みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね『弥生、三月 君を愛した30年』についてお話していこうと思います。
設定やプロットもそうですが、もう、ポスターを見れば一目瞭然なので、確認しておきましょう。
まずは『弥生、三月 君を愛した30年』がこれですね。
(C)2020「弥生、三月」製作委員会
そして、『ワンデイ 23年のラブストーリー』がこちらです。
映画『ワンデイ 23年のラブストーリー』より
物語の始まりも展開もかなり似ている部分が多く、1組の男女を長い年月にわたって描くという構成や、卒業し、2人が別々の道に進むところから始まるという展開は非常に似ています。
主人公の男女が恋人としてではなく、友達としてという関係からスタートするのも共通点でしょう。
『弥生、三月 君を愛した30年』は、そこに桜という高校時代に病気で命を落としてしまうキャラクターを入れ、さらに東日本大震災を大きな契機として絡ませることで、日本独自の物語に味つけしています。
ラブストーリーとしてはあまり想像を超えるものではなく、30年という年月の使い方も決して巧いとは思わないですが、やはり桜というキャラクターの特異性が妙に魅力的に感じられました。
今回は映画鑑賞前に一足先にノベライズ版を読んだので、そちらのレビューを先に纏め、映画鑑賞後に映画についての講評も併せてまとめていこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『弥生、三月 君を愛した30年』
あらすじ
1986年3月1日に弥生と太郎は、運命的な出会いを果たす。
弥生の親友である桜は、サッカー部のエース候補だった太郎に好意を寄せるのだが、そんな彼は先輩にいじめられて退部しようとしていた。
それを耳にした弥生はいてもたってもいられなくなり、彼の乗るバスに乗り込むといきなり平手打ちをかましたのだ。
結果的に、部に残った彼はサッカー部のエースとして君臨し、プロになる道を選ぶ。
しかし、卒業を目前にして薬害エイズだった桜は命を落としてしまう。
親友の死を受け入れられないながらも、共に自分の夢の実現のために生きようと誓い、2人はそれぞれの人生を歩み始める。
突然の彼女の妊娠。プロの世界の高い壁。東日本大震災。交通事故。
思い通りにはいかず、理想とはかけ離れた人生の中で、離れ離れになった2人を繋げたのは、意外なものだった…。
そんな弥生と太郎の物語を30年という年月にわたり描いた春に最適なラブストーリーである。
スタッフ・キャスト
- 監督:遊川和彦
- 脚本:遊川和彦
- 撮影:佐光朗
- 照明:加瀬弘行
- 編集:宮島竜治
- 音楽:平井真美子
今作『弥生、三月 君を愛した30年』の監督を務めたのは、遊川和彦さんです。
テレビドラマシリーズとしては『家政婦のミタ』や『過保護のカホコ』など次々に話題作を送り出してきました。
長編映画としては2017年に『恋妻家宮本』の監督を務めています。
脚本は非常にエッジが効いて好きなんですが、演出面では良くも悪くもテレビドラマっぽさが漂っていて、そこが映画というメディアとは食い合わせが悪そうな印象は受けます。
撮影には『鍵泥棒のメソッド』や『亜人』などで知られる佐光朗さんが起用されています。
コメディ、アクション、クライムサスペンス、ヒューマンドラマと幅広いジャンルの映画を撮ってきた方ですね。
編集は山崎貴監督作品でよく起用されている宮島竜治さんが手掛けています。
- 結城弥生:波瑠
- 山田太郎:成田凌
- 渡辺サクラ:杉咲花
- あゆむ:岡田健史
- 白井卓磨:小澤征悦
主人公の弥生を演じるのは波瑠さんですね。
弥生は、物事をズバズバと言い、なかなか弱さを見せない女性ということで、イメージ的にも彼女が非常にマッチしますよね。
そして、もう1人の主人公である太郎を成田凌さんが演じています。
近年、一気に出演作を増やした彼ですが、太郎のような「お調子者」でかつ「やさぐれ者」の役がこんなに似合う俳優も他にいないでしょう。
そして、そこにわれらが杉咲花さん演じる桜が絡んできます。
キャラクター的に出演時間が短くなりそうなのですが、彼女の魅力的な「声」が非常によく生かされる作品ではあるので、その点では非常に楽しみです。
