みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね『鬼詰めのオメコ』並びにその続編の『鬼詰のオメコ 無限発射編』についてお話していこうと思います。
当ブログ管理人、ここ最近一気に『鬼滅の刃』シリーズを追いかけてきました。
- アニメ全26話
- 原作第7巻~22巻
- アニメ映画『鬼滅の刃 無限列車編』
上記をこの『鬼詰のオメコ』と『鬼詰のオメコ 無限発射編』の予習のために鑑賞してきたのです。
『鬼滅の刃 無限列車編』の公開日当日の朝の5時頃から『鬼詰のオメコ 無限発射編』の鑑賞をはじめ、まだ眠い目をこすりながら、パロディAVを見る時間。
圧倒的虚無。一体自分は何をしているのだろうか…と思わず心が壊れそうになるのを必死に抑え、2時間10分46秒の作品を鑑賞していました。
『鬼滅の刃 無限列車編』の本編が117分ですから、オリジナル版よりパロディの方が普通に長尺であるということに驚かされます。
そして、パロディAVを語る上でオリジナル版の鑑賞はマストであるという「テネット」の持ち主である当ブログ管理人は、早朝の『鬼詰のオメコ 無限発射編』直後に『鬼滅の刃 無限列車編』へと流れ込むという力業で、この両作品を鑑賞してまいりました。
『鬼詰のオメコ 無限発射編』でも液体が身体から溢れ出し、『鬼滅の刃 無限列車編』でも液体が身体から溢れ出すというまさしく激動の午前中となりましたね。
これだけ液体を身体から出せたら、ちょっとくらい「水の呼吸」でも使えるんじゃないかとか思えてくるくらいにテンションがおかしくなってまいりましたが、今回は
『鬼滅の刃 無限列車編』!!
ではなく
『鬼詰のオメコ 無限発射編』!!
の方のレビューを書いていこうと思います。
まあ本編のレビューもあるんで、良かったら読んでみてください。
当ブログ管理人は自称「映画ブロガー」、他称「パロディAVブロガー」なので、読者の求める声に応えるべく、時間とお金と身体を張っております…。
前置きはこれくらいにして、ここからは本編の方に話を移していこうと思います。
もし『鬼詰めのオメコ』並びに『鬼詰のオメコ 無限発射編』をご覧になる予定の方で、ネタバレされたくないという方がいらっしゃいましたら、ここで読むのを止めて、以下のサイトで購入ボタンを押してください。
もちろんAVの内容もそうですが、『鬼滅の刃』の本編の内容にも触れますので、その点のネタバレにもご注意くださいませ。
ということで、ここからは本編に踏み込んだ話をしていきますので、悪しからず。
目次
『鬼詰のオメコ』感想
雑にストーリー紹介
唐突に物語が始まると、禰豆子は鬼殺隊の男2人に囚われており、バイブで攻撃されている。(体液を採取して研究の材料にしようとしているらしい)
(本編開始から45分後…)ようやく炭治郎が助けに来る。
助けに来て、何をするのかと思いきや「水の呼吸」を習得してきたなどと豪語し、ク〇ニを始める。
その後、ひと段落したかと思いきや「水の呼吸、陸拾玖ノ型」を披露する。
人間の精液を飲むと、鬼から人間に戻れるという言い伝えを信じ、炭治郎の炭治郎から液体が発射!
