みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『MOTHER』(2020)についてお話していこうと思います。
日本で起きた殺人事件を題材にした作品と言えば、山形マット死事件や川崎市中1男子生徒殺害事件に着想を得た『許された子どもたち』が大きな話題となりました。
一方で本作『MOTHER』が題材にしているのは2014年3月、埼玉県川口市で起きた17歳の少年による祖父母殺害事件です。
この事件について取材を続けてきた記者が著した『誰もボクを見ていない』という書籍もありますので、こちらも併せて読んでみてください。
親の影響を受けて子どもの将来が閉ざされてしまったという点で、その最たる事件の1つなのではないかと個人的には感じています。
実母と養父から身体的・性的虐待を受けていた少年は、母親の自堕落な生活に付き合わされ、学校に満足に通うことすら許されず、貧しい生活を強いられます。
そんな中でも少年は勉強に取り組もうとフリースクールに通ったり、何とかお金を工面して妹の面倒をみたりしていたんですよね。
ただ、彼は子どもであるという特性を母親に利用され、彼女の金策のために利用されていました。母親は頑なに働こうとせず、彼に生活費を借金させに行かせていたのです。
そしてある日、母親は、祖父母から殺してでもお金を持ってくるように彼に告げたようで、それが事件へと発展していくこととなりました。
少年は強盗殺人容疑で逮捕され、裁判で懲役15年の判決が下されたのですが、一方の母親は強盗罪にしか問われず、物議を醸したことでも知られています。
その事件が孕む異常性、親に搾取される子どもの問題、そして彼は、母親は何を思っていたのか。
今回の映画『MOTHER』は、そんな事件に対する1つの解釈を映画として提示するものになるのではないかと思います。
さて、この記事では自分なりに作品に対して感じたことや考えたことを綴っていきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
映画『MOTHER』(2020)
あらすじ
シングルマザーの秋子は、男に依存する傾向があり、出会った男とその日限りの関係を持つ毎日を繰り返していた。
当然自分で働くなどという意志は全くもってなく、出会った男や親戚、そして息子の周平のお小遣いにまで依存する執着っぷりである。
周平はしばしば母親の金策のために利用され、子どもであるという特権を活かして借金をしていた。
ある日、秋子はゲームセンターで出会ったホストの遼という男と関係を持ち、そのまま名古屋に行ってしまい、1か月近く自宅に戻らないという事態が起きる。
ガスも電気求められる中で、お湯の入っていないカップヌードルを食べ、何とか飢えを凌いだ彼は、強い孤独を感じ、母親が自分の世界の中心であるかのように考えるようになった。
秋子は遼と共に自宅に戻って来るのだが、その後2人は強盗と恐喝に伴う殺人未遂を犯してしまい、周平は2人と共に放浪生活を送ることとなる。
学校というコミュニティから断絶された周平は、ますます母親に依存するようになるのだが、周囲の風当たりは強まり、秋子に金を工面してくれる当ても無くなり、さらに妊娠が発覚した途端に遼は態度を変えて消えてしまう。
こうして再び2人で暮らすこととなった周平は、ラブホテルの駐車場での野宿など悲惨な生活を強いられる。
そして、妹が生まれ、月日は流れ、彼は17歳になって、働き始めたのだが、秋子は相変わらず息子への依存を続けていて…。
スタッフ・キャスト
- 監督:大森立嗣
- 脚本:大森立嗣 港岳彦
- 撮影:辻智彦
- 照明:大久保礼司
- 編集:早野亮
- 音楽:岩代太郎
『光』や『日日是好日』『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』などの作品で知られる大森立嗣監督ですが、これらの作品は映画としてはそれほど尖った作りではありません。
丁寧な語り口なのですが、時に感情を言葉にし過ぎる傾向もあり、演出が過剰になることもあるのですが、力強さのある映画を作るクリエイターだと思います。
好みは結構別れるんじゃないかと思いますが、今回の作品は実際の事件を題材にしているということで、題材そのものが尖ってるんですよ。
その点で、これまで正攻法で映画を作ってきた大森監督がどこまでエッジを効かせられるかという腕の見せ所でもあると思っています。
脚本には『あゝ、荒野』や『宮本から君へ』などバイオレンスや性描写が強烈な映画で、素晴らしいプロットを仕上げてきた港岳彦さんがクレジットされています。
彼の持つ暴力映画的なエッセンスや強烈な性描写が加われば、題材的にも今作は素晴らしいものになるのではないかと予感させられますね。
撮影には『止められるか、俺たちを』の辻智彦さん、照明には『つむぐもの』『誰かの木琴』などでも知られる大久保礼司さんがクレジットされています。
編集には瀬々敬久監督の作品に多く携わっており、大森立嗣監督の過去作の多くにもクレジットされている早野亮さんが参加しました。
- 三隅秋子:長澤まさみ
- 周平:奥平大兼
- 川田遼:阿部サダヲ
- 高橋亜矢:夏帆
- 宇治田守:皆川猿時
- 赤川圭一:仲野太賀
- 隅楓:土村芳
