みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『午前0時、キスしに来てよ』についてお話していこうと思います。
当ブログはいつもかっちりと考察を書いてはいるものの、専らスイーツ映画(少女マンガの実写化映画)が大好きなんですよ。
もうね、映画館でキュンキュンしたいんです!!(笑)
しかし、2019年はスイーツ映画が不作というか、そもそもあまり数が作られず、かなり悔しい思いをしました。
そんな私にとっての最後の希望とも言える映画が、今作『午前0時、キスしに来てよ』だったんです。
正直、久しぶりのスイーツ映画に感激しすぎて、1本の映画としてはまともに評価しづらいのですが、個人的にはかなり良くできた作品だったと思っています。
その理由については後程詳しく語っていくとして、当ブログ管理人が驚いたのは、橋本環奈さんの演じたキャラクター日奈々の設定です。
- お腹が出ている
- ずんぐりむっくりな松ぼっくり体型
最近、太ったんじゃないかと巷で噂の橋本環奈さんですが、ここに来て「役作り」だった説が浮上してませんか?(笑)
もしくは彼女が太ってしまったからこその「後付け」的な設定なのもかしれません。
ただ、華奢でスマートなモデル体型の女優が上記の2つの設定のキャラクターを演じていても説得力がないんですが、橋本環奈さんが演じると不思議と腑に落ちてしまうんです。
確かにそうですが、個人的にはあの完璧な顔からちょっと酒焼けしたようなかすれた声が出るというギャップにグッときますよね。
と、ここまで少し橋本環奈さんについて話してきましたが、ここからは映画本編について語っていきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『午前0時、キスしに来てよ』
あらすじ
優等生の花澤日奈々は、まじめすぎる性格であり、趣味も得意なことも「勉強」という少女だった。
それでも洋食屋で働く両親を助けるために妹の送り迎えや家事全般を担当しており、忙しい毎日を過ごしていた。
しかし、そんな生活の中でも「シンデレラ」のようなおとぎ話に憧れており、いつか王子様が迎えに来てくれるという夢を見ている。
ある日、彼女の通う学校がドラマのロケ地に選ばれ、日奈々は友人と共にエキストラとして参加することになった。
撮影のためにやって来たのは、国民的人気スターの綾瀬楓だった。
2人は撮影現場でお互いを認識し合うものの、それ以上何かあったというわけでもなかったが、後日必然か偶然か2人は再会する。
国民的スターと普通の女子高生という関係ながら、お互いに惹かれ合うようになる。
2人は誰にも知られてはいけない秘密の恋という状況の中で、ささやかな幸せを享受するが、ライバルの女優の存在、楓が音楽グループを脱退した理由、そして世間の目など大きな障害が立ちはだかる。
そんな数々の困難を乗り越えて、日奈々と楓は結ばれるのか?
スタッフ・キャスト
- 監督:新城毅彦
- 原作:みきもと凜
- 脚本:大北はるか
- 撮影:小宮山充
- 照明:保坂温
- 編集:穂垣順之助
- 音楽:林イグネル小百合
新城毅彦監督は『パラダイスキス』や『四月は君の嘘』などこれまでにも多くのスイーツ映画を手掛けてきた人物です。
2017年の『ひるなかの流星』は王道ながら、出来も非常に良く少女マンガ実写の中では、個人的にはお気に入りの1本です。
その一方で、『四月は君の嘘』の実写版なんかはもうその年のワースト候補筆頭格みたいな映画でした。
その点で、どちらに振れるのかという怖さはありましたが、今作『午前0時、キスしに来てよ』は意外と良かったです。
脚本には、テレビドラマでラブストーリーを中心にいくつか脚本を手掛けてきた大北はるかさんが起用されました。
長編映画の脚本は今回が初だったということで、未知数な部分はありましたね。
撮影には、近年のスイーツ映画はとりあえずこの人に感が出てきた小宮山充さんが起用されています。
彼は『ういらぶ。』や『青夏』そして新城監督の過去作でもある『ひるなかの流星』も担当しました。
編集は、実写『ちはやふる』シリーズで圧巻の編集を披露した穂垣順之助さんでした。
- 綾瀬楓:片寄涼太
- 花澤日奈々:橋本環奈
- 浜辺彰:眞栄田郷敦
- 内田柊:八木アリサ
- 磯山光:岡崎紗絵
- 中条充希:鈴木勝大
片寄涼太さんは『きみと、波にのれたら』で声優を担当していたイメージがあり、その時のボイスアクトが見事だったので、名前だけは覚えていたんですが、その姿を見たことはなかったんです。
身長高いですし、あの少し「いたずらっ気のある笑顔」がたまりませんね。男ですがキュンキュンしてしまいましたよ。
そしてヒロインには橋本環奈さんが起用されました。
近年、コメディエンヌとしてその才能を開花させつつあった彼女が、王道スイーツに駆り出されました。
基本的に彼女に対しては演技は比較的で切る方だという印象を持っていたんですが、今回の『午前0時、キスしに来てよ』ではどこか野暮ったさを感じましたね・・・。
そしてヒロインの幼馴染役に『小さな恋のうた』で大きな注目を集めた眞栄田郷敦が起用されています。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!