しかし、それを飲んだ禰豆子は苦しみ、意識を失ってしまう。
再び、モブ鬼殺隊員2人が登場、その内の1人が「近親〇〇では鬼から人間に戻れない」などと供述し、自分たちが禰豆子とおっぱじめる。(お前ら自分がやりたいだけやん…。)
しかもモブ鬼殺隊員2人の活躍で、禰豆子は鬼から人間に戻ることに成功!めでたしめでたし…。
時代設定に対するツッコミ
さて、まずはパロディAV第1作の『鬼詰のオメコ』の方のレビューをしていきますね。
まず、個人的に気になったのが、本作の時代設定です。
というのも最初にナレーションで「現代よりも少し前」というテロップが入るんですよね。
ちなみに『鬼滅の刃』本編の時代設定は、「大正時代」とされています。
「大正時代」は「1912年〜1926年の14年間」を指していますので、日本で言うと第2次世界大戦よりも前の時代ということになりますね。
『鬼滅の刃』本編はあまり時代設定を意識していない節があったので、パロディがまさかここをしっかりやってくるのか…?という期待に胸を躍らせた数秒後…。
ヴ、ヴ、ヴィィィィーーーン…。
お分かりいただけたでしょうか。そうバイブですね。
いや「1912年〜1926年」の時期に流石にバイブはねえだろ!!開始数秒で時代設定ガン無視かよ!!と思わずツッコミを入れてしまいました。
ただ、当ブログ管理人もバイブがいつ発明されたのかって考えたこともなかったなと少し冷静になり、調べてみました。
1902年、アメリカの家庭用電化製品製造販売会社「ハミルトン・ビーチ社」が民生用の手持ち式電動振動器を開発、販売。後、改良された多くの器具が市場に出回り、通販誌「シアーズ・リーボック・カタログ」、女性雑誌「ウィメンズ・ホーム・コンパニオン」などで広告掲載され販売される。
(Wikipediaより引用)
えー先ほど、時代考証が全然できていないダメAVであると罵ってしまいましたが、前言を撤回させていただくと共に、お詫び申し上げます。
「大正時代」にバイブは、ありまぁす!」
あとは基本的に文明開化風の洋室と雑木林のような場所しか出てこないので、時代考証もクソもありませんでした。
とにかく炭治郎が出てこない
皆さんは『鬼滅の刃』シリーズの主人公が誰かご存知でしょうか?
それはもちろん、竈門炭治郎ですよね。
(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
圧倒的主人公力を持っており、テレビアニメシリーズを見ていても、彼が画面に映らない時間の方が珍しいくらいで、ほとんど出ずっぱりな印象があります。
しかし、本編では圧倒的な主人公である竈門炭治郎も、ひとたびパロディAVの世界へと足を踏み入れると、突然汁男優並みの扱いを受けることとなります(笑)
- 『鬼詰のオメコ』:開始から45分後にようやく登場。下手をするとモブの鬼殺隊員よりも出演時間が短いか?
- 『鬼詰のオメコ 無限発射編』:2時間10分46秒のうち出演が32分程度(ただしそのうち30分程度は夢の中の虚像であり、実体が登場するのは2分にも満たない)
しかもパロディAVの方の炭治郎はろくでもない奴です。
『鬼詰のオメコ 無限発射編』より
だって、「水の呼吸法」とか言いながら、ク〇ニし始めますからね、こいつ(笑)
いや、待てよ。鱗滝さんが「これが水の呼吸法だ!」とか言いながら、ク〇ニを炭治郎に仕込む世界線があるかもしれないということか。
それはそれで面白いかもしれません。
まあ本編で「水の呼吸、陸拾玖ノ型、潮吹き!!」とか言って、炭治郎が鬼の股間めがけて刀をぶっ刺すなんて技があっても違和感はあまりないと思いますけどね。(意外とありそう)
しかもクライマックスは、モブ鬼殺隊員2人に襲われている禰豆子を見ているだけで助けようともしないので、もう本家本元の竈門炭治郎の精〇を煎じてお前に飲ませてやりたいよ…という気持ちに駆られましたね。
結局、モブ鬼殺隊員2人が禰豆子を救うというラストなので、本当に炭治郎くん「いらない子」になってしまっていました。
パロディとしての原作へのリスペクトポイント
「水の呼吸法」がただのク〇ニだったり、本編では珠世が人生をかけて開発した鬼から人間に戻るための薬がただの精液だったりと、とにかく原作のキャラクターからお叱りを受けそうな本作。
ただ、唯一個人的にこれは原作リスペクトだと感じたのは、禰豆子のキャラクター設定ですね。
