みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『YESTERDAY イエスタデイ』についてお話していこうと思います。
QUEENの自伝的映画である『ボヘミアンラプソディ』が日本でも社会現象的なヒットを記録しましたし、今年の夏にはエルトンジョンが自ら製作を担当した『ロケットマン』が日本公開となりました。
そしてお次はあのビートルズを題材にした映画作品が公開されました。
本作は公開前から「ビートルズが存在しない世界」を描く作品と言うことで大きな話題になりました。
ビートルズが存在しない世界を描くということはつまりビートルズに影響を受けた存在全てを世界から消し去るということでもありますから、その影響力を鑑みると、今の世界を大きく変えていたとしても不思議ではありません。
まあ「たらればフィクション」にこういう文句をつけるのは野暮というものですから、追及するつもりはありません。
日本でも2010年から講談社の『モーニング』にて連載されていた『僕はビートルズ』という作品がありました。
この作品は、過去に戻ってビートルズよりも先に彼らの曲を出し、彼らに存在しないはずの新しい楽曲を作らせるというところから物語が膨らんでいます。
逆に本作『YESTERDAY イエスタデイ』は、主人公が現代でビートルズの曲を1から出していくという設定と物語になっていますね。
さて、そんな少し不思議な音楽映画についてここからは深く掘り下げて語っていきますよ!
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
映画『YESTERDAY イエスタデイ』
あらすじ
イギリスの小さな海辺の町で暮らすシンガーソングライターのジャックは、幼なじみの親友エリーにマネージャーを担当してもらい音楽活動を続けているが、全く売れる気配はない。
そんなある日のライブからの帰り道に、突然世界が12秒間一斉に停電するという珍事が起こり、その時自転車に乗っていたジャックは、トラックに衝突して怪我を負う。
入院した彼はエリーに世話を焼いてもらう中で、ふと彼女がビートルズの存在を忘れていることに疑問を抱く。
退院した彼は、友人からギターをプレゼントされ、ミュージシャンとしてまた活動するように励まされる。
その時、友人から何か新しいギターで1曲即興で弾いて欲しいと頼まれ、ビートルズの『YEATERDAY』を演奏する。
するとエリーと友人たちはその曲を初めて聞いたかのように驚き、感動し、彼を讃えた。
その反応が嘘ではないと感じた彼は、自宅に戻りインターネットで「ビートルズ」を検索してみるが、出てくるのは「カブトムシ」ばかりだった。
そこでジャックは、世界から「ビートルズ」の存在が消えてしまっていることに何となく勘づき、彼はふと自分が彼らの曲を歌えばヒットするのではないかと考える。
彼は早速、ビートルズの曲を思い出しながら、様々な場所で演奏するようになる。
すると、ある日大物歌手のエドシーランから電話がかかってくるという人生の転機が訪れるのだった・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:ダニー・ボイル
- 脚本:リチャード・カーティス
- 撮影:クリストファー・ロス
- 編集:ジョン・ハリス
- 音楽:ダニエル・ペンバートン
監督を務めたのは『トレインスポッティング』や『スティーブ・ジョブズ』などで知られるダニー・ボイルです。
彼の作品は編集や作品構成、撮影など様々な点で特徴的です。
現実と虚構の映像を混線させながら、独特のリズムで物語を展開させたり、幻覚やフラッシュバックのような映像をインサートしたりするなどカット割りを増やすことで切れ味鋭い作品に仕上げてきます。
また、独特のユーモアが作品に満ちており、今作『YESTERDAY イエスタデイ』でも今の音楽業界に対するアイロニックな視線が垣間見えていました。
そして脚本を、『ノッティングヒルの恋人』や『アバウトタイム』など多くのラブコメ映画の脚本を手掛けてきたスペシャリストであるリチャード・カーティスが担当しました。
本作は、とりわけラブストーリーの側面も強いのですが、その点についてはやはりこの人が脚本を担当したからというのが大きな理由なのでしょう。
そして編集には、これまでにも『トレインスポッティング2』や『127時間』などでダニー・ボイルを支えてきたジョン・ハリスが加わりました。
- ジャック・マリク:ヒメーシュ・パテル
- エリー・アップルトン:リリー・ジェームズ
- ロッキー:ジョエル・フライ
- エド・シーラン(本人):エド・シーラン
- デブラ・ハマー:ケイト・マッキノン
- ジェームズ・コーデン(本人):ジェームズ・コーデン
主演のヒメーシュ・パテルはほとんど無名なのですが、イギリス国内ではドラマなどで経験を重ね徐々に知名度を上げて来ていた俳優だそうです。
歌や楽器には非常に自信があるようで、今作『YESTERDAY イエスタデイ』についても基本的に彼が歌唱・演奏を自ら担当しています。
そしてヒロインには、『ベイビードライバー』や『マンマミーア ヒアウィーゴー』などで知名度上げ、今注目されている女優リリー・ジェームズが起用されました。
何と言うか底抜けに明るいというか、表情から輝きが漏れ出しているような、天性の天真爛漫さがあって見ていると、無意識的に惹かれてしまいますね。
そしてエド・シーランやジェームズ・コーデンらに関しては思いっきり本人起用という豪華さですよね・・・。
そして個人的に一番注目していただきたいのが、ケイト・マッキノンですよ。
彼女が演じるエド・シーランのマネージャー役の女性が本当に強烈なキャラクターで、もう終盤になると金の亡者というか狂人になってました。本当に強烈な演技で、脳裏から離れませんよ。
インタビューでエド・シーランが、彼女は自分のマネージャーとは正反対な性格だけど、とても面白くて今のアメリカ音楽業界を体現する女性だったと笑いながら語っていました。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!
