みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『初恋』についてお話していこうと思います。
当ブログ管理人は、三池崇史監督については半ば妄信的に信奉しておりますので、そんな彼が久しぶりにオリジナル映画を手掛けたとなると期待値を上げないわけにはいかないのであります。
世間では散々な評判だった実写版の『テラフォーマーズ』も絶賛しましたし、限定版Blu-rayを購入してしまったほどです。
近年の、三池監督のイメージは実験精神が豊富で、来るもの拒まずでとにかく数をこなすタイプのクリエイターという印象は強いです。
大作映画を多く手掛け、その中でどう考えても無理だろ・・・案件な実写化の企画を次々に任せられ、制約の中で苦しみながらも、自分の色や実験的演出を織り交ぜ、映画作りを楽しんでいるような、そんな姿がすごく好きなんですよね。
過去のインタビューでこんなことを言っていたのが、すごく印象的でした。
「そうですね。基本、断らない。『びっくりするほど予算がない。800万で全部仕上げる』って言われて『無理だろ』って思ったんだけど、そのプロデューサーは真顔で言ってる。その真顔を見てると、この人の出来る映画ってどんなイメージなんだろう?って、やってみたくなっちゃう。で、やってみるとすごく面白くて、800万じゃないと作れない物が出来てくる」
ただ、三池監督はその予算や制約の中でどんなものが作れるだろうかとワクワクする気質の持ち主なのです。
実写版『テラフォーマーズ』だって、脚本こそ残念な部分はありますが、ビジュアル・演出面で言うと、すごく面白い要素がたくさんありますからね。
そういう意味でも、今回彼が自分の作りたいものをリミッターを外して思いっきり作れたというのが、1ファンとして非常に嬉しいですし、そんな作品を見れたことそのものが何だか感慨深いです。
さて、ここからはもう少し作品の詳細を掘り下げながらお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『初恋』
あらすじ
ボクサーとして天賦の才能があるとして注目される葛城レオは、ある日の試合中にリング上で倒れてしまう。
運び込まれた病院で、精密検査を受けた彼は脳に腫瘍があり、余命がわずかであることを告げられるのだった。
生きる希望を失い、絶望に打ちひしがれながら街を彷徨っていたレオは、突然男から逃亡している女性に「助けて。」と告げられる。
咄嗟に、その男を殴り倒した彼は、逃げてきた女性と共に夜の街の中へと消えていく。
その女性は、モニカという名前であり、父に幼少の頃から虐待を受け、さらには、借金返済のために身売りされたという悲惨な境遇を抱えていた。
生まれた頃から孤独に育ってきたレオは、彼女のそんな恵まれない境遇に共感し、共に逃げることを決意する。
そんな時、やくざ者たちの世界では、消えた大量の薬物を巡って、日本系と中国系が一触即発寸前の状態となっていた。
そして、その薬物の盗難に関わったとされたモニカは両方の勢力から追われることになるのだが・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:三池崇史
- 脚本:NAKA雅MURA(中村雅)
- 撮影:北信康
- 照明:渡部嘉
- 編集:神谷朗
- 音楽:遠藤浩二
何と言うかスタッフの顔ぶれはこれまでにも三池組に携わってきた方が多いように思います。
脚本を担当したのは、『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』や『46億年の恋』でも三池監督とタッグを組んできたNAKA雅MURAさんです。
『どろろ』のような正直脚本が破綻しているといっても過言ではない作品も手掛けてきた方ですし、何なら今作『初恋』も脚本はあまり良くないんですよね。
撮影・照明には『無限の住人』『ラプラスの魔女』といった最近の作品も含め、何度も三池監督作品に携わってきた北信康さんと渡部嘉さんが参加しています。
編集には『ウスケボーイズ』などを手掛けてきた神谷朗さんが起用されていますが、ここも少しイマイチでしたね。
