みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ジュマンジ ネクストレベル』についてお話していこうと思います。
前作の『ジュマンジ ウェルカムトゥジャングル』はその年の個人的ワースト映画筆頭格と言っていいほどに失望させられた映画だったので、その続編にそれほど期待を持っていたわけではありません。
ただ、わざわざ続編を作るということは、興行目的だけではない物語的な勝算が何かしらあるのだろうと思っていました。
SONYが『スターウォーズ』最新作にぶつけてくるくらいに興行的に自信を持っているということですから、内容的にも相当自信があるのだろうと推察できますよね。
ただ、結論から言いますと、今作『ジュマンジ ネクストレベル』は、前作を遥かに上回る酷さだったと思います。
ただでさえ目新しさと革新性が0だった前作のほとんど焼き直しに近い状態で、何か面白い工夫があるのかと思いきや、キャラクターが入れ替わるという設定くらいのもので、変わり映えしません。
ということで、この調子で作品の感想を書いていきますので、批判的な論調になることが予想されます。予めご了承ください。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ジュマンジ ネクストレベル』
あらすじ
前作の出来事から2年が経過し、スペンサー、マーサ、フリッジ、ベサニーはそれぞれに大学に進学し、別々の道を歩んでいた。
ホリデーシーズンに突入し、故郷の街へと戻ってきた4人は、馴染みのレストランで再会する約束を立てる。
スペンサーとマーサの恋人関係は継続中ではあったが、「冷却期間」に入っており、少し距離を取っていた。
マーサ、フリッジ、ベサニーはレストランに集まり、楽しく会話をしていたのだが、スペンサーが一向にやってこないことに疑問を抱く。
その頃、彼の家では祖父のエディと、かつて共同で店を出店していた旧友のマイロが15年ぶりの再会を果たしていた。
エディは自分たちの店をマイロが売却してしまったことに強く憤りを感じており、それ以来疎遠になっていたのだ。
マーサたちは、スペンサーを探して、家にやって来るが、彼の姿はどこにも見当たらない。
すると地下室に、2年前にボウリングのボールで破壊したはずのゲーム「ジュマンジ」が起動されていた。
すぐさまスペンサーが再びゲームの中に入ったと悟った3人は、自分たちもゲームの中に入り彼を助けようと画策するが、思わぬトラブルが起きて・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:ジェイク・カスダン
- 脚本:ジェイク・カスダン & ジェフ・ピンクナー & スコット・ローゼンバーグ
- 撮影:ギュラ・パドス
- 編集:マーク・ヘルフリッチ & スティーブ・エドワーズ & タラ・ティムポーン
- 音楽:ヘンリー・ジャックマン
監督を務めたのは、前作『ジュマンジ ウェルカムトゥジャングル』や『SEXテープ』でお馴染みのジェイク・カスダンです。
大ヒットに導いたという点では、評価されるべき手腕だと思いますが、作品としては個人的には全くもって評価できなかったので、どうしても期待値は上がらないですね・・・。
脚本は、前作同様の3人が続投で担当しました。
その中でも、『アメイジングスパイダーマン2』や『ヴェノム』で知られるジェフ・ピンクナーが今回かなり自分の色を出していた印象は受けましたね。
ゲームキャラクターのブレイブストーンの内面を掘り下げてみたり、プロットよりはキャラクタームービーとしての路線を優先したりする様は先述の2つの作品に類似していました。
撮影には前作や『メイズランナー』シリーズに携わってきたギュラ・パドスが続投ですね。
編集の3人もこれまでジェイク・カスダン作品に関わってきた面々で構成されていて、前作とほとんど同じメンバーですよね。
- スモルダー・ブレイブストーン:ドウェイン・ジョンソン
- シェリー・オベロン教授:ジャック・ブラック
- ムース・フィンバー:ケビン・ハート
- ルビー・ラウンドハウス:カレン・ギラン
- シープレーン:ニック・ジョナス
- フリートフット:オークワフィナ
- スペンサー:アレックス・ウルフ
- マーサ:モーガン・ターナー
- フリッジ:サーダリウス・ブレイン
- ベサニー:マディソン・アイスマン
- マイロ・ウォーカー:ダニー・グローバー
- エディ:ダニー・デビート
- アレックス:コリン・ハンクス
基本的にキャストは前作からの続投ですね。
新キャラクターのマイロ・ウォーカー役には『リーサルウェポン』シリーズのダニー・グローバーが起用されました。
個々まで老け込んだ彼の姿を見るのは、少し寂しい気持ちはありますよね。
そして同じく数々の名作に出演してきた名優のダニー・デビートがエディ役で起用されました。
また、ゲームのアバターとしても新しい顔ぶれが増えていて、盗みのスキルに長けたフリートフットの役を『オーシャンズ8』などでも知られるオークワフィナが演じました。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!
