みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね、現在テレビアニメも放送中の『イエスタデイをうたって』についてお話していこうと思います。
連載当時に、マンガを読んでいたわけではなく、今回アニメ化されたことがきっかけで原作を一気読みしたんですが、もう琴線に触れまくりでした。
この手の「全員片思い系」作品に、滅法弱くてですね、毎回キャラクターに共感しまくって、号泣している次第です。
まあ、当ブログ管理人はモテたためしがないので、片思いをしている人の心が痛いほどわかってしまうという悲しい側面があることは否めないんですけどね(笑)
と自虐は置いておいて、今作『イエスタデイをうたって』は90年代の終わりから連載がスタートし、2000年代の初頭にかけて連載が続いていた作品です。
そういった時代性もあって、基本的に登場人物が固定電話を使っていたりするなど、今となってはレトロな雰囲気を内包した作品となっております。
もう登場するキャラクターが全員片思いという清々しいまでの、「片思い譚」ですが、読み進めるほどに心をグラグラと揺さぶられ、引き込まれていきます。
終盤は、特に晴の心情に共感しすぎて、馬鹿みたいに泣いておりました…。
今回はそんな『イエスタデイをうたって』についてお話していきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
イエスタデイをうたって
あらすじ
第1巻
アニメでは第2話付近までに描かれた内容が収録されています。
大学を卒業しても、就職できなかった魚住陸生は東京の片隅のコンビニエンスストアで特に目標もなくアルバイトをしていた。
カメラが好きで、フィルムカメラを所持しているが、それを仕事にするには踏み切れない状況だ。
そんな時、突然彼のアルバイト先のコンビニに、カンスケという足の悪いカラスを連れた晴という少女が現れる。
天真爛漫な彼女は、かつて1度だけ会ったことがある陸生に一目惚れしており、わざわざ彼を追いかけて来たのだ。
時を同じくして、陸生は大学の同級生で、当時から片思いをしていた女性である森ノ目 榀子に再会する。
榀子は、かつて大好きだった幼馴染みの早川 湧が亡くなったことを引きずっており、陸生に対して少なからず好意めいた感情があるものの、前に進めずにいる。
そんな榀子を見た晴は、自分が陸生に対する思いを成就させて見せると宣戦布告。
一方で、陸生は榀子に対してずっと言えずにいた思いを伝えるも「友達のままでいたい」と告げられ、玉砕。
それでも、彼女が前に向き、自分の好意を受け入れてくれることを待つ決断をするのだった…。
第2巻
アニメ第4話付近までの内容が収録されています。
晴は、母と微妙な関係にあり、近くに住んでいるにもかかわらず、親元を離れて暮らしていた。
そんな母が再婚することになり、顔合わせのために彼女は実家に戻る。そんな再婚相手が、どことなく実の父親に似ていることに晴は、動揺する。
そんな時、陸生は晴に誘われて映画デートに行く約束をするのだが、デート前日に榀子が体調を崩したことを知り、駆けつける。
夜通し看病したことで、疲れ切った彼は明け方から眠りについてしまい、デートの約束の時間に大幅に遅刻してしまう。
雨の中陸生の自宅の前でようやく出会った2人。晴は、彼を責めるでもなく、無事であったことに胸をなでおろした。
しかし、陸生が正直に榀子の看病をしていたと告げてしまい、それを聞いた晴は、激怒しその場から去っていくのだった…。
そんな時、彼女が落とした名刺からアルバイト先が「ミルクホール」と呼ばれる飲食店であることを知った彼は、その店を訪れるのだが…。
第3巻
バイトの同僚の木ノ下さんの妹が学校で映画作りをしているのだが、金銭的にも苦しんでおり、悩んだ挙句に木ノ下さんに協力を求めてくる。
撮影に協力することとなった陸生は、静かにカメラで写真を撮ることに携わる仕事への憧れを取り戻していく。
一方で、クリスマスの日に、陸生のために手編みのマフラーを用意していた晴だが、上手く渡すことができず苦い思いをする。
その頃、榀子は故郷の町で、亡き湧の遺品の整理を手伝ったいたのだが…。
第4巻
季節は夏になり、晴は陸生と花火デートに行くことになる。一方の榀子は浪と一緒に祭りを徘徊していた。
