みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ブライトバーン』についてお話していこうと思います。
90分尺の比較的短めの映画なので、あまり深く考えることなくサラッと見れますし、ストーリーもコンパクトで金曜日のレイトショーにはちょうど良い作品でした。
私は親ではないので、どちらかと言うと主人公のブランドン目線で見てしまいましたが、彼の親目線で見ると、また面白い映画なのではないかと思います。
当ブログ管理人は、3歳の頃に反抗期を迎えていたようで、あまりの反抗っぷりに母をノイローゼ気味にしていたとかしていないとか・・・。
また、多くの人がコメントしているようにアンチヒーロー映画であり、とりわけ「悪のスーパーマン」というコメントは間違っていないと思います。
さて、ここからは作品についてより掘り下げて語っていきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ブライトバーン』
あらすじ
トーリとカイルの夫婦は親になりたいと願いながらも、なかなか子を授かることができず、悩んでいた。
ある夜、2人の住む家の近くに突然、隕石が飛来する。
墜落現場に足を運ぶと、何とそこには赤ん坊がいました。
2人は、それが子どもを産むことができなかった自分たちへのギフトだと解釈し、愛情を注いで育てました。
それから10年以上の年月が経過し、ブランドンは12歳になっていました。
彼は両親を大切にし、学校でも成績は常にトップクラスと優秀な子供に成長したのですが、ある日家の納屋から不思議な声を聞きます。
その日を境に、ブランドンは不思議な力を発揮するようになり、人間ではありえないほどのパワーを抑えきれなくなっていきます。
それでも何とか自分を保とうとしていたが、好意を持っていた女の子に裏切られたことをきっかけに彼はその力を憎悪のはけ口として用いるようになってしまう。
そして、力と怒り、憎しみを抑えられなくなっていく彼は、ある日ついに越えてはならない一線を越えてしまうのだった・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:デビッド・ヤロベスキー
- 製作:ジェームズ・ガン&ケネス・ファン
- 脚本:ブライアン・ガン&マーク・ガン
- 主題歌:『Bad Guy』
製作を担当したのは、ジェームズ・ガンです。
『スーパー』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズの監督・脚本で知られ、『スーサイドスクワッド』の続編にも参加すると報じられている彼が、今作の製作を担当しました。
今回の『ブライトバーン』は意外とユニバース化できるタイプの映画だったんですよ。
ですので、今後もジェームズ・ガンを中心にして、シリーズ化しても面白いんじゃないかと思ったりもしています。
監督には、新進気鋭のデビッド・ヤロベスキーが起用されました。
これまでホラー映画の監督経歴があるようで、そのテイストが絶妙に反映されていました。
脚本は、ジェームズ・ガンの兄弟ブライアン・ガンと従兄弟のマーク・ガンの共同脚本です。
主題歌には『bad guy』という楽曲が使われています。(エンドロール)
- トーリ・ブレイヤー:エリザベス・バンクス
- カイル・ブレイヤー:デビッド・デンマン
- ブランドン・ブレイヤー:ジャクソン・A・ダン
母のトーリを演じたのは、『キャッチミーイフユーキャン』や『ハンガーゲーム』シリーズで知られるエリザベス・バンクスです。
父のカイルを『パワーレンジャー』や『ローガンラッキー』にも出演したデビッド・デンマンが演じています。
そして主人公であるブランドンを子役のジャクソン・A・ダンが演じました。
彼は実は『アベンジャーズ エンドゲーム』に12歳の少年の姿になったスコット・ラングとして(冒頭のスコットが量子世界にダイブする実験をして何度も年齢が変わるシーン)出演していました。
本作での狂気とあどけなさが同居する不思議な空気感は本当に素晴らしかったと思いますし、今後ますます注目度は高まることでしょう。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!
『ブライトバーン』感想・解説(ネタバレあり)
完全に逆スーパーマンだ!
