みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ミッシングリンク』についてお話ししていこうと思います。
『コララインとボタンの魔女』で長編アニメーション制作を開始したライカは、いきなりアニー賞で作品賞を含む8部門にノミネートされ、ゴールデングローブ賞アニメ映画賞にもノミネートされ、注目されました。
当ブログ管理人が個人的に気に入っているのが、『パラノーマン』という作品です。
死者が見えてしまう能力のせいで周囲から気味悪がられている男の子が主人公の物語なのですが、小品ながらドラマ性とストップモーションアニメの味わいが見事にミックスされた良作です。
ストップモーションは制作に相当な手間ひまがかかります。登場人物の表情を表現するだけでも、100万を優に超えるパターンを準備する必要がありますからね。
ただ、さらに言うなれば、近年は実際に人形を作ってそれを撮影する手法でなくとも、CGでストップモーション風のアニメーションを作れる技術は確立されています。
それでもライカが実際に手作業で人形を作り、アニメーションを作り上げていくことにこだわるのは、そのプロセスが作品に愛や生命を宿させるからだと考えているからなのかもしれません。
今回の『ミッシングリンク』はライカの作品の中では、かなりCGを使っている方だと思いますね。これが良い傾向なのかどうかは判断しかねますが、ストップモーションの味は残しつつも、本格CGアニメーションの方へと寄ってきているような印象は受けました。
ストップモーション特有のぎこちなさやカクついた映像が、単純な技術向上とCG技術により解消されていっている点は個人的には寂しく感じる部分もあります。
ただ、何と言ってもすごいのが本作のメインキャラクターでもあるミスターリンク(スーザン)の人形です。
(C)2019 SHANGRILA FILMS LLC. All Rights Reserved
彼は人間とは違って体毛に覆われていますから、その動きを表現する際には、毛並みのちょっとした動きまで再現していかなければ躍動感が出ません。
そのために、非常に精巧な人形を作り上げ、見事にストップモーションで描いて見せたことには賛辞を贈りたいですね。
さて、ここからは本作『ミッシングリンク』を見て、当ブログ管理人が個人的に感じたことや考えたことをお話していきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ミッシングリンク』
あらすじ
ライオネル卿は、何とかして伝説の生き物を発見し、自分の名声を高め、かつて自分を拒絶した英国冒険家クラブに加入することを目指していた。
そんなある日、彼の下に1通の手紙が届く。その手紙には「ビッグフットが実在している」という内容が書かれていた。
手紙を読んだライオネル卿は、冒険家クラブを訪れ、自分がビッグフットを発見し、人類と猿のミッシングリンクを発見した暁には、クラブに加入させるよう迫る。
クラブのリーダーであるピゴット・ダンスビー卿は、自分が提唱してきた人類は神の被造物であるという定説が壊されることを懸念し、ライオネル卿を殺害せよとの通達を出す。
そんなことは知らないライオネル卿はアメリカと辿り着き、念願のビッグフットと対面する。
しかし、彼には1つ願い事があった。それは、ヒマラヤの奥地にあるシャングリラにいると言われるイエティたちのコミュニティに入れてもらうこと。
ライオネル卿は、調査や証拠提供に協力することを条件に、彼を仲間に引き合わせるための冒険に出かけることを決断する。
「ミスターリンク」という名前がつけられたビッグフットと英国紳士ライオネル卿の冒険が始まる…。
スタッフ・キャスト
- 監督:クリス・バトラー
- 製作:アリアンヌ・サトナー トラビス・ナイト
- 脚本:クリス・バトラー
- 撮影:クリス・ピーターソン
- 美術:ネルソン・ロウリー
- 衣装:デボラ・クック
- 編集:スティーブン・パーキンス
- 音楽:カーター・バーウェル
記事の冒頭でもタイトルを挙げた『パラノーマン』の監督・脚本を担当したクリス・バトラーが今作の監督・脚本を担当しています。
ストップモーションにおける要とも言える「撮影」のセクションには、クリス・ピーターソンが起用されていますね。
彼は『コララインとボタンの魔女』や『パラノーマン』では、撮影助手や照明の担当だったようで、今回撮影監督に大抜擢されました。
他にもこれまでのライカ作品を支えてきたスタッフ陣が名を連ねていますが、特に印象的だった衣装を手掛けたのは、デボラ・クックです。
主人公のライオネル卿のブリティッシュトラッドな衣装が本当に美しいんですよね。タイトで身体のシルエットがはっきりと出る英国のフォーマルなスタイルが冒険というシチュエーションとコントラスト的に機能しており、これがとても映えていました。
編集にはウェス・アンダーソン監督のストップモーションアニメ『ファンタスティック Mr. FOX』で編集を担当したスティーブン・パーキンスがクレジットされています。
