みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『閉鎖病棟 それぞれの朝』についてお話していこうと思います。
かなり期待を持って見に行ったんですが、正直とんでもないガッカリ映画だったように思います。
個人的には2019年のワースト映画候補筆頭格になってしまいました。
ヒューマンドラマで、閉鎖病棟という空間を描くというリアル志向の物語でありながら、ここまで「現実感」がないのは、はっきり言って大問題だと思います。
登場人物はそのバックボーンが全くと言っていいほどに描かれず、物語の時代背景も分からず現代の物語なのかどうかも分からないのです。
おまけに本作の舞台となっている「閉鎖病棟」の描き方も、明らかに「現代」を舞台にしたのであれば、描きこみが甘く、イメージが湧きません。
そういったディテールの甘さが目立ちまくり、物語が完全に浮いてしまっていました。
そして映画を見た時に感じた違和感を埋めてくれるものは、全て原作の中にありました。
そういう意味でも、総合的に見て、今年見た映画の中で最も酷い1本という印象は揺らぎません。
本記事では、原作の内容も引き合いに出しつつネタバレありで作品の感想・解説を書いていきたいと思います。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『閉鎖病棟 それぞれの朝』
あらすじ
長野県のとある精神科病院では、様々な事情や精神的な病を背負った患者たちが暮らしていた。
母親や妻を殺害した罪で死刑判決を受け、死刑の執行を受けながらも一命をとりとめ、精神病院送りにされた梶木秀丸。
幻聴に悩まされて、暴れるようになり、家族から厄介者払いのように病院に入院させられた塚本中弥。
その他にも認知症を抱えた人、家族もおらず身寄りもない人、言葉を上手く話すことができない人など、様々な人がいた。
そんな病院に、ある日、島崎由紀という女子高生がやって来る。
彼女は、父親からレイプされ、妊娠し、母親からも冷遇されるなど自宅に居場所を失っていた。
由紀は、病院にやって来るなり、屋上へと逃亡し、秀丸の静止を無視して飛び降りてしまう。
幸い命に別状をなかったものの、流産し、その後病院に入院することとなる。
秀丸や中弥を中心にして、少しずつ由紀は精神的にも落ち着きを取り戻し、笑顔を見せるようになっていく。
しかし、病院の厄介者で、暴力的な男の重宗が、とんでもない事件を起こしてしまうのだった・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:平山秀幸
- 脚本:平山秀幸
- 撮影:柴崎幸三
- 照明:上田なりゆき
- 編集:洲崎千恵子
- 音響効果:伊藤瑞樹
- 音楽:安川午朗
- 主題歌:K
『学校の怪談』や『愛を乞うひと』などの監督を務めたことで知られ、社会派で重厚なテイストの作品を得意とする平山秀幸が今作の監督を務めました。
『愛を乞うひと』や『ターン』と言った作品は個人的にも好きなんですが、最近の映画は重厚に見せかけているだけで、肝心の中身がスカスカな作品が目立っていて、何とも言えない出来のものが多い印象はあります。
撮影監督には、山崎貴監督作品の多くで撮影を担当してきた柴崎幸三さんが起用されています。
おそらく一番見せたかったのは、あの由紀が見る朝焼けのシーンだったかと思いますが、そこですらもハッとさせられるほどの映像ではなかったので、単純に映像として弱かったと思います。
編集を担当したのは、洲崎千恵子さん、音楽には白石和彌監督作品でしばしば名前を見かける安川午朗さんが起用されました。
- 梶木秀丸:笑福亭鶴瓶
- 塚本中弥:綾野剛
- 島崎由紀:小松菜奈
- 丸井昭八:坂東龍汰
- 石田サナエ:木野花
- 重宗:渋川清彦
- 井波:小林聡美
笑福亭鶴瓶さんはやっぱり『ディアドクター』の時の好演ずっと印象に残っていますが、今作『閉鎖病棟 それぞれの朝』でも見事な演技を披露していました。
人を惹きつける優しい雰囲気を身に纏いながらも、その内面に壮絶なバッグラウンドを背負っているという『ディアドクター』の時の役どころに似ているキャラクターを完璧に演じていたと思います。
そして綾野剛さんは、やはりこういうキャラクターを演じさせたら抜群に良いですね。
少し心に闇がある人間を演じるのがすごく巧くて、『楽園』や『怒り』と言った作品で培われた演技が活きているように感じられます。
小松菜奈さんは、今回かなりハードな役を演じていたように思います。
何と言うか彼女は無表情が似合う女優だと思うので、ふと「笑顔」を見せてくれた時に、安心感を覚えます。それが今作のキャラクターの物語とリンクしていて非常に良かったですね。
その他にも演技力に定評があるベテラン俳優陣が脇を固め、非常に豪華な顔ぶれとなっています。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!
