みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね旧作映画について語っていくということで、『遠い空の向こうに』という作品についてお話してみようと思います。
映画を見るたびに思うのですが、やっぱりプロットや社会情勢・構造の組み込み方が本当に完璧すぎて、惚れ惚れするような出来栄えだと思います。
前半で積み上げられた軋轢や苦悩、葛藤が後半になるにつれて、1つの線で繋がっていき、それがロケットという空に向かって真っすぐ飛んでいく1つのモチーフに交錯していくという全体の構成は完璧と言う他ないのです。
この作品は、主人公でもあるホーマー・ヒッカムの自伝小説『ロケットボーイズ』を原作としています。
この小説が発売されたのが、1998年で、映画化されたのが1999年ということですが、劇中で扱われている年代は1950~60年代頃ということになりますね。
劇中に登場した世界初の人工衛星であるスプートニク1号が打ち上げられたのが、1957年の10月4日ですので、基本的な時代設定はこのあたりでしょう。
そして、後程お話しますが、こういった時代背景も物語にしっかりと組み込まれていて、言わば「アメリカという国」の物語という側面も透けて見えるようになっています。
さて、今回はそんな映画『遠い空の向こうに』について自分なりに感じたことや考えたことを綴っていきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『遠い空の向こうに』
あらすじ
1957年の10月、スプートニク1号の打ち上げのニュースを見たホーマー・ヒッカム。
ニュースを見た時は対して興味を示さなかった彼だが、夜空に煌々と輝きながら地球の軌道上を周回する衛星を見た瞬間に、自分も宇宙を目指すのだと漠然と決意する。
彼は、早速親友のロイ・リーとオデルに声をかけて、自宅の庭でロケット花火を使って打ち上げを試みるが、思いっきり暴発させてしまい、自宅の柵を破壊してしまう。
自分の知識ではロケットの打ち上げは難しいと判断した彼は、クラスで変人扱いされていたクエンティンという少年に声をかける。
クエンティンの知識によって、徐々にロケットは完成していくが、やはり溶接や材料の面で子どもだけではどうしようもない部分が出てくる。
ホーマーは、父の勤める炭鉱で働くバイコフスキーという男性に、溶接の面で協力をしてもらい、何とかロケットを完成させる。
しかし、材料の面でも子どもたちが用意できるものではどうしようもなく、ボールデンという男性に協力してもらい、何とか発射時の熱に耐えうる金属を手に入れる。
そうして試行錯誤を重ねたホーマーたちは、何とか打ち上げに成功し、科学オリンピックへの出場が現実味を帯びてくる。
そんな矢先に、彼が飛ばしたロケットが大規模な森林火災の原因になったというニュースが飛び込んでくるのだが…。
スタッフ・キャスト
- 監督:ジョー・ジョンストン
- 原作:ホーマー・ヒッカム・Jr.
- 脚本:ルイス・コリック
- 撮影:フレッド・マーフィ
- 編集:ロバート・ダルバ
- 音楽:マーク・アイシャム
ジョー・ジョンストン監督の映画として一番有名なのは、やはり『ジュマンジ』だと思います。非常にファンが多く、最近もリブートシリーズが人気を博していますよね。
その一方で、彼が注目されるようになったのは、その前に作られた『ロケッティア』という作品なんですよ。
この作品は、今でもコアなファンが多く、語り継がれている作品ですよね。
そして『ロケッティア』と『ジュマンジ』に続いて手掛けたのが、今作『遠い空の向こうに』であるわけですが、こちらも非常に高評価でした。
その後『ジュラシックパーク3』や『キャプテンアメリカ ファーストアベンジャー』など大作映画を手掛けるようになっていくのですが、そこからはちょっとパッとしない印象です。
2018年に公開された『くるみ割り人形と秘密の王国』でも共同監督になっていましたが、残念な出来栄えでした。
初期作品の頃の粗削りながらも力と勢いに溢れていた作品たちを思うと、近年手掛けた大作はどれも今一つな印象を受けてしまうのですが、それでも当ブログ管理人としては大好きな監督の1人です。
脚本には『ビヨンド the シー 夢見るように歌えば』のルイス・コリックが起用されていますね。
撮影には、『ダンス・ウィズ・ミー』や『告発』のフレッド・マーフィが、編集にはジョー・ジョンストン監督作品ではお馴染みのロバート・ダルバがクレジットされています。
また、劇伴音楽を『ハートブルー』や『クラッシュ』のマーク・アイシャムが手がけています。
- ホーマー・ヒッカム:ジェイク・ギレンホール
- ジョン・ヒッカム:クリス・クーパー
- クエンティン・ウィルソン:クリス・オーウェン
- ライリー先生:ローラ・ダーン
- ロイ・リー・クック:ウィリアム・リー・スコット
- エルシー・ヒッカム:ナタリー・キャナーデイ
- ビコフスキー:エリヤ・バスキン
今やサイコな役が世界一似合う俳優みたいなポジションに辿り着いたジェイク・ギレンホールですが、今作の演技は本当に純真ですよね。
キャリア初期も初期の出演作ですが、今作の時点でも役者として大成する予感を漂わせる名演を披露しているのは印象的です。
主人公の父親役には、『アメリカン・ビューティー』のクリス・クーパーが起用されており、頑固ながらも息子を大切に思う気持ちを表現しています。
加えて、昨年のアカデミー賞にて『マリッジストーリー』で助演女優賞を獲得したローラ・ダーンが主人公の担任教師役として出演しているのも記憶に残っています。
当ブログ管理人は「ローラ・ダーン」と聞くと、真っ先にこの映画が思い浮かびますね。
『遠い空の向こうに』感想・解説(ネタバレあり)
やっぱりこのセリフが好き!
