みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね『攻殻機動隊 SAC_2045』についてお話していこうと思います。
流石に見ているうちに徐々に目は慣れていきますが、やっぱりこの『フォートナイト』でもやっているようなゲームチックなビジュアルがきついですね。
イリヤ・クブシノブがキャラクターデザインに入っていたこともあって、原画はすごく仕上がりが良かったんですよ。
©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会 | ©Shirow Masamune, Production I.G/KODANSHA/GITS2045
原監督の『バースデーワンダーランド』でもキャラクターデザインを担当したイリヤ・クブシノブですが、彼の描く「眼」は憂いを帯びたような切なさと悲しさを内包しつつも、非常に美しいのです。
だからこそ、この素子のイラストがネット上で公開された時に、思わず声を漏らしてしまいました。
ただ単に可愛さを足されて今風になったというのではなくて、憂いと強さとそして美しさを兼ね備えた次世代の素子が誕生したと確信が持てたからです。
©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会 | ©Shirow Masamune, Production I.G/KODANSHA/GITS2045
もうこの時点で、かなり期待値としては下がってしまったんですが、どうしても神山健治さんが携わった攻殻ということで、見ないわけにはいきませんでした。
それくらい、自分にとって『攻殻機動隊 SAC』は革命的な作品だったからです。
今回はそんな『攻殻機動隊 SAC_2045』について感じたことや考えたことを率直に書いていこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・考察記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『攻殻機動隊 SAC_2045』
あらすじ
2045年に、全ての国家を震撼させる経済災害「全世界同時デフォルト」が発生し、さらにはAIが爆発的な進化を遂げたことに伴って、世界は未曽有の混乱に陥っていた。
そんな中で大国は、産業としての戦争=サスティナブル・ウォーを行うようになった。
アメリカ大陸西海岸において、傭兵部隊として腕を奮っている全身義体のサイボーグ・草薙素子とバトーたちは、ある日謎の組織の人間に拉致される。
彼らは、アメリカ政府の息がかかった人間であり、そして素子たちにとある極秘任務を依頼する。
その任務の内容は、パトリック・ヒュージという男の身柄を確保し、無事に救出することだった。
仮想世界の中で何度も趣味レーションを繰り返し、彼女たちは任務を開始したが、パトリック・ヒュージのあまりにも人間離れした動きに苦戦する。
苦心の末に、彼を追い詰め、そしてその電脳にアクセスした素子は、そのおぞましい正体を悟り、彼が人間ではないことを悟る。
アメリカ政府が秘密裏に調査を進めていたのは、「ポストヒューマン」と呼ばれる驚異的な知能と身体能力を持つ存在であり、その調査のために生きたサンプルを欲していたのだった。
アメリカは日本政府に協力を要請し、日本は素子たちを「新・公安9課」として再編し、任務に就かせることとする。
そうして、素子らは任務を開始するのだが、「ポストヒューマン」の圧倒的な力に翻弄されていく…。
スタッフ・キャスト
- 原作:士郎正宗
- 監督:神山健治 × 荒牧伸志
- シリーズ構成:神山健治
- 脚本:神山健治・檜垣亮・砂山蔵澄・土城温美・佐藤大・大東大介
- キャラクターデザイン:イリヤ・クブシノブ
- 編集:定松 剛
- 音楽:戸田信子 × 陣内一真
- 製作:Production I.G × SOLA DIGITAL ARTS
今回『攻殻機動隊 SAC』の神山健治さんとタッグを組んだのが、荒牧伸志さんです。
荒牧伸志さんは士郎正宗さん原作の『アップルシード』の監督を務めたことでも知られていて、3DCGアニメーションの第一人者として知られています。
『アップルシード』は脚本やキャスティング等がイマイチ良くなかったこともあり、かなり叩かれていた印象はありますが、映像作品としては意欲的な内容です。
ただ、彼の志向するCG映像のスタイリッシュさと、これまでの『攻殻機動隊』シリーズが追求してきたモーションや表情の美しさが噛み合っていないような印象を受けたのは事実です。
