みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『花とアリス殺人事件』についてお話していこうと思います。
オリジナルはもちろん邦画史に残る不朽の名作『花とアリス』ですよね。
花とアリスという2人の個性的な少女の恋愛譚を、独特のリズムと掛け合いの中で瑞々しく描き切った作品であり、今作をきっかけに岩井俊二作品にハマったという方も多いでしょう。
ちなみに今作はアニメーション映画と一口に言っても、ロトスコープという手法を使った独特な映像作品になっています。
最近は手描きだけだと作画のカロリーが高くなり、3DCGやロトスコープといった演出を使って作られるアニメーション作品も増えています。
3DCGでは『シドニアの騎士』や『蒼き鋼のアルペジオ』と言った作品が、注目を集め、徐々にテレビアニメで取り入れられる機会も増えています。
一方で、ロトスコープは少し邪道とも言われていて、最近では『音楽』という作品が話題になりましたが、それ以前には『悪の華』が取り入れたものの酷評される事態となりました。
やっぱり人物の動きや表情が、実写からも距離があり、手描きアニメにも届かない不気味さを孕んでいて、見る人を選ぶとは思います。
しかし、今作『花とアリス殺人事件』はそんなロトスコープへの印象をがらりと変える1本になり得るポテンシャルを秘めていますね。
アニメにはできない、一方で実写でも描けない独特の映像の世界観が、そこには確かにあります。
そんな本作の魅力について思うところを、今回は描いていこうと思います!
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『花とアリス殺人事件』
あらすじ
中学3年生の有栖川徹子(アリス)は、親の都合で石ノ森学園中学校へ転校してくる。
サバサバとした性格の彼女はクラスメートに話しかけるのだが、クラスメートたちはなぜか彼女を避けるような素振りを見せる。
話を聞いていると、どうやら彼女の所属する3年1組では、「ユダ殺人事件」の逸話があり、彼女の座っている席が、その事件に関わりが深い場所であったために避けられていたことが判明する。
その事件は、1年前の3年1組で起こった「ユダが、4人のユダに殺された」というものであり、クラスメートの睦美がその霊に憑りつかれたことで、多くの人が信じるオカルトと化す。
学校で運動会が行われた日に、アリスは睦美に事の真相を聞くのだが、その事件はオカルト的な伝説に過ぎず、彼女が憑りつかれたのも演技だったと分かる。
一安心して、自宅に戻った彼女は自室で前の住人の所有物を見ていると、そこに「湯田」という子どもの名前が書かれたテスト用紙を発見した。
何か事件に関係があると察知した彼女は、「花屋敷」と呼ばれている隣の家に住む、昨年中学3年生でありながら不登校故に留年した荒井花(ハナ)の元を訪ねる。
ハナは「湯田」という少年の幼馴染であり、彼女もまた「死」の真相を知りたいと願っていた。
2人は計画を立て、名もなき「殺人事件」の調査を開始するのだが…。
スタッフ・キャスト
- 監督:岩井俊二
- 原作:岩井俊二
- 脚本:岩井俊二
- アニメーションプロデューサー:川瀬毅
- CGディレクター:櫻木優平
- ロトスコープアニメーションディレクター:久野遥子
- 色彩設計:片山由美子
- 美術監督:滝口比呂志
- 実写撮影監督:神戸千木
監督・脚本を担当したのは、岩井俊二さんです。
長いキャリアの中で常に女性の物語を描き続け、今年2020年にも自身の1つの集大成とも言える『ラストレター』を公開しました。
淡い映像と、お伽噺のような不思議な物語が特徴的で、特にこの『花とアリス』という映画は2人の女子高校生の独特な世界観を描き、多くのファンを獲得した1本です。
CGディレクターには後に『あした世界が終わるとしても』の監督を務めることとなる櫻木優平さんが起用されました。
ロトスコープデザインには、『ペンギンハイウェイ』のコンセプトデザインにも携わった久野遥子さんが起用されました。
一方で、実写版の撮影監督を岩井俊二作品では常連の神戸千木さんが担当し、そこからロトスコープが作成されていったようですね。
本作は、ボイスアクトが先撮りで、そのあとに動きが撮られ、アニメーションがつけられていったようです。
会話シーンなんかを見てみると、オリジナル版の『花とアリス』由来の会話の独特の間やテンポ感が健在で、だからこそアニメーションになっても違和感があまりないのかもしれません。
- アリス:蒼井優
- 鈴木杏花:鈴木杏
- 湯田光太郎:勝地涼
- 萩野里美:黒木華
- 堤ユキ:木村多江
- 黒柳健次、初老の社員:平泉成
- 有栖川加代:相田翔子
- 陸奥睦美:鈴木蘭々
基本的にオリジナル版にも出演した蒼井優さんや鈴木杏さん、相田翔子さんやさん平泉成といった面々が同じ役を演じているのは、非常に感慨深いものがあります。
特に花とアリスの2人に関しては、この2人でなければ演じられないキャラクターだと思うので、嬉しいですね。
