みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『SHIROBAKO』についてお話していこうと思います。
5年前にテレビシリーズが放送されていた頃、関連書籍やらBlu-rayやらを買い漁るほどにのめり込み、何度も見返した作品がついに劇場版になりました。
そもそも作品の完成がかなり遅れていたようで、公開日の数日前に納品で、映倫の審査が終わったのが公開日直前というギリギリのスケジュールだったようです。
作品の中のキャラクターたちのギリギリの戦いが現実でも起きているんだということを、『SHIROBAKO』という作品そのものが体現しているとも言えますね。
テレビシリーズで、何とか『第三飛行少女隊』を完成させ、ハッピーエンドを迎えた宮森たちのその後のエピソードを描くのが、今回の映画版なんですが、とにかくリアルでド鬱なストーリー展開に衝撃を受けました。
アニメーションの現場で生きる苦しさをテレビシリーズも描いてはいましたが、ある程度フィクションないしファンタジー要素とのバランスはとれていて、見ていて気持ちが落ち込むことはありませんでした。
何より「アニメーションの現場って良いなぁ…。」と純粋に思えたと記憶しています。
ただ、映画版はそこに真っ直ぐ向き合うようなリアルを追求した作品となっています。
今の日本のアニメ業界で「食べていく」というのは、こういうことなんだぞというリアルを悲哀と苦しみ、葛藤の要素を全面に押し出して描いているのです。
個人的には、テレビシリーズともトーンががらりと変わりましたし、かなり賛否が分かれる内容だと思います。
今回は、そんな映画『SHIROBAKO』についてに感じたことを語っていきたいと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
映画『SHIROBAKO』
あらすじ
『第三飛行少女隊』を完成させ、高い評価を獲得した武蔵野アニメーションは、次々に新作を打ち出しアニメーション業界での地位を高めていく。
そんな飛ぶ鳥を落とす勢いの宮森たちに、衝撃的な災難が舞い込んでくる。
後に「タイマス事変」と呼ばれるその事件は、何とスポンサーが企画に出していたムサニのオリジナルアニメに対するGOサインを急遽撤回したことで、制作中止にせざるを得なくなったという顛末であった。
これにより大損害を受け、スタッフたちも精神的に大きなダメージを受け、多くの面々が武蔵野アニメーションを去ってしまったのだった。
ムサニは完全にそれまでの勢いを失い、もはや元請けとして作品を制作するほどのリソースも社内に残っておらず、下請けとしてアニメーション制作に携わることが増えていた。
『第三飛行少女隊』は他の制作会社に元請けの立場を奪われ、明らかに改悪としか言えない続編の製作が為されていた。
それでもムサニに残り、戦い続ける宮森は社長となった渡辺から新作オリジナル劇場版制作の話を持ち掛けられる。
「タイマス事変」のトラウマもあり、自分にも自信を喪失していた宮森はその企画をやるかやらないかで葛藤する。
しかし、とにかく前に進まなければという前社長の丸川のアドバイスもあり、彼女は再び劇場版の制作のプロデューサーを務めることを決断するのだった・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:水島努
- シリーズ構成・脚本:横手美智子
- 総作画監督:関口可奈味
- 美術監督:竹田悠介 垣堺司
- 撮影監督:梶原幸代
- 編集:高橋歩
- 音楽:浜口史郎
- 主題歌:fhana『星をあつめて』
- プロデュース:infinite
- アニメーション制作:P.A.WORKS
今回の映画『SHIROBAKO』の監督を務めたのは、『ガールズ&パンツァー』などでもお馴染みの水島努さんですが本当にいくつ作品手掛けてるの?ってレベルで仕事してますよね。
去年はテレビシリーズの『荒野のコトブキ飛行隊』があり、そして『ガールズ&パンツァー 最終章』があり、さらに今作ですからね。
