みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『フォードVSフェラーリ』についてお話していこうと思います。
劇場で鑑賞する映画作品を選ぶ基準に、「DVD鑑賞でも良いじゃん。」と思われないことというのは常々挙がるものではないかと思うのです。
その点では、2020年早々ではありますが、今年劇場で見ておくべき映画があるとすれば、本作『フォードVSフェラーリ』ではないでしょうか?
後程、詳しく書いていくのですが、本作は「絶対CGじゃん!」というような衝撃的な映像の大半を、何と実写で撮影しているのです!
やはり本物が生む臨場感というのは、何物にも代えがたいわけで、映画を見ていると、自分があのル・マンに参加したレースカーの操縦席にいるかのように錯覚するほどでした。
また、物語そのものもカーレースにそれほど詳しいわけでもない自分でも大いに楽しめる内容でしたし、予告編が想起させるような単純な「アメリカ万歳!」「フォード万歳!」テイストではありません。
むしろ1966年のル・マンに参加した元レーサーでカーデザイナーのキャロル・シェルビーと破天荒なレーサーのケン・マイルズにフォーカスしたヒューマンドラマとなっています。
脚色ありきですが、「企業VS職人」、「商業主義VS純粋な愛」といった構図も見え隠れしていて、日本で話題になった『下町ロケット』的な楽しみ方もできるのではないでしょうか?
今回は本作をぜひ多くの方により深く楽しんでいただけるように、映像的な素晴らしさと脚色面の妙についてお話していければと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となります。
史実をベースにした作品と言うこともあり、史実に言及しながら書いていきますので、作品を先入観なしで見たいという方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『フォードVSフェラーリ』
あらすじ
フォード・モーター社はゼネラルモーターズ(GM)との車の販売競争において旗色が悪くなり、一度は撤退していたレースカー事業への投資を再開することを決断する。
その際に、ヘンリー・フォード2世が目をつけたのが、イタリアでレースカーを主軸にし、ル・マンでも連戦連勝中だったフェラーリ社だった。
早速、フォード・モーター社はフェラーリ社の買収に乗り出し、エンツォ・フェラーリ氏も提案に乗り気だったが、レースカー部門の最終決定権の行方を巡り、折り合いがつかず、買収計画は失敗に終わる。
ヘンリー・フォード2世はフェラーリ社に激しい執念を燃やし、レースカーを自社開発して、ル・マンで優勝することを誓う。
そこでフォード・モーター社が招へいしたのが、元レーサーでカーデザイナーのキャロル・シェルビーという男だった。
シェルビーはかつてアストンマーチン社のレーサーとして活躍し、ル・マンを制した経験を持つ人物であった。
そんな彼が目をつけたのが、破天荒なレーサーのケン・マイルズだった。
2人はお互いに認め合い、フォード社の莫大な投資を受けて、急ピッチでレースカーの開発を進める。
順調かに思えた開発であったが、そこにフォード社の横槍が入り、2人の関係はこじれ、レースでも不調が続く・・・。
2人は、ル・マンでフェラーリ社に勝利することができるのか?
スタッフ・キャスト
- 監督:ジェームズ・マンゴールド
- 脚本:ジェズ・バターワース&ジョン=ヘンリー・バターワース&ジェイソン・ケラー
- 撮影:フェドン・パパマイケル
- 美術:フランソワ・オデュイ
- 編集:マイケル・マカスカー&アンドリュー・バックランド
- 音楽:マルコ・ベルトラミ&バック・サンダース
監督を務めたのは、『3時10分、決断のとき』や『ローガン』などで知られるジェームズ・マンゴールドです。
ヒーローの最期を描くということで、まさにヒーロー史に残る傑作と言える『ローガン』を手掛け、一気にその評価を高めた彼が、今作『フォードVSフェラーリ』を手掛けました。
今作は徹底した実物主義の上で製作され、圧倒的な臨場感を有した作品に仕上がっていると共に、『ローガン』を思わせるような2人の男の栄光と落日を描く作品にもなっています。
脚本には『ブラックスキャンダル』『007スペクター』で知られるジェズ・バターワースや『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のジョン=ヘンリー・バターワースらが参加し、脚色も交えながら丁寧な物語に仕上げられました。
撮影には、『3時10分、決断のとき』や『スノーホワイト』などで知られるフェドン・パパマイケルが起用され、その圧倒的な映像を支えました。
レーシングシーンのダイナミズムや臨場感を損なわない見事な編集で作品を支えたのは、マイケル・マカスカーらです。
音楽には『ローガン』などで知られるマルコ・ベルトラミと『ハートロッカー』などでもお馴染みのバック・サンダースが参加しています。
- キャロル・シェルビー:マット・デイモン
- ケン・マイルズ:クリスチャン・ベール
- リー・アイアコッカ:ジョン・バーンサル
- モリー・マイルズ:カトリーナ・バルフ
- ヘンリー・フォード2世:トレイシー・レッツ
- レオ・ビーブ:ジョシュ・ルーカス
- ピーター・マイルズ:ノア・ジュプ
- エンツォ・フェラーリ:レモ・ジローネ
第77回 ゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートされ、アカデミー賞でもノミネートは間違いないだろうと目されているのが、本作でケン・マイルズを演じたクリスチャン・ベールです。
彼は昔から役作りのためにかなり過酷な体重の増減をすることで有名でしたが、やはり役を自分に憑依させるタイプの凄まじい役者だと思います。
今作でもケン・マイルズというかなり癖のある役を演じていましたが、ぶっきらぼうさや破天荒さの中に見え隠れする彼の純粋なレースカーへの愛を見事に表現してくれました。
そしてもう1人好演が目立ったのがキャロル・シェルビーを演じたマット・デイモンですよね。
こちらは一見すると、商業主義に傾倒し、金儲けのことばかり考えていそうな男なのですが、その奥底にはレースに懸ける只ならぬ思いがあり、そのギャップを巧く引き出せていました。
その他にも注目の俳優陣が集結し、史実をベースにした本作を彩ります。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!
