みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね『ロマンスドール』についてお話していこうと思います。
「ままごとみたいな結婚をして・・・」というフレーズがすごく耳に残っていて、もうそれだけで映画を見ることが自分の中で確定していたんですよね・・・。
蒼井優さんのセクシーな姿に魅了されて・・・いえやはり批評性が高い作品だと思ったので!!(キリッ)
当ブログ管理人は結婚すらしていないのに、こういう夫婦が現実と理想の狭間で葛藤しながら、自分たちの「形」を見出していく物語が妙に好みなんですよ。
恋が終わり、そして愛も消えかけようとしている夫婦が、その先どんなこと頼りに繋がっていけるのか?というテーマは本当に答えがないですし、非常に考えさせられるテーマでもあります。
そして今回はまさに男性の「理想の容れ物」であるラブドールがモチーフとして登場することがキーになっている作品です。
夫婦生活とラブドールがどうリンクし、物語を紡いでいくのかにも要注目ですよね。
と、いろいろと考えていると、もう映画を待ちきれなくなってしまったので、とりあえずタナダユキさん著の原作を読んでみました。
今回はそんな原作のレビューを先に書かせていただいて、映画鑑賞後に追記する形で記事にさせていただければと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ロマンスドール』
あらすじ
美大で彫刻を学び、卒業するも就職に困り、フリーターをしていた北村哲雄は、先輩の誘いでラブドールを作る工場で働くこととなる。
当初は、ラブドールに対して偏見をもっていたが、シリコン製の新作に試行錯誤するうちに仕事にのめり込んでいった。
そんな時、シリコン製のドールの胸部の再現に悪戦苦闘していた哲雄は、モデル事務所に要請し、乳がん等で乳房を切除した人のために人工乳房を作るという名目で、生身の人間から型を取ることにした。
そこで彼の働く工場にやって来たのが園子という女性で、哲雄はそんな彼女に思わず一目惚れしてしまう。
思い切って告白したことが功を奏し、恋人関係になった2人は平穏な毎日を過ごし、やがて結婚することとなる。
しかし、哲雄は結婚する算段になっても、自分のラブドールを製作するという仕事についてはずっと隠し通していた。
彼は仕事にのめり込み、更には浮気を重ねるようになり、園子とは次第にセックスレスになっていく。
そんな時、園子が何かを隠しているらしいことを察知し、彼はその「秘密」を探り始めるのだが・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:タナダユキ
- 原作:タナダユキ
- 脚本:タナダユキ
- 撮影:大塚亮
- 照明:木村匡博
- 編集:宮島竜治
- 音楽:世武裕子
- 主題歌:never young beach
小説のあとがきに書いてあったのですが、元々タナダユキさんが映画化向けの企画として書いた話だったそうですね。
ただ、当時は映画化には至らず、結果的に先に書籍化の方の話が来たようで、小説として世に送り出したようです。
結果的に、少し遠回りをしつつもこの作品が映画化されるところまで辿り着いたのは、運命的なものを感じますね。
撮影には『ビジランテ』や『幼な子われらに生まれ』などのヒューマンドラマで人間の深い感情に迫ってきた大塚亮さんが起用されました。
証明には『先生、好きになってもいいですか?』や『パーフェクトワールド』などで繊細で淡い光の世界を作り出してきた木村匡博さんがクレジットされていますね。
編集には山崎貴監督作品でおなじみの宮島竜治さん、劇伴音楽には『羊と鋼の森』の世武裕子さんが加わりました。
- 北村哲雄:高橋一生
- 北村(小沢)園子:蒼井優
- 両角:浜野謙太
- ひろ子:三浦透子
- 原田:大倉孝二
- 久保田薫:ピエール瀧
原作からして、かなり濡れ場のシーンが多い映画であることに間違いはないのですが、そんな作品に個人的大好きな蒼井優さんが出演しているとあらば見に行くしかありません。
主演は高橋一生さんということになりますが、舞台挨拶にて、2人が“恥ずかしそうに”濡れ場を演じていたのが印象的だったという声が挙がっていました。
本作『ロマンスドール』においては、そういった場面が作品の根幹をなす要素として機能しているので、2人がどんな演技を見せてくれるのかにも注目です。
その他にも浜野謙太さんや三浦透子さんなど旬な俳優が出演し、大倉孝二さんやピエール瀧さんらが脇を固めています。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!
