みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『IT イット THE END』についてお話していこうと思います。
いわゆる「べろべろばあ」系のホラー映画で、コメディメイドな印象も強いので、怖いというよりは驚かされるという方が近いかなとは思います。
前作は『スタンドバイミー』を想起させるようなジュブナイルものの魅力もあり、その点でも楽しめる作品でした。
一方で続編となる『IT イット THE END』は当時子供だったルーザーズクラブのメンバーが成長し、大人になって街に戻ってきて再びペニーワイズと対峙する様を描きます。
スティーブン・キングの作品の中では『呪われた町』に非常に似ているとも言えるでしょうか。
正直に申し上げると、原作も1990年版の『IT』も大人パートはそれほど面白くなくて、どうしても子供時代の方が面白くはなってしまうんですが、そこを今回どうアレンジしてくるのかも楽しみです。
「べろべろばあ」系のホラーで3時間弱は、飽きが来ると思うので、そこをどうクリアしてくるのかも気になるところです。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『IT イット THE END』
あらすじ
前作のラストで、ITが27年後に復活した際には再び集まって今度こそ打倒しようと誓ったルーザーズクラブ。
デリーの街に残り、ペニーワイズの謎を追っていたマイクは、街で再び犠牲者が出始めたことを察知し、かつての仲間たちを招集する。
ルーザーズクラブのメンバーはデリーの街を離れたことで、かつての記憶を失っており、ペニーワイズの存在も忘れてしまっていた。
彼らはデリーの中華料理店で食事をすることになるのだが、そこにスタンの姿はなかった。
というのもスタンは、デリーに帰る前に自ら命を絶ってしまったのだった。
中華料理店でいきなりペニーワイズによる怪奇現象が起こり、スタンの死も相まって意気消沈したメンバーはバラバラになってしまう。
しかし、長年の調査の中でペニーワイズの撃退法「チュードの儀式」を発見していたマイクの説得もありリーダー格のビルが戦うことを決意し、他のメンバーたちも戦う覚悟を決める。
まず、チュードの儀式には、自分の思いでの品々が必要とされており、彼らは自分の思い出深い場所に赴き、忘れていた過去と向き合うことになるのだが、そこにはペニーワイズの仕掛けた罠があり・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:アンディ・ムスキエティ
- 脚本:ゲイリー・ドーベルマン
- 撮影:チェコ・バレス
- 美術:ポール・D・オースタベリー
- 衣装:ルイス・セケイラ
- 編集:ジェイソン・バランタイン
- 音楽:ベンジャミン・ウォルフィッシュ
まず、監督を務めたのは、前作同様でアンディ・ムスキエティですね。
彼はハリウッド実写版の『進撃の巨人』の監督にも抜擢されていて、非常に注目されています。
またギレルモ・デル・トロ製作の長編デビュー作『MAMA』も非常に優れたホラー映画なので、こちらもぜひチェックして欲しいです。
脚本のゲイリー・ドーベルマンは死霊館シリーズの脚本を担当してきた方で、ホラー映画の脚本には非常に長けた人物と言えます。
撮影には、メキシコ人映画監督のパトリシア・リゲンの下で撮影を担当してきたチェコ・バレスが起用されました。
前作とは違う撮影監督を据えてきましたが、ホラー映画において撮影は映画の印象を決める重要な要素にもなるので、その辺りがどう変わってくるのかにも注目しています。
その他のスタッフ陣は、基本的に前作と同様の面々です。
- ペニーワイズ:ビル・スカルスガルド
- ビル:ジェームズ・マカヴォイ
- ベバリー:ジェシカ・チャステイン
- リッチー:ビル・ヘイダー
- マイク:イザイア・ムスタファ
- ベン:ジェイ・ライアン
- エディ:ジェームズ・ランソン
- スタンリー:アンディ・ビーン
まず、ペニーワイズを演じるのはビル・スカルスガルドです。
彼はCGで再現する予定だったペニーワイズの外斜視を自らの目で実現させてしまうという離れ業を披露しています。
そしてルーザーズクラブのリーダー的存在であるビルを演じたのはジェームズ・マカヴォイです。
『X-MEN』シリーズや『スプリット』などヒット作、人気シリーズに多数出演しており、言わずもがなの人気俳優です。
ベバリー役には、『ゼロ・ダーク・サーティ』でアカデミー賞主演女優賞にもノミネートされた経験のあるジェシカ・チャステインが起用されました。
その他にもコメディ俳優として知られ、声優でも多数映画に出演しているビル・ヘイダーが目立ちますね。
ただ、かなり無名のキャストも多数起用されていて、その点で彼らがどんな演技を披露してくれるのかというのも楽しみです。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!
