みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『グッドボーイズ』についてお話していこうと思います。
当ブログ管理人の大好きな『ソーセージパーティー』に近いノリの下ネタ満載の青春映画とあれば、見ないわけにはいきませんよね(笑)
小学生の無邪気で純粋な異性への興味や背伸びしたい気持ちをコメディテイストで描いた作品で、全米でも大ヒットを記録しました。
ただ、この手の作品はどこか「男性目線」が強くなりすぎて、近年の価値観にジェンダー等の面でそぐわない可能性もあるので、その辺りでどういった工夫を施してあるのかにも注目したいところです。
また、主人公を演じるジェイコブ・トレンブレイも見どころの1つですよね。
これまでの役どころは『ルーム』や『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』など、どちらかと言うと、シリアスなものが多かった印象ですが、今回はコミカルな役ということでどういった演技を見せてくれるのか楽しみです。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となります。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『グッドボーイズ』
あらすじ
小学6年生のマックス、ルーカス、ソーの3人組はいつも一緒に行動していたが、学校ではいわゆる”イケてない”グループであった。
クールになりたいと願う彼らだったが、ある日マックスが学校の”イケてる”グループからパーティーに誘われる。
彼は、いつも一緒だからルーカス、ソーの2人も一緒にと頼み込み、彼らは3人でパーティーに参加できる権利を獲得する。
しかし、性行為はもちろんとしてキスの経験もない彼らは、何とかしてパーティーで行われる「キスパーティー」のイベントでクールにキメようと意気込む。
そのパーティーに意中の異性ブリクスリーが参加することを知ったマックスは俄然やる気を出すが、空回りする。
そんな時に、父親に「持ち出し禁止」と固く念押しされていたドローンを使って、近所に住む女性の家を覗く計画を思いつく。
早速実行に移す3人だったが、操作ミスにより家の住人である女性2人にドローンを奪われてしまう。
何とか策を巡らせてドローンを取り返す彼らであったが、今度はドローンを車にぶつけて破壊してしまった。
ドローンを持ち出したことが父に発覚すれば、外出禁止は免れ得ないマックスは、郊外のモールで新しいドローンを購入して、誤魔化そうと試みるのだが…。
スタッフ・キャスト
- 監督:ジーン・スタプニツキー
- 脚本:リー・アイゼンバーグ ジーン・スタプニツキー
- 音楽:ライル・ワークマン
- 撮影:ジョナサン・ファーマンスキー
- 編集:ダニエル・ギャビー
キャメロン・ディアス主演のラブコメ映画『バッド・ティーチャー』の脚本を手掛けたのが、ジーン・スタプニツキーであり、今作は監督・脚本を担当しました。
脚本には、同じく『バッド・ティーチャー』の脚本を共同で担当していたリー・アイゼンバーグもクレジットされています。
撮影と編集には、それぞれジョナサン・ファーマンスキーとダニエル・ギャビーが抜擢されました。
劇伴音楽には『40歳の童貞男』や『イエスマン』など数々のコメディ映画の名作に楽曲を提供してきたライル・ワークマンが起用されていますね。
- マックス:ジェイコブ・トレンブレイ
- ルーカス:キース・L・ウィリアムズ
- ソー:ブレイディ・ヌーン
- ハンナ:モリー・ゴードン
- ルーカスの父親:リル・レル・ハウリー
- マックスの父親:ウィル・フォーテ
アフリカ系の子役でありルーカスを演じるキース・L・ウィリアムズが、メイク時に顔を茶色く塗っている写真がリークされたことで、人種差別的な観点からバッシングを受けたのです。
ただ、これには撮影上の理由があり、その事情が明かされたと共に製作を務めたセス・ローゲンが謝罪する運びとなりました。
そして、記事の冒頭にも書きましたが、やはりここまでシリアスであったり、純朴な子供であったりといった役のイメージが強かったジェイコブ・トレンブレイが、今回下ネタ全開のコメディ映画に出演するというだけで楽しみですね。
大人の方の配役としては『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』のウィル・フォーテや『ゲットアウト』のリル・レル・ハウリーらにも注目です。
『グッドボーイズ』感想・解説(ネタバレあり)
脚本の巧さが光る秀逸な青春映画
(C)Universal Pictures
予告編などを見ていると、どうしてもこの『グッドボーイズ』という作品は、ハリウッドコメディにありがちな下ネタ系のストーリー空っぽ青春映画じゃないかと邪推してしまうと思うんです。
鑑賞前は「セス・ローゲン」「ソーセージパーティー」の文言が情報として入ってきていたこともあり、完全にそういう路線だとたかを括っていました。