その頃、陸生の新しいバイト先で働いている美大生のミナトが晴に好意を寄せており、積極的にアプローチするようになったいた。
ミルクホールにも頻繁に表れるようになった彼は、晴をデートに誘うようになる。
そんな2人のデートの約束の日に、突然晴の飼っているカラスのカンスケが失踪してしまう。
咄嗟に彼女は、、陸生を頼り2人で探し始める。
そんなトラブルからしばらくたったある日、陸生は高校時代の同級生の柚原チカに家に泊めてくれと懇願されるのだが…。
第5巻
月日は流れ、浪は美術の専門学校に通うようになっていた。
一方で陸生は写真関係の会社でアルバイトをはじめ、徐々にコンビニのバイトに顔を出す機会も減っていった。
徐々に大人になっていき、1人の男として見られたい願望が強まっていく浪は思いがけず榀子を抱きしめてしまうのだが、彼女はそれを拒む。
晴は夜中に家のゴキブリ退治に陸生を呼んだり、彼の新しいバイト先に顔を出すなどして、少しずつ距離を縮めていく。
第6巻
陸生は写真関係の会社で社員として採用される運びとなり、コンビニのバイトを辞める決断をする。
一方で、榀子は徐々に湧が亡くなったことから立ち直りつつあり、その中で陸生に対する不確かな好意を自覚するようになっていく。
しかし、榀子を思えば思うほどに、胸の中で晴の存在が大きくなっていくことに違和感を感じるようになる。
一方の晴は、彼がコンビニのバイトを辞めてしまったこともあり、会う機会が激減し、寂しさを隠せなくなっていた。
そんな時に、美術専門学校で講師をしている雨宮という段性が晴に積極的にアプローチをかけるようになり…。
第7巻
「お正月一緒に過ごさない?」などと徐々に陸生にアプローチをかけるようになる榀子。
一方の、晴には雨宮が積極的に声をかけるようになり、初詣に一緒に行くこととなる。
その頃、陸生は榀子の部屋で2人きりになり、ハグをするところまで行くのだが、それ以上進展することはなく、別れた。
それでも、ゆっくりと前に進もうと決断した榀子は、陸生の思いを受け入れ、2人は恋人同士になった。
ただ、2人は、お互いに自分のことを思ってくれている晴と浪に付き合い始めたことを報告できずにいた。
そんな時に、晴は夜道を歩く2人を目撃し、無意識のうちに自分の敗北を悟るのだった…。
第8巻
陸生と榀子が恋人関係になったことを知った晴は酷く動揺し、仕事もまともに手につかなくなっていた。
一方の、陸生と榀子も付き合い始めたはいいものの、キスをするところにすら進展せず、微妙な距離感を保ち続けていた。
傷心の晴に雨宮はますますアプローチをかけるようになっていき、彼女の心も揺れ動いていく。
そんなある日、美大に通い始めていた浪は、たまたま大学にやって来ていた美人モデルと知り合いになる。
浪は榀子への思いを持ち続けているが、そのモデルの女性と頻繁に会うようになり…。
第9巻
晴は雨宮と博物館デートに行く約束をするのだが、その当日に彼の義理の妹に当たるみもりという少女が倒れたという知らせが入ってきて、2人で駆けつける。
それ以来、雨宮に好意を寄せていたみもりは彼女を強く意識するようになる。晴もそんなみもりの好意に気づいており、複雑な心情になっていた。
ある日、陸生と榀子が自宅へと戻っている途中に、浪と出くわし、2人が恋人関係であることを悟られてしまう。
ショックを受けた浪は自宅を出て、仲の良い美術モデルの女性の家に転がり込むようになる。
晴は雨宮のことを憎からず思いながらも、陸生への思いを断ち切れずにおり、苦しんでいて…。
第10巻
浪が自宅に戻らなくなったことを知り、更に連絡も取れなくなったためにひどく動揺する榀子。
久しぶりに連絡を取った浪は、自分は美術モデルと同棲しているから心配ないと告げ、それを聞いた榀子は激しく心が揺れるのだった。
陸生と榀子は連絡は取っているものの、なかなか関係性は発展せず、一方で、晴は何とかして陸生への思いを断ち切ろうと躍起になっていた。
そんな時、突然晴がバイト先に短い書き置きを残して、失踪してしまう。
さらに、浪は、同棲中の美術モデルがイタリアに戻って仕事につくのに、ついてきてくれないかと提案されて…。
ちなみに『イエスタデイをうたって Afterword』について
というのも書籍の大半が、『イエスタデイをうたって』には無関係な短編なんですよ。
- 読む価値のある40ページ程度の後日談