1995年公開の押井守監督版『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の映像はもうあまりの美しさに言葉を失うほどでありましたし、ある程度デフォルメは為された神山健治さんの『攻殻機動隊 SAC』にもこのシリーズ特有のシャープネスは残っていました。
しかし、今回の『攻殻機動隊 SAC_2045』はアクションという観点では、ある程度見応えはありますが、映像全体のシャープネスは皆無なんですよね。
一方で、脚本には『プリンセスプリンシパル』などにも参加した檜垣亮さん、『Z/X IGNITION ゼクスイグニッション』の砂山蔵澄さん、『交響詩篇エウレカセブン』などで知られ、ゲーム版の『攻殻機動隊 SAC』にも携わった佐藤大さんなど豪華な顔ぶれが並びます。
- 草薙素子:田中敦子
- 荒巻大輔:阪 脩
- バトー:大塚明夫
- トグサ:山寺宏一
- イシカワ:仲野 裕
- サイトー:大川 透
- パズ:小野塚貴志
- ボーマ:山口太郎
- タチコマ:玉川砂記子
- 江崎プリン:潘めぐみ
- ジョン・スミス:曽世海司
- シマムラタカシ:林原めぐみ
個人的にも大好きだった攻殻SACのキャスト陣がこうして戻ってきたということに涙が出てきます。
玉川砂記子さんのタチコマの声は、もう聴いただけであまりの懐かしさと安心感に、うっとりとしてしまうほどでした。
また、新シリーズから登場のキャラクターを演じているということで、潘めぐみさんや林原めぐみさんらが参加している点にも注目です。
『攻殻機動隊 SAC_2045』感想・考察(ネタバレあり)
分かりやすいが、既視感に満ちた新シリーズ
今回の新シリーズ『攻殻機動隊 SAC_2045』は一言で言うと、めちゃくちゃ分かりやすいですね。
2045年が舞台となっているということで、前作から少し年月が経過していますが、それに伴って世界観が『マッドマックス』から『マッドマックス2』への移行時くらい変化しています(笑)
©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会 | ©Shirow Masamune, Production I.G/KODANSHA/GITS2045
それはさておき、『攻殻機動隊 SAC』って内容的にもかなり高度で、それでいて現実とリンクさせたスマートな物語だったのが、多くのファンを引きつけた理由でもあったと思うのです。
そもそも「SAC=STAND ALONE COMPLEX」とはなんぞやというところから語り始めるならば、「笑い男事件」を知っておく必要があります。
ファーストシーズンの最終話で登場する言葉を引用するなれば、「全ての情報は、共有し並列化された時点で単一性を消失する」ということでしょうか。
情報は誰にも伝えなければ、そもそも存在しないままに消えていくものであり、一方で誰かに共有し、それが広まっていく中で「誰が発信したか」の要素が次第に抜け落ちていき、共有情報として存在するようになるということですよね。
例えば、先日、2chの掲示板発の「だいしゅきホールド」という言葉を誰が考案したのかという話が挙がっていたと思いますが、これも1つ「SAC」について語る上で分かりやすい例になるでしょう。
この言葉を考案した人がずっと自分の中に持ったままにしておくと、それは情報にすらなり得ませんが、ひとたびネットで公開し、共有されてしまうと「誰が」言ったかは次第に忘れ去られていき、徐々にその言葉だけが価値をもって存在するようになります。
このジレンマやパラドックスことが、そもそもの「SAC=STAND ALONE COMPLEX」であったわけです。
そうしたタイトルを冠し、ファーストシーズンのメインエピソードとして扱われた「笑い男事件」は企業を脅迫したグリコ・森永事件や、有名な三億円事件を想起させる内容でした。
加えて、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』やヴィクトル・ユーゴーの『笑う男』といった作品から多くを引用した点も硬派なアニメファンを引き付けた理由の1つでしょう。
セカンドシーズンでは、アメリカ同時多発テロ事件や九州南西海域工作船事件を反映させた内容にしていました。しかも日本における右翼や在日といった人々を主題の一部に据えてきたんです。
また、「大人の事情」で明確にはされなかったんですが、フランスの思想家シルベストルは間違いなく三島由紀夫がベースになっているとされていて、物語に与えた彼の影響は大きいとも言われていました。
こういった少し難解な設定や現実社会や事件とのリンク、そして1歩先の社会を見据えた先見性を内包していたことがこのシリーズの大きなブランド価値になっていたと私は思っていました。
