みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『his』についてお話していこうと思います。
映画を見ていて、心がこんなに揺さぶられたのは、久しぶりのことで、見終わってから呆然となりました。
同時にこういう作品に出会うために時間をかけて映画館に足を運び続けているんだなと実感し、嬉しくもありましたね。
予告編だけを見ていると、ゲイカップルの離婚調停譚という印象で、ある程度予想の範疇に収まる話だろうと思っていたんですが、本編を見ると、その認識が如何に甘かったかを痛感させられます。
今泉監督がアサダアツシさんとタッグを組んで作り上げたこの作品は、明らかに私たちが想像するLGBTQの物語のその先を描いています。
ハリウッド映画界では、ディズニー映画を中心にLGBTQや人種差別問題、ジェンダーの問題に対するカウンターが強く打ち出されています。
これはもちろんハリウッド映画界で、長らくこういった人たちが虐げられてきたという過去があるからであり、そういう意味ではもちろん重要なムーヴメントです。
しかし、カウンターはカウンターでしかないわけで、いずれ私たちはその次のステップを見据えていく必要があると思います。
そこの部分を考えていくにあたって、今作『his』は非常に重要な視点を与えてくれる1作になっていると感じました。
公開規模こそ小さいですが、ぜひ多くの人にご覧になっていただきたい作品です。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『his』
あらすじ
本作『his』はドラマシリーズが全5話で放送されていて、その続編的位置づけの作品となります。
ドラマシリーズでは、主人公2人の高校生時代の出会い~恋愛関係に至るまでの物語が描かれていて、映画版は2人の別れから始まる物語となっています。
もちろん時間があれば、見ておいた方が良いとは思いますが、映画版は映画版で1つの話として綺麗にまとまっているので、予習が必須だとは思いません。
映画版は、迅が大学卒業を控えた頃、渚が「一緒にいても将来が見えない」と別れを告げ、単身プロのサーファーになるためにオーストラリアへと向かうところから物語が始まります。
それから13年の年月が経過し、迅は仕事を止めて田舎に移住し、自給自足と物々交換でつつましく暮らしていた。
そこに渚が娘の空を連れて現れ、彼の家に居候させてほしいと強引に上がり込んできます。
渚はオーストラリアにいた頃に出会った妻と結婚し、子供も授かったのだが、自分がゲイであることの葛藤から逃れられず、結果的にそのことを打ち明けて離婚調停を始めたのだった。
当初は戸惑いを隠せない迅だったが、過去の忘れられない思いが蘇り、2人は13年越しの愛を取り戻していく。
そうして2人はいつしか自分たちで空を育てていきたいと願うようになるのだが・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:今泉力哉
- 脚本:アサダアツシ
- 撮影:猪本 雅三
- 編集:相良 直一郎
- 音楽:渡邊崇
- 主題歌:Sano ibuki
監督を務めるのは、今様々な作品に引っ張りだこの今泉力哉さんです。
昨年は、『愛がなんだ』『アイネクライネナハトムジーク』が公開されましたが、今年は既に公開されている作品も含めて4作品は公開されるという状態です。
そして脚本には、『ペンギン夫婦の作り方』などでも知られるアサダアツシさんです。
撮影と編集には、これまでにも今泉監督作品に携わってこられた猪本 雅三さんや相良 直一郎さんが起用されています。
主題歌は、昨年『ぼくらの7日間戦争』の主題歌と挿入歌を担当したことでも話題になったSano ibukiの『マリアロード』となっています。
- 井川迅:宮沢氷魚
- 日比野渚:藤原季節
- 日比野玲奈:松本若菜
- 日比野空:外村紗玖良
- 吉村美里:松本穂香
- 水野弁護士:堀部圭亮
- 桜井弁護士:戸田恵子
今作の主人公である2人の青年を演じたのは、宮沢氷魚さんと藤原季節さんです。
粗削りながらも光るところがある俳優だと感じましたし、特に宮沢氷魚さんは寡黙ながらも感情が伝わる演技でした。
あとは、弁護士役の2人が堀部圭亮さんと戸田恵子さんだったこともあり火曜サスペンス劇場感が滲み出ていたのは面白かったです。
