みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですねアニメ『神様になった日』についてお話していこうと思います。
うん、まあ『Angel Beats』の直後の作品がこれだったら当然のように期待値は上がっていたと思いますが、『Charlotte』を挟んでしまっているので、ほどほどですね。
それはさておき、『天気の子』でもってジャンル的にひと段落したのではと思われる「セカイ系」のコンテクストで、真打たる麻枝准さんが「原点回帰」を図るということで一体どんな作品になるのか楽しみではあります。
公式サイトではすでにそのトップ画像として2つのビジュアルが用意されていました。
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
パッと見た感じでは『リトルバスターズ』を思わせるような友情ものの香りがします。
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
主人公のひなと天才ハッカーの鈴木央人の2人が背中合わせで立っているものとなっております。
『Angel Beats』も『Charlotte』も基本的に普通の学園もの的な展開からスタートさせて、途中で世界の構造をひっくり返し、物語を転調させるというのがお決まりでした。
ですので、今作『神様になった日』についても、そういった作品の構成になって来ることは間違いないでしょう。
ざっとキャラクターや事前情報を見ていて、個人的に思ったのは、世界そのものがプログラムという『Hello World』系の世界観だったりするのかなと考えておりました。
ひなが作られたゲームの世界の「神」のような存在であり、その他のキャラクターたちはゲーム内のデータに過ぎず、そして鈴木央人はそのハッキングに関わっているなんて展開になったりして…と妄想を膨らませていた次第です。
当ブログ管理人はP.A.WORKS作品については基本的に追いかけてきましたので、今回も当然鑑賞します。
毎週放送後に少しずつ追記をしながら、自分なりの考察を完成させていただく予定です。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら放送終了までお付き合いください。
『神様になった日』
あらすじ
第1話
陽太は、夏のある日、「全知全能の神オーディン」を名乗る少女ひなと出会う。
突然バスケをしたいと言い出す彼女、図書館への用事についてくる彼女。
その中で、ひなは降り出す雨や突然の渋滞を予測し、見事に言い当てて見せる。
さらに、訪れたラーメン屋のテレビから流れる競馬放送を見て、当たり馬を全て的中させるという人智を超越した技を見せつけ、陽太は彼女の力が本物だと確信する。
ひなはそんな陽太の家で居候することになるのだが…?
第2話
陽太は、「全知全能の神オーディン」を名乗る少女ひなを自宅に居候させることとなる。
両親が反対してくれると踏んでいたが、2人は彼女を歓迎する。
「こんな日が来るなんて…。」「できる限りのことはしてあげよう。」
翌日、ひなは再び陽太と伊座並を恋人同士にするための作戦に取り掛かる。
それは陽太の妹である空の自主映画撮影計画にかこつけて彼女に告白をするというものだったのだが…。
第3話
陽太の妹である空が倒れた日。その原因は映画研の先輩である神宮寺ひかりが経営するラーメン屋の営業不振により、借金の取り立てに遭っていたことだった。
何とかして彼女の経営する店の状況を改善すべく、陽太はラーメン屋の経営改善請負人としてひなの指示を受けながら、店の指導を開始する。
その結果、ラーメン屋はわずか数日にして人気店へと変貌するのだった。
一方で、どこかの街では鈴木央人が日本へと久しぶりに帰国し、何か重要な任務を言い渡されていた…。
第4話
鈴木央人の調査により、CEOは浅間博士という言語学の重鎮であり、興梠博士と関わりの深い人物とコンタクトを取る。
興梠博士は、何を研究していたのか、それは「愛」だったという。
彼は、かつて「愛」というものを可視化・数値化してみたいと語っていた。
そして、浅間博士は彼が「愛」についての研究をしていたのは、家族にそうしてあげたい人がいたからなのだと推察した。
その頃、陽太はひなの計らいもあり、麻雀大会に出場することとなるのだが…。
第5話
陽太が好意を寄せている女性でもある伊座並は、ここのところ父親との関係が上手くいっていない様だった。
彼女の母親は、伊座並が幼い頃に他界しており、父も最愛の人の死から抜け出せないでいるのだ。
仕事も翻訳業ということもあり、自宅に籠りっきりであり、外に出ようともしない。彼女はそんな父の身を案じているのである。
それを聞きつけた陽太は、ひなと協力して彼女の父親を外に連れ出そうと画策するのだが…。
第6話
陽太の暮らす街で、夏祭りが開催されることとなった。
ひなはこのイベントに絶対に参加したいと懇願し、陽太にこれまでに携わってきた仲間たちを集めるよう指示する。
しぶしぶ仲間たちと連絡を取り、そこには阿修羅や伊座並たちだけでなく、天願賀子まで駆けつける。
陽太たちは夏祭りを堪能するのだが、そこであるトラブルが起き、ひなにピンチが訪れて…。
第7話
ついに映画研究会に所属している陽太の妹である空の脚本が完成する。
妹を溺愛する彼は、彼女の撮影に何とか協力してあげたいと思い、再び仲間たちを招集する。
空が書いた脚本は、ファンタジーであり、世界を救う力をもっった少女とその幼馴染の少年の物語ということであった。
主人公をひなが、その幼馴染である少年を陽太が演じることになり、撮影は賑やかに進行していく。
しかし、その頃鈴木央人が興梠博士の秘密を探っており…。
第8話
映画撮影は順調に進み、夏休みも残りわずかに。
ある日、陽太は以前から気になっていたひなの両親のことについて、意を決して尋ねることにした。
ひなは自分の父親は生きているが、既に別の家族を持っていて、幸せに暮らしているのだと告げる。
彼女は会うことに乗り気ではない様子だったが、陽太の提案もあり、2人は父親に会いに行くことを決める。
第9話
興梠博士の目的を突き止めた央人だったが、その研究の詳細まではつかめなかった。
それでも何とか真相を探り、ひなの頭の中に高度な人工知能が内蔵されていることに気がつく。
一方で、陽太たちは映画撮影を続けており、いよいよ撮影も終盤に差し掛かろうとしていた。
そんな時、ひなは央人からのコンタクトで、自分に危機が迫っていることを知る。
