【ネタバレあり】『ジョジョラビット』感想・解説:コメディでナチスを描くことの難しさ

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『ジョジョラビット』についてお話していこうと思います。

ナガ
アカデミー賞作品賞にもノミネートされ、世界で高く評価されている作品ですね!

第44回トロント国際映画祭でも観客賞を受賞し、ゴールデングローブ賞でもノミネートされるなど、今年度の賞レースの中心にいる作品と言えるのではないでしょうか。

ただ、私個人として、この作品をどうしても手放しで称賛することは難しいという印象は受けました。

子どもの視点でナチスやヒトラー、第2次世界大戦を描くという点で、非常に趣向が凝らされており、見事な作品ではあるのですが、そのコメディやジョークの部分がズレていると感じてしまったのが大きいでしょうか。

そのため、賛と否が自分の中で50:50の状態で渦巻いているような、そんな感触です。

今回は、そんな『ジョジョラビット』について自分の中にある賛否両方の意見を書いていけたらと考えています。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含んでおりますので、作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『ジョジョラビット』

あらすじ

第2次世界大戦下のドイツに暮らす10歳のジョジョは、青少年集団「ヒトラーユーゲント」に加入し、戦場に行くための訓練をするようになる。

しかし、臆病な性格の彼は、訓練に積極的になることができず、戦闘訓練でも逃げ回っていました。

そんなある日、彼は他の子どもたちの前で、うさぎを手渡され、それを殺害するように命じられます。

うさぎを殺すことに強い葛藤を抱いたジョジョは、うさぎを逃がそうとしたため、臆病な動物であるウサギと重ねられ、「ジョジョラビット」とからかわれることとなります。

彼はイマジナリーフレンドの「アドルフ」に勇気づけられ、自分が勇敢であると証明しようとして、教官が持っていた手榴弾を奪い、投げるのですが、それが足元に落下し、爆発。その結果怪我を負って「ヒトラーユーゲント」から退くこととになってしまいました。

家に戻り、母親のロージーと2人で暮らすようになった彼は、ある日、家の屋根裏から不思議な物音を耳にします。

不審に思ったジョジョが屋根裏を覗くと、そこには何とユダヤ人の少女が隠れていたのです・・・。

 

スタッフ・キャスト

スタッフ
  • 監督:タイカ・ワイティティ
  • 脚本:タイカ・ワイティティ
  • 撮影:ミハイ・マライメア・Jr.
  • 美術:ラ・ビンセント
  • 衣装:マイェス・C・ルベオ
  • 編集:トム・イーグルス
  • 音楽:マイケル・ジアッキノ
ナガ
『ソー ラグナロク』のタイカ・ワイティティの新作だね!

『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』で知名度を高め、MCUでも屈指の高評価を受けている『ソー ラグナロク』を手掛けたタイカ・ワイティティの新作となります。

コメディ映画作家として非常に優れていると思いますし、MCUにそのセンスを持ち込んで成功していることからも、今後より注目されていく映画監督であることは間違いないでしょう。

監督賞こそ逃しましたが、今回は脚本賞にノミネートされており、その実力は既に高く評価されています。

撮影には、『ザ・マスター』ミハイ・マライメア・Jr.が起用されました。

その他にもアカデミー賞では、編集や美術、衣装デザインが高評価されており、それぞれトム・イーグルスラ・ビンセントマイェス・C・ルベオが起用されました。

特に、ビビッドなカラーを散りばめながらも、当時のドイツの街や家屋を見事に演出した美術は高く評価されており、受賞が期待されていますね。

音楽には近年ディズニー映画、MCUで御用達となっているマイケル・ジアッキノが起用されており、コミカルなテイストの作品に見事にマッチした劇伴を作り上げています。

キャスト
  • ジョジョ:ローマン・グリフィン・デイビス
  • エルサ:トーマシン・マッケンジー
  • アドルフ:タイカ・ワイティティ
  • ミス・ラーム:レベル・ウィルソン
  • クレンツェンドルフ大尉:サム・ロックウェル
  • ロージー:スカーレット・ヨハンソン
ナガ
やっぱりスカーレット・ヨハンソンは圧巻でしたね!

