みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですねアニメ『日本沈没2020』についてお話していこうと思います。
小松左京さんの伝説の小説『日本沈没』を、2020年の日本を舞台としたアニメシリーズにリメイクという大胆な企画ですが、流石、湯浅監督と言える出来でした。
ただ、第2話まで鑑賞した時点で、あまりのハードモードっぷりに心が折れそうになりましたね…。
小松左京さんの原作は、単なるディザスターものの域を明らかに超えており、政治や経済、国際情勢などの多面的要素を取り入れた作品となっていて、今でもなお名作と高く評価されています。
有名なのは、1973年の映画版と2006年の映画版だとは思います。後者はかなり酷い出来でしたが…。
2006年版はとりわけ、原作の結末を回避しており、小野寺の尊い犠牲により、日本が間一髪救われるという何とも中途半端な結末になっております。
さらに言うなれば、「日本が沈没する」という設定に向き合うどころか、主人公とヒロインのメロドラマ要素に注力したお涙頂戴映画となっており、何とも残念な出来でした。
この2006年版のイメージが最近の人には強いでしょうから『日本沈没』というタイトルを挙げると、「ああ、あれね(苦笑)」なんて反応をされることは少なくありません。
しかし、オリジナルである小説は「日本沈没」というあまりにも突拍子のない設定に全力で向き合った恐るべき傑作ですし、日本の国土を失った日本人がどうなってしまうのかという問いに真摯に向き合いました。
国が失われていくという諦念の向こう側にある、「日本人とは?」というある種のアイデンティティの問題を徹底的に描こうとしたわけです。
そして、今回のアニメ『日本沈没2020』は実に大胆なアレンジを施しています。
まず、オリジナル版や映画版は基本的に日本という国を救う側にいる政府関係者や学者たちにフォーカスしていましたよね。
しかし、今作では徹底的に「日本沈没」という大災害に巻き込まれる民間人を描くという、かなり大胆なアレンジをしているんですよ。
さらに言うと、主人公の家族に外国人ないしハーフ(混血)という設定を持ち込むことで、原作とは違う視点から「日本人とは?」という問いに向かい合おうとしたように感じます。
今回はそんな本作について自分なりに感じたことや考えたことをお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
アニメ『日本沈没2020』
あらすじ
東京オリンピックを間近に控えた2020年のある日、突然日本を未曽有の大地震が襲う。
その揺れは、これまで誰も経験がしたことのない規模であり、日本全域に被害が及び、東京でさえもほとんど壊滅的という状況に陥る。
陸上の強化選手として練習に取り組んでいた武藤歩は、スタジアムの控室で被災し、周囲にいた仲間たちは次々に命を落とす。
助けを求めてもがく友人たちを尻目に、自分の家族の安否を一刻も早く確認しなければと歩は駆け出した。
街はほとんど壊滅的であり、路肩では苦しむ人が横たわっているという状況で、懸命に走りなんとか家に辿り着いた彼女。
しかし、彼女の住んでいた家も既に地震の被害で崩壊してしまっていた。
そんな時、ふと近くの神社のある丘で七色のイルミネーションが輝いていることに気がつき、歩はそれが自分の父の航一郎の居場所のシグナルであると察知し、再び走り出す。
何とか、父や弟と再会することができた彼女は、同じく帰ってきた母親のマリとも合流し、家族全員の安否が確認できた。
しかし、海外から入って来るニュースやYoutuberによって発信される情報によると、沖縄を皮切りに日本の大陸そのものが沈みかかっているという。
噂の真偽は不明ながらも、街からはなかなか水が引かず、彼らがいた神社のある丘の上も孤立する可能性があるということで、歩たちは移動を開始するのだが…。
スタッフ・キャスト
- 監督:湯浅政明
- 原作:小松左京
- 脚本:吉高寿男
- 音楽:牛尾憲輔
- キャラクターデザイン:和田直也
- 色彩設計:橋本賢
- 撮影監督:久野利和
- 音響監督:木村絵理子
- 編集:廣瀬清志
- アニメーション制作:サイエンスSARU
『夜明け告げるルーのうた』や『きみと、波にのれたら』などの監督を務め、今や国内外から高く評価される湯浅政明さんが今作の監督を担当しました。
独特の世界観を持つアニメーションを作り出すクリエイターであり、人物の動きのダイナミズムやサイケデリックな演出などが特徴で、今作でもアニメーションならではの表現で心を揺さぶってくれました。