そして自分が予感していた「世界の終わり」が何だったのかをようやく悟るのだった…。
第10話
ひなが連れていかれ、世界の意思決定機関により、その高度なAIを取り除かれてから…。
陽太たちは彼女のことを頭の片隅に残しながらも、新学期を迎え、受験勉強に忙殺される日々を送っていた。
そんな彼らの前に、央人が転入生として入って来ることとなる。
そして、彼は、陽太たちにひなとの思い出を追体験させるのだった…。
少しずつ思い出していくひなのこと。
忘れてはいけない大切な人。
陽太は何とかして彼女を取り戻そうと行動を開始するのだが…。
第11話
央人の計らいでひなが療養している施設へと入りこんだ陽太。
しかし、もはやまともにコミュニケーションを取ることも難しい変わり果てたひなの姿に困惑する。
それでも、あの思い出はきっと覚えててくれていると信じ、陽太はあの手この手で彼女との交流を続ける。
ただ、彼がひなと過ごせる時間には限りがあった。
彼が経歴や身分を捏造して、施設へと入り込んでいたことが明るみに出てしまい…。
第12話
陽太は施設でのひなの担当者である司波にすぐに研究所を対処するように求められる。
しかし、彼は頼み込み、何とか彼女と一緒にあと1日一緒に過ごすことを認めてもらうのだった。
いつもと同じように、ご飯を食べさせ、ゲームをし、話しかける。
そんな時間の中で、少しずつひなは、あの夏の記憶を取り戻し始めるのだった…。
スタッフ・キャスト
- 原作・脚本:麻枝 准
- 監督:浅井義之
- キャラクター原案:Na-Ga
- キャラクターデザイン・総作画監督:仁井 学
- 美術監督:鈴木くるみ
- 撮影監督:梶原幸代
- 色彩設計:中野尚美
- 3D監督:鈴木晴輝
- 編集:髙橋 歩
- 音響監督:飯田里樹
- 音楽:MANYO・麻枝 准
- アニメーション制作:P.A.WORKS
原作・脚本を務めるのはもちろん麻枝准さんで、今回監督に抜擢されたのは『Charlotte』や『Fate/Apocrypha』で知られる浅井義之さんですね。
キャラクター原案には、毎度おなじみのNa-Gaさんが起用されている一方で、キャラクターデザイン・作画監督には、仁井 学さんが起用されています。
彼は『キャロル&チューズデイ』や『NEW GAME!』などでの作画監督の経験を活かすつもりです。
仁井 学さんはTwitterで『響け!ユーフォニアム』シリーズのイラストなんかを上げていて、それがまた非常に魅力的なんですよね…。
美術監督には『色づく世界の明日から』の鈴木くるみさんが起用されていて、ここは『Charlotte』の東地和生さんではないようです。ただ、『色づく世界の明日から』も背景美術等が美麗でしたので、期待大です。
編集には『花咲くいろは』や『SHIROBAKO』などのP.A.WORKSの名作を手掛けてきた髙橋 歩さんです。
劇伴音楽を、数々のゲーム音楽を手掛けてきたMANYOさんとこちらも麻枝 准さんが担当します。
- ひな:佐倉綾音
- 成神陽太:花江夏樹
- 伊座並杏子:石川由依
- 国宝阿修羅:木村良平
- 成神 空:桑原由気
- 神宮司ひかり:照井春佳
- 天願賀子:嶋村 侑
- 鈴木央人:重松千晴
- CEO:井上喜久子
まず、主人公のひなを演じるのは、佐倉綾音さんですね。第1話は麻枝 准さん印の怒涛のギャグ&ツッコミスタイルだったので、ハイテンションっぷりが似合ってましたね。
陽太役には、花江夏樹さんが起用されています。個人的に花江夏樹さんと言えば『TARI TARI』のイメージが強いので、P.A.WORKS作品にこうして出演しているのが何とも懐かしい気持ちになります。
他にもヒロインの1人である伊座並杏子役には『ヴァイオレットエヴァーガーデン』などで知られる石川由依さんが起用されていますね。
他にも木村良平さん、桑原由気さん、照井春佳さんら注目のキャスト陣が目立ちます。
このキャスト陣の演技を見ているだけでも満たされる2時間18分ではないでしょうか。
『神様になった日』解説・考察(ネタバレあり)
やはり麻枝印のループものか?
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
やはり麻枝作品となると、当然視聴者が期待してしまうのは、ループものですよね。
『AIR』や『リトルバスターズ』などの彼が手掛けたゲーム、そしてアニメ前作に当たる『Charlotte』もループの要素が強い作品でした。
今作『神様になった日』も第1話の冒頭でひなのこんなモノローグが挿入されていました。
「そうじゃのぉ。何もかもが新鮮であった。毎日がキラキラしておった。たくさんの宝石を詰めた宝箱のような思い出となった。」
(『神様になった日』第1話より引用)
この冒頭のシーンは、全てが終わった後のシーンなのか、はたまた新しいループの始まりを示唆するシーンなのかと言ったところですね。
そして劇中では、ひながある種の未来予知をしていく描写が多く散りばめられているのですが、ここで重要な点があります。
まず、雨が降ることや渋滞が起きること、そして競馬の勝ち馬を当てる場面では、彼女の予測は全て的中していました。
しかし、野球の場面では存在しない「5球目」の弱いストレートを予言しており、これは彼女の予言が外れた、もしく陽太に三振をさせて、杏子に告白させ、フラれるところまでが予定調和だったのか…。
ただ、このシーンはループものにおける「自由意思」や「不確定要素」の存在を仄めかすシーンでもあり、重要ではあると思います。
また、第1話のラストでは、ひなのことを聞いた主人公の母親がハッと驚くシーンがあるので、おそらく母親は何らかの事情を知っているということなのでしょうね。
これらの要素がループものであることを強く仄めかしているわけですが、母親が事情を知っているとなると、そのループに巻き込まれている人間の範囲がどのあたりまでなのかも何となく気になります。
基本的に麻枝作品では、前作の『Charlotte』もそうでしたが、主人公が主体となってループの脱却を目指す方向に物語が進行していきます。
タイトルが『神様になった日』であり、主人公が「成神陽太」という名前ですから、何となく彼が後に「神になる」という展開は想起させられます。
本作ではひなが北欧神話の戦争と死の神「オーディン」を名乗り、ヒロインには日本の古事記などに登場する「イザナミ」の名前がつけられていますよね。
一方の主人公の名前には、「成神陽太」と具体的な神の名前は入っていません。しかし「陽」という文字が入っていることから太陽神に関係しているのではないかということが何となく予見されます。