『弥生、三月 君を愛した30年』感想・解説
『ワンデイ』との共通点はやはり多い
冒頭にも触れましたが、本作は『ワンデイ 23年のラブストーリー』からインスピレーションを受けていることは間違いありません。
北米大手批評家レビューサイトでの評価も芳しくなく、当ブログ管理人も個人的にそれほど好きな作品ではないのですが、見たことがあるという人は多いとは思います。
まず、冒頭にも書いたように物語が学生時代の終わりと別れからスタートするという点が全く同じですね。
主人公となる2人が「友人」という関係を誓い、両思いであるにも関わらず、あと一歩が踏み込めないままにお互いの道を歩み始めてしまうという物語の展開の仕方も同様です。
そこからお互いに仕事を始め、お互いに恋人ができてという流れも基本的には2作品で共通しています。
弥生は、卒業後に教師になる道を選びますが、『ワンデイ 23年のラブストーリー』のヒロインであるエマも教師になりました。
一方の太郎はプロのサッカー選手で、『ワンデイ』のデクスターはテレビタレントと、サラリーマンというよりはタレント系の仕事についているのも共通しています。
ちなみに太郎とデクスターは、仕事で挫折を経験して、その世界から遠ざかる点でも、できちゃった婚を経験するという点でも共通項を有しており、非常に似たキャラクターであると言えます。
記事の最初にポスターが似ているという話をしましたが、プロット的にもここまで似ている部分が多いと、意識していないはずがないというレベルですよね。
そして、降りかかる人物こそ異なりますが、「交通事故」や「死」といった出来事が作品の中に内包されているのも同様です。
ただ、作品の着地点としては、その意味合いが大きく異なるので、これに関しては好みが大きく分かれるのではないでしょうか。
2つの作品が志向した全く違う結末
(C)2020「弥生、三月」製作委員会
まず、『ワンデイ 23年のラブストーリー』の方からお話していこととしましょう。
この作品は、正直中盤過ぎくらいまではあんまり面白くないというか、よくある洋ものラブストーリーという感じなんですが、終盤にかけて一気に物語が転回していきます。
とりわけ、ヒロインであるエマが交通事故で命を落としてしまうというのが、大きな「転」として機能しており、終盤はそこからデクスターが如何に立ち直っていくかにスポットが当たっています。
この作品が、何を描こうとしたのかを考えてみますと、やはり夫婦や恋人、そういったありきたりな関係性では形容しがたい2人の特異な関係性なのだと私は感じました。
安易に2人を恋人や夫婦にして終わりにしてしまうのではなく、そういった既存のカテゴリには当てはめることができない特別な関係として2人の物語を描き切ったことが尊いのです。
ラストシーンは、いきなり時計の針が巻き戻って、ファーストシーンと同じ時間軸にて、2人がキスをして別れる瞬間が描かれます。
恋人なのか親友なのか、言語化するのは難しいですが、これまでもそうであったように、これからも2人は離れていても特別な関係であり続けるのだろうと予感させながら物語は幕を閉じます。
ここにこそ『ワンデイ 23年のラブストーリー』という作品の魅力があると感じています。
『弥生、三月 君を愛した30年』は、確かに作品の構造や設定、プロットの展開など多くの点で共通点を抱えているのですが、本作が選ぶラストはあくまでも「結婚」であり「恋愛」なんですよ。
卒業後に、それぞれの道に進み、別々の人と結婚し、挫折や苦労を味わいながらも、30年の時を経て、再会し、結局は結ばれて終わるという、良くも悪くもこじんまりとしたハッピーエンドに収まっていると言わざるを得ないのが、少し残念ではあります。
30年という長い年月のラブストーリーを描いて、結局2人の至るゴールが「結婚」や「恋愛」でしかないというのも、何だか物足りないですし、創造の範疇を超えてこないんですよね。
そういう意味でも、『ワンデイ 23年のラブストーリー』は「23年」という長い年月が、2人の2人だけの特別な関係を築く上で必要な時間だったときちんと認識させてくれますし、そこに意義が確かにありました。
ただ、桜という第3者ポジションのキャラクターが効果的に機能していたのは、個人的にも好印象です。
