みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですねNetflixドラマ版の『呪怨 呪いの家』についてお話していこうと思います。
洋ホラーって舞台が外国なので、どこか自分の生活圏とは切り離された場所で起きているフィクションとして割り切って見られるので、それほど抵抗はありません。
しかし、見覚えのある場所で怪奇現象が巻き起こるジャパニーズホラーは、どうしても自分の身の回りでも同様の出来事が起きそうなんて想像をしてしまうので、やっぱり怖いのです…。
子どもの頃に『仄暗い水の底から』という作品を見たのですが、これが本当にある種自分の中でのトラウマで、鑑賞後しばらくは不眠症になりましたもんね(笑)
そういう苦い経験もありつつも、最近は映画として割り切って楽しむという姿勢を確立できるようになったこともあり、何とか見られるようになってきました。
今年の初めにも『犬鳴村』を見に行きましたし、過去の名作と呼ばれるジャパニーズホラーにもちょこちょこと手を出しています。
そんなまだまだびくびくしながら、時折ビビって目を閉じながら鑑賞している当ブログ管理人ですが、今回は一念発起してNetflixドラマ版の『呪怨 呪いの家』に挑戦です。
『呪怨』シリーズに関しては、全作品は見れていないと思いますが、もちろんオリジナル版は見ましたし、派生作品もちらほらとは鑑賞しております。
有名なので、ある程度ネタは割れているとはいえ、それでもやっぱり怖いです。ビビりまくりです。
特に今回のドラマ版は前評判を見ていても、これまでのシリーズとはまた趣向の違った怖さということで、鑑賞前から震えておりました…。
英題が『JU-ON:Origins』ということで、オリジナル版以前のシリーズの起源を探るような物語になるとも言われているので、その点は非常に気になるところですね。
約3時間の長丁場、最後まで完走できるのかという不安もありつつ、何とか鑑賞しましたので、今回の記事では自分なりに感じたことや考えたことをまとめていきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
Netflixドラマ『呪怨 呪いの家』
あらすじ
今回の新作は東電OL殺人事件や妊婦切り裂き殺人事件といった『呪怨』シリーズのベースにある事件に改めて目を向け、原点回帰する作品とも言えます。
そのため、時代設定もきちんと80年代~90年代の日本に据えられ、考証も為されていました。
そんな今回のドラマが描いたのは、『呪怨』シリーズの共通点でもある「呪いの家」に纏わるエピソードであり、そしてその起源に迫る物語です。
心霊研究家・小田島が「呪いの家」を探していくうちに、その家で起きた数々の怪奇現象を知ることとなっていきます。
第1話『行ってはいけない家』
1988年、小田島は心霊研究家として活動しており、タレントの本庄はるかと共に番組に出演するなど活動していた。
ある日、彼女の自宅で録音した音声に不思議なうめき声が含まれていることが分かり、番組で取り上げることとなった。
彼女はそのうめき声に恐怖を感じ、恋人の家に引っ越しをしたのだが、今度はその彼氏に異変が起き始めたという。
その話を聞いた小田島は、はるかの恋人である深澤という男性に接触した。
彼の話によると、不動産屋に紹介されて、とある格安の一軒家を訪れたことがきっかけなのだという…。
一方、場面が変わって、女子高校生の河合聖美は、母親の都合で新しい学校に転校してきた。
彼女は友人との会話で「猫屋敷」の噂を耳にし、友人とその家を訪れる約束をする。
テレビでは伊藤夏希という5歳の少女の失踪事件が報じられていて…。
第2話『堕ちていくふたり』
女子高校生の河合聖美は、同級生の男女と呪いの家を訪れるのだが、そこで他校の男子生徒の1人にレイプされてしまう。
悔しさを滲ませる聖美は思わず押し入れに黒猫と共に逃げ込むのだが、そこで深淵に不気味な女性の影を見る。
彼女は突如として異変をきたし、男子高校生の1人を誘惑するような素振りを見せながら、帰宅する。
その際に同級生の1人で、何かに憑りつかれたように猫の鳴き声をあげていた少女は家に取り残されてしまう。
はるかは、恋人の深澤の実家に結婚の挨拶をしに行くのだが、そこで怪奇現象に遭遇する。
