みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ミッドサマー』についてお話していこうと思います。
前作『ヘレディタリー』もとんでもない映画でしたが、それ以上にヤバい映画が生み出されてしまいましたね。
ただ、アリ・アスター監督は本作について恐ろしい映画を撮ってやろうとは思っておらず、「失恋映画」「家族映画」として本作を撮ったと語っています。
本人も語っていますが、監督は何か自分の身につらいことが降りかかると、それを原動力にして映画を作ってしまうんだそうで、今作にも自身の失恋経験が大きく影響を与えたと言います。
世界中で話題になり、日本でも公開前から大きな話題になっている作品ですが、かなりグロ描写とそしてエロ描写も目立つ作品です。
特に終盤の性行為シーンは完全に男性も女性もポロリ状態なので、当然日本では放映できませんし、ここはモザイクもしくはカットでの対応になるでしょう。
グロ描写につきましても、かなり胸糞が悪く、心がざわつく描写がしばしば登場します。
怖いもの見たさで見に行くのは良いですが、正直かなりきついので、このあたりの描写が苦手という方は、よく考えてくださいね・・・。
それでは、ここからは本作『ミッドサマー』についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ミッドサマー』
あらすじ
ダニーは冬のある日、両親と妹を失い、悲嘆にくれる。
彼女のボーイフレンドであるクリスチャンは、彼女のことを心配している素振りは見せるものの、どこか冷たい。
そんな時、彼女はクリスチャンを含めて大学で民俗学を研究する友人たちと、スウェーデン奥地の村で行われる「90年に一度の祝祭」を訪れることとなる。
白夜のため太陽が沈まない美しき地上楽園のようなハルゲンの村へと辿り着いた彼らは、その光景に感激する。
楽しい9日間を過ごすことになるのだろうと思っていた彼女たちだったが、彼らの身に異変が起こり始める。
1人また1人と消えていく友人たち。村の不思議で残酷な風習の数々。
ダニーに待ち受けている運命とは・・・?
スタッフ・キャスト
- 監督:アリ・アスター
- 脚本:アリ・アスター
- 撮影:パベウ・ポゴジェルスキ
- 美術:ヘンリック・スベンソン
- 衣装:アンドレア・フレッシュ
- 編集:ルシアン・ジョンストン
- 音楽:ボビー・クルリック
正真正銘のカルト映画(カルト的人気を誇るとかではなく)である『ヘレディタリー』の監督を務め、世界中を恐怖の渦へと巻き込んだアリ・アスターの新作がついに公開です。
本作『ミッドサマー』は、そのグロテスクさや映画としての狂気っぷりばかりが先行して話題になっていますが、映画としても物語としても非常に優れているんです。
これは前作『ヘレディタリー』にも言えることで、脚本もすごくしっかりとしているんですね。
本人が撮りたいと望んでいるかどうかは分かりませんが、この手のサイコホラーテイストの作品でなくとも、彼は素晴らしい作品を撮るんじゃないかと思っております。
撮影と編集には、前作『ヘレディタリー』から引き続いてパベウ・ポゴジェルスキとルシアン・ジョンストンが起用されています。
そして今作の圧倒的な映像を実現させたのは、美術と衣装を担当したヘンリック・スベンソンとアンドレア・フレッシュです。
後ほど詳しく解説しますが、部屋の何気ない物体や描かれているルーンにも全て意味があるという徹底っぷりなので、本当に美術・衣裳面は優れた映画だと思います。
- ダニー・アルドール:フローレンス・ピュー
- クリスチャン・ヒューズ:ジャック・レイナー
- ジョシュ:ウィリアム・ジャクソン・ハーパー
- マーク:ウィル・ポールター
- ペレ:ヴィルヘルム・ブロングレン
- サイモン:アーチー・マデクウィ
- コニー:エローラ・トルキア
- ダン:ビョルン・アンドレセン
主人公のダニーを演じたフローレンス・ピューは『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされるなど非常に注目されています。
クリスチャンを演じたジャック・レイナーは『シングストリート』や『デトロイト』などの話題作に出演し、徐々に評価を高めています。
今作では、数々の映画を見てきた自分としても度肝を抜かれるような濡れ場を演じており、衝撃的でした。
その他にも若手俳優陣が集結し、この異様な雰囲気の作品を見事に作り上げています。
『ミッドサマー』解説・考察(ネタバレあり)
ダニーの解放の物語として読み解く
アリ・アスター監督は、本作『ミッドサマー』について「失恋映画」「家族映画」であると評していたり、辛い気持ちを抱えている人にこそ見て欲しいと語っていたりします。