大好きな映画の1本である『遠い空の向こうに』を見返していますが、やっぱりこのセリフが好き。
The coal mine’s your life.
It’s not mine. pic.twitter.com/gGY7Oe9pWj— ナガ@映画垢🐇 (@club_typhoon) July 20, 2020
主人公のホーマーは、父のために自分も炭鉱で働き始めるのですが、やはりロケットへの夢をあきらめきれません。
そして、担任だったライリー先生に激励されたことで、情熱を取り戻し、再びロケットの開発をスタートさせます。
そんな姿を見た父のジョンは当然、失望しますよね。
自分の後継者となって、コールウッドの町を支える存在になってくれるはずだと思っていた息子が、その道を踏み外そうとしているわけですから。
そのため、ジョンは何とかしてホーマーを炭鉱労働者の道へと繋ぎ止めようとするのですが、この時にホーマーが発したのがこのセリフです。
The coal mine‘s your life.
It’s not mine.
(映画『遠い空の向こうに』より)
このセリフを端的に説明すると、ある種の「掛詞」のようになっているんですよ。
「mine」という言葉には、学校でも習う「私のもの」という所有代名詞としての意味がありますが、その一方で「鉱山」という意味もあります。
つまりこの場面では「炭坑はあなたの人生だ。わたしのではない。」と言っているわけで、そこに「mine」という単語を違う意味で忍ばせることで「響き」を強調しているのです。
洋画を見ていると、ついつい日本語字幕を追って、満足してしまうのですが、原語のニュアンスやセリフの工夫は、やはり原語を追うことでしか味わえません。
ぜひ、こういった英語の「響き」の美しさにも耳を傾けながら、作品を鑑賞してみてください。
アメリカという国の物語として
記事の冒頭にも書きましたが、今作『遠い空の向こうに』は、1950年代の終わり頃のアメリカを舞台にしています。
本作の舞台となったウエストバージニア州は、今や「ラストベルト」とも呼ばれる重工業地帯の一角をなす場所でもありました。
石炭や鉄鉱石が豊富に産出され、五大湖があるという地理的な条件により水上輸送の便が良く、周辺では重工業と製造業が繁栄したわけです。
19世紀から20世紀初頭にかけて、アメリカの経済を支えてきたのは、間違いなくこの地域であり、本作の舞台であるコールウッドの町の景気が良かったであろうと推察されます。
しかし、この地域は60年代・70年代に入ると、一気に衰退していくこととなります。
世界的な自由貿易の動きが拡大していったことにより、国内での重工業と製造業はコストがかかりすぎるということで、労働力の安い海外へとその中心が移っていくこととなりました。
その結果として、国内ではサービス業であったり、サンベルトやシリコンバレーと呼ばれる新しい製造業の中心が生まれるなど、社会構造が一変していくのです。
『遠い空の向こうに』のラストに、ジョンが勤めていたコールウッドの炭坑が閉鎖されるという場面も描かれていましたが、これはまさしくアメリカの産業構造の変化を感じさせるものです。
そして、劇中でも炭坑の労働条件が悪化したり、鉄鉱石の産出量が減ったりという苦しい事情がたびたびインサートされていましたが、これらの情報が本作が描く時代が「アメリカの産業構造変化の前夜」であるという側面を強めています。
しかし、それでもアメリカという大国の今の根底にあるのは、劇中でも「鉄がなけりゃ国が滅びる」といった趣旨の発言がありましたが、やはり当時の重工業と製造業なんですよ。
どんどんと衰退してしまい、今や見る影もなくなってしまいましたが、それでもアメリカという国の土台を作ったのは、間違いなく「彼ら」でした。
ロケットという天高く昇っていくモチーフを、アメリカという国に見立てたとしたならば、ロケットそのものが「彼ら」の算出した鉄鉱石で作られているという側面は見逃せません。
そういう意味でも、「彼ら」は「アメリカの父」のような存在であり、アメリカが超大国となっていくための礎を築いたのだという敬意を本作には込めてあるようなそんな印象を受けました。
地の底から空の彼方へと希望を繋ぐ親子の物語
(映画『遠い空の向こうに』より)
この映画を見るたびに思うのですが、『天元突破グレンラガン』って本作にかなり影響を受けているような気がするんですよね。
その穴は、後から続く者の道となる! 倒れていった者の願いと、後から続く者の希望。 二つの思いを、二重螺旋に織り込んで、明日へと続く道を掘る! それが天元突破!
