みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『スマホを落としただけなのに2 囚われの殺人鬼』についてお話していこうと思います。
2018年に公開された映画『スマホを落としただけなのに』の続編という位置づけなのですが、これ非常に巧く原作をアレンジしたと思います。
そもそも原作の時点では、今作と前作は繋がっておらず、全く別の作品なんですよ。
1作目に登場する「加賀谷学」という刑事と、2作目に登場する「桐野良一」という全く別の刑事を、同一人物という設定に改変したことで、きちんと「続編」という位置づけを確立したわけですね。
ちなみに、原作シリーズは既に3作目が刊行されていて、こちらでも「桐野良一」が引き続き登場する内容になっていますので、映画版も必然的に「加賀谷学」を主人公に据えて続編が作れます。
ただ、それだけではなくきちんと前作で積み残した「加賀谷学」のバックボーンをきちんと描き、浦野善治という人物を対比させながら、彼の成長を描いた点は非常に見事でした。
編集や演出こそ残念な部分は散見されましたが、個人的には前作よりも楽しめましたし、見て損はしない作品だと思います。
さて、ここからは映画『スマホを落としただけなのに2 囚われの殺人鬼』について掘り下げて語っていきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『スマホを落としただけなのに2 囚われの殺人鬼』
あらすじ
加賀谷学はサイバー犯罪に通じており、前作では、犯人の浦野善治の逮捕に大きく貢献した。
そして前作で被害者となった誠と麻美は無事に結婚の日を迎えることができたのだった。
しかし、加賀谷は恋人の美乃里と3年も交際を続けているが、結婚には踏み出せないでいる。
そんな彼に苛立った美乃里は勢いで別れを切り出してしまい、傷心の中、喫茶店で友人と語らう。
何気なくその喫茶店のフリーWi-fiにアクセスした彼女だったが、それは巧妙に仕掛けられた罠であり、彼女はスマホに遠隔操作ウイルスを仕込まれてしまう。
日本では、580億円とも言われる金額の仮想通貨の流出事件が話題となり、そしてそれに対抗しようと立ち上がったJK16という女性が注目を集めていた。
さらに、浦野善治が以前に黒髪ロングの女性を埋めていた山中で新たな遺体が発見され、事件は新たな局面を迎えようとしていた。
警察はなかなか犯人の尻尾を掴めない中で、ダークウェブに通じた浦野に捜査の協力を要請する。
そんな彼が、今回の事件の首謀者として名前を挙げたのは、ダークウェブの世界で伝説的なハッカーとして知られる「M」という男だった・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:中田秀夫
- 原作:志駕晃
- 脚本:大石哲也
- 撮影:今井孝博
- 照明:木村匡博
- 編集:青野直子
- 音楽:大間々昂 堤博明 兼松衆
- 主題歌:King Gnu
さて、監督を務めるのは『リング』や『仄暗い水の底から』などで知られる中田秀夫さんです。
昨年の『貞子』も本当に酷い出来でしたし、『スマホを落としただけなのに』の前作も正直演出的にも物足りなさが目立ったので、『リング』のような優れたホラー映画たちが過去の栄光になってしまったような・・・。
ただ、今作は演出面で酷いと感じる部分はありつつも、全体的にエンタメとして楽しめたので、満足しています。
そして、脚本を担当したのは大石哲也さんです。
彼は、『去年の冬、君と別れ』の脚本も担当した方で、映像化は無理だろうと言われた叙述トリックミステリを見事に再構成して見せました。
今回の『スマホを落としただけなのに2 囚われの殺人鬼』が、原作の再構築としても非常に巧かったのは、彼あってのものだったのかもしれません。
撮影には『22年目の告白 私が殺人犯です』などでも知られ、多くのサスペンスを手掛けてきた今井孝博さんです。
照明には『先生!』や『ロマンスドール』などの作品で、見事なライティングを披露し、作品を彩ってきた木村匡博さんが起用されています。
これまでの作品では、陽光を演出するのが巧い人というイメージだったので、今回ダークなサスペンスを彼がどう演出するのかは非常に楽しみにしておりました。
編集には前作から引き続き青野直子さんが起用されていますが、ここはもう少し頑張って欲しかったような気もします。
原作の時点では今作は非常にテンポが良く、息もつかせぬ展開にハラハラとさせられたのもあり、映画版は中盤のテンポが非常に緩く、中弛みしていたのが目につきました。
そして主題歌は、今話題のKing Gnuの『どろん』で、これが非常にスタイリッシュで予告編を何回もリピートしてしまうほどです。
- 加賀谷学:千葉雄大
- 松田美乃里:白石麻衣
- 笹岡一:鈴木拡樹
- 牧田英俊:田中哲司
- 浦野善治:成田凌
- 兵頭彰:井浦新