『フォードVSフェラーリ』感想・解説(ネタバレあり)
CGじゃない?圧倒的な映像を支えた実写主義
本作を観た人が、まず疑問に感じるのは、本作の圧倒的な映像たちが実際に撮影されたものなのかそれともVFX(CG)によって作られたものなのかというところでしょうか。
結論から申し上げますと、本作『フォードVSフェラーリ』はその映像の大半が実写で撮影されています。
監督のジェームズ・マンゴールドも撮影にあたってVFX(CG)を用いた箇所の大半は、「観客」であると語っています。
ということで、その点についてはVFX(CG)を用いて再現しているということですが、その他のレースシーンの大半は何と実際に撮影されているというのです!
例えば、再現が難しいであろうレーシングカーのクラッシュシーンはこのような方法で撮影されていたようです。
当時のレーシングカーを徹底的に再現し、あろうことかそれをロケットのようにぶっ飛ばして、大破させるという大盤振る舞いな撮影風景に思わず拍手を贈りたくなりますよね。
もちろんここにある程度の特殊効果やVFX(CG)の補正が入って実際のテイクになっていることとは思いますが、ここまでこだわりを見せたジェームズ・マンゴールド監督は流石です。
その他では、冒頭のキャロル・シェルビーが走っていたシーンのような悪天候の中でのドライブシーンについては、撮影した後に映像で処理して、効果を付与していますが、その他については基本的に実際に撮影しているようです。
こういったこだわりが、見る者に与えるのは、臨場感であり、そして自分がまさにル・マンのレースに参加しているかのように錯覚させるライブ感でもあります。
VFX(CG)で根本的な映像を作り上げていくとしても、ある程度実物考証や物理考証は為されるでしょうから、リアルに近い映像を作り上げることはできるでしょう。
しかし、レースというものは、自分のレーシングカーだけでなくほかのレーシングカーがいて初めて成立するものでもあります。
そのため、レーシングカー同士で行われる駆け引きや、コーナーでのドリフトからの追い抜き、そしてクラッシュや事故が他のレーシングカーにどんな影響を与えるかなどは、実際に車を走らせて撮影することでしか得られないディテールの積み重ねです。
そのディテールを溢すことがないように、ジェームズ・マンゴールド監督は徹底的な実物主義を貫き、それが本作の圧倒的なまでの「ライブ感」を生み出しています。
自分がレーシングカーの操縦席に座っているように錯覚するのは、自分の車(ケン・マイルズのレーシングカー)が他の車に与えている影響と、他の車から自分の車の与えられている影響がはっきりと表現されているからなのです。
そんな没入感とライブ感あふれる映像だからこそ、本作は映画館で見て欲しいですし、できるだけ音響や映像設備の良い劇場で鑑賞していただきたいのです。
映像もそうですが、音響にも本作は並々ならぬこだわりを見せていて、自分が1966年のル・マンにタイムスリップしたかのように四方八方からエンジン音が駆け抜け、どよめきと歓声が沸きます。
2020年映画館での最初の1本はぜひ『フォードVSフェラーリ』に!