- キャラクター紹介
- アニメの監督と著者の対談
- 3ページ程度の『イエスタデイをうたって』短編が4本
- 30ページの全く関係のない短編が3本
ですので、実質的に本編の後日談に当たるのは、最初の40ページ程度の後日エピソードのみです。
『イエスタデイをうたって』が大好きで、追いかけ続けてきた人であれば、是が非でも見ておきたい内容ではありますが、そこまででもない人は別に読んでも読まなくてもどちらでも良いとは思います。
ただ一言だけ言うなれば、このエピソードの晴がめちゃくちゃ可愛いということです。
スタッフ・キャスト
- 原作:冬目 景
- 監督・シリーズ構成・脚本:藤原 佳幸
- 副監督:伊藤 良太
- 脚本:田中 仁
- キャラクターデザイン・総作画監督:谷口 淳一郎
- 総作画監督:吉川 真帆
- 美術監督:宇佐美 哲也
- 色彩設計:石黒 けい
- 編集:平木 大輔
- アニメーション制作:動画工房
- 音楽制作:agehasprings
- 主題歌:ユアネス「籠の中に鳥」
原作は、『羊のうた』や『空電ノイズの姫君』などでも知られる冬目 景さんの同名の原作ですね。
そして、今回のアニメーション制作は動画工房が手がけるということで、高いクオリティが期待できますね。
動画工房は『ゆるゆり』で認知され始めると、2014年には『未確認で進行形』や『月刊少女野崎くん』などのヒット作を連発し、その後も『NEW GAME!』や『ガヴリールドロップアウト』など高クオリティの作品を送り出してきました。
作画のクオリティが非常に高いので、動画工房の作品はキャラクターが非常に魅力的に感じられます。
ただキャラクターのビジュアルに頼っているだけではなくて、動作の作画への気遣いも凄まじくて、この辺については『未確認で進行形』のOP映像なんかを見ていただけると分かりやすいと思います。
また、監督・脚本・構成には、『未確認で進行形』や『NEW GAME!』などを手掛けた藤原 佳幸さんが参加しました。
『NEW GAME!』もそうなんですが、ただキャラクターの魅力に甘んじるのではなく、それを引き出すための作画や演出をすごく丁寧に施す演出家だと思っています。
キャラクターデザインには、『月刊少女野崎くん』などで知られる谷口 淳一郎さん、総作画監督には『刀剣乱舞 花丸』などでもお馴染みの吉川 真帆さんが起用されました。
また、主題歌にはユアネスの『籠の中に鳥』が選ばれました。
- 魚住陸生:小林親弘
- 野中晴:宮本侑芽
- 森ノ目榀子:花澤香菜
- 早川浪:花江夏樹
- 柚原チカ:喜多村英梨
- 木ノ下さん:鈴木達央
動画工房作品でメイン級に抜擢されたキャストってそこから一気に人気が伸びるというイメージが何となくあります。
『ガヴリールドロップアウト』の富田美憂さん、『未確認で進行形』の照井春佳さん、『NEW GAME!』の高田憂希さんなどなど出演以降、メイン級が一気に増えた声優も多くいます。
ただ、今回のメイン2人はもう既に名前が売れた声優なので、更なる飛躍を期待というところでしょうか。
陸生役には『ゴールデンカムイ』などで知られる小林親弘さん、晴役には『SSSS.GRIDMAN』で一気に注目された宮本侑芽さんが起用されました。
他にも花澤香菜さんや花江夏樹さんなど実力派が顔を揃えています。個人的に原作の浪は花江夏樹さんの声のイメージではないかなぁ…。このあたりもどんな感じになるのか要注目です。
喜多村英梨さんと鈴木達央さんは、もう原作のイメージ通りで完璧なキャスティングだと思います。
『イエスタデイをうたって』感想・解説(ネタバレあり)
時代性を感じさせるラブストーリー
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会
90年代の終わりの日本と言えば、バブルが崩壊し、景気が一気に後退し始めた時期ですよね。
『イエスタデイをうたって』という作品が、連載を開始したのは、そんな日本が経済的に徐々に後退し始めていた時期で、失業者が増え、社会不安が増大していた時期でもあります。
本作の主人公である陸生は、大学を卒業しても、就職できなかったために、コンビニでアルバイトをするフリーターとなっており、このあたりの設定には、何だか当時の若者たちが抱えていた停滞感が反映されているようにも感じられます。
