みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね実写映画『ヲタクに恋は難しい』についてお話していこうと思います。
映画ファンの間だと、何かと叩かれがちな福田雄一監督ですが、個人的にはそれほど苦手意識はなくて、テレビドラマシリーズも好きですし、映画『銀魂』や『HK 変態仮面』シリーズも好きなので、新作が公開されるととりあえずは劇場に足を運んでいます。
ですので、そもそも当たり屋的にこの映画を見に行ったわけではないということだけは最初に熱弁しておきたいと思っています。
で、今回の『ヲタクに恋は難しい』がどうだったのかと言うと、あまりの酷さで上映中に「帰りたい!」という思いが強まりすぎて、軽いホームシックになりそうなレベルでした。
つまらない映画や出来が良くないと感じる映画はたくさんありますし、そういう感情を引きずることはあまり無いのですが、今作については批判的な思いというよりも単純に「怒り」がこみ上げてくる作品です。
何と言ったらよいんでしょうか、とりあえずミュージカルファンとしてもアニメファンとしても、明確に喧嘩を売られているようなそんな感触が最初から最後まで持続する恐ろしい映画なんですよ・・・。
特に後程詳しくお話しますが、『ラ・ラ・ランド』が大好きな方は、本作を観る際にある程度心の準備をしておいてください。
本当に心がもたないというか、自分の中にあった『ラ・ラ・ランド』の記憶が邪悪な何かに上書きされそうになるという悪夢を見ます。
とにかく映画をもっと多くの人に見て欲しい、より深く味わってほしいという思いで書いているブログではありますが、今回はどうしてもおすすめはできません。
気持ちの整理のためにも、まずはこの記事を書きながら、自分の怒りを吐き出させていただければと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
実写映画『ヲタクに恋は難しい』
あらすじ
26歳OLの桃瀬成海は、腐女子(BLを愛するオタク)であることが発覚したために、彼氏に別れを切り出され、そのことを吹聴されたために職場に居づらくなり転職を決意する。
そんな彼女が転職先のゴルフグッズメーカーで出会ったのは、幼馴染の二藤宏嵩だった。
彼女は新しい職場でも自分がオタクであることが吹聴されてはまずいと思い、宏嵩を飲みに誘うのだが、その場の成り行きで2人は交際関係に発展することとなる。
しかし、付き合うことになったと言っても2人は子どもの時と変わらないままで、部屋に集まってはゲームをしてだらだと過ごすばかり。
そんな関係を発展させようと、オタク用語禁止デートをするなどするも、結局は上手くいかない。
そして同人誌即売会の時期が迫ると、成海はそれにかかりっきりになり、宏嵩は彼女のサポートをするも、距離は少しも縮まらない。
オタクであり、自分の好きなものが明確にある男女が、如何にしてお互いのことを思い合い、そして関係を深めていくのか?
ミュージカルコメディ仕立てで描かれる2人のラブストーリーの結末やいかに!?
スタッフ・キャスト
- 監督:福田雄一
- 原作:ふじた
- 脚本:福田雄一
- 撮影:鈴木靖之
- 照明:藤田貴路
- 編集:臼杵恵理
- ミュージカル作曲編曲:鷺巣詩郎
- ミュージカル作詞:及川眠子 藤林聖子 福田雄一
さて、冒頭でも紹介しましたが、今作『ヲタクに恋は難しい』の監督を務めたのは福田雄一さんです。
これまで数多くの漫画原作の実写化を手掛けてきた監督で、コメディ路線であれば、やはり華のある作品を作れるクリエイターだと思います。
実写『銀魂』や『変態仮面』シリーズは、彼にしか作り得なかったと思いますし、そういう意味でも当ブログ管理人はむしろ好きな監督の部類に入れていたかもしれません。
ただ、それにしても今作はあんまりですよ・・・。
その他のスタッフを見てみますと、いつもの福田組のメンバーが集結したという印象ですね。
撮影には鈴木靖之さん、照明には藤田貴路さん、編集には『斉木楠雄のΨ難』の臼杵恵理さんが参加しています。
また、劇伴音楽や挿入歌の作曲には『エヴァンゲリオン』シリーズや『シンゴジラ』の鷺巣詩郎さんが加わり、作品に華を添えています。
- 桃瀬成海:高畑充希
- 二藤宏嵩:山崎賢人
- 小柳花子:菜々緒
- 坂元真司:賀来賢人
- 森田悠季:今田美桜
- 樺倉太郎:斎藤工
何をいまさらという感じではあるんですが、福田監督の映画って毎度同じようなキャストが並んでいるのに、吉本新喜劇で同じ演者が違う題目を演じているような印象を受けてしまうんですよね。
今回のメインキャストは、ほとんどが福田組経験者ですし、今田美桜さんも原作にいないキャラクターで無理矢理ねじ込んだような感じです。
加えて、常連組の賀来賢人さんやムロツヨシさん、佐藤二朗さんはいつも通りのコント仕立て演技。
そろそろ変化が必要な時期かな・・・という印象は受けざるを得ませんね。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!