『攻殻機動隊 SAC_2045』も確かに、私たちの生きる現代社会にリンクする部分があります。
例えば、第7話のバトーが銀行強盗に巻き込まれる回は、明らかに今の日本の年金事情に対するアイロニーを込めて描かれています。
国民から預かったお金を運用し、勝手に損失を出し、挙句の果てにはお金をまともに返そうとしないというのは、今の若者から見た年金制度に他なりません。
コロナウイルス感染流行のどさくさに紛れて、安倍政権は年金受給開始年齢の引き下げやら、定年の引き上げやらを画策していて、まさしく現実とのリンクはうかがえます。
その他にもテロリズム、移民や難民、第10話以降で描かれたネット社会における私的な制裁といった諸問題が現実とリンクするように描かれてはいました。
ただ、これらは最近の映画やアニメでは、頻繁に見かけるテーマであり、今更『攻殻機動隊 SAC』が扱ったとて、そこに斬新さや革新性が宿ることはありません。
加えて、小説やSF作品からの引用を見てみても、定番中の定番としか言いようのないジョージ・オーウェルの『1984年』からの引用がメインというのは、少し寂しさを感じます。
特に最近は、『PSYCHO-PASS』シリーズが人気を博していて、こちらがジョージ・オーウェルの『1984年』を強く意識した内容になっているだけに、余計に『攻殻機動隊 SAC』では違う作品にしてよ…と思ってしまいました。
また、第4話に登場するアメリカの政府高官の名前が「ミス・バイロン」(別名:エイダ)だったのも、あからさまなSF・スチームパンクネタでした。
これはエイダ・ラブレス(旧姓:バイロン)からとってきたはずで、『ディファレンス・エンジン』というスチームパンク黎明期の作品からの引用です。
といった具合に、『攻殻機動隊 SAC_2045』は非常に王道を責めたような印象が強く、それだけにこれまでのシリーズにあったような硬派で緻密な物語は失われてしまいました。
その結果、スローテンポで、CGアクション推しで、萌えキャラで釣って、密度の薄い、ぺらっぺらな『攻殻機動隊』が出来上がってしまったことは、何とも残念に思えます。
あんなにシャープで、スマートで、先進的で、美しかった『攻殻機動隊 SAC』が見る影もなくなったことに一抹の寂しさを感じた次第です。
続編ありきのぶつ切れなので、評価はしづらい
©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会 | ©Shirow Masamune, Production I.G/KODANSHA/GITS2045
そもそも『攻殻機動隊 SAC』は2クール構成で、それがセカンドシーズンまであったので、全部で50話付近でした。
ですので、今回の『攻殻機動隊 SAC_2045』が現時点で公開している12話だけでは、まだ全貌を明かせていないというのは、想定の範囲内ではありました。
しかし、個人的にすごく問題だと思っているのは、物語の主軸やテーマすらもほとんど開示できていないところなんです。
まず、今回の新シリーズは異常なまでにスローペースで、メインディッシュであろう「ポストヒューマン」がきちんと登場して、その説明がなされるのが第6話とかなんですよ。
その後は、年金問題を扱ったり、東京オリンピックネタを絡めたり、そして近年のSNS社会による個人が個人を私的に裁けてしまうことへの恐ろしさを描いたりと、現代的な問題を小出しに登場させました。
それは良いとしても、じゃあ「ポストヒューマン」という存在を作品の中心に据えて、一体この物語はどこへ向かって行くんだろうか?という軌道が12話もかけて何も見えてこないんですよ。
しかも、描いている内容や現代社会とのリンクが、映画やSFでもう既に何度も扱われたような内容ばかりなので、目新しさもなく、物語への「引き」も明らかに弱いです。
先ほど、今回の『攻殻機動隊 SAC_2045』はシリーズの中ではビギナー向けだという話はしましたが、果たしてこれを見て『攻殻機動隊』ってすげえな!と純粋に感じる人がどれくらいいるんだろうか?とは思いますね。
なぜなら、この作品には過去の『攻殻機動隊』が持っていた「格式の高さ」がまるで感じられないからです。
「ポストヒューマン」という人間を超越した存在を中心に据えて、話しを展開していくというのは、それで良いと思いますが、ファーストシーズンが終わって、ほとんど情報が出ていないというのは、構成的に残念でした。
サスティナブル・ウォーについて
