みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ザファイブブラッズ』についてお話していこうと思います。
相変わらずの情報過多っぷりと「第四の壁」を壊すかのような現実とフィクションのシームレスな編集には驚かされるばかりです。
また、映画制作時は意図していなかったと思いますが、公開のタイミングが「BlackLivesMatter」の声が先日起きた白人警官による黒人絞殺事件によって高まっている現在に重なっているのは、運命としか言いようがありません。
さて、今回の『ザファイブブラッズ』は、主に「ベトナム戦争」を題材として作られた映画となっております。
ベトナム戦争が「アメリカ戦争」だと形容されている点には、衝撃を受けましたが、この戦争はアメリカ黒人史を考えていく上でも非常に重要な意義を孕んでいます。
なぜなら、ベトナム戦争で多くの黒人たちが前線に立ち、戦ったことが国内で起きていた公民権運動の後押しとなり、黒人の権利回復に一役買ったという側面があるからです。
ただ、劇中でも紹介されている通りで、アメリカの人口に占める黒人の割合が10%程度であってにもかかわらず、ベトナム戦争に動員された兵における黒人の割合が30%超だったということで、黒人たちが過剰に負担を強いられているのは明白ですよね。
同じ国民であれば、平等に扱われる必要がありますし、本来であれば平等であるはずの国民が、白人以上の貢献を戦争においてしなければ認められないというのも、全くおかしな構図であるわけですよ。
そして、劇中で、共産圏のアナウンサーがキング牧師の死を伝えて、アメリカ軍の黒人兵士たちに「あなたたちの本当の敵は誰だ?」と問いかける場面がありましたが、ここにこそ本作の焦点が隠されています。
ベトナム戦争で、前線に立った黒人たちは確かにベトコンたちと戦いを繰り広げていたわけですが、結局彼らが本当に戦わなければならなかったもの、戦っていたものって何だったのでしょうか。
アメリカが「アメリカ戦争」を起こしたことによる罪、ベトナムの人々の悲惨な死、フランスの孕む原罪、そして黒人たちの罪と救済、戦い。
ベトナム戦争という歴史的事象の中でも類を見ないほどに複雑に様々な思惑が絡み合った戦いを、黒人史から紐解き、見事に現代へとリンクさせた衝撃的な1本であることに疑いの余地はありません。
スパイク・リー監督は以前にクリントイーストウッド監督と舌戦を繰り広げたことでも知られています。
『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』といった戦争映画が黒人の戦争における功績を無視していると糾弾したわけですよ。
そんな彼が黒人と戦争のコンテクストを描いたのが、『セントアンナの奇跡』でして、ただ今作は絶賛されたにもかかわらず、クリントイーストウッド監督との軋轢が賞レースに不利に働いたとも言われます。
そんな彼が、改めて黒人と戦争のトピックに向き合い、手掛けた危機感と焦燥感と、情熱に満ちた1本が『ザファイブブラッズ』という作品ですね。
今回の記事では、そんな『ザファイブブラッズ』の凄みを余すところなくお話していけたらと考えています。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事となります。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ザファイブブラッズ』解説・考察(ネタバレあり)
強く影響を受けたであろう映画たち
本作『ザファイブブラッズ』はとにかく様々な映画作品からインスピレーションを得ていると感じます。
今回は、当ブログ管理人が気がついた作品をいくつかご紹介していきましょう。
『地獄の黙示録』
これについては、言うまでもなく多くの方が気がついたのではないでしょうか。
直接的すぎる引用で言えば、『地獄の黙示録』のポスターが飾られたホーチミン市のナイトクラブをベトナム帰還兵の4人が訪れるシーンがありました。
『ザ ファイブブラッズ』より引用
他にも演出や構図の観点かなり多くのオマージュが込められていました。
例えば、夕日がこうこうと輝く山と山の間から、ヘリコプターのシルエットが現れるという構図は完全に引用ですし、主人公らの一行がベトナムの遊覧船でマーケットに向かうシーンで有名な『ワルキューレの騎行』が劇伴として流れます。