なぜ、このケルト宗教のコミュニティで行われている独特の儀式を描いた映画が「失恋映画」なのかについては想像に苦しむ方も多いかもしれません。
しかし、本作をダニーにスポットを当てて読み解いていくと、非常にその意味がよく分かるようになっています。
ダニーは両親と妹というかけがえのない家族を失いました。そのショックが彼女をスウェーデンへと向かわせる1つの大きなきっかけになったのは事実ですよね。
ただ、もう1つ彼女が危惧しているのは、彼女のボーイフレンドであるクリスチャンの存在であり、ダニーは彼に強く執着しています。
クリスチャンは、そんな彼女を少し冷たくあしらうような態度を取りますし、心配する素振りこそ見せますが、何だか快く思っていないような印象も受けます。
そんな不安を感じている彼女に、ペレがスケッチの誕生日プレゼントを渡しますよね。
この時、ダニーはきっとクリスチャンはこのことを忘れているのだろうと少し悲しそうな表情をしていました。
また、ペレは彼女にこんな疑問を投げかけていましたよね。
- 「君は彼(クリスチャン)に縛られていると感じないかい?」
- 「君は彼といると安らぎを感じられるかい?」
この質問に対して、ダニーは回答に困り、そしてクリスチャンに対する不信感や不安を強めているような印象を受けました。
そして彼女は夜になり、とある夢を見ます。その夢の内容は、クリスチャンたちが自分をハルゲンの村に置いて、帰って行ってしまうという内容です。
これは彼女がクリスチャンに強く依存しており、そしてその存在に囚われているからこその描写でもあります。
彼は、コミュニティの男性と「この村では近親相姦がタブー視されていて、外からの人間を生殖のために必要としている」という話をしている際に、村の女性たちを眺めていました。
そして隣にいたダニーはそんな彼の視線に気がつき、不信感と不安感を増長させています。
また、食事の席でサイモンが婚約者のコニーを村に置いて去ったことについて疑問をぶつけても、クリスチャンは「コミュニケーションのずれ」だと軽くあしらうだけです。
ダニーはそんな彼に対して「あなたは私のことを置いて去ってしまいそうよね。」と辛辣な一言を投げかけていました。
ここまでのプロセスを鑑みても、ダニーが強くクリスチャンの存在に依存しており、執着していることは自明です。
しかし、そんな彼女が物語の終盤にかけて、少しずつクリスチャンと距離を取るようになります。
その大きなきっかけは彼女が「May Queen」に選出されたことでしょう。
この一連のシーンを見ていただけると非常に分かりやすいのですが、「May Queen」になった彼女は、ハルガの村のコミュニティに家族同然に受け入れられていき、さらにはペレとキスを交わします。
そして彼女を中心に集合写真を撮影するのですが、ここで1人だけ仲間外れにされていたのが、他でもないクリスチャンでした。
つまり、ここに来てハルガの村の人たち、とりわけペレはダニーをクリスチャンの呪縛、ないし家族を失った悲しみから解放しようとしているんですよね。
ただ、ダニーは「May Queen」としての儀式の最中も、クリスチャンのことをまだ思っており、彼を探しに行ってしまいます。
そこで彼女が見たのが、他でもない彼が村の女性であるマヤと性行為に及んでいるという光景でした。
その後、宿舎に戻り悲嘆にくれる彼女ですが、このシーンは非常に重要です。
ダニーが嗚咽をしながら悲しんでいると、周囲にいた村の人たちもそれに呼応するかのように悲しみを露わにしています。
これはつまり、あのコミュニティの人たちが共有している意識の集合体がダニーの意識にリンクしたことを表しているのではないかと思います。
その後彼女は「May Queen」として生贄の選択権を与えられますが、クリスチャンの救済を選ぶことはありませんでした。
9人の生贄が入ったテンプルが燃えていく中で、村人たちは死に行く同胞たちの意識とリンクして、泣き喚き、苦しんでいますが、この時ダニーは他の村人たちと同じように発狂しています。
そして、熊の亡骸に包まれた彼が燃え死んでいく最中、ダニーはニヤリと微笑んでいます。
その笑顔は、自分を不安にさせ、そして縛り続けていた彼の存在から解放され、新しい家族と人生を歩んでいくことを喜ばしいものと感じているような表情でした。
アリ・アスター監督はこのラストについて次のように語っています。
「ダニーは狂気に堕ちた者だけが味わえる喜びに屈した。ダニーは自己を完全に失い、ついに自由を得た。それは恐ろしいことでもあり、美しいことでもある」
ちなみにですが、ダニーが「May Queen」に選ばれることには必然性があります。
序盤に、ペレがこのハルガの村のコミュニティにおける年齢の話をしていたのを覚えていますか?