『ジュマンジ ネクストレベル』感想・解説(ネタバレあり)
目新しさはなく新キャラクターも逆効果
©2019 Sony Pictures Digital Productions Inc. All rights reserved
当ブログ管理人は前作『ジュマンジ ウェルカム・トゥ・ジャングル』については酷評しております。
というのも、こういう続編の作り方にはチャレンジングな姿勢が全く感じられないと思ったからです。
まず、オリジナル版の『ジュマンジ』と比較して、視覚的な目新しさに乏しいことは1つ大きな問題だったと言えるでしょうか。
もちろん、ゲームの中からゲームの世界の産物が現実世界に飛び出してくるという物語の逆バージョンをやるわけですから、ある程度オリジナル版に制約を受けるのは分かります。
それにしても、せっかく現実世界から飛び出したゲーム世界というある意味「何でもあり」な世界にやって来たのに、舞台はジャングルですし、登場する動物やギミックもオリジナル版とあまり変わらないという有様でした。
また、物語そのものも『ブレックファストクラブ』のようなティーンものの焼き直しでしかなく、作品の中身はゲームや映画へのオマージュ要素だらけで、正直この映画が胸を張ってオリジナルだと言える部分はあるのかよ!と憤りを感じました。
わざわざ名作と呼ばれる作品を墓を掘り起こして復活させておいて、あんな出来栄えでは、オリジナル版に失礼じゃないか?とも思いますし、結果的にオリジナル版の遺産を食いつぶしただけで目新しさは特にありません。
そして、そんな前作の続編に位置づけられる本作『ジュマンジ ネクストレベル』は、はっきりと申し上げると、そんな既視感に満ちた前作の焼き直しに近い有様です。
まず、この作品って基本的にキャラクター映画でしかないんですが、それにしてもキャラクターの行動原理の掘り下げが激甘で、全くもって彼らの取る行動に共感できないというのが、本音です。
そもそも、スペンサーが2年前にあれほどのデスゲームを体験したのに、「ちょっとコンビニ行ってくるわ」くらいの感覚で、ジュマンジの世界の中に戻るという行動を選択することそのものが信じられないので、もう少し説明が欲しいと思いました。
前作の際にも指摘しましたが、この作品は、ゲームの世界という仮想世界を舞台にした作品なんですが、現実とのリンクを軽視しすぎなんですよね。
現実世界で抱えている問題をゲームの世界で解決するという基本コンセプトは間違っていないと思います。
自分たちの顔と顔を突き合わせてでは、語れないことや明かせない秘密をアバターだからこそ伝え合えるという設定は、現代のSNS社会の投影でもあるからです。
しかし、それにしても登場人物の行動に対する理由づけも甘ければ、その解決もゲーム世界でのちょっとした会話でサラッと済ませてしまうので、全くもってカタルシスが生まれません。
今回の新キャラクターとなったエディとマイロのストーリーについては、冒頭の現実世界パートである程度伏線になるような空白を示したり、2人の険悪な関係を明示できていたので良かったと思います。
一方で、スペンサーとマーサの描写は本当に雑で、2人が疎遠になっていった経緯もふわふわしている上に、雪山を上りながら少し会話をしただけで仲直りしてしまうという適当っぷりでした。
ラストのマイロが馬の自分を受け入れてジュマンジの世界に残るという展開は本当に謎で、劇中でその心情に至るプロセスが全く描かれないので、意味不明です。
『ジュマンジ ネクストレベル』という作品は、キャラクター映画ではあるのですが、あくまでもキャラクターたちはコメディ要因でしかなく、そのパーソナリティや個々人の抱える物語はさして掘り下げられないので、キャラクターに笑えるけども愛着は湧かないという微妙なラインなのです。
だからこそ新キャラクターのエディとマイロについても正直、老人がゲームを理解できないというジョークを連発したいがためのコメディ要因でしかないように見えましたし、ある程度ジョークをこすり倒すと、入れ替わりの術でお役御免にしてしまうという何とも残酷な起用のされ方をしていました。