実写映画『ヲタクに恋は難しい』感想・解説(ネタバレあり)
原作と別物というのは良いですが・・・
まず、今回の実写映画『ヲタクに恋は難しい』はふじた先生の原作第1巻をベースに作られた映画となっています。
ただ、原作のあらすじをなぞっているのかというとそうでもなくて、かなりの部分が改変されており、ほとんど映画オリジナルストーリーに近い形になっています。
実写化をするにあたって、原作と全く異なるプロットにするというのは無い話ではないですし、うまく再構成できるのであればむしろその方が効果的です。
しかし、そもそもこの映画版を作るに当たって、監督は原作のどこに魅力を感じたんでしょうか?
個人的に思う『ヲタクに恋は難しい』の肝は、やはりネットスラングやアニメ・ゲーム用語を当たり前のように使いまわし、とんでもないリズムとテンポ感でコミュニケーションを取る彼らの「掛け合い」です。
この圧倒的なテンポ感は、いわゆる「オタク」とされる人たちを惹きつけるだけでなく、アニメやゲームにそれほど傾倒していない人たちをも惹きつける原動力になっていました。
「オタク」サイドからすれば、自分の話している言語や感性でキャラクターに通じ合う部分を感じることができます。
一方で、そうでない人たちから見ると、何だか分からないけれども、趣味にここまで熱く語っている様に面白さと共に情熱を感じられるのではないでしょうか。
また非オタク層から支持を受け得るのは、やはり王道のラブコメ要素も内包しているという点でしょうね。
この「オタク」であるかどうかに関わらず、面白さを見出し得る特異性こそが本作『ヲタクに恋は難しい』の肝だったと個人的には思っています。
それを踏まえて、今回の実写映画版について考えてみますと、どう考えても「オタク」からすると納得がいかない映画であり、一般層からするともっと普通のラブストーリーで良いやというレベルの内容であるので、どちらからの支持も得られない内容になっていたのではないかと感じざるを得ません。
前者の側面から考えていくと、ディテールの描き込みがいくら何でも甘すぎますし、とてもステレオタイプ的な押し付けと古い感性の表象が目立ちます。
まず、現代の若いオタクたちの恋愛模様を描いた作品であるにも関わらず、作中のオマージュネタの大半が『新世紀エヴァンゲリオン』ネタというのは、感性をアップデートして欲しいと言わざるを得ません。
それにしても碇ゲンドウの使い古されたパロディやATフィールドオマージュネタ、「オタク改善計画」「セカンドインパクト」といった用語の数々・・・。
『新世紀エヴァンゲリオン』が素晴らしい作品であり、そして個人的にも大好きな作品であることを前提にして言いますが、いくら何でも古いでしょうと言わざるを得ないのは事実です。
また、映画用の展開として宏嵩が成海を理解しようとして、自分のアニメオタクになるべく努力を始めるという描写がありますが、あの部屋の美術の意味が分かりませんし、あれでは宏嵩が何の努力をしたのかもさっぱり分からないんですよ。
とりあえずアニメグッズ並べておけばそれっぽい部屋になるでしょ!というノリで作ったとしか思えない何の意味も持たないアニメ部屋に開いた口がふさがりませんでした。
アニメオタク初心者だからこそあの設定にしたのだとは思いますが、作品があまりにも多岐にわたりすぎて、とりあえずそれっぽいものを並べました感がプンプンと漂ってくるのがきついです。
普通に考えて、成海が「梶裕貴さん」の名前を出したことがきっかけで彼女の趣味に合わせようと決意したわけですから、彼が出演している作品を中心に見ませんかね・・・?