『コンフィデンスマンJP』や『銀魂』など最近はコメディエンヌとしての活躍も目立っていましたが、ここで彼女の役者人生を大きく転換するような本格派の役が巡ってきましたね。
これまでにもシリアスな役どころを演じることは何度もありましたが、ここまでぶっ飛んだ役はそれほどなかったと記憶しておりますので、彼女の新境地が非常に楽しみです。
そして今回オーディションで抜擢された奥平大兼さんは要注目ですね。
今作の主人公の少年は、非常に複雑な心理を抱えており、善良でありながら、母親の影響を多分に受けており、危うさをも秘めています。
そのカオスをどこまで自分のものにして、リアリティを出せるのか。オーディションで選ばれ、その演技の前評判も非常に高いということで個人的にも期待しております。
その他にも阿部サダヲさん、夏帆さん、仲野太賀さんら豪華なメンバーが脇をかためていますね。
映画『MOTHER』(2020)感想・解説(ネタバレあり)
モデルとなった事件が孕む問題と現代へのメッセージ
(C)2020「MOTHER」製作委員会
今作のモデルとなった事件は冒頭にも書きましたが、2014年3月、埼玉県川口市で起きた17歳の少年による祖父母殺害事件です。
この事件は、その内容の壮絶さと、母親が裁かれず、少年だけが重い罪を背負ったという後味の悪さでも世間にインパクトの残し、多くの人の記憶に残っています。
さて、この祖父母殺害事件の裏にあるのは、浪費家で自堕落な生活を送っていた母親が1人の少年の未来を奪ってしまったという恐ろしさです。
少年には、過酷な環境下でもフリースクールに通って勉強したり、父親違いの妹の面倒をみたりといった優しく勤勉な側面があるにも関わらず、最終的には人を殺めるという蛮行を犯してしまいました。
そこに至るまでに、どんな経緯があったのかについては、後の取材等でもかなり詳細に語られています。
映画のキャッチコピーが「こんな母親でも僕にとって世界(すべて)」となっていますが、まさしくこれがこの事件の引き金になった少年の心理状態なのだと感じました。
客観的に見れば、少年の母親は母親としての役割を果たしていませんし、自堕落な生活を送り、挙句の果てには虐待紛いの行動に及んでいます。
それでも、少年が母親から離れることができなかったのは、彼自身が母親に強く依存していたからと言えるでしょう。
彼が小学生の高学年くらいの頃に、1度母親がインターネットで知り合ったホストの元へ行ってしまい、1か月近く帰って来なくなるという出来事があったようです。
この一件は、おそらく彼に子どもながらに「母親がいないことによる孤独や恐怖、不安」を植えつけたのだと思いますし、この時のトラウマが母親への強い依存心を生み出してしまったようにも感じます。
というより、彼は度重なる転居により学校や職場といったコミュニティから切り離され、自分自身の居場所を感じられる場所が母親と妹といる空間以外になかったのだと思います。
一時は児童相談所の介入もあり、彼の生活に光が差すのですが、そんな生活も母親のわがままによって終焉を迎え、最終的には金策が尽きた母親に頼まれ、金を借りに行った際に断ってきた祖父母を殺害するに至りました。
貧しい環境でも妹の面倒を見たりするような優しい少年が殺人という行為に及んでしまったのは、やはり「母親から見捨てられたくない、離れたくない」という不安と恐怖の感情があったからなのかもしれません。
児童相談所が家族の問題に踏み込んでいくというのも、やはり難しいもので、しかし、この事件の場合だとあの時もう一歩だけ踏み込んでいれば、彼の将来もそして祖父母の命も救われていたかもしれないと感じてしまうだけにやり切れなさがあります。
この事件は実行犯というだけで語るのであれば、少年に罪があるのですが、もちろんそれを暗に指示した母親にも罪があります。(裁判では罰せられませんでしたが)
ただ、もっと深く掘り下げていくと、少年はやはり母親の影響があって犯行に及んだのは間違いないですし、一方で母親自身も福祉の対象だったのだと思います。
今回の映画『MOTHER』はかなり母親にフォーカスしている印象を受けましたが、彼女もまた誰かに、何かに生きていくことができない人物です。
少年に対してもそうですし、母親に対しても行政側からもう1歩踏み込むことができたのかもしれません。
他人の家族に踏み込むことは難しいのは重々承知ではありますが、この事件の少年のように「母親=世界」のような構図になってしまっている子どもは、外からの介入がなければ、その価値観から脱することができないんですよ。
確かにこの世界は悪意に満ちていますが、それでも善意はあって、この映画を見ている多くの人は自分があの子を救えたらなんて想像をするはずです。
しかし、この『MOTHER』という作品は、善意には救えない領域がこの世界には確かに存在するのだとはっきりと描き切っています。
映画『MOTHER』は実際に起きた事件を題材として、私たちに改めて問題提起をしています。
母親が悪だと断罪しても、少年が悪だとしても、救えなかった行政が悪だとしても、それを断罪するだけでは何も変わりません。
だからこそ、この事件を改めて映画にして私たちに現前させるということには大きな意義があるのではないでしょうか。
善意では救えない領域にどうやって踏み込めばいいのか?
