みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『それでも夜は明ける』についてお話していこうと思います。
ハリウッド映画を見ていると、黒人差別の歴史への反省とその権利の回復に向けたムーブメントを感じるのですが、現実はまだまだ程遠いのだということを今回のデモの勃発で改めて思い知らされたように感じます。
アカデミー賞の授賞式で『グリーンブック』の作品賞受賞を聞いたスタン・リー監督が会場を後にしたこと、そして彼の手掛けた『ブラッククランズマン』が描いたもの。
また、当ブログ管理人が衝撃を受けたタナハシ・コーツ著の『世界と僕のあいだに』が描き出したアメリカにまざまざと残る人種分断の現実。
黒人差別の源流にあるのが、「黒人奴隷」であり、奴隷解放が宣言され、そしてキング牧師による公民権運動から長い時間が経過しても尚、根深くアメリカ国民の意識の根底には差別意識が残っているのでしょう。
当ブログ管理人は欧州サッカーをしばしば観戦するのですが、スタジアムで人種差別的なちゃんとが歌われ、黒人系の選手が揶揄されるのは日常茶飯事です。
そういった小さな軋轢が積み重なり続け、今回の白人警官による黒人市民の絞殺事件が引き金となり、爆発したというのが実情だと考えております。
こんな時代だからこそ、改めて黒人奴隷や人種差別の歴史について学んでおきたいという思いもありまして、今回はアカデミー賞作品賞も受賞した『それでも夜は明ける』を見返しました。
この作品は、南部の農園に売られた黒人ソロモン・ノーサップが12年間にわたる壮絶な奴隷生活を綴った自伝が原作となっております。
壮絶と言う他ない、言葉にならない怒りとやりきれなさがこみ上げてくる内容で、見ていて内臓がキューっと締め付けされるようなそんな印象を受けます。
黒人差別史を描いた映画というよりは、1人の男の実体験に基づくミニマルな世界を描いた作品ですが、多くのことを考えさせられました。
こういった時期だからこそ、関心を持って欲しい、改めて鑑賞していただきたい作品だということで今回は記事を書いております。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『それでも夜は明ける』
あらすじ
人バイオリニストのソロモンは、「自由黒人」の身分であり、愛する家族とともにサラトガで幸せな生活を送っていた。
ある日、彼はワシントンでバイオリン奏者としての働き口があり、稼ぎも良いので来ないかと白人に勧誘を受ける。
自身の腕前を披露できる機会や報酬面の魅力に惹かれた彼は、ワシントンへと渡る。
しかし、彼をワシントンへと連れて行った白人たちは、彼の意識を薬で飛ばし、その間に奴隷商人へと売り飛ばしてしまう。
自分は「自由黒人」だと主張するソロモンでしたが、証明書を盗まれてしまっていたこともあり、証明するすべもなく南部へと連行されてしまった。
ニューオーリンズの地でフォードという白人に買われた彼は、そこでかつての仕事の経験を活かし、水路を活用したマルタの運搬を成功させる。
ただ、功績を立てる「ニガー」に腹を立てた監督官のジョン・デイヴィッツという男に目をつけられてしまい、暴力を受けるようになる。
暴力に毅然とした態度で立ち向かった彼だが、フォードももう彼の身を守り切れないと観念し、選民主義者で綿花の大規模な農園を経営するエップスにソロモンを売り飛ばす。
そこでは、日常的な黒人労働者への暴力行為や強姦などのあまりにも過酷な現実が待ち受けていたのだった…。
スタッフ・キャスト
- 監督:スティーブ・マックイーン
- 脚本:ジョン・リドリー
- 撮影:ショーン・ボビット
美術:アダム・ストックハウゼン - 衣装:パトリシア・ノリス
- 編集:ジョー・ウォーカー
- 音楽:ハンス・ジマー
監督を務めたのは、『SHAME』で高い評価を得たスティーブ・マックイーンですね。
性依存症に苦しむ人たちの姿を描いたこの作品は、数々の賞を勝ち取りました。
そんな彼が満を持して臨んだのが、今作『それでも夜は明ける』であり、アカデミー賞作品賞受賞の快挙を成し遂げたのです。
脚本には『ヴィンセントが教えてくれたこと』のジョン・リドリーが、撮影には『SHAME』や『ボストンストロング』のが起用されていますね。