『午前0時、キスしに来てよ』感想・解説(ネタバレあり)
偶然か必然か?映画と現実が作るメタ構造
(C)2019映画「午前0時、キスしに来てよ」製作委員会
『午前0時、キスしに来てよ』は、やはり雑な部分は目立ちますし、映画ファンからも厳しい意見が挙がって来ることは自明です。
その理由として挙げたいのが、必然なのか?それとも偶然なのか?は分からないのですが、様々な作品内の要素が見事なメタ構造を生み出していた点です。
本作は、映画やテレビの向こうで活躍するスターである綾瀬楓と普通の女子高生である花澤日奈々の恋愛を描いています。
その設定を落とし込むための演出的な工夫が本作には多く施されているのです。
まず、2人が出会った時の場面を思い出してほしいのですが、これが映画の撮影現場なんですね。
綾瀬楓の活躍している世界に花澤日奈々という普通の少女がエキストラとして足を踏み入れたというのが、そもそもの始まりなのです。
その後、再会した2人が最初に訪れるのは、鎌倉の人気のない名画座でした。
つまり、この2つのシーンの対比によって、本作は楓というスクリーンの向こう側の世界の住人が、観客席という私たちのいる空間ないし日奈々がいる空間にやって来るのです。
こうして2人は、楓が日奈々のいる世界に入って来るという構造をベースにして物語を展開していきます。
だからこそ、彼が突然彼女の学校にやって来て靴を手渡したり、彼女の幼馴染の誕生日パーティーに現れたりというベクトルが目立つわけですね。
しかし、ここで少しプロットの転換がありまして、日奈々が楓の世界に足を踏み入れるというシーンがあるんです。
ここで彼女は、楓が内田柊という美人の女優とキスをしてしまうシーンの撮影を目撃してしまいます。
楓はこの映画内映画の撮影では抜群の演技を披露しており、その演技は、他の日奈々と一緒にいるシーンのそれとは違って見えました。
また内田柊という存在が、相対的に日奈々という存在の立ち位置を明確にしていたのも見事なプロットでした。
これが橋本環奈さんが単に演技が下手だったという偶発的な要素なのか、それとも作品としての意図なのかどうかは分かりません。
しかし、映画内映画の存在があることで、彼女の野暮ったい演技が日奈々が役者ではない普通の女の子であるという立ち位置を非常に明確にしてくれているわけですよ。
さらに言うと、楓を演じている片寄涼太さんも映画内映画の撮影シーンでは見事な表情や演技を見せているのに、なぜか他のシーンだと少し粗削りな演技を見せているんです。
これも実は、その後のシーンの何気ないセリフでその理由が説明されています。
2人が夜の境内を歩いているシーンで、楓は「俺は君のことだと割と余裕ないんで。」と告げているんですね。
つまり、映画では見事な演技を披露し、キスシーンもさらっと撮影してしまう彼が、スクリーンのこちら側の世界にいる日奈々と一緒にいると、そういったクールな振る舞いができなくなるという対比構造を演出しているわけです。
このように、偶発的要素らしきものと必然的要素にも見えるものが奇跡的な融合を果たし、本作にある種のメタ的な構造を作り出しているんですよ。
一時は、柊に楓を奪われそうになりますが、それでも必死に彼のことを愛そうとし、楓もその思いに応えようとします。
そして2人が仲直りをするシーンが、日奈々の家の玄関を舞台にして描かれましたが、このシーンも実はひと工夫されていました。
というのも、日奈々と楓が和解をしようと、お互いの思いを伝えあう場面で、玄関の段差を利用して2人の目線が同じ高さになるようにして撮影しているんですよ。
これまでは、どちらかと言うと国民的スターである楓が「上」で普通の女子高生である日奈々が「下」というような構造が見え透いていたのですが、ここで初めて2人は同じ目線の高さで思いを伝えあうのです。
ちょっとした演出なんですが、こういった部分も非常に見事だと思います。
2人の関係に入った亀裂から感動のフィナーレへ
(C)2019映画「午前0時、キスしに来てよ」製作委員会
本作の物語の大きな転調は、日奈々と楓の関係が週刊誌にスクープされるところから始まります。
面白いのは、日奈々という普通の女子高生が、週刊誌に撮られたことによりスクリーンやモニターの向こう側の存在になってしまったということではないでしょうか。
つまり、楓が彼女のいる「普通」の世界に入り込んでくるというアプローチで進んできた物語が、いつの間にか日奈々が楓のいる異世界に迷い込んでしまっていたのだという点をここで明らかにしたわけです。