(C)2020「MOTHER」製作委員会
この映画『MOTHER』に登場する人物って基本的に「善意」に満ちていると個人的には感じています。
それでも、周平や冬華に手を差し伸べる人は大勢いましたし、秋子にだって善意を向けてくれる人はいました。
この映画で、そんな「善意」のアイコンとして登場するのが、亜矢というキャラクターですね。
彼女も幼い頃に虐待を受けていて、施設で育ち、同じ境遇の子どもたちを救いたいからと児童相談所の仕事に就いています。
亜矢は、良かれと思って秋子らに簡易宿泊所や生活保護の案内をしたり、周平を気遣ってフリースクールに通わせたり、本を差し入れたりしていました。
これらの行為は彼女の混じりけのない純粋な善意だと思うのですが、それらが周平を救うことはありません。
今作の映像を見ていると、簡易宿泊所の「扉」が印象的な境界として機能していて、しばしば亜矢はあの部屋の中に踏み込もうとして秋子らに拒まれています。
これらの一連の描写は、他人が彼らに向ける「善意」というものがいかに無力なのかという点を強調しています。
「善意」では彼らの世界に何の影響も及ぼす頃ができないし、問題を解決することができないのです。
きっと、モデルになった事件においても、母親と少年に手を差し伸べようとした人は大勢いたのだと思いますし、哀れに思って金銭的な援助をした人も大勢いるのでしょう。
しかし、それらは祖父母殺害事件に至る時計の針を止めるには力不足でした。
家庭で起きている児童虐待に介入するという行為は、やはりどうしても難しくて、今でも相談所が介入しきれずに子どもの尊い命が犠牲になるという痛ましい事件が頻発しています。
以前に児童相談所のスタッフのインタビューを読んでいて、非常に印象に残ったのは、児童相談所は「安全」よりも「親子関係の改善」を重視してしまう傾向があるという内容です。
児童相談所は本来「安全」を第一に考えて行動しなければならないはずですが、現場ではそこまで踏み切れずに強制的に保護するというよりは、親子で何とか家庭でやっていけるようにという「支援」の形をとるケースが多いわけですよ。
しかし、児童虐待を考えるにあたって、「支援」というある種の性善説志向のアプローチは意味をなさないことも多いです。
誓約書を書かせたりもして、親に暴力を振るわないなどの約束をさせるわけですが、秋子を見ていれば分かるように約束なんて簡単に反故にされてしまいます。
この映画でも描かれた「善意」というものは、どこかあの母親が「変われる」と信じているような部分がありました。
ただ、虐待をしている人間の言葉を信じてしまうというのは非常に危険です。彼らの善意を信じてしまうことで、子どもの「安全」が蔑ろにされてしまうケースが多々あります。
もちろん児童相談所の役割は、親子を切り離すことではないですから、簡単に強制保護をしてしまえば良いという簡単な問題ではありません。
しかし、虐待をする側の「善意」を安易に信じてはいけませんし、周囲の人間も「善意」だけで彼らを救えると思うのは大間違いであるという点は知っておかなければなりません。
どうすれば子どもの「安全」を確保できるのか、そしてどうすれば親子関係を結び直せるのか。
「善意」だけでは踏み込めない領域に、踏み込んで考えなければならないのだという、綺麗ごとでは片づけられない切実な状況をヒリヒリと感じられる映画でした。
冗長なドキュメンタリーでも見ているかのような作劇
(C)2020「MOTHER」製作委員会
映画『MOTHER』は題材がすごく重厚で深いので、プロット的には退屈させられることはありません。
まず、ドキュメンタリーテイストの映像とフィクショナルな映像というトーンの違う2つの映像が混在していて、一様でないというのが気になりました。
ドキュメンタリーのようなトーンの映像が多い一方で、エモーションを強調するようなウェットな映像も多く、さらには舞台演出もかなりチープな場面が目立ちましたね。
そして、個人的にこの映画の最大の問題だと感じたのは、「積み重ね」の欠如です。
是枝裕和監督の『誰も知らない』は、徹底的にドライな視点で主人公のネグレクトに焦点を当てていくのですが、映像の積み重ねが観客にどんどんと心理的な負担を与えていきます。
映像に一貫性があり、時間の流れをヒリヒリと感じさせるため、観客は体感時間がすごく長く感じられるんですよ。
それこそが、登場人物の置かれている状況を観客に追体験させるという映画体験にリンクする演出なのです。
しかし、映画『MOTHER』はそれが全くもって出来ていません。
主人公が小学生の頃から17歳に至るまでの時間を追っていて、彼が母親という名の牢獄に囚われている時間を観客に「途方もなく長い」と感じさせなければならないはずなのに、すごくあっさりとしていて、軽いんですよね。