主人公の3人は、常に一緒にいて、これから先もずっと一緒にいると誓い合った親友同士なのですが、実はそれぞれに「やりたいこと」や信条を持っています。
マックスはクールになりたい、異性と交際したいという欲求が他の2人よりも圧倒的に強いわけですが、彼以外の2人は同じ熱量で、同じ目標に向かっているわけではありません。
例えば、ルーカスは常に自分に正直にいたいと思っていますし、だからこそ「善行」を積み、罪を罰すべきだという信条を掲げています。
一方のソーは、ミュージカルに出演し、歌うことを自分の夢として掲げています。
そんな3人が常に一緒にいるわけですが、彼らはマックスの恋路を応援するために、そして彼のクールになりたいという願望に振り回されて、自分の「やりたいこと」や「信じること」を放棄せざるを得ない状況に置かれているわけです。
ルーカスはドローンを買いに行く旅の中で何度も犯罪紛いの行為を犯す羽目になり、挙句の果てにはドラッグ購入の片棒を担ぎました。
ソーは、マックスの隣にいる自分が「クールじゃない」と思われてはいけないだろうと、ミュージカルのオーディションを放棄してしまいます。
つまり、彼らは親友であり、常に一緒にいるんだと誓い合っているのですが、それがお互いの可能性を制約する方向に働いてしまっているんですよね。
ローティーンの3人がドローンを買いに行くべく小さな冒険を繰り広げるというのが、今回のプロットのメインパートなのですが、そこにマックスに振り回された2人が「自分」を放棄せざるを得ない状況に追い込まれていくという「一捻り」が加えられていることで、非常にユーモアに富んだプロットになっています。
また、ドローンを買いに行く旅ってマックスが1人で行けば、もっとスムーズに進みそうですよね。
ルーカスの悪行を許せない、そして正直であろうとし過ぎる性分が旅の進行を妨害していたのは明らかでしたし、一方でソーのビビりすぎる性分やそれでも自分を大きく見せようとする見栄だって旅の進行の妨げとなりました。
つまり、2人と一緒にいることでマックス自身も自分の目指すものややりたいことが十分にできないという状況に追い込まれているのです。
今回のドローンを買いに行く旅というのは、単なる「冒険」ではなくて、彼らが一緒にいることで、乗り越えられることもあれば、同時にお互いがお互いの「足枷」になってしまうという事実を炙り出す旅でもあったんですよ。
そして、そんな3人の関係のズレが、『グッドボーイズ』の青春映画として導き出そうとした1つのアンサーにもきちんと繋がっていきます。
一緒にいるというのは、身体的にいつも同じ時間同じ場所を共有するということではなく、いつも心で繋がっていることなのだと。
永遠を「永遠」に変えていく物語
(C)Universal Pictures
さて、『グッドボーイズ』という作品のキーワードは「永遠」でしょう。
マックス、ルーカス、ソーの3人組は永遠に親友同士だと誓い合った仲であり、どんな時だって一緒にいました。
しかし、前述の通りで、大人に近づいていく中で、少しずつ自分の「やりたいこと」「信じるもの」ができてきて、そのプロセスの中で一緒にいることがお互いのためにならないという状況が生まれるようになったわけです。
私たちも、小学校、中学校、高等学校…と進学してきて、その度に自分の周囲の人間関係って目まぐるしく変化していったと思うんです。
小学校の時に一番仲の良かった友人とは、中学に進学すると、少し疎遠になり、そして高校に進学すると更に疎遠になりといった具合に、成長して大人に近づいていくに伴って、自分の周りに人が増えていき、繋がりが強まったり弱まったりしていきます。
この変化はすごく自然なことであって、私たちは大人に近づくにつれて、得るものも多いですが、同時に多くのものを失っていきます。
だからこそ、子どもの時は永遠だと思っていたものは、思ったよりもずっと儚いんですよ。
マックスは初恋の相手であるブリクスリーが運命の人であり、自分は彼女と結婚するんだと思い込んでいますよね。
しかし、映画の終盤で彼はあっさりと彼女と別れていて、他の女のこと恋人関係になりました。
人と人との繋がりというのは、常に変化していくものであって、それが変化することなく一定の状態で保たれていくということはあり得ません。
だからこそ、マックス、ルーカス、ソーの3人組は自分が「やりたいこと」「信じること」を追求するために、一緒にはいられなくなっていくんですよね。
個人的にすごく面白かったのは、終盤のキスゲームのルーレットで、ソーがブリクスリーのキスの相手に指名されたシーンです。
ソーはこれまでマックスに合わせて、クールでいたい、ビビりで意気地なしだと思われたくないという一心でビールを飲んだり、ハイウェイを横切ったりしてきました。
もちろん彼は、この場面でブリクスリーとのキスを拒めば、再び「意気地なし」と罵られることになるでしょう。
ただ、そこでブリクスリーとキスをしてしまえば、マックスとの友情は不可逆のものとなってしまいます。
つまり、ここでソーは、この場に残るために(クールな人間になるために)彼女とキスをするか、マックスのためにキスを諦め、クールになるための道を諦めるかという選択を迫られているんです。