脚本には、アニメからドラマ、映画そしてバラエティまで幅広く手掛ける作家の吉高寿男さんがクレジットされていますね。
そして、今回個人的に注目していたのが、劇伴音楽を担当した牛尾憲輔さんです。
牛尾憲輔さんと言えば『聲の形』『リズと青い鳥』でも高く評価され、一方で『ピンポン』や『DEVILMAN crybaby』などの湯浅監督作品にも携わっている作曲家ですね。
音楽で作品を支配するというよりは、むしろ非常にシンプルなメロディでアニメーションの風味を際だたせるような素晴らしい劇伴を幾度となく私たちに届けてくれました。
特に、第8話で死期を悟った母親のマリがモーターボートに絡まった縄を解くために意を決して水の中に潜るシーンでの音楽は涙が止まらなくなりましたね。
悲劇的なシーンであるにも関わらず、女性の強さないし母の強さというものが際立っていて、儚くも非常に力強いメロディなのです。
キャラクターデザインには『DEVILMAN crybaby』の和田直也さんが参加し、その他にも豪華な面々が揃いましたね。
- 武藤歩:上田麗奈
- 武藤剛:村中知
- 武藤マリ:佐々木優子
- 武藤航一郎:てらそままさき
- 古賀春生:吉野裕行
- 三浦七海:森なな子
- カイト:小野賢章
主人公の武藤歩を演じたのは、上田麗奈さんですね。
彼女はテレビアニメ『ハナヤマタ』やアニメ映画の『ハーモニー』などでメインキャストを務めたことでも知られています。
彼女の陸上の先輩であった青年の春生を『機動戦士ガンダム00』の吉野裕行さんが、謎のYoutuberカイトを先日花澤香菜さんとの結婚を発表した小野賢章さんが演じています。
アニメ『日本沈没2020』感想・解説(ネタバレあり)
圧倒的なハードモードだが、それでも希望は消えない
© “JAPAN SINKS : 2020”Project Partners
アニメ『日本沈没2020』を見始めて、第4話くらいまでを見終わったときに、あまりにも物語の内容がハードすぎて、心が折れるかと思いました。
冒頭の地震のシーンにおける歩の陸上仲間たちの阿鼻叫喚の地獄絵図はまだ序の口で、そこから彼女たちの心の支えでもあった航一郎が不発弾を踏んで、爆死というあまりにも衝撃展開が待ち受けています。
そして、ここでひと段落と思わせておいて、もう1人彼らの大きな支えとなっていた三浦七海が有毒ガスによりあっさりと命を落としてしまうというこれまたハードな展開が描かれました。
次々に物語の重要キャラクターが命を落としていくというあまりにも残酷な展開に、目を背けたくなりましたが、それでもこの映画は絶望の中の仄かな希望を描くことを止めようとはしませんでした。
悲惨な状況で旅を続けているにもかかわらず、川で水遊びを楽しむような一幕があったり、イノシシ狩り・食事でホッと息をつくような場面があったり、コミュニティを訪れたシーンでクラブでのダンスパーティーがあったりと、物語の緩急を明確につけてあるんですよ。
目を背けたくなるような恐ろしい災害や人の死の描写と、「日本沈没」というタイトルを思わず忘れそうになるようなほどの「息抜き」のシーンのギャップがこそが今作の面白さにも繋がっています。
どう考えても、描写の重みにアンバランスを内包しているのですが、それが作品の味になっているわけです。
例えば、比較的終盤に歩とカイトたちがラップバトルを繰り広げるシーンがありましたが、こんなシーンを普通に考えたらインサートする意味が分かりませんよね。
なぜなら、本筋のプロットがもたらす緊迫感や歩たちの母の死の悲しみや余韻を軽減させてしまう方向に働きかねないからです。
絶望の中でも人は歌って、笑って、そして写真を撮って。希望を求めることを止めないのだと、そういう姿勢を湯浅監督は今作の中で描こうとしていたように感じました。
特に、それを感じたのは、死期を悟った母親のマリがモーターボートに絡まった縄を解くために意を決して水の中に潜るシーンだったように思います。
このシーンは、シチュエーションだけを見るなら、母親が自分の子どもたちのために命を差し出すというシリアスでウェットな描写です。
しかし、そこに牛尾憲輔さんのシンプルで大胆な劇伴音楽が合わさることで、希望に満ちたシーンへと変貌し、そのあまりのダイナミズムに圧倒されます。
深い悲しみと絶望、それに匹敵する力強さと前を向く希望が同居するのだと、このシーンは明確に証明して見せたと言えるでしょう。
その後も、彼女の先輩である春生が日本の存続にかかわる重要なデータを取りに行くために命を懸けるというシリアスな展開が待っていました。