主人公を演じたのは、千葉雄大さんで今回はクールなキャラクターだったのですが、天性の可愛さが滲み出まくっていましたね(笑)
そしてヒロインを演じたのは乃木坂46卒業を控える白石麻衣さんで、今回は現役アイドルらしからぬ、かなり攻めた演技を披露していました。
演技力は正直まだまだこれから・・・という感じではありましたが、もう可愛いのでオールオッケーですし、犯人に襲われるシーンは見ていて冷や冷やしました。
また、前作から引き続き出演している成田凌は、こういったシリアルキラー役が似合うというか、水を得た魚のように生き生きと演じているのが印象的でした。
『スマホを落としただけなのに2 囚われの殺人鬼』感想・解説(ネタバレあり)
ちゃんとスマホは落とします
前作『スマホを落としただけなのに』は、冒頭に富田誠という青年がスマホを落としたことで、それが悪用され、大きな事件へと発展していきました。
ただ、今作は予告編を見ていても、一切スマホを落とす描写がないので、タイトル詐欺じゃねえか!!とツッコミを入れたくなった人も少なくないと思います。
しかも、原作の方もチェックしたのですが、何と原作も『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』というタイトルでありながら、一切スマホを落とす場面はないという有様なんです。
ただ単に美乃里が喫茶店で、フリーWi-Fi経由でウイルスを埋め込まれてしまうという展開なので、正直あまり彼女に落ち度があるとも思えません。
そのため、前作のように誰もが何気なくやってしまいそうな「スマホを落とす」という行為が、どんどんと悪い方へ悪い方へと繋がっていくという、ある種の「自分事の恐ろしさ」は失われてしまったような気はします。
ただ、今回の映画版『スマホを落としただけなのに2 囚われの殺人鬼』は、原作にも存在していなかった「スマホを落とす」描写をきちんと取り入れてくれているんですよ。
予告編や原作の状況からも、今作で「スマホを落とす」シーンがあるなんて思ってもみなかったので、きちんと描かれたことに「クララが立った!」にも似た感動がありました(笑)
今回の映画版で描かれるのは、美乃里が就活中にバスでスマホを落とし、それを拾ってくれたのが、後に恋人になる加賀谷学だったというものです。
一見すると、取ってつけただけのようなシーンではあります。
しかし、前作で「スマホを落とす」ことが悪用されることに直結するような描き方をしていただけに、それと対になるような描写を取り入れたのは、非常に興味深く感じました。
もちろんスマホには自分の個人情報が詰まっていますから、落としてしまうことがあってはいけないのですが、この世界にいるのは悪人ばかりではありません。
後ほど解説しますが、今作は加賀谷学と浦野善治を対比的に描いてきました。
だからこそ、前作で女性が落としたスマホを悪用した浦野と、女性が落としたスマホを拾って走って届けた加賀谷の対比を際だたせるエピソードとしても活きていたと感じました。
この「スマホを落とす」描写の追加が、映画の主題性も際立たせ、同時に映画のタイトルをきちんと成立させていました。
加賀谷学と浦野善治を対比的に描く
(C)2020 映画「スマホを落としただけなのに2」製作委員会
今回、大きなテーマになっていたのは、「愛されずに育った人間が他人を愛することができるのか?」という問いです。
親から愛情を受けて育つ、親に限らずとも誰かから愛されて育つということは、人間の内面を構成するうえで非常に大きな影響力を持っています。
有名な「黒子のバスケ」脅迫事件で犯人として逮捕された渡邉被告の最終意見陳述書の中に、「生ける屍」というフレーズがありました。
彼は、幼少期に感情や規範を両親から与えられなかったがために、自分が人や社会とつながっていないと感じ、一人孤独感に苛まれていたようです。
自分の感情が世の中の規範と一致したときに、人は安心感を感じることができます。
これも転んだ子供でたとえます。子供が泣いていても母親は知らん顔をしていたとします。すると子供はその不快感が「痛い」と表現するものだと理解できず「痛い」という言葉の意味の理解が曖昧になり「感情の共有」ができません。さらに母親から「転ぶから走るな!」と怒鳴られて叩かれても、その意味を理解できません。母親に怒鳴られたり叩かれるのが嫌だから守るのであって、内容を理解して守っているのではありません。さらに「痛い」という不快感を取り除いてくれなかったことにより、子供は被保護感と「安心」を得ることができません。
(渡邉被告の最終意見陳述書より)
親からきちんと注意を向けられて、愛されている子どもはきちんと「痛い」という感情を親と共有することができ、さらには「転ぶから走ってはいけない」という規範と感情結びつけられるのです。
しかし、そうではない子どもは、母親が関心を示さないために「痛い」という感情が理解できなくなり、さらには規範と感情が分離してしまい、結びつくことがありません。