この時
- 春:生まれてから18歳まで
- 夏:18歳から36歳まで
- 秋:36歳から54歳まで
- 冬:54歳から72歳まで
と年齢を季節に例えるんだという話をしていたのです。
そしてダニーは論文を書いているわけですから大学生~大学院生くらいの年齢であり、しかも劇中で誕生日を迎えていたわけですよね。
そう考えると、彼女は年齢的にはまさしく「18歳から36歳まで」のちょうど真ん中くらいに位置するのではないかということが読み取れますし、もしかすると今回の誕生日でちょうど真ん中の「27歳=ミッドサマー」になっていたのかもしれません。
そう考えると、彼女が「May Queen」に選ばれるのは、もはや運命的です。
本作『ミッドサマー』はダニーの物語としてみると、紛れもなく失恋と喪失感からの解放の物語なのです。
アートの側面から見る『ミッドサマー』
本作『ミッドサマー』の中では、しばしばMu Pan氏の絵画が登場し、非常に意味深な存在感を放っています。
映画の開始まもなく登場するのが同氏がこの映画のために描き下ろした絵画でして、これが物語全体の流れをざっくりと表現しています。
© Mu Pan
絵画の左側には、冒頭のダニーの家族の死を思わせる内容がまさしく描かれています。
その少し右側を見てみると、彼女が悲しみに暮れている様子と、それを慰めようとするクリスチャン、木の上から見守っているペレがいますね。
そしてそのさらに右側に行くと、ダニーやクリスチャンたちがあのハルガの村のケルト宗教コミュニティへと向かって行く様子が描かれています。
最後に一番右側に行くと、Ättestupa(後程解説します)の様子であったり、「May Queen」を決めるためのダンスバトルであったりが描かれていることが分かりますね。
そしてダニーのアパートのシーンでは、ベッドの上にJohn Bauer氏の『Bella’s Glorious Adventure』という絵画が飾られていました。
(Bella’s Glorious Adventure by John Bauer)
ダニーが「May Queen」となり、花で作られた冠を被っており、逆にクリスチャンは熊の亡骸に包まれて業火の中で息絶えます。
次に登場するのがクリスチャンのアパートの部屋のデスクの上に掲示されている絵画ですが、これは同じくMu Pan氏の『Dinoassholes: Chapter 8 – Fish Die And The Net Breaks』という作品です。
(Dinoassholes: Chapter 8 – Fish Die And The Net Breaks)
タイトルを直訳すると「魚が死ぬ。網が壊れる。」ということになりますが、内容を見てみると、弱肉強食を象徴するかのような絵画ですよね。
つまり、ここにはクリスチャンが穏やかな性格でありながら、その内側には冷淡で残酷な一面を持ち合わせているということが含意されているのかもしれません。
この絵画をダニーとの思い出の写真の数々と一緒にデスクの上に飾っているのが、何ともクリスチャンの気質を表しているようにも感じられます。
劇中に登場した絵画に込められた伏線とクリスチャンの運命の暗示
本作においてダニーの物語と並行して描かれるのが、クリスチャンがペレの妹であるマヤとの性行為に及ぶまでのプロセスなのですが、これが実に巧妙な伏線に裏打ちされて描かれています。
比較的序盤のシーンで、クリスチャンやダニーたちが彼の村を散策していた際に、とある物語がイラスト化されて掲載されたタペストリーのようなものが映し出されていました。
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そこに描かれていたのは、女性がとある男性に恋し、その男性の枕の下にラブルーンを仕込み、加えてその女性の陰毛と経血をその男性に食べさせることで、両思いになれることを示したものでした。
そうなんです。実はこのイラストで描かれていた物語がそのままクリスチャンの運命を暗示していたのです。
彼は寝ている時にベッドの下にラブルーンを仕込まれていましたし、食事の際にはパイの中に陰毛を仕込まれていました。
さらにこの時彼が飲んだ飲み物は、他の人の物と比べても明らかに赤みを帯びていたので、生理血が混入されていたことは自明です。
その後、ハルガの村の長に呼び出されたクリスチャンは、「マヤのことをどう思っているんだ?」「君は彼女と性行為をすることが認められており、彼女もそれを望んでいるんだ。」と告げられていました。
最終的に、彼はマヤと性行為に及び、彼らのコミュニティが存続するための子孫の誕生に貢献することとなります。
作品の中盤で、村の男性がこの村では近親相姦がタブーとされていて、子孫を残すために外から人を連れてくる必要があると語っていましたが、この言葉の意味もクリスチャンの運命によって明らかになったと言えます。
今作『ミッドサマー』は1つ1つのセリフ、ちょっとした描写の数々に伏線が張り巡らされており、2度3度と見返すことでどんどんとそのプロットの緻密さに気がつかされるようになっていますね。
ダニーの家族を殺害したのは誰なのか?