そして仕事に戻った彼女に待ち受けていたのは最愛の彼の死だった…。
第3話『窓辺にいた女』
時代は1994年に移ります。
聖美は、自分をレイプした男に母親を殺害させ、2人で駆け落ちをしていた。その後、一児の母親となり一緒に生活をしていたのだが、男はDVや児童虐待をするようになっていた。
児童相談所の職員である有安という女性は、聖美の家で虐待が行われていると聞き、息子の俊樹の一時保護に乗り出した。
1995年に時代が移り、世間では阪神淡路大震災が大きく取り沙汰されていた。
依然として「呪いの家」の調査をしていた小田島はタレントとしての活動を続けていたはるかに聞き込みを続けている。
彼女も自分の恋人の死の真相を知りたいと願っており、調査の協力に前向きだった。
はるかは不思議な能力を持つ、かつての恋人の母親に相談し、何とか「呪いの家」の場所を突き止めるのだが…。
第4話『連鎖する呪い』
はるかは「呪いの家」の前まで訪れるのだが、その異様な雰囲気を感じ取り、足早に立ち去った。
一方で、小田島は連続幼女誘拐殺人事件の犯人であるMという男が「呪いの家」に心当たりがあるというので、刑務所の面会室に訪れていた。
彼はMからオカルト話を蒐集する理由を聞かれ、上手く答えられないものの、母は生まれてすぐに死亡、父もその後死亡、姉も生き別れて結局死んでいたという自身の過去を明かす。
そしてMは「呪いの家」と思われる屋敷で起きた事件について語り始める…。
監禁された女性が妊娠させられ、その後殺害されていた。女は死体で発見されたが、子どもは見つからなかったというのが概要である。(おそらくこれが昭和27年に起きた事件?)
さらに、そんな暗い過去の連鎖反応のように、現在軸で妊婦の殺害事件が起き、そこに「呪いの家」がリンクしていること分かる。
調査を続けていた小田島はついに自身の過去に言及し、「呪いの家」で5歳まで家族で住んでいたことを語った。
第5話『忘れていた記憶』
小田島は計意地に依頼し、ついに「呪いの家」に足を踏み入れることとなる。
一方で、聖美は売春をするようになり、ついには夫を殺害してしまうのだった。
彼女は、パニックになると「呪いの家」へとやって来て、高校時代にレイプされた時の写真を広げ、自分は高校時代に戻れるだろうかと嘆く…。
「呪いの家」に足を踏み入れた小田島は、問題とされる屋根裏の調査に乗り出す。
すると、時空が歪んだかのようにして、彼は幼少の頃の自分の姿を垣間見、忘れていた恐ろしい記憶を取り戻すのだった…。
第6話『屋根裏にいたもの』
時は1997年へと移り、「呪いの家」には智子夫婦が引っ越してきた。
その頃、テレビでは有名な神戸連続児童殺傷事件の事件が報道されていた。
智子らは、引っ越して来て早々にその家に不思議な染みのようなものがあることに気がつき、不信感を抱く。
そこに小田島が現れ、彼は夫婦と話をすることとなるのだが…。
スタッフ・キャスト
- 監督:三宅唱
- 脚本:高橋洋&一瀬隆重
- 撮影:四宮秀俊
- 照明:永田英則
- 編集:深沢佳文
- 音楽:蓜島邦明
監督を務めたのは、『きみの鳥はうたえる』で高評価を獲得した三宅唱さんです。
自然光や夜の闇、青い照明を的確に操り、淡々とした物語をエモーショナルに脚色したその才覚が、光と闇のバランス感覚が重要なホラーというジャンルでどう活かされるのか、鑑賞前からワクワクしておりました。
一方で脚本には『リング』の脚本に携わった高橋洋さん、制作として携わり、自身は『呪怨 -ザ・ファイナル-』の脚本を手掛けた一瀬隆重さんが起用されました。
ここのところ『呪怨』と『リング』の派生作品はイマイチなプロット続きなので、そのイメージを払拭してくれるような快作を期待しております。
撮影には『宮本から君へ』『さよならくちびる』など近年高評価を受けた邦画に立て続けに関わった四宮秀俊さん、照明には『クリーピー』や『羊の木』などサイコスリラーからぼのぼの系までを独特な照明で支えてきた永田英則さんがクレジットされていますね。
編集には『呪怨』の派生作品を多く手掛けている深沢佳文さんが起用され、劇伴音楽を『世にも奇妙な物語』シリーズのテーマ曲作曲した蓜島邦明さんが提供しました。
- 小田島:荒川良々
- 本庄はるか:黒島結菜
- 柄本時生
- 有安:倉科カナ
- はるかの恋人(深澤):井之脇海
- 河合聖美:里々佳