そして作品に登場するモチーフを見ても、今となっては古めかしいものがたくさん登場します。
まず、今作には「携帯電話」というものがあまり登場しませんから、登場人物はたいていの場合固定電話や公衆電話を使うんです。(たまに携帯電話も登場しますが)
『イエスタデイをうたって』を読んでいると、「スマホ使えばいいじゃん!」とツッコミを入れたくなるような描写がたくさん登場します。
実際に会う、固定電話もしくは公衆電話でしか連絡を取れないという状況が故に、実に多くの「すれ違い」が起こるように設計されており、それらが本作の物語を動かしていきます。
今作だって、スマホが存在する世界線であれば、多くの「すれ違い」は未然に防がれていますし、特に最終巻のドラマチックな演出はほとんど成立し得ません。
また、物語そのものは、90年代初頭のバブル期に流行したいわゆる「トレンディドラマ」をを踏襲しつつも、時代性を反映した内容で、ある種「ポストトレンディドラマ」とも呼ぶべきジャンルではないかと思います。
恋愛物語そのものはトレンディドラマに似た構造ではあると思いますが、そのトーンは全く異なっており、先ほども書きましたようにポストバブル時代の停滞感や憂鬱を見事に反映しています。
登場人物の設定や物語の舞台も、何だかキラキラとはかけ離れており、職業を見てもアルバイトのキャラクターが多いという状態で、かなり対照的です。
そういう意味でも、『イエスタデイをうたって』という作品は、連載当時の日本の空気感を絶妙に閉じ込めており、今読むと、何だか懐かしさを覚える不思議な物語となっています。
ただ、エモーションの部分については、普遍的で、時代を超えて今の私たちの心をも鷲掴みにするように描かれています。
そばに居てもいい、それだけですごいコトなんだ
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会
当ブログ管理人は、基本的に恋愛を題材にした作品が好きで、映画だと少女マンガ系もよく見ますし、アニメでも恋愛系はかなり見てきました。
その中でも好きな作品は、『true tears』『あの夏で待ってる』『四月は君の嘘』『ハチミツとクローバー』などなど切なさが前面に出た作品だったりします。
また、とにかく物語におけるいわゆる「負けヒロイン」に感情移入して、大好きになってしまう気質があり、『あの夏で待ってる』の谷川柑菜や『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の新垣あやせ、『神のみぞ知るセカイ』の小阪ちひろ(原作では最終的に成就してますが)などがお気に入りです。
当ブログ管理人が、自分の経験としてあるから共感してしまうというだけではなくて、物語における「失恋」には不思議な魔力があると個人的には思っております。
さて、今作『イエスタデイをうたって』は、まさしくキャラクターたちの片思いの連鎖を描いているわけですが、個人的にすごく印象的に残ったのは、滝下克美という青年が「付き合う」ということについて定義して述べたセリフです。
でも…なんかわかったよ。”つきあう”ってコトの意味が
好きな人の傍に、いつもいる事を許されるってコトなんだ
(『イエスタデイをうたって』第6巻より引用)
多くの恋愛物語で「付き合うって何?」という問いは繰り返されてきたと思いますが、すごくシンプルに言えば確かに付き合うって「いつもそばに居られる権利」を手に入れることなんだと思います。
そして、これは『イエスタデイをうたって』に通底するテーマでもあります。
榀子は、かつて大好きでいつだって一緒にいた幼馴染の湧を失ったことを深く引きずっています。彼女は、1番好きな人の傍に居ることが永遠に叶わないという宿命を背負っています。
加えて、彼女は家族同然のように彼の弟である浪と接していますが、いざ彼が自分の元から離れていこうとし、傍に居てくれることが当たり前ではなくなってくると、ようやくその思いに気がつきます。
晴は、最初から陸生の好意が自分の方に向いていないことが分かっていながらも、アプローチを続けています。
彼女は、陸生のアルバイト先にしきりに訪れて、半ば強引に彼と一緒に過ごす時間を手に入れようとしますよね。
「いつもそばに居られる権利」を持たないなりに、何とかして傍に居ようと努力をしているのが晴ということになります。