しかも、この2人のキャラクターの存在は、序盤から中盤にかけてはほとんどノイズでしかなく、作品のテンポ感をひたすら悪くしているだけでした。
もちろんそのテンポの悪さをマイロというキャラクターのパーソナリティのせいにするというカウンターを披露してはいましたが、それにしても、異常なほどに話がスローペースで、会話シーンの演出にも相変わらず工夫がないので、退屈極まりないのです。
老人たちがゲームの世界について無知であるという点を、ジョークでしか使わないのは、どう考えても勿体ないと思いました。
老人たちがゲームの世界に無知だからこそ、先入観に縛られない行動がクリアに繋がるといった一幕を描くだけでも彼らの本作における存在意義はずいぶんと変わったはずです。
唯一良かった点としては、彼らのメインパートがつまらな過ぎたがために、前作のメインキャラクター4人が、前作と同じアバターに復帰して以降の物語のテンポ感の良さや会話のリズム感が引き立ったことでしょうか。
『ジュマンジ ウェルカム・トゥ・ジャングル』はある意味、キャラクター同士の掛け合いとジェットコースターのようなスピード感のある展開に支えられていたわけで、それらを根こそぎ刈り取ってしまったパートが延々と続くと、流石に見るに耐えない代物になってしまいますね。
そもそも物語のピントがぼやけている
『ジュマンジ ネクストレベル』は、先ほども言及してきたようにキャラクターの行動原理や心情の描写が甘いので、物語全体の作劇もぼんやりとした印象を与えます。
とりわけ本作はメインテーマを友情にするのか恋愛にするのか、どちらかに絞った方が良かったのではないかと思うんですよ。
今作からの新キャラクターであるエディとマイロは、簡単に言えば「いつまでも友情は変わらない」というテーマを描くためのキャラクターです。
特にはぶつかり合って、距離を取ることはあるかもしれないけれども、心の底では繋がっているし、いつまでも親友なんだと、人生の晩年を迎えた2人が、それを確かめ合う様は非常に美しかったと言えるでしょう。
ただ、その関係性をそのままスペンサーとマーサの恋愛関係とリンクさせるのは無理があるように思います。
本作は、エディとマイロが仲直りして寄り添い合うシーンを見ることが、スペンサーがマーサとの関係性を修復しようとするきっかけになっています。
ただ、友情と恋愛を同じものだと捉えて、物語を進行させるのは、いくらなんでも無理があると思いました。
しかも、関係性が決別した原因もエディとマイロは明確に1つの出来事を境にして喧嘩別れのようになっていたのに対して、スペンサーは自信がなくて勝手に距離を取っていただけです。
こういったディテールの違いを無視して、単純に2人の関係性の修復という表面的な部分だけをリンクさせて、「先人に学ぶ」的な描き方をしているのは、いくら何でも心情描写の放棄としか言いようがないでしょう。
しかも、若者世代の友情物語については、今作では全くと言っていいほどに掘り下げられることはありません。
そのため、エディとマイロの物語と、スペンサーとマーサの物語が水と油のように完全に分離してしまっていて、1つの映画として非常に散漫で、まとまりがないように見えるんですよ。
であれば、エディとマイロを登場させずに、距離を置いて疎遠になってしまった彼らがジュマンジの世界で少しずつ連帯を取り戻していくという主軸に絞って、もう少し心情の掘り下げやキャラクターの作りこみを丁寧にやっても良かったと思うんです。
とりあえず表面的に面白い設定だけを出しておいて、キャラクターをジョークに従属させるような本作のキャラクター造詣の仕方は、はっきり言って不誠実だと自分は思っています。
そして、物語のピントを一番ぼんやりさせたのは、やはりマイロが馬としてジュマンジの世界で生きる決断をしたことでしょうね。
だって、その後でエディの口から「年を取ることはギフト」という発言をさせて、年齢を積み重ねて、老いて死に向かって行くことは素晴らしいことなんだという本作の総括をさせているんですよ?
それにも関わらず、マイロが年齢を重ねて死を迎えることから逃げて、ジュマンジの世界で生きようとした展開を描いてしまったら台無しじゃないですか!?