他にも、今作がそもそもアメリカにいた4人がベトナムにやって来て、ジャングルの奥地へと入っていき、かつての戦友の亡骸と遺産を探すという構図そのものが『地獄の黙示録』を想起させるものです。
最終的にジャングルの奥地にある廃寺に一行は辿り着くのですが、これもまたどこか『地獄の黙示録』を思わせます。
また、フランス人の女性が登場する点もおそらくオマージュなのではないでしょうか。
『地獄の黙示録』でも主人公が、ジャングルの最深部に乗り込む直前のパートで、フランス人の邸宅で食事をし、そこに住む女性と言葉を交わす一幕がありました。
多くの点で、フランシス・フォード・コッポラの名作の影響を受けているのは、やはり「ベトナム戦争」を扱った作品の中では、最もセンセーショナルな1本だったからでしょうね。
『七人の侍』
スパイク・リー監督自身も「私にとってのヒーローの1人」と敬愛している黒澤明監督の代表作からの影響も強く感じられますね。
まず、タイトルが『ザファイブブラッズ』である時点で、『Seven Samurai』を意識していないはずがありません。
そもそも利吉・茂助・万造・与平の4人から旅が始まっていくというのが『七人の侍』であるわけですが、『ザファイブブラッズ』も当初は4人の黒人たちから物語が始まっていきますね。
ラストバトルに当たる廃寺のシーンで、主人公側の生き残りはちょうど「7人」であり、そして彼らの敵は大群であったという構図は完全に『七人の侍』のラストバトルを意識しています。
『プラトーン』
これについては、直接的なオマージュがあったとは言い難いとは思います。
ただ、ベトナム戦争を題材にした映画ということで、『地獄の黙示録』と合わせて多くの人の脳裏をよぎるのは、この作品でしょうね。
しかし、『ザファイブブラッズ』において過去のナラタージュとしてインサートされるベトナム戦争の描写については、やはり『プラトーン』の鮮烈な銃撃戦描写を意識しているのかなとは思いました。
特に、序盤に描かれたヘリコプター墜落からの銃撃戦の描写の仕方は、『プラトーン』を思わせるものだったのではないでしょうか。
とりわけ監督であるスパイク・リーが『プラトーン』の監督を務めたオリバーストーンとも親交があるとされているため、その点でも、正統なオマージュと言えるのではないでしょうか。
『ランボー』シリーズ
劇中で、散々ディスられていたのが映画『ランボー』ですね。
このシリーズって、今や人気シリーズですが、公開当初はあまりヒットしなかったんですよ。
というのも、シリーズ第1作が公開された時期というのは、ベトナム戦争やベトナム帰還兵に対する反発がまだまだ強かったために、ランボーという主人公像が受け入れられにくかった部分があります。
劇中では、ランボーは架空の敵と戦っただけの偽の英雄であるとか、あの映画は偽物だなどと散々なことを言われています。
ただ、このシリーズは続編も含めて、少し価値観が偏っている部分があるので、その点でスパイク・リーからすると、欺瞞的に見える部分があるのかもしれませんね。
「ハリウッド産偽ベトナム戦争映画だ!」という日本語字幕が表示されますが、これ英語では「All them Holly-weird motherfuckers trying to go back and win the Vietnam War」と言っているんですよ。
何を言おうとしているのかと言うと、「ハリウッド映画のクソ野郎どもは、あの頃に戻ってベトナム戦争に勝利しようとしている」という皮肉ですよね。
ベトナム戦争って、基本的に勝者なき戦争ですし、アメリカは北ベトナム軍によるテト攻勢を受けて、大打撃を受け、そのまま和平に持ち込むのがやっとでした。
つまり、戦争には勝利できていないわけで、それ故に、フィルムメーカーたちは映画の中で、自分たちが戦争に勝利したのだと演出しようとしているというスパイク・リーなりのアイロニーが込められたセリフなのですよ。
このあたりの字幕の日本語は、もう少ししっかりしないと完全にオリジナルのニュアンスを脱落させています。
歴史的事象や人物について
今作『ザファイブブラッズ』はもう情報過多すぎるだろ!というくらいに現実の映像や人物のインサートが為されています。
これらについて、全てを解説するということは当ブログ管理人の知識では不可能ですが、出来る限りは拾い上げて、お話していたらと思います。
モハメド・アリ
かの有名なモハメド・アリが冒頭のリアル映像のインサートの1番最初に登場しましたね。