編集次第でもっと良くなっただろうと感じさせられた作品ですし、少し勿体なく思いました。
劇伴音楽には、こちらも三池監督作品常連の遠藤浩二さんが起用されています。
- 葛城レオ:窪田正孝
- 大伴:大森南朋
- 加瀬:染谷将太
- モニカ:小西桜子
- ジュリ:ベッキー
- 権藤:内野聖陽
主人公を演じたのは、窪田正孝さんです。
役にすごく深く入り込むタイプで、とりわけナイーブなキャラクターが似合う役者だと思いますが、今回は身体作りもお見事でした。
またヒロインのモニカ役には、小西桜子さんが抜擢されました。
彼女は、今年公開の『映像研には手を出すな』への出演も決まっており、2020年が飛躍の年になることが期待されています。
その他、脇を固めるキャスト陣も染谷将太さんやベッキー、内野聖陽さんそしてバイオレンス映画常連の大森南朋さんなど豪華な顔ぶれとなっています。
特に大森南朋さんは三池監督の『殺し屋1』で映画初主演でしたからね。
『初恋』感想・解説(ネタバレあり)
「初恋」というタイトルが意味するもの
初恋と最後の恋のちがいを、ご存じ? 初恋は、これが最後の恋だと思うし、最後の恋は、これこそ初恋だと思うもの
by トーベ・ヤンソン
本作はバイオレンス映画の側面もありながらも、『初恋』というタイトルがつけられています。
確かに、レオとモニカのボーイミーツガールが作品の中心にあり、運命的な2人の出会いとお互いに惹かれ合っていく様が描かれるので、単純に解釈すれば「初恋」はこの2人の間に生まれた感情ということになるでしょう。
しかし、よくよく考えると、モニカの初恋の相手って幼少期に自分の親父を殴って助けようとしてくれた幼馴染の男の子、竜司ですよね。
ということで、改めてこのタイトルの意味を考えていくのですが、私が感じたのは、本作は「気づく物語」だったんじゃないかという仮説です。
(C)2020「初恋」製作委員会
まず、モニカは物語冒頭から薬物中毒であり、時折強い不安を感じると幼馴染の竜司の名前を連呼します。
彼女が彼に対してい抱いている思いは、恋心というよりは強い依存心であり、好きだったというよりも自分を守ってくれる存在として縋っていたんだと思います。
だからこそ、彼女はレオにそんな自分の守護者の姿を重ね、助けてもらうわけですが、彼女は間違いなく彼の姿を通じて竜司の面影を追いかけていますよね。
つまり、彼女がレオについて回るのは、結局のところ、過去に自分を助けてくれた竜司に対して抱いている依存心をそのまま投影しているだけなのです。
しかし、そんな彼女も物語を通じて少しずつ心情が変化していき、成長していきます。
そして彼女は最終的に、夜が明けた故郷の街で竜司と再会することとなりました。
結婚し、妊娠した奥さんと連れ添って歩く彼の姿を見て、モニカはただ「おめでとう。」「ありがとう。でも、大丈夫だから。」と告げ、彼の前から去っていきます。
私は、この時、初めて彼女がかつて竜司に対して抱いていた思いを初恋と定義づけることができたんだなと思いました。
そして、彼を好きだったことを自覚できたからこそ、自分が今レオという男性を好きになってしまったのだということも実感できたのでしょう。
本作の物語はモニカ視点で読み解くなれば、やはり自分のかつて抱いた恋心に気がつくまでの旅路と捉えることができます。
一方で、レオの物語として見た時に初恋がどの部分に当たるのかを考えてみたいと思います。
私が考える、レオの恋の相手は、ボクシングです。
まあ、結構無茶苦茶ではありますが、自分なりの解釈なので、語らせてください。
というのも、天涯孤独であるレオにとってボクシングというのは唯一のめり込むことができたものであり、自分自身の恵まれない境遇から救い出してくれたものでもあると思うんですね。
しかし、物語序盤の彼は、ボクシングにそれほど打ち込んでいる素振りもなく、勝利をしてもどこかクールな様子を貫いていました。取材が来ても、終始冷静で、貴社を当惑させていましたしね。
ただ、彼は試合中に倒れてしまい、病院で脳の腫瘍が故に余命がわずかであることを告げられてしまいます。