映画『YESTERDAY イエスタデイ』感想・解説(ネタバレあり)
ビートルズ関連の小ネタが笑える
本作『YESTERDAY イエスタデイ』はやはりビートルズを題材にした映画ということで、作中に多くの小ネタを散りばめてあります。
当ブログ管理人が気づいた小ネタをいくつかお話していこうと思います。
歌詞関連の小ネタ
まず冒頭のジャックとエリーの会話、彼と歯医者の会話の中でビートルズの歌詞の一節が登場していました。
前者で使われたのが『When I’m Sixty Four』でしたね。
Will you still need me, will you still feed me?
When I’m sixty-four?
(『When I’m Sixty Four』より)
入院したジャックが、エリーに対して「僕が64歳になっても必要としてくれる?料理を作ってくれる?」とビートルズの歌詞を引用して甘えているわけですね。
また歯医者との会話の中では『With A Little Help From My Friends』が使われていました。
with a little help from my friends
『With A Little Help From My Friends』より引用
歯医者の男が施術を始める前に言っていたセリフで、上手くやるよ「友達の力を借りてね」と言っているわけです。
他にも歌詞と言えば、主人公のジャックがひたすらに『Eleanor Rigby』の歌詞を思い出せずに悪戦苦闘する姿も面白かったです。
また、ビートルズの代表曲の1つとも言える『Hey Jude』の歌詞がしっくりこないからと、エド・シーランに『Hey Dude』に変えられてしまうシーンなんかもやっぱり笑えますよね。
ジャケット関連の小ネタ
今作の中でビートルズのジャケット(ないしアルバム名)にちなんだ小ネタがいくつか登場しました。
一番わかりやすかったのは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』と『the White Album』のジャケットをプロデューサー陣に拒否されるシーンでしょうか。
まず前者は失笑されて、アルバム名も長いだけだと言われてしまいました。
後者は、ポリコレ的に問題ありだと言われていましたね。これは白人・黒人の人種的な問題が絡んでくるということでしょう。
当時はジャケットは派手なデザインにするのが主流だったため、逆にこの『the White Album』のジャケットは斬新だということで非常に注目されたようです。
さらには、あのビートルズの聖地にもなった『Abbey Road』すらも否定されてしまうんですよね。
このあたりのビートルズの軌跡を笑い飛ばされて、代わりに如何にも現代的なコンセプト・マーケティング先行のジャケットを作られてしまっていたのが何とも皮肉です。
ちなみに『Abbey Road』のアルバム関係の小ネタはもう1つあって、このアルバムのジャケットの写真でリンゴ・スターはスーツに革靴、ポール・マッカートニーは裸足なんです。
このジャケットの2人のスタイルが、ジャックがジェームズ・コーデンの番組に出る夢を見た際に、番組に「彼の曲は全て自分たちが書いたと主張していた2人(リンゴ・スターとポール・マッカートニー)」に反映されていました。
あとは、ビートルズの存在が失われてしまった世界で最後まで彼らのことを覚えており、ジャックのライブにも押しかけてきた2人組が黄色い潜水艦の模型を渡していました。
これはビートルズのアルバム『Yellow Submarine』からの引用です。
その他の小ネタ
劇中で主人公のジャックがしばしば白いシャツに黒いベストというスタイルで登場しました。
これはビートルズのメンバーがしばしばレコーディングの際などに見せていたファッションで、今作『YESTERDAY イエスタデイ』はそこから引用しています。
また、ジャックのファーストライブが建物の屋上で行われましたよね。
ビートルズは自身の実質的に最後のライブをサヴィル・ロウにあったアップル・コアの屋上でゲリラライヴとして行っています。
彼が、デビューライブにもかかわらず屋上でのライブを行っているところに、彼のビートルズの楽曲を歌うキャリアが長いものではないだろうことを何となく察してしまいます。
他にもいろいろとネタは仕込まれていたんだと思いますが、当ブログ管理人が気がついたのはこれくらいでしょうか。