アフリカ系アメリカ人のプロレスラーとして名を馳せた彼ですが、彼のキャリアとベトナム戦争は切っても切り離せない関係にあります。
というのも、彼はマルコム・Xと出会い、そしてイスラム教に改宗していたために、アメリカの黒人イスラム組織である「ネイション・オブ・イスラム」に忠誠を誓っていました。
そして、彼はベトナム戦争初期のまだアメリカで戦争賛成の論調が強かった当時に、ベトコンに対して何の恨みもないという発言をし、更には徴兵拒否を明言したことから、アメリカ社会で「村八分」的な扱いを受けたのです。
1967年に、彼は徴兵を回避したために有罪判決を受け、それがきっかけとなり州のボクシング・ライセンスを剥奪されてしまいました。
『ザファイブブラッズ』の劇中で「金持ちの白人は大学に行って徴兵を逃れる」という発言が飛び出していたかと思いますが、これはモハメド・アリの言葉からの引用でもあります。
彼は、アメリカ中から批判を浴びながらも、戦争を批判することを止めず、自身のボクシング選手としての選手生命が絶たれる事態に追い込まれながらも戦い続けました。
そんな言葉世論を動かし始め、戦争反対の流れを作り始めたのは、有名なお話です。
アメリカにおける黒人とベトナム戦争との関係を語る上で欠かせない人物だと思いますし、スパイク・リー監督が映画のファーストシーンに彼を選んだのも納得ですね。
ラルフ・アバーナシー
こちらも同じく冒頭のリアル映像・静止画インサートの中で登場した人物ですね。
キング牧師の跡を継いで南部キリスト教指導者会議の議長となった人物として知られます。
彼は、「$12 a day to feed an astronaut. We could feed a starving child for $8」の有名なプラカードを掲げて歩いたことでも知られるわけです。
アメリカは、50年代60年代にソビエト連邦と激しい宇宙開発競争を繰り広げていたわけですが、そのために多くの国費を投入しています。
それ故に、国の経済施策がおろそかになり、失業者も増え、国民からは反発を買いました。
また、アポロ11号の月面着陸に代表されるような宇宙開発の華々しい成功は、国民の興味を泥沼化していくベトナム戦争から逸らさせる役割も果たしていたと言われています。
つまり、ベトナム戦争当時の貧しい人々というのは、宇宙開発競争とベトナム戦争への出費により、経済的な援助が疎かになり、非常に苦境に立たされていたわけです。
グエン・ヴァン・レム
サイゴンでの処刑というインサート映像があったかと思いますが、この時に頭を撃ち抜かれて絶命したのが、囚人であったグエン・ヴァン・レムという人物でした。
彼はアメリカを劣性に追いやったテト攻勢の最中に逮捕され、警察長官のグエン・ゴク・ロアンによって銃殺されたとなっています。
アメリカの写真家エディ・アダムスがその一瞬をカメラに収め、「サイゴンでの処刑」という題名で発表し、ピューリッツァー賞を獲得したのも有名で、アメリカの世論形成に大きな影響を与えました。
ケント州とジャクソン州の銃乱射事件
まず、ケント州立大学銃撃事件は、1970年に起きた事件でして、米軍が中立国であるカンボジアに爆撃をするとリチャード・ニクソン大統領が発表したことがきっかけで勃発しました。
反対する大規模な抗議活動中に、オハイオ州兵が大学生の数人を銃撃し、死に至らしめるという悲惨な事態へと発展してしまったのです。
加えて、ジャクソン州立大学でも、これとほとんど同様の事件が起き、2人の大学生が命を落としました。
この2つの事件は、アメリカのベトナム戦争に対する世論を変化させていく上で重要な役割を担ったとされています。
「ナパーム弾の少女」フィン・コン・ウト
1973年にフィン・コン・ウトが撮影したナパーム弾から逃げる少女を捉えた1枚の写真がピューリッツァー賞を受賞しました。
今では、ベトナム戦争の写真を代表する1枚として今も受け継がれていますね。
ジョンソン大統領
冒頭のリアル映像のインサートの中に、ジョンソン大統領の演説の映像が含まれていました。
彼は、ケネディ暗殺後に大統領に上り詰めた人物ですが、公民権法の早期成立に向けて尽力するなど、多くの構成気を残した人物として知られています。
内政的には、評価される面も多いのですが、その一方でベトナム戦争への軍事介入に関しては、積極的であったがために、国民からは猛反発を受けることとなりました。
その結果として、1968年大統領選挙に向けた党内での予備選挙では、支持率の低さを露呈し、それをした彼は映画でもインサートされたように「民主党大統領候補としての再指名を求めない」という言葉を演説の中で述べました。