他にも主人公の2人に手を差し伸べる役場の移住担当課に勤める女性を松本穂香さんが演じています。
『his』感想・解説(ネタバレあり)
本作の構成が暴く固定観念へのカウンターとしての固定観念
(C)2020 映画「his」製作委員会
今作『his』がこれほどまでに見る人の心を震わす内容になっていたのは、単にLGBTQを題材にしていたからと言うだけではないのは明白です。
本作の素晴らしさは、私たちは近年マイノリティの尊重という、これまでのステレオタイプに対するカウンターを重視しすぎるがあまり見失っているものに気づかせてくれる点だと思っています。
私たちの社会は状況は少しずつ変化してきているとはいえ、LGBTQの人たちにとってはまだまだ優しくないことには変わりありません。
『his』の中でも、主人公の2人が直面する困難を通じて、私たちの社会に根強く残る偏見や差別が描写されています。
迅は就職こそしましたが、彼の職場はLGBTQの人たちに対しての偏見がまだまだ残っており、そこに居づらさを感じた彼は結果的に退職して、田舎への移住を決めてしまいます。
渚は自分がゲイであることで社会に溶け込めないことに苦しみ、その状況を打破したいという思いも相まって、女性と結婚し、子どもを授かりました。
前者は社会における生きづらさから人との関わりから距離を置く生活を選び、後者は社会に迎合しようとする生き方を選んだというわけです。
そんな2人が、再会し共に暮らすようになるわけですが、社会は彼らには「優しく」ないわけで、裁判所では容赦なくゲイであることを差別され、田舎のコミュニティでもゲイが発覚したら排除されるのではないかと怯えて暮らすこととなります。
こういった状況は、マイノリティの人たちを題材にした作品であれば、どの作品でも描かれていることではあります。
ただ、今作『his』が構成的に非常に面白いのは、ゲイカップルが空を育てている生活を上手く行っているものとして描く一方で、女性である玲奈がシングルマザーとして子育てをしようとする様を上手くいかないものとして描いている点です。
こういう構成になっていることで、私たちは無意識的に性的マイノリティである迅と渚の方に肩入れしてしまうんですよ。
なぜなら玲奈の子育ては、明らかに上手く行っておらず、空は家を飛び出して渚の元へと向かって行く始末ですし、何より私たちはLGBTQの人たちを尊重しなければという意識が無意識的に働いてしまうからなんですよ。
つまり、私たちはこれまで偏見や差別の対象になっていた人たちを尊重しなければならない、従来のステレオタイプに縛られてはいけないと考えすぎるがあまり、新しい固定観念を作り出してしまっているとも言えるのです。
今作『his』における離婚調停が、仮に渚が女性に浮気して、その浮気相手と空を育てており、上手くいっているというものだったとしたらみなさんはどう感じるでしょうか?
きっとすぐに渚の方が身勝手だ!という意見に辿り着くと思いますし、玲奈の子育てが上手くいってなくても、シングルマザーは難しいし、まだまだこれからという意見になるのではないでしょうか。
しかし、渚がゲイであり、社会的に偏見や差別に晒されて苦労しているから尊重する必要があるという固定観念ゆえに、私たちはそういう当たり前のコンテクストを見落としてしまうんですよ。
あえて、渚たちの苦悩と葛藤を全面に描き、そして彼らの子育てが上手くいっている様を全面に押し出すことで、私たちが固定観念に対するカウンターとして作り出してしまった固定観念を暴き出しているのです。
そして、渚が法廷で妻に自分の身勝手さを謝罪するシーンで、私たちはハッと気づかされます。
玲奈がこれまで子育てに携わる時間がなく、ひたすらに仕事に打ち込んで家庭を支えてきたがために、急に母親をやってくれと言われてもなかなか難しいこと。
そして何よりLGBTQを尊重しなければというカウンター的な固定観念が故に、そもそも彼の身勝手さもあってこの離婚調停が行われているのだという当たり前の事実を見逃していることにです。
確かに私たちの社会は、彼らにとっては生きづらいものであることは変わりありませんし、彼らがもっと生きやすい社会にしていかなければならないのは事実だと思います。
ただ、劇中で、堀部圭亮さん演じる弁護士が、性的マイノリティに対して偏見を持っている「悪役」のように描かれていますが、彼が渚のとった行動を「不倫」と述べ、迅を「不倫相手」と形容したことは必ずしも間違いだとは言えません。