主人公のジョジョ役には、ローマン・グリフィン・デイビスが、ユダヤ人の少女エルサ役にはトーマシン・マッケンジーが起用されました。彼女はNetflix映画の『KING』にも出演していますね。

そして作中において道化の様に登場するアドルフ(・ヒトラー)の役を監督のタイカ・ワイティティが自ら演じました。

また、ヒトラーユーゲントで働いているミス・ラーム役を、『ピッチパーフェクト』シリーズレベル・ウィルソンが担当しています。

そして何と言っても脇を固めるサム・ロックウェルスカーレット・ヨハンソンの好演が目立ちました。

特にスカーレット・ヨハンソンは今作での演技により、アカデミー賞助演女優賞にもノミネートされています。

より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!

ナガ
ぜひぜひ劇場でご覧ください!



『ジョジョラビット』感想・解説(ネタバレあり)

子どもの視点から切り取る戦争映画として

(C)2019 Twentieth Century Fox

当ブログ管理人が見てきた戦争映画の中にも、子どもの視点で戦争を描いた作品は多くあります。

本作『ジョジョラビット』を見ていて、頭に浮かんだのは『ライフイズビューティフル』よりもむしろ『禁じられた遊び』『ブリキの太鼓』の方だったように思います。

ナガ
どちらも映画史に残る名作と名高い作品ですね!

前者は、2人の少年少女が死んだ動物たちを埋葬し十字架を立て神に祈りをささげることで、彼らの魂を供養することに没頭する様子を描きます。

しかし、その目的自体は崇高である一方で、彼らは教会や他人の墓から十字架を盗むという犯罪行為を働いてしまい、それが結果的に両親にっ画することで断罪されるという展開です。

この作品は、子どもの無邪気な行動を媒介とし、崇高な目的のために正当化される「手段」を批判することを通じて、戦争という暴力が手段のために用いられることを暗に批判しています。

一方の『ブリキの太鼓』は、これまた一風変わった戦争映画であり、子どもの視点から見た戦争映画というよりは、子供と大人の境界にいる主人公から見たドイツ社会と戦争についての作品であると言えるでしょうか。

この作品の主人公であるオスカルという青年は、3歳の時に自分の身体的な成長を止めてしまい、そこから精神だけが大人になっているという歪な存在です。

彼は身体的に子どもであることから、周囲より子どもとして扱われる一方で、大人を酷く汚らわしいものであると認識しており、戦争という無益なものに傾倒する彼らを軽蔑しています。

この主人公の立ち位置やナチスに対する距離感や見方が、戦後ドイツの戦争罪の一端を有しながら、そこに無自覚なふりをしていたドイツ民衆の実像を見事に映し出していたのです。

このように、子どもの視点から見た戦争映画というのは、彼らの特異性や無邪気さから生まれる行動や視点を追体験することで、その向こう側に広がっている「戦争」の批判に繋がっているという構造が根幹に存在しています。

そして本作『ジョジョラビット』は、自宅に隠れていたユダヤ人の少女とナチスを信奉する10歳の少年のハートフルな交流を描く中で、戦争というものの無残さや、思想や人種を超えて人間が分かり合える可能性を提示しています。

コメディメイドな作風もさることながら、子どもの視点で描くという点にすごくこだわりを持って作られているのが素晴らしいと思います。

特にそれを感じたのは、ジョジョが母親のロージーがナチスによって処刑されてしまったことを悲しむシーンです。

普通に考えると、母親が死んでしまったのですから、その顔を映しておかないとと考えるのですが、本作では監督と衣装デザインスタッフが見事な仕事ぶりを披露してくれています。

ロージーは、一度見ると目に焼きついて離れないようなビビッドなファッションに身を包んでいるわけですが、この視覚的なインパクトがこのシーンに見事につながってきます。

ジョジョは子どもであり、まだ背丈が小さいために、吊るされた母親の足の部分しか抱きしめることができません。しかし、その足の部分を見るだけでも、彼が誰の亡骸を抱きしめているのかが分かるというのは、本当に素晴らしい演出だと思います。

加えて、このシーンは「子ども」の視点から見た等身大の悲劇を描いており、だからこそ、母親の亡骸の足の部分だけが見えているカットに言いも知れぬ切なさと悲しみを抱いてしまいます。

こういった子ども視点での演出が全体を通して見事だったことは特筆すべき点です。

また、大人に教えられるのではなく、主人公のジョジョが自分自身の体験を通じて、ユダヤ人の少女を大切に思うようになるプロセスが丁寧に描かれており、個々も非常に見事でしたね。