ちなみに第1話の最後に「世界が終わるまであと30日」という表示が為されていましたが、この「30日」が何を指しているのだろうと考えてみました。
キリがいいからというだけかもしれませんが、1つ思ったのは、これって太陽に照らされる月が満月から新月に至り、再び満月に戻って来るまでの期間を指していて、これもループになっているんですよね。
よくよく考えると、「ひな」という名前も漢字にすると「陽」や「日」という字になる可能性を内包しています。(エンドクレジットでは「ひな」表記なのでひらがなが本名だと思われますが)
ちなみに今作のPVにおけるタイトルロゴを見ると、『神様になった日』の「日」の文字が崩壊していく演出が施されていました。
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
人間の世界における「1か月」は太陽に照らされる月の満ち欠けの周期によって規定されています。
そう考えると、今作のメインキャラクター2人の名前に「太陽」を思わせる「陽」「日」の字が関連していて、世界が終わるまでの時間が「30日=1か月」となっているのも偶然ではないのかもしれないと思えてきました。
本作のPVでも金魚とひなをリンクさせるような描き方が何か所かありましたが、金魚はしばしば女性のメタファーであると言われます。
代表的な小説は、やはり室生犀星が著した『蜜のあはれ』でしょうね。
この作品では、主人公の老作家と金魚(その化身の女性)が共に暮らし、情を交わすという何とも奇怪な展開が描かれています。またこの『蜜のあはれ』では、金魚の命の短さや儚さも強調されています。
また『蜜のあはれ』の最大の特徴は人間の女性と金魚の境界線を極めて曖昧に描いている点だとされています。映画ではそこは明確になってしまっていますが、小説だとここがすごく活きていました。
そう思うと、本作のひなというキャラクターには、少女性と神性をその境界を曖昧にして有するキャラクター性であり、同時に何らかの原因で消えることが宿命づけられた儚さを持っているのだということも透けて見えるのかもしれません。
OPの映像と歌詞の注目ポイント
『Charlotte』はかなり直接的に意味深なOP映像だったのですが、今回の『神様になった日』は割と日常的な側面を映し出しているので、ヒントになる情報は少ないのかなという印象を受けました。
ただ、気になる点はいくつかありますので、挙げていこうと思います。
まず、歌詞についてですが、「君と同じ世界を見る 君と同じ時を刻む(それはどうか許されるか)」というところは妙に引っかかりますね。
その直後のOP映像を確認しておきましょう。
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
何気ない日常の風景かと思われますが、注目したいのは2人が「別々の道(線)の上」を歩いていることです。
同じ時を刻んでいるけれども、もしかすると2人は「違うレイヤー」からやって来た本来であれば、交わらない存在なのかもしれない。それが表現されているのがこのシーンかもしれません。
その後のシーンでは2人は同じ道(線)の上を歩く描写に切り替わるので、ここはすごく意味深ですね。
そこからは日常の描写が眩しく描かれていくのですが、サビに入るあたりで、このOP冒頭の映像に呼応するような映像が使われています。
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
このシーンでは主人公が乗ったバイクが橋の右側から左側へと走り抜けていきます。直前の歌詞は「眩しさに目覚めた朝は 君の足跡を追いかけた」でした。
つまり、主人公たちが消えてしまったひなを探しているとも解釈できるわけですが、この直後に映像には微妙に彼女の姿が映りこんでいます。
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
はい、橋の上ではなく、橋とは道(線)を隔てた場所に彼女は立っています。
つまり、主人公たちがあの橋のある道(線)の上を探し続けたとしてもそれは「交わらない」運命を示しているのではないでしょうか。
この2つのシーンが示している、主人公とひなの存在している「線」の違いが個人的には最も印象に残りました。
そして、このOP映像の最期のシーンですが、テレビゲーム端末が陽光に照らされながら映し出されています。
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
この後に自分なりの本作の展開への見通しを書かせていただきましたが、その過程がある程度当たっているとしたら、ここでゲーム機端末が映っているのも意味があるのかもしれません。
ちなみに第2話では主人公とひながこのゲーム機端末で遊ぶシーンがありましたね。
「神話」という言葉が曲名に含まれており、さらに主人公サイドのキャラクターたちには「神の名前」が付与されています。
そして、それ以外のキャラクターたちには、普通の名前が与えられているわけですが、要はここのコントラストが非常に重要だったんですよね。
今作の第10話以降の物語と言うのは、オルフェウスがエウリュディケ-を冥府から取り戻すが如く、陽太たち=神々が、人間の鈴木央人と協力をして、ひなを取り戻す内容になっていくわけですよ。
これはまさしく彼らの青春譚を神話に準えているんです。
エンディングテーマの歌詞と映像を紐解く
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
『Charlotte』でもOPテーマ、EDテーマ、そしてそれぞれの映像が後の展開に大きな意味を持っていることが明らかになっていき、話題になりました。
第1話では、まだOPが解禁されておらず、EDもスタッフロールのみで映像がなかったので、それほど考察できる幅はありません。ですので、後々映像も含めて…ではありますが、現時点で分かる情報は追っておきたいと思います。
まず、EDのタイトルは「Goodbye Seven Seas」となっております。
「Seven Seas」はラドヤード・キップリングの1896年の詩「七つの海 (The Seven Seas)」で有名になった言葉とされていて、要は「全世界」を表す言葉なんですね。
ちなみにの詩集の最後には、「When Earth’s last picture is painted and the tubes are twisted and dried,」という書き出しから始まるハルマゲドン的な無題の詩が掲載されていました。