本作の序盤で、ダニーの両親と妹が命を落とす描写が描かれますよね。ここでは死因が明確に描かれることはありませんが、車の排気ガスで一酸化炭素中毒を引き起こしたことが死因となっています。
そして妹がダニーに対して送ったメッセージには、自殺を仄めかすような内容が書かれており、ここでは一家心中ではないかと結論づけることしかできません。
しかし、後のストーリー展開を鑑みると、彼女の家族の死にはあのケルト宗教のコミュニティとりわけペレが関わっている可能性を指摘できます、
というのも、彼ないしケルト宗教のコミュニティの人間は、ダニーを今年の「May Queen」に仕立てようと画策していたのではないかと思われるからです。
そのためには、まずは彼女に自分たちのミッドサマーの祝祭に来てもらう必要がありますし、何より信仰で埋めるための心の穴を彼女の中に作る必要があります。
ペレが中心となり、ダニーの家族を殺害し、結果的に彼女はスウェーデンで行われる彼のコミュニティの祝祭の儀式に参加することとなりました。
後々見返すと非常に興味深いシーンだと感じたのは、ダニーがスウェーデンに行く決断をしたとクリスチャンやペレたちの前で打ち明けるシーンです。
その直前に、クリスチャンが「彼女を誘ってはみたが、おそらく彼女は行かないだろう。」という趣旨の話をしている時に、奥に座っているペレは非常に険しい表情をしています。
しかし、彼女が部屋へと入ってきて、自分も行くことに決めたと打ち明けると、彼は満面の笑みで彼女を見つめています。
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それに輪をかけて意味深なのが、ダニーに去年の「May Queen」の写真を見せているシーンでして、彼女は「美しいね。」とコメントしているのですが、その際の彼の視線が非常に不穏なのです。
よくよく見てみますと、彼は写真を見るのではなく「May Queen」の写真を眺めている彼女を笑顔でじっと見つめているのです。
スウェーデンに行ってからも、彼の行動は非常に不可解というより、クリスチャンからダニーを引き離そうとしているとしか思えません。
まず彼は、自分の両親が「火で焼かれて死んだ」ということを明言しているので、これはもしかすると、彼の両親もダニーのようにあのコミュニティの人間たちに殺害されたのかもしれません。
本作『ミッドサマー』のラストで9人の人間を火あぶりにして生贄にするという儀式を描いているわけですから、わざわざ彼に両親が「焼き殺された」と明言させるのは、実に意味深です。
加えて、彼はクリスチャンに束縛されている彼女に「彼といて安らぎを感じる?」といった疑問を投げかけてみたり、誕生日プレゼントとしてスケッチを渡したりしています。
しかも、彼女が「May Queen」になった折には、思いっきりキスをしていますからね。
その点でも、ダニーの家族の死には、ハルガの村の人たちが関わっている可能性がありますし、そこにペレが関わっている可能性も否定できません。
映画の中で明確に真相が描かれはしないのですが、この点についてはいろいろと想像を膨らませてみると面白いかもしれませんね。
北欧の先史を反映した風習
本作『ミッドサマー』の中で描かれるいくつかの設定や演出には、北欧の民族や伝承からの引用が見られます。
今回はその中からいくつかを取り上げて、解説させていただけたらと思います。
Ättestupa
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本作『ミッドサマー』の比較的序盤に登場した崖の上から飛び降りる儀式ですが、これは何と実際に行われていたとされていました。(現在は架空の儀式であったとする見方が一般的です。)
北欧の先史時代に、高齢者たちが自分で自分の体を動かすことができなくなったり、家族の助けなしでは生活できないようになったりした時に、崖から身を投げて命を絶っていたとされていました。
時には家族や周囲の人がその人を崖から投げ捨てていたという事例もあったなんて言われているので、仮に実際に行われていたのだとすると姥捨て山を想起させるような恐ろしい風習です。
