みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ハーフオブイット 面白いのはこれから』についてお話していこうと思います。
基本路線としては、王道の青春ラブストーリーではあるんですが、そこに宗教や哲学、映画、文学などが絡むことで、非常に深みのある作品になっています。
物語の主軸は主人公エリーと、ヒロインのアスターとそしてポールの3人のラブストーリーです。
基本的に設定や展開はベタベタで、ポールがアスターに恋をするのですが、知的な彼女の興味を引こうと、文学や映画、哲学に精通したエリーに手紙の代筆を依頼するところから物語が始まります。
展開に大きなツイストがあるわけではないのですが、劇中に登場する映画のセンスの良さや時折挿入される哲学者たちの言葉が絶妙に心地良く、思わず引き込まれてしまいました。
タイトルにもなっている「ハーフオブイット」という言葉は、作品の冒頭でも紹介されますが、プラトンが『饗宴』の中で男女の愛について語った時に挙がった内容です。
かつては男女両性を有する存在がいたとされていて、神がそれらを切断して手足が2本ずつ、世紀が1つずつの存在に分割してしまいました。
だからこそ男は女、女は男を自分の半神を求めるが如く、探し続けるのです。
ただ、この考え方はヘテロセクシャル的な側面が強く、ホモセクシュアルとは相いれない考え方のようにも思えます。
しかし、今作は同性愛を主題に据えた作品でもあり、そういった古来より受け継がれてきた「愛の定理」を自分の言葉で壊し、前に進む映画でもあるのです。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ハーフオブイット 面白いのはこれから』
あらすじ
エリーは、あまり社交的な性格ではなく、高校でもあまり同級生たちの輪に入ることができずにいた。
クラスの面々が彼女を当てにするのは、課題の代筆の時くらいであり、家が貧しかった彼女は有料でそれを引き受けている。
ある日、彼女は同じ高校に通うポールという青年から、好意を寄せる女性に思いを伝えるためのラブレターを代筆して欲しいという依頼を受ける。
愛情は自分の言葉で伝えるべきだと、その依頼を一蹴するが、自宅の電気代の支払い期限が迫っていたこともあり、彼女はポールのラブレターの代筆を引き受けた。
彼が好意を寄せていたのは、クラスのマドンナ的存在であるアスターで、とても恋が成就するとは思えなかったが、彼女もまた周囲になじめなさを抱えていることを知る。
エリーは、ポールになりすまし、手紙を書いたり、チャットを続けたりし、徐々に彼女の気を引くことに成功する。
しかし、同時に彼女は自分の中でアスターに対する思いが大きくなっていくのを自覚して…。
スタッフ・キャスト
- 監督:アリス・ウー
- 脚本:アリス・ウー
- 音楽:アントン・サンコー
- 撮影:グレタ・ゾズラ
- 編集:イアン・ブラム&リー・パーシー
経歴を見ておりますと、アリス・ウーが監督を務めたのは、2004年制作の『素顔の私を見つめて…』という作品を手掛けています。
こちらの作品も中国人コミュニティの世界でレズビアンであることを打ち明けられず苦しむ主人公の葛藤と苦悩を描き、高く評価された作品です。
音楽には『ラビットホール』や『アマンダと僕』といった作品を手掛けたことでも知られます。
- リーア・ルイス:エリー・チュー
- ダニエル・ディーマー:ポール・マンスキー
- アレクシス・レミール:アスター・フローレス
- キャサリン・カーティン:コリーン・マンスキー
- コリン・チョウ:エドウィン・チュー
- エンリケ・ムルシアーノ:ディーコン・フローレス
ただ、個人的にアスターを演じたアレクシス・レミールが妙に気になりました。
ネトフリの新作見てたら、ヒロインの子が妙にトニースターク感のあるお顔だった。目が似てるのかな?😲 pic.twitter.com/cGozM0UQqI
— ナガ@映画垢🐇 (@club_typhoon) May 1, 2020
映画を見ていて、トニー・スタークにしか見えなかったので、ちょっと面白かったのですが、非常に美形の女優さんだと思います。
ぜひぜひそんなところにも注目しながらご覧になってみてくださいね。
『ハーフオブイット 面白いのはこれから』感想・解説(ネタバレあり)