まあ、これは余談としまして、「Goodbye Seven Seas」というタイトルはその点で「さよなら世界」的な意味合いだと考えていただけると分かりやすいでしょう。
- 「ゲームみたいにリセットで、はじめからやり直せたら…」
- 「ハローグッバイ」
- 「少年から旅立つ」
まず、1つ目は完全に「ループもの」を予見させる歌詞ですよね。ただ重要なのは「ゲーム」というところでしょうか。
本作のキャラクター設定を見ていると、強大なIT企業やハッカーの存在が明らかになっていて、もしかすると、今作の世界は『ガラスの花と壊す世界』や『Hello World!』のようなデータであるという可能性も否定できません。
後に登場するであろうキャラクターの鈴木が本作のPVの中で手につけていたアイテムがどこか『Hello World!』の「グッドデザイン」を思わせるのも、偶然ではないかもしれません。
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
彼は何らかの形で、本作の世界や「神」をいう存在そのものを「書き換え」ていく立ち回りをするのではないかと現時点の情報からは推察されます。
加えて2つ目の「ハローグッバイ」の歌詞ですが、これはプログラミング言語で入門の単純なプログラムとして知られる「Hello, world!」とこの歌のタイトルである「Goodbye Seven Seas(=world)」を想起させるものに思えます。
つまり、世界が新しくプログラムされ、そしてまた消えてというデータによる「ループ」が本作の題材なのではないかという仮説も立ってくるのではないでしょうか。
また、最後の「少年から旅立つ」という歌詞は妙に引っかかりますね。
日本語らしく言うのであれば、普通は「少年は旅立つ」になりそうなところだと思いませんか。
「少年から旅立つ」となるとこれはどちらかと言うと、「少年期からの脱却」を感じさせる歌詞として解釈できるような気がします。
つまり、この世界では同じ時間軸を繰り返すため、主人公は少年から大人になることはできません。そうしたループから脱却するということ、それがすなわち「少年から旅立つ」という意味になってくるはずです。
その映像の内容は、電子データの金魚が電脳空間を旅するというものです。ちなみに金魚はひなを表すモチーフですね。
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
次の章で、本作の世界は電子データではないかという個人的な妄想を垂れ流していますが、この映像はそれの裏付けの1つになるやもしれません。
この映像は金魚になったひなが電子空間を旅しているという状況を表しているわけですが、その次の映像ではこの金魚が1つの世界を「選ぶ」描写が描かれます。
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
いくつかの世界線?のようなものが存在している中で、金魚はその中の1つへと入っていきます。そうして金魚が辿り着くのは、主人公の部屋でした。
このED映像はまさしく本作の世界観の外枠を捉えたものなのかなと推察されますね。
EDの歌詞の最後に「水と希望だけを詰めて」という一節があります。
主人公がなぜ希望と共に「水」を詰めて旅立つ必要があるのかと考えた時に、それは「いつの日かひなを迎えるため」なんじゃないかなと思いました。
「金魚=ひな」なのだとすれば、彼女が彼の下に戻って来るためには「水」が必要です。ED映像のラストに水に入った金魚鉢が映し出されていたことも相まってその必要性は強まります。
データや電子世界を扱う作品だと仮定するならば
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
以下映画『Hello World!』のネタバレを含むので、ご容赦ください。
ここまでの内容で、本作の世界がデータや電子世界なのではないかということが何となく可能性としては想定されることが分かってきました。
では、その上で考えていきたいのが、本作の2つ目のビジュアル、2つ目のPVでスポットが当たった世界的IT企業「フェンリル」やハッカーの鈴木央人の存在です。
当ブログ管理人が個人的に考えているのは、ひなというキャラクターが独立意志を持ったイレギュラーなプログラムという立ち位置であり、それ故にデータの世界の中で「神」であるという設定ですね。
彼女が今作の世界の中に生まれたのは、外部からの何者かによる介入なのか、それとも自然発生的に生まれた者なのか、はたまたゲーム内に何らかの形で生じた自由意志が作り出したのか、それは現時点では断定のしようもありません。
そう考えると、本作の世界はCEOや鈴木央人らが、ひなや陽太は違うレイヤーの世界にいるということが考えられます。
これはライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の『あやつり糸の世界』やダニエル・F. ガロイの『模造世界』のような多層世界ものの世界構造と同様です。
しかし、これらの世界にはある種の上下関係のようなものが存在しています。つまり、上層の世界が下層の世界の人間の糸を引いているという状況ですね。
こういった状況は『あやつり糸の世界』でも扱われ、どうすれば上層の世界に行けるのか主人公は葛藤することになります。
こうした世界観を受け継いで2019年に日本で公開されたのが、『Hello World!』というアニメ映画です。
この作品もまた、中盤で多層世界の構造が明らかにされ、主人公がどんどんと上のレイヤーの世界を目指していくのですが、どこが「現実」なのかが最後まで明らかになりません。
そうしてエンドロール直前の本当に最後の最後のシーンで、主人公は「現実」世界に辿り着くというのが『Hello World!』の物語となっております。
では、そういった世界構造が『神様になった日』に持ち込まれていたとするならば、やはりひなや陽太のいる世界が下層(データ)であり、一方でCEOや鈴木央人らがいるのは上層(現実)ということになるでしょうか。
予告編で描かれた描写を見る限りでは、『Hello World!』の「グッドデザイン」を思わせるアイテムを身につけた鈴木央人が下層の世界に介入してくるという展開が想定されます。
では、ひなや陽太が今作において目指すゴールは何なのか、断つべきループは何なのか?