その診断結果が出た時に、レオは自分の身を案ずるというよりは、あの時の試合に負けたのが不可解だったのだということを真っ先に口走っていました。
つまり、彼はそれくらいにボクシングという競技を愛しているのに、それに自分が気がついていないんですよ。
そんな彼は、物語の中でモニカとの逃避行を続け、その中で極道の面々と本気の殴り合いを演じます。
命を懸けた本気の殴り合いの中で、彼は、自分がボクシングを愛していること、そしてリング上での極限状態での戦いの中で自分の生を感じていたのだということに気がつかされていきます。
そして、何よりモニカという存在を守るために戦ったというのが非常に大きいのではないでしょうか。
彼は天涯孤独であり、彼には失うものもなければ、守るものなど何もありませんでした。
しかし、彼女の存在があることで、彼には戦う意味が生まれ、勝利を得ることを渇望するようになります。
彼はボクシングに対して初恋にも似た感情を抱いていたことに気がつくと共に、そんなボクシングを通じて守りたいと思ったモニカに対して自分が抱いている思いもまた恋心であることにも気がついたのでしょう。
つまり、彼にとっての初恋はボクシングが相手なのであり、それに気がつかせてくれた存在がモニカなのではないでしょうか。
そう考えると、本作は、レオとモニカそれぞれの気づきが、お互いへの恋心の芽生えを気がつかせてくれた物語ということになるのでしょう。
2人にとっての初恋は私たちが一般に想像するような甘酸っぱいものではなく、むしろ彼らの人生の屋台骨のような機能を果たしていたんだと私は考えています。
辛く苦しい境遇を生き延びるために、彼らにとっては必要不可欠だったわけで、それが恋ないし恋にも似た感情だとは気がつかなかったんでしょう。
それ故に、彼らの初恋は無意識のうちに始まっており、最中にいる時にはそれを自覚することはなかったと言えるかもしれません。
レオは脳腫瘍のためにボクシングはもうできないと言われたことがきっかけでボクシングへの思いを自覚し、モニカは竜司に再会し、自分の初恋が終わってしまっていたことを実感しました。
冒頭に引用した「初恋は、これが最後の恋だと思うし、最後の恋は、これこそ初恋だと思うもの」という言葉には、次のような解説が付与されています。
人は何度か恋を経験するのである。そのたびに情熱に焼かれ、辛酸をなめる。経験を重ねるごとに、しだいに臆病になり、慎重になる。そして、それでも恋におちいってしまったとき、今までの恋は本当の恋ではなかった、これこそが本当の恋だったのだと思う。つまり初恋なのである。
(JLogosより引用)
人は何度も恋に落ち、その度に、今までの恋は違う、これが「初恋」なんだと思うのかもしれません。
レオとモニカは、経験しないままに終わってしまっただけの初恋を自覚し、そして新しい恋に出会いました。
そうであれば、レオとモニカがこれから2人で経験するのは、本当の意味で愛情を交わす恋愛なのであり、そして初めて自分がその感情の中に身を置くという点で「初恋」と呼ぶに値するものなのだと思います。
2人は、弱い自分を守ってもらう依存的なものとしてではなく、自分を高め、その強い自分でもって寄り添いあえる「恋」に出会えたのでしょう。
彼らは本当の恋に出会った。つまりそれは初恋ではなくとも「初恋」なのです。
三池崇史流の『ワンハリ』とも言える作品
三池監督の初期のバイオレンス映画は、世界中に少なくない影響を与えており、その影響を受けた1人がクエンティン・タランティーノです。
ただ、面白いのは、本作『初恋』はそんな自分が影響を与えたタランティーノ監督作品からその演出や構成を逆輸入したような形になっているんですよ。
まずプロットそのものが、彼が脚本を手掛けた『トゥルーロマンス』から多大な影響を受けたものであることはもはや言うまでもありません。
そして、演出面で言うと、パートアニメーションの手法は明らかに『キル=ビル』からの逆輸入ですよね。
元々三池崇史監督の十八番とも言えるコメディ描写を挟む構成や、ポップでかつグロテスクな人体損壊描写などは、タランティーノ監督との共通項でもあります。