さらには、ベトナム戦争の停止と和睦に向けた交渉を進めるという方針を打ち出し、戦争終結に向けて動き始めた大統領としても知られています。
ただ、戦争が終結する直前に命を落としており、無念だったのではないでしょうか…。
トランプを支持する黒人
劇中の主人公たちの会話の中で、挙がり静止画がインサートされたのが、「トランプを支持する黒人」でした。
「マイケル・ザ・ブラック・マン」として知られる黒人男性は、しばしばトランプの演説の背後に現れ、国内でも話題になりました。
劇中では、ポールが「トランプ大統領支持」の姿勢を持っていることが仄めかされており、彼が被っているキャップには「Make America Great Again」の文字が綴られていました。
ただ、トランプ大統領を支持している黒人として描かれたポールは、利己的であり、それでいて差別的で、ベトナムの現地に住む人々を差別したり、発言の中でアメリカは国境に壁を作って難民受け入れを阻止すべきだなどと語っています。
スパイク・リー監督は、これまでの映画でもそうでしたが、「黒人=正義」という短絡的な構図で映画を作ることは決してありません。
だからこそ、黒人のトランプ大統領支持者を登場させ、黒人の中にも差別や分断の増長に加担している人間がいるということを暗に述べているようにも感じました。
ミルトン・L・オリーブ3世
『地獄の黙示録』のポスターが飾られていたナイトクラブを後にした一行が、会話の中で「本物の英雄」だとして名前を挙げていたのが、ミルトン・L・オリーブ3世でしたね。
彼は、劇中でも言及されていたように、手榴弾から身を挺して仲間を守ったことで、名誉勲章を授与されました。
終盤に、メルヴィンが仲間を守るために、身を挺して手榴弾の爆発を防ぐ描写がありましたよね。
これがミルトン・L・オリーブ3世の行動の再来のように描かれているのは、ある種の「歴史は繰り返す」の可視化なのだと思いました。
1619年
さて、回想シーンの中で金塊を回収したノーマンが、「俺たちは1619年にアフリカからジェームズタウンバージニアに盗まれたすべての兄弟姉妹」の名の下に黒人のためにこの金を使うという発言をしていました。
『ザ ファイブブラッズ』より引用
この発言の裏には、ある重要な歴史的出来事が隠されています。
というのも、1619年というのは、20 人のアフリカ黒人が植民地から労働力としてジェームズタウンバージニアに連行差されてきた、つまり、アフリカから初めて黒人が連れ去られた年なのです。
ただ、この時はまだ黒人奴隷制度というものは存在しておらず、1641年から奴隷制度が正式に始まり、そこから多くの黒人がアフリカから連れ去られるようになっていきました。
ウィリアム・カリー
ポールが現地のギャングたちに「しっているか?」と聞かれていたのが、「カリー中尉(ウィリアム・カリー)」でした。
彼は、ソンミ村虐殺事件で、虐殺を直接命令したとして有罪判決を受けた人物です。
しかし、戦争中の虐殺命令というのは、彼だけの責任ではなく、当然その上にはさらに上官がいて、その下には実行した部下がいるということになります。
そんな状況下で、彼1人だけを有罪にすることが果たして正しいと言えるのかという議論が巻き起こり、アメリカ国民の間でも意見が割れたそうです。
結果的に、彼は後に懲役は10年に減刑され、さらに減刑が為されて自宅監禁のみになったようですね。
「私はソンミの虐殺について後悔を感じなかった日はありませんでした。死んだベトナム人やその家族、そして私の部下として事件に関わった兵士とその家族についての後悔です。本当に、本当に後悔している……何故私が命令を与えた上官たちに逆らわなかったのかと尋ねるならば、私は上官から命令を受けた一介の中尉であったと答えるほかにありません。」
彼は釈放後に、後悔の念を述べていますが、仮にアメリカが敗戦国であったならば、日本の太平洋戦争の戦犯と同様に裁かれていたわけで、アメリカが戦争に勝利したために大した罪も科されなかった点は否めません。
その点で、ベトナムの現地の人々がウィリアム・カリーを憎んでいるのは当然と言えるでしょう。
ベトナム戦争におけるフランス
『ザ ファイブブラッズ』より引用
さて、今作『ザファイブブラッズ』にはやたらとフランス人が登場しましたよね。
なぜ「フランス」なのかと言いますと、ベトナムは1887年からフランスの植民地だったからです。