ただ、これだけ手掛ける作品が増えても外さないのが、本当に素晴らしいと思いますし、今回もスケジュールギリギリだったようではありますが、流石のクオリティでした。
脚本は、もう水島監督作品と言えばこの人!になりつつある横手美智子さんが担当しています。
そして主題歌には、『有頂天家族』や『ハルチカ』などP.A.WORKS作品で何度も主題歌を担当しているfhanaが起用されました。
楽曲は『星をあつめて』ですね。
エンドロールでこの曲を聴くと、思わずその歌詞に涙が溢れ出そうになりますね。
- 宮森あおい:木村珠莉
- 安原絵麻:佳村はるか
- 坂木しずか:千菅春香
- 藤堂美沙:高野麻美
- 今井みどり:大和田仁美
- 宮井楓:佐倉綾音
そもそも今作のメインキャラクター5人って『SHIROBAKO』で主要キャラクターに抜擢された頃は本当に駆け出しの声優さんたちばかりで、宮森を演じている木村珠莉さんなんて完全に無名声優だったと思います。
ただ、本作の演技で注目を集め、5人はその後声優としてのキャリアをどんどん積んでいき、様々な作品で配役を勝ち取っています。
そうしてパワーアップした5人が、5年ぶりにある意味ではじまりの場所とも言える『SHIROBAKO』という作品に帰ってきたこと自体に感激なんですよ。
こういうキャストを発掘して、彼らが成長してまた作品に戻って来てという構造そのものが、何だかMCU(マーベルシネマティックユニバース)を見ているような感覚で、胸が熱くなります。
そして新キャラクターの宮井楓を佐倉綾音さんが演じていますね。
このキャラクターの初登場シーンが何とも面白かったのは、最初はすごく声の癖が抑えめで「私、佐倉綾音じゃないですよ!」感を必死で醸し出そうとしているんです。
(C)2020劇場版「SHIROBAKO」製作委員会
ただ、シーンが変わって居酒屋のシーンに突入すると、いきなり佐倉綾音120%状態になり、ついに本性を現したな!的なボイスアクトに転じます(笑)
個性的なキャストたちの掛け合いが非常に楽しいところは、テレビシリーズから健在で安心しました。
映画『SHIROBAKO』感想・解説(ネタバレあり)
テレビシリーズは見ておくべきか?
テレビアニメシリーズの劇場版を見に行くときに、気になるのは映画から入っても大丈夫かどうかという点でしょうか。
今回の『SHIROBAKO』に関して言うなれば、正直かなり厳しいだろうというのが、当ブログ管理人なりの見立ててです。
というのも、個人的にですが、今回の劇場版の構成は『アベンジャーズエンドゲーム』に近いと思っています。
もう少し詳しく言うなれば、テレビシリーズで各キャラクターの物語はある程度掘り下げて描いたという前提に基づく、アッセンブル映画の様相なのです。
そのため、登場するキャラクターもかなり多く、そして1人1人に対して親切に説明してくれるような設定ではないので、ガンガン話が進んでいきます。
とりあえず大まかなプロットさえ掴めればそれで良いというのであれば、一応冒頭に「これまでのあらすじ」的なコーナーがあるので、劇場版だけでも追えるとは思います。
しかし、登場人物の関係性や感情、それぞれが抱いている課題や夢などテレビシリーズで描かれたバックグラウンドは、基本的に知っている前提だと思ってください。
また、映像的な部分でも、テレビシリーズを知っているとより楽しめる要素が散見されます。
例えば、冒頭に描かれる公道での営業車とライバル会社の営業車のカーレースを予見させるシーンは、テレビシリーズ第1話へのオマージュです。
他にも杉江さんが動物作画に定評があるという設定や、絵麻のエンゼル体操がしれっと宮森のミュージカルシーンに出て来ていたり、「木佐の『やってます』『あとちょっとです』は信用してはいけない」で有名な木佐さんが相変わらずサイクリングにかまけていたり、挙げていくとキリがないほどにテレビシリーズ来の小ネタが散りばめられています。
『うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー』に憧れてアニメーターになった瀬川さんが、遠藤に「前に進まなきゃ!」と励ましの言葉をかけていたのも、何だかすごくしっくりきました。
他にもテレビシリーズでも描かれた、制作会社(テレビ版では出版社)への殴り込みの展開があったり、しれっと三女の原作者である茶沢 信輔が登場していて、それがラストシーンへの布石になっているなど、細かいところまでテレビシリーズを追いかけてきた人に向けた目くばせが行き届いています。
こういったディテールの部分を楽しむためにも2クールと少し長めではありますが、ぜひテレビシリーズを見てから劇場版という流れで鑑賞していただければと思います。
テレビシリーズと対になる爽快感無きリアルな戦い
(C)2020劇場版「SHIROBAKO」製作委員会
今回の劇場版『SHIROBAKO』は、極めて意図的にテレビシリーズと対になるような、ファンタジーを極力排した物語を描いています。
テレビシリーズは、宮森ら同級生5人のそれぞれの明るい未来を予見させながら「俺たちの戦いはこれからだ!」というところで幕を閉じたと思います。
あの終わり方の後に、私たち視聴者が想像するのは、5人が成長しそれぞれの成功を勝ち取るポジティブなイメージでしょう。
しかし、今回の劇場版はそんな幻想を一瞬にして打ち砕き、happily ever afterなんて幻だと言わんばかりの、凄惨な状況を映し出していきます。
ボロボロになった武蔵野アニメーションの営業車、ボロボロの社ビル、人が去りガランとした社内。
もちろん、テレビシリーズにもキャラクターたちの苦悩や葛藤はありましたが、あくまでもアニメーション業界の「今」をファンタジックかつエキサイティングに描いたという意味合いが強かったように思います。
ただ、今回の映画版はそんなテレビシリーズとバランスを取るが如く、リアルで憂鬱なアニメーション業界の負の側面にスポットを当てています。
あんなにアニメーションづくりに情熱を燃やして、一生懸命に駆け回っていた宮森が、覇気なく仕事をして、家に帰っては酒浸りとそんな生活をしている姿を見て、とてもアニメづくりに携わってみようとは思えないですよね。
ただ、そんな苦しい時期を過ごしている宮森や武蔵野アニメーションを見ていると、アニメーションを作って「食べていく」というのはこういうことなんだと思い知らされます。
劇中でも「好き」だけではダメなんだという旨を示唆するセリフが登場しましたが、まさしくその通りでいくらアニメーションが大好きでも、それを仕事にするとなると、また別問題なんですよ。
今、テレビシリーズで『映像研には手を出すな』が放送されていて、モノづくりに携わる人間としては共感するポイントも多い作品ですが、彼らはビジネスで作品を作っているわけではありませんよね。
確かに納期や予算という制約こそ設けられていますが、その作品の制作を落としたからと言って、人生が終わるわけではありません。
しかし、アニメーション業界で生きるということは、そこに自分の人生を賭すということであり、失敗するともう「食べていけなくなる」可能性だって当然あります。
例えば、フリーのアニメーターに転身した絵麻は、作画監督としての仕事にダメ出しを受けた時に、仕事がもう来なくなって、このまま消えていくかもしれないと悩んでいました。
脚本家として期待されているみどりだって、ダメ脚本家のレッテルを貼られて、仕事が来なくなるかもしれないという危機感を感じています。
好きを仕事にしたいと誰もが願うわけですが、それを仕事にしてしまったら「好き」だけではダメなんですよね。
テレビシリーズには、まだ「好き」を強く持ち続ければ、仕事も上手くいくくらいの「優しさ」が内包されていましたが、今回の劇場版『SHIROBAKO』は容赦ありません。
監督がパンフレットの最初に「あんまり夢がないですよね。夢がなくてすみません。」と書いているわけですが、お仕事アニメーションとしてここまでリアルを追求したことにはすごく意義があったと個人的には感じています。