- ライオネル・フロスト卿:ヒュー・ジャックマン
- ミスターリンク(スーザン):ザック・ガリフィアナキス
- アデリーナ:ゾーイ・サルダナ
- 長老:エマ・トンプソン
- ウィラード・ステンク:ティモシー・オリファント
- レミュエル・リント:デビッド・ウォリアムズ
- ピゴット・ダンスビー卿:スティーブン・フライ
主人公のライオネル卿を演じたのは、『X-MEN』シリーズのウルヴァリン役などでおなじみのヒュー・ジャックマンですね。
彼自身はオーストラリア系の俳優ですが、今回の役どころはガチガチのイギリス英語ということもあり、その特徴的な発音を見事に演じてくださいました。
やっぱりイギリス英語発音ってクールですね。ちょっと「固い」印象はあるのですが、それがまたロマンです。
そして、ミスターリンク(スーザン)役には、『ハングオーバー』でブレイクしたザック・ガリフィアナキスが起用されています。
コメディに定評がある俳優だということで、やはりコミカルなシーンは巧いですし、ちょっとした会話での「間」のつけ方の巧さで笑いをとるみたいなテクニックも存分に出してくれました。
そしてライオネル卿と一緒に旅をするアクティブな女性アデリーナを『アバター』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズで知られるゾーイ・サルダナが演じています。
他にも有名なキャスト陣が集結しており、アニメーション作品と言えど、非常に豪華な面々に演じられていますね。
『ミッシングリンク』感想・解説(ネタバレあり)
アニメーションで多様性を「見せる」
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今作『ミッシングリンク』のテーマの1つに「多様性」が挙げられます。
これは、近年の多くの映画の物語の中に内包されていているテーマでもありますし、もちろん『ミッシングリンク』の物語にも密接に関係しています。
本作でヴィラン的に描かれるピゴット・ダンスビー卿やイエティの首長は、基本的に「多様性」の敵として描かれていました。
前者は、自分が提唱してきた「人間は神の被造物である」という考えを否定する者を徹底的に、拒絶し、排除する姿勢を明確にしています。
後者は、自分たちとは違う毛の色をしているスーザン(ミスターリンク)を仲間としては認めず、追放することを命じました。
そして物語の序盤~中盤におけるライオネル卿というのは、そうした「多様性」をネタにして、自分の名声や地位を高めようとしている人間です。
こうした「多様性」という言葉に絡めた人物相関を作りつつ、多様性の象徴として、そしてその多様性の「リンク」となり得る存在としてスーザンというキャラクターを描いています。
このように本作は物語的な側面から見ても、「多様性」という言葉が宿った内容になっていました。
しかし、本作が素晴らしいのは「多様性」を物語の中で描いたことだけではなく、それをアニメーションそのものに込めたことです。
そもそもストップモーションアニメにこだわるというスタジオライカの姿勢は重要ですよね。
なぜなら、海外では日本とは違ってCGをバリバリに使ったアニメが全盛で、とりわけストップモーション風アニメがCGで作れてしまう時代です。
そんな状況で、人形を作って、実際に動かしながら撮影してという途方もない手間をかけるというアプローチをとり続けるのは、ライカがアニメーションの「多様性」を追求しているからでしょう。
本作は、劇中で描かれる風景や人間に実に多くのバリエーションを持たせてあります。
ロンドンの街並みから美しい湖、西部劇に登場しそうなアメリカの町、砂漠、密林、そして雪山と目まぐるしく変化していく風景はまさしく冒険のロマンを感じさせてくれるものです。
こうした世界各地の風景や気候、生き物、そしてそこで暮らす人たちのライフスタイルに至るまで、徹底的に描き込み、「多様性」の宿った映像を実現させています。
また、人間の多様性という意味で素晴らしかったのは、やはり「言語」でしょう。
本作は、基本的には「英語」ベースで作られた映画なのですが、時折現地の民族語が登場さえ、さらには同じ英語でも国によって発音やアクセントを変化させてという響きの多様性をきちんと内包してあるのです。
ライオネル卿はもちろんイギリス英語を話しているわけですが、アメリカの中西部にいたミスターリンク(スーザン)、そしてアデリーナはアメリカ英語を話します。この2人の話しぶりにも微妙に違いがつけてありましたね。
さらには、アジア圏に行くと、ヒマラヤの現地人やイエティたちが、これまた独特の発音やアクセントで構成されているアジア系の訛りが入った英語を使います。
このように本作が「多様性」を物語として主題にするだけではなく、それを見せて、聞かせるというところまで落とし込んでいるのは素晴らしかったと思います。
受け入れられないなら、自分で作れば良い!
