みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』についてお話していこうと思います。
本作『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』は、劇場での2週間の上映と共にAmazonPrimeで編集版が配信されます。
当ブログ管理人としても、大好きなシリーズですので、お金を落としたいという思いはあるのですが、それは別の形でも可能です。
とりあえずは感染を避けることを第一に考えるのが大切ですので、そこを考慮した上で、本作は極力AmazonPrimeで鑑賞し、別の形で製作側にお金を落とすのがベターかと思います。
そもそも1クール半くらいの尺があったにもかかわらず、続編を作って完結を先延ばしという構成そのものがあまり好きにはなれませんでした。
特に、『PSYCHO-PASS サイコパス 3 』は中盤過ぎから一気に失速したので、余計に興味が薄れてしまったという感じです。
それでもシリーズのファンとしてこの結末を見届けなければという思いもありますので、とりあえずは鑑賞してみました。
映画の雑感としては、『ダイハード』でも意識してるのかな?というビルを舞台にしたアクションものだなぁという感じでしょうか(笑)
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事となります。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』
あらすじ
ジャーナリストの六合塚弥生が、梓澤廣一の攻撃により、瀕死の重体に陥り、さらに公安局への入館証を奪われてしまう。
梓澤廣一は、入館証を用い、公安局のネットワークを攻撃し、監視官や執行官たちのネットワークを断線する。
さらには、パスファインダーたちを活用し、監視官や執行官たち、更には東京都知事の小宮カリナをも襲撃し始めた。
その頃、炯・ミハイル・イグナトフはビフロストのコングレスマンからの接触があり、ひそかに行動していた。
一方の慎導灼は梓澤に囚われ、身動きを封じられてしまう。
危機に陥った灼や炯、そして公安局は状況を打開することができるのか…?
スタッフ・キャスト
- 監督:塩谷直義
- シリーズ構成:冲方丁
- 脚本:深見真 冲方丁
- キャラクター原案:天野明
- キャラクターデザイン・総作画監督:恩田尚之
- 撮影監督:村井沙樹子
- 編集:村上義典
- 音楽:菅野祐悟
- 音響監督:岩浪美和
『PSYCHO-PASS サイコパス 3 』は、個人的に冲方丁さんの悪いところが構成に如実に出たなぁ…という印象は受けました。
テレビシリーズ第2期の時も、風呂敷の広げ方は巧かったんですが、その畳み方にあまりにも難がありすぎて、大失速させてしまいました。
第3期も序盤は、かなり面白かったのですが、そこからの展開がどうしても盛り上がらず、何を主軸に話を進めたいのかもぼんやりとしたものでした。
また脚本のクレジットを見ていると、どうやら吉上亮さんが抜けてしまったようで、個人的には残念な思いもあります。
加えて、主題歌はテレビシリーズから引き続きWho-ya Extendedが担当していて、楽曲は『Synthetic Sympathy』となっています。
エンディングテーマには、Co shu Nieの『red strand』が使われていました。
- 慎導灼:梶裕貴
- 炯・ミハイル・イグナトフ:中村悠一
- 雛河翔:櫻井孝宏
- 廿六木天馬:大塚明夫
- 入江一途:諏訪部順一
- 如月真緒:名塚佳織
- 唐之杜志恩:沢城みゆき
- 霜月美佳:佐倉綾音
- 法斑静火:宮野真守
- 小宮カリナ:日笠陽子
- 梓澤廣一:堀内賢雄
テレビシリーズから引き続き、W主人公のCVを担当するのは、梶裕貴さんと中村悠一さんです。
今回の『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』では、とりわけ法斑静火や梓澤廣一といったキャラクターたちがメインになってきますので、その点で宮野真守さんや堀内賢雄さんの声を聴く回数も多くなりましたね。
また、小宮カリナを演じた日笠陽子さんも登場頻度が増えていて、嬉しいです。
『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』ネタバレ解説・考察
今回の『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』はテレビシリーズの直後からスタートする物語ですので、絶対に8話全てチェックしておいてくださいね。
いろいろと伏線が放置されすぎでは?