(C)The H Collective
事前の情報で「悪のスーパーマンだ!」という話は聞いていたので、身構えてはいましたが、ここまで徹底的に『スーパーマン』の逆をいくとは思っていなかったので、笑ってしまいました。
スーパーマンとブライトバーン(ブランドン)の共通点は以下のようになっています。
- 宇宙からやって来て、人間の両親に育てられる
- カンザス州に飛来する
- 農場を経営する夫婦の下で育てられる
- 自分の惑星の物質に弱点がある
- 納屋の床下に秘密が保管されている
- 父親の死が能力の覚醒の大きなきっかけとなる
- 目からビーム&空中浮遊
スーパーマンは善と悪の2択を迫られた時に、全ての分かれ道において善の道を選び、ヒーローとして確立されていきました。
対照的にブライトバーン(ブランドン)は全ての分かれ道で悪を選び、ヴィランとして確立されていきました。
ただ本作は、ブランドンを絶対悪として描こうとはしていないように見受けられました。
というのも彼は自分を育ててくれた両親の存在を心のよりどころにしていました。
自分に力があると分かると、確かに両親を軽視するような言動を取り始め、トーリとカイルを困惑させました。
しかし、彼の行動は自分の居場所としての「家族」を守るためにあったのだと思います。
最初に殺めたのは、自分が手をへし曲げてしまったクラスメイトの母親で、彼女はトーリとカイルたちを激しく罵り、法的な措置も示唆していました。
そういう背景を考えると、彼はやはり子供のあどけなさを持っており、自分が唯一安心できる場所だった「家族」を脅かす存在を排除したという風にも解釈できます。
そして叔父さんまで排除してしまうこととなるのですが、これも自分の狂気を両親に伝えられてしまうことを防ごうと必死だったが故の行動でした。
しかし、トーリとカイルにはそんなブランドンの存在はあまりにも大き過ぎました。
結果的に手に負えなくなったカイルが彼を射殺しようとするのですが、銃弾などでは怪我をするはずもなく、父親に裏切られた悲しみを抱えながら、彼を殺害します。
そうなんですよ。彼の一連の行動は確かに「家族」を守るためのと考えると辻褄は会うのですが、終盤の描写を見ていると、彼は自分たちの両親に裏切られることを予見していたようにも思えます。
ブライトバーンに未来予知や思考を読み取る力までもがあったのかどうかは、分かりません。
しかし、拠り所にしていた「家族」という存在を自らの手で葬って、ヴィランとして確立されるというプロセスは、スーパーマンのクラーク・ケントの真逆とも言えます。
『マンオブスティール』のクラーク・ケントは竜巻に巻き込まれて命を落とした父を救えなかったことが、ヒーローとして活躍するようになる1つの原点となっていました。
『ブライトバーン』についてはブランドンの弱点が一応は明かされていたり、彼の家族に対する思いや愛への渇望といった背景もありますし、今作は単発の映画でしたが、続編があっても面白いのではないかと思います。
幸いにもラストシーンで他にも能力者がいるという内容が仄めかされていたので、楽しみに待ちたいと思います。
反抗期10000% VS 親の愛
(C)The H Collective
本作はホラー映画でもあるんですが、少し「怖さ」の毛色が異なります。
というのもこの『ブライトバーン』という作品は、不思議な力に目覚めていく少年の物語を当事者目線というよりも、親目線で描いています。
そのため作品のアプローチとしてはむしろ細田監督の『未来のミライ』なんかに近いのではないかと感じました。
当ブログ管理人も3歳くらいの頃に強烈な反抗期がありまして、母親や祖父母に多大な迷惑をかけていたと言われました。
今となっては過去のことですが、当時母親は「何を考えているのか全く分からなかった。」と不安と恐怖感にも似た感情を覚えたことを話してくれました。
今作『ブライトバーン』は、親の視点から描くというアプローチをとったことで、得体のしれない子供の「反抗期」に対する不安や恐怖をブライトバーンという形で見事に具現化することに成功しています。
例えば、子どもが中学生・高校生にもなって来ると、両親よりも力が強くなっていくことも少なくありません。
そうなった時に、両親はいざという時に実力行使で子供を止めるということができなくなってしまうのです。