史実と映画の共通点や差異を検証
(C)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation
本作『フォードVSフェラーリ』は史実をベースにした作品ではありますが、もちろん100%史実通りに映画化したというわけではありません。
どのあたりは史実通りなのかということですが、代表的なものを以下にリストアップしてみました。
- フォード社がフェラーリ社を買収しようとしていた
- ヘンリーフォード2世がフェラーリ社に激怒し、レーシングカーに多額の投資をした
- キャロル・シェルビーは持病の心臓疾患があり、ル・マンを制覇した後にレーサーから退いた
- 1964年と1965年にフォードのGT40は完走すらできずにフェラーリに敗北している
- ヘンリーフォード2世が1966年のル・マンでスターターを務めた
- フォード社のGT40がル・マンの最中にグレーゾーンとも言われるブレーキの交換を実施した
- フォード社が圧倒的にリードしていたケン・マイルズにスピードを落とすよう要請した
- スタートした位置の関係で、ケン・マイルズは優勝できず、2位となってしまった
- ケン・マイルズはル・マン後のGT40マーク2のテスト運転中に命を落とした
このあたりの史実との整合性についてはAmazonPrimeで配信中のドキュメンタリー映画『24時間戦争』などを見ておくと、分かりやすいと思います。
では逆に、史実ではなく脚色されていたのは、どの部分なのでしょうか?
- キャロル・シェルビーとケン・マイルズばかりがGT40に貢献していたわけではない
- キャロル・シェルビーがヘンリーフォード2世をレーシングカーに乗せて、ドライブし、号泣させた
- レオ・ビーブがケン・マイルズと対立し、ル・マンに送ることを拒んだ
- キャロル・シェルビーがケン・マイルズのために自分の会社を彼の1位に賭けた
このあたりについてはかなり脚色が入っている部分ということになります。
その内訳を見てみますと、大半がキャロル・シェルビーとケン・マイルズの関係性を描くための脚色だということが分かりますよね。
まず1つ目についてですがドキュメンタリー映画の『24時間戦争』なんかを見ていても、GT40に最も貢献したのは、ショップマネジャーであり製造責任者であるフィル・レミントンという見方が多いのではないでしょうか。
もちろんケン・マイルズはテストドライバーとして非常に優秀であり、一度乗っただけでその車の問題点を指摘してみせたといいます。
次に2つ目のキャロル・シェルビーがヘンリーフォード2世をレーシングカーに乗せるシーンについてですが、これももちろん脚色で、実際にはケン・マイルズが運転していたのではないかと言われています。
そして『フォードVSフェラーリ』最大の脚色と言えるのが、ケン・マイルズがフォード社とりわけレオ・ビーブと激しく対立していたという設定です。
1965年のル・マンをケン・マイルズがガレージのラジオで妻と共に聞いていたシーンがありましたが、そもそも史実ベースでは彼は1965年のル・マンに参加していて、フェラーリ社に敗れています。
こういった対立が存在しないわけですから、当然4つ目に挙げたキャロル・シェルビーがフォード社と対立してまでケン・マイルズをドライバーにしようとしたというエピソードも脚色ということになります。
では、『フォードVSフェラーリ』はこういったいくつかの脚色を通じて何を目指していたのでしょうか?
それは次の3点だと私は感じました。
- 映画としてよりドラマチックな展開をもたらすこと
- バディムービーとして魅力ある作品に仕上げること
- 「商業主義VS純粋な愛」の戦いを描くこと
まず、映画として観客を惹きつけるものにするためには、ある程度物語的な起伏が必要になります。
『フォードVSフェラーリ』はそれを生み出すために、ケン・マイルズがル・マンに出場するまでの過程に、史実よりも過酷な障害を用意し、そのフラストレーションを利用しました。
1965年のル・マンにケン・マイルズが出場し、敗北していたという事実を描いても、もちろんスポ根的な挫折をばねにして成功する物語にはなると思いますが、彼の神的な風格を演出することはできません。
本作は、1965年のル・マンでフォード社が彼をドライバーとして採用しなかったがために、敗北したかのように演出することで、ケン・マイルズという男の存在を神格化することに成功しているのです。
史実通りに描くよりも、この方が、1966年のル・マンも際立ちますし、何より彼が命を落とすラストシーンがより一層エモーショナルで特別なものに感じられます。
また、キャロル・シェルビーとケン・マイルズの関係性を強調したことで、バディムービーとして確立されたことも大きいでしょう。
表面的には不器用で粗野な2人が、心の深いところでレーシングカーへの強い愛で繋がっていることが示唆されるシーンが幾度となく挿入され、物語は一層魅力的なものへと進化しました。
脚色が付与した商業主義VSレース愛の物語
(C)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation
そして何より「商業主義VS純粋な愛」の戦いとしての主題性が付与されたことも大きいでしょうか。
まず、キャロル・シェルビーとケン・マイルズを純粋な車への愛に燃える男たちとして位置づけ、フォード社のヘンリー・フォード2世やレオ・ビーブらを商業主義の権化のように描いています。