これも『Hello World!』の終盤で描かれた展開に似ているのではないかと思うんですよね。
『Hello World!』のスピンオフ小説『HELLO WORLD if -勘解由小路三鈴は世界で最初の失恋をする―』にこんな描写があります。
「つまり、あなたの世界は、新しい世界になったの。」
「新しい、世界・・・?」
「そう。機械の中の限定された情報としてではなく、現実と同等の規模と宇宙の運動を持った、正真正銘の新世界」『HELLO WORLD if -勘解由小路三鈴は世界で最初の失恋をする―』より
この記述によると、『Hello World!』のラストではデータの集積でしかなかった「ALLTALE」が独立した「新世界」として現実から切り離されるという状況に至っているわけですよ。
つまり、これまで下層と上層という関係にあった世界の構造が壊れ、データの世界も自由意思や不確定要素を持った現実と同等の世界に生まれ変わったのです。
これこそが『神様になった日』の2人の目指すゴールに重なるのではないかというのが、当ブログ管理人の見立てとなります。
おそらくこのデータの世界に自由意思や不確定要素が存在してしまうと、現実世界に何らかの影響が及んでしまうのでしょう。
だからこそ、現実世界側としては、データの中に生じたひなを削除したい。しかし、データの内部では、ひなを守りたい陽太が抵抗する。
こうした展開になっていくのではないかというのが個人的な見立ててではあります。
鈴木央人については、最初は敵として登場しそうですが、最終的にはこの世界構造を転覆させていく、ひなを取り戻していく上で主人公たちと共闘することになるのではないかとも思いますね。
ただ、麻枝 准さんが既に使い古された多層世界もののコンテクストをそのまま持ち込んでくるとは到底思えないので、自分としてこの予想が大きく外れてくれると嬉しいです(笑)
第2話で気になるのは「思い出」と「映画」それから「お母さん」
さて、第2話が放送されて、今回もとりあえずは日常回という印象が強かったですね。
まずは、ひなが「思い出」という言葉にすごくこだわりを持っているように見えたことですね。
良い思い出などはないの。そんなのがあれば人は幸せでいられるんじゃ。
(『神様になった日』第2話より引用)
ひな自身は、自分には思い出などはないと語っていて、だからこそこの世界で陽太たちと思い出を作ることを望んでいるようなそんな風にも見えますね。
輪をかけて意味深なのが陽太の両親のやり取りですが、ここから読み取れるのは、やはりひなが何かしらの過酷な「運命」を背負わされているということなのでしょう。
「思い出」というところから派生して、もう1つ触れておきたいのは「映画」というモチーフですね。
これは主人公の妹が自主製作映画を撮影しようとしているというところで物語に絡んでくる要素です。
「映画」とは、元々リュミエール兄弟のシネマトグラフに端を発するメディアであるわけですが、その原初的な意義と言うのは「日常の追体験」なんですよね。
例えば、リュミエール兄弟は駅から人が出てくるだけの短い映像をフィルムに焼きつけ、それを人々に見せました。
それを見ることで、人々は自分の日常を追体験することができ、自分がその中にいた時には気がつかなかった様々な機微に気がつくことができるのです。そこに「追体験」としての映画の意義があります。
そう考えると、ひなが映画撮影への協力に前向きなのは、彼らの過ごしたひと夏の日常を「思い出」として残すという側面が強いのかもしれません。
また、ひなはある種この世界において起きる出来事の多くを把握している存在でしたよね。
言わば彼女はこの世界を「追体験」している人間でもあるんです。
その点で、「映画」というモチーフが出てくる点についてはすごく意味があると言えるのではないでしょうか。
そしてもう1つ個人的に本作のPVと照らし合わせながら気になったのが伊座並杏子の母親についての描写ですね。
第2弾のPVの後半に彼女が「待って!お母さん!」と電話越しに話している描写があるんですよ。
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
しかし、今回の第2話の主人公による回想シーンの中で杏子の母親は彼女が幼い頃に亡くなってしまったという説明がなされているのです。
個人的にはCEOが彼女の母親だったりするのかな?という想像を膨らませていたのですが、遺影の姿と既に発表されているCEOのビジュアルがそれほど似ていないので、何とも言えません。
この点については、個人的に第2話を見ていて、一番引っ掛かりを感じましたね…。
第3話で仄めかされた「ラプラスの魔」の存在
さて、第3話の終盤にいよいよ今作の本筋が動き出したという空気がありましたね。
とりわけ本作のもう1人の主人公的な立ち位置に当たるであろう鈴木央人が動き出したわけですが、彼に託された任務というのが、「興梠しゅういちろう」という男の正体と、彼が「隠したもの」の正体を暴くことでした。
そこで、注目しておくべき情報は、彼が物理学、量子力学に精通した人物であるという点ですね。
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
まず、彼の経歴の中の2013年に当たるところで、「Kvasir Award」という文言があります。
この「Kvasir」というのは、実は北欧神話に登場する神なんですよね。つまり、ひながオーディンを名乗っていることとも何らかの関係がある可能性があるわけです。
そして、「Kvasir」というのは、『ギュルヴィたぶらかし』という北欧神話をベースにした物語の中で、鮭に変身して川へ飛び込んだロキを捕えるのに網を作って使うように提案したことでも知られています。
このロキが魚に変身したという逸話も、ここまでにも書いてきたひなを象徴するのが金魚という事実にリンクしているようにも感じられ、いろいろと想像が膨らむんですよね。
それはさておき、彼が2013年に表彰されたのは、基礎科学と認知科学の功績のためでした。
「認知科学」というのは、人間の知的機能のしくみを様々な視点から捉えていくものです。
ただ、量子学や物理学と聞くと、個人的にも今作に関連しそうな要素がいくつか思い浮かびます。
まずは「ラプラスの魔」ですね。
これは宇宙全体にわたる現在の情報を全て握収することができ、その情報に基づいて未来を完全に予知することが出来る超人的な知性のことを指しています。