『PSYCHO-PASS サイコパス 3』は、テレビシリーズの開始の時点で常守朱が収監されているという状態でした。
そのため、SSシリーズのラストからその時点まででどんな事件が起こったのかという部分が空白のままになっていたんですよね。
その空白が、今回の新シリーズの鍵を握っていたことは明白であり、その間に起きた何らかの事件に慎導篤志が密接に関わっていたことが大きな謎になっていました。
今回の『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』では、その点も含めて明らかにすべき余白が大量に積み残されていたわけです。
そもそもテレビシリーズのラストで、六合塚弥生が敵に陥れられたわけですが、その直前に「私が最後に携わった事件と今起きている事件は密接に関わっている」という発言をしているんですよね。
ここから、今回の物語がスタートしているわけですから、完全に無視して良いはずがないんですよね。
続編を作るには、ある程度本筋の内容が解決しすぎていて、今更「過去編」をやっても、もはやあんまり面白くはならないだろうなという印象は受けてしまいます。
冲方丁さんの広げた風呂敷を畳み切れない悪癖が如実に出てしまったなという感じですね。
今回の『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』で描かれたことを見れば、新シリーズが描きたかったテーマはある程度分かります。
しかし、そのために物語そのものが欠陥だらけになっている点は看過できません。
ラストの灼と炯の食事のシーンで、「どんな真実が待っていても俺たちなら乗り越えられる」というセリフがありましたし、「他にも秘密がある」とも発言していたので、続編はありきなんでしょうけどね。
ただ、こうやって積み残しを作って、また新しい劇場版やシリーズを立ち上げて、というルーティンを繰り返すのは、視聴者としても疲弊していきますよね。
特に今回のシリーズは、物語そのものにあまり引きがないため、消化試合を追いかけるだけになっていきそうなのが不安です。
一度バサッと全ての物語に区切りをつけて、新しいテーマと展開で次のシリーズを展開するというやり方で良いと思うんですよね。
なぜなら『PSYCHO-PASS サイコパス』というシリーズの強みは、社会の変化や問題に応じて、無限に新しい展開を用意できるコンテンツだと思うからです。
今回のシリーズについては、今作でしっかりと片をつけると思っていただけに積み残しの多さには面食らった次第です。
槙島聖護と梓澤廣一、2人のヴィラン
(C)サイコパス製作委員会
今回の『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』は、そのメインヴィランとしてインスペクターの梓澤廣一を据えました。
そんな梓澤廣一と比較対象とすべきは、やはり第1期のメインヴィランであり、今も高い人気を誇る槙島聖護ではないかと思いました。
槙島聖護は、今シリーズの灼と同様の免罪体質で、それ故に狡嚙からは「社会からの疎外感を感じており、孤独だったのではないか」と分析されていました。
彼は、シビュラシステムに感知されなかったがために、誰かに自分の存在を見つけて欲しいというそんな欲求に駆られていたような気がしました。
彼が死ぬ間際に残した笑顔は多くの論争を呼んでいますが、好敵手の狡嚙に出会い、そして彼に見つかり、彼に裁かれたことに一種の安心感を感じていたのかもしれません。
ただ、彼はテレビシリーズ第1期の中で、「審判やレフェリーは趣味じゃない」と発言しており、シビュラシステムに自らが内包される形でシステムに感知されることは望みませんでした。
つまり、彼は特別な存在でありながら、あくまでも普通の1人の人間として認められることを望んでいたようでもあります。
一方の、梓澤廣一は普通の人間であり、シビュラシステムに感知された存在でありながら、そのシステムに管理される側という立場を脱却したいと望んだ人物です。
特権的立場でありながら、「凡人」でありたいと望んだ槙島と、「凡人」でありながら特権的立場を手に入れたいと望んだ梓澤。
梓澤は、作中で幾度となく、「選択」という言葉を口に出していましたが、彼が最終的にシビュラシステムの「選択」によって自分自身を否定されてしまうのは、何だか悲哀に満ちた展開に感じられました。
彼が、自分は選ばれし人間ではなかったのだと痛感させられ、これまで信じてきたものが音を立てて瓦解していくような、そんな瞬間でもありました。
これまで、自分は特別な立場にあり、誰かに「選択」を課す立場にいると錯覚していた彼の全てが否定されたと言っても過言ではないでしょう。
シビュラシステムが自分を排除しようとしているという「選択」を受け入れようとするのも、何だか彼らしいと思いました。
ただこの展開を描いていくにあたって、個人的に残念だったと感じたのは、梓澤のパーソナリティの掘り下げが激甘だった点ですよ。