今回メインキャラクターの2人を演じたのは、荒川良々さんと黒島結菜さんです。
前者は個性派俳優として、これまでにも多くの映画やドラマに出演してきましたが、少しおとぼけ感と情けない雰囲気が出ているのが特徴だと思います。
しかし、それでいて邪悪な演技も巧くこなせますし、すごく引き出しの多い俳優さんなんですよね。
そしてジャパニーズホラーと言えば、主演女優も重要ですよね。やっぱり恐れおののいている美女を見るのが1つの醍醐味みたいなところはあります。
今回は『呪怨 おわりの始まり』や『呪怨 -ザ・ファイナル-』などにも弥生役で出演した黒島結菜さんが起用されています。
他にも柄本時生さんや倉科カナさんなど注目のキャストが目白押しですね。
Netflixドラマ『呪怨 呪いの家』感想・解説(ネタバレあり)
光と影の使い方の巧さに思わず唸る
三宅監督は『きみの鳥はうたえる』や『ワイルドツアー』を手掛けてきましたが、やはり特徴的なのは、光と影の使い方だと思うんです。
先行して公開された本編映像の一部では、アパートに住む男性が振り返ると女性の不気味な影に直面するというシークエンスが収められています。
この映像では、男性が暗い部屋の中で徐々に暖色系の間接照明のある場所に引き寄せられていきますよね。ここで、部屋全体を寒色系の光が淡く包んでいます。
この照明の使い分けにより、部屋にあるたった1点の暖色系の間接照明が温かさを孕み、「安心感」や「安全」という意味合いを強調しています。
つまり、男性がその場所に辿り着くことができれば、危機は去るのではないかという状況の視覚的な説明になっていて、男性もその場所に到達するとほっと胸をなでおろすような様子を見せます。
しかし、そこから振り返ると青白い室内に突如として不気味な女性の影が現れます。
緊張が緩和に向かい、安心を生んだ瞬間に突如として緊張と恐怖へと転換するという演出が照明の使い分けによって見事に表現されており、三宅監督らしさに溢れています。
また、『呪怨』のオリジナル版の2作目でもあったような、白黒の過去の映像との邂逅という演出を巧くアレンジしたのであろうシーンが予告編にいくつかインサートされていました。
(Netflixドラマ『呪怨 呪いの家』より引用)
白と黒のコントラストを極限まで強調し、さらには映像の滑らかさが際立つような質感に仕上げたことで、独特の気持ち悪さを醸し出しているのが分かります。
まず第1話で、はるかの恋人である深澤が初めて「呪いの家」を訪れたシーンは実に芸術的でした。
家に入ると、オリジナル版同様に暗く、影で満ちているのですが、レースカーテンから光が差し込み、淡く緑や黄、赤の仄かな光を室内にインサートしてあります。
単に怖がらせたり、臨場感を高めるための光や闇の使い方をしているのではなくて、映像の芸術性を高めつつも、そこに『呪怨』らしさを同居させるという素晴らしい技を見せているのです。
また、はるかの恋人の自宅のシーンや、聖美たち高校生が呪いの家を訪れるシーンでもそうなのですが、三宅監督は意識的に強い光を発するものを画角に取り入れていると思います。
これにより光に近い部分は壁が薄くなり、逆に遠い部分は影が濃くなるという現象が起き、同じ影であっても一様なトーンになっていない点に、こだわりを感じました。
『呪怨』と言えば、やはり夕暮れ時の陰の濃い時間帯や夜の闇の描写が多いイメージではあるのですが、今作はかなり昼間のシーンや明るいシーンも多く、それが作品全体の緩急にも繋がっています。
『きみの鳥はうたえる』は光と影で青春を彩って見せましたが、彼の照明の使い方が厭な方向に深化すると今回のNetflixドラマ『呪怨 呪いの家』のような作品が出来上がるのだと実感し、恐れおののきました。
オリジナル版へのリスペクトも伺える
(Netflixドラマ『呪怨 呪いの家』より引用)
Netflixドラマ『呪怨 呪いの家』は、全く新しいシリーズにはなるのですが、オリジナル版への目くばせもきちんと為されています。
まず、東電OL殺人事件や妊婦切り裂き殺人事件、女子高生コンクリート詰め殺人事件、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件などの実際の事件を題材にしているという点が、やはりオリジナル版への原点回帰に思えますよね。
