みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね『HUMAN LOST』についてお話していこうと思います。
最近、冲方丁さんが映画に関わる機会がまた一気に増えてきましたよね。
今年に入ってからで言うと、自身が原作を担当した『十二人の死にたい子どもたち』や脚本・シリーズ構成を務める『PSYCHO-PASS 3』が挙げられます。
そして今作『HUMAN LOST』は自ら原案を担当し、脚本も手掛けるアクションSFとなっております。
太宰治の『人間失格』をベースにしているということで、どの程度反映されているのかや、あの作品をどんな解釈で冲方ワールドに持ち込むのかにも非常に注目です。
ちなみにこの『人間失格』という作品は、太宰治の自伝的な小説とも言われていて、彼が自分の人生を振り返りながら描き、その後心中を遂げてしまったため、遺書的な作品だとも評されます。
しばしば、中高生に読書感想文としておすすめということで挙げられたりする作品なんですが、正直彼の作品の中でもかなり読みづらい印象はありますね。
ただ、本作『HUMAN LOST』を見る上で、鑑賞しておくことが望ましいのは間違いないので、機会がある方はチェックしてみてくださいね。
さて、本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『HUMAN LOST』
あらすじ
人々は体内にナノマシンを埋め込み、それらを管理するネットワーク「S.H.E.L.L.」にその管理を外部化することで、無病長寿を実現しました。
そんな世界であっても社会問題が無くなることはなく、日本でも「インサイド」「アウトサイド」と世界が隔てられ、貧富の差が埋まることはなかった。
また、大気汚染が進行し「アウトサイド」の住民はガスマスクを装着しながら生活する惨状であり、無病長寿が実現したことで労働者たちは長時間労働を強いられていた。
そんな世界の中で、「アウトサイド」で暮らす大庭葉藏は、親友の竹一と共に「インサイド」に反旗を翻す計画を立てる。
彼らは「S.H.E.L.L.」によって、人間の尊厳とも言える「死」が奪われてしまったことに対して激しい憤りを感じていたのだ。
彼らは長年計画していたことを実行に移し、バイクに乗り、「インサイド」へと繋がる道を疾走する。
その最中、突然、竹一に異変が起こり、そして体制側の軍の対峙した時には、すでに異形の存在となってしまっていた。
体制側の人間たちはその現象を「ヒューマンロスト現象」と呼称する。
そして気がつくと、葉藏の身体も異形のものとなっており、崩壊しかけた自我の最中で親友の竹一を殺害してしまう。
そのまま絶命するかに思われたが、葉藏は奇跡的に人間の姿を取り戻す。
その様を見た、柊美子は彼に希望を見出し、堀木正雄は彼に自信の野望の完遂を見ていた・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:木崎文智
- スーパーバイザー:本広克行
- 原案:太宰治
- ストーリー原案:冲方丁
- 脚本:冲方丁
- 撮影監督:平林章
- 音響監督:岩浪美和
- 音楽:菅野祐悟
- 主題歌:m-flo
このタイプの超絶アクション系の作品を、3DCGで手掛けるとなると、やはりポリゴン・ピクチャーズが最強でしょうね。
『シドニアの騎士』をはじめとした数々の作品で、その作品性が高く評価されており、セル画ではなかなか難しいダイナミックなアングルや演出を存分に施すので、非常に映像に迫力があります。
監督には『アフロサムライ』シリーズの木崎文智さんが抜擢されており、アクションには非常に定評があるので期待できそうです。
そして原案・脚本には冒頭にもご紹介した通りで冲方丁さんが起用されております。
ナノマシンやAIといった先端技術を扱うサイバーパンクなSF作品を多く手掛けていて、その世界観のファンは非常に多いですよね。
ただ近年手掛けた映像作品は、『攻殻機動隊』もそうですし『PSYCHO-PASS』もそうですが、イマイチなものも多く、個人的には期待を裏切られ続けているような感じはします。
他にもポリゴンピクチャーズの主力陣が集結していたり、音響監督には今、日本で最も有名な音響監督と言っても良いであろう岩浪美和さんが加わりました。
- 大庭葉藏:宮野真守
- 柊美子:花澤香菜
- 堀木正雄:櫻井孝宏
- 竹一:福山潤
- 澁田:松田健一郎
- 厚木:小山力也
- マダム:沢城みゆき
- 恒子:千菅春香
宮野真守、花澤香菜、櫻井孝宏・・・。
どうみてもアニメ映画版『GODZILLA』シリーズと同じメンバーですよね。
しかもアニメーションを手掛けるのがポリゴンピクチャーズというところまで一致しているという徹底っぷりには驚きます。
ある程度メンツが被るのは分かりますが、ここまで全く同じなのは流石にイメージが被るので、止めて欲しい気はしますよね。
個人的には、推し声優の1人である千菅春香さんが端役ながらも本作に出演していることが嬉しいです。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!