LGBTQという背景を取り払って考えて見た時に、この離婚調停はもっと違う見え方をすると思いますし、だからこそ気がつかされるものがあります。
特に印象的だったのは、裁判が終わった後の渚の「自分たちが一番弱いんだと思ってた。」という言葉だと思います。
自分たちは弱い立場なんだからもっと尊重されてもいいと願うのは、当たり前のことですが、その実現のために誰かを罵り、蹴落とすことが正義ではないことに彼は気がつくのです。
そうして、渚は親権を諦め、玲奈に空ともっと一緒の時間を作って欲しいと願うわけですが、本作はその先に新しい「家族のカタチ」を見出しています。
これまでマジョリティのために虐げられてきた人たちがいたからこそ、マイノリティの人たちの尊重が今叫ばれているわけですが、そのためにマジョリティとされてきた人たちを蹴落として良いのか、虐げて良いのかとなるとそれは別の問題です。
特に近年のハリウッド映画には、マイノリティの人たちの尊重をメッセージとして作品に込めるために、これまでマジョリティだった人たちをぞんざいに扱うような作品すら存在しています。
しかし、真に彼らが当たり前に受け入れられる社会を願うのであれば、そのカウンターの先を見ていかなければならないはずです。
『his』という作品が、私たちに突きつけるのは、従来の固定観念を否定しようとして新しい固定観念を作り上げてしまい、それがかえって物事の見え方を歪にしている可能性があるという事実です。
これにハッと気づかされた時、自分の中で価値観が大きく変わるような衝撃がありました。
2020年の今だからこそ、LGBTQの人たちの尊重が叫ばれている今だからこそ見ていただきたい作品だと思います。
蛇行しそれでも少しずつ進んでいく家族の在り方
(C)2020 映画「his」製作委員会
そしてもう1つ『his』は家族映画としても非常に重要な作品になっていると思いました。
おそらく多くの人が、当たり前のように両親(父と母)がいて、そして子どもがいてという情景を思い浮かべると思うんです。
では、子どもにとっての「一般的な家族」ってどんな形をしているのでしょうか?
人間は歳を重ね、多くの人と関わり、そしてその家族について知っていくうちに、その平均値を一般的だと捉えるようになりますが、子どもにとっては自分の家族が全てであり、それが「一般的」なんですよ。
本作『his』の劇中の裁判シーンで、弁護士が「特殊な環境」という表現を用いる一幕がありました。
では、「特殊な環境」とはどういうことかと言いますと、それは大人たちが多くの家族と携わる中でアレゴリー化された「一般的」という枠組みから漏れた環境ということになります。
これって結局大人の世界で作り上げられた特殊性であって、子どもにとってはそうではないんですよね。
確かに男性2人の両親によって育てられることで、将来的にその子が自分が生まれた環境が他人とは違うと気がつくとは思われます。
しかし、そこから避け続けていても、社会は何も変わりません。
私たち大人は、既存の概念に自分の固有の事象を当てはめることで、安心感を得ようとする傾向があります。
今泉監督が映画化を手掛けた『愛がなんだ』の原作者である角田光代さんがインタビューで面白いことをお話されていました。
同世代の女性であるならば、仕事をしていて、結婚していないと朗らかに答える女は、したいのにできないのではなく、結婚のほかに興味があるのだと、即座に理解するはずだと私はどこかで思っていたのである。しかし彼女は、「したくないからしていないのです」という私の答えもさらに理解できなかったようで、「何か問題のある家庭に育ったのですか、結婚したくなくなるような」と、重ねて訊いた。なんでこんなおかしな人と話をしなくちゃならないんだろう、と泣きたくなったが、よくよく考えてみれば、このインタビュアーはどこかおかしいのではなく、ただ、「区分け」をしたかったんだろうと思い至った。
(角田 光代「なぜ女は女を区分けしたがるのか」より引用)
まさに私たちは、本当は存在などしていない「一般的」に自分が当てはまっていると実感することで、自分が正常であると安心感を得ようとしているのです。
劇中で描かれる渚の葛藤もまさしくそうで、社会の「普通」に自分を当てはめることで自分を安心させたかったんですよ。