劇中のテレビから流れる報道では、チェルノブイリ原発事故の話題もありましたが、80年代~90年代の印象的な事件たちが連日流れています。
一方で、第1話においてはるかが「最近恋人の様子がおかしいんです。」と語るシーンは、オリジナル版『呪怨』の鈴木達也が「最近息子の調子がおかしいんだ。」と語る有名なラストを想起させます。
また、猫が作品における重要なモチーフになっていたり、呪いの家を訪れた女子高校生の1人が猫の鳴き声を上げるようになったりするのもオリジナル版と同様ですね。
また、いつの時代も『呪怨』と言えば、名物の「押し入れ」が印象的ですが、今回も重要な場所になっています。
一方で面白いのが、聖美と結婚した男の名字が「小林」であり、息子の名前が「俊樹」なんですよ。
これがオリジナル版の「小林俊介」を意識していることは明白だと思います。
また、小林が聖美に対して「お腹の子ども、担任教師との間にできた子じゃないだろうな?」という発言をしているのですが、これはオリジナル版で伽椰子の夫である佐伯剛雄が彼女を殺害した一件を想起させるセリフです。
オリジナル版では、佐伯剛雄が伽椰子の身籠っている子どもが、大学時代の同級生・小林俊介で息子の通う学校の教員との間の子ではないかと疑っていました。
第4話の妊娠中の妻が夫を殺害しようとして、逆に夫の方が妻を殺害してしまうという事件もオリジナル版の内容を思わせる部分があり、妻が夫をフライパンで撲殺した一件も思い出しました。
そうしたオリジナル版2作品からのインスパイアも受けつつ、オマージュに頼りっきりなのでは決してない新しい物語を紡いだと思います。
実際に起きた残忍な事件のリフレインが示唆するもの
(Netflixドラマ『呪怨 呪いの家』より引用)
今回のNetflixドラマ『呪怨 呪いの家』では、実際に起きた事件の映像が劇中のテレビでたびたび流れている様子が映し出されます。
特に印象的なのは、先ほども少し言及しましたが、妊婦切り裂き殺人事件からの引用ですね。
女性のお腹が切り裂かれ、その中に電話が入っていたという描写は、まさしく実際の事件からの引用なのですが、こういった描写があることで今回の物語が80年代~90年代の事件と密接に連動していることが分かります。
さて、日本でも残忍な事件が何度も何度も繰り返されてきたわけですが、今回の『呪怨 呪いの家』でも、やはり女性が犠牲になった事件が多く扱われていますよね。
『呪怨』シリーズはそもそも日本社会における家父長制社会が生む暴力と女性への虐待、それに巻き込まれる子どもというコンテクストをホラー描写に昇華したとも分析されています。
さて、面白いのが1997年の時代に入ってから、「呪いの家」へと引っ越してきた智子夫婦の描写でしょう。
彼らは一見すると普通の夫婦なのですが、なぜかこの家にやって来てからというもの夫がキレやすくなり、妻に対して自分の力を誇示するような素振りを見せ始めます。
その夜、彼女はベッドの中で苦しみもがくのですが、それがかつてその家に暮らしていた女性の苦しみとリンクしていました。
つまり、彼女はかつて存在していた家父長制社会が生む暴力と女性への虐待の亡霊に、現代に居ても苦しめられているのです。
今回のNetflixドラマ『呪怨 呪いの家』における「呪いの家」という場所の面白さは、時間を超越した空間であるという点にあるでしょう。
元々『呪怨』シリーズはオムニバス形式で時間軸を前後させながら語っていくのが特徴でした。
ただ、今回は過去と現在、そして未来までもが同時にあの家に存在しており、現在が過去に影響を与え、未来が現在に影響を与え、未来が過去にも干渉しているというSFチックな世界観を作り出しているのです。
最終話では、過去に起きた妊婦を殺害しようと、男が襲い掛かった一件が、現在に干渉し、智子のお腹の子どもに影響を及ぼしました。
第6話のラストシーンでは、はるかが自分を長らく縛り続けていたカセットテープの音源を土に埋めることで、事件が解決したかのように思えたのですが、そこに再び過去の事件が関与してきます。
彼女の持っていたカバンの中で赤ん坊の泣き声が聞こえ始め、そして過去に「呪いの家」で事件に関わった男がはるかを拘束しようとします。
女性が監禁されて妊娠させられた事件が起きたということが、今作の「呪いの家」の設定の根底にはあったはずなのですが、彼女はその事件に何らかの関係があるのかもしれませんね。