『HUMAN LOST』解説・考察(ネタバレあり)
太宰治の『人間失格』が原案とは言うけれど・・・
(C)2019 HUMAN LOST Project
本作『HUMAN LOST』は一応太宰治の『人間失格』が原案という扱いになっております。
確かに、本作を読み解いていくと、細かな共通点やオマージュ要素は散見されます。
真っ先に目につくのは、本作が「第一の手記」「第二の手記」「第三の手記」という構成になっていることでしょう。
原案の『人間失格』では、大庭葉蔵という男の写った写真を見ながら、「私」という第三者が彼の残した手記を読むという構成になっています。
その特徴としては葉蔵の物語を手記という形で断片的に鑑賞するという物語構造にあり、そこが非常に面白い点でもあります。
ただ今回の『HUMAN LOST』は、原案から「手記」という物語構造を受け継いでおきながら、大してその名称に意味を見出せていないという大きな欠点があります。
ただ単に形式的な章分けになっているだけで、時系列的にジャンプが生じるわけでもなく、地続きの物語を三分割しているだけなので、そもそも「手記」でも何でもないんですよ。
他にもキャラクター名やその立ち位置については原作と多くの点で共通点を見出すことができます。
キャラクターの関係性ですが、大庭葉蔵と竹一が親友であるという点もそうですし、葉蔵にとっての悪友(負の方向へと引きずっていく存在)として堀木正雄が登場するのも一致しています。
後は原作ではヨシ子という表記ですが本作の美子もやはり原作と立ち位置が似ていて、彼女は純粋無垢な少女ですが、大人に汚されてしまい、疑心暗鬼を生じてしまうというキャラクターです。
『HUMAN LOST』では、彼女が長老たちにトランスプラントの対象とされ、自分たちが延命するために全身の臓器提供をさせたり、彼女の亡霊が堀木正雄に操られて葉蔵に襲い掛かるといった描写がありました。
このように、『人間失格』を知っていると少し興味深く感じられるポイントはたくさんあるんですが、どれもそれほど有意というわけでもなく、あえてあの作品を原案として据えておく必要があったのかと聞かれると、正直微妙なところだと思います。
「地獄の馬」や「道化」、「笑顔」といった『人間失格』でも印象的なキーワードたちは、とりあえず作品の中に散りばめられてはいました。
ただ、特に「道化」という言葉については、原案では幼少期の葉蔵が人と繋がるためにやむを得ず演じたものであったのに対し、『HUMAN LOST』では比較的ストレートな「笑われ者」的な意味で使われています。
また、同作の最も有名なセリフである「恥の多い生涯を送ってきました。」についても明らかに解釈が原作とは異なり、しかも使われるタイミングも全く異なっていました。
こうなってくると、太宰治のなぜわざわざ『人間失格』をベースにして作る必要があったのかという点が気になります。
ただ、太宰治が『人間失格』という自伝的作品のラストで何を描こうとしていたのかという部分を解釈して見ると、意外と物語の方向性は間違っていなかったと言えるかもしれません。
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
何気なさそうに、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
(太宰治『人間失格』より引用)
この作品が、太宰治の自伝的小説であり、葉蔵が彼の投影であるならば、太宰はこの作品を通じて、「人間失格」だった自分自身を肯定しようとしていたようにも感じられます。
ろくでもない人生を歩んできた自分ですが、そんな自分を「神様みたいないい子」と評しているわけですよ。