 

近年のドイツやアメリカの状況を踏まえて

アメリカでトランプ大統領が今年に入ってから、イランに対して空爆をしたというニュースが飛び込んできました。

世界に再び戦争がもたらされるのではないかという緊張感がひりひりと漂っているわけですが、ハリウッド映画においては、やはりトランプ批判が1つのトレンドとなっています。

一方のドイツでも、近年メルケル首相の移民政策への反動として右派ポピュリストたちの政党である「ドイツのための選択肢」(AfD)が急速に勢力を伸ばしています。

「ドイツのための選択肢」(AfD)には、ネオナチ的な政治信条を有する党員もおり、そのこともあって、これまで「ナチス=絶対悪」という見方を貫いてきたドイツ国内が揺れているのです。

そんな状況だからこそ、今まさに私たちは「ナチス」について今一度思いを馳せてみる必要があるのだと思います。

その点で、日本でも2015年に公開された『帰ってきたヒトラー』は非常に重要な作品となりました。

この作品で、ヒトラーを演じたオリヴァー・マスッチは実際にヒトラーの姿で街に出て、市民にインタビューをしたそうなのですが、その際にこの国は再び「ヒトラー」を作り出してしまうのではないかという恐怖感も感じていたそうです。

そして現にそんな傾向が、「ドイツのための選択肢」(AfD)の躍進という形で垣間見えている現状は危惧されるべきものでしょう。

この作品を見ていて、最も印象に残ったセリフは終盤にヨーキーがジョジョに告げたこの言葉でした。

It’s definitely not a good time to be a Nazi!(今はナチスにいるべき時では絶対にない。)

(映画『ジョジョラビット』より引用)

ナチスというものの恐ろしさは、本作『ジョジョラビット』でもその一端が描かれていましたが、国民がヒトラーに熱狂する空気にほだされ、受動的にというよりもむしろ積極的にナチスを支持する傾向に走ったことです。

映画『ブリキの太鼓』の監督を務めたフォルカー・シュレンドルフはコメンタリーの中で「自分たちもヒトラーに魅せられ、進んでヒトラーのその情熱の中に身をささげていったのだということを描き出した」として同作を著したギュンターグラスを称賛しています。

当時のドイツには、ジョジョエルサのようにユダヤ人の友人や恋人がいた人もたくさんいました。それでも彼らは社会に渦巻く空気に押し切られ、ナチスに傾いていったわけですよ。

なぜなら彼らにとっては「ナチスを支持する」のに「good time」だったからなんです。

現在の社会では、トランプを批判する傾向が強くむしろ「トランプを支持する」ことを表明するうえでは「good time」ではないですし、ドイツにおけるAfDも然りです。

しかし、時代が社会が変われば、そこに流れる空気も変化していきます。

言い換えると、社会にトランプを支持する風潮が増長していけば、市民は彼を支持するのに「good time」だと感じるわけで、どんどんと社会全体が傾いていくこともあるということです。

『ジョジョラビット』においては、大人に言われるがままに「ヒトラーユーゲント」に加入し、戦争へと向かって行く子どもたちがたくさん描かれています。

彼らはもはや妄信的にナチスやヒトラーを信奉しているわけで、そこに自分が立ち止まって考えて見るというプロセスが存在していないのです。

ナガ
ただ社会や周囲の人間に流されていくだけなんだよね・・・。

それこそが、危惧すべき点であり、私たちがナチスドイツの悲劇を繰り返さないために、自覚しておくべき点です。

周囲に流されず、自分の考えを持つこと。「good time」だからと社会の風潮に身を任せてしまわないリテラシーをきちんと持たなければなりません。

そういう意味でも、ジョジョが自分の体験や感覚の中で、ナチスに対する批判を見出していく点は、1つの模範となり得るでしょう。



ナチスを描くコメディの難しさ

(C)2019 Twentieth Century Fox

ただ冒頭にも書いたように、当ブログ管理人は本作を絶賛することはどうしてもできません。

ナチスを題材にした(したと言われている)コメディ映画は数多く存在しています。

先ほど挙げた『帰ってきたヒトラー』もそうですし、タランティーノの『イングロリアス・バスターズ』もそうでしょう。

The Atlanticが2015年に掲載された『帰ってきたヒトラー』に関する記事の中に、こんな一節があります。

While it takes courage to laugh in the face of evil, most Hitler parodies leave the audience laughing instead of facing evil.