その直前に、彼女が智子に襲い掛かろうとした亡霊を見ていたのは決して偶然ではなさそうです。
今回のあの家は、幾分時間が複雑に入り組んでいるということもあり、どの人物がどの時間軸であの家に携わっていたのかがぼやかされている節もあります。
しかし、現在の時間軸で生きるはるかが過去の亡霊に囚われてしまうという描写は、日本の古い考え方や価値観、システムが未だに亡霊のように残存し、現代社会においても女性を苦しめているという解釈もできるでしょうか。
一方で気になるのが、実は主人公の小田島ですよね。彼はある種の「ストーリーテラー」であるわけですが、あの家に纏わる事件の顛末を全て知り尽くしているかのような印象すら受けます。
思えば、過去と現在、そして未来が入り組んだ世界観って、創作者の脳内を覗いている様でもあるんですよね。
つまり、小田島の頭の中で過去に起きた出来事が現在に干渉し、現在の出来事が干渉しながら物語を構築していっており、そのプロセスがこのドラマとして視覚されているというメタ的な構造で読み解くことができる作品なのかもしれないという可能性です。
また、小田島が子どもを持っていない理由というのは、劇中の過去軸の描写で彼が黒い影の女性(聖美?)に子どもを奪われた一件と何か関係があるのかもしれません。
彼があの家で起きている事件の根幹にかかわっていることは間違いなさそうですし、その秘密が続編で明かされていくのだと思うと、ワクワクします。
いろいろと残された謎が多いですし、おそらくは続編ありきの内容だとは思うのですが、改めて第1話から見直しつつ考察を深めていこうとは思いました。
小田島を「創造主」と仮定して読み解く
ここからはかなり個人的な解釈に基づいて論を展開していきます。
視点としてはかなりぶっ飛んでいると思いますし、論理的な破綻もたびたびありますので、信じるか信じないかはあなた次第という程度の参考程度で読んでいただけると嬉しいです。
(Netflixドラマ『呪怨 呪いの家』より引用)
そもそもの物語の始まり
小田島の「呪怨は実際に起きた出来事を参考に作られた。それらの出来事はある一軒の家に端を発していることが分かった。しかし、実際に起きた出来事は映画よりも遥かに恐ろしいものだった。」というナレーションからスタートします。
まず、このセリフが小説の書き出しのように感じられる点は要注意ですね。なぜなら、彼はオカルト小説を出版している作家だからです。
この始まり方が、そもそもNetflixドラマ『呪怨 呪いの家』そのものが小田島によるメタフィクションの様相を呈していると解釈するに至った最初のシグナルです。
そして、続けざまに印象的な描写がインサートされます。
彼が自分のオフィスで1本のビデオをテレビで鑑賞しているのですが、そのビデオは彼が過去に出演したテレビ番組であり、そこにははるかと心霊研究家である自分自身が出演しています。
この自分自身が出演しているテレビ番組を自分で見るという構図が、実はNetflixドラマ『呪怨 呪いの家』の根幹を表しているのではないでしょうか。
面白いのは、彼が足音のテープを聴いていると、突然スタジオの場面に転換する点です。
テレビのこちら側が現実世界、そして向こう側に小田島の作る創作の世界が広がっているとして、「創造主」である彼はどちらの世界にも存在することができます。
だからこそテープを着ているシーンで突然テレビの外側から内側の世界へとジャンプするという演出は、物語の視点が小田島のフィクションの中へと移ったことを示唆しているようにも感じられました。
「呪怨は実際に起きた出来事を参考に作られた。それらの出来事はある一軒の家に端を発していることが分かった。しかし、実際に起きた出来事は映画よりも遥かに恐ろしいものだった。」
まず、注目したのは「呪怨は実際に起きた出来事を参考に作られた。」という部分です。『呪怨』が作られたということ、そして後に「映画」というワードも登場しています。
ここから推察すると、小田島がこのト書きを語っている現実レイヤーって、『呪怨』という作品が既にフィクションとして存在している世界なのではないでしょうか。
つまり、1999年に端を発するビデオ版の『呪怨』という説話そのものの「Origin」に当たるのが小田島なのではないかということです。