また、公開時期がほとんど同じですので、偶然ではあると思うのですが、『ワンスアポンアタイムインハリウッド』と『初恋』の作品性はすごく似ていると個人的には感じています。
『ワンスアポンアタイムインハリウッド』は古き良きハリウッドを描いた作品でありつつも、時代の変化をすごく匂わせる内容であり、とりわけワインスタイン騒動の影響が色濃く反映されています。
そのため、タランティーノ監督自身が、古き悪しきハリウッドから脱却していかなければならないと感じている節も伺えますし、だからこそ物語の結末においてはクリフブースという男に「暴力」というものを背負わせて、静かに物語から退場させます。
一方の『初恋』はと言いますと、実に今の日本の映画界と懐かしい古き良き日本の映画界を象徴的に描く中で、時代の変化を強く感じさせる作品だと思います。
ヤクザ映画、極道映画と言うと、まさしく日本の古き良き映画の象徴でもありますし、近年その数が減ってしまいましたが、過去に黄金期を築いたジャンルと言えるでしょう。
逆にレオとモニカの物語に散りばめられた「余命もの」「恋愛もの」「ボーイミーツガール」の要素は、近年の邦画界で台頭し、その作品数が増加してきたジャンルとも言えます。
このメタジャンル映画的な視点から見ると、本作はまさしくヤクザ映画、極道映画の落日と「余命もの」や「ボーイミーツガール」の盛り上がりを描いていると考えられますよね。
終盤に、内野聖陽さんが演じる権藤という暴力っ気のある男が、長い橋の向こうへとパトカーに追われながら車を走らせていくシーンでこんなセリフがありました。
「極道に朝日は似合わねえよ・・・。」
このシーンの権藤って『ワンスアポンアタイムインハリウッド』におけるクリフブースとすごく役割的に似ていると思うんですよね。
やはり日本の映画界において、今バイオレンス映画やヤクザ・極道映画はジャンルとしてかなり人気が下火になってしまっています。
『孤狼の血』のようなあの頃をもう一度的な作品も公開されてはいますが、興行的にそれほど芳しい成績を残せていないのも事実です。
これはもう逆らい難い時代の変化としか言いようがないのだと思います。
そして何とも面白いのが、三池崇史監督はこの時代の変化に逆らおうとしているというより、むしろその変化を楽しんでいる立場にいると感じさせる点なんですよ。
結局淘汰されていくというのは、時代にそぐわなかったからであり、適応しようとするのであれば何らかの変化を起こしていかなければなりません。
これまで大作を多く手掛け、失敗もありながら実験を重ねてきた三池崇史監督だからこそ、そういった変化を肯定的に受け止め、その中で何ができるのかを模索しているのだと思います。
やはり時代が変化するということは、人々の思考が変化するということであり、そうなると必然的に映画の在り方も変容していくものです。
その中で、今の邦画界にどうやってバイオレンス映画を適応させていくのか、その1つの実験的ソリューションとして、三池監督は、この『初恋』を作ったのかもしれません。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『初恋』についてお話してきました。
とにかく語りたいことは山ほどある作品なので、まだまだ書いていきます。
まずはっきりと申し上げることができるのは、本作は三池崇史監督作品入門編として最もおすすめできる1作だということでしょうか。
というのも、大作映画ばかりを手掛けていた頃のエッセンスと、初期のバイオレンス映画一筋だった頃のエッセンスが絶妙な割合で配合されていて、非常にバランスが良いんです。
そのため、この作品から入って他の作品を見ていくという流れは非常にスムーズだと思います。
『初恋』を見た方におすすめなのは、
- 『ビジターQ』
- 『殺し屋1』
- 『極道恐怖大劇場 牛頭』
あたりでしょうか?
何はともあれ、近年邦画大作の印象で過小評価されているのが三池崇史監督ですから、今作を機に再びすごい映画監督なんだということを多くの人に再認知して欲しいと思っています。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。