みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『2分の1の魔法』についてお話していこうと思います。
近年のピクサー・アニメーション作品の中でも群を抜いて地味な作風だとは思いますが、個人的には好きな作品でした。
魔法が存在する世界で兄弟が失われた父の半身を蘇らせるべく旅に出るという「どこの鋼の錬金術師?」なあらすじの作品ではあります(笑)
基本的にプロットの面で、この初期設定を超えてくるような展開はありません。誰しもが想像していた範疇に収まる話ではあるでしょう。
しかし、演出の丁寧さや視覚的なワクワク感にあふれた作品であり、真の意味で「子供が楽しめる映画」を追求した1つの形だと思いました。
大人が見ても、子どもの時、近所のちょっと変わったオブジェや通路が冒険の標に見えたあの時の経験が豊かに蘇ってくる感覚があり、懐かしい気持ちになりました。
近年、「大人も楽しめる」ということでディズニー×ピクサーの作品も設定やプロットが少し大人向け寄りになっていく傾向は見られましたが、今作は改めて「子ども向け」にコミットしたシンプルな仕上がりと言えるでしょう。
これは「前進」や「前方へ」という意味を表す言葉ですが、一時的なものではなく「継続性」を強くニュアンスとして含む言葉です。
主人公の兄弟が単に「前進」する物語ではなく、この物語を経て「前進し続けていく」ことが強く示唆されたタイトルになっているわけですね。
『カールじいさんの空飛ぶ家』も現在は『UP』でしたし、ピクサー作品の邦題はかなりアレンジされる傾向があります。
さて、ここからはそんな映画『2分の1の魔法』について個人的に感じたことや考えたことを綴っていきたいと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『2分の1の魔法』
あらすじ
かつて世界は魔法に満ちていたが、時代と共に科学技術が発達し、いつしか魔法は表舞台から姿を消してしまった。
そんな現代の世界の片隅に生きる、兄バーリーと弟イアンの兄弟。
2人は亡くなった父親にもう一度会いたいと願っており、困難に直面するたびに父ならどうしただろうかと考え、自分と偉大な父を比較して苦しんでいた。
イアンが16歳になる誕生日に、亡き父からの贈り物ということで、2人は魔法の杖と不死鳥の石を受け取る。
そしてそこに書かれていた呪文によって魔法を発動し、彼らは亡き父を1日だけ蘇らせようとするのだが、魔法は上手くいかず蘇ったのは父親の下半身だけだった。
何とか全身を復活させて、父と言葉を交わしたいと願った2人は、不死鳥の石を求めて旅に出る。
冒険の最中、2人は困難に直面し、時にぶつかり険悪な空気になるが、お互いの存在を認め合いながら、徐々に前へと進んでいくのだった…。
スタッフ・キャスト
- 監督:ダン・スキャンロン
- 原案:ダン・スキャンロン キース・ブーニン ジェイソン・ヘッドリー
- 脚本:ダン・スキャンロン ジェイソン・ヘッドリー キース・ブーニン
- 編集:キャサリン・アップル
- 撮影:シャロン・カラハン アダム・ハビブ
- 音楽:マイケル・ダナ ジェフ・ダナ
今作の監督を務めたのは、『モンスターズ・ユニバーシティ』のダン・スキャンロンですね。
ディズニー×ピクサー作品でストーリーボード等の担当をしつつ、短編映画を製作し評価を高め、『モンスターズ・ユニバーシティ』でついに長編の監督に抜擢されました。
個人的には、『モンスターズ・ユニバーシティ』はやはり1作目が傑作すぎることもあり、それほど気に入っていないのですが、今回の『2分の1の魔法』はアニメーション的にも見応えありでしたね。
ちなみに原案・脚本にもダン・スキャンロンがクレジットされています。
撮影には『トイストーリー2』や『ファインディングニモ』で知られるシャロン・カラハンが名を連ねており、アニメーションの構図やダイナミズムも素晴らしいので、注目してください。
劇伴音楽を『ライフオブパイ』や『500日のサマー』のマイケル・ダナとジェフ・ダナが手がけました。
- イアン:トム・ホランド
- バーリー:クリス・プラット
- ローレル:ジュリア・ルイス=ドレイファス
- コーリー:オクタビア・スペンサー
主人公のイアンを演じたのはMCU版スパイダーマンで知られるトム・ホランドです。近年一気に注目度が上がり、様々な作品に出演しております。
ちなみに彼は『借りぐらしのアリエッティ』の翔役の英語版吹き替えを担当していることでも知られています。
イアンの兄であるバーリーを演じたのは、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の主人公を演じるクリス・プラットですね。
彼も『レゴムービー』での声優経験があるようですね。
その他にもジュリア・ルイス=ドレイファスやオクタビア・スペンサーなど脇を固める声優陣も非常に豪華な顔ぶれですね。
『2分の1の魔法』感想・解説(ネタバレあり)
ミニマルな物語は監督のパーソナル経験に起因?