しかし、物語が進み、榀子と陸生が付き合い始めると、晴は彼に自ら会いに行くことはできなくなってしまいます。
なぜなら陸生の傍に居られる権利を彼女は得ることができなかったのであり、彼女は「選ばれなかった者」であるからです。
その他にも、この作品にはたくさんの片思いが登場し、傍に居たいのにいられない切ないエモーションがどんどんと積み重なっていきます。
そして、終盤の晴のこのセリフで、それらの切ない思いが一気に心に押し寄せ、涙腺がぶっ壊れました。
そばに居るだけでいいんだよ
遠くで何を言っても、きっと聞こえない
そばに居れば、何も言わなくてもいいんだよ
だってそうじゃん
そばに居てもいいなんてさ…
それだけですごいコトなんだよ。
(『イエスタデイをうたって』第11巻より引用)
どんなに選ばれようと、努力しても、そばに居ようと努力しても、報われず、選ばれなかった彼女が言うからこそ、真に迫るものがある言葉だと思います。
いちばん大切な人を選ぶということ
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会
『イエスタデイをうたって』という作品は、片思いの連鎖を描いた作品ですが、それ以上に「大切な人」を選ぶ物語なんだと思っています。
恋愛においては、確かに選ぶ側と選ばれる側がいるとも言えます。告白する側は選ばれる側ですし、された側は選ぶ側となりますよね。
この作品が面白いのは、誰しもが選ぶ側にいながら、同時に選ばれる側にいるという点です。
主人公の陸生は、榀子との関係性で言えば「選ばれる」側ですし、晴との関係性で言えば「選ぶ」側に当たります。
ただ、晴も湊 航一や雨宮との関係で言えば、「選ぶ」側にいると言えるでしょう。
このように本作のキャラクターたちは「選ぶ」側と「選ばれる」側の両方の側面を兼ね備えているという特徴があります。
浪は、何とかして榀子を振り向かせようと努力しますが、彼女はあくまでも「弟」としか見てくれず、距離が縮まることはありません。
晴も、何度も会いに行き、積極的にアプローチをかけますが、榀子の方を向いている陸生を振り向かせるには至りません。
みもりは、雨宮のことが大好きですが、彼が晴に好意を持っていることも感じ取っており、もどかしい気持ちを抱えています。
本作『イエスタデイをうたって』では、終盤にこういった「選ばれる」側にいたキャラクターたちが次々に報われていきますよね。
榀子は最終的に浪を、陸生は晴を、雨宮はみもりをといった具合に、終盤にどんどんと片思いが両思いへと転じていきました。
そういう意味では、苦しんで悩み抜いたキャラクターたちがきちんと「選ばれた」という見方ができるかもしれません。
しかし、彼らはただ単に「選ばれる」のを待っていたわけではなく、自分たちが相手を「選び」続けていたことをを忘れてはなりません。
つまり、彼らは自らが「選び」続けることができたからこそ、相手に「選ばれた」のです。
榀子、陸生、雨宮、彼らが「選ぶ」際に脳裏に浮かべたのは、浪や晴やみもりが自分のことを「選び」続けてくれたことでしたよね。
恋愛において、自分の大好きな人が同じように自分のことを大好きだなんて奇跡的な確率ですし、両思いになれないことなんて珍しくありません。
しかし、それでも相手に「選ばれたい」と願うのであれば、まずは自分が主体的に「選ぶ」ことをしなければなりません。
個人的には、最終巻の晴が雨宮に告げたセリフがすごくリアルで胸に響きました。
でも…このままじゃ自信がないんです
雨宮さんに選び続けられる自信が…
自信をください、そうしたらわたしも断ち切れると思うんです
比べられるものじゃないっていうのはわかってます
でもわたしのために選んでください
(『イエスタデイをうたって』第11巻より引用)
晴はこのセリフを告げている時もまだ、陸生のことを思っています。
しかし、雨宮がもしも自分のことを選び続けてくれるのであれば、その思いを断ち切れるかもしれないと語っているのです。
ここでも「選ぶ」ことが「選ばれる」ことにリンクするという関係性が示されているように感じました。
かなり完結まで引っ張ったということもあり、『イエスタデイをうたって』のラストについては、かなり不評もあったりするようです。