視覚的にインパクトがあって分かりやすいからという理由で、適当なアニメグッズで部屋を満たすのは良いですが、それが「オタク」が満足する初心者オタク描写だと思うなら、完全にステレオタイプの押しつけです。
普通に彼の部屋に行ったら部屋が真っ暗で目の下にクマを作った宏嵩がエンドレスでアニメを見ていて、部屋がぐちゃぐちゃになっているという描写の方がまだ納得がいきましたかね。
冒頭の挿入歌の歌詞に「多様性」という言葉があるわりに、オタクを多様性の1つとして描こうとしているというより、ステレオタイプに当てはめて笑いものにしようという意識がこういうディテールの適当さに透けて見えるのがかなりきつかったです。
そこは後のライブシーンで登場する内田真礼さんが演じているキャラクターに合わせているんだという納得がありました。
ただ肝心の内田真礼さんのライブのシーンは明らかに撮影の都合ではありますが、クラブチッタほどのキャパの会場であのガラガラ具合というのは、いくら何でも無茶苦茶でしょう。
声優アイドル×オタ芸といういかにもな画を映画の中に持ち込みたかった気持ちはご理解できますが、そうであれば仮にも声優会でも屈指の人気を誇る彼女で、わざわざやらなくても良かったのでは・・・?と思いますね。
むしろ人気がまだまだ伸び悩んでいる声優を扱って、自分たちが応援して彼女を有名にするんだ!と意気込んで、ガラガラの会場で懸命に応援しているファン集団を描く方が、熱量的にも撮影の都合的にも良かったのでは?と感じました。
アニメオタクの生態を描いた作品なのですから、アニメオタクが見てツッコミどころ満載では示しがつかないような気がするのは自分だけでしょうか・・・。
この辺りはあくまでもディテール的な部分なので、「これだからオタクは・・・」くらいで聞き流していただいて構いません。
それよりも問題なのは、ミュージカルというジャンルを選んだことで、『ヲタクに恋は難しい』の肝であったリズムとテンポが根こそぎ死んだことでしょう!
題材とミュージカルが水と油
今回の実写映画『ヲタクに恋は難しい』には予告編で「オタクたちのラ・ラ・ランド」というキャッチコピーが掲載され、原作にはないミュージカル描写が足されていました。
まず、作品の構成的な問題で言うと、先ほども強調して申し上げた本作の肝であるはずの掛け合いのテンポ感やリズム感がミュージカル演出を取り入れたことで完全に失われています。
キャストの歌唱シーンは明らかに『ラ・ラ・ランド』へのオマージュが目立ち、『Someone In the Crowd』や『City of Stars』、『A Lovely Night』なんかを意識した楽曲や歌唱シーンの演出が散見されます。
そもそもミュージカルシーンというのは、言わば「作品内虚構」のようなものであり、そこに感情を乗せることで、一連のシークエンスの中で登場人物の感情の変化をダイレクトに描くことができます。
ミュージカルシーンを入れることがそのまま作品のテンポ感の欠如に繋がるわけではありません。
例えば、『ラ・ラ・ランド』では『Someone In the Crowd』を使ったシーンでミアが家で支度をして、パーティー会場へと向かい、そこでふと我に返るまでのシークエンスをかなり速いテンポで描いています。
しかし、『ヲタクに恋は難しい』はなぜか『ラ・ラ・ランド』における『City of Stars』リスペクトみたいな独白一人歩き形式のミュージカルシーンを乱発しているんです。
これにより成海が自分の感情を歌いながら一人歩きをしているシーンが何度も挿入されることとなり、その結果としてあからさまに作品のテンポ感が落ちています。
しかもそもそも百歩譲ってこの題材の映画にミュージカルを持ち込むと仮定として、なぜ『ラ・ラ・ランド』オマージュネタを連発するのかが全く理解できません。
普通に考えれば、楽曲もアニメの挿入歌やキャラソンのノリに揃えれば良いと思いますし、演出だって2.5次元的に仕上げて「映画内虚構」としての立ち位置を確立させればよかったと思うんです。