本作で印象的なのは、主人公のイアンが亡き父の声が録音されたカセットテープを聴く冒頭のシーンでしょう。
今作の監督ダン・スキャンロンは、このプロットが自分の個人的な経験から生まれたものだとインタビューで語っています。
“The story is inspired by my own relationship with my brother and our connection with our dad who passed away when I was about a year old. He’s always been a mystery to us. A family member sent us a tape recording of him saying just two words: ‘hello’ and ‘goodbye.’ Two words. But to my brother and me—it was magic.”
(How Pixar’s ‘Onward’ and Its Suburban Fantasy World Grew Together from a Seed of Truth)
要約すると、監督は1歳の時に父親を亡くしており、それ以来兄弟で生きてきたわけで、だからこそ父親の記憶がほとんどなく謎に包まれた存在だったということが書かれています。
それ故に、彼が唯一父との繋がりを感じられたのが、父の肉声が録音されたテープであり、そこには「hello」や「goodbye」くらいしか残されていなかったのだとか。
冒頭のシーンは、まさしくそんな監督の個人的な経験から生まれているのですね。
そんな風にして生まれた作品なのだと考えると、ラストが余計に感動するような気がします。
なぜなら、今作が監督から自分の兄に向けた感謝の手紙のような映画であり、そして自分ではなく兄が父と再会してくれることの方をより強く望むという兄弟愛に満ちた作品だと感じられるからです。
映画というものは、しばしば作り手のパーソナルな経験に裏打ちされているものですが、そういった背景を知った上で見ると、深みが増しますね。
何気ない路地が冒険の標に見えたあの頃が鮮明に蘇る!
(C)2020 Disney/Pixar. All Rights Reserved.
今作が真に子ども目線の映画だと感じたのは、当ブログ管理人が子どもだった頃の記憶を鮮明に蘇らせてくれたからなのだと思います。
皆さんは、子どもの頃自分が最強の魔法使いで世界を股に掛けた冒険をするなんて妄想をしたことはありませんか?
そして、幼稚園や小学校からの帰り道の入り組んだ路地がダンジョンに思えてきたり、不思議なオブジェが冒険の標に見えてきたりした経験はありませんか?
子どもの時に誰もが一度はそういった自分の想像力と創造性で現実世界を再構築・再解釈するという作業をしたことがあると思うんですよね。
大人になると、そうした路地がただの道でしかないことは簡単に理解できてしまいますし、不思議なオブジェはどこかの誰かが作ったアート作品なのだろうと特に不思議に思うことなく通り過ぎてしまうことでしょう。
だからこそ、そうした自分の目に見える世界をワクワクする冒険の舞台へと書き換えるという作業ができるのは、ある種の子どもの特権なのです。
『2分の1の魔法』という作品は、冒険を描いた物語なのですが、そこで描かれる世界がすごく閉じていて、狭いものになっているのが特徴的です。
最初はファンタジー世界を思わせるような地図を辿って、兄バーリーと弟イアンの旅が続いていくのですが、その冒険の果てに辿り着くのは、彼らが通っている学校なんですよね。
そして冒険の標が指し示す「不死鳥の石」の隠し場所は、彼らの通学路に置かれている取り壊し寸前のオブジェなのです。
このオブジェはかつて紺添え会が魔法に溢れていたことの象徴でもありますが、同時に彼らの通う学校のすぐ近くに置かれている、言わばイアンたちの「日常の風景」なんですよ。
それが、冒険のキーであり、そしてそこから石が発見されると共に、封印されていたドラゴンが蘇るという如何にも子どもの想像の世界のような展開が具現化していきます。
つまり、本作はそうした何気ない日常の風景にも冒険のヒントが隠されているという子どもたちの想像力を大いに刺激する作品に仕上がっているわけですよ。
大人はそれはただのアート作品だよ!と笑うかもしれません。それでも君たちは不思議なオブジェが冒険の標に見えたその豊かな想像力を持ち続けて欲しいというピクサーからのメッセージを強く感じました。
『ハリーポッター』の著者であるJ・K・ローリングがハーバード大学の卒業スピーチでこんなことを述べていました。
We do not need magic to change the world, we carry all the power we need inside ourselves already: we have the power to imagine better.