おそらくですが、こういったシーンの描写の仕方は、大別すると2つで、春生が日本の未来のために命を懸けるという行為を美談として描写し、その自己犠牲を感情的に賛美するのがまず1つ。
そしてもう1つが今回アニメ『日本沈没2020』が選択したアプローチになります。湯浅監督は、ウェットでエモーションを煽るような演出を施すことは決してありません。
絶妙な伏線になっていたのですが、物語の中盤に春生が自分の100mのタイムを計測して、それが12秒台だったと時計で確認をする描写があったんですよ。
思えば、あのワンシーンがあったことで、10秒で戻って来ることが条件だった終盤のシーンでの彼の絶命は確定的でした。
それでも、彼は死を覚悟した上で果敢にも海へと向かって走っていきました。そのモーションはダイナミズムに溢れており、表情はこの上ない喜びと幸福感で満たされています。
日本が沈没してしまい、そして自らの命が失われてしまうことが分かっている状況で、なぜあんな表情ができるのか、なぜあんなにも力強い動きができるのか…。
そこには、私たちには理解できないかもしれませんが、彼にとっての紛れもない「希望」があったからなのでしょうね。
今作において、たくさんの人たちが歩や剛を守るために命を落としていきました。
しかし、今作はそんな犠牲を「尊い自己犠牲」として賛美することはありません。むしろその行為そのものに彼らなりの「希望」があったのだという点を前面に押し出して描こうとしています。
日は沈み、しかしまた必ず昇るのだから。
この物語を締めくくったこの言葉に、作品の思いの全てが込められています。
どんなに絶望的な状況でも、悲惨な状況でも、希望の灯は消えない。だからこそ前を向いて、1歩1歩その「希望」に向かって歩き続けなければなりません。
その歩みにこそ、人間の本当の価値があるのだと、アニメ『日本沈没2020』は力強く伝えてくれました。
今作の「日本人のアイデンティティ」という主題への向き合い方
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小松左京さんの原作においても、『日本沈没』という作品では、日本という国の国土が消失して、それでも私たちを「日本人」たらしめるものは何なのか?というアイデンティティの問いが描かれています。
そして、今回のアニメ『日本沈没2020』もそんな「アイデンティティ」というテーマに現代的な要素を取り入れながらも向き合おうとしていたように感じます。
まず、今作では主人公の家族が父親が日本人、母親がフィリピン人であり、その2人の子どもは混血という少し特殊な設定が用意されていました。
これによって、日本に生まれた混じり気のない日本人の血を引く人間が「日本人」であるという極めて安直な解釈に辿り着く可能性は断たれました。
劇中で、沿岸で救助をしていた男性が「俺たちは純粋な日本人しか助ける気はない」と発言し、フィリピン系のマリを助けることを拒絶するシーンがありましたが、彼らにとっての「日本人」って何なのでしょうね。
オリジナルの『日本沈没』という作品の終盤に、1人の老人が沈みゆく日本に残るというエピソードがあるのですが、これってまさしく日本の国土こそが日本人としてのアイデンティティなのだから、自分はこの国と一緒に沈むという発想なんですよ。
日本を離れて、自分たちが帰属する「場所」を物理的に失ってしまった時に、果たしてその民俗的なアイデンティティは保たれるのかという不安を抱えていたからこそ、彼は日本に残るという決断をしたのだと思います。
一方で、今作のメインキャラクターたちって全然日本という国には愛着を持っていないんですよ。
例えば、剛は日本という国にいたがために災害に巻き込まれたと愚痴をこぼしていますし、カイトだって日本に帰属するタイプの人間ではなく、世界をフラフラと放浪しています。
しかし、彼らと「日本」を結ぶものは何かと考えた時に、それは見たもの、感じたもの、友人や家族との思い出であり、そういった目には見えない何かが彼らと「日本人」というアイデンティティを結んでいるのです。
カイトは、日本という国には何のこだわりも持っていませんが、そこで歩たちと過ごした日々や時間のことはかけがえのないものだと感じており、その思いが彼と日本を結びつけています。
一方の剛にとっても、日本という土地は家族と暮らしていた場所であり、同時に両親が命を落とした場所でもあります。そんな楽しく幸せな時間と、残酷な死が同居しているのが日本という国であり、それこそが彼にとっての繋がりになっています。