ちなみにÄttestupaというのは、高齢者たちが身を投げたとされていた絶壁につけられた名称でした。
血のワシ
『ミッドサマー』の中盤過ぎに登場したあまりにもショッキングなサイモンの処刑方法が「血のワシ」と呼ばれるものなのですが、これも実は史料が残っているものなんですよね。
9世紀から13世紀ごろの北欧やヴァイキングの武勇談などで登場した、当時実際に行われていたとされる処刑法です。
処刑の対象者の背中を切り開いて胸郭を切開して、肺を引きずり出した状態にすることで「ワシの羽」に見立てるというあまりにも残忍な処刑法ですよね。
ただキリスト教が流入してくるより以前のスカンジナビア半島では、儀式的殺人として実際に行われていたのではないかとされており、そう考えると、本作『ミッドサマー』のテーマにも合致する部分はあります。
キリスト教信者が北欧のケルト的宗教信者のコミュニティに入り込み、儀式に巻き込まれるという構図を描いた本作だからこそ、「血のワシ」という残忍な儀式が行われているというのも現実味を帯びるのです。
9という数字
本作『ミッドサマー』を見ていると、やたらと「9」という数字が登場します。
- 9人の生贄
- 9日間続く祝祭
- 90年に一度の祝祭
- 年齢を季節で表す時の区切りが9の倍数の数字
当ブログ管理人も『マイティソー』シリーズを見たり、『PSYCHO-PASS 3』を見たりする中で、少し北欧神話について調べていました。
実は、北欧神話において、世界は「9」つに分かれているとされているんです。
世界を体現する巨大な木であるユグドラシルがありまして、その中に9つの世界が3つの層に分かれて内包されているというのが、北欧神話における世界のカタチであります。
劇中で、ハルガの村の人たちが、木に小便をかけられたことに激怒していましたが、ここにはもしかするとユグドラシルが関連していたのかもしれません。
ただ、彼らにとって「9」という数字が特別なのは間違いないですし、それが作品のいたるところに反映されているのは北欧神話が元ネタであるのも明白です。
ルーン文字に込められた意味
1世紀頃に、ギリシア文字やラテン文字、北イタリア文字などを参考にして作られたと言われるゲルマン語系の文字言語です。
本作『ミッドサマー』においてはこのルーン文字がしきりに登場しますが、もちろんこれら1つ1つには重要な意味が込められています。
クリスチャン=ᛏ
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クリスチャンが終盤にマヤと性行為をする前に着用していたローブを見てみると上向きの矢印のようなルーンが描かれています。
これはルーンに照らし合わせると、アルファベット「T」を表しており、とりわけドイツ神話や北欧神話に登場する軍神テュールを表していると言われています。
勇気の象徴とも言われるルーンですが、それ以上に「男性性」の象徴であるという意味合いを強く持っています。
ここから本編の内容を思い出してみると、クリスチャンはあのコミュニティの女性を妊娠させるための儀式に駆り出されたわけですから、このルーンが刻印されたローブを着ていたのは必然と言えるでしょう。
面白いのが彼のこの「ᛏ」は無数の「ᛉ」に囲まれている点なのですが、これはしばしば「ヘラジカ」を連想させると言われていて、「仲間」という意味が強く表出します。
つまり、クリスチャンを象徴する「ᛏ」を囲んでいる「ᛉ」というのは、まさしく終盤に登場する生殖の儀式を表していることが分かりますね。
ちなみに「ᛉ」は、Ättestupaの場面でも実は崖の上の石板に描かれています。
ルーンは占いなどにもしばしば用いられますが、タロットカードのように正位置と逆位置で意味合いが変化するという特徴があります。
そう考えると、石板に逆位置で描かれた「ᛉ」は、「仲間」の逆の意味になるわけですから、コミュニティからの除外を強く仄めかしますよね。
ここで、Ättestupaの儀式そのものの意味合いともルーンがきちんと整合性が取れていることが分かります。
ダニー=ᚱ と ᛞ