この言葉を簡単に訳してみると、「私たちが世界を変えるのに魔法は必要ありません。私たちは既にそのために必要な全ての力を秘めているのです。私たちはより良い世界を想像する力を持っているのです。」となるでしょうか。
ファンタジー世界における魔法が私たちに備わっていなくとも、私たちは想像力で世界をより良いものにしてくことができるというメッセージになっていますね。
本作『2分の1の魔法』は魔法が失われた世界を舞台にしていましたが、それは言い換えるなれば「想像力が失われた世界」なのではないでしょうか。
「想像力」は人間の文明を発達させてきた原動力でもあります。
だからこそ、これからを生きる子どもたちに「想像力」を大切に生きて欲しいという願いが『2分の1の魔法』からは強く感じられましたね。
アクションシーンはかなり見応えがある!
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ピクサー作品はやはりその美しく、そしてダイナミックなアニメーションが魅力の1つです。
そして今作『2分の1の魔法』に関して言うなれば、やはり終盤の瓦礫のドラゴンとのバトルシーンのアクションが圧巻でした。
まず、瓦礫の寄せ集めで身体を構築しているというルッキズムが完全にロマンの塊ですよね。
そして戦闘シーンにしても、コーリーとドラゴンのフライとチェイス、伝説の剣を持ったイアンの母親とドラゴンと地上戦、イアンとドラゴンの魔法バトルなどバリエーションに富んでいます。
また、設定的に言うなれば、瓦礫に覆われたドラゴンのコアを壊せば勝利という設定が如何にも子どもの想像しそうな世界観なんですよね。
こういった細かいところで、童心をくすぐる工夫が為されていたと思いますし、それ故に大人も楽しめるアニメーションになっていたはずです。
最後の、魔法で剣をぶっ飛ばす戦い方なんて本当にロマンの塊ですし、見ていて「ありがとうございます!」という気持ちでしたよ(笑)
その他のシーンで言うと、本作は「見えないものを信じる」ということを全編に渡って大切にしていた印象を受けました。
特に、イアンが魔法の力で橋のかかっていない谷間を渡り切るシーンは、本作を象徴するシーンだったと言えるでしょう。
普通に考えれば、そこには何もないわけですが、想像力の力で「自分は渡れる」「そこには足場がある」と信じることで彼は前に進むことができるのです。
この時のアニメーション表現を見て欲しいのですが、最初の1歩を踏み出す瞬間の足の震えの細かさやそこからの「なるようになれ!」という思いきりからのある種の脱力に至るまで非常に豊かな表現が為されています。
イアンが1歩を踏み出すまでの異常なまでの緊張感がしっかりと表現されることにより、その後のシーンで彼が呑気に笑いながら前へと進んでいく描写との対比が際立ちました。
こういった細かなアニメーション表現が浮き上がらせるのは、「最初の1歩」の重要性もあります。
本作のタイトルは「ONWARD」でこれは「前進し続けること」を意味しているわけですが、物体は前に進む力をかけると、その後力を加えずとも前に進み続けますよね。
つまりは、どんなことにおいても最初の1歩が難しいのであり、そこを乗り越えると案外思い通りに進むものなのだということを、ここではアニメーションの緊張と緩和で見事に表現しているわけです。
こういったアニメーションのダイナミックさやディテールの豊かさを見ていると、やはり本作は天下のピクサーが手がけた1本なのだと痛感させられますね。
「隠された父」との再会。その演出の巧さ
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いわゆる「物語のマザータイプ」と呼ばれるプロットラインにおいては、「隠された父」との出会い(再会)が物語の大きな転機として据えられます。
これは『スターウォーズ』シリーズにおいてルーク・スカイウォーカーがダースベイダーという敵と邂逅し、それが「隠された自分の父親」であると悟る展開に代表されますね。
さて、『2分の1の魔法』は予告編からも明かされていた通り、分かりやすく「父親を探す」物語になっています。
父親が早逝し、そんな父の不在のために苦しみ、葛藤を抱えながら成長してきた兄弟が、魔法の力で亡き父と対話しようと試みるのです。