ただ、個人的には「選び」続けた者たちが「選ばれる」という特大のカタルシスに裏打ちされた展開だと思いますし、非常に感動しました。
榀子の選択について
本作の終盤パートでは、一気にキャラクターたちが自分の本当の思いに目覚めて、そして片思いが両思いへと転じていきます。
その中で、少し描写不足と言いますか、分かりにくく描かれていたのは 、榀子の本心なのかなと思いました。
元々、彼女は故郷での高校生時代に幼馴染みの早川 湧に好意を寄せていて、そして彼が亡くなったことがきっかけで前に進むことができなくなってしまいました。
そして、教師として東京で働くようになってから、前に進まなくてと焦り始め、陸生とそして湧の弟である浪の間で心が揺れるようになります。
序盤パートを読んでいると、榀子は陸生に好意を抱いているけれど、湧の存在があるためにその行為を受け止めることができないのだという風に見えました。
ただ、物語が進むにつれて、徐々に彼女の心境は変化していきます。とりわけ陸生と恋人関係になってから、一層顕著になったでしょう。
個人的に印象に残ったのは、やはり第10巻のこのコマです。
©冬目景/集英社(『イエスタデイをうたって』第10巻より引用)
榀子の建前と本心が見事に対比的に描かれていると思います。
右側のコマの彼女は、浪を湧の弟だからと本心を閉じ込め、必死に平静を装おうとしています。
一方の、左側のコマの彼女は、その本心を思わず隠し切れなくなり、涙が溢れ出していますよね。
彼女にとって浪は家族同然の存在でしたから、いつだって当たり前のようにそばに居ました。だからこそ、彼がいなくなるということが何を意味するのかを彼女自身が理解できていなかったのだと思います。
柚原が家出をして、陸生の家に駆け込んだときに、彼女が「どうしてそうまでして榀子は陸生を繋ぎ止めようとするのか?」と思いを巡らせていました。
きっと、彼女にとっての陸生は「自分の本心を隠し、そして平静を装うための安全地帯」のような存在なのだと思います。
彼と居れば、自分が最愛の人の弟を好きになってしまったという事実から目を背けることができるし、浪とはあくまでもこれまで通りの関係でいられるとそう考えていたのでしょう。
そうして、自分の本心から逃げて逃げて逃げ続けた結果、彼女は浪を傷つけてしまいました。
結局彼女は、陸生にその本心を勘づかれ、別れを切り出されることとなりました。つまり、彼女は自らの意志で積極的に浪を「選ぶ」ことができなかったのです。
『イエスタデイをうたって』は、その最終章で、榀子と浪の関係性にゴールを設けてはいません。
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会
榀子は友人にまずは昔のような関係に戻りたいと話しており、浪は一生かけて彼女に自分のことを認めさせるのだと意気込んでいるところで終わってしまいます。
そのため、2人が恋人関係になるのかどうかや、そもそも榀子が恋愛感情でもって浪のことを意識しているのかについてはぼんやりと締めくくられています。
『イエスタデイをうたって』のラストシーンは、桜の木を見つめる榀子となっています。
彼女にとって、桜というのは、湧を強く連想させるモチーフで、彼が亡くなった時も庭の桜の木をじっと見つめていたという説明がありました。
そのため、ラストシーンには、彼女がこれからも湧をを一途に思い続けるのではないかという予感も漂っています。
しかし、晴れやかで吹っ切れたような表情は、新しい季節の訪れを強く感じさせるものであり、桜の木に弟の浪を重ねているようにも見えます。
このラストシーンの演出から、当ブログ管理人は、榀子はまだ湧を確かに思ってはいますが、少しずつ浪と向き合おうとする未来があるのではないかと考えています。
きっとすぐに浪を彼の兄とは独立した存在として見ることは難しいでしょう。
しかし、湧を失った日に虚ろな目で桜の木を見つめていた彼女がもういないのだと確かに感じさせるラストシーンは、榀子の心境の変化を詩的に描いています。
彼女は、桜を見るたびに悲しい記憶を呼び起こすのではなく、浪が帰国し再会した時のことを思うようになるのではないかという未来への希望が確かに感じられるのです。
同じモチーフを見る彼女のまなざしの変化には、確かに彼女の浪への視線の変化が反映されています。