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さて、本作の主人公であるダニーが着ていたローブに書かれていたルーンに注目してみると、「ᚱ」と「ᛞ」の2文字が描かれていました。
このルーンの意味ですが、まず前者は「旅、移動、変化」といった意味を持っており、ポジティブな意味で自分自身に変化することを暗示しているとされています。
そして後者には「一日、終わりと始まり」という意味があるそうです。
こちらもダニーがあのケルト宗教のコミュニティでこれまでの自分を捨てて、生まれ変わるというラストをまさに暗示した文字なんですよね。
ちなみに終盤にクリスチャンがマヤと性行為をして、その後我に返って草原に飛び出した際に目撃したジョシュの足の裏にも「ᛞ」のルーンが描かれていました。
食事の席の形と壁画=ᛟ
本作中でコミュニティにおける食事の席の形がこのルーンの形になっていたり、ダニーたちが寝泊まりしていた建物内の壁画に描かれていたりと何かと「ᛟ」の文字は登場していました。
この文字には、「先祖、遺伝、伝統」といった意味があるとされています。つまり、あのケルト的宗教のコミュニティが先祖から良くも悪くも伝統を受け継いできて今に至るのだということを体現するルーンなんですね。
と言いつつ、彼らがÄttestupaや「血のワシ」といった明らかな悪しき風習を受け継いできているのは、何とも恐ろしいです。
ちなみにダニーたちが寝泊まりしていた建物内の壁画には、もう1つ「ᛈ」のルーンが描かれていました。
これは「秘密」という意味を含意した文字であり、あのコミュニティの儀式の背後には重大な「秘密」があるのだということを暗示していたようでもありますね。
ラストの儀式=ᛜ と ᚷ
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本作のラストで描かれるあの三角形の形をしたテントと共に生贄を燃やす儀式ですが、テントの中には「ᛜ」と「ᚷ」のルーンが描かれていました。
まず前者には「豊穣、愛に満たされる」という意味があるようです。これは直前にクリスチャンの性的な儀式が行われていたことなどから推察すると、安産と言いますか種の繁栄なんかを仄めかしているのかなと思います。
そして後者は、「祝福、愛情、生贄」といった意味があるとされています。
とりわけこの文字には、「神からの贈り物」というニュアンスがあるようで、その贈り物というのは、人の心を穏やかにしてくれるものだと言います。
ここから解釈すると、クリスチャンたちが生贄にされることによって、ダニーの心に平穏がもたらされるラストというのは、何ともおぞましいですね。
スウェーデンの移民問題に触れて
実は映画『ミッドサマー』にはもう1つ重要なメッセージが隠されています。
主人公たちがハルガの村へと向かって行くシーンで、実はこんな旗が掲示されていたのを覚えていますか?
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よく見てみると、
「STOPPA MASSINVANDRINGEN TILL HÄLSINGLAND」
と書かれていますよね。
「MASSINVANDRINGEN 」という言葉は、近年スウェーデンの政治マニュフェストなどでもしばしば用いられるようになった用語で「大量移民」という意味を表します。
つまり、この旗に書かれている言葉の意味というのは、「ヘルシング地方への大量移民を止めろ」といういみになるんですよ。
スウェーデンという国は、福祉国家で、平和で寛容な国民性ということで有名なのですが、近年そういった状況が大きく変化しています。
スウェーデンは移民・難民の受け入れに非常に積極的で、やってきた人たちに住居を無償で支給するだけでなく、食料や生活必需品、生活費まで支給していたというのです。
しかし、近年あまりにも移民・難民の数が増えてしまったことで、そうした社会保障・社会福祉関連の財政が行き詰まり、国民からの不満が増大しているのです。
ドイツやフランスでもその傾向が顕著ですが、スウェーデンでも「スウェーデン民主党」と呼ばれる極右派政党が急速に勢力を伸ばしていて、2018年の選挙では17.5%の得票率を獲得し、与党を脅かしています。