劇中に登場する映画たちのセンスに惚れた
今作『ハーフオブイット 面白いのはこれから』では、エリーの父親がやたらと自室で映画を見ている描写が登場します。
そこで登場する作品が基本的にはラブストーリーなのですが、そのチョイスが素敵で心惹かれました。
まず、最初に登場するのが『カサブランカ』ですね。
第2次世界大戦期のパリを舞台にした1人の女性と2人の男性を巡る切ないラブロマンスですが、ラストの決断に痺れます。
それぞれが自分の愛に苦しんでおり、本当に好きな人と一緒にいることができず、自分を偽っているという状況は、何だか本作『ハーフオブイット 面白いのはこれから』にも通じる部分があると思いました。
次に、当ブログ管理人も大好きなヴィム・ヴェンダースの『ベルリン、天使の詩』です。
この作品は、ベルリンに住む天使が、人間の女性に恋をしてしまい、天使であるという特権を捨てて、人間になろうとする物語です。
アリス・ウーが劇中で引用したのが、天使のダミエルが、好意を寄せている女性である悲しみに打ちひしがれているマリオンに触れようとするシーンです。
しかし、彼は実体を持たない存在ですから、手を彼女の肩に重ねたところで、彼女を慰めることすらできません。
触れたいけれども触れられない、悲しみに寄り添いたいけれども寄り添うことすらできないという、愛への渇望が見事に反映されたシーンです。
本作『ハーフオブイット 面白いのはこれから』において、アスターとポールの関係性を見ている時のエリーの立場は、天使のダミエルにどことなく似ています。
(『ハーフオブイット 面白いのはこれから』より引用)
好意を持っているけれども、彼女の思いはポールに代弁させるためのものでしかなく、自分では好意を寄せる相手に触れることすらできないのです。
そしてその次に引用されていたのが、『フィラデルフィア物語』でしたね。
結婚前夜の令嬢とその婚約者、そして前夫を巡るラブコメではありますが、設定的にもかなりぶっ飛んだ内容です。
他にもチャップリンの『街の灯』が登場していたのは、明確に分かりましたね。
言わずも知れたラブストーリーの名作ですね。本作は喜劇的でありながら、悲劇的でもあるのですが、偶然道で出会った盲目の少女に自分の人生をボロボロにしてでも、愛を注ごうとする1人の男の悲哀が見事に浮き彫りにされています。
この作品と『ハーフオブイット 面白いのはこれから』のリンクは「気づく」という部分なのだと思いますね。
エリーは自分の言葉で手紙やチャットを書いていますが、アスターはそれを知りませんし、むしろポールが書いたものだと思い込んでいるのです。
森の中の温泉のシーンが印象的でいしたが、ここでアスターは手紙の執筆者を自分の「理解者」であると明言します。
そしてエリー自身も、アスターが自分が生まれて初めて出会った「理解者」なんだと自負していますよね。
つまり、ここで2人の思いは通じ合っているのですが、アスターにとっては「理解者=ポール」という図式になっているという切なさが生じているのです。
このように、ラブストーリーの名作たちを劇中に登場させ、それを絶妙に物語の本筋にリンクさせる手腕は、非常に素晴らしかったと思いますし、何より、この映画の主題にも関係していると思います。
本作が伝えようとしたのは、誰かの言葉を借りたり、真似たりするな!ということではなく、そうした他者の言葉を借りつつも、そこから自分の言葉を見つけなくてはならないのだということでしょう。
つまり、それをトレースすると、これまでのラブストーリーの名作への引用を捧げつつも、徐々にこの映画にしかないメッセージ性や物語に辿り着くということになるでしょうか。
面白いのは、本作の終盤に、劇中に登場する映画の恋人同士の別れと電車を追いかける青年の構図を、エリーとポールで再現して見せたことでしょう。
(『ハーフオブイット 面白いのはこれから』より引用)
構図自体は、映画の中でもありましたし、オリジナリティを有するものではありません。
しかし、その時にエリーが感じていた、どことない孤独感や寂しさ、郷愁の念、切なさや恋しさといった感情たちはきっと彼女だけのものです。
色々なことを経験しながら、徐々に自分なりの「愛」の形を見つけていくというプロセスを名画の調べに乗せて、見事に描き切ったことには敬意を表したいですね。
愛を、自分の言葉で語れよ!