今回の劇場版には、テレビシリーズにあったような特大のカタルシスやファンタジックな展開は、ほとんどなかったように思います。
特にそれが顕著に表れていたのが、宮森が宮井楓と共に「げ~べ~う~」に乗り込むシーンでしょうか。
テレビシリーズでは木下監督が原作者の下へと乗り込んで、作品の方向性を話し合って意気投合するというある種のファンタジックな展開として登場していました。
しかし映画版は、作劇こそフィクショナルに仕上げていますが、肝心の敵を打つ負かすフェーズでは、法律用語と音声証拠で打ち負かすというすごくリアリスティックな武器で勝利を収めるんですよ。
そのため、何とか作品の制作を続けることができるんだという安心感はあれど、そこに爽快感はないんですよね。
テレビシリーズにあったような特大のカタルシスや爽快感、エモーショナルさは明らかに弱くなった一方で、劇場版は安心感や小さな達成感にスポットを当てていたように感じます。
そしてきっとそれらは、アニメーションの現場にいる人たちが「食べていく」ために仕事をする中で、感じているリアルな思いなのでしょう。
全てはアニメーションで語る
(C)2020劇場版「SHIROBAKO」製作委員会
今回の劇場版『SHIROBAKO』を見ていて、すごく感動したのは、小さな点と点を結んでアニメーションが完成しているんだと実感させられたことです。
太郎が劇中で、「点と線と円」という企画書を持っていたり、子どもたちがワークショップで点を繋いでアニメーションづくりに取り組む一幕もありました。
そういう意味でも、今作の主題の中には「点と線と円」が内包されているような気がします。
基本的に劇場版の構成は、テレビシリーズを見ている前提ではあるので、取り立てて1人1人のキャラクターの物語を深く掘り下げるということはしません。
ある程度キャラクターのバッグラウンドが理解されているという前提で作られるわけですから、どうしても物語的な描き込みの不足は感じることでしょう。
しかし、この劇場版が改めてすごいと感じさせられるのは、点である各キャラクターたちの物語や成長を、それが1本の線としてつながったラストの『空中強襲揚陸艦SIVA』のアニメーションで見せてしまうところです。
確かに各キャラクターの物語はもっと見たいと感じさせられる部分はありますが、そこを敢えて描かずに、「アニメクリエイターは作品で語るんだ!」と言わんばかりに、ラストの劇中アニメシークエンスに託したのは、流石だと思いましたね。
遠藤が作った外連味溢れるメカデザイン、杉江さんの動物アクション、成長した絵麻の生き生きとした作画、しずかの覚悟を感じるボイスアクト…。
そして、描かったもので言えば、木下監督たちが、終盤の展開を作り直すことを決定してから、そのプロセスを一切描かなかったのも潔かったと思います。
また、劇中アニメーションの『空中強襲揚陸艦SIVA』の物語性が、武蔵野アニメーションの現状と強くリンクしているという演出も非常に効いていたと思います。
「タイマス事変」以来苦しい状況に置かれていた彼らが、そのトラウマから抜け出して、何とか前に進もうと「悪あがき」をする姿は、まさしく『空中強襲揚陸艦SIVA』のキャラクターたちそのものです。
絶対に勝ち目のない戦いかもしれないけども、とにかく前に進むしかない、明日に進むしかないんだという思いが、武蔵野アニメーションの面々と『空中強襲揚陸艦SIVA』のキャラクターたちの間でリンクすることで、本作のラストシーンは一層その意義が強まります。
『空中強襲揚陸艦SIVA』のラストシーンはまさしくアルテたちが故郷を目指して広大な宇宙に飛び出していくシーンでしたが、それがそのまま劇場版『SHIROBAKO』のラストシーンにもなっている点は特筆すべき点です。
私たちがアニメーションに対して評価をするのは、当然見えている部分、つまり作品そのものだけですよね。
それを作る過程でどんなことが起きていたのかなんて、勘定には入りませんし、それを表に出すのはプロフェッショナルとは言えないでしょう。
人は1人でいると「点」でしかありませんが、2人いると「線」になり、それが寄り集まることで「円」になっていきます。