ただ、第2次世界大戦中に大東亜共栄圏を掲げて進軍した日本軍が、ベトナムを占領しました。その結果、日本の領土となっていたわけですね。
しかし、第2次世界大戦で日本が敗北すると、フランスは再びベトナムが自国の植民地であると主張し、その結果としてインドシナ戦争が勃発しました。
ソ連&中国がベトナムを、アメリカ&イギリスがフランスを支援する形で、この戦争は進行していきます。
ただ、そうなると白人至上主義の世界秩序に亀裂が入ることとなりますし、何よりソ連や中国といった共産圏の国々が勢いづくこととなります。
それを何とか防ごうとしたアメリカは、今度は自らベトナムに軍事介入する運びとなったわけです。
つまり、ベトナム戦争の背景には、そもそもフランスが第2次世界大戦後に再植民地化を進めようとしたという歴史的事実があるんですね。
ちなみに、本作の冒頭の映像の中に、僧侶が焼身自殺をしているものがありましたよね。
あれは、ベトナム共和国の大統領として送り込まれたゴ・ディン・ジエムが、自身の支持基盤たるカトリック教徒を優遇し、仏教徒を弾圧し、挙句の果てには寺院を襲撃して僧侶を逮捕するという強硬策に出たために、それに対する抗議として実施されました。
独特の映像表現
『ザ ファイブブラッズ』より引用
『ザファイブブラッズ』を見ていると、しばしば映像のアスペクト比が変更されますよね。
実際の映像や静止画を用いる時はもちろんなのですが、過去の回想シーンでは、16mmフィルム映像風に撮影し、4:3のアスペクト比を採用しています。
ベトナム戦争とテレビメディアの関係は切っても切り離せないものです。
なぜなら、この戦争はテレビでの生中継が初めて実施された戦争だったからですよ。
テレビのライブ映像を通じて、国内に伝えられる戦争の生々しい様子は、当時の国民に衝撃を与え、世論形成に大きな影響を与えることとなりました。
そのため、アメリカ国民としては、当時のテレビを思わせるザラザラと粗い質感やテレビのアスペクト比で描かれる過去の回想シーンにある種のノスタルジーを掻き立てられたのではないでしょうか。
西部劇を思わせる設定
さて、西部劇というのは19世紀後半のアメリカ合衆国の西部開拓時代にバックグラウンドを持つ映画のことを指します。
とりわけ、このジャンルは白人至上主義的な価値観に裏打ちされていた部分が多く、近年その批判からか制作される本数も少なくなってきました。
「カウボーイは白人ばかり」というイメージがどうしても映画を見ていると染みついてしまうのではないかと思うのですが、その実は黒人のカウボーイも相当数いたと言われています。
しかし、古典的な西部劇では、そのほとんどが白人主演の勧善懲悪映画となっており、スパイク・リー監督からすると違和感だらけではないでしょうか。
今作『ザファイブブラッズ』は、妙にアメリカの建国期や西部開拓時代を思わせるような作りになっています。
まず、主人公ら4人がベトナムに渡ってかつての盟友の亡骸を回収するというのが、今作の1つの大きなミッションでもありました。
これは、イギリスからアメリカ大陸に渡った人たちが、新大陸=神の国であると信じていたのに非常に似ています。
そして、実際は大半が嘘だったのですが、イギリス国内では新大陸では金が大量に採掘されるという幻想が流れ、その結果として貧しい人たちが一獲千金を求めて海を渡ったのも事実です。
その点でも『ザファイブブラッズ』の主人公たちが「金塊」のためにアメリカからベトナムへと渡るという展開は、明らかにアメリカ植民当初の様相を反映しています。
また、外部からやって来た主人公たちが、現地のギャングたちと銃撃戦を繰り広げるという展開も、明らかに西部劇を意識しています。
アメリカの西部劇だって史実に準えるのであれば、ある程度黒人が主人公の映画が撮られても良かったはずなのに、白人はひたすらに自分たちを美化するための映画を撮り続けました。
だからこそスパイク・リー監督は、西部開拓時代やカウボーイといった白人の象徴的なジャンルを踏襲し、そこに黒人を主人公として据えることで、描かれなかった、軽視されてきた歴史を突きつけようとしたのかもしれませんね。
ベトナム戦争の黒人史と現代へのリンク
『ザ ファイブブラッズ』より引用
今まさに、アメリカでは「BlackLivesMatter」の運動が再熱し、大きなムーブメントとなっています。
劇中でも述べられていたように、黒人たちは歴史上、常に戦争の最前線に立たされてきました。
