みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ジュディ 虹の彼方に』についてお話していこうと思います。
レニー・ゼルウィガーとジュディ・ガーランドの境遇というか置かれている状況が図らずもリンクしていて、そのシナジーがとんでもない演技を生み出してしまったのでしょうか。
レニー・ゼルウィガーは『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズや『シカゴ』などに出演し、一躍有名になりました。
アカデミー賞主演女優賞に幾度となくノミネートされており、『コールドマウンテン』でアカデミー賞助演女優賞を獲得しました。
ただ、2010年代に入ると、女優を事実上休業していて、本人のインタビューなんかによるとプライベートを優先したかったとのことですね。
その間、『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズの続編がありましたので、そこでは顔を見せ、同年の『砂上の法廷』にて新作映画にカムバックとなりました。
その後、再び大きな役からは離れていましたが、今回の『ジュディ 虹の彼方に』で華麗なるカムバックを見せました。
ジュディ・ガーランドは幼少期に大人に薬づけにされ、金を稼ぐための道具として利用された経験が、その後の人生に暗い影を落とす結果となったわけですが、レニー・ゼルウィガーもまた仕事とプライベートの両立に苦しんだ経験があったと語っています。
仕事中心の人生にやりきれなくなり、思い切って演技の世界から去り、そしてプライベートを優先した人生を過ごすようになったというのです。
そういう意味でも、2人は何だかリンクする部分があるように思えますね。
さて、今回はそんな映画『ジュディ 虹の彼方に』について語っていきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ジュディ 虹の彼方に』
あらすじ
ジュディ・ガーランドは、幼少期に『オズの魔法使』に出演したことでスターとなり、一躍人気者となったが、仕事のために大人たちによって薬づけにされてしまった。
覚せい剤と睡眠薬、仕事のストレス、過度なダイエットによって精神的に不調をきたし、不眠症になり、次第に仕事に結石・遅刻することが増えていった。
結果的に彼女が所属していたMGMは1950年に入ると、彼女を解雇してしまう。『スタア誕生』での華々しいカムバックもありながらも、紆余曲折あり、彼女は借金で首が回らない状態になっていた。
彼女は自分の子どもたちとアメリカの各地でショーをする生活を送っていたが、金銭的に余裕がなく、更には定住できる家もない状態だった。
結果的に、子どもたちが小学校を卒業するまでという条件で、元夫に親権を譲り、彼女は再起をかけてロンドンでコンサートを開催することとなった。
しかし、そこでも、過去のトラウマや神経症、不眠症が顔を覗かせ、思うようにパフォーマンスができない。
苦しみながらも、ステージに立ち、そして観客と自分との間に生まれる「愛」を信じ続けるジュディの晩年の刹那の時間を切り取る名作である。
スタッフ・キャスト
- 監督:ルパート・グールド
- 原作:ピーター・キルター
- 脚本:トム・エッジ
- 撮影:オーレ・ブラット・バークランド
- 衣装:ジャイニー・テマイム
- 編集:メラニー・アン・オリバー
- 音楽:ガブリエル・ヤーレ
今作『ジュディ 虹の彼方に』はそもそもピーター・キルターの『End of the Rainbow』という舞台作品を映画用にアレンジしたものだということです。
それもあってか監督には、映画というよりは舞台監督として知られているルパート・グールドが起用されています。
撮影には、『アメリカンアニマルズ』のオーレ・ブラット・バークランドが参加していますが、今回は非常に演劇映画風のアプローチを施されています。
編集には、トム・フーパー監督作品で知られるメラニー・アン・オリバーが加わっていますね。
- ジュディ・ガーランド:レニー・ゼルウィガー
- ロザリン・ワイルダー:ジェシー・バックリー
- ミッキー・ディーンズ:フィン・ウィットロック
- シド・ラフトルー:ファス・シーウェル
- バーナード・デルフォント:マイケル・ガンボン
主人公のジュディ・ガーランドを演じたのは、レニー・ゼルウィガーですね。