アニメーションとは、多くの人が手を取り合って作る1つの「円」のようなものです。
それ故に、『SHIROBAKO』は作品の根幹になるアンサーを「点」や「線」のレイヤーというよりは、むしろ「円」のレイヤーで見せようとしていました。
アニメーションのリアルを追求する『SHIROBAKO』という作品だからこそ、登場人物たちの成長や達成のプロセスを見せることなく、ただ成果物としてのアニメーションを見せるだけで、そこに武蔵野アニメーションの物語の帰結や登場人物の成長、感情の変化を観客に感じさせたのは、本当に素晴らしかったと思います。
宮森のミュージカルシーンに感涙
(C)2020劇場版「SHIROBAKO」製作委員会
今回の劇場版『SHIROBAKO』の中で、個人的に特に感動したのが、序盤に、主人公の宮森の意識の変化として描かれたミュージカルシーンですね。
ただ、あの『アニメーションをつくりましょう』のシーンは、本当にP.A.WORKSという会社のアニメに向き合っていく思いが凝縮されていた様に感じるんです。
というのも、ここには宮森のイマジナリーフレンドであるミムジーとロロに加えて、これまで彼女が携わったアニメーションに登場したキャラクターたちが多数登場しているからです。
もちろんこの中にはテレビシリーズで彼女が手掛けた『えくそだすっ!』や『第三飛行少女隊』も登場していますし、おそらく武蔵野アニメーションがその後手掛けた作品のキャラクターたちも登場します。
これらはまさしく「作り手」の視点から見た時の、自分の作品遍歴ですよね。
そして今まで自分が作り上げてきたものの存在が、前に進む原動力となり、背中を押してくれるという構図を描いているのが憎いところです。
劇中で、山田監督がある種の新海誠監督のような持ち上げられ方をして、メディア露出が増えているという描写がありましたが、彼について評したセリフに「まだ2作品目だからね~。」というものがありました。
このセリフが1つのきっかけとなり、気がついたのですが、本作『SHIROBAKO』が重要視しているのは、もちろん素晴らしいアニメーションを世に送り出すことが前提ではありますが、もっとその先のことだと思いました。
つまり、作るだけではなく、作り続けることが大切なのだという美徳を感じるのです。
武蔵野アニメーションは確かに素晴らしい作品を世に送り出してきましたが、1度のトラブルでその名声は過去のものとなり、会社は傾いてしまいました。
素晴らしい作品を作ったとしても、その名声も栄光も永遠に続くことはありませんし、確かに色あせ、風化していきます。
だからこそ、素晴らしい作品を作り続け、自らの誇りと価値を世界に示し続けなければならないのです。
今回の劇場版は、そんな「作り続ける」ことの難しさと苦悩にすごくフォーカスしていたのではないかと感じました。
それもあって、宮森のミュージカルシーンで、彼女がこれまで作り続けてきたものたちが、次なる一歩を踏み出す原動力になるというシチュエーションに感動しました。
そして、このシーンが素晴らしかったのは、「作り手」の視点だけではなく、「見る側」つまり視聴者である私たちの視点も内包されていたことです。
よくよく考えると、このシーンに登場している『山はりねずみアンデスチャッキー』のキャラクターたちは彼女が作ったものではなく、彼女がアニメーションに憧れるきっかけとなった作品です。
つまり、チャッキーたちが登場することによって、宮森は「作り手」の立場だけでなく、アニメーションに励まされ、勇気をもらって前を向く「視聴者」の立場をも内包しているのです。
そういう意味でも、単なるアニメーションに携わる人たちに向けた讃歌としてだけでなく、アニメーションで見る人を勇気づけたいというP.A.WORKSの熱い思いがこもった作品だと思いましたし、それが表れたミュージカルシーンだと思いました。
京都アニメーションの一件があったからこそ感じたこと
これについては制作側が何を意図しているかという話ではなく、あくまでも自分がこの映画を見ていて感じた主観的な思いです。