そうして彼は、彼女のことを巻き込むことはできないのだと思い至り、彼女とは思う逢わない決断をするわけですが、その決別のシーンの舞台となったのは、奇しくも冒頭にも登場した名画座です。
この映画館という舞台装置は、ある種のスクリーンの向こう側の世界と我々の住む世界の「境界線」とも言えるのではないでしょうか。
だからこそ、冒頭に楓が日奈々の世界にやって来るという物語の表象として用いられたこの映画館という場所が、逆に彼女が自分のいた「普通」の生活に戻る選択をする場所としても用いられることに納得がいきます。
そうして、楓はスクリーンの向こう側の世界に戻り、国民的俳優の1人になるまで成長していき、一方の日奈々は普通の生活に戻り、そしてピアノを始めました。
また、もう1つ面白かったのが、「涙」というモチーフのリンクです。
冒頭に楓は撮影の中で、女性との別れのシーンを演じ、その際に「涙」を流していました。
一方の、日奈々は名画座で、映画を見ながら号泣していましたよね。
この冒頭での2人の「涙」は役者と観客という関係を非常に強調するものであることは自明です。
楓は役者として「涙」を流していたのであり、一方の日奈々は観客として「涙」を流していました。
しかし、終盤に2人の関係が週刊誌に出た際に、2人はお互いのことを思って「涙」を流します。
全くの別世界の住人だったわけですが、ここで2人の「涙」の重さが確かに一致するんですよね。
こういう2つの別世界にいた日奈々と楓の強い結びつきを感じさせるシーンや、お互いの道へと戻っていくシーンの演出も実に見事で、その点では称賛に値する演出が多かったように感じます。
そうして2人の物語は感動のフィナーレを迎えるわけですが、再会のシーンで映画館のスクリーンの前という場所を選ばなかったのは、英断だと思っています。
というのも、2人はもう映画の中のスターと普通の音大生という関係ではなく、1人の人間として向かい合わなければならないからです。
日奈々の現実の延長線上には確かに楓がいますし、楓の世界の延長線上にも日奈々がいます。
2人は同じ世界に生きる1組の男女として、純粋に惹かれ合い、そして結ばれます。
3年前、2人が描こうとした「シンデレラストーリー」は世間から許されず、バッシングを浴びた後に途絶えてしまいました。
それでも2人は自分たちだけの午前0時になっても終わらない新たな「シンデレラストーリー」う作り出し、前に進もうと誓うわけです。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『午前0時、キスしに来てよ』についてお話してきました。
もちろん映画として至らないなぁと思う点も多くありますが、それ以上に映画館という舞台装置の使い方や映画内映画を用いたメタ的な構造の生み出し方が見事だったので、個人的には称賛に値する映画だと思っています。
また、高校生と成人男性の恋愛を描く物語ということで、近年話題に挙がるようになった芸能人の未成年との交際問題についても思いを馳せてしまう内容でした。
東京との条例には『何人も、青少年(18歳未満の未成年)とみだらな性交又は性交類似行為を行つてはならない』という文言があります。
それこそ『PとJK』という作品では、成人の警察官と女子高生の恋愛を描いていましたが、2人は共に時間を過ごすために結婚という選択をしました。
つまり、未成年との交際問題とは言っても、相手と結婚を視野に入れた真剣な交際ないし婚約関係、結婚関係に至ってしまえば、罪に問われないと考えられているわけです。
だからこそ、本作『午前0時、キスしに来てよ』において、楓が彼女と交際するために「誰にも文句を言われない男」になろうと決めたのは、まさにこういった背景があるからだと思うんです。
というのも、彼は自分が音楽グループ上がりの俳優で、遊んでいそうなイメージを世間に持たせていたからこそ日奈々との関係も「真剣ではなく遊びなんでしょ?」というイメージを持たせてしまったのではないかと考えたのではないでしょうか。
役者という夢に真剣に向き合う姿勢を世間に見せることで、そのままの姿勢で1人の女性と向き合っているんだということを彼は認めてもらおうとしたんですね。
そう考えると、空白の3年間は映画では描かれませんが、その間の彼の努力を推し量り、涙がこぼれます。
2019年最後のスイーツ映画、ぜひ多くの人に見て欲しいですね。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。