番外編的ですが、「ビートルズの後継者」なんて呼ばれていたOASISの存在も消えていたのは笑いました。
現代の音楽業界に対するアイロニー
(C)Universal Pictures
今作『YESTERDAY イエスタデイ』は近年の音楽シーンに対する皮肉を孕んだ作品でもあったと思います。
かつてビートルズは世界を席巻し、最も偉大なアーティストの1つに数えられる存在となったわけですが、彼らの曲を現代人ないし現代のアーティストや音楽プロデューサーは聞き分ける耳があるのか?という疑問が今作では描かれていました。
現代の世界的な音楽シーンは、基本的にマーケティングやコンセプトありきでして、楽曲そのものが大したことがなくても「売り方」次第で売れてしまうという状況です。
一気に有名になるには、有名アーティストとのコラボが必須であったり、SNSやYoutubeといったメディアの活用もマストでしょう。
1つ印象的なシーンが「削除シーン」の中にありました。
それは、ジャックがモスクワにライブで訪れた際に『イエスタデイ』を歌うのですが、観客は上の空、しかしロックナンバーを歌い始めるとノリノリというあまりにも痛烈すぎる皮肉を込めまくりのシーンです。
もちろん音楽の流行も移り変わっていきますから、当然ビートルズが今の時代に現れたとしても同じようにヒットするとは限りません。
しかし、私たちにとって当たり前すぎるほどの名曲たちが、エドシーランとコラボしなければ、ガチガチにマーケティング対策を施さなければ、歌詞を今風に変えなければ売れないというのは何という皮肉なんでしょうか。
終盤にケイト・マッケノン演じる敏腕プロデューサーのデブラが「金づるを逃がしてたまるものか!」と鬼の形相で彼を追いかけていきました。
近年の音楽業界はアーティストの地位がマーケティング戦略やイメージ戦略よりも下に来てしまっているような印象すら受けます。
というよりもまさに敏腕プロデューサーのデブラのあの表情に現れていましたが、アーティストというものが「素晴らしい音楽を届ける人間」というよりは、音楽業界の金稼ぎのためのツールになってしまったような気もするのです。
大衆に受け入れられ、愛されるアイコンを作り上げ、音楽は徹底的に市場をリサーチして「売れる」ものを意識して作ることが果たして音楽の本質なのでしょうか。
本作の主人公であるジャックはまさにビートルズというアーティストの楽曲を自分の地位や名声、お金のために利用しました。
しかし、彼はそれではダメなんだと気がつき、彼らの曲で得た利益を手放して表舞台から姿を消します。
エピローグのシーンで彼は、子供たちの前でビートルズの名曲『Ob-La-Di, Ob-La-Da』を演奏しています。
ビートルズは「愛と平和」を歌っていたなんて言われますが、私たちに音楽を通じてそんな温かさをたくさん届けてくれました。
お金儲けのために音楽はあるのではなく、誰かに幸せな感情や愛情、そして平和への願いを届けるために音楽はあるのだと、本作はジャックの物語を通じて教えてくれます。
きっと『YESTERDAY イエスタデイ』という映画はビートルズへのラブレターなのです。
何を歌うかではなく誰が歌うか
(C)Universal Pictures
今作は現代音楽シーンへの強烈なアイロニーを孕んでこそいましたが、基本的にビートルズに対する尊敬と感謝を込めたような、そんな映画です。
その中で私が強く感じたのは、音楽というものにとって「誰が奏でるのか」「誰が歌うのか」という点はすごく重要だということです。
例えば、日本で今、米津玄師という男性アーティストが急激に人気を伸ばしていますが、仮に彼が子の世界に存在しなかったとして、自分だけが彼の存在を知っていたとしましょう。
そして彼の曲を自分のものにして発表していったとして、米津玄師と同じ道を進める可能性は非常に少ないでしょう。
『YESTERDAY イエスタデイ』の中で、主人公のジャックがビートルズの楽曲の背景について聞かれて、言葉に詰まるシーンが多く見られたことにお気づきでしょうか。
そうなんですよ。歌というものは、誰がどんな背景を持って作曲し、歌い、奏でているのかが非常に重要なのです。
それ故に、他の人が仮に歌ったとしても、同じような感情は当然込められないわけで、そうなると同じようにヒットできるかどうかは分からなくなってきます。
そしてもう1つ本作の中で印象的なのは、彼がビートルズのオリジナルの曲の歌詞を改変されたり、彼らのアルバムアートワークやタイトルを却下されてしまうところですよね。