ヴィランを魅力的に描くにあたって、その人物の生い立ち、背景そして思想をきちんと描写することは、マストだと思うんです。
しかし、『PSYCHO-PASS サイコパス 3』シリーズはそれをしてこなかったわけで、当然今作でも取り立てて掘り下げられていません。
公安局や外務省行動課のメンバーたちは、比較的見せ場をきちんと作られていただけに、肝心のヴィランが描写不足だったのは、少し勿体なかったように感じます。
ドミネーターとシビュラシステムに生じる責任
(C)サイコパス製作委員会
今回の『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』が描こうとしたのは、これまでの1つの大きなテーマであったドミネーターを持つ人間の責任という主題を社会レベルに拡張したものだったと思います。
つまり、シビュラシステムそのものに対しての責任を誰が負うことができるのかという問題です。
今シリーズでは、シビュラシステムに対抗する存在として、ラウンドロビンというAIが登場し、それがビフロストの中心に君臨していました。
ラウンドロビンないしビフロストに所属する人間は、シビュラシステムの管理領域を超越しており、そんな特権的な立場から社会を動かすことができていたというわけです。
しかし、ラウンドロビンという存在は言わばシビュラシステムの映し鏡であり、これが意味するところは人間を裁く側にいるシビュラシステムそのものが、誰の目からの監視を受けていないという事実なんですよ。
例えば、本作の終盤で描かれていましたが、シビュラシステムは人間の脅威判定をある程度自分たちの都合の良いように操作できてしまいます。
梓澤廣一という男が自分たちに害をなす可能性を持っていると分かると、彼の判定を引き上げ、灼にドミネーターで殺害させようとしました。
つまり、シビュラシステムは人間の選択や決断の領域を超えて、自分たちに都合の良いように社会の規範を書き換えることができてしまう側面を内包しています。
『PSYCHO-PASS サイコパス』シリーズでは、常にドミネーターを持つ人間が最終的な決断を下さなければならないというテーマを長きにわたって描き続けてきましたが、私たちは社会そのものの動きに対しても責任を持たなければならないのです。
今の日本の社会は、人々が政治に関心を失っており、少ない人間の投票において過半数を獲得し、成立した政権が実権を握り、様々な政策を実行しています。
その中で、文書の改ざんや癒着、収賄など様々な問題が発覚しているわけですが、法を司る側にいる彼らはなぜか法の監視を超越し、それらを有耶無耶にして政権のポストに居座り続けることができてしまうのです。
もちろん、それに対して異議を唱える人もいますが、大きなムーブメントにはならず、大半の人々はそういった事象に対して無関心で、半ばあきらめにも似た気持ちでそれを看過しています。
シビュラシステムは、特異な脳の融合体でありますが、その中には罪人も含まれているわけで、これは国会という場のメタファーにも思えます。
システムが罪人を裁く一方で、罪人がシステム側にもおり、その存在が認められているという状況は、現代日本社会の状況を思うと、痛烈な皮肉です。
もちろん、ここで私の個人的な政治的信条について語るつもりはありませんが、本シリーズが問うてきたのは、私たちが社会に対して責任を持っているのだという点を改めて認識しておく必要があるという点なのだと確信しています。
今シリーズの重要なモチーフとしてマカリナを初めとするAIが登場しましたが、私たちの社会が今後AIを受け入れていくにあたって、大きな問題となるのがその責任の所在でしょう。
AIが犯した過失の責任がどこにあるのかという点は、私たちの社会が考えていかなければならない大きな問題です。
通常の機械やデバイスであれば、製造者に責任があると割り切れたと思いますが、AIとなると、そう単純な話ではありません。
例えば、AIによる自動運転機能が搭載された自動車同士が接触事故を起こした場合に、誰が責任を負うことになるのでしょうか。
ただ、製造者が責任を取らなければならないと規定してしまうと、製造者は当然リスク回避のために機能の制限に走るわけで、AIの本来の有効性が発揮されない可能性も出てきます。
こういった部分もあるため、私たちは慎重にその責任の所在を追求していかなければなりませんし、同時に私たち人間が責任を手放すことはできないのだということを忘れてはなりません。
社会もシステムも、そしてテクノロジーも人間が「ザイル」を手放した瞬間に、混沌の中に溶け込み、コントロールすることが難しくなります。
近年の日本で、権力の暴走が起き、海外メディアから独裁政権状態のようにも見えると指摘されるほどになっているのは、無関心な私たちがその「ザイル」を持つことを半ば放棄してしまったことに責任の一端があると言えるでしょうか。