フランスの数学者ピエール=シモン・ラプラスによって提唱されたこの考え方は、究極の「決定論」であるわけですが、20世紀に量子学が台頭したことにより、矛盾を生じ、過去のものとなっていきました。
そして、量子学の分野においては、最近『テネット』なんて映画も公開されましたが、時間が逆行するという考え方もありますし、それが実際に研究されています。
時間というものは、一次元的だと思われてきましたが、量子学の研究により、それが崩れていく日が近いのも知れません。
では、この点から推察できることとして、まず考えられるのは、ひなという存在が何らかの形で「興梠しゅういちろう」という男が作り出した「ラプラスの魔」的な存在であるということですね。
つまり、現在のあらゆる物質の力学的な情報を瞬時に察知し、そこから未来を予測出来てしまうという人間を超越した存在こそがひなであるという仮説です。
もう1つの可能性として考えられるのは、ひながある種の「時間を逆行できる存在」であるという仮説ですね。
「神様になった日」というのは、本作のラストに登場する1か月のメーターが全て消費された最後の日を表していて、そこでひなは神となり、そこから1ヵ月時間を遡り、世界が終わる未来を変えようとしているということになります。
ただ、逆行することができるのであれば、当然そこに至るまでに何が起きるのかはすべて自分の目で見て、把握することができるでしょうから、設定的には矛盾は生じなくなると思います。
ただ、「時間の逆行」よりは、本作のひなの行動については、「ラプラスの魔」的なものを想像した方がしっくりはきますね。
さて、前話の考察の中で個人的に「ひなの思い出へのこだわり」に注目しました。
今回の第3話で明らかになった情報を基にそのこだわりの真意を考えてみたのですが、彼女は過去→現在の時間軸に縛られない存在であるが故に、過去を持たずだからこそ思い出も持ち得ないのではないでしょうか。
「ラプラスの魔」的な存在だったとすれば、物質の物理的な情報から全てが見通せてしまうので、その点で現在と過去が全て決められてしまったものだと認知され、懐かしさや愛着を持つことができないと考えることもできます。
つまり、因果律が自分の自由意思の介在しない場所で決まってしまっていることを彼女は理解してしまっているが故に、自分が過ごす現在、そして過去に転じていく時間に愛着を抱き得ないというわけです。
ただ気になるのは、ひなってところどころで意図的なのか、それとも意図しないところなのか予測を外している場面があるんです。
例えば、第1話では野球のシーンで存在しない球の存在を口走っていましたし、第3話の陽太と借金取りの男の闘いにおいては「10」までしか必要ないステップを「14」まで書いていました。
しかし、この2つには共通点がありますね。それはどちらも陽太が関わっているという点です。
つまり、ひなという「ラプラスの魔」が見立てる絶対的な決定論や運命論を打破しうる存在としての陽太の特性のようなものを、この何気ない日常描写の中で表現しようとしているのではないでしょうか。
第4話の麻雀回で、陽太がルールを無視しまくった役で上がりまくるのも、そうしたことの暗示に思えます。
現在の物質の物理的情報から全てが定められてしまう世界。
その中で情報を観測するひなと不確定要素として決定論を小さいながら覆していく陽太。
OPの歌詞を思い出して見ると、こんな一節がありました。
君と同じ時を刻む(それはどうか許されるか)
本来であれば、一緒にいられないけれど、それは認められるのだろうかという意味合いでしょうが、ここにこの考察に基づくひなと陽太の存在を当てはめるとしっくりきます。
なぜなら、絶対的な決定論を司るひなとその中で自由意思を持ちうる陽太の存在って矛盾しているからです。
本来であれば、共存し得ない、同時には成立し得ない2つの概念が一緒に存在しているという歪な状況こそが、今の状況なのかもしれません。
そして、自由意思を持ち、定められた30日後の世界の終わりを改変できる可能性を持っているとしたら、やはりそれは決定論を覆し得る力を持った陽太だけなんでしょうね。
第4話の「麻雀」は実は伏線かも?
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さて、麻雀のルールを知らないと、全く意味の分からない「ギャグ回」であった第4話ですが、表面的に見ると、正直何の意味もない回ではあると思います。
ただ、何の意味もないギャグ回を1話を丸々使ってやるのかというのは疑問ですし、おそらく脚本・構成的な観点から考えると、意外と重要な回なのかもしれません。
個人的に注目したのは、先ほど少し書きましたが、この麻雀においては陽太がルールを決める力を持っており、これが絶対的な決定論を覆す彼の力の暗示にも読み取れる点です。
- ポー
- 891
- ドラ隣
- スキップ
- リバース
- 東西南北
- 二色同順
- 途中まで通貫
- 喰い七対子
- 不純全
- 無限立直
例えば、「一気通貫」という本来なら同じ種類の牌を1~9まで揃えなければならないという役があるのですが、「途中まで通貫」はそれを途中で止まるという役でしたよね。
これは、第5話で描かれた、伊座並杏子の母親が遺したビデオメッセージを父親が「途中までしか」見ていないという形で回収されているのです。
また「891」という役は、89という数字の牌の終盤から、いきなり一番最初の1に繋げることができるという役であり、これは本作が「ループもの」である可能性を示唆していると言えますね。
加えて、この無茶苦茶な麻雀要素は、本作における主人公の仲間の集め方にも通じるものを感じます。
主人公の直接の知り合いではないのに、妹の繋がりで仲間が増えたり、麻雀大会に出場して天願さんと知り合いになったりと、本来なら繋がり得ないような人間が彼の下に集っているのです。
他にも、無理矢理ですが、「二色同順」や「喰い七対子」は第6話で、陽太と阿修羅がひなを救った時の展開を想起させるような気もします。
バスケットボール部に所属していた2人。しかし、試合の最後の最後で「飛ぶ」ことができず、会えなく敗北してしまったという苦い経験を持っていました。
本来なら役になり得ないそんな2つが力を合わせることで、大きな力になる。陽太と阿修羅の関係性と役の作りが似ているような気がしたんですよね。
そして「不純全」という役ですが、これは「純全」に1つだけ不純な牌が混入するという役なのですが、これって本作におけるひなのことを表現しているようにも解釈できませんかね?