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さて、本作『ミッシングリンク』のメッセージ性として、個人的に魅力的だったのは、やはり「受容」という観点です。
私たちは、異なる宗教、性的志向、人種、言葉、肌の色の人間をマイノリティとして自分たちの社会から排除してきたようなところがあります。
ただ、何もそうした大きな話にせずとも、もっと身近な学校や会社といった空間でも、人間により人間の排除や拒絶は存在していますよね。
しかし、これまでの社会では、とにかく1つの尺度の中で高い評価を獲得することが成功だという一元的な価値基準が強かったんです。
つまり、オンリー1ではなく、ナンバー1が評価される。もちろんナンバー1になることは素晴らしいのですが、それだけを価値基準としてしまうと、ナンバー1になれない大多数は失敗ということになってしまいます。
単一の価値基準にしがみつこうとすると、どうしても誰かよりも優れたことをしなければならない、出し抜かなければならないというある種の強迫観念に駆られることとなります。
本作においては、ライオネル卿やピゴット・ダンスビー卿は地位と名声を獲得し、誰よりも尊敬される人間になりたいという欲望を抱えた人間です。
彼らには「冒険家クラブ」という1つの価値基準が存在しています。ここで認められることが最高の栄誉なのだと。それは他には代えがたいものなのだと。
だからこそ、ライオネル卿は自分を拒んだにもかかわらず、「冒険家クラブ」に入ることを夢見ています。
しかし、彼はあのコミュニティに入ったところで、ピゴット・ダンスビー卿以上の存在にはなれないでしょう。
一方で、スーザン(ミスターリンク)にとってのイエティのコミュニティも同様です。
彼らにはスーザンを受容する気はありませんし、その口ぶりからして、表面的には受け入れてくれたとしてもある種の「奴隷」のようにこき使われるのが関の山でしょう。
そこで『ミッシングリンク』という作品は、1つの転換を示します。
なぜ、自分たちを拒むコミュニティに受け入れられることを望む必要があるのか?
なぜ、私たちは1つの価値基準に固執して、劣等感を感じながら思い悩む必要があるのか?
なぜ、私たちはそこしか自分の居場所がないと思い込んでしまうのか?
きっと、そうした問いを重ねた時に、「受け入れてくれないなら、自分で作れば良いじゃないか!」と思い至るのでしょう。
ライオネル卿とスーザンは自分たちを拒んだコミュニティに唾を吐き、自分たちだけで行動をするという選択をします。
ミッシングリンクという言葉そのものは、「生物の進化過程において、連続性が欠けた部分を指し、祖先群と子孫群の間にいると推定される進化の中間期にあたる生物・化石が見つかっていない状況を指す語」とされています。
しかし、直訳してしまえば「失われた繋がり」なんですよね。
ライオネル卿とスーザンは自分たちが、本来冒険家クラブやイエティのコミュニティに所属していなければならないはずだし、そこと自分の繋がりが途絶えているに過ぎないと考えていたはずです。
ただその繋がりというのは、「失われた」ものではなくて、初めから存在していないものであり、取り戻す必要もないものなんですよ。
そんな繋がりに固執せず、自分たちで新たな繋がりを作り出していくのだという本作のクライマックスの展開は思わず胸が熱くなります。
きっと本作が終わってからもライオネル卿とスーザンは冒険に繰り出して、たくさんの発見をするのでしょう。
彼らがやろうとしているのは、失われた繋がりを取り戻すことではなく、新しいつながりを作り出すことです。
自分を拒むコミュニティや価値観に身を置いて、自分をすり減らすくらいなら、いっそのこと自分で作ってしまえば良いのだというその力強いメッセージに感動しました。
これからライオネル卿とスーザンがどんな冒険をしていくのか、また見てみたいなと思いますね。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回はスタジオライカの新作映画『ミッシングリンク』についてお話してきました。
ちなみにですが、今作は昨年のゴールデングローブ賞のアニメーション部門を制した作品です。
賞レース受けの良い、多様性というテーマを持ち込んだ脚本はもちろん優れているのですが、それ以上にアニメーションで冒険のロマンをこれほどまでに感じさせてくれることに感激しています。
映画を見ていると、思わず童心に帰って、純粋な気持ちで楽しめるエンターテインメントがそこにはありました。
物語ももちろんよく出来ているのですが、ぜひストップモーションアニメの味わいと、目まぐるしく移り変わっていく景色を劇場で体感して欲しいです。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。