彼女については冒頭にご紹介しましたが、もう天才と言いますか、圧巻の演技でした。ジュディを憑依させながらも、そこにレニー自身の存在も感じさせる究極とも言える次元に達していたと思います。
そして今、イギリスで注目を集めている若手俳優であるジェシー・バックリーが出演している点にも注目ですね。
イギリスでのジュディのマネージャー役なのですが、彼女の扱いに苦心し、どこか懐疑的なのですが、終盤に近づくにつれて、彼女の深い苦悩と才能に気づいていくという変化を印象的に表現しています。
『ジュディ 虹の彼方に』感想・解説(ネタバレあり)
ぎこちなくケーキを食べる姿に垣間見える人生
(C)Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation 2019
当ブログ管理人が、今作『ジュディ 虹の彼方に』を見ていて、一番感動したというか、涙が止まらなかったのは、彼女が喫茶店でケーキを食べるシーンなんですよ。
個人的にケーキを食べるシーンで最初に涙したのは、『ワンスアポンアタイムインアメリカ』というギャング映画でした。
しかも偶然、この2つの作品に登場するケーキに共通しているのは、自分の中で抑圧された欲望の象徴として描かれている点なんですよ。
『ワンスアポンアタイムインアメリカ』では、とある少年が「お金か生クリームたっぷりのケーキ持ってきて!だったらなんでもしてあげる。」と少女言われたのを受けて、ケーキを買い、性的な関係を結ぼうと彼女の元を訪れるのです。
しかし、彼女と会うために待っている時間に、ケーキの誘惑に耐え切れなくなり、気がつくと全て食べきってしまうんですよね。
味見だけと手を伸ばしたケーキの生クリームの魔力に吸い寄せられてしまう少年の姿に、当時の社会や少年の境遇、経済状況なんかが透けて見えて、無性に悲しくなりました。
そして、『ジュディ 虹の彼方に』では何度かケーキが登場しています。
まず、彼女は幼少期に『オズの魔法使』に出演していた頃、体重が若干超過気味だったということで、MGMからダイエットをするように命じられていました。
そのためファストフードや大好きなケーキを食べることは許されず、自分の誕生日パーティですらケーキは食べられなかったのです。
彼女のその後の人生を紐解くと、幾度となく結婚と離婚を繰り返しているわけですが、そこにはウエディングケーキが登場します。
ウエディングケーキって入刀する部分だけが本物で後は作りものというケースがしばしばですが、そういう意味でも象徴的なモチーフです。
彼女は精神的に不安定だったために、他人に救いを求めていたように見えますし、それが何度も結婚と離婚を繰り返した背景にはあるのではないかと伺えます。
それは、「本物のケーキ」を食べることが許されなかった、彼女の欲求を一時的に満たしてくれるものだったのでしょう。
しかし、そんな「偽物のケーキ」を食べ続けていても、彼女は満たされず、離婚を繰り返しては、精神的に不安定になっていきます。
ロンドンでの公演が、彼女の遅刻癖やトラブルにより中止になってしまい、ジュディはマネージャーだったロザリンたちとカフェでケーキを食べます。
この時の、レニー・ゼルウィガーの演技がまたとてつもなく素晴らしいので、要注目です。
落ち着かない挙動、不安定な姿勢、まるでケーキを食べる行為に対して誰から許可を得なければならないのではないかと考えているように、なかなか手をつけられない様子。
一連の所作にジュディ・ガーランドという女性の苦悩の人生が集約されているように感じました。
大人たちに金儲けの道具として薬づけにされず、普通にケーキを食べてその味を楽しむことのできる幼少期を過ごせていたら、彼女はどうなっていたのだろうか…とそんなIFを想起せずにはいられなくなります。
結果的に、彼女はロンドン公演の半年後に睡眠薬の過剰摂取で自殺してしまいますので、最後まで苦しみ続けたということになります。
それでも、彼女は確かに「希望」に向かって歩き続けていたのではないかと、このワンシーンが感じさせてくれます。
ケーキを食べて、ただ「美味しい」と告げる。それだけの所作に、これほど多くの感情とバックグラウンドを感じさせるレニー・ゼルウィガーの演技は、卓越していると言っていいでしょう。
ロザリンとそしてファンの視点が物語を彩る
(C)Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation 2019
本作は映画として傑出している部分は乏しいですが、撮影や編集、舞台演出では、演劇的なアプローチが目立ち、レニー・ゼルウィガーの圧倒的な演技によって、非常にエモーショナルな作りになっています。