そう考えると、個人的には、すぐにではなくともいつかが榀子と浪が結ばれる日がやって来るのではないかと思っております。
アニメ版の演出や作画の素晴らしさを語る
さて、4月20日時点では第3話まで放送されたわけですが、流石、動画工房といったところでしょうか。アニメ版の出来も圧倒的です。
原作が11巻分あるので、それを全12話で消化するのは、かなり難しいかなとは思うんですが、そもそも『イエスタデイをうたって』という作品がかなりスローペースなので、テンポを上げれば、ある程度まとまりそうですね。
とりわけ第2話の終盤から第3話にかけて、かなり原作を省略したり、カットしたりしてあると思いますが、これも非常に巧かったですね。
色褪せた風景とノスタルジー
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会
アニメ版『イエスタデイをうたって』で素晴らしいのは、やはり背景や事物のディテールです。
とりわけ、個人的に感じたのは、「色褪せ」の妙ですね。
劇中の壁であったり、金属製品、あとは陸生の部屋の畳であったりの「色褪せ」や「摩耗」がすごく微細な表現で描かれているんですよ。
こういったノスタルジーを感じさせるような映像は見事だと思います。
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会
回想シーンの映像は、少し「粗さ」があって、その不鮮明さが少しずつ薄れつつある忘却の作用を表現していると思います。
しかし、榀子にとっての過去は消せない記憶であり、少しずつ彼女が前に進もうとするたびに、不鮮明になっていくはずですが、同じところをぐるぐるとしている彼女の中では未だにその「温度」と「色」を保っているのです。
こういった現在パートと回想パートの映像の使い分けも非常に印象的でした。
榀子の心の結界
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会
ここも原作にはあるシーンではありますが、明確にアニメ版は「演出」を施しています。
ブランコというのは、榀子の揺れる気持ちの表象ですが、ブランコを囲んでいる柵が実は重要な役割を果たしています。
原作では、彼女はすぐにブランコを降りて、陸生の近くまで行くんですが、アニメ版では、彼がこの柵を超えることはありません。
そして季節は春であり、桜は彼女にとって浪を強く連想させるモチーフです。
つまり、このワンシーンに施された演出は、あの時あの場所から一歩も動き出せず、閉じ込められたままの榀子を見事に表現しており、同時に、その「結界」に踏み込むことができない陸生の立ち位置をも明確にしています。
ちょっとした演出ではありますが、見事だと思いました。
春と晴、風の演出
『イエスタデイをうたって』という作品において、「春」という季節は重要な意味合いを持っています。
とりわけ榀子にとっては、浪の喪失を強く感じる季節であり、彼女の止まってしまった時間の象徴でもありました。
しかし、そんな彼女の前に現れる少女が「晴(はる)」という名前なのは、極めて意図的ですよね。
そして、原作でもあった彼女の宣戦布告のシーンの演出は優れています。
基本的にこのアニメでは、心情描写で顔を見せないというのを徹底していると思うんですね。
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会
それは、榀子が自分の本心から必死に逃れようとしていたり、隠そうとしたりしていることの表れなんですよね。
そして、そんな逃げ腰で、本心を隠そうとしている彼女に対して、晴は真っ直ぐにぶつかります。
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会
風は晴の方から榀子に吹いていて、この演出が、榀子の止まっていた時間を晴が確かに動かそうとしていることや、彼女の周りの人間関係に大きな影響を与えようとしていることを表しています。
アニメーション的にも、これま静的だった映像を、一気に動的に転換させた場面でもあるので、非常に印象に残りましたね。
交わる、交わらない。平行と垂直の演出
本作の第2話の終盤と第3話の終盤で実は対照的な「白線」の演出が施されています。
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会