第1話でいきなり鬼になってしまうので、その後ほとんどまとまったセリフがないんですよ。
せっかく声優が鬼頭明里さんなのに、彼女が発する言葉をあまり聞けず、時折回想シーンでインサートされるくらいでかつ「ん」くらいの声が大半なのは心苦しいことです。
パロディAVの禰豆子は、言わなくても分かっている方もおられることと思いますが、基本的に竹の口枷をしていてかつ鬼になっているという設定なので言葉を発することはほとんどありません。
そのため、セリフないし声を発するのは、その98%が「喘ぎ声」です(笑)
こういった原作のキャラクター設定が、極めてパロディAV向きだったというのは、大きいですね。
というのも、本編2時間ちょっとで、禰豆子が人間に戻れてしまうという超絶高速展開ですからね。
原作も驚きですよ(笑)
『鬼詰のオメコ 無限発射編』感想
雑にストーリー紹介
しのぶと禰豆子、甘露寺の3人は、しのぶの屋敷でつかの間の休息をとっていました。
そこに、遣いの者が現れ、ぱっと見コンドームの袋にしか見えない「手紙」を手渡します。
すると、魘夢を思わせる鬼の術が発動し、しのぶと甘露寺は眠ってしまう。
夢の中でしのぶは姉であるカナエと、甘露寺は好意を寄せる伊黒 小芭内と夢の中で性行為に及びます。
そして夢の中の行為とリンクするかのように、現実世界では魘夢が2人を犯し始めまるのでした…。
3人は特に脱出しようとするでもなく、行為に及び、最終的には任務から帰ってきた炭治郎がサクッと魘夢を倒しました。
原作の再現度はいかに?
さて、パロディAVにおいて気になるのが、どれくらい原作を反映しているのかという点ですよね。
当ブログではこれまでにもたくさんのパロディAV作品をレビューしてきましたが、原作の再現度は異常に高いものから、異常に低いというかもはやパロディである必要のないものまで様々です。
例えば、『スターウォーズ』のパロディAVである『シタイーウォーズ』ですが、こちらは『スターウォーズ4 新たなる希望』の展開をほとんど完璧に再現しています。
一方で『ハリーポッター』のパロディAVである『ハリーホッターとスケベな椅子』なんて原作のストーリーはガン無視でしたからね。
ハリーがベラトリックスから無毛を剛毛にする魔法を習い、それを使った結果、ホグワーツの女学生たちが剛毛パニックになるという謎ストーリーであり、もはやキャラクターを原作から借りたレベルに過ぎません。
さて、少し話が逸れてしまいましたが、『鬼詰のオメコ 無限発射編』が原作の再現度という観点で見た時にどれくらいのレベルかと考えてみますと、100点満点中40点くらいでしょうか。
一方で、AVとしての完成度は100点満点中60~70点くらいのものだと思いますので、どちらかと言うとパロディ要素よりもAVとしての機能性が高い作品と言えるでしょう。
では、もう少し具体的にどこが再現されていて、どこが再現されていないのかをお話させていただきます。
まず、『鬼滅の刃 無限列車編』のパロディでありながら、「列車」が登場することはありません。そしてこの作品の主役でもある煉獄さんが登場しません。
何を言っているんでしょうか。この作品は「無限発射編」なのですから、「列車」が登場する必要もありませんし、煉獄さんが登場する必要もないんですよ?(笑)
では、『鬼詰のオメコ 無限発射編』は一体どんなストーリーになっているのか。
メインキャラクターは禰豆子としのぶ、その姉であるカナエ、そして甘露寺 蜜璃と伊黒 小芭内のカップルあたりになるでしょうか。
一応オリジナル版と同じキャラクター名ではまずいということで、名前がマイナーチェンジされているようなんですが、日本語なのになぜか聞き取りづらすぎて、何回聞いても言語化できなかったので、諦めました。
そのため、今回のレビューでは、無印版の方も含めてオリジナル版のキャラクター名でやりくりさせていただいております。
この『鬼詰のオメコ 無限発射編』のストーリーはちょうど原作の第6巻終盤から第7巻の序盤付近を想像していただけると分かりやすいのではないかと思います。
しのぶの屋敷に禰豆子と甘露寺 蜜璃が滞在しているのですが、そこが魘夢を思わせる鬼の襲撃を受けます。
そして、しのぶと禰豆子、甘露寺の3人はその能力により幸せな夢の中へと誘われ、囚われてしまうわけです。
では、彼らに幸せな夢とは何なのでしょうか?
