みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですねNetflixで配信されている映画『デンジャラスライ』についてお話していこうと思います。
中盤過ぎくらいまでは、かなり情報の出し方も巧くて、すごく惹きつけられました。
ただ、終盤に近づくにつれてどんどんと失速して行った感は否めませんし、肝心の「種明かし」もそれだけ?レベルのもので、肩透かしを食らいました。
特にアダム関連の描写はあれだけミステリアスにしておいて、何にもなしかよ…という感じでしたし。
作品の主題としても特に心を動かされるようなものはなく、サスペンスとしてもミステリーとしても物足りないという状態でした。
今回はそんな映画『デンジャラスライ』について感じたことや思ったところを語っています。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『デンジャラスライ』
あらすじ
ケイティとアダムは、学生の身でありながら結婚しており、ケイティがダイナーのウエイトレスとして稼ぎ、その援助を受けて彼は大学院に通っていた。
ある日、そのダイナーで強盗事件が起き、その場に居合わせたアダムは犯人にフライパンを持って向かって行く。
結果的に、彼は犯人を取り押さえ、強盗から市民を救う結果となった。
それから4か月が経過し、アダムは、大学院を中退し、仕事を探し始め、一方のケイティはレナードという裕福な老人の下で働き始めた。
しかし、2人は金に困窮し、ケイティはなかなか定職につかない彼に苛立ちを感じるようになる。
そんな時、彼女はふとしたきっかけで、レナードに自分の経済的な困窮を打ち明けるのだが、それを聞いた彼は金銭的な援助を申し出た。
お金を受け取りたくないと断った代わりに、アダムに庭師としての仕事を与えてくれたレナード。
更には、小切手という形で彼はケイティに大金を手渡す。彼女はそのお金を彼に返そうとするが、アダムはまず借金の返済に充てるべきだと告げる。
その翌日、お金を返そうとレナードの家を訪れた彼女だったが、何と彼は既に絶命していた。
それを機に彼女の身の回りで次々に奇妙な出来事が起き始めて…。
スタッフ・キャスト
- 監督:マイケル・スコット
- 脚本:デビッド・ゴールデン
- 撮影:ロナルド・リチャード
- 美術:ジェームズ・ロビンス
- 編集:アリソン・グレイス
マイケル・スコットは『サムソン 神に選ばれし戦士』の制作を担当し、監督として初めて手掛けるのが今作だと思われます。
その他のスタッフ陣も基本的にはあまり知られていない方が多く、大作などで裏方を担当してきた方が多いのではないかと思いました。
撮影監督のロナルド・リチャードは『デッドプール』などに参加した経歴を持ち、脚本のデビッド・ゴールデンはテレビ映画を多く手掛けた脚本家のようです。
編集を担当したアリソン・グレイスも、これまで担当したのはショートフィルムやテレビ映画が多いようですね。
つまり、今回の『デンジャラスライ』は低予算の作品でかつ、これから羽ばたいていく映画人たちのチャレンジ的な側面も強い作品なのでしょう。
- ケイティ:カミラ・メンデス
- アダム:ジェシー・アッシャー
- レナード:エリオット・グールド
- ジュリア:ジェイミー・チャン
- ヘイデン:カム・ジガンデイ
主人公のケイティを演じたのは、『パーフェクトデート』に出演した経験のあるカミラ・メンデスですね。
もう1人の主人公的立ち位置であるアダムをジェシー・アッシャーが演じました。
彼は『インディペンデンスデイ リサージェンス』にも出演していたようですね。
他にも『トワイライト』シリーズのカム・ジガンデイや、『DRAGONBALL EVOLUTION』『エンジェルウォーズ』などで知られるジェイミー・チャンが出演していますね。
『デンジャラスライ』感想・解説(ネタバレあり)
作られた情報が「英雄」を疑惑に変える
(映画『デンジャラスライ』より引用)
この映画は、いきなりダイナーでの強盗事件で幕を開けますよね。
冒頭のシーンは、ケイティの働いているダイナーにアダムが現れて、そして強盗を取り押さえるというものでした。
しかし、その後は一気に4か月の時が流れ、冒頭のシーンが遠ざかってしまいます。
わざわざ、冒頭に時系列的にも現在軸と差があり、しかも本筋に関連していなそうな微妙なシーンを流すだろうかと考えてみた時に、そこには間違いなく意味があるだろうと思い至るのは無理もないでしょう。
ただ、この映画はあれほど意味深に冒頭の一連のシークエンスを描写しておきながら、それが本編全体にほとんど関係がないんですよ(笑)
冒頭に置くということは重要な情報であるわけですから、どうしたってそこにアダムの秘密が隠れているんじゃないかという憶測がつきまといます。
そこも含めて、本作『デンジャラスライ』は、緊迫感や好奇心を煽るのは、非常に巧いと思うのですが、裏切られた時の虚無感は尋常じゃないですね。
結論から言うと、あのダイナーでの事件というのは、アダムを犯人っぽくするための単なるミスリードなんです。
ただ、アダムが正義の行動を取ったにも関わらず、警察から目をつけられ、そしてケイティすらも彼のことを信じられなくなっていくという物語になっていたのは、1つ興味深いポイントだったでしょうか。