まず、第2話の終盤にある榀子と陸生のシーンでは、白線は平行に描かれています。
これは、原作の終盤で陸生が彼女と自分の関係性を「平行線」と表現していましたが、それを視覚化したのがまさしくこのワンシーンなんですよ。
榀子と陸生は白線を隔てて、平行に立っていて、交わることのない位置に立っています。
そして対照的なのが、第3話のラストの陸生と晴の邂逅シーンです。
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会
というのも、陸生と晴が白線に対して垂直な位置関係にいるんですよ。
つまり、2人は「交わる」関係にあるということであり、今作の物語を予見した演出に仕上がっているわけです。
そして、この第3話のラストシーンは、ちょっとした原作改変もなされているのですが、こちらも素晴らしいと思いました。
原作では、陸生がミルクホール(晴のバイト先)を自分で探し当てて、店を訪れるという描写でした。
ただ、アニメ版では晴が自らのプロフィールと共にバイト先を彼に明かすという描写に改変されています。
彼女はきっとあの場から逃げ出したかったのだと思いますが、信号が赤色だったという偶然もあり、あの場に留まる決断をしました。
そして、もう「逃げない」ことを決意し、自らの退路を断つのです。
この作品において、常に自分の本心から逃げ続けるのは榀子なのですが、彼女と対比的に晴を描く上で、彼女の「逃げない」姿勢を強調したのは非常に良い改変だったのではないでしょうか。
ユアネスの『籠の中に鳥』について
今回の『イエスタデイをうたって』の主題歌を担当したのは、ユアネスで楽曲は『籠の中に鳥』となっております。
ノスタルジックなメロディも作品の空気感を見事に反映していますし、何よりその歌詞が『イエスタデイをうたって』において登場人物が抱えている感情を見事に切り取っていると思いました。
特に、個人的に衝撃を受けたのがこの一節です。
あぁどうすればこの身体から
あなたを隠す事ができるのか
(ユアネス『籠の中に鳥』より引用)
普通、私たちの感覚だと大切な人って、自分の「心」の中にいるものだと思うんですね。
ただ、歌詞を書いた古閑さんは、「あなた」が自分の心の中ではなく、「身体」の中にいると表現しているんです。
『イエスタデイをうたって』を見ていると、この感覚が痛いほどわかってしまいます。
特に晴は考えるよりも先に、陸生に会いたいという思いが先走って身体が動き出してしまうというところがあります。
また、このシーンの榀子なんかは「身体があなたを覚えている」の典型だと思いました。
©冬目景/集英社(『イエスタデイをうたって』第5巻より引用)
かたく抱きしめられればられるほどに、身体が覚えている失った湧を思い出してしまうという残酷さが浮き彫りになっています。
加えて素晴らしいのが、「消す」ではなく「隠す」という言葉を用いるセンスです。
本作の登場人物にとって大好きな「あなた」の存在は消すことはできません。しかし、前を向くために、何とかその思いを振り切るために、必死に「隠す」ことを試みるのです。
その微妙な感情のニュアンスを見事に言語した歌詞だという風に感じました。
聞くたびに、思わず切なくなるメロディと歌詞が絶妙に本作にマッチしており、心を搔き乱す名曲だと思います。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は『イエスタデイをうたって』についてお話してきました。
性格や髪型、立ち位置が非常に似ていますし、ライバルキャラの設定すらも似ているという状態なので、てっきり負けヒロインなのだと思っていました。
そのため、先ほども引用した「そばに居てもいいなんてさ…それだけですごいコトなんだよ。」と告げて、涙を流すシーンなんかは、完全に自分の中で乃絵が見えてました。
この手の恋愛ものには、読む人によっても、カップリングに希望がありますし、納得がいく人もいれば、いかない人がいるのも事実でしょう。
ただ、個人的には、晴の思いが報われたことが純粋に嬉しかったですね…。
また、じっくりと読み返して、細かいところの分析も交えて追記はしていこうと思います。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。