自分がこれから描写するオカルト小説内で起きた出来事は『呪怨』を作り上げる上で着想を得た話であり、それらは映画よりももっと恐ろしいものだのだという意志表示をしている点で、まさしく回想風の「前書き」のような文章なんですよね。
そう考えると今作の英題が『Ju-On Origin』になっている点は、すごく深い意味があるのではないかと思えてきました。
鏡が内包するオルタナティブ
さて、その後のシーンを追っていくのですが、個人的に注目したのは「鏡」のモチーフです。
「鏡」はジャパニーズホラーにおいては恐怖演出における定番のアイテムとも言えます。
一方で、個人的にですが、「鏡」というものは異なる世界線を映し出すことができるモチーフではないかと考えています。
それに基づいてスタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』を分析した記事も貼っておきます。
冒頭のテレビ収録後の小田島とはるかの会話シーンでは妙に鏡が印象的に使われていますよね。
2人が会話している様を直接映し出すのではなく、鏡越しに映すという構図であり、こちらは『シャイニング』で用いられていた手法です。
ここで、はるかが妙にオリジナル版(VHS版)の鈴木達也を意識したセリフを述べると先ほど指摘しましたが、これって既にフィクションとして存在している『呪怨』の元ネタとして描いているのではないでしょうか。
つまり、はるかがこの時に発したセリフが、1999年に公開されることとなるVHS版『呪怨』の鈴木達也セリフの元になっているという逆転の発想です。
鏡というモチーフがあることで、向こう側とこちら側のレイヤーが生まれ、それがそれぞれ現実とフィクションに分けられているという視覚的な演出が生まれています。
「鏡」と「テレビのフレーム」が幾度となく用いられる今作ですが、とりわけ似たような役割を果たしていると思っています。
冒頭のシーンでは、現実レイヤーの小田島がテレビの向こう側に広がるフィクションの世界を見ているという構図になっていました。
一方で、そこから視点が反転したために、テレビや鏡の向こう側に現実のレイヤーが存在し、逆にこちら側にはフィクションのレイヤーが存在しているという状態になっているのだと解釈しました。
すると、テレビからたびたび放送される実際に起きた事件の報道にも納得がいきませんか?
鏡とテレビのリンク、フィクション性
現実世界で東電OL殺人事件や妊婦切り裂き殺人事件、女子高生コンクリート詰め殺人事件、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件などの事件は確かに起きています。
そして「創造主」たる小田島がそれをフィクションの世界に引用しているんですよ。
さらに、奇妙なのは、テレビで報道された事件は劇中の事件の引用にはなっていないという点です。
例えば、女子高生コンクリート詰め殺人事件、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件などはテレビに映し出されますが、劇中でそれに着想を得た事件は起きません。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件に至っては、現実と全く同じ犯人の「M」が登場するというものになっており、フィクショナルな混じり気がありません。
一方で東電OL殺人事件や妊婦切り裂き殺人事件はテレビでは報道されませんが物語には直接的に引用されています。
このことから、小田島のいる現実ではこれらの事件が実際に起きていて、彼はそれをフィクションの中に『呪怨』とかけ合わせて持ち込んでいると解釈しました。
彼が妊婦切り裂き殺人事件に似た描写を作品に持ち込んだ、そしてその手口を知っていたのは、現実のレイヤーで実際に起きたその事件を知っていたからなのかもしれません。
さて、第3話になると、作家としての小田島が自身の著書に関して、講演をしているシーンがあります。
その際に登場する本の帯には「実話怪談シリーズ」と書かれており、その文言が現実で起きた事件や現実にいる人物を物語の中に放り込んでいるという『呪怨 呪いの家』の作品構造にリンクすると感じましたね。
また、講演会で彼が読み聞かせをしていて、観客がそれを聞いているという構図も明らかにされています。