Führer Humor: The Art of the Nazi Comedyより)

簡単に日本語訳をしておきますと、「悪に直面して笑うことには勇気が必要だが、たいていのヒトラーパロディは悪に直面させることなく、ただ観客を笑わせているだけである。」という内容です。

ヒトラーをパロディにしたコメディ映画の中でも最も有名なものの1つがチャップリン『独裁者』であることは間違いないがでしょう。

この作品は公開当時、賛否両論を巻き起こし、とりわけ独裁を軽視しているとして大きな批判を浴びました。

チャップリンは自身の著した晩年の伝記の中で、この件を振り返り、独裁軽視だ!などと言われた当時の批判を受け入れ、当時の自分はホロコーストの存在などをきちんと知らなかったのだと弁明をしています。

そして、自分がもしホロコーストの悲劇やナチスの脅威をきちんと把握していたならば、『独裁者』という作品を作ることはなかっただろうとも話したのです。

ナチスを題材にしてそこで単に笑いを取るだけの作品に陥ってしまうと、それは悪を笑って茶化すだけに終わってしまい、本末転倒ということになります。

昨年の年末のダウンタウンの出演する人気番組『ガキ使』で、吉本の闇営業に纏わる不祥事をネタにする一幕がありましたが、個人的にあれに不快感を感じたのも上記の理由です。

問題の根本に目を向けさせるために、コメディやパロディという手段を用いているのではなく、ただ単に批判を薄れさせ、笑ってうやむやにしてしまおうという姿勢が見えるからこそ看過できないものがありました。

『イングロリアス・バスターズ』はコメディメイドではありますが、ナチスが残酷であるという側面から目を背けることはありませんし、『帰ってきたヒトラー』はコメディアンとして復活したヒトラーが再び政界に返り咲こうとするプロセスそのものが風刺的です。

他にもナチスを題材にした映画の文脈で語られる作品に、ポール・バーホーベン監督のナチス・ドイツのプロパガンダ映画『意志の勝利』のパロディ映画『スターシップ・トゥルーパーズ』があります。

この作品もまた、当時はナチズム礼賛だという批判を浴びていましたが、この作品は「笑い」で観客を悪に仕立て上げる映画でした。

ナチスドイツを思わせる人間の軍隊が異形種を制圧していく戦争を描いており、かなりグロテスクで不謹慎な描写が目立ちますが、これを見ている時、観客は思わず笑ってしまうことでしょう。

しかし、本作そのものがプロパガンダ映画のパロディーだと明かされる結末が、観客の意識を目覚めさせ、それまで「笑って」いた自分自身に内在する「悪」を自覚せざるを得なくなるのです。

ただこれこそが「悪に直面させて笑わせる」というナチスやヒトラーを題材にしたコメディの本懐であると私は感じています。

この視点で考えてみた時に、果たして『ジョジョラビット』がそれに耐えうるコメディなのかという部分には、どうしても疑問が残ってしまいました。

もちろん本作が戦争に賛美的であるなんて言う批判が出るような作品ではないことは明白ですが、あまりにもジョークで観客を笑わせることに終始しすぎたがあまり、結局何がしたかったのかを見失っているような気がしました。

とりわけ本作は言語面における違和感が大きかったのですが、単にドイツ人の設定のキャラクターがドイツ語を書き、英語を話しているという違和感だけならタイカ・ワイティティ作品だしと許容できたかもしれません。

しかし、彼は明らかに本作において英語圏の俳優にドイツ語の変なアクセント交じりの英語を話させることを、ジョークの一環として作品に取り入れているように感じさせられます。

ナガ
これはどうしても笑えないね・・・。

ヒトラーという絶対悪やその熱狂に身を投じていった人たちをコメディに変えてしまうことは、今を生きる私たちに教訓をもたらすものであれば認められると思います。

しかし、その過程でドイツ語という言語そのものまでをコケにしてネタにすることが面白いと思っているなら、その点については疑問が残ります。

ナガ
これ仮にですが、日本の戦争映画で同じことをやられたらいくら何でも腹が立ちませんか・・・?