つまり、人を愛することが大切だというこの世界の道理を知ったところで、その行動を自分の感情や好意と結びつけることができず、自分の取っている行動が愛情とリンクしていないように感じられて苦しむことになります。
彼は、幼少期に両親から激しい虐待を受け、「あんたなんか産まなきゃ良かった。」と言われ続けてきたことで、精神的に欠陥を抱えたまま大人になってしまいました。
彼は誰かを愛したい、誰かに愛されたいという思いはあったのかもしれませんし、だからこそ黒髪ロングの女性に近づいたのかもしれません。
しかし、彼は自分がいくら世間一般で言う「愛する」という行動を取ろうとしても、そこに自分の愛情が全くリンクしないために、その乖離に苦しんでしまうのです。
そうして、その苦しみから解放されようと、彼は女性を殺害してしまったのかもしれませんね。
一方の加賀谷学もまた、父を亡くし、そして精神的に病んでしまった母親から酷い虐待を受けて育った人物です。
だからこそ、彼は自分が結婚して親になると、自分の母親のように子どもを苦しめてしまうのではないかという思いもあるでしょうし、何より愛されずに育った自分が誰かを愛することができるのだろうかというコンフリクトを抱えています。
浦野善治はそんな苦しみを抱えている彼を見て、「自分の同じ種類の人間」であると評したのだと思います。
そんな苦しみが、まさに加賀谷の美乃里に対する煮え切らない様子にも表れていましたし、母親と会うことへの強い拒絶にも表れていました。
浦野と関わる中で強い動揺を覚えた彼が、トイレの鏡に映る自分の姿に浦野を重ねたのは印象的なシーンでした。
同じような境遇で育った自分は彼のようになってしまうのではないか、誰も愛することができない残忍な人間なのではないかという恐怖と不安から逃れることができないのです。
しかし、事件が進展し、恋人である美乃里に魔の手が迫ると、彼は自分の命を投げ出してでも彼女を守ろうと必死でした。
愛そうとした人の命を奪った浦野と愛する人の命を必死で守ろうとした加賀谷。
同じような境遇で育ちながらも、ここで2人は明確に違う道を選んでいるんです。
つまり、子どもの頃に誰からも愛されずに育ったからと言って、誰も愛することができない人間になるかと言うと、決してそうではないのです。
先ほども述べた感情と規範の乖離を自分で苦しみながらも何とか埋めようとする人間は、いつか心から人を愛することができるのだと、加賀谷は自ら証明したのではないでしょうか。
人間は生まれる境遇を選ぶことができません。だからこそ親による虐待などは、子どもからすると避けようもない悲劇なのだと思います。
しかし、その境遇だけがその人を決定づけるわけではなく、人にはそれを跳ね返して成功する力もあれば、逆にその境遇から逃れられずに浦野のように犯罪に手を出してしまう人物もいます。
前作だけを見ると、確かに浦野には不幸な境遇があるため、少し彼に同情してしまう部分もありました。
ただ、今作『スマホを落としただけなのに2 囚われの殺人鬼』にて境遇を跳ね返して正義を貫き、そして人を愛することができた加賀谷という人物を描いたことで、彼が自らの意志で悪の道を選んだのだということが明確になったのだと思います。
生まれ育った境遇は確かに人の成長に大きな影響を与えます。
しかし、人間を形作るのはそれだけではない。
ラストシーンで、人目もはばからず美乃里にキスをした加賀谷は、拒んできた母親をも受け入れ、少しずつ前に進もうとしています。
生まれた環境が恵まれなくとも、人間には確かにその逆境を跳ね返して生きる力があるのだと、強く希望を与えてくれるようなラストと言えるのではないでしょうか。
2人を同じ境遇を持つ対比的なキャラクターとして描くことで、次作に向けて、悪と正義を明確に対立させる構造を生み出せたのは、非常に良かったのではないかと思います。
やはり気になる大作邦画的演出
前作もかなり酷かったですが、今回の『スマホを落としただけなのに2 囚われの殺人鬼』もやはり、大作邦画特有のチープな演出は目立ちましたね。
とにかく冒頭から、流石にそれは見たら分かるだろ・・・レベルの事物にテロップでの説明をガンガン入れていくのは、もういい加減にしてくれよと思いました(笑)
また、やっぱりほんの少し前のシーンであっても、回想を入れていくので、同じシーンを短いスパンで2回も3回も見ることとなり、そこまで説明してもらわなくても分かるでしょ・・・とぼやきたくなりました。
ただ、邦画大作を見る客層を鑑みると、これくらいのホスピタリティがないと、観客に理解してもらえないのかもしれないですね。
千葉雄大さんはともかくとして、ヒロインを演じた白石麻衣さんは明らかに「セリフ読んでます感」がありありと伝わってしまうタイプの演技だったので、女優としてはまだまだこれからとは言えど、厳しい部分がありました。
あとは2.5次元俳優としても有名な鈴木拡樹さんですが、微妙に舌足らずな語り口と、ぎごちないにもほどがある演技で、最初から怪しさがムンムンと出ていたのが、展開的にも惜しい気はしました。
