みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ナイブズアウト』についてお話していこうと思います。
『スターウォーズ 最後のジェダイ』の監督を務め、当時大きな批判を浴びたライアンジョンソン監督ですが、今作でその評価を高めています。
アカデミー賞でも脚本賞にノミネートするなどし、非常に注目を集めていますね。
早速当ブログ管理人も鑑賞してきましたが、単純にビジュアルがアガサクリスティーを思わせるようなゴージャスな館ミステリであり、その古典的な魅力に引き込まれました。
そんな過去のミステリへの敬意を払いつつも、本作は非常に現代的なテーマを取り込みただロジックやトリックを解き明かして終わらない作品となっています。
ミステリ好きはもちろん、そうでない人でもシンプルに楽しめ、そして同時に深く考えさせられる内容になっていますので、是非チェックしていただきたいですね。
ちなみにタイトルとなっている『Knives Out』はRadioheadの同名の楽曲からの引用ではないかと思われます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ナイブズアウト』
あらすじ
世界的ミステリー作家ハーラン・スロンビーの85歳の誕生日パーティーが開かれ、彼の豪邸には家族や親しい知人らが集まった。
その夜、彼の家族はハーランと話し、何らや不満そうな様子を抱えていたり、口論になる一幕もあった。
そして何と翌朝、看護師のマルタがとやって来ると、彼は首をナイフで切り自殺していた。
家族は突然の父の自殺に騒然となりながらも、葬儀を終え、家へと戻る。するとそこには、他殺の線を疑う警察がやって来ていた。
さらに、捜査には匿名でこの事件の解決の依頼を受けていた探偵のブノワ・ブランがやって来ていた。
昨晩、屋敷にいた人物が全員第一容疑者とされ、個別に聞き取りの調査が始まると、徐々に彼らの嘘や父との軋轢が明らかになっていく。
父から会社の運転資金を借りていたリンダ。
彼女の夫で不倫をしていたことをハーランに見抜かれていたリチャード。
娘の学費を二重に父から受け取り、懐に入れていたジョニ。
父の書籍を管理し、出版する会社を任されるも、それを奪われそうになっているウォルト。
葬式にも顔を出さず、放蕩を続けているランサム。
そして勤勉に働き、スロンビー家から絶大な支持を得ていたウルグアイ系看護師のマルタ。
捜査が進むにつれて、彼らの秘めていた本性が明らかになり、物語は思わぬ方向へと転じていく・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:ライアン・ジョンソン
- 脚本:ライアン・ジョンソン
- 撮影:スティーブ・イェドリン
- 美術:デビッド・クランク
- 衣装:ジェニー・イーガン
- 編集:ボブ・ダクセイ
- 音楽:ネイサン・ジョンソン
当ブログ管理人は『スターウォーズ 最後のジェダイ』肯定派なので、それほど驚きはないのですが、あれだけ酷評を浴びたところから立ち上がって、これほどの出来栄えの作品を世に出してくるのは流石の一言です。
ライアン・ジョンソンは映画の画作りに関しては定評のある監督で、今作『ナイブズアウト』でもゴージャスな映像を全編にわたって貫きつつも、象徴的な構図や画を散りばめ、映像作品としても見ごたえがありました。
加えて今回は、アカデミー賞にノミネートされるなど脚本の面でも高く評価されています。
ミステリとしてもクラシカルで王道を行きつつも、そこに現代性を見事に内包させ、アップデートして見せました。
そんな映像を支えているのは、『LOOPER』の頃から、彼の作品で撮影監督を担当してきたスティーブ・イェドリンです。
美術には、『ザ・マスター』や『インヒアレント・ヴァイス』などでも知られるデビッド・クランク、編集にはこれまでのライアン・ジョンソン作品でもお馴染みのボブ・ダクセイが起用されています。
- ブノワ・ブラン:ダニエル・クレイグ
- ランサム・ドライズデール:クリス・エヴァンス
- マルタ・カブレラ:アナ・デ・アルマス
- リンダ・ドライズデール:ジェイミー・リー・カーティス
- ウォルト・スロンビー:マイケル・シャノン
- リチャード・ドライズデール:ドン・ジョンソン
- ジョニ・スロンビー:トニ・コレット
今回の謎を解く名探偵ブノワ・ブランを演じたのはダニエル・クレイグです。
『007』シリーズで知られており、硬派なイメージがかなり強い俳優ではありますが、『ローガンラッキー』のようなコミカルな役もこなせる俳優で、今回も絶妙なキャラを演じてくれました。
そして物語のキーとなるランサムをキャプテンアメリカでお馴染みのクリス・エヴァンスが演じています。
その他にも『ブレードランナー2049』で注目を集めたアナ・デ・アルマスや『ヘレディタリー』のトニ・コレット、『トゥルーライズ』のジェイミー・リー・カーティスなど豪華キャスト陣が集結しました。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!