『閉鎖病棟 それぞれの朝』感想・解説(ネタバレあり)
時間と舞台を疎かにしてリアルを描くことはできない
『閉鎖病棟 それぞれの朝』という作品の最大の問題は、時間軸と舞台設定のディテールを描けていない点だと思います。
まず、これは当ブログ管理人が映画を見ていて、一番戸惑ったのですが、本作の中で描かれる閉鎖病棟(精神病棟)の描写って、おそらく最近のものではないですよね。
セキュリティ面を考えても明らかに甘いですし、基本的に物語は原作通りなので、それを考えると明らかに1980年代・90年代頃の精神病棟を描いていると考えるのが、自然ではないでしょうか。
ただ原作では、昭八が持っているカメラがフィルムカメラであるにも関わらず、映画版ではデジタル一眼カメラに変更されていました。
デジタル一眼カメラが出てくるのって、2000年代の後半に入って来てからですから、こういった描写を見ると、時間軸は最近のものへと変更されたんじゃないかという疑問も出てきます。
このように『閉鎖病棟 それぞれの朝』という作品は、時間軸を明確に示せていないのだと思います。
原作通りに80年代・90年代の精神病棟を描くということであれば、もっと小道具をはじめ、もっとディテールにこだわるべきだったでしょう。
逆に現代の物語にアップデートしたいのであれば、精神病棟の描写は明らかに時代にそぐわないものになっているのですから、そこはアップデートする必要があったでしょう。
そしてもう1点、舞台を描けていないという点ですが、これは精神病棟を舞台にした作品でありながら、その描きこみが甘すぎるという点です。
「閉鎖病棟」というタイトルを関した作品であるにも関わらず、「閉鎖」を示すのが、冒頭の看護師が廊下のドアの鍵を閉めるシーンだけで、それ以降の描写では意外と外に出放題というのはどう考えても駄目でしょう。
以前に閉鎖病棟のドキュメンタリーを見たことがありますが、エレベーターにはシャッターがついていて患者は自分では乗り込めないようになっていましたし、屋上にも有刺鉄線があって、あんな簡単に飛び降りられる状態ではありませんでした。
また、病院の入り口に警備員すら立っていないというガバガバすぎるセキュリティにも驚かされます。
そして、何より大問題だったのは、重宗という本作のキーパーソンが精神病棟でどんな扱いを受けていたのかに関する描写の一切を放棄したことです。
原作ではここが詳しく描きこまれていて、彼がなぜあの病院で、危険な存在でありながら看護師たちからも放任気味にされているのかの理由が分かります。
もちろん精神病棟には、保護室という独房のような場所があり、問題を起こした患者はそこに入れられて、完全に隔離されます。
重宗も当然、問題を起こすたびにそこに入れられているのですが、独房で夜中に騒いで、他の患者に迷惑をかけることによって、保護室からも引きずり出されてしまうのです。
さらには、警察が介入してこないことも知っているので、看護師たちに恫喝・脅迫をたびたび行っていて、それが原因で、職員や看護師たちも怖くて手出しができないために、あのような放任状態になっているわけです。
なぜ暴力を振るっている男があそこまで放任されているのかを、「それが精神病棟というものだよ。」という適当な解釈で描くことに対して、激しく憤りを感じますし、そんな映画にリアリティを感じるわけがありません。
殺人事件が起こったにもかかわらず、セキュリティ面や患者の扱いの面で、何の変化も見受けられないことにも違和感を感じます。
時間軸と舞台性。この2つがあまりにもぼんやりしているというか、描き方が適当すぎるので、原作には確かに存在していたリアリティや閉塞感がものの見事に瓦解しています。
これは偏に題材に対するリスペクトの欠如だと感じざるを得ません。
この映画はヒューマンドラマでありながら人間を描く気がない
(C)2019「閉鎖病棟」製作委員会
そしてもう1つの大きな問題が、今作の人間の掘り下げの圧倒的な甘さです。
原作では病棟にいる患者たちのそれぞれの入院に至った背景や事情などが精緻に描かれており、閉鎖病棟という隔離空間で生きている人たちに親近感を感じられるような作りになっています。
まあ2時間しかない映画に物語をコンバートするとなったときに、あれほどの数のキャラクターを1つ1つ掘り下げていくわけにもいきませんから、ある程度人物を絞るという選択は理解できます。