原作の内容を踏まえると、当然しのぶにとっては姉を含めた家族との幸福な暮らし、禰豆子も家族との幸せな暮らし、甘露寺とっては大好きな男性との甘い生活ということになるでしょう。
ただ、今作はパロディAVですから、そんな甘っちょろい夢を見せてくれるわけがありません。
では、本作がパロディAVであることを鑑みて、もう一度同じ質問をします。
はい、もちろん、S〇Xですね。
ということで、しのぶとカナエのレズプレイ、甘露寺 蜜璃と伊黒 小芭内のラブラブプレイ、禰豆子と炭治郎の近親○○の3つが本作の主要な構成要素となります。
甘露寺 蜜璃と伊黒 小芭内のラブラブプレイは、まあ良いんですが、残りの2つは正直原作の内容からはかけ離れたいわゆる「同人界隈」にありそうなプロットですね。
映画版では、夢に飲まれた鬼狩りたちは何とかして、夢から脱出しようと試みますが、このパロディAVでは、しのぶの屋敷に帰ってきた炭治郎があっさり魘夢の首を切って幕切れという流れになります。
まあこのあたりの闘いがメインではないですから、当然とはいえ、すごくあっさり終わってしまうので、物足りなさはありましたね。
ただ、終盤にしのぶの屋敷に帰ってきた炭治郎が畳の間の障子を開けるシーンが原作第1巻の冒頭を思わせる構図や描写になっていて、ここは感動しました。
障子を開けると、見ず知らずの鬼に犯されている自分の妹。まさしく第1話の描写へのオマージュです。
いや、炭治郎ならそこでもっと絶叫して斬りかかるだろ!とはツッコミたくなりますがね。
しかも、良くも悪くも存在感が薄く、感情の起伏も少ないパロディAV版炭治郎、個人的には嫌いじゃないですよ(笑)
伊之助、お前は許さない
はっきり言っておきたいのは、この『鬼詰のオメコ 無限発射編』における伊之助を当ブログ管理人は許すことができません。
『鬼詰のオメコ 無限発射編』より
なぜ、許せないのか。そこにはとても深いわけがあります。
というのも、彼が登場するのは、あろうことかしのぶの夢の中なんですよね。
もう勘の良い方はお気づきでしょうか?
しのぶの夢の中で描かれるのは、しのぶとカナエのレズプレイでしたよね。
『鬼詰のオメコ 無限発射編』より
カナエは柱にまで上り詰めましたが、上弦の鬼と相まみえてしのぶがまだまだ弱かった頃に殺害されてしまいました。
そのためしのぶは鬼に対して並々ならぬ怒りの感情を持っています。
また、しのぶとカナエはすごく仲が良かったので、それ故に2人の別れは悲しいのです。カナエはもっとしのぶの成長を見守っていたかっただろうな…なんて想像してしまうのです。
そんな原作を読んでいた時に抱いた妄想がまさしく具現化されたのが『鬼詰のオメコ 無限発射編』です。
特に、しのぶの胸部を見つめながら「大きくなったんじゃない?」とカナエが質問するシーン。本当最高だった。最高の百合だった。
本編でカナエが見ることができなかった、しのぶの成長を見ることができたのかと思うと胸が熱くなりました。
だからこそ、そんな最高の百合の間に割り込んでくる伊之助、お前は許さない。
「百合プレイをしてる所に割り込む男」は問答無用で死罪に値する。
とりあえず、今作『鬼詰のオメコ 無限発射編』で一番許せなかったのが、伊之助の割り込みでした。
あんた、それ本当に気持ちええんか?