『ナイブズアウト』感想・解説(ネタバレあり)
王道の古典的ミステリとして
今作『ナイブズアウト』は監督のライアン・ジョンソンが明言している通りで、アガサクリスティのミステリから多大な影響を受けた古典派ミステリの側面が強いです。
作品の諸要素を紐解いていくと、実に多くの点で彼女の作品から影響を受けていることが読み取れます。
例えば、今作に登場する探偵のブノワ・ブランは南部訛りの英語を話すという特徴がありますが、これは明らかにベルギー訛り(フランス語訛り)の英語を話すエルキュール・ポアロを意識しているでしょう。
そして物語の大まかな設定そのものは『アクロイド殺し』から強く影響を受けているように見えますね。
富豪が亡くなるという被害者設定であったり、事件に関わっているのが医療関係者であるという描写もそうでしょう。被害者の家族が次々に登場したり、遺産が話題に挙がったりする点も共通していると言えるかもしれません。
ちなみにアガサクリスティ自身も薬剤師の助手として勤務の経験があり、それが故に毒薬や薬剤に詳しくなり、それが作品のトリックに生かされているという背景があります。
そう考えると、本作の主人公でもあるマルタが看護師として薬剤をハーランに投与する立場にあったのは非常に面白い設定でした。
また、ポスターに注目してみると、非常に細かいオマージュネタがあったりもします。
Motion Picture Artwork (C) 2019 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.
実はこの「Knives Out」というタイトルロゴの書体がアガサクリスティ著の『カーテン』のオリジナル本と同じものになっているんです。
これについては、監督のライアン・ジョンソンがお気に入りの作品の1つとして『カーテン』を挙げているということもあり、確信犯的に取り入れているようにも感じられます。
館ミステリとしては、何と言ってもポアロのデビュー作でもある『スタイルズ荘の怪事件』に通じる点も多いのではないかと思います。
このように、ビジュアル面や設定面では、強くアガサクリスティの作品に影響を受けており、それが本作のゴシックで、クラシカルな雰囲気を作り上げるために一役買っていると言えるでしょう。
また、モダニズム探偵文学に限らず、ポストモダニズム探偵小説を代表するとも言われるトマス・ピンチョンの『重力の虹』が作中で話題に挙がるなど、多様なミステリからエッセンスを受け継いでいます。
ただ結果的には、こういった過去の作品の成果に甘んじることなく、本作『ナイブズアウト』は現代性を帯びた作品としてきちんとアップデートされています。
移民とその受け入れに垣間見える選民意識
今作『ナイブズアウト』はその主題性に言及しようとすると、どうしてもネタバレになってしまう部分があります。
ただ、どうしてもこの部分が素晴らしいということを熱く語らせていただきたいので、若干本作のミステリ部分のトリックに関わってくる内容になってしまうのですが、お話させていただければと思います。
本作の設定における肝になっているのが、主人公であり、あの家の看護師であったマルタがウルグアイ系の移民であるという点です。
もちろん彼女自身はビザを所得しており、きちんとした手続きの下にアメリカにやって来ているわけですが、彼女の母親はそうではありませんでした。つまり不法移民であるということですね。