しかも物語の後半に、アメリカ軍がやって来ることもあって、半ば墓穴を掘っているような描写すら見られるのは、どういう意図なのかと・・・。

ジョークそのものに良識を疑うような内容や、あまりにもナチスドイツのステレオタイプ的な印象にとらわれ過ぎているもの、明らかな誇張など「とにかく笑えればそれで良い」的なスタンスが気になるものが鼻につき、どうしても笑えないことも多かったです。

そして本作『ジョジョラビット』について大きな問題だと感じたのは、「笑い」がただの笑いで終わってしまい、それが風刺として機能する場面があまりないことです。

ただナチスのイデオロギーを笑うだけでは、それは何のカウンターにもならず、更には今を生きる私たちにとっても何の教訓にもなりません。

本作は終盤の戦争シーンですらも笑いを取ってやろうという魂胆が見えるシーンを挿入してあるのですが、鑑賞する人にはたと戦争の悲惨さに気がつかせる機能を果たすはずのシーンまでもをネタにしてしまうのでは、私たちが「笑えなく」なる瞬間はいつ訪れるのでしょうか?

だからこそ私は本作が「悪に直面して笑うことには勇気が必要だが、たいていのヒトラーパロディは悪に直面させることなく、ただ観客を笑わせているだけである。」の問題に陥っていると感じざるを得ないのです。

特に今、日本やアメリカ、そしてあろうことかドイツでさえも、若者のホロコーストという歴史的事象についての認知度が低下傾向にあり、大きな問題となっています。

そんな社会において『ジョジョラビット』は本当に、ナチスを風刺した映画として機能し得るのでしょうか。

「ナチス=悪」という認識のもとに、単純にそれを笑って蹴り飛ばしてしまえば、終わりなのでしょうか。

実は、本作は「ヒトラーユーゲント」の描写を通じて、かなり恐ろしいことを提示しています。

「ヒトラーユーゲント」で活動している子どもたちはナチス式の教育を施され、ある種の洗脳を受けているわけですが、これは国家にイデオロギーを植えつけられることの恐怖をコミカルに描いたわけですよね。

子どもたちの中には、ボーイスカウトの指導者のようなヒトラーをそれぞれの内に植えつけられ、それが自分自身の思考を規定するものとして機能しています。

ナガ
それこそが本作における「アドルフ」ということだね!

この映画はそんな第2次世界大戦期のドイツに生きる人たちの中を渦巻いていたイデオロギーを笑って蹴り飛ばしてしまえというわけですよ。

しかし、現実はそうできなかった人が大半だったわけで、多くの人が国家の提唱する全体主義的なイデオロギーに巻きこまれて、ナチスドイツの悲劇が起こったわけです。

前述しましたが、ユダヤ人を友人や恋人に持っていた人ですらも、このイデオロギーに身を委ねてしまうほどのパワーがあったんですよ。

終盤のヨーキーによる「good time」発言にもあるように、イデオロギーをばかばかしく思っていた人はもちろんいたと思いますが、それでも多くの子どもたちがそれを信奉することを「選んで」いたんですよ。

この点を軽視してしまうと、本作はナチスドイツを題材にしたコメディとして弱くなってしまうと思いますし、過去から何も学ぶものがない映画になってしまうと思います。

何というか、本作における「愛」に関するメッセージには、庶民の生活状況も知らずに宮殿で裕福な生活をしている女王が「パンがないなら、お菓子を食べれば良いじゃない。」と発言するのに近い、他人事感を感じずにはいられなかった自分がいました。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『ジョジョラビット』についてお話してきました。

子どもの視点から見た戦争を描く作品としては演出的にも素晴らしかったと思いますし、映画的には非常に評価したいところではあります。

ただ、どうしてもジョークの部分で引っかかってしまうことがあったのと、主人公が自分自身の中に植えつけられた「イデオロギー=アドルフ」と戦う物語を中心に据えた割に、その力をあまりに過小評価しているような部分が垣間見えました。

評判を見る限りでは、絶賛絶賛という印象は受けますが、題材が題材なだけに、一度立ち止まって冷静に考えておきたい作品ではあります。

一方で、冒頭でも少しだけ触れましたが、美術や衣装に非常にこだわりを感じる作品であり、映像もウェス・アンダーソン作品を思わせるような美しさがあります。

ナガ
ぜひぜひ劇場でご覧ください!

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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