『IT イット THE END』解説・考察(ネタバレあり)
ホラー映画としては今一つな印象
『IT CHAPTER2』Final Trailer (C)2019 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
そもそも本作『IT イット THE END』がホラー映画なのかというところが、微妙なラインとも言えますね。
どちらかと言うと、ジュブナイル系、青春ものという方が近い印象は受けます。
ただそれにしても、今作『IT イット THE END』はホラー的な演出が単調な印象を受けました。
劇中でビルが「だんだん慣れてきたぞ。」というセリフを口にするシーンがありましたが、まさにその通りで観客がどんどんとペニーワイズの「べろべろばあ」に慣れてしまって、中盤付近になると、かなり中弛みした印象があります。
そういう意味で、本作において実は重要だったのがヘンリーとトム(べヴァリーの夫)だったんですが、本作は上手く生かし切れなかったように思います。
というのも基本的にペニーワイズがもたらす恐怖って超人的な生物かピエロか死人かという風にある程度区分けされてしまっているんですが、この2人については生きた人間なんです。
そのためスティーヴン・キングの原作においては、この2人のペニーワイズにけしかけられた生きた人間という恐怖がすごく作品のアクセントとして機能していました。
ただ今回の『IT イット THE END』は基本的にペニーワイズがもたらす恐怖は超人的な生物かピエロか死人の3点推しで特にひねりもなく、ひたすらに「べろべろばあ」だったので、かなり退屈な印象を受けました。
さらに1990年版と比較して、やはり恐怖感が減退してしまったと感じてしまいました。
特に、冒頭の中華料理店でのフォーチュンクッキーのくだりは絶対に1990年版の方が怖かったですね。
何と言うか、作りこまれていないリアルな質感がありましたし、それ故に余計に自分の身に起こるかもしれないというイメージが湧いて、恐ろしく感じられました。
前作も2時間超えの尺ではあったんですが、べヴァリーの父親やヘンリーの狂気がペニーワイズの恐怖とのアクセントになっていたので、飽きずに見れたんですが、今作はその辺りのアクセントが少なく、中盤過ぎくらいから飽きてしまいました。
超大胆解釈とスティーヴンキング自身の投影
『IT CHAPTER2』Final Trailer (C)2019 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
『IT イット THE END』を見ていて、驚かされたのは、実は原作を真っ向から否定しているというか、原作者のスティーヴン・キングへのディスが感じられるような作りになっている点です。
そもそも『IT』という作品について考えるに当たってビルという少年がキング自身の投影たるキャラクターである点を押さえておく必要があります。
原作の第1巻の『ビル・テンブロウ、タイムをとる』というエピソードはその大半が、キング自身の過去をベースに書かれたものです。
デリーは本作中にのみ登場する架空の街ではありますが、これも彼自身が幼少期を過ごした街がモデルになっていると言われています。
そう考えると、『IT イット THE END』の中でビルが小説家になっており、映画の脚本も担当しているという設定がキング自身の投影であることも自明と言えます。
そうなんです。劇中でビルはしきりに「君の小説は結末が酷い」と言われていました。
まあスティーヴン・キングの小説って盛り上がるけれども尻すぼみ感が凄いと言われることがアメリカ本国でも結構多いようなんです。
そのため、これってビルを通じて暗にキング自身の作品に対する皮肉になっているわけですよ。
『IT』という作品も非常に面白いんですが、確かに結末部分についてはかなり締まりが悪くて、正直に申し上げて「これで終わりなの?」という印象はすごく強く受けてしまいました。
そしてもう1つ『IT』のラストをモヤモヤとさせるのは、完全なハッピーエンドではないからなんですよ。
これについても完全にビルが原作のことを暗に言っているんだろうと思うんですが、「多くの人がハッピーエンドを望むが、必ずしもそうなるとは限らない。」というセリフで言及されています。
原作の『IT』においては、ビルの妻であるオードラが彼を追ってデリーへとやって来て、ペニーワイズの死の光を見てしまい、意識が戻らなくなってしまうという展開が実はあるんですね。
せっかくペニーワイズという恐怖を乗り越えたのに、そのリーダー格である彼がなぜか報われないというビターな結末には、かなり賛否がありました。