それでも、ハーラン・スロンビーを初めとした彼の家族は温かく彼女のことを受け入れており、彼が亡くなった後も継続的に支援していきたいという意志を示していました。
しかし、結論から申し上げると、彼らはそんなことを心から思っているわけではありませんでしたよね。
彼らは父の遺産が自分たちではなく、マルタに相続されることが分かると、途端に態度を豹変させ、彼女を脅迫し、そしてあの手この手で相続を放棄させようと画策しました。
遺言が明かされるまでは、彼女のことを「家族」同然だと言っていた人たちが、突然牙をむき、罵り始めるのですからこれほど恐ろしいことはありません。
この一連の描写に垣間見えるのは、彼らが移民である彼女を支えたいと言っていたのは、あくまでも自分たちに主導権があり、施す側と施される側の関係性において、自分たちが前者の立場にいるからこそなのだと気がつかされます。
もっとはっきり言ってしまうのであれば、自分たちが彼女より上の立場であると自負しているからこそ、彼女に情けをかけてやることで、自分たちの善性を自画自賛したいだけなのです。
しかし、彼女が自分よりも資産を持っているという立場に急転してしまうとどうでしょう。
自分たちが上の立場であるという余裕は消え去り、途端に彼女を罵り、彼女の母親が不法移民であることを告発してでも引きずり下ろそうと足掻き始めるのです。
本心では強い差別心や排除意識を持っているにも関わらず、ある種の「金持ちの道楽」のように移民であるマルタを気にかけているあの家族の面々の異様さを見事に浮き彫りにしています。
同じ人間なのに、人種や生まれた国、環境、育ち、経済状況などの違いで、人はこうも相手を下に見ることができるのかという恐ろしさすら感じてしまいます。
とりわけ次の章でお話しますが、ハーラン・スロンビーの家族が経済的に成功しているのは、あくまでも彼の多大な遺産ありきであり、彼にお金をもらって子どもを大学に行かせ、会社を立ち上げ、そして彼の作品の管理で裕福になっている者もいます。
親のすねばかりを齧ってきた者ばかりにも関わらず、彼らは苦労して自分の道を必死に切り開いてきたマルタを下に見ています。
ここに透けて見えるのは、元々自分たちがイギリスから移民としてやって来て自分たちの国だと主張し、先住民を虐げて建国されたアメリカが、今南米からの移民に強硬姿勢を貫いている点です。
自分たちが元々移民から成る民族であったという事実を棚に上げ、危害を加える可能性がありかつ自分たちにとって不都合だからという理由で彼らを虐げています。
しかし、アメリカには奴隷を自分たちの国に労働力として持ち込んでいた過去もあるわけで、結局自分が絶対的に優位に立ててかつ、都合の良い存在であれば受け入れてやっても良いという意識が透けて見えているとも言えます。
だからこそ『ナイブズアウト』におけるあの屋敷は、もはや「アメリカ」そのものであると言っても過言ではないのです。
自分たちに都合の良い時は、外部からの移民や奴隷の流入を受け入れ、逆に都合が悪くなれば追い出そうとする。
そういう今のアメリカを今作は痛烈に批判しているとも言えますね。
生まれた環境で決まる人生とその転覆
Motion Picture Artwork (C) 2019 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.