一方で、フェラーリ社のエンツォ・フェラーリもまた純粋に車に情熱と愛を注ぐ人物であるかのように描き、終盤に彼とケン・マイルズがアイコンタクトを交わすシーンを演出していました。
では、フォード社がなぜ商業主義に傾倒し、自社製品を売るために3台同時ゴールにこだわったのかの背景について解説しておきましょう。
フォード社はとある協定を結び、レーシングカー部門に参入しない取り決めを他のアメリカ国内の自動車メーカーたちと交わします。
しかし、それを守らなかったジェネラルモーター(GM)社がアメリカでシェアを次々に伸ばすという憂き目にあいました。
本作の劇中でも言及されていましたが、人々は常に勝ち馬に乗りたいわけですから、当然レースで買った車に乗りたいと願います。
だからこそフォード社は国内で失われつつあったシェアを取り戻すために、レーシングカー部門に再度参入せざるを得なかったのです。
つまり、フォード社がレーシングカーに取り組む理由の際たるものは、「月曜日の売り上げ」ということになります。
一方で、フェラーリ社の方針はフォード社とは真逆で、エンツォ・フェラーリ氏は常にレーシングカーにこだわっていました。
そのためレースで稼いだ金銭の大半をその開発に投じるという経営を続けており、それが原因で経営が苦しくなっていきました。
エンツォ・フェラーリ氏はレーシングカー開発を続けるために止むを得ず商業者の開発にも取り組むようになったのです。
つまり、フェラーリ社の方針は「月曜に売って、日曜に勝つ」だったわけですね。
この2社間の対立軸を強調するために、本作『フォードVSフェラーリ』はフォード社の商業主義への傾倒をリアルベースよりもかなり脚色して描きました。
そして、その対立軸の中にキャロル・シェルビーとケン・マイルズというキャラクターを落とし込むことで、「商業主義VS純粋な愛」の戦いとしての物語を確立したというわけです。
ただ、この「商業主義VS純粋な愛」の構図というのは、単純な二項対立ではありません。
「純粋な愛」だけを追求していても、その追求を続けられないことを実はエンツォ・フェラーリ氏が身をもって証明しています。
また、キャロル・シェルビーとケン・マイルズたちが思いのままにレーシングカーの開発をできたのも、フォード社の手厚いバックアップがあったからに他なりません。
つまり、商業主義と純粋な愛は対立するものであって、同時に支え合う関係でもあるということを忘れてはいけません。
本作『フォードVSフェラーリ』はケン・マイルズがレースの最中に悟りを開いたかのように、その境地へと至り、フォードの3台同時ゴールのためにスピードを落とすシーンでもってその二項の融和を描いています。
しかし、そんな柵から逃れようとしたケン・マイルズは最終的にスピードの向こう側へと辿り着き、そして命を落としてしまいます。
きっと映画監督を初めとする芸術に携わる人たちもそうですが、誰だって商業主義やマーケティングといったものを煩わしいと思うはずですし、「芸術の敵」のように認識してしまうはずです。
ただ、自分の芸術を追求していくためには、やはり資金を調達しなければならないわけで、その点で商業主義やマーケティングの力を借りずにはいられないわけです。
それでも、時折私たちの世界には、そういった柵にとらわれることなく、とんでもないスピードで駆け抜けていく神的存在が現れます。
ケン・マイルズはその1人だったのだと思いますし、だからこそジェームズ・マンゴールド監督は映画に携わる人間の1人として彼に憧れと敬意を抱き、このような脚色をした上で、あのラストを演出したのだと思っています。
『ローガン』の終盤を思わせるような、本作のラストは車への純粋な愛を貫いた者への敬意に満ちていました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『フォードVSフェラーリ』についてお話してきました。
原案の1つともされるのはA・J・ベイムの著書だということですので、ぜひこちらをチェックしてみてください。
ちなみに正式な原作本扱いではありません。
元々ジョセフ・コシンスキーが監督で、トムクルーズ×ブラットピットでこのフォードとフェラーリの戦いを描く作品を映画化する企画が動いていたようで、結果的にそれがお蔵入りになってしまい、今回の『フォードVSフェラーリ』の映画化企画が新たに動き出すこととなったのです。
A・J・ベイムの著書は、そちらの以前に動いていた企画時には原作扱いだったようですが、今回はそうではないので注意が必要です。
また、過去にル・マンを扱った映画としてスティーヴ・マックイーンが出演したことでも知られる『栄光のル・マン』があります。
こちらを見ておくと、より一層『フォードVSフェラーリ』が楽しめると思いますので、ぜひチェックしてみてください。
近年、Netflixなどのサービスの登場も相まって、劇場での映画鑑賞から遠ざかる傾向があるようですが、本作はその映像と音響をぜひ劇場で体感して欲しいと思っています。
1900円の一般料金を払う価値がある作品だと当ブログ管理人は自信をもっておすすめします。
そしてできることであれば、IMAXシアターやドルビーシネマなどのより良い映像や音響の設備があるところで鑑賞してください。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。