(『天元突破グレンラガン』より引用)
この作品では「ドリル」というモチーフが地の底から天を目指すものとして登場しますが、これが『遠い空の向こうに』のロケットのコンテクストに非常に似ているなと思うんです。
主人公のホーマーは、やはりまだまだ若くて、自分の境遇や周囲の人に反発して、自分だけでも何かできるはずだとそう信じている節がありました。
しかし、ロケットの制作を進めていく中で、自分だけではどうしようもない課題に直面していきます。
そんな時に、彼を支えてくれたのは、親友のロイ・リーとオデルであり、足りない知識を与えてくれたクエンティンでもありました。
もちろん3人だけではなく、折れそうになる心を支えてくれたライリー先生もそうですし、早いうちから彼らの計画を信じてくれたバイコフスキーやボールデンもそうです。
ホーマーは、自分自身ないし自分が打ち上げるロケットがいかに多くの人に支えられているものかということを実感しながら、少しずつ成長していきます。
そんな彼が抱いている最大の反発が、自分に炭坑労働者としての道を望む父であったり、コールウッドという炭坑の町そのものへの反発です。
コールウッドの町で、子どもたちは炭坑労働者になるか、フットボールで大学に行くかの2つの選択肢しか提示されません。
そんな町に、そしてそれを司る父という存在に、ロケットに憧れるホーマーが反発を覚えるのは無理もありませんよね。
ただ、ホーマーがロケットに憧れるとの同等ないしそれ以上に、父のジョンは炭坑やコールウッドの町を大切に思っているんですよ。
しかし、ホーマーは自分が「支えられている」という実感に乏しいために、そんな父の凄みに気づかず、自分は見捨てられているんだとばかり感じてしまうわけです。
ロケットへの憧れがきっかけとなり、すれ違いを深めた2人の親子関係でしたが、それを結び直すきっかけになったのもロケットでしたよね。
父のジョンのプライドを捨てた尽力があって、何とかホーマーは科学オリンピックで優勝することができたわけです。
地の底へと向かい炭坑で鉱石を採掘する父。
空の向こうを目指しロケットの開発に試行錯誤する息子。
しかし、「鉄鉱石」という側面で見ると、地中深くから掘り出された鉄の原石がロケットへと形を変え、天高く昇っていくという構図が見えてきます。
つまり、この作品は地の底で必死に国を支える父と、ロケットでまだ見ぬ世界を目指す息子を「鉄鉱石」というモチーフでもって1つの線で結んでいるのです。
彼らには、お互いのプライドがあり、使命感があり、それは時にぶつかることもあります。
全く違う場所に立ち、全く違う場所を目指している2人ですが、そんな2人が確かに1つの線で結ばれているのだということを本作は鉄鉱石とロケットのリンクになぞらえて表現したわけです。
(映画『遠い空の向こうに』より)
終盤に、コールウッドの町の人たちがホーマーたちが打ち上げたロケットを違う場所から見つめている描写がインサートされます。
明確に言葉にするわけではありませんが、そこにはコールウッドの町の人たちがあのロケットを支えていたのだという確かな事実が見えてみますし、町の人たちの思いを1つの線で結び、それが天高く伸びていくという確かな希望の表出にもなっています。
また、これまで炭坑つまり「下」だけを見て生きてきたコールウッドの町の人たちに空つまり「上」を見せたという意味で、これは彼らが町の人たちに「違った生き方の可能性」を示したとも言えるんですよね。
実話をベースにしているとはいえ、この構図で脚本を完成させた製作陣には賛辞を贈りたいですね。
その穴は、後から続く者の道となる! 倒れていった者の願いと、後から続く者の希望。 コールウッドの町の人たちの思いを、1つのロケットに乗せて、明日へと続く道を描く! それが天元突破!
思えば、ライリー先生が彼らの存在がコールウッドの町の次の子どもたちのためにもなるという発言をしていましたし、そういう意味でも彼らは「後から続く者の道」も作ったんですよね。
『遠い空の向こうに』が大好きな自分が、『天元突破グレンラガン』にドはまりしたのは偶然ではないのかもしれません。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『遠い空の向こうに』についてお話してきました。
少年4人の青春映画と言えば『スタンドバイミー』なんかも有名ですが、当ブログ管理人はやはり『遠い空の向こうに』が好きですね。
何度見ても、そして今見ても全く色褪せることのない名作ですし、自分が父親になる日が来るのであれば、その時にはまた違った感動があるのかななんて思っております。
実話をベースにしているとはいえ、脚本や物語の構成の仕方が「完璧」と評するほかなくて、親子の関係と炭坑労働者とロケットに憧れる息子という対比と連帯の描き方があまりにも見事すぎました。
もし、未見の方がいらっしゃいましたら、ぜひとも見ていただきたいですね。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。