また、キャストと言えば芸人の起用も目立ち、その数がかなり多かったことも相まって、チープさが増してしまった印象を受けました。
アキラ100%は、自分の持ちネタでかなり刑事ものが多いので、おそらくそれをネタとして弄るために警官役として起用されていたのだと思いますが、何だかシリアスな場面で登場したので、あまり噛み合っていない感を受けました。
また、ずんの飯尾和樹さんのシーンは、演出的意図は分かりますが、ちょっとくどいですね。
彼は、視聴者と同じ目線で、スマホを怖がったり、インターネットが繋がらずに悩んだり、また初歩的なことを知らない彼に、加賀谷らがレクチャーする演出を施すことで、専門知識や専門用語を観客に周知する役割を果たしていました。。
ただ、彼が警察のサイバー課の仮にも室長なので、明らかに設定に難がありすぎるのが、物語のノイズにもなっているように感じます。
芸人を大量に投入するのは大いに結構ですが、もう少し作品のトーンやリズム感、テンポ感を考えて配置して欲しいとは思いましたね。
何はともあれ、全体的にチープな演出や今一つな演技がありながらも、主題性や原作からの脚色は非常に良かったので、気になっている方はチェックしてみてくださいね。
原作との違いやアレンジについて
(C)2020 映画「スマホを落としただけなのに2」製作委員会
今回の『スマホを落としただけなのに2 囚われの殺人鬼』は原作とは微妙に物語が変更されています。
まず、今回の映画版は前作の「続編」として成立させるために、キャラクターを原作から変更しています。
- 桐野良一→加賀谷学
- 浦井光治→浦野善治
そもそも1作目の「丹沢山中連続殺人事件」を思わせるような事件が登場するのに、別の事件であり、登場人物も別人という妙な設定になっているのが、原作の2作目なんですよ。
ここがどう考えても、混乱を招きますし、中途半端なことをするくらいであれば、前作からキャラクターをリンクさせてシリーズミステリ化してしまった方が得策だと思います。
その点で、映画版はキャラクターを統一することで、そうした混乱を防ぎ、さらには先ほども述べたように加賀谷と浦野の対比が際立つ物語として見事に演出していました。
また、原作では幾分気になってしまった後半の展開がかなり納得がいくものに改変されていたのも印象的です。
まず、浦野の脱走の経緯が原作だと、街で信号などを司るシステムがハッキングされ、その混乱で警察の注意力が散漫になった好きに、消えてしまうというものでした。
ここについて、映画版では浦野が監視している警察官を上手く取り込み、そして彼を殺害することで脱出を図りました。
浦野というキャラクターの狂気的な魅力も出ていましたし、同時に1人の警察官を取り込んで、そこに彼のハッキング能力が合わさったことによる脱走劇としてきちんと成立していたので非常に納得できるものとなっていました。
また、個人的にもう1つ良かったのが美乃里が誘拐されてしまうときの経緯ですね。
原作だと、彼女は加賀谷の祖母の退院の手伝いをメールで頼まれ、そのために駅に向かった際に誘拐されてしまうという展開なのですが、状況から考えるといささか不可解なんですよ。
そもそも彼女のスマホがハッキングされて、遠隔操作されていたという状況にも関わらず、いくら加賀谷の祖母からのメールとは言え、メールだけで簡単に信用してしまうのも危機感に欠けます。
映画版は、美乃里が職場で1人でいた時に、突然誘拐されてしまうという展開になっており、このシーンで観客が暗に犯人の正体に気がつかされるようにもなっていました。
職場は安全だろうという妙な安心感が、一気に恐怖感に転じるという点でも視覚的なインパクトがありました。
原作のイマイチだったところについては、かなり改善されており、映画版の脚本は個人的には良かったと思っています。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『スマホを落としただけなのに2 囚われの殺人鬼』についてお話してきました。
ただ、中盤で、かなり作品のテンポ感が落ちた印象は否めないので、編集でもう少し物語のリズムを出しかったですね。
加えて、やはり邦画特有のテロップや増し増しの回想演出も、かなりノイズで、せっかくの練られた脚本が勿体なく感じられました。
前作と比べても、普通に人に勧めることができる水準の作品ではありますし、そして何より白石麻衣さんのファンの方はとりあえず見に行っておいて間違いないでしょう。
あとは、今回の浦野の警察からの脱出シーンは、明らかに『ダークナイト』のジョーカーを意図していたと思います。
原作も既に続編が刊行されており、今回のラストも「戦いはこれからだ・・・」的なものだったので、おそらく近いうちに3作目が公開されるのだろうとは思いますね。
気になる方はこちらもチェックしてみてくださいね!
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。