さて、ここでアニメ『日本沈没2020』が、描こうとした「日本人のアイデンティティ」についてより掘り下げて考えてみましょう。
今作は、そのエピローグで、日本という国が国土として消滅しながらも、インターネット上に日本がありし頃の風景、食べ物、文化、そして人々のパーソナルな思い出の動画や写真たちがアップロードされることで形を変えて国が存続するという描写を盛り込みました。
このラストが描こうとしたのは、その景色や文化もそうですが、それ以上に日本に思い出や繋がりを持っている人たちの思いが結ぶ1つの「像」として「日本」というものが存在しているのではないかという視点です。
つまり国土としての日本が消失してしまったとしても、そこにあった風景や時間、思い出や大切な人との記憶は消えないわけで、それらが存在し続ける限りは「日本」という概念が消えることはないのだということですね。
その1つの例として登場したのが、中盤に描かれた麻薬を育てている謎のコミュニティ「シャンシティ」だったんでしょうね。
あのコミュニティは、リーダーである室田叶恵を中心に作られていて、人々は彼女の能力に惹かれて集ってきました。
そんな彼女の能力こそが、まさしく生者と死者をつなぐものでしたし、向こう側にいる大切な人の思いや言葉を生きている人たちに還元するというものでしたよね。
つまり、あのコミュニティにいる人間たちは、共同体のために何かをしたいというよりは、自分たちの個人的な思い出や記憶、大切な人とのつながりを維持するために身を置いているのです。
「シャンシティ」そのものは特に形を持たないけれども、金継ぎの技術が体現するように、1人1人の思いが投影されることで1つの「像」としてあの共同体が形を成しているんですよ。
また、アニメ『日本沈没2020』が面白いのは、そこに主人公の陸上選手としての物語を重ねて描こうとした点です。
彼女は、将来を嘱望されたランナーだったわけですが、自身の際に足に切り傷を負い、そこから殺菌が入って細胞が壊死し、最終回で切断を余儀なくされました。
彼女にとって「陸上選手」ないし「ランナー」というのは、重要なアイデンティティだったわけです。
物語の中盤で海外へと脱出するための船に彼女は「将来を嘱望された陸上選手」だからと言う理由で、乗船の権利を得ましたよね。
しかし、足を切断するという決断は、自分の陸上選手としての選手生命をほとんど終わらせてしまうということを意味しています。
彼女がそれまでの自分の人生の大半を費やしてきた努力が水泡に帰してしまうという絶望はとても推し量れないものです。
ただ、歩は片足を失いながらも、幅跳びの選手へと転身し、義足でオリンピックの舞台に立つわけですよ。
彼女は自分自身の生身の足を失ってしまったわけですが、それに義足で補い、種目を変えてオリンピックの舞台に立つこととなりました。
義足というものは、無機物ではありますが、今や彼女の身体の一部であり、彼女のアイデンティティを支えるものでもあります。
物理的に日本という国が、そして身体的に歩の足が失われるという展開を重ねて描いているわけで、だからこそ今作のラストシーンは彼女が高く跳躍をする描写になっているわけです。
それは、歩自身の未来の希望を描いていると同時に、日本という国が形を変えて再び高く跳躍できることを暗示しています。
たとえ片足が失われようとも陸上選手への思いが消えなければ、彼女は陸上選手であり続けられました。
だからこそ、国土が失われようとも、日本という国を思う人たちがいる限りは、日本という国が消えることはないのだと思いますし、そのアイデンティティが消えてしまうこともないのでしょう。
アニメ『日本沈没2020』は、人々の思いが結ぶ「像」としての日本を描き、そんなスピリチュアルな世界観を具現化するために、テクノロジーを取り入れた点で、現代的なアプローチだったと言えると思います。
ちなみに劇中で何度か名前が挙がる「エストニア」という国は電子国家として知られています。
この国は、かつてロシアに占領されていたという背景もあり、もし領土を失ったとしても、国家を再生することができるようにとうことで、政府が国民のデータの電子化を推し進めてきました。
その点で、今作の終盤に描かれる新しい日本像が「エストニア」の目指すそれと近いという点で、たびたび国名が挙がっていたものと思われます。
湯浅政明監督と水の描写
湯浅政明監督の作品において、語らないわけにはいかないのが、「水」というモチーフです。
彼は「水」をアニメーション表現としても重視していますし、物語においても重要な役割を果たすものとして取り入れています。