『ロマンスドール』感想・解説(ネタバレあり)
よくある夫婦のすれ違い話にラブドールをリンクさせる
(C)2019「ロマンスドール」製作委員会
本作『ロマンスドール』は、夫婦のパートだけを見ていくと、よくある夫婦のすれ違い譚の域を出ないと感じることでしょう。
仕事や不倫が原因で夫婦に距離ができ、そして次第にセックスレスになっていくというあまりにもリアルで、それでいてありふれた話だと思います。
しかし、本作は夫の哲雄がラブドールを作っているという設定があることで、そのありふれた物語を深く掘り下げることに成功しているのです。
そもそもラブドールというものは、主に男性の性的な欲求の対象として生み出された(近年女性用も作られていますが)わけですが、これはいわば自分の「理想」の投影なんですよね。
物言わぬドールは人間とは違って老化していくことはありませんし、性行為の求めに拒否をすることもなく、自分が求めるタイミングで自分の傍にいてくれます。
ただし、人間はそうはいきませんし、結婚してしまえば、尚更パートナーの「理想」とはかけ離れた姿や性格に触れていかなくてはなりません。
哲雄と園子は次第にセックスレスになり、それでも夫婦関係が目に見えて悪化していくことはないのですが、この時の心情を次のように語っています。
固い絆、という僕にしては珍しい言葉が頭に浮かんだ時、ありさえすれば何とかなるその絆というものを、僕たちは作り上げることすらしていないんじゃないだろうかという気になった。固い絆のない夫婦。夫婦という容れ物に入っているだけの、僕と園子。
(タナダユキ『ロマンスドール』より引用)
哲雄にとっての園子はきっと「理想」の妻なのであり、かけがえのない存在なのであり、これ以上は望めない存在なのだと思います。
しかし、彼は自分が彼女のことを知ろうとすればするほどに彼女が自分の「理想」からかけ離れていくのではないかと不安を感じ、もはやその距離を埋めていくことが難しくなってしまったんですよね。
それが故に、彼は園子と円満なままで距離を取り、不倫相手との逢瀬を重ねるようになってしまいます。
哲雄と園子はラブドールの製作過程で出会ったというのが、非常に重要なポイントだと思うのですが、彼は自分の妻を自分の「理想」という名の型に押し込んで、閉じ込めてしまったのだと読み取れます。
だからこそ先ほど引用した部分にもあるように、2人で語り、時にはぶつかり合いながら作り上げていく「固い絆」というものを作ろうとすらせずに、哲雄の「理想」の容れ物になっているだけの夫婦になってしまったんですね。
新しい素材によるより人間に近い完璧なラブドールを作ろうとする仕事のパートと、自分の理想を体現する完璧な妻を理想のままで留めおきたいという夫婦のパートが絶妙にリンクすることで『ロマンスドール』は夫婦の葛藤や問題を見事に浮き彫りにしています。
そんな物語が突如として動き始めるのは、2人がお互いに隠していた(隠していたつもり)だった秘密が明るみに出るところからでしょう。
理想の容れ物としてのパートナーとその解放
(C)2019「ロマンスドール」製作委員会
『ロマンスドール』では、中盤を過ぎたあたりで大きく物語が転調していく方向に動きます。
そのキーとなっているのが、2人がお互いに打ち明けることなく隠していた秘密ですよね。
哲雄にとっての秘密は自分が不倫していることもそうですが、職業がラブドール職人であるということです。
一方で、園子はガンを患っているという秘密をずっと彼に対して打ち明けることはありませんでした。
2人は「離婚」という道を選びそうになるのですが、そこで彼の不倫が思わぬ形で明るみにでたり、園子もまた不倫をしていたことが発覚したりと状況が変わってきます。
加えて、哲雄は自分の職業のことを、そして園子は自分がガンを患っていることを伝え、これまで明かすことのなかった「秘密」を共有する関係になりました。
これらの「秘密」はきっと「理想」の夫婦を作っていく上で「余計なモノ」だったのであり、哲雄は妻に気を遣って自分の職業を明かせず、園子もまた彼を思うと病気のことを言い出せませんでした。
お互いがお互いに相手の思う「理想」の自分を取り繕い、守ろうとしてたために生まれた「秘密」をここでようやく解き放ち、それでもなお2人は離婚をしないという決断を下すのです。
ここで、2人はようやく夫婦としての関係を始めることができたのだと実感しますね。
穏やかな日々が流れる中で、2人は長年寄り添った老夫婦と花見の場で出会い、彼らのこの言葉に感銘を受けています。
「毎年同じに見える桜の木もね。ようく見ると、なんとなく毎年違うんですよ。新しい枝が生えていたり、花の数が増えていたり。少しずつなんだけど。」
(タナダユキ『ロマンスドール』より引用)
穏やかな毎日の中で、日常の何気ないことを楽しみながら生きていくことが、夫婦として寄り添うことなのかもしれないと考えさせられ、同時に2人もそんな夫婦に憧れを抱くようになっていきます。