もっと言うなれば、太宰治は「人間」そのものを愛し、赦そうとしていたと解釈できるのかもしれません。
原案をポジティブに解釈するなれば、『HUMAN LOST』のラストの前向きに何とか未来に向かって生きようとする葉蔵の姿はその解釈に近いと言えるでしょう。
彼はアプリカントとして人類を超越した存在になってしまい、もはや人間ではなくなってしまいました。
そして人間を失格した彼は、世界中でロスト体の駆除活動に専心します。
次々にロスト体を虐殺する彼の姿は、もはや人間とは言い難いですが、それでも美子が信じた未来を守り抜こうと戦い、必死に人間に失格の烙印が押される未来を防ごうとしているわけですよ。
自分たちが信じた未来が決して間違っていなかったのだということを証明するために戦う葉蔵は決して原作のイメージから外れるものではなったと思います。
荒廃した世界の中で文明曲線は乱れ、世界は再生に向かうのか、崩壊に向かうのか・・・。
それでも愛した女性が信じた「再生」の道を信じ、「人間」が生きる未来を選択しようとする葉蔵は、ただ美子が信じた未来を肯定したいのであり、彼女を信じた自分自身を肯定したいのです。
その点で、『人間失格』という作品に自信の「恥の多い人生」を綴り、それでも自分を肯定しようとした太宰治の思いが『HUMAN LOST』の葉蔵にもk佐鳴と言えます。
小ネタ的な引用だと、カルチモンという薬品、主人公が白髪になること、主人公が居座る先が「ヒラメ」と呼ばれていることなどもそうであり、やはり『人間失格』は読んでおくと、いろいろと楽しめる部分は大きいと思われます。
現代日本の状況を反映したSFとして
冲方さんの作品は、現在放送中の『PSYCHO-PASS 3』もそうですが、現代社会の状況を反映させた近未来SFが多いように見受けられます。
今作、『HUMAN LOST』は近未来の日本が舞台になっているということでしたが、日本の社会構造を象徴するかのような世界観が非常に興味深く感じられました。
まず、面白かったのは、長寿の長老たちが絶対的な権力を握っていて、談合によって国の行く末を決定しているという点ですね。
今の日本の社会は、高齢化が顕著に進行しており、若者が大きな負担を強いられながら高齢者を支えていかなくてはならないという状況に置かれています。
また国会を見てみると、その権力を比較的高齢な政治家たちが独占しており、今の時代とは少しズレたような考え方で政治を進め、国民の生活は苦しくなるばかりです。
そういったある種の「老人支配」の構造が日本という国には、国会もそうですが、企業等を見てもまだまだ深く根付いていて、若者は従属させられ、搾取される側の存在となってしまいます。
しかし、そんな状況でありながら若者は非常に政治的に無関心な傾向が見られます。
『HUMAN LOST』の世界においては、健康で寿命が長い人物が重んじられ、日本の根幹で国の行く末を決定づけているという構造が生まれています。
劇中で堀木正雄が彼らは私腹を肥やすことと大義名分を混同していると指摘する場面がありましたが、まさしくその通りですよね。
自分たちが死ぬことに並々ならぬ恐怖感を抱いているからこそ、美子の臓器をトランスプラントし、社会のためだという大義名分のもとで自分たちの延命をしようとしていたわけです。
彼らは、社会を大きく変革することを望んでおらず、ただ自分たちが特権的な立場を維持できる社会であれば、それで良いのです。
この点も、今の日本の状況を考えると痛烈なアイロニーだと思いますし、老人たちが私腹を肥やすために若い世代が搾取されるんですよ。
他にも日本のブラック企業問題であったり、経済格差の拡大問題、経済の停滞・固定化、環境問題など様々な面で、日本が今抱えている問題を反映させています。