もう1つ本作『ハーフオブイット 面白いのはこれから』を見ていると、やたらと強調されるのが哲学者や作家たちの言葉ですね。
エリーは、最初にアスターへのラブレターを代筆したときに、『ベルリン、天使の詩』に登場するセリフの一節を引用しました。
渇望してる。愛の波に満たされるのを。
(『ベルリン、天使の詩』より引用)
しかし、アスターは一枚上手で、それに対して「私もヴェンダースは好き。でも盗作はしないわ。」という返答をしてくるのがウィットに富んでますね。
他にもオスカー・ワイルドの有名な言葉もテロップで登場しました。
恋は、いつだって自分を欺くことから始まり、他人を欺くことで終わる。これが世間でいうロマンスというものである。
(オスカー・ワイルド)
この言葉は、まさしく本作のエリーの状況を表していて、彼女は自分のアスターへの思いになかなか気がつくことができませんでした。
というよりも気がついていたのだとは思いますが、それを必死に隠そうとして、ポールに協力したのだと思います。
しかし、彼に協力してアスターへの思いを紡いでいくうちに、自分の思いを抑えきれなくなっていくんですね。
まさしく彼女の愛というのは、「欺く」ことから始まっているわけで、この言葉をエリーが最初の代筆ラブレターをポールに託したシーンの直後に出すのは、洒落た演出でした。
他にもフランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルの戯曲に登場するこんな名言も引用されていましたね。
地獄とは他人である。
(サルトル『出口なし』より)
この言葉では、いつだった人間というものは、他者のまなざしに晒され続けており、その批判的で、懐疑的で、眺望的な視線から逃れることができない状態を「地獄」と表現しているように感じます。
他者が存在していることで、彼らから見られている「自分」という自分自身の自覚する「自分」とは違う存在が表出し、その2つの「自分」のギャップに苦しむのです。
エリーは、自分自身で、本当の自分に気がつくことができていません。周囲の人が彼女に期待の視線を向けてくれていても、それは自分ではないとどこか諦めて切り捨てているようにすら感じられます。
それでも、彼女はポールやアスターといった存在に出会い、他者の存在に苦しみながらも、彼らの視線によって自分の価値や存在意義に気づかされていきます。
「他者の森をかけ抜けて自己になる」という言葉もありますが、自分自身に気がつかせてくれるのは、時に他者が自分に向ける視線だったりするんですよね。
そうして彼女は、終盤の教会のシーンで自分の秘めていた心からの思いを言葉にします。
愛は寛大でも親切でも謙虚でもない。愛は厄介。おぞましく利己的。それに大胆。
(エリー・チュー)
ようやく自分の言葉で、彼女が愛について語った瞬間でもありますよね。
(『ハーフオブイット 面白いのはこれから』より引用)
個人的にグッときたのは、その後の「愛は綺麗な絵を台無しにすること。すごい絵を描くために。」という言葉ですね。
きっと愛に正解はないと思いますし、かつてプラトンが示したような「自分の半身」のような存在には、きっと出会えません。
それでも、自分の大切な人と「すごい絵」を描くために、寄り添い、努力し続けることが「愛」なのだと彼女は自分の経験をベースにして悟ったのです。
私たちは、何事も綺麗に美しく伝えることだけが美徳のように感じてしまうものです。
きっとポールだって自分の言葉で綺麗にアスターに対してアプローチをかける自信がなかったからこそ、代筆を依頼したのでしょう。
しかし、アスターが彼と一緒に居ようという決め手になったのは、彼が不器用ながらも懸命に紡いだ訳の分からない言葉でした。
大切なのは、いつだって自分の人生から滲み出てくる本心からの言葉なのであり、それらはいつだって他人の心を動かすものなのです。
愛を、自分の言葉で語れよ!
それこそが本作『ハーフオブイット 面白いのはこれから』が私たちに伝えようとしていた1番大切なことだったのです。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ハーフオブイット 面白いのはこれから』についてお話してきました。
最近自宅で過ごす時間が増えたこともあり、以前にもましてNetflixオリジナル映画を見る機会が増えましたが、まあ玉石混交だこと…(笑)
昨日見た『デンジャラスライ』は大外れでしたが、今作は期待はしていませんでしたが、思いのほか良くてサラッと見れてしまいました。
とりわけ、劇中に登場する映画のセンスが良すぎて、監督と握手がしたいですけどね(笑)
設定やプロットそのものは、比較的王道な青春ラブストーリーではあるのですが、演出的にも非常に巧く作られているので、ぜひぜひチェックしてみて欲しいです。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。