しかし、そんな日々が長くは続かず、園子はガンがどんどんと転移し、余命がわずかであることを告げられてしまいます。
すると、園子は治療に専念するわけでもなく、毎日のように哲雄に性行為を求めるようになり、そしてラブドールの新作に苦悩していた彼に「わたしをつくって」と懇願するようになるのです。
園子は自分が添い遂げることが叶わないからこそ、何らかの形で彼の傍に残りたいと思ったのだと思います。
「憶えているばっかりじゃ、哀しいこともあるもの」
(タナダユキ『ロマンスドール』より引用)
しばしば映画や小説の中では、記憶や思い出の中に永遠に残ることが美徳のように語られますが、園子はそれに懐疑的な視線を向けています。
だからこそ、彼女はそういった記憶や思い出の中に留まるだけではなく、自分を模したラブドールという形で実体として残されることを望んだのかもしれません。
彼女の死後、哲雄は悲しむ暇も惜しんで、妻を模したラブドール制作に取り掛かり、長い時間をかけ、そして全てのパーツにこだわり抜きました。
何だかこの時の彼の様子は、自分の娘が火刑に処されるのを見ながら屏風を描く芥川龍之介の『地獄変』に登場する絵師を見ているような感覚すらありましたね。
自分が見た妻を、触れた妻を、そして1つになった妻を想い、それを完全に再現しようと試みる彼の姿は傍から見ると異常です。
その結果として、園子さながらのドールが完成するわけですが、彼はそのサンプル版を初めて使った夜に、ようやく自分の妻の死を実感することとなります。
彼は彼女そっくりのドールを作り上げて初めて、当たり前のことに気がつくのです。
ドールは、ドールでしかない。そしてドールであるべきものだ。僕が作ったのは園子じゃない。人形だ。
(タナダユキ『ロマンスドール』より引用)
哲雄は自分の理想を具現化する存在である園子の1番美しかった時の姿を、ドールで完全に再現すれば、彼女がこれからもずっと自分の傍にいてくれると心のどこかで信じていたのかもしれません。
しかし、ドールとはあくまでも「理想の容れ物」であり、妻はそうではありません。
物語の中でも描かれたように夫婦とは、「理想」が瓦解しても尚、お互いを想い、日々の些細な変化を楽しみながら添い遂げていくものと言えるでしょうか。
現実の園子は、「理想」を具現化する存在などではなく、1人の人間であり、その容姿は老化していき、不倫をし、そして病気を患います。
彼は、自分の「理想」の園子を具現化することで、初めて自分が添い遂げた女性が「理想の容れ物」などでは決してなかったのだという事実に気がつかされ、涙が止まらなくなるのです。
今作の中で、哲雄の先輩の離婚話が語られる一幕があるのですが、そこで印象的だったのは男が不倫をした結果別れ話になっているのに「やり直せないか。」と告げたのに対し、女性は「私を、楽にして」と返答した点です。
この言葉というのは、彼女が自分の夫の「容れ物」に入れられたままにされていることを息苦しく感じていることが表出したものと解釈できますよね。
だからこそ、彼は本作のラストシーンで海辺に佇み、彼女を想い、そして解放するのです。
海辺に転がる空気式のボロボロのダッチワイフが、このラストシーンにおいて印象的なモチーフとして登場することは指摘する必要があるでしょう。
このダッチワイフは、彼が作った本物そっくりのラブドールと対比的に扱われているわけで、まさに「理想」の真逆にいる物質と言えるかもしれません。
きっと、結婚し夫婦になり、生活をしていくということは、パートナーの「しぼんでボロボロになった空気人形」のような姿を見ていくということでもあります。
そんな自分の「理想」の型からはみ出したパートナーの姿を見た時に、それを「日常の変化」と捉えるのか、それとも「理想」との乖離と捉えるのかで、その後の関係性は大きく変化します。
本作のラストシーンで哲雄は、そんな前者の考え方を受け入れ、ようやく自分の「理想」という名の型から妻を解放することができたのだと思います。
そうして彼女と生きた「理想」とはほど遠い夫婦生活を愛おしく思いながら、生きていくのだと確かに感じさせてくれる結びとなっていました。
暖色系と寒色系の物と光を使い分けて
映画『ロマンスドール』の映像的な素晴らしさは、やはり色と光の使い方だったと思います。
特に暖色系の光と、寒色系の光を使い分けることで、哲雄と園子の夫婦の関係性の変化や感情の成り行きを映像の温度感で見る者に伝えようとしていた演出は見事だったと思います。
2人の心が通じあっている時、彼らの住んでいた部屋は温かな暖色系の光に包まれ、その映像から温かな温度を肌に感じることができます。
(C)2019「ロマンスドール」製作委員会
しかし、哲雄が仕事で忙しくなり、さらには不倫をしてしまうようになると、2人の関係はどんどんと崩壊していきます。