個人的に1番腹が立ったのは、周平が名古屋に行った秋子に取り残されて、部屋で1人で過ごしていた時間の描写の仕方です。
今作は彼の生活の様子を少し描くと、「6日後」というト書きを入れて簡単に時間をジャンプさせてしまうのです。
正直に申し上げて、彼が自宅に放置された時間が6日間かどうかなんてことには何の興味もないですし、それはこの映画において重要なポイントではないんですよ。
むしろ映像の積み重ねによって彼が自宅に放置された時間が「長い」と観客に感じさせることが大切なのであり、それを部屋の様子の変化や周平の風貌の変化なので表現するのが「映画」でしょう。
それを放棄して、「6日後」というテキストだけをインサートして、観客に「時間」の流れを意識させる手法が映画として適切だとはとても思えません。
基本的に映画『MOTHER』は編集が雑というか平凡で、異なる時間を繋ぐということに対して工夫を感じないんですよ。
映画において、時間をジャンプさせれば当然観客の時間の流れと登場人物の時間の流れが乖離していきますので、リアリティは減退します。
ただ、編集の技術であったり、映像のトーンであったり、時間が飛んでも周平が置かれている状況や心理状態が一貫していれば、観客はそこに「時間の流れ」を感じさせることはできるはずですよ。
結論を言ってしまえば、私はこの映画で周平が祖父母を殺害し、刑務所に入り、母親から解放されたところで観客に「ようやく終わった」という一種の安心感を抱かせるような作りでないとだめだと思いました。
ただ、映画『MOTHER』は「時間の流れ」が繋がっておらず、ダイジェストドキュメンタリーのような演出になっているため、映画を見終わる頃に、むしろ「案外短かったな」と感じさせてしまうほどです。
もっと周平があの状況に置かれていた「時間」というもの長さに目を向け、その異常性の持続を映画の中に内包すべきだったと私は思っています。
映画全体の構成としては、『万引き家族』を意識したんだろうなとは思います。
ひたすらに秋子と周平の閉じた世界を描き続け、終盤に弁護士や外部の人間の視点を持ち込み、観客に問題提起をするというやり口は全く同じです。
しかし、演出力や映像の力に雲泥の差があり、『万引き家族』を見た時に感じたような人間の根っこを揺さぶられるような衝撃を感じることはありません。
『日日是好日』『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』などを見た時にもほとんど同じことを思いましたが、やはり大森監督の作品はダイジェスト感が強すぎると思います。
編集でシーンとシーンの間が切れる時に、時間や観客の感情の流れが断ち切れてしまい、プロットに乗り切れないということが多々ありました。
題材的には見るべきと言いたいのですが、映画作品としてはあまり褒められないので、積極的にはおすすめしづらい作品ですね。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『MOTHER』についてお話してきました。
実際に起きた事件を題材にして、改めて問題提起をするという意味では作られる意義があった作品だと思います。
しかし、映画としてはかなり残念な内容で、とにかく「流れ」がないんですよね。
ぶつ切りぶつ切りの雑な編集がダイジェスト感を強め、観客の時間や感情の流れを何度も何度も断裁してしまっており、終盤にかけて気持ちが盛り上がらないのです。
秋子と周平の閉じた世界をもっとじっくりと丁寧に描き、そして繋げていき、その「長さ」を疑似的にでも感じさせてください。その「苦しみ」をもっと感じさせてください。
クライマックスで全く気持ちが盛り上がってこない、何もこみ上げてこない、それではいくら作品のメッセージ性が良くても訴求力がないでしょう。
ただ、最初のプールのシーンは良かったんですよね。あそこで期待値が上がりすぎた感じはします。
市民プールを訪れた秋子と周平ですが、秋子は禁止行為である飛込を敢行して監視員から注意を受けました。
一方で、周平は秋子にお前も飛び込め!と言われ、監視員からは厳しい視線を向けられています。
そんな彼が選んだのは、結局は「飛び込み」であり、彼も母親同様に注意を受けることとなりました。
このシーンって、彼が世間のルールよりも、母親を優先するという気質を持っていることを端的に表現していますし、後々意味が深まっていくシーンなんですよね。
こういう映像で語るシーンが、もっとたくさんあれば…と思ってしまいましたし、そこに連続性と一貫性があれば傑作足り得たのかなとは思いますね。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。