P.A.WORKSは昨年の夏、京都アニメーションの放火事件が起きた際に公式サイトにこんな声明を掲載していました。
京都アニメーションの皆様が思いを込めて作った作品が、これからも世界中の人々の心に響き、 生きる力となることを願っております。
社長の堀川さんは、インタビューなどでも「良いものを作ろうという熱量が外まで伝わってくる。目指すべき一つの理想」と京都アニメーションのイメージを語っていました。
P.A.WORKSと京都アニメーションはお互いに地方に拠点を置き、その土地に根差したアニメーションを制作しているという点で、共通点の多い制作会社です。
そしてP.A.WORKSの堀川社長は、事件が起きたに社内の朝礼でこんなことを語ったのだそうです。
京都アニメーションはアニメーション制作会社の1つの理想形を40年かけて作り上げた会社です。長い年月、全社一丸となって積み上げてきた組織力があります。必ずまた再建されると思います。
(中略)
こんな理不尽なことが起きる世界であっても、強く生きていくことについて、その希望について、長い時間をかけて考えていかなければなりません。それを作品に込めて発信すること。広く、長く語り継がれる作品を作ることが僕らの技術と時間と情熱と才能を込めてできる最も強い闘い方だと思っています。
(堀川憲司さんのTwitterより)
P.A.WORKSないし堀川社長がこんな思いを抱いていて、それが社員にも共有されていたのだと考えると、私はどうしても、今回の劇場版『SHIROBAKO』において武蔵野アニメーションが置かれていた危機的な状況に京都アニメーションの今の苦境が重なって見えました。
もちろん会社の経営難で社員が離散してしまったことと歴史上類を見ないレベルの殺人事件を同列に語ることはできません。
それでも、崩壊から立ち直って、少しずつまた人が集まって、良い作品を世に送り出してほしいというP.A.WORKSから京都アニメーションへの思いがこの作品には詰まっていると私は感じました。
理不尽なことがあっても、強く生きることとその希望について考えていかなければならない。
アニメ制作会社として、その思いを、希望を、アニメーションに乗せて届けようとしたのでしょうか。
ライバルとして、共にアニメーション業界を盛り上げていく仲間として、京都アニメーションという制作会社を真にリスペクトしているからこそ、そういうメッセージを込めたのではないかと勝手に想像して、涙が出ました。
堀川さん自身は、丸川に自分の思いを投影したと語っているので、もっと広義に解釈すると、これからアニメーション業界で仕事をしていく全ての人たちに向けたエールにも取れますね。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は劇場版『SHIROBAKO』についてお話してきました。
作品のトーンがかなり変わっていますし、前半は怒涛の鬱展開で見ていて、胸が苦しくなりました。
アニメ業界の良い部分を強調し、ファンタジックに脚色したテレビシリーズと、逆に暗部にもスポットを当ててリアル志向を貫いた映画版。
どちらもアニメーション業界の「今」を描いてはいますが、ここまで違ったトーンになっているのも何だか面白いですし、おそらく後者の方がリアルな空気感に近いのだと思います。
そんな状況の中でアニメに携わり続けるためには、「好き」だけではダメで、覚悟と自信をもって、立ち向かえるかどうかが重要です。
そういう少し厳しいメッセージ性をも内包させた作品だからこそ、ダークなテイストを押し出したのも理解できます。
おそらく、この劇場版だけを見て「アニメーションづくりって良いよな!」と純粋無垢に目を輝かせるのは難しいでしょう。
それでも仕事にしたいのであれば、アニメーションで「食べていきたい」なら、ここまで考えて、そして覚悟しなければならないんだという、強い思いを感じました。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。