編集にはドゥニ・ヴィルヌーヴ作品にも数多く携わるジョー・ウォーカーが、そして劇伴音楽を映画ファンであれば知らない人はいないであろうハンス・ジマーが手がけました。
絶望的な状況でありながら、確かな力強さを感じさせる胸を打つ名シーンだったように思います。
- ソロモン・ノーサップ:キウェテル・イジョフォー
- エドウィン・エップス:マイケル・ファスベンダー
- フォード:ベネディクト・カンバーバッチ
- ジョン・ティビッツ:ポール・ダノ
- フリーマン:ポール・ジアマッティ
- ブラウン:スクート・マクネイリー
- パッツィー:ルピタ・ニョンゴ
- バス:ブラッド・ピット
後に『Us』でもその演技を高く評価されることになるルピタ・ニョンゴは、今作でエップスによる性的な搾取と暴力を受ける女性を演じ、圧倒的な存在感を発揮しました。
本作では、主人公を演じたキウェテル・イジョフォーや狂気的な綿花農園主を演じ切ったマイケル・ファスベンダーらがアカデミー賞にて各部門にノミネートされました。
映像的にもそうですが、役者陣の魂のこもった演技に裏打ちされた作品であり、その表情の1つ1つに鮮烈なメッセージが込められているようにすら感じ取れます。
その他にもベネディクト・カンバーバッチやポール・ダノ、ブラッド・ピットら名優が集結し、脇を固めています。
『それでも夜は明ける』感想・解説(ネタバレあり)
圧倒的な映像のパワー
さて、今作『それでも夜は明ける』を語る上で注目したいのは、やはりその映像の持つ圧倒的なパワーでしょう。
まず、個人的に心が震えたのは、パッツィーが農園主のエップスによる性的な搾取を受けるシーンです。
このシーンの映像とそしてルピタ・ニョンゴの演技には、圧倒的な力が備わっていると思いました。
(C)2013 Bass Films, LLC and Monarchy Enterprises S.a.r.l. in the rest of the World. All Rights Reserved.
見ていただける通り、白人であり雇用主であるエップスがパッツィーの上にのしかかっており、視覚的にはその権力の差が一目瞭然となっています。
しかし、エップスはどこか情けなく焦ったような動きや表情を見せており、一方で絶望のどん底にいるはずのパッツィーが毅然と目の前を見据えているのです。
このシーンは、見かけの権力や身分の差では測れない人間の「本当の強さ」というものを浮き彫りにしていると感じました。
エップスは暴力やレイプまがいの行為で彼女を自分の支配下に置こうとしますが、決して彼女がその支配や力に屈することはありません。
(C)2013 Bass Films, LLC and Monarchy Enterprises S.a.r.l. in the rest of the World. All Rights Reserved.
このワンカットは、見ていると思わず吸い込まれそうなほどの圧倒的な引力を持っています。
一体何がそんなにもすごいのかと言いますと、夜の闇の中でパッツィーだけが仄かに光を受けて輝いているという構図を作り上げたことでしょう。
絶望のどん底に居ても、どれだけ暴力で虐げられても消えることのない力強い「光」を彼女は闇の中で放ち続けているのです。
プロット的に言うと、「白人の雇用主が黒人の奴隷をレイプした」とう内容なのですが、それをここまで映像的に力強いものとして演出し、状況を説明するだけでなく、黒人たちが持つ真の強さを息づかせたのは、映像の魔法と言う他ないですね。
他にも映像的に優れたシーンは、数えきれませんが、今作は「静」の演出が非常に巧いんですよ。
例えば、ソロモンが故郷への手紙をしたためて、白人の男性に託そうとするも、裏切られてしまい、故郷への想いを綴った手紙を焼却するシーンです。
本来であれば、そこまで尺を割く必要のない映像かもしれませんが、スティーブ・マックイーンは徹底的にそこに焦点を当て、手紙が燃え始めてから炭と化し、火が消えてしまうまでを淡々と映し出しました。
仄かな火が少しずつ闇の中へと溶け出していくような詩的な映像でした。
(C)2013 Bass Films, LLC and Monarchy Enterprises S.a.r.l. in the rest of the World. All Rights Reserved.