今作『鬼詰のオメコ 無限発射編』で個人的に疑問に感じたのが、甘露寺 蜜璃と伊黒 小芭内のラブラブプレイの内容です。
個人的に笑ったのが、伊黒 小芭内が身につけている蛇のぬいぐるみでした。
『鬼詰のオメコ 無限発射編』より
テレビアニメシリーズでは詳しく触れられていませんでしたが、この蛇と言うのが「鏑丸」という名前であり、伊黒 小芭内の親友です。
さて、今作における2人のプレイにおいては、この「鏑丸」…ではなく2000円程度の鬼滅の刃コスプレグッズが大活躍してくれました。
基本的に伊黒は、このぬいぐるみを手でつかんで、ぬいぐるみの蛇から出ている舌の部分で甘露寺 蜜璃のいろいろな部分を攻めていくというプレイスタイルのようです。
要は新手のぬいぐるみプレイですね。
というか先ほど紹介したコスプレグッズ、まさかのアダルトグッズだったんですね!(違う)
分からないので先ほど紹介したコスプレグッズを購入して、自分で試してみようかなと思います。
現実見せるのはやめようぜ?俺だって幸せな夢に浸っていたいじゃん…。
この作品のテーマは「賢者タイム」ではないだろうか?
さて、当ブログではいつも映画の主題やテーマについても考察しております。
ということで、今回は『鬼詰のオメコ 無限発射編』のテーマに迫っていきたいと考えている次第です。
では、単刀直入に書きますが、今作のテーマは「賢者タイム」ではないでしょうか?
マイナビのサイトによると「男性の多くが射精を境に、興奮状態から冷静状態へ一瞬にして変化します。 冷静で、快感を感じられなくなる状態を『賢者タイム』と呼びます。」だそうです。
この興奮状態を「夢」、冷静状態を「現実」と捉えると、本作の内容がスッと入って来るのではないでしょうか。
本作の中でしのぶたちは、「夢」の中では自分の大切な人との行為を楽しんでいますが、「現実」に戻ると彼女たちは魘夢に犯されているに過ぎません。
この「夢」と「現実」の対比は、自慰行為に及んでいる時の男性の気分の変遷ないし対比に非常に似ています。
男性が自慰行為に及んでいる時と言うのは、要は何かしらの「おかず」を基に、自分が行為の主体者になることを疑似体験しているわけですが、それは儚い夢に過ぎません。
ふと我に返ると、そこにあるのは薄汚れた自分の右手だけです…。
「夢」の中の多幸感や快楽が「永遠」に続けばよいと誰もが思うでしょう。しかし、それらが「永遠」に続くことはありません。
「夢」からはいつか醒めなければならないからです。
「夢」を見続けようと「無限発射」してしまうと、その内果てて死んでしまうことでしょう。
だからこそ私たちは、見たくもない「現実」と、自分の薄汚れた右手と向き合わなければなりません。
つかの間の夢を楽しむことは決して悪いことではないでしょう。
それでも、私たちは「夢」の終わりに訪れる「賢者タイム」という虚無を乗り越えていかなければなりません。
「悔しくても泣くんじゃねぇ!」
「どんなに惨めでも恥ずかしくても生きてかなきゃならねえんだぞ!」
(『鬼滅の刃』第8巻より引用)
原作の『鬼滅の刃』における伊之助の素晴らしい言葉が、胸に染み入ります…。そういうことだよな。
俺たちは乗り越えていかなければならないんだ!
当ブログ管理人も、この『鬼詰のオメコ 無限発射編』を見ながら、煉獄さんから熱い思いを受け継ぐことができたのかもしれません。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は『鬼詰のオメコ』とに『鬼詰のオメコ 無限発射編』ついてお話してきました。
特に1作目の方は、ほとんど『鬼滅の刃』の設定も生かされておらず、ストーリーも全く踏襲していないので、単なる「和服もの」かなくらいの代物です。
一方の2作目はオリジナルストーリーではありますが、原作の内容を意識した展開にはなっており、個人的には好みでした。
ということで回し者でも何でもないですが、最後にもう一度リンク張っておきますんで、気になった方は是非チェックしてみてください。
酒とたばこは20歳から、パロディAVは18歳からの嗜みです(笑)
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。