そしてついに園子が家から出て行こうとしたシーンでは、部屋は寒色系の光に包まれており、2人の関係が冷め切ってしまっていることを確かに感じることができますよね。
(C)2019「ロマンスドール」製作委員会
こういった光の使い分けで、映像の温度感を自由自在に操り、登場人物の心情や関係性を描写するのは、映画における重要なテクニックであり、本作は見事にそれを取り入れていました。
また、終盤の哲雄が「そのこ1号」を作り上げ、初めて抱いた夜に、それが「園子」とは全く別物であるとハッとされせられるシーンがありますが、これも非常に素晴らしい演出でしたね。
哲雄と園子が困難を乗り越え、そして再び夫婦の営みを再開しようと決めた夜、彼は最初に彼女に手で触れるんですよね。
(C)2019「ロマンスドール」製作委員会
彼女が「自分を作って欲しい」と願ったことも相まってですが、このシーンは冒頭の2人が出会ったきっかけのシーンを想起させます。
というのも、哲雄が最初に彼女の胸に手を触れたシーンが観客の頭の中にフラッシュバックするように意図されていて、そのためにこのシーンは2人が新しい夫婦の「形」を作り直すという意味で機能しています。
そして部屋の光に注目してみても、暖色系の暖かで優しい雰囲気を醸し出していますよね。
会社の物置は寒色系の冷たい光に満ちていて、そして「そのこ1号」は「園子」とそっくりではありますが、顔に生気は宿っていません。
あのハッとさせられるような一瞬を映像の積み重ねの中で生み出せたことは、この映画の1つの大きなストロングポイントになっていると感じました。
PG-12指定に感じた限界
今回の映画『ロマンスドール』は原作を読んでいた時点では、てっきりR-15指定だと思っていたのですが、まさかのPG-12指定だったので、驚きでした。
というのもこの作品は、非常に性行為の描写が多い作品であり、しかも胸については原作の描写のされ方からして、映さないことには始まらないだろうと推測していたので、まさかPG-12指定で徹底的に映さない仕上がりになっていることには驚かされました。
蒼井優さんが好きだから彼女の「脱いだ」演技が見たかったという次元の話ではなくて、単純に『ロマンスドール』は「身体性」が非常に重要な作品なのです。
ラブドールという人間を模した理想の容れ物と、生身の人間。この2つの対比が作品において非常に重要なテーマであることは自明ですよね。
そうであれば、ラブドールがほとんど全裸に近い「身体性」を見せている以上、それに対応する人間も同じような「身体性」を有しておく必要があります。
しかも、とりわけ本作の展開においてラブドールの胸部が1つ重要な要素となっていたわけですから、それに対応する人間が胸部を隠したままの状態というのは、本作のテーマを鑑みると映像的に不十分だと思います。
また、哲雄と浮気相手のひろ子の性行為を一切描写しなかったのも、個人的にはあまり納得がいっていません。
原作を読んでみると、彼はひろ子を抱くときに、妻である園子が他の男に抱かれている様を常に想像してしまうのだと描写されています。
理想を壊してしまうかもしれないという思いもあり、触れることができなくなっていった園子の「身体性」と、そして彼が手軽に手を出してしまうひろ子の「身体性」。もしくは性行為の違い。
こういった部分もデリケートではありますが、描写しておく必要があったと個人的には感じています。
映画版の『ロマンスドール』は確かに短い時間で夫婦の物語を綺麗にまとめたとは思いますが、その代わりに「身体性」や「生々しさ」を喪失してしまったように思いました。
映画の興行的な側面から見た時に、R-15指定を受けるような内容にしてしまうと鑑賞できる人の幅が狭くなってしまいますから、あまり配給側からするとやりたくないのは事実でしょう。
ただ『ロマンスドール』という作品は人間の「身体性」や性行為に非常に重要な意味を持たせている作品です。
だからこそそこから逃げないで欲しかったというのは、少し贅沢なのでしょうか・・・。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は『ロマンスドール』についてお話してきました。
夫婦生活を描いた物語としてはよくある話ではあるのですが、やはりラブドールというアイテムが介入することで、非常にエッジの効いた内容に仕上がっていますよね。
映画版が待ちきれなくて、原作を手に取りましたが、もちろん映画版の方も非常に楽しみですし、元々映画向けに書いていた物語だったということで、映像映えする場面も多く散りばめられています。
また、主演が高橋一生さんと蒼井優さんというのが絶妙ですよね。
この2人が主人公を演じるということで、期待が高まっているというのもあります。
また、映画版を鑑賞しましたら、記事の方を追記させていただきますので、読みに来ていただけますと幸いです。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。