冲方さんが手掛けている『PSYCHO-PASS』シリーズの最新作でも、こういった現代社会の諸問題が扱われています。
近未来SFとしても成立させつつ、私たちの社会にも通じるものをしっかりと描いているところが、彼の作品の魅力の1つでもありますね。
彼のSF作品が、ここまで日本に深くフォーカスするのは、彼自身が幼少期に10年間ほど海外で過ごしたという経験も大きく左右していると思います。
日本という国を中から見る視点で気ではなく、外から俯瞰で見る視点を持ち合わせているからこそ、「日本人性」というものを冷静に描けるというわけです。
冲方さんはSF以外の作品も多数手がけていますが、その中には渋川春海を扱った『天地明察』や清少納言を扱った『はなとゆめ』のような日本人とは何かを探るような作品も目立ちます。
そういう意味でも、本作は日本の今と未来のIFを描いたという点で興味深い作品ではあると思います。
冲方丁の幸福論と生への執着
冲方さんの作品は、常に「生への執着」という観点を根底に据えています。
とりわけ子供たちが主人公になることも多いのですが、生きることに絶望しながらも、それでも生に縋り、生きようとする者たちの姿を描き出します。
『マルドゥック・スクランブル』や『十二人の死にたい子どもたち』でもこの「生への執着」が大きな主題として扱われていました。
そして今回の『HUMAN LOST』も同様にいかにして葉蔵が「生」を選ぼうとするのかというプロセスにフォーカスしています。
そこに関連して描かれるのが、冲方さんの「幸福」に対する考え方でもあります。
彼の著書である『偶然を生きる』を読んでいると、面白いことが書かれているんです。
人間にとって、動物的な喜び、肉体思考の原初的な喜びは長続きしないものだと彼は語っています。
例えば、霜降りの美味しい肉を毎食食べる生活や、ふわふわの肌触りの良いベッドに20年間閉じ込められる生活を想像してみると恐ろしいですよね。
『HUMAN LOST』においては、人間は身体をナノマシンとネットワークによって管理されており、半永久的に生きながらえることができるようになっていました。
だからこそ主人公の葉蔵たちは、そこから脱却するべく「死」を求めました。
一方で冲方さんは「精神的な幸福は恒常化していく傾向がある」と語っています。
(精神的な幸福は)常にそこにあり続けるのです。常に自分の中に存在する幸福、いわば車輪の中心軸のようなものです。世界や自分の環境がどう変化しようとも、決して変わらない一点がある。
(『偶然を生きる』冲方丁より引用)
これが、彼の幸福観の中心にある考え方であり、同時に人が「生」に執着するためには、これが必要なのだと考えているのではないでしょうか。
そう考えると、『HUMAN LOST』において葉蔵を「生」に繋ぎ止めるのが、肉体としての美子ではなく、彼女の「心」なのだという本作のラストは、まさしく彼の幸福観を体現するものだと言えます。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は『HUMAN LOST』についてお話してきました。
ただ、わざわざこの原案で作成する必要があったのかという疑問はありますし、踏襲しなければならないというプレッシャーで逆に作品の幅が狭まっているようにも思えます。
冲方ワールドは、基本的に風呂敷を広げるだけ広げて、畳み切れない印象が強いです。
その点で、『HUMAN LOST』は比較的短い尺の作品であり、冲方さんがやりたいことを繋ぎ止めまくった結果、イマイチまとめ切れていない印象は否めません。
それでも個人的には、好きな作家(脚本)なので、冲方さんには今後の作品を期待しております。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。