今回の『攻殻機動隊 SAC_2045』では、その中心にある「サスティナブル・ウォー」も含めてですが、やたらと「サスティナブル」という言葉が強調されています。
なぜ、そんなに「サスティナブル=持続可能な」という言葉が登場するのかと言いますと、それはSDGsが掲げられたこともありますが、これからの社会の大きな流れだからです。
私たちの社会は、これからどんどんと発展だけを目指していくというよりは、少し立ち止まって、「持続可能性」を追求していく方向に向かっています。
代表的なもので言えば、環境問題ですよね。地球温暖化によって、私たちの地球の環境が劇的に変化し、地球規模の問題として顕在化しています。
その進行を防ぎ、今の人間の繁栄を将来的に維持していくためにも、環境破壊を防ぐ努力を惜しむことはできません。
また、国連が掲げるSDGsの中には、環境問題に限らず教育やジェンダー、労働といった多様なゴールが盛り込まれており、その17のゴールの全てが同時に達成された社会を「持続可能な社会」と定義しています。
つまり、環境問題を解決するために、女性を切り捨てたり、雇用を無くしたりしてしまうと行けなくて、環境問題解決、男女平等、雇用の維持を同時に達成する社会像を模索することが大切なのです。
こういう事情で、まさしく「サスティナブル」が大きなトレンドであることから、今回『攻殻機動隊 SAC_2045』が作品のキーワードに据えたことは容易に想像できます。
そもそも今作における「サスティナブル・ウォー」の定義はあいまいです。
というのも、序盤においては大国が利益を共有するための、産業としての戦争がサスティナブル・ウォーだとされていました。
つまり、世界が今の繁栄を維持していくための必要悪として「戦争」を続けていくのだという設定が明かされていたわけです。
しかし、「ポストヒューマン」の話が出てくると、彼ら個人が「サスティナブル・ウォー」をしかけるといった話になり、何だか言葉の意味を見失いそうになります。
そこで、作品の中に登場した「ポストヒューマン」たちの行動を見てみますと、第9話に登場したボクサーの男は、違法に国籍を所得した移民や難民、そしてそうした人たちを「東京復興計画」の労働力に充てようとした人たちが排除されました。
第10話以降のメインであるシマムラタカシは、当初学校の嫌われ者だった先生を攻撃するために「シンクポル」を作り、個人のヘイトの集合体で、特定の個人を攻撃できるシステムを開発しました。
©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会 | ©Shirow Masamune, Production I.G/KODANSHA/GITS2045
ただ、それが憎しみの連鎖を生むだけだと気がつくと、あっさりとコードを放棄して、次のコードに着手します。
つまり、今作における「ポストヒューマン」たちの「サスティナブル・ウォー」というのは、言わば「持続可能な社会」の実現において障害となり得る存在を排除しているようにも見えるんですよ。
今回の『攻殻機動隊 SAC_2045』における「ポストヒューマン」は、何らかの「世界意志」のようなものに操られて行動しているのではないかと推測しています。
人類では、結局は自分たちの利害関係を優先してしまい、実現不可能な「サスティナブルな」世界を実現するために、世界意志が「ポストヒューマン」を送り出し、人類を淘汰していき、自由意志を掌握してしまおうとしているのではないでしょうか。
そう考えると、人間が自由意志を放棄することで、完全なる調和が保たれた社会が実現するという内容を描いた伊藤計劃の『ハーモニー』なんかにリンクする内容になったりするのかもしれないとは思いました。
人類が自由意思を放棄して、世界の大きな意志のままに動く「ポストヒューマン」に還元されてしまえば、完全にサスティナブルな世界が実現されるということなのかな?という推察が、ファーストシーズンを見終わった時点での、個人的な今後のイメージです。
ジョージ・オーウェルの『1984年』をベースに読み解く
©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会 | ©Shirow Masamune, Production I.G/KODANSHA/GITS2045
さて、ここまで考察らしい考察を書けていなかったので、最後にジョージ・オーウェルの『1984年』と絡めながら自分なりの考察をしていきます。
とりわけ、この小説が今回の『攻殻機動隊 SAC_2045』の軸に据えられていることが明かされたのは、シマムラタカシのエピソードに入ってからです。