桜という特異点の存在が彩る物語
(C)2020「弥生、三月」製作委員会
そもそも今作において、弥生と太郎が出会ったのは、桜という存在がいてくれたからこそだということを忘れてはいけません。
桜が太郎に好意を寄せていなければ、おそらく2人は出会っていなかったでしょうし、出会っていたとしても卒業後も繋がりを保ち続けるような関係にはならなかったと思います。
そんな大切な親友の死が2人の離れ離れの30年間を確かに繋ぎ止めていたという見方もできるわけですが、最終的にその関係が再接近するきっかけになったのも彼女でした。
桜が死の間際に残した、2人の結婚式のためのメッセージテープが、硬直していた2人の関係を動かし、ようやく30年間心のどこかで抱き続けてきた感情に素直になるという局面を演出したのです。
私は、弥生と太郎は2人だけだと、結局のところ肝心の一歩を踏み出せずに、交わることのないまま人生を終えていたのではないかと思うんですよ。
そういう意味では、当ブログ管理人が『ワンデイ 23年のラブストーリー』に対して感じていた消化不良感もそこにあって、すごく長い年月両思いなのに、すれ違い続けてきた2人が、結ばれる局面の描き方が、すごく適当なんですよ。
その程度のことで、結ばれてしまうのであれば何年もこんな関係であり続けたわけがないだろうと、積み重ねた年月が途端に「軽く」感じられてしまうのです。
すれ違い続けることには、恋愛に発展しないのには、何かしらの理由があるわけで、そこを乗り越えるトリガーは、観客を納得させるものでなくてはならないと思います。
『ワンデイ 23年のラブストーリー』は終盤の展開は優れてはいましたが、その2人の関係性が発展するまさにその瞬間に対する説得力に乏しいんです。
そういう意味でも、『弥生、三月 君を愛した30年』は、その弱点を桜の存在でもって上手く克服したように思えました。
とりわけ、2人の出会いをもたらすきっかけになった彼女からのメッセージが、その関係性を次のステップへと押し上げるきっかけになるというところにすごく説得力があるんですよね。
まさに桜という特異点が、決して交わり得なかった2人の物語の交点になった瞬間でした。
ノベライズ版のエピローグとなる「3月31日」のエピソードは、弥生と太郎が生まれた日について描かれていて、早生まれであと3日で1歳になるという桜が2人を見つめているというシーンを描いています。
このエピローグがラストにあることで、「ああ桜は最初から、2人を結ぶキューピットだったんだ。」と感じさせられますよね。
そして、このエピローグは彼女が2人よりも少しだけ前を生きている「お姉さん」だという事実を強調しています。
桜がビデオメッセージを残したのは、「4月1日」で彼女の誕生日は「4月2日」です。
この物語が「3月」の1日~31日を描いていく物語であることを考えると、彼女は、この物語の「未来」を生きているとも言えます。
少しだけ2人よりも先を生きていて、そして2人の辿り着くであろう場所を「4月1日」に指し示していたわけですね。
そして、個人的にこの「4月1日」という日がすごく作中で効いていると思ったのは、この日って弥生と太郎そして桜が同じ学年として学生生活を過ごすうえでキーになる1日なんです。
桜は2人と過ごした時間を思い、その出会いに感謝しながら、弥生と太郎の結婚を祝うメッセージを「4月1日」に残しました。
4月1日に生まれていたら、彼女は1つ上の学年だった、つまりお姉さんだったわけで、この日付は、桜が2人を少し先から見守っているという含意に思えます。
3月の31日間を描き、そして物語の中では到達し得ない少し先の時間である「4月1日」を桜のビデオメッセージとして登場させるのが、何とも粋な演出でしたね。
きっと2人だけでは、この結末には辿り着けなかったわけで、桜という存在があったからこそ、2人の「3月」が報われたのです。
映画版の良かったところはキャスト陣の演技くらい
早速、映画版の方も鑑賞してまいりましたが、正直に申し上げてキャスト陣の演技以外に褒めるところが見当たりません。
とりあえず、先ほど長々と語ってきた本作の「4月」の使い方の巧さなんですが、映画版では丸々カットされています。