その様は、ソロモンが心の中に抱き続けていた故郷への最後の希望の灯が音もなく燃え尽きていくような、そんな絶望を浮き彫りにしました。
このシーンはソロモンを演じたキウェテル・イジョフォーの独壇場だったと言っても過言ではないでしょう。
奴隷たちがこの歌を歌うのは、同胞が綿花採取の作業中に過労で命を落としたからなのですが、「死」というのは彼らが解放される唯一の方法なんですよね。
つまり、奴隷に身を置く彼らにとって「死」はある種の「救い」であり、だからこそ彼らはこの伝統的な霊歌を力強く歌いあげています。
しかし、そんな場所に身を置きながらも、「死」ではなく生きて家族の元に戻りたいと願っているのがソロモンです。
ただ、彼の希望であった手紙は灰と化してしまい、彼の中に遭った希望や「自由黒人」としての誇りは消えかかっています。
(C)2013 Bass Films, LLC and Monarchy Enterprises S.a.r.l. in the rest of the World. All Rights Reserved.
彼は家族のために生き残らなければならないと自分に言い聞かせているのですが、手紙の一件もあり、その信念は揺らぎつつあり、「死」がもたらす甘美な救済に心を揺れ動かされつつあるのです。
それでも自分は生きなければならない、目の前で命絶え、土の中に眠る同胞のようにはならないのだと強く噛み締めるようなそんな様々な感情が入り混じる言語化できない心境を見事に表現しています。
言葉を超えて、確かに人の心に訴えかけることができる、そこに映像の映画のパワーが宿っています。
他にも上げていくとキリがないほどですが、それほどにこの映画の映像や演出は傑出しており、アカデミー賞作品賞の受賞も頷けるだけの気品と力強さがありました。
『それでも夜は明ける』というタイトルだがハッピーエンドではないということ
今作には、『それでも夜は明ける』という邦題がついているわけですが、今作を見終わってこのタイトルに違和感を感じるのは、自分だけではないと思います。
確かに、黒人だけではなく全ての人種差別がいつの日かなくなるだろうというそんな遠い日の希望を込めたというのであれば理解できないわけではありません。
ただ、このタイトルをつけたことによって、「ソロモンが無事に家族の下に帰ることができた=夜明け」という安直な解釈に至ってしまう可能性が増したのも事実です。
『それでも夜は明ける』が描いたのは、決してハッピーエンドなどではありませんよ。
なぜならこの映画において救われたのは、元々「自由黒人」の身分を持っていたソロモンだけであり、彼があるべき場所に帰ったというだけなんですよ。
しかも「自由黒人」という身分そのものがアメリカの白人至上主義の枠組みの産物であり、結局のところ彼はそこに組み込まれている存在なわけで、決して社会の構造を変革したわけでもありません。
ラストシーンで、ソロモンが家族と再会し、涙を流す幸せな光景が描かれますが、私はその光景を見ながら、そんな幸せを享受することを赦されないその他大多数の黒人奴隷たちの姿が脳裏をよぎりました。
本作が演出的に優れていたと感じるのは、彼がエップスの農園を去る時の映像の作り込みです。
ソロモンは、パッツィーを抱きしめ、彼女に引き留められながらも馬車に乗り込み、故郷へと帰っていくわけですよね。
(C)2013 Bass Films, LLC and Monarchy Enterprises S.a.r.l. in the rest of the World. All Rights Reserved.