また、後に『リップヴァンウィンクルの花嫁』で岩井俊二作品に、出演することとなる黒木華さんが担任の先生役で出演していることに不思議な運命を感じました。
今作の新キャラクターとしては湯田役の勝地涼も印象的でした。
ちなみに今作では、平泉成さんが1人2役で、初老の社員を演じているのですが、これが某黒沢映画へのオマージュなんですよ。
こういった名作への目くばせが些細なところに込められているのも、岩井俊二監督らしいと言えるでしょう。
『花とアリス殺人事件』解説・考察(ネタバレあり)
前日譚ではないのに「前日譚」になっている
一応今作『花とアリス殺人事件』はオリジナルの『花とアリス』のエピソード0つまり前日譚の位置づけで製作されています。
しかし、厳密に言うと、この作品を正統な前日譚だと言いきってしまうのには無理があるのです。
そもそも『花とアリス』の時点で、2人が出会ったのは小学生の頃であると明かされていて、小学生の頃にアリスが花を不登校から引っ張り出し、バレエに誘ったのが、きっかけだったようです。
この設定がありましたから、当然岩井俊二監督も今作を2人が小学生の設定で撮る予定だったようですが、諸事情で中学生に変更されたようです。
もし小学生でやるとなると制服じゃなくて私服になりますよね。それをアニメーションで描くとなると、モデルをたくさん作らないといけなくなるので、コスト的に不可能だということになりました。それでなんとか制服にできないかということになり、よく考えたらこの話は中学生でも成立する話だなって思ったので、最終的には中学生になりました。
こういう経緯があり、花とアリスの出会いが中学3年生という時期になっており、バレエに彼女が誘うのもおそらくそれ以降ということになりますから、オリジナル版の内容とは一致しません。
ただ、映像や花とアリスの変わらない掛け合いが、確かにこの作品が「前日譚」であることを感じさせてくれるのです。
まず映像的な面から申し上げると、『花とアリス』に登場する構図や演出がそのままに近い形で盛り込まれているのが印象的でした。
例えば、細かいシーンですがアリスが自分の父親と食事に行くシーンが『花とアリス』にはあるのですが、2人が一緒にご飯を食べている店が、全く同じ屏風やふすま、庭が再現され『花とアリス殺人事件』でも描かれているのです。
映画『花とアリス』より引用
こういうのを見ると、この頃から彼女と父親の関係はあんまり変わっていないんだなという不思議なニヤニヤが止まらなくなります。
そして同じ構図を再現しながらも、そこに微細な変化をつけているシーンもありました。
それがラストシーンに当たる花が再び学校に行くべく制服を着て出てきて、家の前でアリスと会話をするというものです。
映画『花とアリス』より引用
この時には、もう花もバレエをしているわけですから、アリスの動作に応えるわけですよ。
まるでこのやり取りが何十回も何百回も繰り返されてきたような、そんな雰囲気が漂っているのが分かります。
しかし、同じ構図が再現された『花とアリス殺人事件』では、少しその空気に変化がつけられているのです。
(C)花とアリス殺人事件製作委員会
アリスの動作に対して花はノータイムで、あのポーズを取るのですが、その動作には、まだ2人の恒例となる前の初々しさが宿っています。
確かに大きな差異をつけてあるわけではないのですが、こういった「間」1つで2人の関係性の変化をつけれてしまうという岩井俊二監督の演出力には惚れ惚れします。
加えて、このシーンで2人が制服についてお互いに「似合わない」と声を掛け合うのも、オリジナル版とのりんくですよね。
そして、2人が学校に向かって歩いていくシーンでも、何とオリジナル版と全く同じ構図が登場します。
映画『花とアリス』より引用
ちなみにこのシーンは、オリジナル版では、映画の1番最初に配置されています。
一方の『花とアリス殺人事件』では、次のようになっていました。
(C)花とアリス殺人事件製作委員会
ただ、今作では、2人が歩いていくこのシーンは作品の1番最後に配置されているのです。
つまり、『花とアリス殺人事件』のラストシーンと『花とアリス』の最初のシーンが直接繋がっているかのように演出されているわけですよ。
ここで、ロトスコープという実写とアニメの中間に位置するメディアを使ったのが、効いてきましたよね。
物語的にも2人がああやって同じ位置を何度も何度も歩いて、関係を育んでいったのだという連続性が伺えるのですが、映像メディアというメタ的な視点で見ても、リンクが伺えるようになっているのです。
ぎこちないロトスコープから、実写への移行という映像メディアの橋渡しが、ここで行われていました。
物語的には、最初にも述べたように本作を正統な前日譚であると位置づけることはできません。
しかし、映像やメインキャラクター2人の変わらない様で少しぎこちない掛け合いが「前日譚」として成立させてしまっているのです。
そんな岩井俊二監督の映像の魔法を強く感じる1本になっていると思います。
1つの命の終わりが紡いだ2人の友情の始まり