アメリカでトランプ大統領が移民排斥政策を取っていることで注目を集めているのは事実ですが、スウェーデンのような国でも確かに移民・難民排除の風潮が高まっているのです。
そして「スウェーデン民主党」は一応その起源にネオナチ的な思想を持っています。ナチスは絶対悪であるという共通認識がありながら、近年そうした思想が再び支持を集め始めているという恐ろしさがあるのです。
そうした風潮がどんどんと拡大した先に待つのは、過去に繰り返された異民族の排斥と虐殺なのかもしれません。
だからこそ、本作は「平和なスウェーデン人」をかつてのバイキングたちや北欧先史に登場する人たちの残忍な気質を反映して描写しています。
異民族を搾取し、そして惨殺し、自分たちのコミュニティの安定を図るという思想が、如何に恐ろしいものなのかを身をもって実感させられる映画ですね。
とりわけ本作においては、アメリカ人がマイノリティになるというのも、興味深いポイントですよね。
ラストシーンの描き方で分かるアリ・アスター監督の危機感
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この『ミッドサマー』という作品を見ていると、何だか旧来的な価値観や共同体に、今を生きる私たちが取り込まれていくような感覚があります。
先ほど、お話させていただいたスウェーデンの移民・難民問題を契機とするネオナチ勢力の台頭もそうですが、今の世界は歴史の針を逆向きに回しているかのようなところがあります。
旧来的価値観の脱却として打ち出されたポリティカルコレクトネスも、近年その過剰さゆえに「ポリコレ疲れ」を招き、再び差別的な風潮に傾いていく人々も出てきています。
そして移民・難民に寛容な姿勢をとり、コミュニティに新しい人を受け入れようとしてきた国々でも、それに対する反発が強まり、排除・搾取・差別の空気が見え隠れするようになりました。
今作『ミッドサマー』における、若者たちが伝統的価値観に裏打ちされたコミュニティに取り込まれ、虐げられるという構図は、実は今まさに世界で起きている思想的・概念的な変化の可視化とも言えます。
しかし、一見甘美に思えるハルガのコミュニティのその実は、寛容性と平和に裏打ちされているように見えて、暴力的で差別的な本性を内包しています。
本作のラストで、主人公のダニーはあの共同体に取り込まれてしまったようですが、これが痛烈なアイロニーとして機能するのは、直前に火あぶりにされる村人が苦しみ悶えながら死んでいくシーンがあったからです。
これに呼応するように、他の村人たちも発狂し、痛みを共有するような素振りを見せていますが、彼らが炎に包まれ焼け死んでいく者の痛みを理解できるはずなどなく、その欺瞞と滑稽さが浮き彫りになっています。
つまり、結局のところ、彼らの共同体は意識をリンクさせて、一心同体の共同体というような素振りを見せ、構成員たちはその中に身を置くことで、安心感を得ているわけですが、そんなものは幻想であり、欺瞞なんですよね。
私たちは、結局独立した個人として生きていくのであり、苦しみも、悲しみも、喜びも、幸せも全て自分の帰属するものです。
それを放棄し、外部化してしまい、全体主義に取り込まれるというのは、恐ろしいことなんですよ。
本作のラストで、ダニーはあの共同体に取り込まれてしまい、自分の恋人であったクリスチャンが死にゆく様に微笑んでいました。
ナチスドイツ政権の下でも、自分の恋人や友人にユダヤ人がいたドイツ人たちですら、全体主義に身を任せ、彼らが殺されていくのを黙認したという状況がありました。
ここに旧来的な共同体意識や全体主義の恐ろしさがあります。
だからこそ、私たちは再びそれらに取り込まれて、歴史を繰り返すようなことがあってはいけません。思想に囚われて、目の前の人々に暴力や差別を向けることに痛みを感じなくなってしまうことがあってはなりません。
アリ・アスター監督が『ミッドサマー』で描きたかった、今の世界が孕む危険性とそれに対する警鐘はまさしくここにあるのではないかと推察しました。
ディレクターズカットでいくつかのシーンの謎が明かされる?