ここまでくると、『呪怨 呪いの家』は極めて意図的にメタフィクション路線に仕上げているように思えますね。
そして、このシーンで登場する観客には「幼女連続殺人事件」「Mくん」という実際に起きた事件とそれに関連するワードが告げられており、物語を聞かされている観客は現実のレイヤーにいるという点も明確になっています。
さて、第4話にて妊婦の殺害事件が起きますが、それを報道する時のニュース映像が他の報道映像とは明らかに演出が異なる点に注目してください。
これまでは、登場人物がテレビを見ていて、その中に報道映像が映し出されるというものになっていましたが、この妊婦の殺害事件の報道については、画面いっぱいに報道映像が映し出され、テレビのフレームが、私たちが作品を見ているデバイスの枠へと溶け込んでいるのです。
つまり、ここではこの事件が「小田島の作品内」で起きたものであることを示唆しており、他の報道映像と区別されているのではないかと推察しました。
オカルトというジャンルを体現するメタ映画として
そしてもう1人重要なキャラクターは作品の途中で寝たきりの状態になりながらも「逃げて」などと登場人物に時折指示を出す俊樹ではないでしょうか。
彼は実にオリジナル版の『呪怨』を思い出させる名前ですが、作中では聖美が呪いの家から授かった子という扱いになっています。
その点で、彼は「小田島の作品内」存在でありながら、それを超越し、作品を客観視できる人間なのかもしれません。
オカルトというジャンルって、完全にはフィクションではなくて、完全なる現実とも言いづらいその微妙な境界線に位置しているのだと思います。
だからこそ、今作のように小田島が「創造主」として作品に事件を持ち込むこともあれば、逆に作品で描かれていたオカルトが現実に還元されることもあるわけです。
そんな現実と虚構、現在と過去、未来といった複数のレイヤーと時間軸をごちゃ混ぜに配合することで『呪怨 呪いの家』はオカルトが何たるかを描こうとしているように感じます。
100%現実ではないけれども、100%フィクションではない。
オカルトというジャンルの保ってきたその特権的な立ち位置をメタフィクション的に演出したのがこの作品なのかもしれません。
この視点で考えた時の、個人的なラストシーンの解釈を述べておきますと、これは現実が虚構に浸食されたという意味なのかなと思っています。
私の解釈では小田島は現実でもはるかに出会っており、その上で自身の作品の中にも登場させています。
彼は第6話の終盤に、自分はノンフィクション作家ではないと断言していました。
つまり、この作品で起きている出来事は、必ずしも実際に起きたというわけではなく、小田島が小耳にはさんだ話を膨らませ、そこに実際の事件を掛け合わせたフィクションになっていることが多いわけですよ。
ただ、先ほども述べたように現実と虚構の境界線があいまいなのが「オカルト」です。
それ故に、時折フィクションの世界が現実世界を侵食してしまうことがあるわけですよ…。
小田島と彼のパートナーの女性が「また当たったの?」「やばいね」という会話をしていましたが、これは「彼がフィクションに書いた出来事が現実になってしまったという事例」がこれまでにも何度もあったことを示唆しています。
つまり
現実の事件→小田島の作品
小田島の作品→現実の事件
という両方のベクトルが生まれているのではないでしょうか。
そう考えると、ラストシーンのはるかは現実の世界のレイヤーにいて、そして虚構の世界からやって来た男に誘拐されてしまったのかもしれません。つまり小田島の作り出したオカルトに彼女は引き込まれてしまったわけです。
彼女が誘拐されてしまう描写については、作中でたびたび述べられていた「呪いの家」の発端になった事件を想起させます。
おそらくここから続編が作られていくのだとは思いますが、このメタ的な作りが意図的なものなのだとしたら、どんな展開になっていくのか、現段階では想像がつかないです…。
高橋洋が追求する恐怖と「場」のオカルト
今回の『呪怨 呪いの家』は、『呪怨』を手掛け、その後も『リング』の脚本を書くなどジャパニーズホラーの名手としてられる高橋洋さんが脚本を担当しました。
そして、この監督の前作に当たるのが『霊的ボリシェヴィキ』という作品です。
この作品は廃工場に集められた7人の男女が自分の恐怖体験を語っていくうちに、その「場」に不思議な現象が起き始めるというプロットです。