というのも、本作は父と子の物語である一方で、兄弟の物語であるという側面を強く有しているからです。
イアンは確かに父親がいなかったために、困難に直面したときや勇気が出ないときに、父親がいて自分の背中を押してくれたら…という寂しさと悩みを抱えてきました。
ただ、そんな彼をいつだって支えてくれたのは、他でもない兄のバーリーなんですよ。
イアンは心のどこかでバーリーのことを疎ましく思っている節があり、だからこそ嘘をつくと変装の魔法が解ける局面で兄に対する嘲笑的な発言を否定したときに魔法が解けるという事態が起きました。
それでも彼が悩んでいた時に背中を押してくれたのはいつだってバーリーでしたし、助けてくれたのもバーリーでした。
つまり、本作における主人公イアンの「隠された父との再会」というのは、父亡き後、父親の代わりになって自分のことを支え続けてくれたバーリーの存在に気がつくことだったんですよね。
そのことに気がついて、1つずつイアンがTo DOリストを完成させていくシーンは思わず涙がこぼれました。
また、だからこそ父の実体と再会するのは、イアンではなくバーリーである必要があったのだと、作品を通して見ると、その必然性が強く感じられます。
なぜなら、イアンは父親代わりのバーリーに励まされ、背中を押されてきましたが、周囲から「失敗作」のレッテルを貼られる彼は人一倍、父の不在の影響を受けてきたからです。
イアンにはバーリーがいましたが、バーリーには誰もいなかったんですよ。
本作の父と子の再会シーンは実に素晴らしい演出に仕上がっています。
とりわけバーリーが父と再会し、語らっているところを瓦礫の隙間からイアンが覗いているという構図がたまらなく素敵だと思うのです。
イアンは直接父と再会し、話すことはできませんでした。
しかし、彼は自分がバーリーに支えられ、いつだって勇気づけられてきたその温かい気持ちを知っています。
それ故に、彼は父に抱きしめられているバーリーのその温度や心情を「推し量る」ことができるんですよ。
彼が見ているものは見えません。彼が直接父と抱きしめ合えたわけでもありません。
それでも彼は笑顔なのであり、そして幸せな気持ちなのです。
つまり、直接的にイアンは父と再会できていないにもかかわらず、その物理的な壁を想像力が超越し、間接的にその再会を実現するというまさしく映画の魔法のようなシーンになっているわけです。
そして、その後のシーンで父が消えた後に、バーリーがイアンを抱きしめます。
そうして誰かが誰かを支え、勇気づけ、その温度が確かに人から人へ、親から子へ、兄から弟へと伝わっていく様が可視化されました。
こうした「見えないもの」を大切にする物語、主題性、映像表現の一貫性が実現されている点は、流石ピクサーだと思います。
また、映像の温度感がじんわりと見る側の私たちに伝わって来るのも本当に素晴らしいですね。
ディテールの細かな積み重ねがあるからこそ、本作は劇的な展開こそありませんでしたが、十分に良作足り得る1本になったのだと感じます。
ピクサーの「あの説」が今作でも?
ピクサー映画のファンの間でしばしば話題になるのが、『メリダとおそろしの森』がオリジンとなり、作品すべてが1つの世界で繋がっているという都市伝説です。
まあ、ピクサーはある作品のモチーフやアイテムを他の作品にも小ネタとして忍ばせることが多いので、そういったイースターエッグ的な部分から派生して生まれた説ではありますので、正当性はあまりありません。
そして、今作は世界はかつて魔法に満ちていたが、それが時代と共に失われてきてしまったという設定をベースにしており、これがそもそも『メリダとおそろしの森』がオリジンという某説にマッチするところでもあります。
加えて、主人公のイアンの部屋のボードにはカレンダーが飾られていますが、そこには『メリダとおそろしの森』の舞台となった森の写真が映し出されているんですよ。
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そして物語が進んでいくとさらに核心に迫るモチーフが登場します。
(C)2020 Disney/Pixar. All Rights Reserved.