また、「無限立直」というのは、いわば「あと1つ」という宣言を何度もする行為であるわけですが、麻雀における「上がり」が本作における「世界の終わり」なのだとしたら、この作品において「終わりの直前」が何度も繰り返されているという暗示になっているような気もするのです。
この麻雀回は作品を通してみてから見直してみると、かなり含みを持たせた内容になっている可能性はありますね。
第8話にして見えてきた本作の物語の大枠
さて、いよいよ第8話にして本筋が大きく動き出したという印象を受けます。
まず注目する必要があるのは、ひなの元父親が語っていた「結局は辻褄があっていくのだ。」という言葉ですね。
つまり、世界のカタチを何らかの力で歪めたとしても、それは一時的なことに過ぎず、結局は元通りに戻るための「辻褄合わせ」が起きてしまうということです。
では、本作において世界のカタチを歪め得る存在として描かれているのは、誰なのかと言われたら、それは当然ひなということになります。
ひなは確かに実体を持っていますが、おそらくは何らかのアプローチで興梠博士によって作り出された存在なのでしょう。
本作ではしきりにロールプレイングゲームが登場しますが、それこそアバターを作るような感覚で、ロゴス症候群により命を落としかけていた彼女を博士は救ったのでしょう。
ただ、彼女はこの世界のカタチを歪めるような「ラプラスの魔」のような存在となったわけで、当然世界は不確定要素たる彼女を消すための働きかけをしなければならなくなります。
その「辻褄合わせ」こそが、『神様になった日』における「世界の終わり」なのではないでしょうか。
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
つまり、ひなという超越的な存在をこの世界に残すとなると、今までの世界は一度「終わり」を迎えて、新しい形へと変革せざるを得なくなるのでしょう。
ただ、当然そんな動きを見過ごせるわけもないですから、鈴木央人の陣営は、ひなをデリートしてしまい、その存在をなかったことにすることで、今の世界を存続させようとしているのだと思います。
要は、人為的に「辻褄合わせ」を行ってしまうことで、世界そのものによる「辻褄合わせ=世界の終わり」を阻止しようとしているのではないでしょうか。
この対立軸というのが、『神様になった日』の第8話によって明らかにされた情報から紐解く、本作の大枠だと私は推察しました。
そして、この物語の行く末については、やはり今話題になっているkeyの名曲『karma』に基づいて考えるのが良いのではないでしょうか。
その歌詞の中でも特に注目したい部分をいくつか引用していきます。
きみからはすべてが欠けてて
それゆえすべてと繋がれる(Lia『karma』より)
おそらく「すべてが欠けている」というのは、博士が何らかの処置を行うまでのひななのでしょう。
しかし、博士がそんな彼女に何らかの働きかけをしたことにより、彼女は「すべてと繋がれる=全知の神」に変貌したわけです。まさしくこの一節はひなのことを歌っているように思えます。
初めて見せるような顔で
きみは歩いていった
その運命を果たすために何もできないきみだって
僕は好きなままいるよ(Lia『karma』より)
はい、ここは本作のまさしくクライマックスの展開を暗示しているように思えてきます。
おそらくひなは、世界が何らかの形で終わってしまうことを避けるために、自らの身を引くという決断をすることになるのでしょう。
それは鈴木央人らに協力して、自分の存在を「消す」などの形で、世界の辻褄を合わせることではないでしょうか。
陽太は、それを拒むでしょうが、ひなはきっと自分の大切な仲間のために「運命を果たす」決断をするはずです。
しかし、陽太は、この歌詞に基づいて考えるならば、「何もできないきみ」を望むわけですね。
これは、おそらくロゴス症候群の影響で意思疎通すらも取れない、元のひなを望むということを表しているのだと思います。
そういう意味では、第8話で元父親がかつて、ロゴス症候群によりボロボロだったひなを見捨てるという選択をした点は、今後対比的に機能していくのでしょう。
元父親はかつてのひなを見捨てたわけですが、陽太はそうはしない。つまり、元の意思疎通すら取れない彼女であっても受け入れて、一緒に生きていくという選択をするのだと私は思います。
かつて彼女の父親には選べなかった道を、そして興梠博士にも進めなかった道を、陽太は突き進もうとしているのです。
第3話がなぜ重要なのかを改めて考えてみる
皆さんは、本作の脚本を担当している麻枝 准さんのTwitterを見ておられますか?
基本的に『神様になった日』が放送される時は、ツイートをしておられるのですが、第8話までで1度だけ意味深なツイートをされたことがあるんですよね。
一番ぽかんとされそうな回ですが、最後まで観てもらえれば意味は伝わると信じます。お付き合い頂ければ幸いです。よろしくお願いします。 https://t.co/JXza2zwJQF
— 麻枝 准『神様になった日』『Heaven Burns Red』制作中 (@jun_owakon) October 24, 2020
端的に言うと、神宮寺ひかりが切り盛りしているラーメン屋をひなと陽太が立て直すという話なのですが、一見すると、ただのギャグ回なんですよ。
ただ、第8話まで見終わった今、改めて見返して見ると、少し違った視点で見ることができます。
私が考えているのは、第3話の「ラーメン屋立て直し譚」というのは、ひなの「復活譚」のアレゴリーなのではないかという仮説です。
まず、陽太がラーメン屋を立て直しに行った時に、取った行動は、無添加へのこだわりを捨てて、旨味調味料に頼るというかなり大胆なものでした。加えて彼は屋号を「天昇」から「堕天使」に変更しています。
さらに、彼はメディア戦略も徹底することで、店への興味を煽り、一気に人気店へと変貌させることに成功しました。
すると、その繁盛っぷりを見た借金取りが店にやってきて、脅しをかけて来るも、陽太がこれを撃退するという形で幕を閉じました。
ただ、「堕天使」の人気は一時的な盛り上がりでしょうし、しばらくすれば、いつもの状態へと戻っていくのでしょう。
しかし、忘れてはいけないのは、この店は「堕天使」に屋号を変え、従来の無添加ラーメンと決別したことで、それまでの常連を失った可能性は高いということです。
つまり、メディアの煽りによるブームが去って、じゃあ元通りに戻れるのかと聞かれるとそうではないんですよね。
興梠博士は、何とか正攻法でひなを献上にしてあげたいと願ったのでしょうが、それが難しいと分かり「旨味調味料」に手を出してしまいます。
その結果として、ひなは脅威な回復を遂げ、多くの人を驚かせる存在となるわけですが、そんな奇跡はラーメン屋のブームと同様に一時的なものです。
ひなの元父親が語っていた「結局は辻褄があっていくのだ。」という言葉の通り、その変化の代償を支払わねばなりません。
また、過剰な「奇跡」は目をつけられるものであり、神宮寺ひかりのラーメン屋にやって来る借金取りは、ひなにとっては、彼女の量子コンピュータを奪おうとする人間たちなのではないでしょうか?