それ故に、今回の映画『IT イット THE END』は、オードラのパートは完全にカットされ、基本的にはハッピーエンドと言って差し支えない内容になっていました。
そこで1つ気になるのが、スティーヴン・キングは今回の映画版をどう思っているんだろう?という点です。
というのも彼は、かつてスタンリーキューブリックが監督を務めて映画化された『シャイニング』に対して原作破壊だと激高した過去があります。
そんな彼が、自分の作品をネタにされて、起こらないのかと思っていたんですが、本作には実は重大な秘密が隠されているのです。
何と、スティーヴン・キング自身がカメオ出演で映画に登場するんですよ。
実は、彼が出演しているシーンがどこなのかというのが非常に重要なポイントです。
彼は、ビルが「シルバー」を発見して立ち寄るリサイクルショップの店長として出演しています。
ここで勘の良い方は、何となく察しがついたのではないかと思います。
そうなんです。このリサイクルショップの店長もまたビルが著した本の結末が酷いと批判的なんですよ(笑)
では、なぜ今回の『IT イット THE END』は、ここまで原作に対して否定的で、結末の味わいを180%方向転換するような大胆解釈をしたのでしょうか。
それは、スティーヴン・キング自身の状況がこの本を書いた1986年頃と今とでは大きく異なっているという点が挙げられるのではないかと思います。
原作の『IT』は明確なハッピーエンドではないんですが、その結末において十字架を背負うのは基本的にビルだけです。
彼が意識の戻らない妻のオードラと暮らしていくという悲劇的な結末を辿るというのみで、他のキャラクターたちに関してはハッピーエンドになっていると思います。
彼が夢を見ていて、夢の中で彼はシルバー(彼の自転車)に乗って、背中にオードラを乗せて爆走しています。すると、突然オードラが目を覚ますのです。
しかし、これはあくまでも夢であり、結局のところは覚めてしまいます。
「夢=フィクション」なのだとすると、当時のキングには、『IT』に対してハッピーエンドをもたらすことができなかったのかもしれませんし、ここでビルの物語を完結させないことが彼なりの作家としての決意だったと私は思っています。
しかし、既に72歳となっているキングは、近年は新刊の刊行ペースは流石に落ちてきています。
そのため、彼は今だから描ける『IT』のハッピーエンドを真の意味で追求しようとしたのではないかと思うのです。
カメオ出演をしたリサイクルショップの店長が今のキングなのだとしたら、大人になったビルというのが、『IT』執筆当時のキングでしょう。
このように『IT イット THE END』は、スティーヴン・キングその人を2つの時間軸から描く映画でもあったわけです。
原作との違いに見る「ルーザーズ」の新定義
個人的に『IT』の原作の中で1番映像化は難しいだろうと思っていたのが、べヴァリーのとある設定です。
彼女は、27年前の戦いの後に、彼らを「環」の中に繋ぎ止め、再びITと戦うべく集まるために、とある行動を起こしていたんですね。
それがルーザーズクラブの男性メンバー全員の童貞を奪うという・・・。
つまり、彼女が全員の「初めて」を奪い、「何か素晴らしい経験」をしたという身体的、精神的、通過儀礼的なつながりを連帯することでルーザーズクラブの繋がりを強めようとしたのです。
これについては当然、映画化は難しいでしょうから、カットされて然るべきでしょう。
そこで『IT イット THE END』は、スタンという人物をキーパーソンに据えるという形で、彼らのつながりを強めることに成功しました。
実はスタンって原作では、スティーヴン・キングが詳しく描写することもしなかったので、ただ自殺しただけで済まされているんですよ。
そこに今作は、スタンがルーザーズクラブのメンバーたちの繋がりを強固にし、「失った者たち」として連帯して戦いに臨めるように自らの命を絶ったという設定を付与しました。
きちんとスタンというキャラクターにもスポットを当ててくれていて、それをベースに物語に新しい解釈を生み出せている点も素晴らしいと思います。
もちろん自死を肯定してはいけませんが、彼らがペニーワイズに勝利するためには「つながり」が不可欠でした。
そしてルーザーズクラブのメンバーたちが、スタンという親友の死があったからこそ繋がれたのは事実であり、彼が姿は見えずとも一緒に戦っていたんですよ。
もうこのスタンへの言及に、涙が止まりませんでしたし、ショーウィンドウに彼らの姿が映し出された時に、死んだスタンの姿も一緒にあったことが何より泣けました。
彼らは子供の頃確かに「ルーザーズ=負け犬たち」でした。
そして大人になり、彼らは「ルーザーズ=失った者たち」として、ペニーワイズに戦いを挑み勝利をしました。