これは逆に、そんな却下されてしまうようなレベルのものを大ヒットさせてしまったビートルズのカリスマ性ってすごいな・・・ってことが言いたいのだと思います。
『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』や『the White Album』は確かに長いですし、シンプルすぎますし、『Abbey Road』なんて平凡極まりありません。
しかし、そんな会議段階で却下されてしまうようなものを世界的に大ヒットさせたのが、ビートルズなのであり、そしてそれは当然ジャックには真似ができません。
同じことをやったとしても、同じような道を辿れるとは限りません。
だからこそ次の章で書いていく本作のメッセージ性にも繋がっていくのでしょう。
自分らしく生きる「トゥデイ」を選ぶ
『YESTERDAY イエスタデイ』というタイトルにかけて、エピローグで「TODAY」と表示させる演出はなかなか粋でしたよね。
さて、本作のラストではジャックがビートルズの楽曲を使って地位や名声を得ようとすることを止め、自分の「生きたい」人生を選びます。
彼は、エリーと結婚し、子どもにも恵まれ、幸せな日々を過ごしています。
そして、結局彼はまたビートルズの楽曲を子供たちの前で弾いているんですよね。
いえいえそういうことではありません。先ほども書いた通りで、大切なのは「何を歌うかではなく誰が歌うか」なんですよ。
ジャックは確かにビートルズの名曲『Ob-La-Di, Ob-La-Da』を演奏していますが、彼は彼自身としてあの楽曲を弾いて、子供たちを喜ばせています。
そこに使われているのはビートルズの楽曲かもしれませんが、そうして今あの瞬間に目の前にいる子供たちを笑顔にできるのはジャックだからこそなんですよ。
確かに先人たちは、歴史を築き、偉大な映画を作り、偉大な音楽を生み出し、偉大な芸術作品を私たちに残してくれました。
しかし、そんな数々の偉大な「イエスタデイ」に囚われて、自分の生き方を見失う必要はありません。
劇中に登場したジョン・レノンが言っていましたが、「何かを得るということは何かを失うこと」です。
私たちは先人たちのように偉大な何かを残せたわけでもありませんし、富や名声を得ているわけでもありません。
しかし、それと引き換えにして気がつかないうちにたくさんの「幸せ」や「愛」受け取っているんだと思います。
そのことを映画『YESTERDAY イエスタデイ』の世界に登場する70歳を超えても生きているジョン・レノンがまさに物語っていると言えるでしょう。
彼はビートルズになる道を選ばなかったわけですが、それでも不幸な人生を歩んだわけでもなく、得られなかった富や名誉の代わりにたくさんのものを得て、幸福な人生を送ったんですよ。
「成功」というものは魅力的で、誰もが望むものでもあります。
しかし、そこに囚われるがあまり、自分の人生を見失い、自分の身近にあったはずの幸せを手放してしまうことになるのかもしれません。
(C)Universal Pictures
得るものと失うもの。
全てを選び取ることができない人生だからこそ、自分が一番望む「トゥデイ」を選び取っていこうという、リチャード・カーティス脚本らしい優しいメッセージに満ちた作品だったと思います。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『YESTERDAY イエスタデイ』についてお話してきました。
自分はそれほどビートルズについて詳しいというほどの人間でもないですが、非常に楽しめましたし、ある程度作中の小ネタも楽しめました。
本作については、正直ビートルズをそれほど知らなくても十分に楽しめる作品ですし、作品の設定がそもそも彼らを知らない人たちに対しても寛容であることを象徴しています。
気になるけど、ビートルズはあんまり聞いたことがないしなぁ・・・という人も、全く無問題なので、ぜひ劇場に足を運んでみてください。
その一方で、やはり彼らのことを少しでも知っておくと、くすっと笑える小ネタが作品には散りばめられておりますので、ビートルズについて知っておくと120%楽しめるとは思います。
この機会に、彼らのことについて調べてみたり、本を読んでみたり、そして当然音楽を聴いてみるのも良いでしょう。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。