つまり、桜の誕生日が「4月2日」だという設定も、彼女が音声を録画した日の日付が「4月1日」だという設定もごっそり抜け落ちていて、見終わってから目が点になりました。
正直、ノベライズを読んでいて唯一と言っていいほどに良かった部分なので、まさか映画版で完全にカットされているとは思いませんでした。
本編の冒頭に、弥生と太郎のシーンで、弥生が「このままずっと3月が続けばいい、いや時間が巻き戻ってくれれば、ずっと桜と一緒にいられるのに…」と告げるシーンがあります。
このセリフがあるからこそ、30年越しに2人が前に進むきっかけとなる彼女の音性の録音の日付が「4月1日」であることにすごく深い意味が出てくるんですよ。
特に映画版は、すごく視覚的な情報の提示の仕方は良くて、2人が別れる場面でまだ満開を迎える前の桜の木の下の分かれ道で、さよならをして、しかもそこに後に彼女のお墓が作られるんですね。
これにより、別々の道を進んでも、2人を確かに桜が繋いでくれているんだと分かりますし、そこからのラストシーンもお見事です。
『見上げてごらん夜の星を』の楽曲に合わせて、かつてすれ違った分かれ道から戻ってきた2人が1本道を歩き始めます。
見上げると、そこには満開になった「桜」が美しく咲き誇っています。見上げると、いつもそこには桜の存在があるんだと印象づけてくれるシーンでもありますよね。
こういった演出が良かっただけに、なぜ彼女の特異点的な立ち位置を象徴する「4月」関係の設定が無くなってしまったのかが個人的には理解できませんでした。
あとは、こういった異なる時系列を編集で繋いでいく物語にも関わらず、回想シーンが多すぎるのは流石にダメだと思いますよ。
せっかくストーリーテーリングの仕方に特殊なアプローチを取り入れているのに、回想シーンをあんなに連発されると、その構成の意味すら薄れてくるんですよね。
観客が忘れた頃に回想をインサートするならまだ分かるんですが、「さっき見たぞそのシーン!」というようなものまでインサートされるので、くどくなってきます。
特にラストシーンの夜の道を桜を見上げながら歩くシーンで、映画全体の回想を走馬灯の如くインサートしてきたのは、流石に幻滅しましたね。
わざわざ回想を見せなければ、観客が2人の経験した「30年」と言う年月の重みを感じられていないのだとすると、もう映画として失敗していると思います。
せっかく『ワンデイ 23年のラブストーリー』を意識した特殊な構成でプロットを作ったわけですから、もう少し観客を信じてくれても良かったと思うんですよね。
ただ、映画としてはダメダメな部分が目立ちながらも、キャスト陣の演技は本当に良かったと思います。
贔屓目ありありですが、やはり杉咲花さんは短い時間の出演でしたが、流石の存在感でした。
彼女のラジオリスナーとしては、もう「声」に惚れてしまっておりますから、終盤の彼女の録音テープを聞いているだけで幸せな気持ちになって、涙があふれてきました。
正直、映画本編見なくても、あのテープの録音だけで泣ける自信があります(笑)
本当は、評価を下すとするならば、0点にしてもおかしくない内容なのですが、杉咲花さんの「声」の素晴らしさがありましので、100点にしておきたいと思います。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は『弥生、三月 君を愛した30年』についてお話してきました。
東日本大震災をはじめ、日本特有の批評性を取り入れていこうという試みは見られましたが、やはり物語の着地点が弱い印象はぬぐい切れません。
ただ、あくまでも2人の関係性を強引に変容させていこうとした『ワンデイ 23年のラブストーリー』に対して、『弥生、三月 君を愛した30年』は第三者的にポジションにいる桜がトリガーになるという点に、非常に説得力がありました。
「30年」という年月、彼らだけではどうにも向き合うことができなかったんだという「重み」を確かに感じさせてくれるんですよね。
そのため、メインキャラクター2人の心情の変化や関係性の変化の描き方としては『弥生、三月 君を愛した30年』に、物語の着地点としては『ワンデイ 23年のラブストーリー』に軍配が上がりますね。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。