ペニーワイズについての記憶をデリーを離れても失わなくなったとラストでビルたちが語っていましたが、これも原作とは正反対の描写です。
負け続けた者たちが、失い続けた者たちが立ち上がって、勝利し、そしてもう何も失わないのだという『IT』の新しい解釈に胸が熱くなりました。
記憶と想像力の物語としての『IT』
『IT CHAPTER2』Final Trailer (C)2019 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
原作と『IT イット THE END』の間で大きく変更されたのが「チュードの儀式」についての描写ですね。
まず、そもそも原作通りに描くのであれば、前作の子ども時代編で既に「チュードの儀式」を扱っておく必要がありました。
ビルたちは、この儀式によって「環」を閉じ、ITを撃退したというのが、幼少期の戦いの顛末ということになっていたからです。
そうなんですよ。ただ彼らが手を繋いで、意識を研ぎ澄ましてペニーワイズに対峙することが儀式のような扱いになっていて、明確に定義が為されていないのです。
そこで映画版は「チュードの儀式」の設定を拡充して、物語構造に組み込むという手法を取りましたね。
彼らが儀式のために、思いでの品々を集める必要があり、デリーのあちこちを各自で冒険するという展開はもちろん原作とは動機が違うわけで、この改変は非常に巧かったと思いました。
これにより原作では文字通り「ふわふわと浮いた」存在だった、「チュードの儀式」がよりイメージしやすいものになっていたと思います。
そして、重要なのが、この儀式は結局失敗してしまうというところにあります。
マイクが壺の絵を自らのナイフで書き換え、ペニーワイズに勝利するためにはこの儀式しかなく、そしてこれがあれば勝利できるのだとルーザーズクラブのメンバーに信じ込ませました。
つまりマイク自身も自分の力を、ルーザーズクラブの力を信じられていなかったわけで、だからこそ「チュードの儀式」という幻想を信じることで安心感を得ようとしたのだというわけです。
そんな絶対的に信奉していた必勝ルートが閉ざされ、彼らは身一つで戦わざるを得なくなります。
そこで彼らが見出したのは、自分たちがペニーワイズに勝利することができるのだとただ信じることでした。
これまでは、べヴァリーが死の光によって、全員が命を落とすというビジョンを見せられ、ペニーワイズ側の恐怖と不安に圧倒されていました。
しかし、それを超越する自分たちの信頼と連帯をペニーワイズに向けることで、立場を逆転させました。
今回の『IT イット THE END』は、その点で原作以上に「想像力」がキーワードになっていたと思います。
ルーザーズクラブのメンバーたちは、勝利の手段など何も持たぬままペニーワイズという「死」の象徴に純粋に向かい合い、そして勝利しました。
しかし、大人になると、やはり「想像力」というものはどんどんと弱まっていき、どんどんと「見えるもの」に縋りたくなるんですよ。
だからこそ、彼らは歴史的にも妥当性があるとされた「チュードの儀式」という手法にすがり、それさえあればペニーワイズにも負けないと信じたかったんでしょうね。
ただ、大切なのは自分の外部の何かに救いを求めるのではなく、自分の内部を信じることなのだと、この映画は教えてくれました。
原作にもこういったメッセージはあったのですが、今回の映画版はストーリーや物語構造がかなり整理されていたので、明確になっていたと思います。
そして『IT』は記憶の物語でもあります。
スティーヴン・キング自身が自分の幼少の頃を思い返していた時に、ふとアイデアが浮かび書き始めたものであることを原作の最後にも記述してあります。
子供時代は甘酸っぱいひみつをたくさんもち、そして死をまっすぐに見つめている、と考えるのも、そして死あればこそ、勇気と愛なのだ、と考えるのも。前を見て生きてきたものたちは、かならず後ろも振り返るのだと、そして人の一生は不死のまねごとをしているのだと、めぐる輪なのだと考えるのも。
そう、ビル・テンブロウは、夢から覚めた明け方にときどきそんなことを考える、そのとき彼は自分の子供時代を、そしてそれをともに過ごした友達のことをもう少しで思い出しそうになる。
(『IT』第4巻より引用)
誰しも、幼少の頃に暗い過去を経験しているんですが、どうしても大人になるにつれて、それと向き合うことを避け、現在の自分を過去から切り離して生きようとします。
しかし、逃げ続けたところで、その記憶は手のひらに残る古傷のように、あなたの身体と心にいつまでも刻まれ続けているわけで、いつかは向き合わなければならないものです。
だからこそ人生において、時には後ろを振り返り、そして自分の暗い過去や恐怖、不安と対峙し、それを克服する必要があるのかもしれません。