ジャンル的には「百物語」系なのですが、登場人物が自分の恐怖体験を語っていくうちに、自分たちの居る廃工場という「場」に恐怖体験を引き寄せてしまうという構造になっていたのが印象的でした。
思えば、この超低予算映画でやろうとしていたことが、『呪怨 呪いの家』に繋がっているのではないかと、作品鑑賞後に思うようになりました。
まず、オカルトというフィクションとノンフィクションの境界にある説話が集まることで、「場」に異世界を引き込んでしまうという構造は、そのまま「呪いの家」にトレースされているような気もします。
つまり、小田島という「創造主」がいて、彼が現実に起きた出来事を「呪いの家」に端を発した出来事であるという風に書き換えていき、その「場」に複数の説話を同居させることで、オカルトの世界と現実を結んでいるのではないかという解釈です。
また、『霊的ボリシェヴィキ』では劇中で神隠しにあった1人の女性が、あちら側の世界の何かに身体を乗っ取られて他のメンバーの前に現れるという展開が描かれています。
これは『呪怨 呪いの家』の第2話で、押し入れに隠れていた聖美が向こう側の世界の何かを目撃してしまい、その後人間性が豹変してしまった描写にも重なりますね。
他にも類似点はありますが上記の点からも、『霊的ボリシェヴィキ』からの連続性が十分に内包されている作品であることは明白なのです。
「呪いの家」と呼ばれる場所が、なぜ「呪いの家」と呼ばれるようになったのか。
その答えって、思えば何か事件が起きたからというのはもちろんあると思うのですが、それ以上に物語があの「場」に集まったことで、現実と虚構のバランスが乱れているからというのが大きいのではないでしょうか。
そう考えると、小田島という「創造主」はある種、本を作り人々の間に「オカルト」を流布することで、現実の世界に向こう側の世界とリンクする「場」を作る役割を担っている存在なのかもしれません。
劇中で刑事が「あの家に影響される側の人間とそうでない人間の違い」について考察していましたが、主に影響を受けていないことが明示されていたのは、小田島と不動産業を営む男性ですね。
小田島は、あの「場」に関する怪しい説話を広め、人々を魅了することで、更なる説話を「場」にもたらし、向こう側とのリンクを強めています。
一方で不動産業を営む男性って小田島とは違う方法で「場」に人を呼び込む人間だと思います。というのも彼らは「オカルト」を「場」から払拭するというプロセスで、「場」に人間を住まわせるわけです。
『アメリカンサイコ』という映画がありますが、この作品の中でも不動産業者は、その場所で起きた殺人事件をなかったことにして、次の客に住まわせようとしています。
オカルトを流布し人々の関心を引くことであの「場」に向こう側の世界とのリンクを作り出す小田島と、あの住居に関する黒い噂を掻き消すことで、人を「場」に引き込む不動産屋の男。
「場」を維持して行く上で、重要なピースである彼らが家の中に足を踏み入れたとて、何の影響も受けないというのは、偶然ではないように思えました。
三宅監督が今作の時代設定について、「Jホラー前夜でもあった。Jホラーの想像力を育んだ、何かが蠢いていた時代」と語っていることからも、今作は「オカルトの創造主」が誕生する物語と言えるのかもしれません。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回はNetflixドラマ『呪怨 呪いの家』についてお話してきました。
何と言うか、明るい舞台設定で残忍な描写という組み合わせもかなり多く、それが非常に恐ろしかったですね。
これまでのシリーズでは基本的に暗い場所に引き込んで…というパターンが主体でしたが、それに依存しないスタイルで新たな恐怖の形を模索しようとする試みは秀逸でした。
また、80年代~90年代の実際の事件に関する報道で時系列を説明しつつ、残忍な事件の時間を超えたリンクを表現していたのも見事だと感じましたね。
三宅監督の照明の使い方が強烈な映像を作り出していたこともあり、怖いとは感じつつも、非常に楽しむことができました。
興味のある方は、ぜひNetflixにてチェックしてみてくださいね!
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。