彼女は、彼のことを愛していますが、金を握ったことで行動が変化していく様子を見て、徐々に疑いの目を向けるようになりました。
結果的に、アダムは常に情報をきちんと調べ上げ、そして自分だけでなくケイティと共に安全に生きられる道を模索していたのです。
しかしながら、ケイティは彼に対して懐疑心を抱いてしまい、それが彼の死を引き寄せる結果になってしまったとも言えます。
ラストシーンで、彼女は「夫の無実」を告げられ、晴れてアダムは「英雄」として死ぬことができました。
本作において、確かにアダムは怪しいですし、彼を犯人風に仕立て上げるために、冒頭に特に本筋に関わりのないダイナーの事件を入れてきたのも頷けます。
つまり、私たちは、彼を犯人に見せかけようとするために提示された情報にまんまとハメられ、ケイティと同様に彼のことを疑い始めるんです。
そう考えると、今作はどんなヒーローであっても、外部の人間が介入して、疑念を持たすような情報を流し込むことで、それを誘導できてしまうという恐ろしさなのかもしれません。
犯人と結末はあまりにも読め過ぎる
(映画『デンジャラスライ』より引用)
作品の中盤過ぎくらいまでのアダムの不穏な空気感の作り方自体はかなり巧かったと思っています。
しかし、終盤になるにつれて、どんどんと作品としての出来栄えが落ちていったのがどうも残念でした。
まず、誰が犯人なのか?というサスペンスの肝となる部分が、あまりにも展開として捻りがなさすぎるんですよ。
基本的に、先ほども書いたようにこの映画はアダムという人物の疑わしさを強調することで、真犯人の臭いを消そうとしているんですが、普通に考えてバレバレなんですよ。
ちなみに、レナードを殺害したのは彼で、なかなかダイヤモンドを見つけられなかったことによる焦りで犯行に及んでしまったのでしょう。
あとは、弁護士のジュリアが、あまりにもその登場シーンから怪しすぎて、「絶対こいつが真犯人じゃん」な臭いがプンプンと漂っていて、終盤の展開も「そりゃそうだよ」くらいにしか思えませんでした。
(映画『デンジャラスライ』より引用)
レナードの弁護士だったにもかかわらず、ケイティが一度も彼女に会っていないというのは、どう考えても不自然ですし、夜にだけ会いに行っていたという言い訳も見苦しすぎて思わず笑いました。
彼女は、レナードを殺害してしまったヘイデンのミスをカバーすべく、ケイティやアダムに警察の疑いの目が向かうように、彼らを遺産目当ての殺人者に仕立てようとしていました。
登場シーンから「真犯人は私だ!!」と言わんばかりの怪しさを漂わせておいて、後から「バレてしまったものは仕方ない」的なコテコテの演出で自分が犯人であることを明かすのは、本当にアホらしいと言いますか…。
そして、今作において登場人物たちを振り回しているのがダイヤでした。
ジュリアたちは、レナードの家に隠されているであろうダイヤモンドを手に入れるべく、綿密に計画を立てていました。
一方のアダムはダイヤを奪われないために、家のどこかに隠してしまったわけです。
ただ、彼は銃で撃たれての死ぬ間際に「庭にある」と最後の気力を振り絞ってケイティに伝えようとしていました。
だからこそラストシーンでは、彼女の住む家の庭が映し出され、そこに植えられた木の根元にスプリンクラーがかかり、ダイヤモンドが浮かび上がってくるのです。
『デンジャラスライ』は風呂敷を広げるだけ広げておいて、散らばった面白くなり得る要素を全然拾えていない作品に思えます。
特に最初から「私が犯人です!」と言わんばかりの半ばバレバレで登場するジュリアは酷いですね。演出でもう少しぼかさないと…。
ただ、ジュリアというキャラクターはケイティのIF的存在であることは忘れてはいけません。
彼女は、自費で学費を払って公選弁護人になった苦労人で、この境遇はケイティにもまさしく重なります。
しかし、彼女は決して他人を傷つけてお金を手に入れようとはしませんでした。
もしも、彼女がジュリアのようにお金に対して非情になっていたならば、きっと同じような道を歩み、同じような結末を迎えることになっていたでしょう。
他人から奪おうとした者は溺れ、そして他人から受け取ろうとしなかった者が救われるというある種の「おとぎ話」のような教訓めいたプロットだと思いました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『デンジャラスライ』についてお話してきました。
「英雄」だった自分の彼氏すらも、外部の人間によってもたらされた情報によって、見える姿が変化していくという恐ろしさを描いたという点では、1つ面白い作品だったかもしれません。
ただ、単純にサスペンス要素が低レベル過ぎて、最後まで見られる気がしないというのが、かなりきつかったですね。
風呂敷の広げ方やアダムへの懐疑心の煽り方は非常に優れておりましたので、そこをもっと生かして、物語全体を緻密に汲んで行けば、見応えのある映画になっていくのではないかと思っております。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。