彼が選んだのは、後者であるわけですが、それはのマックスためだけではありません。
ソーは自分自身が本当に望んでいることは、クラスメイトたちからクールであると認められることではなく、「歌うこと」に本気で取り組むことなのだと悟ったんですよね。
だからこそ、マックスとソーの「やりたいこと」は一緒に居れば実現しません。それ故に2人は別々の道を歩む決断をし、ソーはミュージカルのオーディションに飛び込むわけです。
誰だって「変化」を受け入れることというのは恐ろしいことだと思います。
それは身体的な変化もそうですが、人間関係の変化や自分の置かれている環境の変化もそうです。
しかし、いつかは「変化」を受け入れなければならないわけで、そうしてこれまで信じてきた永遠は脆くも崩れてしまいます。
ただ、「変化」したとしても、変わらずに続いていくものや人とのつながりは確かに存在しています。
マックス、ルーカス、ソーの3人組は、それぞれの道を選び、自分の「やりたいこと」や「信じること」を追求できる環境と人間関係を手に入れました。
それでいて、3人の繋がりというものは、常に一緒に入られなくとも「永遠」なんだという新しい友情関係を結び直したのです。
誰かと一緒にいることで自分の望みを諦めるのではなく、自分の望みが実現できる形でその誰かとの関係を持続できる方法を考えていく。
大人になっていくということは多くを得ると同時に、多くを失うプロセスでもあるのですが、そんな変化の連続の中でも、大切なつながりを自分なりの形で繋ぎ止めていくという在り方を見事に描いた作品だと感じました。
コメディ描写の変化
さて、冒頭にも書きましたが、近年ハリウッドでも女性を軽視するような描写は批判される風潮が主流ということもあり、この手のコメディ映画は以前に比べて下火になっています。
その中で、今回の『グッドボーイズ』はかなり配慮されて作られていた印象を受けましたね。
まず、予告編でも描かれていたシーンですが、主人公のマックスがラブドールにキスしようとしたシーンで、ルーカスが「許可をもらわないと」と指摘していました。
先日公開された『スキャンダル』で描かれたFOXの件もそうですし、ハリウッド映画界では大物プロデューサーのワインスタインのスキャンダルがありました。
女性に対して男性が自分本位で関係を迫ったり、強制的に行為に及んだりというのが、大きな問題となる中で、一昔前のコメディ映画なら登場しなさそうなセリフが飛び出してきたのは、1つ印象的なポイントでしたね。
また、個人的に注目したのは、ラブドールの使い方ですね。
マックスたちはドローンを購入するためのお金が必要だったため、1人の男にソーの自宅にあったラブドールを売り払うんですよ。
ラブドールというのは、物言わぬ人形であり、性処理の道具であるわけですから、男性の一方的な性のはけ口としての女性のメタファーとして扱われているようにも感じました。
以前のコメディ映画であれば、ラブドールが売れたという描写でひと笑い取って、それでおしまいだったと思いますが、今作『グッドボーイズ』はわざわざ、ラブドールを別のシーンで再登場させているんです。
ハイウェイのシーンで3人が道路を横切ろうとした単に、玉突き事故が起こり、その際に男が車に乗せていたラブドールが飛び出して、道路に投げ出されてしまいます。
あくまでもコメディ描写として描いてはいますが、それでも男性にとって都合の良い欲求を押しつけるための女性とい蔑視的イメージを視覚的に破壊したという点で、意味のある描写だったと言えるのではないでしょうか。
また、本作においてマックスたちがセッ〇スピル(ドラッグ)を購入するために、売人のアジトに乗り込むシーンがありましたが、そこの売人たちには「女性蔑視的な」役割が課されていました。
そんな売人たちを主人公が子どもなりのやり方で撃退するという描写にも、これからを生きる子どもたちには、あんな価値観は持って欲しくないという製作側の思いを感じましたね。
このように、『グッドボーイズ』という作品は、これまでのハリウッドコメディにおける女性の描写の仕方に対する反省も感じられる作りになっていると思いました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『グッドボーイズ』についてお話してきました。
もちろん下ネタ全開のローティーンの子どもたちの掛け合いや、「ビール何口呑んでやったぜ!」的な小競り合いも面白かったのですが、それ以上に脚本の妙に惹かれました。
大人になっていく上での人間関係の変化というものを正面から描いた作品だと思いますし、自分の道を選んで、距離が離れていったとしても、変わらない「永遠」を有することができるんだ!という温かいメッセージに胸をうたれました。
予告編やスタッフの印象だけで、単なる下ネタ映画、よくあるローティーンの青春映画とは思わないで欲しいですし、ぜひ劇場でご覧になっていただきたいですね。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。