後ろ髪をひかれるような思いで、パッツィーに手を振っている彼は、まだ彼女の姿がはっきりと見えています。
これは、彼の心と身体がいる世界は、まだ奴隷たちのいるあの農園だということを表しているのかもしれません。
しかし、次に彼が前を見据えると、映像のピントが手前にいるソロモンにあたりパッツィーたちのいる場所はただの背景となりぼんやりと霞んでいきます。
(C)2013 Bass Films, LLC and Monarchy Enterprises S.a.r.l. in the rest of the World. All Rights Reserved.
彼のいる場所が、物理的にだけでなく心理的に変化した一瞬をカメラのピントの合わせ方1つで見事に表現したように思います。
ただ、このシーンはソロモンが彼らを見捨てたということを暗示したシーンではありません。
それはエンドロールに入る直前に、彼が北部で奴隷解放のための活動家として演説をし、そして奴隷が南部から脱出するのを手助けしている組織を援助していたことが明かされるので、明白です。
では、一体何を表現していたのかと言うと、それは彼が「1人で助かることしかできない」という無力さなのではないでしょうか?
きっと彼だって、できることならパッツィーを北部に連れて行って、あの地獄から救ってあげたいはずです。
彼が後ろを振り返っており、そしてカメラの焦点が彼女に当たっている時間というのは、そんなソロモンの何とか彼女を救う方法はないだろうかという葛藤を表現しています。
しかし、それが現実的ではないことも分かっていて、だからこそ彼は「今は自分が、自分だけが助かることしかできないのだ」と割り切っているのでしょう。
後ろを振り返りたい思いに駆られながらも、ただ前を見て、そして背後に広がる地獄のことを見ないようにしているのは、彼の無力感と虚無感の表れです。
それ故に、彼は故郷に帰れてこの上なく嬉しいはずなのに、悲しそうな表情をしているのだと解釈しています。
自分だけが幸せになってしまった、あの地獄から抜け出せてしまった。そんな無力感と共に彼は家族の待つ家へと辿り着きました。
ソロモンの物語として見れば、本作は12年の時を経て、ようやく家族と再会できた彼の「夜明けの物語」と解釈できるかもしれません。
ただ、彼の心は少しも夜が明けていないわけで、彼はただただ大切なものをあの「地獄」に置き去りに来てしまったという後悔とやり切れなさを抱えています。
今のアメリカの現状だってそうで、一部の黒人たちにスポットが当たり、社会進出が進み、人種差別は確かになくなっているという印象もあるかもしれません。
しかし、市民社会のレベルで見ていくと、人種や経済格差による分断は歴然であり、そういった人たちは救われることがないままに取り残されています。
誰か1人が救われることが、「夜明け」なのではなく、あの「地獄」に取り残された人たちが全員救われた時に初めて「夜が明ける」のだということを決して忘れてはいけません。
そして、いまアメリカで起きている大規模なデモは、まさしくそんな「夜明け」を目指す戦いなのです。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『それでも夜は明ける』についてお話してきました。
主人公の男性が家に帰れて、そして家族に再会できたからよかった、ハッピーエンドだと思考を止めてしまうのではなく、その背後にいる大勢の救われなかった人たちにぜひとも思いを馳せて欲しいです。
そして、当時と比較すると、もちろん改善はされてきていますが、アメリカには奴隷制度があった当時から続くマインドが確かに今も社会に残っているのだということも、今起きているデモが証明しています。
日本で生活していると、私も含めてですが、どうしても人種問題には疎くなってしまいがちです。
だからこそ、いまアメリカで起きていることの背後にどんな歴史やマインドがあるのかということには、しっかりと目を向けていく必要があると思います。
『それでも夜は明ける』という作品も含めてですが、これ以外にも人種差別や奴隷制度、また黒人の社会進出の歩みを切り取った映画作品はたくさんあります。
そういった作品に触れて、少しでも今起きていることを理解しようと歩み寄ることも、これからの社会を生きていく1人として大切な姿勢なのではないでしょうか。
自分自身もまだまだ見れていない作品や歴史や政治について知識が浅薄な部分がありますので、学ぶことを止めないようにしたいと気持ちを新たにした次第です。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。