岩井俊二監督はオリジナル版では「友情の終わり」が1つの形として描かれたので、今回はあくまでも「友情の始まり」を描こうとしたと語っています。
そもそもタイトルに「殺人事件」なんて仰々しい言葉が入っていることもあり、劇的な出会いを想像してしまうのですが、なんてことはありません。
確かに、冒頭から学校のオカルトやその謎解きを物語に仕込んであるのですが、真相を解明することは物語の本質ではなく、むしろサブプロット的と言っても過言ではありません。
むしろ「殺人事件」という舞台装置は、花とアリスの出会いをもたらすためのきっかけに過ぎず、大切なのは、この舞台装置の中で見える2人の不思議な繋がりです。
アリスが花の自宅に忍び込んだときに、出会ったのが最初であるわけですが、その場面における2人の会話には、既に『花とアリス』で為されていたような掛け合いの端緒が見え隠れしていました。
どことなく策略家で、執着心の強い花と、どこか抜けていてあっけらかんとしているアリスは出会いの場面で、既に強く繋がっているように感じられるのです。
そして、アリスが「湯田」の父親のオフィスに行ったシーンで、思いっきり自分の名前を名乗ってしまうという痛恨のミスを犯すシーンは何とも面白かったです。
『花とアリス』では、巧妙に先輩の元カノを装って、花と付き合っていたその人と付き合おうとしていた彼女ですが、ところてんアレルギーというひょんなことから嘘がバレそうになった経緯を思い出しました。
2人は、どこかいつも考えていて、思慮深いのですが、肝心なところで運がなかったり抜けてていたりするんですよね。
「殺人事件」を解明しようとする中で、そういった2人の間抜けさが絶妙に醸し出されていき、そして少しずつお互いを信頼するようになっていくプロセスが緻密に描かれていることに魅力を感じます。
『花とアリス』のラストシーンでは、友情関係が一度破綻を迎えながらも、静かに再生へと向かって行く予感を感じさせてくれます。
その一方で、『花とアリス殺人事件』は1つの「死」を描くことによって、花を縛り付けていた「湯田」との関係を終わらせます。
そんな1つの「死」が花とアリスの友情関係の「生」へと繋がり、そして新しい世界が広がっていく様が印象づけられます。
きっと花にとっての「湯田」という存在は、確かに自分の中心にいたもので、言わば信仰の対象に近いものだったのでしょう。
(C)花とアリス殺人事件製作委員会
しかし、ロトスコープの使い方が絶妙だった、あの夜の駐車場のシーンで彼女は、自分が世界の中心にいるかのように感じていて、その隣にはアリスがいます。
そうして、花は「湯田」との関係性を何とか清算することに成功し、壊れていた自分の世界を取り戻しました。
冒頭に睦美が、演技ではありますがアリスこそが「救世主」であるとし、十字架の切り絵を持たせるシーンがありましたよね。
一件物語に関係ないシーンに見えますが、きっとあの描写は、アリスが「湯田」によって壊された花の世界の救世主になることを示唆していたのでしょうね。
キリストは磔刑に処され、原罪を背負って命を落とし、その後復活を遂げて救世主となりました。
本作、『花とアリス殺人事件』はそれに準えて、花という1人の少女の世界の終わりと、そして新たなる始まりを見事に描き切っていたと思います。
『花とアリス』では恋愛が絡んだり、お互いの夢が生じたことで、2人の関係性が壊れ、再びその「世界」が崩壊へと向かって行きます。
しかし、例え世界がどんなに変わったとしても、2人の関係性が壊れたとしても、また手を取り合って一緒に歩いていくのだと強く感じさせてくれました。
2つの作品は、確かに友情の始まりと終わりを描いています。
ただ、どちらの作品もが始まりと終わりの両方を内包しているのです。
終わることが、次の始まりへと緩やかにつながっていくのだという思春期独特の世界観を繊細に閉じ込めた2作品だったでしょう。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『花とアリス殺人事件』についてお話してきました。
映像的な側面としても、語りたい部分はたくさんあります。
とりわけ、ロトスコープの身体美を活かすために登場人物のクローズアップショットを避けて、離れた位置からのショットを増やしてあったのが特徴だったでしょうか。
とにかく人物のモーションのダイナミズムが強調されたショットが多く採用されていて、それが視覚的な快感につながっていたのは事実です。
実写で生身の役者が見せるような繊細な演技はまだまだロトスコープでの再現は難しいのだとは思います。
ただ、そこを弱点として露見させるのではなく、あえてアニメーションらしい「大胆さ」を付与することによって、実写でも手描きのアニメでも再現できない独特の世界観を確立しました。
アニメ史を長い目で見た時に、本作が重要な位置づけで語られる日がいつか来るかもしれませんね。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。