませようとしていますが、ロイの行動はそこにリンクしてきます。
トランプは「偉大なるアメリカ」「偉大なる白人」というノスタルジックな幻想を力に変え、今大統領の地位についています。
ただ、クリフォードは自ら宇宙の彼方へと去っていくことを決断します。
それは、もはや今の時代に「偉大なアメリカ」という幻想は必要ないのだと言わんばかりです。
移民を徹底的に排除し、人と人とのつながりを断ち、国内の分断を煽り、そして内向きにアメリカを作り替えることで再び「偉大なアメリカ」という幻想を取り戻そうとしているトランプ大統領。
しかし大切なのは、偉大さを取り戻すことではありません。過去の英雄を取り戻すことでもありません。
目の前にいる人を大切にして生きるというもっと根本的で、身近なことです。
今、アメリカという国は人種的に、経済的にと様々な尺度で分裂が起きています。日本でも経済格差による分断が近年傾向として見られるようになってきました。
私たちにもはや幻想を見ている時間は残されていません。現実を見なければなりません。
特にアメリカでは、近年カートアンダーセンが指摘するような「ファンタジーランド」の傾向が強まり、人々が幻想に傾倒し、現実を見なくなっています。
そういう時代に送り出された『アドアストラ』という作品は、美しく幻想的な映画でありながら、偉大なる「アメリカ」にさよならを告げるべきだと警鐘を鳴らしているのかもしれません。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『アドアストラ』についてお話してきました。
後半は長々とこじつけめいた考察を書いてしまいましたが、とにかく映画館で見て欲しい圧倒的な映像だったと思います。
「宇宙×家族」の映画って山ほど作られているので、その観点で見ると、この作品はあまり捻りがないので普通なんですが、そこにアメリカ人の物語というコンテクストが内包されているのだとすると、すごく革新的な映画だと思います。
そして何よりブラッド・ピットの魅力と巧さが炸裂した映画でもあると思います。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。