『ブライトバーン』においてカイルがブランドンを力を行使してでも止めようとする場面が何度かありましたが、大柄な彼の力をもってしてもどうしようもありませんでした。
自分の子供が成長して、自分よりも強くなっていった時に、それは頼もしくもあり、嬉しくもあるんですが、同時に反抗期という属性が混ざることで、恐怖や不安を煽る要素にもなり得るのです。
また、反抗期の時期になると、徐々に自宅外ですごく時間も増えていき、家族以外のコミュニティで過ごすことが多くなります。
そうなると、どうしても家族には分からないこと、見えないことが出てくるわけで、その隠された時間の一端を過程で垣間見た時に、不安を感じることは少なくないはずです。
そういった親世代が、自分の子供たちが反抗期を迎えた時に感じる不安感や恐怖感を10000% に増幅し、キャラクターとして具現化したのが、ブライトバーンなんだと思います。
そういう意味でも多くの人が感想として抱いているブランドンが何を考えているのか分からなかったという指摘は、この映画の意図としてはむしろ正解に近い反応だと思います。
そのため、今作はホラー映画というわけではやっぱりなくて、どちらかと言うとやっぱり家族映画として見る方がしっくりとくるような気はします。
人体損壊描写はかなりハードめ!
前情報をほとんど入れずに見に行ったこともあり、映画館で見ていて、衝撃を受けたのですが、かなり人体損壊描写が派手で、苦手は人にはかなりきついと思います。
当ブログ管理人は別にグロテスクな描写は苦手ではなくて、手術シーンのようなその「痛み」を自分のものとして感じられてしまうような描写が非常に苦手でした。
その点で、『ブライトバーン』のグロ描写は比較的ぶっ飛んでいて、それほど苦に感じることはなかったんですが、1つかなりきつかったのが、ブランドンがクラスメイトの女の子の母親を殺害するシーンですね。
彼女は自分の働く飲食店の片づけをしていて、すると突然電灯がチカチカとし始めます。
不思議に思った彼女は、点滅する電灯を見上げます。その刹那パリン!と電灯が砕け、彼女の目に突き刺さります。
さらにそこから、彼女が素手で必死に突き刺さったガラスの破片を眼球から引き抜こうとする描写があるんですが、破片と共に角膜が剥がれていくような演出が施されていて、これがもうしんどいのです。
(C)The H Collective
また、本作の中で最も印象的だった損壊シーンは、ブランドンが叔父さんを殺害するシーンでしょう。
顎がバキバキに外れて、必死にそれを押さえようとしながら絶命していく様はかなり視覚的にハードなものだったと思います。
当ブログ管理人としては、顎が外れて血が噴き出している描写については特に問題なく見れましたけどね(笑)
なぜ、そこまでグロテスクにする意味があるのかについてですが、ブランドンの殺害行為って、ある種の「自慰行為」だと思うんですよ。
反抗期・思春期に差し掛かり、たいていの子供は性的な意識が高まり始めるわけですが、彼の中の欲望はむしろ人体や動物の体の中身に向いていました。
そういう子どもの中に渦巻く、親には理解しがたいようなドロドロとした内面を、視覚的に表現したのが、一連の人体損壊描写だったのではないかと解釈しました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ブライトバーン 恐怖の拡散者』についてお話してきました。
ヴィランビギンズの要素、家族映画の要素、そしてホラー映画の要素を組み合わせ、そこに反抗期の子供の得体の知れなさというスパイスを加えることで、派手な映画ではないにせよ安心して見られるクオリティの作品になっていました。
絶対に見るべき作品として推すほどの映画でもない気もしますが、とりあえず軽い気持ちでフラッと見られる作品だと思います。
ホラー映画を期待して見に行くと、少し肩透かし気味になるかとは思いますが、親世代が見ると、作品の中で描かれるトーリとカイルの苦悩に感情移入できるので、より面白いのではないでしょうか。
気になった方は是非チェックしてみてください。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。