アメリカ独立戦争でも、そしてベトナム戦争でも、彼らは白人よりも前に出て戦闘を繰り広げ、そして命を落としていったのです。
しかし、奴隷という立場が変わることはなく、奴隷が廃止されてからも、被差別身分であることに変わりはなく、ベトナム戦争とその最中に行われた公民権運動によって、その権利が見直されることとなりました。
黒人たちは、「アメリカ」のために戦ってきたはずなのですが、映画の最後にキング牧師の言葉の中で引用されたラングストン・ヒューズの言葉にもあったように、彼らにとってアメリカは「祖国」ではないんですよね。
彼らはベトコンと死闘を繰り広げながら、自分たちの権利を手に入れるために祖国であるはずの「アメリカ」と戦っていたんですよ。
まず、若いフランス人のグループがベトナムで地雷を撤去するために活動をしていましたが、これってある種の「贖罪」ですよね。
ただ『ヒトラーのわすれもの』という映画を見ていても感じたのですが、過去の人間の戦争犯罪を今の若者がしなければならないという点に虚しさと憤りを感じるのも事実です。
一方で、ジャン・レノが演じているフランス人実業家は、「Make America Great Again」の帽子をかぶって、現地のギャングを雇い、金塊を奪い取ろうとしてきます。
ただ、今作において中国やソ連と言った共産圏の国は登場しません。そのため歴史の完全な再現をしているわけではないんですよ。
一方で、『ザファイブブラッズ』が映画いたのは、ある種の「ベトナム戦争の真の構図」と言えるでしょう。
主人公たち黒人の側には、現地のベトナム人の青年とフランス人の若者が味方に付いていました。
つまり、アメリカ+フランス+ベトナムとなっており、これはベトナム戦争当時における資本主義側の勢力と一致します。
一方で彼らの敵として立ちはだかるのは、「Make America Great Again」の帽子をかぶったフランス人と現地のベトナム人です。
これは言わば、ベトナム戦争における黒人の視点から見た勢力図なんですよ。
黒人はアメリカ兵としてベトコンたちと死闘を繰り広げる一方で、白人至上主義の世界秩序において自分たちの権利回復のために戦っていました。
だからこそトランプのような白人至上主義者、そして第2次世界大戦後にベトナムを植民地化しようとしたフランスが彼らの敵として立ちはだかるんですね。
そうして、代理戦争に駒として巻き込まれながら、敵国とというよりむしろ祖国と戦ってきたのが、黒人だったのだとスパイク・リー監督は主張しています。
だからこそ、本作において回収された金塊は黒人の権利回復のための団体と、黒人兵士としてベトナム戦争で命を落としたノーマンの家族、さらにフランス人の地雷除去団体に還元されました。
よくよく考えると、この金塊の利益が与えられたのは、白人至上主義の世界秩序による不利益を被ってきた人たちなんですよね。
黒人たちは自分たちの権利を回復するために、白人以上の犠牲を強いられ、多くの同胞が命を落としました。
そしてベトナムの人々は資本主義と共産主義の代理戦争に巻き込まれ、国土に大量の地雷を埋め込まれ、その恐怖が今もなお残存しているという悪夢を抱えています。
そんな人たちのために、戦争の渦中に残された遺産が使われるというところにスパイク・リー監督の強い思いを感じました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ザファイブブラッズ』についてお話してきました。
2時間30分という尺に情報がとんでもない量詰め込まれており、前情報なしで見ると、ただただ圧倒されてしまうと思います。
『ブラッククランズマン』の時もそうでしたが、やはりリアル映像を映画の一部として機能させてしまう手法には、賛否あるでしょうね。
映画としては不格好だとは思いますが、それでも私はこの映画の持つ底知れぬパワーを称賛したいですね。
歯に衣着せぬストレートな語り口には、今まさに黒人の権利回復運動がアメリカで再燃していたり、人種間の分断が際立っていることに対しての監督なりの焦燥感や危機感を感じました。
それくらい切迫しており、だからこそ映画でもストレートに描く必要があったのだとおもうと、個人的には納得できます。
こんな情勢だからこそ、絶対に見て欲しい1本ですし、分からないことがあれば、徹底的に調べてみて欲しいですね。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。