そうなった時に、本作の中心的なキャラクターは秀丸、中弥、由紀、昭八そして重宗の5人になるのではないかと思います。
この5人だけでもしっかりとバックボーンを描けていれば、物語としてある程度成立させることはできたでしょう。
しかし、本編を見ていると昭八のバックボーンは全くもって描かれず、キーパーソンである重宗もなぜ入院したのかすら不明です。
ちなみに、これも原作を読むとはっきり書いてありますが、彼は薬物中毒になり1人の女性を殺害して精神病棟に運ばれてきた人物です。
おそらく映画版では彼が秀丸に向かって「人殺し」と罵るシーンがあったので、原作とは設定が違うのだと思いますが、そこを描かずに物語を進行させるのは不誠実でしょう。
秀丸、中弥、由紀については1人1人のバックボーンや家族との関係性はある程度掘り下げられていました。
しかし肝心な3人の病棟での関わりや触れ合いがそれほど描かれていないので、終盤にあの2人が「秀丸さんに救われたと恩義に感じている意味」が全く持って想像できないんですよね。
これも原作ではしっかりと描きこまれている部分なんですが、映画版ではごっそりと抜け落ちています。
例えば、中弥であれば新聞の「今日の運勢」に固執する自分を宥め、諭してくれたことや、病院に長居し社会に戻れないと不安を感じている時も心からの言葉で励ましてくれたことエピソードなどが印象的でした。
由紀については、もっと掘り下げられていて、もちろん陶芸を通じて会話をしたり、交流を深めていたこともありましたが、それ以上に彼女は秀丸には自分がレイプされていたことを打ち明けているんです。
それを聞いた彼は、必死に由紀を励まし、勇気づけていたのです。そして無理強いをするのではなく、優しい言葉をかけ、ゆっくりと病院の外の生活に戻れるようにと何かと気を遣っていたのです。
こういう背景があるからこそ秀丸が由紀のために、重宗を殺害したのだという点も、ここがきちんと描けていれば明確になったと思います。
3人の関わりがもっと生き生きと描けていれば、終盤の裁判のシーンは彼らなりの秀丸への「恩返し」としてよりエモーショナルになったはずなのに、肝心の「恩」の部分があまりにも描けていないので、全く意味が分からないという有様です。
確かに役者の演技に託すということは重要なアプローチではありますが、最低限の物語すら描かずに、役者の演技に委ねるのは、ただの責任放棄です。
この映画の主題と言いますか、ストーリーの中心はまさしく秀丸との関わりの中で、人生に絶望していた人たちが少しずつ前を向いて歩きだすことができるようになったという部分だと思います。
しかし、掘り下げが甘すぎて全く描けていませんし、映像的な力点はどう考えてもボロボロの由紀が朝焼けを見るシーンに置かれています。
確かに画になるシーンではあるんですが、本来であれば、このシーンで由紀が秀丸との関わりがあったからこそ、あの朝焼けに希望を見出すことができたと観客に思わせるだけの何かが必要です。
ただ、この映画にはそれがないのです。
それ故に、美しく画になるショットでさえも何の印象にも残りません。
ここまで重厚感を漂わせて置きながら、中身が空っぽのヒューマンドラマも珍しいのではないでしょうか・・・。
おわりに
いかがだったでしょうか。
当ブログは基本的に映画に対して批判的な評を書く機会は少ないんですが、今作『閉鎖病棟 それぞれの朝』についてはあまりにも酷すぎましたね。
映画を見た時点で、かなり酷くて、ただそれが原作由来のものだったら批判するのはお門違いかもしれないと思い、原作を読みました。
しかし、原作には映画に欠落していたのものが全て確かに描かれていたのです。
マンガや小説を映画化する際に、しばしばビジュアル的な部分が目につきやすいこともあり、槍玉に挙げられることは多いですよね。
ただ、そういう映画ってビジュアル的な際限度は低くても、物語面ではきちんと原作に対して愛と敬意をもって作られていることもしばしばです。
本当にダメなのは、今作『閉鎖病棟 それぞれの朝』のようなケースです。
原作の雰囲気や舞台設定をそれっぽく踏襲しながら、ディテールを全く詰めず、原作の核となる部分を決定的に見落としています。
役者陣の演技が素晴らしいだけに、それを脚本や演出の部分で後押しできていないのは、本当に見るに耐えませんでした。
今年の当ブログ管理人的なワースト映画候補筆頭です。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。