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既に海外版のBlu-rayには20分程度の追加シーンが加わったディレクターズカット版が収録されており、こちらが劇場公開版で意図が分からなかったりしたいくつかのシーンの補完機能を果たしていました。
まず、ダニーとクリスチャンが口論をするシーンが、多く含まれているので、これらのシーンを見てからラストシーンを見ると、彼女がようやくクリスチャンから解放されたという印象も強まるかもしれません。
彼は、ダニーを愛してはいますが、同時に邪魔なお荷物的な存在にも感じているように思えますし、口論になった際には「彼女をスウェーデンに連れてこなければ良かった!」「勝手に帰れ!」などとかなりきつい言葉を投げかけています。
逆に彼女の方もディレクターズカット版の描写を見ると、かなり情緒的に不安定な面が多く、彼に突き放されると、自分を責めたり、自分に非があると常に感じる癖があったようです。
こういった2人の関係性の描写が積み重なっていき、あのラストに繋がると考えると、かなり思い入れも変わってきますよね。
そして、個人的に面白かったのが、ハルガの村へと向かう時の道中のシーンがかなり追加されていた点ですね。
この時に、ジョシュが1冊の本を持っているところが映し出されるのですが、これが『The Secret Nazi Language of the Uthark』というものです。
Utharkとはウサーク理論のことを指しており、難解なルーン文字を解読するために言語学者Sigurd Agrellによって考案された理論のことです。
そしてなぜナチスが関連してくるのかと言うと、実はナチスがルーン文字を使っていたからなんですね。
そういう意味でも、ここで本作にルーン文字が大量に登場する意味が分かりますし、そして先ほど指摘した現代社会においてネオナチ勢力が台頭してきているという社会情勢を本作『ミッドサマー』が取り入れようとしていたことも明白になります。
ハルガの村でルーン文字が使われていたところには、確かにナチスドイツへの言及があるはずです。
また、追加されたシーンによって、不可解さが解消された場面としては、ダニーがジョシュに睡眠薬を欲しがったシーンの謎が解明された点でしょう。
劇場公開版では夜のシーンがほとんどなかったと思いますが、実はディレクターズカット版には夜の儀式のシーンもあるんです。
川辺で神の怒りを鎮めるために、供物を投げ込む儀式なのですが、彼らはこの儀式の最中に小さな子供の女の子を投げ込もうとするのです。
村の長の鶴の一声で、その子供が川に投げ込まれることはなかったのですが、その儀式を見て不安になったダニーはクリスチャンと激しく口論になります。
この時に、彼からかなりきつい言葉をかけられてしまい、傷心した結果精神的に不安定になり、睡眠薬を欲しがったというのが、その実の様です。
その他にも、会話のシーンが少しカットされているというケースが非常に多かったようですが、作品のテンポ感を考えると、劇場公開版くらいでちょうど良かったかなとも思いました。
個人的には、このディレクターズカット版は絶対に見ておくべきだ!というほどのものではないですが、見ておくと、ダニーはとクリスチャンの関係性がより深く理解できるとは思います。
それに伴って、ラストシーンで彼女がほほ笑む理由もより明確に理解できたような気はしますね。
気になる方は、ぜひチェックしてみてくださいね。
本作に影響を与えたであろう映画作品
本作『ミッドサマー』の元ネタではないかとも言われ、そのプロットやカルト描写に関して多大な影響を受けたと感じられるのがロビン・ハーディ監督の映画『ウィッカーマン』です。
冒頭に家族の喪失があり、そして閉鎖的な宗教コミュニティへと介入していき、そこにはおかしな風習が根づいているという構図は。そっくりと言えるでしょう。
村の女性が主人公の男根に目をつけて、夜這いをかけて来るという設定も同作からの引用に見えますし、火で焼いて生贄を捧げるという儀式様式も共通項ですね。
冒頭のダニーたちがスウェーデンの山中にあるコミュニティの村を目指すシーンのカメラワークは、おそらく『シャイニング』に影響を受けていると思われます。
『シャイニング』のオーバールックホテルへと向かうシークエンスは多くの映画でオマージュされており、とりわけジョーダン・ピール監督は『ゲットアウト』でも『アス』でも取り入れていました。
また、アリ・アスター監督自身は、本作のダニーのキャラクターを作成していくにあたって、ポール・マザースキー監督の『結婚記念日』やアルバート・ブルックス監督の『Modern Romance』を参考にしたと語っています。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ミッドサマー』についてお話してきました。
確かにビジュアル的な強烈さや作品の狂気性もすさまじいので、そういった部分が先行しがちなのですが、本作はプロットも非常に緻密に作られており、編集や撮影も絶妙です。
ただ単にショッキングな内容だから優れているというわけではなく、映画として純粋に素晴らしいと思います。
そして、伏線が非常に丁寧に散りばめられており、2回目3回目と見ても楽しめる内容になっているのも良いですよね。
当ブログ管理人としても1度だけでは気がつかなかった仕掛けも多くあり、2度3度と鑑賞するうちに見えてきたことも多かったです。
グロテスクな描写が苦手という方はもしかすると見ない方が良いかもしれません。ただ、映画としての面白さは保証いたします。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。