ただ、空の見ている世界は、どこまでも純粋で、それでいて心からの性善説に裏打ちされています。
彼女は、無垢な笑顔で、渚と迅と、そして玲奈と自分が4人で暮らせれることを何の疑いもなく信じているんですよ。
彼女は自分の父が男性である迅とキスをしていることについて何もおかしいことだとは思っていません。
しかし、きっと彼女が「一般性」という型にはめられるように育てられたならば、いつかその世界観は失われ、同性愛者が「特殊」であるという考え方に辿り着くでしょう。
私たちはこれからの社会を生きる子供たちが、そういう価値観に辿り着き、LGBTQが「特殊」だと決めつけてしまわないように働きかけていかなければなりませんし、それを実現するためにはまずは自分たちから変わっていかなければなりません。
映画で社会を大きく変えることはできませんが、それでもこの作品を見た人の心に小さな変化が起きたのであれば、それは大切なことだと思います。
今泉監督は、映画というメディアが持つ力を信じているのでしょう。
そして同時に人間という生き物が心に善性を持っていることを心から信じているようにも感じられます。
『his』がそうした問いかけに出す答えは、私たちが「子どもの純粋な視点」に立ち返って世界を捉え直していく必要があるというものです。
家族のカタチなんて決まっていないし、「一般性」なんてものはどこにもない、あるのはただ自分たちの家族だけ。
私たちは、誰しもが言わば「特殊」な家族のカタチの中で生きているのであり、だからこそありもしない「一般性」に自分たちの家族を重ねて安心感を得る必要もないのです。
「ごめんなさい。」という言葉は、子どもの世界であれば、人と人との関係性を大抵は修復してくれる万能性を持っています。
しかし、大人になると、その言葉ではどうしようもないという諦念がつきまとい、いつしかその言葉を口に出すことが馬鹿らしくなってしまう。
それでももう一度「ごめんなさい。」という言葉を信じてみないかと、子どもの頃の純粋な心で、人と人との関係性を結びなおしてみないかと、本作は問いかけています。
きっと人と人との関係は、空が乗っている自転車のようなものなのでしょう。
真っ直ぐ走るのは難しく、蛇行し、時に転倒しながらも、それを繰り返して、少しずつ前に進んでいく。
渚と迅と、そして玲奈と空はこれからも蛇行と店頭を繰り返しながら、彼らなりの「家族」の在り方を見つけていくのでしょう。
大切なのは、「一般性」に自らを迎合させることではなく、自分たちにとっての最適な在り方を模索し続けていくことです。
偶然にも今泉監督が手がけた『愛がなんだ』にはこんな一節があります。
そうして、私とマモちゃんの関係は言葉にならない。私はただ、マモちゃんの平穏を祈りながら、しかしずっとそばにはりついていたいのだ。賢く忠実な犬みたいに。そうして私は犬にもなり得ないのだから、だったらどこにもサンプルのない関係を私が作っていくしかない。
(角田光代『愛がなんだ』より引用)
まさに、どこにもないサンプルを自分たちの手で探し求めていこうとする人たちの姿を『his』という作品は優しい視点で切り取っていました。
これまで片思い映画の名手とされてきた今泉監督ですが、本作で新しい境地を切り開いたようなそんな印象すら受けました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『his』についてお話してきました。
「特殊」だとか「マイノリティ」だとか、そういうアレゴリー化された「一般性」に囚われてしまった私たちの固定観念を優しく溶かし、昇華させていくような物語にハッとさせられました。
大袈裟かもしれませんが、それでも私はこの映画を見て、自分の価値観に小さな変化があったと思っています。
近年増加している、性的マイノリティの人たちを描いた作品と比較しても1歩先を行く視点だと思いましたし、まさにこれからを生きる私たちが考え、子どもたちに伝えていかなければならない大切な視座が込められた作品です。
この作品が1人でも多くの人に届いて欲しいと、ただ純粋に思っております。
まだ作品を見ておらず、この記事を読んで興味を持ってくださった方がいれば、ぜひご覧になって欲しいです。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。