今回の『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』は、そのラストで、シビュラシステムが人間の法の監視を受け、一般公開されるという展開が描かれました。
つまり、シビュラシステムが社会を超越した超法規的な存在として君臨するのではなく、人間の社会に内包され、その制約を受けることが決まったのです。
今作が描いたテーマは、これから2050年のシンギュラリティに向かって、AI技術を発展させていく上で忘れてはならないものでもあります。
常にその「引き金」を握っているのは自分たち人間なのだと自覚した上で、私たちはその利益を享受し、同時に責任を背負っていくのだと自覚しなければなりません。
罪は罰を受け、赦される可能性を秘めている
もう1つこれもシリーズを通じての大きなテーマでしたが、「罪と罰」の主題が今作で1つの形になったように感じました。
『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』では、唐之杜志恩とそして六合塚弥生がその主題を背負っていたのではないでしょうか。
六合塚弥生は、第1期では執行官として登場していましたが、後に色相が改善し、社会復帰を果たしました。
一方の、唐之杜志恩も色相そのものは社会復帰が可能なほどに改善されていますが、外の世界で生活することに不安を抱えており、なかなか一歩踏み出せない状態でいます。
当ブログ管理人が、1番今作で感動したのは、3分間というリミットの中で彼女が命を賭して、公安局のシステムを取り戻すべく戦うシーンです。
これまで、後方支援の立場で事件に関わり、悲惨な事件からある程度距離を置いてきたことが、彼女の色相の改善に繋がっていたのは、1つ大きな理由でしょう。
だからこそ、彼女は自分がいざ社会に出た時に、今の色相を保てるかどうか、上手くやっていけるのかどうかに責任を持てないのだと思います。
それでも、彼女は前線に立ち、そして仲間を救うべく命を懸けて、戦いを続けました。
終盤にも、灼が言及していましたが、罪を償う権利を誰しもが持っているのです。
ラストシーンでは、唐之杜志恩と六合塚弥生が新居について話している模様が描かれ、2人の社会復帰とその明るい未来を想起させられました。
シビュラシステムが判定したからと言って、それを鵜呑みにして人間に安易に死をもたらしてしまうことは危険と言えるかもしれません。
そのテーマに踏み込んだ、踏み込もうとしたのは、非常に意義があったとは思います。
しかし、今作の中でもドミネーターを使って対象を殺害するシーンは何度か描かれましたし、しかも現に人間は裁判によって社会に復帰することが難しいと判断した人間を死刑に処しているわけですよ。
死刑については、賛否両論ありますし、必ずしも全肯定できるわけではないですが、あくまでも裁判において下される死刑は人間の定めた法律と責任において実行されています。
そこに人間の責任があり、人間が選択と決断を下しているから良いのだと擁護してしまうことは可能です。
ただ、このテーマを描くには、ドミネーターによる敵の殺害シーンは安易に看過され過ぎていたと思いますし、人間が責任を持てば、社会復帰が不可能と判定された人間を殺すことは認められるのかという問題から目を背けているようにも感じられます。
その点で、『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』はこの「罪と罰」というテーマを描き切るには、掘り下げが足りなかったかなとは感じてしまいました。
唐之杜志恩と六合塚弥生がドミネーターに犯罪係数が高いと判定され、潜在犯としての人生を強いられながらも、そこから抜け出して、他の人と同じ人生を生きることができるという可能性を明るい希望と共に打ち出してくれたことには、感激しました。
だからこそ、もっと掘り下げの余地があるテーマだろうと感じましたし、安易に片づけてはいけないと思います。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』についてお話してきました。
シリーズが問い続けた「人間の責任」「罪と罰」という主題には、一定のレスポンスを示した一方で、第3期の大きな課題であった移民問題については、ほとんど言及されることなく終わってしまったのも何だか残念ですね。
加えて、物語としても、続編を作ること前提で「積み残し」を生んでいるのが、何ともイライラします。
特に、今回の第3期はこれまでと比べても、物語の引きがイマイチですから、いい加減片をつけて欲しかったというのが本音です。
今後『PSYCHO-PASS サイコパス』シリーズが、どう展開していくのかが、楽しみであり、同時に不安になった1作ではありましたね。
灼の父の事件や、常守朱の一件については描かれていないことが多すぎるので、続編を作るのは確定だと思いますが、次こそは広げた風呂敷をちゃんと畳んでくださいよ…。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。