作品のテーマは何なのか?そのための登場人物の配置、描写・演出は適切なのか?キャラクターの行動がテーマと矛盾するものではないか?
そういった当たり前のチェックがプロットを練る段階で本当にされているのか?という疑問符すらついてしまうような杜撰すぎる内容だったと思います。
映画やゲーム、オリジナル版『ジュマンジ』への言及
前作でも多くの映画やゲームへの言及がありましたが、今作『ジュマンジ ネクストレベル』でもちらほらと見受けられましたね。
当ブログ管理人は、あまりゲームには詳しくないので、映画へのオマージュネタをいくつかご紹介しましょう。
まず、序盤に登場するバギーでのダチョウの大群からの逃走シーンは完全に『ジュラシックパーク』からの引用ですね。
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『ジュラシックパーク』ではT-REXにバギーに乗った主人公たちが追われるシーンがあります。
ただ単にシチュエーションだけを引用しているわけではなく「Must go faster!」というセリフを引用していたり、サイドミラーで後方確認するショットなども踏襲しているのは面白いですね。
そしてこれは、比較的作品の後半になりますが、ブレイブストーン(スペンサー)が吊り橋を切断するシーンはスピルバーグ繋がりで『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』からの引用ですね。
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司祭モラ・ラムと信者たちによって吊り橋に追い込まれたインディが、吊り橋を切り落として逃亡を図るというシーンが同じく作品の終盤にあり、これと同じシチュエーションと行動を登場させました。
あとは、多くの人が気がついたであろう『ミッションインポッシブル』1作目へのオマージュネタですね。
イーサンが床に触れるとセンサーが反応して、セキュリティが反応してしまう部屋に侵入する際に、天井から宙吊りになってリストを奪取すべく悪戦苦闘します。
このシーンは、本作終盤のフリートフット(エディ)が金庫室へ侵入するシーンでそのまま使われていますね(笑)
さて、そして何より注目したいのは、やはりオリジナル版のキャラクターであるノラ・シェパードが登場したことですよね。
彼女が登場するということは、本作がオリジナル版の『ジュマンジ』から地続きの世界であることを明示しています。
ただ、1つ押さえておきたいのは、オリジナル版ではラストシーンで当初のタイムラインからの分岐が起こっている点ですよね。
ノラは、両親を亡くしたジュディとピーターを引き取って育てたことがきっかけで、ジュマンジの出来事に直面することになったわけですが、ラストで2人の両親が死なないタイムラインに物語が着地したのです。
そのため、今回『ジュマンジ ネクストレベル』に登場したノラは、オリジナル版とは違うタイムラインを生きてきた彼女だということになります。
今作のポストクレジットシーンで、次回作で描かれるのがリアルワールドでのジュマンジであるという事実が半ば明かされましたが、ノラはあくまでもオリジナル版で描かれたジュマンジの記憶を持っていないという点は、続編で意味を持ってくるのかもしれません。
リアルにゲームの世界が飛び出してい来るという展開は、まさしくオリジナル版そのものですが、それをどうアレンジして見せるのか。
ここまでの2作が凡庸なブロックバスターだっただけに次回作で挽回して欲しいという思いはありますね。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ジュマンジ ネクストレベル』についてお話してきました。
オリジナル版の『ジュマンジ』が大好きすぎるが故に、そこから何か新しいものを生み出してやろうという気概の欠如に怒りを感じたのが前作ですが、今作は単純に映画として出来が悪い印象が強いですね。
この映画は、結局ジョークを描きたいだけで、そこに従属する都合の良いキャラクターが登場するという意味では、確かに「キャラクター映画」ではあります。
しかし、その掘り下げが皆無に近いので、キャラクターに愛着が湧くかと聞かれると、全く湧かないのです。
確かにジャック・ブラックのコメディ俳優としての力はずば抜けていますから、彼の俳優としてのポテンシャルだけでも十分笑いは取れますよ。
しかし、キャラクターをそういった「ピエロ」的に扱うのは、どうしても誠実には感じられませんし、物語の中にキャラクターが息づいている感じがしません。
次作が作られることは間違いないでしょうが、作られるとしたら舞台はリアルワールドになることでしょう。
次作を見るかどうかは未定ですが、仮にも「ジュマンジ」の名前を使っている以上は、もう少し面白い映画作ってくださいよ・・・。
当ブログ管理人の切なる祈りでございます。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。