目につきやすいところで言えば、「シンクポル」という『1984年』における思想警察の名前が、インターネット上の名もなき市井の人たちの声を力に変えて、特定の個人に私刑を下すというコードの名前に使われていたところでしょう。
しかし、照らし合わせていくと、もっと深いところに共通点が内包されていますし、それ故に今後の展開を断片的にではありますが想像することができます。
まず、『攻殻機動隊 SAC_2045』において私たちは、どうしても「公安9課」を視点に据えて、こちら側に正義があるという視点で物語を見ようとしますよね。
ただ、今回の新シリーズが『1984年』を下地にして作られたのであれば、「公安9課」は明らかにビッグブラザーないし体制側についているのだということを忘れてはいけません。
なぜなら、「ポストヒューマン」と呼ばれる存在は、その行動や特性から考えても『1984年』における反体制派の人間たちに近似しているからです。
例えば、「ポストヒューマン」は監視ネットワークの網目をかいくぐって、行動をしていますが、これは『1984年』に置き換えて考えると、体制側から見た主人公のウィンストンやジュリアたち反体制派の特徴でもあります。
そして、「ポストヒューマン」たちの行動や目的は一見するとバラバラに思えますが、大元を辿ると既存の社会構造の転覆という点で一致しています。
また、アメリカが極秘裏にとらえた最初の「ポストヒューマン」の検証から、彼らは人格のようなものを持っていないことが示唆されていましたが、それはシマムラタカシが母に手紙を残した描写でもって否定されたと言っても過言ではありません。
つまり、私たちは無意識に「公安9課」が正義の側に立っているという視点で物語を見てしまい、実は『攻殻機動隊 SAC_2045』が『1984年』をビッグブラザー側から見た物語になっていることに気がつきにくいのです。
そして、今回の新シリーズの第1シーズンでキーワードとなっていたのが「サスティナブル・ウォー」と「郷愁」でしょう。
まず、前者についてですが、『1984年』にはこんな記述があります。
現代に於ける戦争の第一の目的は(二重思考の諸原理に従えば、この目的は中枢の首脳部によって、認識されていると同時に認識されていないことになる)、全般的な生活水準を上げずに、機械による製造品を消費しつくすことである。
(ジョージ・オーウェル『1984年』より引用)
「戦争」をこういう感覚で捉えることができたのであれば、今シリーズにおける「サスティナブル・ウォー」の概念は比較的すんなり頭に入って来るのではないでしょうか。
つまり、相手国を打ち負かし、征服するための「外向き」の戦争をしているわけではなくて、自分の国の階級社会を維持するための「内向き」の戦争をしているというのが、おそらく「サスティナブル・ウォー」の実態ということになります。
産業革命を経て、私たちの社会においては物を大量生産できるようになり、また科学技術の発達が私たちの生活を豊かでかつ便利なものにしていきました。
そうして、万人が豊かな生活を享受できるようになり、きちんとした教育を受けていくとどうなるのかと言うと、少数の特権階級の不必要性に遅かれ早かれ勘づき、社会構造を転覆させてしまいます。
つまり、支配階級からすれば、意図的に自分の国の市民の大部分が無知でかつ貧困であってくれないと困るわけです。
そのためには、大量に生産された物や食料、機会といった消費財を市民に安定供給させてはならないわけで、そうなるとどこかでそれらを大量にかつ最もらしい理由をつけて消費する必要があるんですね。
まさしくその通りで、『1984年』におけるオセアニア政府も戦争を継続的に行っていることを理由にして、市民の生活を低水準に保つように意図しています。
「戦争は平和である 自由は屈従である 無知は力である」
この言葉は、『1984年』におけるオセアニア政府のスローガンですが、まさしく先ほど述べた内容が反映されていると思いませんか。
「戦争は平和である」というのは、まさしく支配階級にとっての「平和」を保つうえで戦争は非常に都合の良いツールになっているということを仄めかしています。
また、「無知は力である」という言葉には、支配階級にとっては社会の大多数を占める市井の人々が「無知」であってくれることが社会を維持していく上での最大の力であるということを言っています。
先ほど、国連が掲げたSDGsの話を挙げましたが、あれは世界規模での目標として掲げられてはいますが、実は支配者層にとっては、それほど都合の良いものではないことは明白ですよね。
例えば、誰もが一定水準以上の教育を受けられるようにという目標がありますが、そんな社会が実現して大衆が「無知」から脱してしまえば、今の社会構造は変貌してしまいます。