これはあくまでも個人的な邪推に過ぎませんが、この映画のプロットが「自分の趣味への好き」を取るのかそれとも「大切な人への好き」を取るのかという問いを内包している点に、『ラ・ラ・ランド』で描かれた夢と愛の二項対立との共通点を見出したのではないでしょうか。
しかし、だとすると、そのテーマをもっと描く必要がありますよね。
そういった二項対立を描きたいのであれば、2人の恋愛の駆け引きをもっと描く必要がありますし、自分の好きを捨てられずに相手への思いに葛藤する姿も描いておく必要があったでしょう。
ただ、そういった描写は一切なく、ただただミュージカルシーンに尺を食われ、佐藤二朗さんとムロツヨシさんの謎のアドリブノリに尺を割かれ、肝心の2人の関係性は全く掘り下げる気も感じません。
ミュージカルシーンは、先ほども書きましたが、感情の発露として描かれる映画内虚構なわけであって、それをエモーショナルなものにするには、プロットできちんと人間ドラマを描き、登場人物が感情を表に出したくなるトリガーをきちんと用意しておかなければなりません。
そういう当たり前のことをこの映画はしていないんです。
あとはミュージカルシーンの撮影の技量不足も如実に感じてしまいましたね。
例えば、冒頭の『いっさいがっさい save the world』は明らかに『Another Day of Sun』に影響を受けたんだろうな~という大団円的な映像ですが、これは元ネタの何を学んだらこうなるのか・・・という有様ですね。
(C)2020映画「ヲタクに恋は難しい」製作委員会 (C)ふじた/一迅社
基本的にこの映画におけるミュージカルシーンの撮影はクローズアップにするか引きのカットにするかという2択でしか描かれないので、言わば舞台演劇を見ているような感覚になるんですよね。
冒頭の『いっさいがっさい save the world』のダンスシーンは、『ラ・ラ・ランド』を意識したというのであれば、なぜ最初から引きのカットでしかも全員同じ振り付けで踊ってしまうんだという疑問を強く感じます。
『Another Day of Sun』のシーンは、高速道路の渋滞に巻き込まれていた人が、それぞれが思う振り付けで歌ったり踊ったりし、楽しそうにしている様をクローズアップで順番に映し出していき、最後の最後で引きのカットで全員が同じ振り付けを踊るという構成になっています。
これは、全く関係のない赤の他人が通勤前のひと時を同じ音楽と振り付けで共有し、その後それぞれの生活に戻っていくというプランが明確にあるからこそ、成立しています。
では、『ヲタクに恋は難しい』のあの冒頭のダンスシーンにそれほどのこだわりがあったのでしょうか?
仮にも「多様性」というキーワードを歌詞に入れ、様々なキャラクターのコスプレをした人に踊らせるわけですから、まずはある程度クローズアップで撮影し、キャラクターごとに違った振り付けを披露させていき、最後に大団円で全員で同じ振り付けを踊るという演出の方がベターではないでしょうか。
そのあたりのディテールを無視して、表面的なところだけをなぞって「オタク版ラ・ラ・ランド」と言われては、ミュージカルファンとしては、怒りを覚えること必至でしょう。
その他のミュージカルシーンにしてもそうです。
作品のリズム感やテンポ感をもっと大切にして欲しいのに、何の物語展開もなく、感情も乗らないミュージカルシーンでただただ映画の尺だけが浪費されていき、物語がスカスカになるという悪夢を見せつけられました。
特に、おそらく夜道での成海による独白ミュージカルが3回あったと思うんですが、どれも似たような撮影と照明、そして撮影時間帯なので、映像的なバリエーションが少ないんです。
ダラダラと書いてしまったので、最後に端的にまとめます。
- ミュージカルに何の思い入れもない人が上澄みだけを救って作った似て非なる何かでしかない!
- ミュージカルの演出が単調でかつ適当なので、作品のテンポ感や主題性と乖離している!