とりわけ『夜明け告げるルーのうた』や『きみと、波にのれたら』では、「水」は生と死をつなぐものとして描かれていました。
『夜明け告げるルーのうた』では、終盤にかけて死んだ人間たちが「人魚」として向こう側の世界から現れて、生者と邂逅するという描写が取り入れられました。
一方の『きみと、波にのれたら』では、主人公の最愛の人が亡くなってから、「水」の中に現れて語りかけてくるという設定が持ち込まれました。
今作でも、「水」というモチーフは作品のいたるところに散りばめられています。
まず、災害時においては「飲料水」が生命線となるわけですから、「水」は命を持続するために欠かせないものとなりますよね。
第2話では、家族で移動を始めた歩が弱っている老人にペットボトルの水を手渡すシーンがあったのが印象的でした。
しかし、同時に「水」は命を奪うモチーフとしても描かれていて、とりわけ春生やマリは「水」によって命を落としたわけですよ。
第9話では、「人間は水から生まれたのに、水の中では生きられないんだ。」というカイトの心の叫びが吐露されていましたが、まさしく「水」というモチーフは「生」と「死」の両面性を持っています。
第8話を見ていると、明らかに映画『ライフオブパイ』のオマージュだろと思わせるような、歩と剛の漂流記が描かれましたが、そこで「水」の中から死んだはずの父が現れる一幕がありました。
これは、まさしく生きている歩と剛の意識が「水」を媒介として死の側にいる父親と繋がりを感じていることを端的に表した描写と言えるでしょう。
そして、最終回の「8年後」の映像の一幕に成長した剛がプールの中で目を閉じているものがありました。
これは、おそらくですが日本で亡くなった家族や大切な人たちのことを思い出しているのだと思います。
日本の沈没により、彼らにとっての大切な人は水の底へと沈んでしまいました。だからこそ「水」を通じて、死の側にいる大切な人たちとのスピリチュアルなつながりを感じることができるのではないでしょうか。
少し時系列的には遡りますが、第5話の終盤に、マリに散髪をしてもらっている歩が泣きじゃくるシーンがありました。
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「涙」というモチーフも思えば、「水」であるわけですが、泣くという行為は生者が死者を思って為された行為であって、そこには生と死の繋がりが内包されているんですよ。
思えば、「日本が沈没する」という設定そのものが、これまで湯浅政明監督が描いてきた世界観を体現しているようにすら感じられます。
「水」の底に沈んだ日本とは、言わば「死」の国であるわけで、そこにはたくさんの人たちの亡骸や生活の残骸が物理的に残されています。
しかし、人間の精神的な世界から捉えるとするならば、そんな「水」に沈んだ日本には、大切な人たちとの「生」きた思い出が詰まっているわけで、それらは消えることはありません。
だからこそ「日本沈没」という設定に、湯浅政明監督は、物理的な「死」とスピリチュアルな「生」を同居させたのでしょう。
「人間は水から生まれたのに、水の中では生きられないんだ。」
このセリフは、本作をラストまで見た後だと少し訂正したくなりますね。
確かに人間は物理的に「水」の中では生きることができません。それでも「水」の中に沈んでしまったとしても、そこにあった大切なものたちは確かに「生」き続けるんですよ。
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今作を「水」ないし「生」と「死」のリンク・同居という視点から捉えると、湯浅政明監督がこれまでの作品でも描こうとしてきたメッセージとアニメ『日本沈没2020』が強く結びついていることが分かりますね。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回はアニメ『日本沈没2020』についてお話してきました。
ただ、そんなシリアスな展開の中に、サイケな映像やモーションの力強さが感じられるようなシーンを点在させており、常に絶望と共にそれと同値の希望を描こうとする姿勢が垣間見えました。
また、「水」というモチーフで作品を読み解いた時に、湯浅政明監督がこれまでの作品で描いてきたこととアニメ『日本沈没2020』が繋がっていると気がついた時には、ハッとさせられましたね。
全10話ですので、一気に鑑賞できるボリュームだと思いますし、ぜひこの機会にご覧になっていただきたいシリーズです。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。