そういう意味でも、「ポストヒューマン」たちが真にサスティナブルな世界を作るために、戦いを挑んでいるというのは、先ほど私の今後の展開の想像の部分で書いたこととも一致します。
つまり、『攻殻機動隊 SAC_2045』において、政府が行っている「サスティナブル・ウォー」とポストヒューマンたちが挑む「サスティナブル・ウォー」では全く意味が異なっているのだということは把握しておく必要があると思われます。
『1984年』では、主人公のウィンストンが「プロール(貧困層)たちは人間なんだ」「ぼくたちは人間じゃない」という思想の転換に至ります。
これに準えて考えるなれば、今シリーズにおいては素子らが「ポストヒューマンたちは人間なんだ」「わたしたちは人間じゃない」というパラダイムシフトに至る可能性は高いのではないでしょうか。
そして、もう1つのキーワードである「郷愁」も今後の展開を考えていく上では重要です。
それにしてもその部屋は彼の心に、ある種の郷愁の念、先祖伝来の記憶とでもいったものを呼び起こしたのだった。
(ジョージ・オーウェル『1984年』より引用)
『1984年』において、重要なモチーフとなっているのが実は「過去」なのです。
思想警察によって、基本的に過去というものはビッグブラザーの都合の良いように書き換えられていき、何が過去なのかということが分からなくなっていきます。
そして次第に考えることを放棄していくようになり、ビッグブラザーらの体制派が作り出した「過去」があたかも疑いの余地のない過去であるかのように信じるようになっていくという恐ろしさが描かれていました。
では、ウィンストンにとって「郷愁」という感情は何を意味していたのかと言いますと、それは思想警察の洗脳めいた価値観から逃れるためのトリガーだったんですよ。
彼は、過去に思いを馳せ、その懐かしい原初的な感覚を持ち続けることで、ビッグブラザーらの体制派への疑念を強めていき、それを転覆させようという思いを保ち続けました。
『攻殻機動隊 SAC_2045』の第12話で、シマムラタカシが作り出したコードによって、まさしく「郷愁」の念を掻き立てられたトグサが、失踪するという事態が起きました。
つまり、シマムラタカシの目的というのは、より多くの人間に「郷愁」の感情に触れさせることで、彼らを目覚めさせることなのではないかと思うのです。
彼は「シンクポル」のコードを開発しながらあっさりと放棄してしまいました。
彼にとって、あのコードは名もなき市井の人々が体制側の人間に一矢報いるための武器だったのだと思いますが、「シンクポル」という名前がついていることが象徴している通りで、あのコードが普及した未来のビジョンは、他でもないビッグブラザーが支配する『1984年』の世界なのです。
だからこそ、彼はウィンストンが目覚めたように、「郷愁」の念や過去への憧憬によって人々を目覚めさせ、市井の人々を反体制の方向へと導こうとしているのでしょう。
ちなみに『1984年』はその本編の後に、『ニュースピークの諸原理』と題された作者不詳の解説文を掲載してあります。
これは、1984年よりもさらに先の時代からビッグブラザー統治の社会構造が転覆したことを「過去形」で記した手記のようなものです。
そういう意味でも、「過去」とは希望であり、「過去」に気づかせ、その無意識の絶対性を切り崩していくことが、「現在」の変化に繋がっていくのだということが伺えます。
そう考えると、『攻殻機動隊 SAC_2045』の第2シーズンがどんな展開を描こうとしているのかが何となく見えてくるのではないかと思います。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は『攻殻機動隊 SAC_2045』についてお話してきました。
『攻殻機動隊 SAC』の革新性や先見性は見る影もなくなっており、映像表現としても抜きに出たところはありません。
既視感にまみれた凡庸な攻殻SACをこんな形で見ることになってしまったことに、一抹の寂しさを感じずにはいられませんでした。
それでも、まだ作品が導入も導入であるというところに微かな希望を抱いているつもりです。
最初こそスローペース過ぎて、あくびが出ましたが、徐々に物語のペース感は上がってきたので、ここから一気にブーストがかかることに期待しています。
GITSやSAC、ARISEとは全く違った路線で、幅広い層をターゲットにした『攻殻機動隊 SAC_2045』が一体どんな方向に向かって行くのか、一応は追いかけようと思います。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。