ただ、きっとその悪い記憶には、良い記憶も結びついているのであり、ルーザーズクラブのメンバーたちもペニーワイズの忌まわしき記憶と向き合うことで「親友」というかけがえのない存在を取り戻しました。
良い記憶もある悪い記憶も両方を、忘れずに自分の中にしまっておき、向き合い続けることの大切さと勇気をこの映画はもたらしてくれたように感じます。
カオティックな原作を青春譚としてまとめ上げた
『IT CHAPTER2』Final Trailer (C)2019 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
スティーヴン・キングの原作ってもちろん文句なしに面白いんですが、かなりカオスな内容です。
少年期と成人期を交互に描く構成がそもそもかなり読みづらいというのもあります。
さらに、ITの正体がデリーそのものだという飛躍した設定が登場したり、世界の象徴的な存在である「亀」が出てきたり、その更に高次の存在である「創造主」的な存在が出てきたりと、かなり精神世界のような話にくるんです。
おまけに、映画版では比較的明確だった「チュードの儀式」もほとんど説明もないので、よくわかりません。
ただそんな原作を、今回の映画2部作は非常に良くまとめ上げていたと思います。
まず、物語の軸を「幼少期のトラウマとしてのIT」というところに絞ったのが、非常に良かったのかなとは思いましたね。
原作では、デリーの歴史の話がたびたびインサートされ、その街に通底してきた狂気、異常性、暴力の根源的な存在としてITが君臨しているというかなり大きな話になっています。
映画版は敢えて風呂敷を広げず、ルーザーズクラブのメンバーたちが向き合う「幼少期のトラウマ」というところでITないしペニーワイズという存在を描き切ったのが非常に明確で分かりやすかったのではないかと思います。
- ビル:ジョージの死
- べヴァリー:自分の父親(夫)による支配
- ベン:べヴァリーへの恋心とビルへの嫉妬
他のキャラクターたちもトラウマを抱えていて、それと向き合って乗り越えるところに1人1人の成長があるので、やはり「青春映画」として確立されています。
結局トラウマと向き合い克服するためには、自分がもうその過去には縛られていないと「信じる」ことだけなんですよね。
ビルは、ジョージが死んだことに対して深い悲しみと後悔を抱きながらも、最後には「自分のせいで死んだのではない。」と言い切り、トラウマを払拭しました。
べヴァリーも「もう私はあなたのものではない。」と高らかに宣言し、過去のトラウマを振り切りました。
ベンもビルに対して劣等感と嫉妬を抱いていましたが、ラブレターを書いたのは自分だと自負し、べヴァリーへの思いを高らかに宣言します。
こういった1人1人の小さな物語とその昇華が、ペニーワイズを追い詰めていき、最後には彼らの信念から生まれる「言葉」によって打倒することに成功しました。
原作よりも物語の世界観は幾分小さくはなりましたが、その分、ルーザーズクラブの物語としての軸が明確になり、ホラー映画というより青春映画として珠玉の仕上がりになっていたと思います。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『IT イット THE END』についてお話してきました。
幼少期のトラウマと大人になってから対峙するという物語でしたが、当ブログ管理人のトラウマは今でも『CUBE』という映画です。
この映画を見て、1ヶ月近く不眠症になったんですが、やっぱり今でもこの映画だけはどうしても見れないですね。
ただルーザーズクラブのメンバーたちの勇気ある戦いを見ながら、自分もいつかこの映画に立ち向かわなければならないのだと感じました。
みなさんも幼少期に抱えたトラウマって何かしらあると思うんですね。
人は過去を振り返るときに、良い記憶ばかりを思い出すもので、そういったトラウマや暗い過去からは目を背けようとします。
しかし、良い記憶も悪い記憶も含めて、あなたを形作るものなのです。
そして今のあなたならそのトラウマや悪夢にきっと立ち向かえることでしょう。
何かにすがるのではなく、信じることで私たちは「ハッピーエンド」を作り出すことができるのだと『IT イット THE END』とそしてルーザーズクラブの勇気が教えてくれました。
それはスティーヴン・キング氏がかつてハッピーエンドとして終わらせなかったこの小説を、長い時を経て「ハッピーエンド」として描こうとしたアプローチにも重なるのかもしれません。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。