そしてやはり本作『ナイブズアウト』の面白さは、単純にミステリとしてのトリック云々以上に、人間の上下がガラッとひっくり返ってしまう痛快な逆転劇にあると思います。
私たちの社会において親の経済状況は子どもの将来に大きな影響を与えているということが、様々な調査から自明のものとなって来ています。
もちろん両親が貧しくとも成功し、裕福になる人も大勢いますが、現実問題としてはそうなれないことの方が多いでしょう。
なぜなら、経済状況が困窮していると、教育にだってお金がかけられなくなるわけで、そうなるとそこの「環境」の部分で明確に富裕層とは差ができてしまうんですよね。
先日公開された韓国映画『パラサイト 半地下の家族』でも韓国において、今ある程度の大学を出た若者でも仕事がないという現状が描かれていて、さらには親の経済状況がそこに大きな影響を与えていることも明示されていました。
これは韓国で顕著とは言え、世界中で起きている問題であり、もちろん日本でもその傾向が強まりつつあります。
ハーラン・スロンビーの家族は、誰もが自分で1から何かを作り上げたというわけではなく、その恵まれた環境を最大限に利用し、富裕層を気取っているに過ぎません。
編集者を経営するウォルトも所詮は父の書籍を出版しているからこそ収益を上げられているだけで、特に彼自身の才能や技量故に成功したというわけでもありません。
ランサムは父からお金をもらうだけの放蕩息子であり、そのお金で高級車に乗り、豪華なディナーを食べています。また、ジョニは父からお金を娘の学費と称してかすめ取り、自分の懐に入れていました。
彼らは生まれた環境に恵まれていたに過ぎず、自分の力で努力して何かを勝ち取ってきたわけではないのです。
面白いのは、彼らはマルタを見下すにとどまらず、自分たちのことを棚に上げて、父から明確な資金的援助を受けて生活しているランサムを見下している点でしょう。
彼らは誰しもが親のすねを齧って活きているのに、自分だけはそうではないと思い込んでいるのです。
ハーラン・スロンビーはそんな自分に寄生するパラサイトのように生きる家族に不安を感じ、遺産を相続させない決断をすることで、彼らに自分の力で生きて欲しいと願ったのでしょう。
そうして彼は、ウルグアイ移民であり、その生まれた環境の逆境を必死に跳ね返して強く生きてきたマルタに遺産を相続しようと決断するのです。
彼女とハーラン・スロンビーの家族を隔てる決定的な差異は、自分の保身のために誰かを陥れたりしようとしないことなのかもしれません。
マルタは、ハーラン・スロンビーに誤ってモルヒネを投与してしまったと錯覚したときも、自分が罰を受けることを顧みず救急車を呼ぼうとしましたし、使用人のフランがモルヒネ中毒で苦しんでいる時も自分が疑われることも承知で警察と救急に電話をしました。
一方の家族の面々はと言うと、自分たちに相続権がないことが分かると、あの手この手で彼女を罵り、相続権を放棄させようと躍起になりました。
結果的にその人間性の差が、財産分与の決断に大きく関わったであろうことが伺えます。
マルタは自分の力で彼女の生まれでは到底手に入れられなかったであろう成功を勝ち取り、彼の家族は自分たちの力不足故に生まれながらに約束されていた成功を失いました。
そして何と言っても印象的なのがラストシーンですよね。
マルタは屋敷のテラスから「My house My rule My coffee」と印字されたマグカップでコーヒーを飲みながら、屋敷の外にいるハーランの家族を見下ろしています。
生まれた環境に甘え切っていた人間がその環境を奪われ、そしてその逆境を跳ね返した者に見下ろされる。
きっと彼女は相続したものを独占することはしないと思いますし、家族に財産の一部をきちんと分け与えることでしょう。
しかし、これまで施す側だった彼らが、施される側に転落してしまったというのは、何という皮肉でしょうか。
確かに私たちの社会においては生まれついた環境が、将来についてある程度の決定権を握ってしまっているという現状はあります。
ただ、その環境が人間の優劣を決めるわけでは決してないのだということは理解しておく必要がありますし、それが自分自身の価値そのものだと勘違いすることがあってなりません。
もちろん環境というアドバンテージを活かすことも才能であり、そこから自分の道を切り開いていく人だっています。
ハーラン・スロンビーは自分の家族には、そういう環境に甘んじない人間になって欲しかったんでしょうね。
だからこそ、マルタという少女に遺産を託すという行為を通じて、その意志を示そうとしたのでしょう。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ナイブズアウト』についてお話してきました。
ハーラン・スロンビーはきっと自分が喉にナイフを突き立てて死ぬときには、その後どんな展開になるのかの筋道が見えていたんだと思います。
だからこそ、自分の「遺作」のつもりで自分自身の死を演出し、同時にマルタが疑惑から逃れるようにと指示を出したのでしょう。
アガサクリスティらに代表されるクラシカルな雰囲気を受け継ぎながらも、そこに甘んじることなく現代性を宿らせ、近年の移民を取り巻く状況を見事に作品に落とし込んだライアン・ジョンソンの手腕には脱帽です。
アカデミー賞脚本賞ノミネートにふさわしい素晴らしい作品でした。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。