ひなは脅威な回復を遂げ「神」のような存在になったわけですが、じゃあその時間が終わってしまったとして、元通りになるというわけではなく、彼女は消えてしまうのでしょうね。
そして、店の屋号を「天昇」から「堕天使」へと改名した点にも注目しておきましょう。
前者は「天に昇る」ということで、これはこの世界の法則に従い、「天へと昇っていく=死」を連想させる言葉です。
一方で、後者は「罰せられて天界を追放された天使、自由意志をもって堕落し、神から離反した天使」という意味を孕んでいます。
この世界のルールに従うことを表す「天昇」と、この世界のルールを破る「堕天使」という言葉は極めて対比的なのです。
前者から後者への改名は、興梠博士が「ひな」を本来であれば、天に昇っていく運命だったのに、ルールや摂理を覆し、この世に繋ぎ止めてしまった、つまり「堕天」させてしまったという意味合いが込められているように思えます。
そう考えていくと、第3話においてラーメン屋の再生譚という形でひなの物語が暗示されていたことが、最後まで見終わってから見えてくるという麻枝さんの意図が、ツイートに表出していたと考えるのは決しておかしなことではないでしょう。
最終話放送を経て:麻枝准が目指す原点回帰は「自分の人生」を描くこと
©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project
ついに最終話が放送されました。
正直に申し上げると、終盤の展開はあまりにも酷いと言うか、見ていられないものだったような気がします。
陽太がひなに自分の思いを押しつけすぎていて、その力技でなんとかしてしまう印象がどうしても強くて、「泣けるか泣けないか」で言えば「ドン引き」しました。
今作における重要なポイントは、「映画を撮る」という設定だったのかもしれません。
ここまでの考察でも少しだけ書きましたが、「映画」はメタ的に扱われていて、彼らが過ごしたひと夏の日々ないし最終的にはこの『神様になった日』という作品そのものが1つの「映画」のようになるのです。
この映画に、麻枝准さんの原点とも言える楽曲「karma」の名前がつけられていたのも重要でした。
つまるところ、この作品は、麻枝准さんの私小説のような作品なのです。
彼は、「突発性拡張型心筋症」であったり、元来の鬱病を抱えていて、なかなか仕事に精力的に取り組めていないという事情があることを明かしていました。
つまり、麻枝准さんは今作にそんな自分自身の境遇や置かれている状況を投影しているのです。
何もできないきみだって
僕は好きなままいるよ(Lia『karma』より)
麻枝准さんは、自分を何もできないひなに重ねているような気がしていました。
そして、彼女を取り巻く仲間たちと言うのは、彼の創作活動を支えてくれている仲間たちのことなのでしょう。
かつてビジュアルノベルで全盛を築いた時代。
『CLANNAD』
『Kanon』
『Air』
『リトルバスターズ』
天才と呼ばれ、出す作品が次々にヒットし、高評価されていた時代。
そうした時代がいつしか終わっていき、さらには病を患い、創作活動にも満足に取り組むことができなくなってきた麻枝准さん。
全知の知能を持ちながら、それを奪われ、何もできなくなってしまったひなとまさしく重なります。
それでも、創作活動を続けていく。誰かに支えられながら、前へと進んでいく。
『神様になった日』は、そんな麻枝准さんの覚悟を示す作品になったと言えます。
あの頃のように、多くのファンを虜にすることはもう今の自分にはできないのかもしれない。そんな不安と戦いながらも、自分は創作者であり続けたいのだという覚悟がこの作品からは感じられました。
贅沢なんかいわない 悲しみだって受けるよ
だから君という人だけ
ここにいて ずっといて 僕から 離さないで
どんなことも恐れず 生きていくから(Lia『karma』より)
彼にとっての「君」とは創作物のことなのかもしれないと、今はそう思います。
今作の酷評並びに本人への誹謗中傷の過熱から、麻枝准さんはTwitterアカウントの閉鎖に追い込まれました。
今作は、確かに構成の面や、終盤の脚本に関して大きな問題を抱えています。
それでも、麻枝准さんが今作が「原点回帰」なのだと語る理由もよく分かります。
作品を作る。そしてその作品において、作り手というものは、ある種の「神」なのです。
つまり、『神様になった日』というタイトルは、麻枝准さんが「創作者になった日」と読み替えることもできます。
しかし、その力は奪われ、今は誰かに支えてもらわなくては前に進めなくなってしまいました。
それでも今の自分にしか作れない何かが、描けない作品があるのではないか。
今の自分は「神様」なんて大層なものではないのかもしれないけれど、誰かと手を取りあって、これからも作品を作り続けていく。
まさしく本作は、麻枝准さん自身にとっての創作者としての「原点回帰」を描いた作品とも言えるわけです。
だからこそ、不評ではありますし、難点も多い作品ではあるのですが、私は嫌いになれません。むしろこうした作品が無性に愛おしく思えます。
きっと、その思いは、彼の作品を追いかけて来た人には、届くのではないかと信じています。
そして、彼がまた創作者として、私たちの前に戻って来てくれることを強く願っております…。
おわりに
いかがだったでしょうか。
まずは第1話を鑑賞した時点でのざっくりとした今後の展望や自分なりの解釈・妄想を並べているに過ぎませんが、今後の展開が非常に楽しみではあります。
麻枝 准さんが「原点回帰」を目指すと言っているだけあって、その内容もどこか「懐かしいエロゲ感」に満ちていて、令和の世でこんな作品が見られるとはと、少し嬉しい思いですね。
本作は企画の足掛けが3年半ということですので、2016~2017年頃から始動した企画ということになるのでしょう。
そうなると、時期的には新海誠監督の『君の名は。』が大ヒットした直後くらいの時期ということになります。
ただ、2020年の今は新海誠監督が『天気の子』でセカイ系のコンテクストに1つのアンサーを提示し、SF的なセカイ系として『Hello World!』なんかも公開された後なんですよね。
ですので、今更単純なループものをやったり、クラシカルなセカイ系をやったりするのでは、正直視聴者の目からは「アウトオブデイト」に映ってしまう可能性はあります。
そこをどう乗り越えて、ポスト『天気の子』の世に真打たる麻枝 准さんが新しい「セカイ系」の物語を叩きつけてくれるのか。
「原点回帰」とそして「革新」
そうした一見すると相反する言葉が、両立するような素晴らしい作品を期待しております。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。