なんと『メリダとおそろしの森』の英題は『Brave』なんですよ。
つまり、このマップの中で森のようなイラストで示され「荒地」と表現されている「The Brave Wilderness」という場所は何らかの形で『メリダとおそろしの森』にゆかりのある場所と考えられるわけです。
こういった細かな部分に注目してみるのも1つの楽しみ方ではないでしょうか?
他にもピクサー作品からの引用小ネタはたくさんありますので、ぜひ画面の隅に目を凝らしながら鑑賞してみてください。
「さよならラセター」を描く近年のピクサー
本作『2分の1の魔法』も含めてですが、近年のピクサー作品は2017年にセクハラ問題でピクサーを去ったジョン・ラセターへ「さよなら」を告げるようなそんな作品が目立ちます。
とりわけ彼の代表作の1つとも言える『トイストーリー』シリーズの4作目があのような結末を迎えたのは、他でもない彼への「さよなら」だったように思いました。
そして今回の『2分の1の魔法』はより一層、そんなメッセージ性を感じさせる作品になっていることは事実です。
まず、今作には明確なヴィランというものが登場しませんよね。クライマックスで登場するドラゴンについても「試練の一環」という位置づけであり、ヴィランとしては扱われていません。
そんなヴィランの不在性には、この作品が、ピクサーがジョン・ラセターを継承し、そして超えていかなければならないというコンテクストを強く感じました。
そもそも今作における「父親=ジョン・ラセター」は本編の大部分で下半身しか登場せず、ラストシーンでもその顔が見えることはほとんどありません。
私はその分母が、ジョン・ラセターという人物の人格と才能(魔法)の2つを表しており、分子の1というのは、そのうちの才能(魔法)の方を指しているのかなと考えています。
劇中で下半身だけなっている父親は、前を見ることはできませんが、それでもダンスをするなどして兄弟を鼓舞します。そこにはジョン・ラセターのユーモアや魔法のようなアニメーションの才能が投影されているのではないでしょうか。
そして物語は、父を完全体として復活させるための冒険へと向かっていくわけですが、最終的に主人公のイアンは完全体となった父と再会することはありません。
そこに感じるのは、ピクサーがこれからもアニメーションを作り続けていく上で、ジョン・ラセターの「魔法」を受け継いでいかなければならないという意志表示と、その一方で人格的な部分を受け継がないという決意でしょう。
また、「魔法」というものが失われることなく、これからも脈々と継承されていくという未来にも言及しています。
「2分の1」という邦題に内包された言葉が象徴するように、人間は誰しも欠けた部分を持っている存在です。
しかし、逆に言えば、だからこそ人は人と寄り添い、支え合うことができるんですよね。
ピクサーが今回の作品で描いたのは、ジョン・ラセターが素晴らしい才能の持ち主であったこと、その一方で天才と言われていた彼もまた不完全な1人の人間だったこと。
その不完全さを受け入れた上で、彼の「魔法」を継承し、これからのピクサーを作っていくのだという確かな決意が息づく作品になっていたと言えるのではないでしょうか。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『2分の1の魔法』についてお話してきました。
どちらかと言うと今作は『アーロと少年』枠くらいの力の入れ具合の作品なのかもしれません。
というのも、おそらく今年の本命は日本でも年末に公開を控えている『ソウルフルワールド』の方でしょう。
予告編から想像できる以上の展開がないのは、少し寂しくはありますが、堅実な作りですし、子どもが楽しめる純粋なエンタメと言えるでしょう。
今年の夏、映画館に見に行く1本としては個人的には『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』よりも推したいですね。
そして、大人の皆さんはぜひ今作を見て、子どもの頃、身の回りの世界が壮大な冒険の舞台に思えたあの感覚が蘇ってくるのを楽しんでください。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。