一方で、個人的にこの映画が良かったと思うのは、マネージャーのロザリンと往年のファンの視点という、異なる世代のジュディ・ガーランドに対する視点を内包させていたことだと思っています。
まず、ロザリンは劇中で28歳と語っていましたが、そう考えると1939年にミュージカル映画『オズの魔法使』のイメージというよりは、その後の破天荒な人生のイメージでジュディを知る人物だと思われます。
冒頭の教会でのリハーサルシーンでも、リハーサルを拒否する彼女を見て、「やっぱり、こういう人なのよね。」的なやれやれ感のある表情をしていました。
だからこそ、ロザリンはジュディに対してすごく懐疑的な視点を持っている人物だと思っています。
昼間のパブのシーンで、彼女がローリングストーンズと共演できるわけがないと思っているであろう表情と言動が映し出されていましたが、ここで顕著に表れている気がしました。
ローリングストーンズって60年代に一気にスターダムを駆け上がったバンドですので、ロザリンの年齢を鑑みると、彼女の世代のスターというイメージになります。
しかし、ジュディ・ガーランドは彼らと比較すると、その栄光はもはや過去のものであり、とりわけ彼女はその栄光の時代をあまり知らない人物でもありました。
一方で、『ジュディ 虹の彼方に』にはジュディの往年の熱烈なファンも登場します。
ライブ会場の出口で他の人が去ってしまっても、出待ちを続けていたゲイカップルは、彼女の栄光と不遇の時代の両方を知る人物であり、それでも彼女を応援し続けてきた大ファンですよね。
彼らはジュディを家に招き、彼女の歌声を間近で聞くわけですが、そこで思わず涙が止まらなくなってしまうんです。
ジュディは苦しみながらもステージに立ち続けてきたわけですが、そんな姿が確かに社会の片隅で苦悩を抱えながら生きている人たちに希望を与えていたのだと感じさせてくれるシーンでした。
この世代もそしてジュディに対する思い入れやイメージも全く異なる視点があることで、この映画は万人を受け入れる普遍性を有しています。
とりわけ今生きている人たちは、ファンでない限りはロザリンの目線に共感してしまうと思うんです。
そうした対照的な視線が、ラストの『オーバーザレインボー』の歌唱シーンで、ステージに立つジュディという1点に交わり、まさに音楽の奇跡とも言える一瞬が描かれます。
苦しみながらもステージに立ち続けたことで、観客が彼女から受け取った「愛」を今度は観客が彼女の元へと送り返していくのです。
そして、彼女に対して懐疑的な視線を向けていた人たちも、ステージに立つジュディの圧巻のパフォーマンスに魅了され、彼女の類まれなる才能を確かに実感しています。
彼女は、最後までステージに立つことで自分と観客の間に生まれる「愛」を信じるのだと言っていましたが、その言葉がまさに1つのビジョンとなるのです。
そんなジュディ・ガーランドという女性が持つ、あらゆる人たちの視線を引き寄せてしまう狂気的な魅力を『ジュディ 虹の彼方に』という作品は見事に表現してくれました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ジュディ 虹の彼方に』についてお話してきました。
映画としてどこか突き抜けた要素があるわけではないのですが、あまりにも彼女の演技が圧倒的なので、もうそれだけで心を鷲掴みにされてしまうようなそんな作品でした。
もちろんこの伝記映画はジュディ・ガーランドの人生の苦悩をすべて描き切ったわけではありませんし、現実はもっと残酷なものだったと思います。
ただ、非常に意義があったと思うのは、彼女が苦しみながら、周囲に迷惑をかけながらもそれでも「希望」に向かって歩き続けていたのではないかという解釈を込めたことだと思っています。
ロンドン公演の半年後に自ら命を絶ったわけですから、彼女の人生には救いがなかったという見方もできるかもしれません。
それでも、「希望」に向かった歩き続けていたのであれば、それは美しいことなんだという解釈で、彼女の人生を肯定する温かさがこの作品からは感じられました。
レニー・ゼルウィガーのアカデミー賞主演女優賞は近年でも最も納得できる受賞の1つです。
前哨戦から一貫して、彼女が主演女優賞を総なめにしていましたが、それも腑に落ちました。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。