この2点が当ブログ管理人の考える本作がミュージカルを取り入れたことによる弊害です。
それでもオタクとしては共感できる恋愛譚である
(C)2020映画「ヲタクに恋は難しい」製作委員会 (C)ふじた/一迅社
ここまで、批判的な論調で書き綴ってきましたが、当ブログ管理人は1人の「映画・アニメオタク」として、この恋愛譚における価値観には共感できました。
というのも恋愛について考える際に、相手に好きなものがあったら、それを自分も好きにならないとというある種の強迫観念ってあると思うんです。
例えば、付き合う相手が映画好きであれば、自分も相手に合わせて映画を好きにならないとと思い至るようなケースですね。
ただ、これってすごく息苦しいですし、なぜ自分には好きなものがあって、それに時間をかけたいのに、相手の好きなものを無理して好きになろうとすることに時間を割く必要があるのでしょうか。
『ヲタクに恋は難しい』が示すメッセージ性の1つは、相手が好きなものを自分も好きになることと、相手が好きなものに夢中なのを理解することは全く別物なのだというものです。
つまり相手の趣味を自分も好きになることと、相手の趣味を理解することは違うということですよ。
当ブログ管理人も確かに重度の映画好き・アニメ好きではありますが、相手にそれを好きであるという事実を理解して欲しいとは思いますが、相手に映画やアニメを好きになって欲しいとまでは望みません。
そしてもう1つは、相手にも自分にも恋愛と同等かそれ以上に優先したい趣味があるという場合に、それを恋人同士の愛と動天秤にかけるかという問いですよね。
ここは個人的にもう少し掘り下げて欲しかったポイントですし、ここがもっと描けていれば『ラ・ラ・ランド』の過剰なオマージュを散りばめた意味も少しは理解されたでしょう。
ただ、それでも作品として、この問いに対する回答はラストできちんと示してくれていました。
それはお互いが「趣味を愛し、情熱を注いでいる相手ごと」愛することなのだと、この作品は1つの回答を提示しているのです。
それほどまでに情熱を注いでいる趣味は、もはやその人にとっては自分の一部とも言えるでしょうし、切り離して考えることはできません。
だからこそ、そこまで含めて好きになれるかどうか、愛せるのかどうかというのが、大きな問題なのです。
自己紹介代わりにリンクを張っておきますが、当ブログ管理人もオタクであることが原因で、学生時代にかなり苦しい経験をしてきました。
オタクであることが原因で友人関係を失った経験も実際にしてきました。
そういう経験をしてくる中で、自分なりに辿り着いた答えもまた、「アニメが好きな自分」と関わろうと思ってくれる人とのつながりを大切にしようという結論でした。
自分がオタクとして生きてきた中で経験則的にたどり着いた結論に、共通するテーゼが示されていたからこそ、本作『ヲタクに恋は難しい』には個人的にすごく共感できる価値観が内包されていました。
ミュージカルを止めて、このあたりのオタク同士の恋愛に纏わるコンフリクトをもっと丁寧かつコミカルに描けていれば、良作になり得たと思いますし、それだけに残念な作品です。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は実写映画『ヲタクに恋は難しい』についてお話してきました。
本作の難点は端的に言うと、
- ミュージカルを表面的になぞって持ち込んでしまったこと
- 原作の肝であるテンポとリズム感に裏打ちされた掛け合いを放棄してしまったこと
- オタクやアニメ・ゲームに対する感性の古さとステレオタイプの押しつけが目立つこと
の3つですね。
ラブストーリーを楽しみに来た人、原作が好きで見に来た人、ミュージカルが好きで見に来た人、アニメファンと、想定され得る客層が誰も納得し得ないような内容になってしまったいるんです。
佐藤二朗さんに長々とアドリブをさせるも良し、ムロツヨシさんにピエロを演じさせるも良し、ミュージカルが流行りだから取り入れるも良し。
それでも『ヲタクに恋は難しい』という作品そのものの肝と原作やジャンルへのリスペクト、そして物語を描くことを放棄してしまっては作品として成立し得なくなってしまいます。
福田監督の作品が好きだったからこそ、今回は少し厳しい評を書きました。
このアプローチで映画やドラマを取ることで、ファンを獲得してきたクリエイターだということは分かりますが、そろそろ「変化」が求められる時期ではないでしょうか。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。