みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『STAND BY ME ドラえもん2』についてお話していこうと思います。
というよりも、多くの映画ファンないし藤子不二雄ファン、ドラえもんファンは『STAND BY ME ドラえもん』1作目の時点で発狂していると思います。
何と言うか、「泣ける」のために何の愛もなく原作の「良い話」系のエピソードをオムニバス的に寄せ集めて来ただけの映画とも呼びたくない産物だったんですよね。
監督の山崎貴さんがノベライズの方のあとがきにこんなことを書いてあったので、抜粋しておきます。
『STAND BY ME ドラえもん』は名作と呼ばれているいくつかのエピソードを並べてみたら、ラブストーリーとして1本の物語になるではないか!という発見だけで始めた企画です。
その発見のみが頼りの、ほとんど藤子・F・不二雄先生におんぶにだっこ、いわば無数にある原作エピソードから好きに選ばせてもらって、編集させてもらったコンピレーションアルバムのようなものです。
まあ元の話がすばらしすぎるので、ほぼその力でいい感じにできあがりました。
(『STAND BY ME ドラえもん』ノベライズ版:あとがきより)
これを読んだときに、もうがっかりを通り越して呆れましたよね。「あっ、この人は原作に何の思い入れもないんだ。」と確信しました。
原作の「泣けそう」な映画を適当にリミックスして、原作の力があったから良いものができましたなんて言っている人の映画に感動するはずもないし、ただただ怒りを覚えるのみです。
まあ『ドラゴンクエスト 天空の花嫁』を原作にして作られた『ドラゴンクエスト YOUR STORY』というあまりにもファンを逆撫ですることに特化した作品を作り上げていることからも、この監督って、良くも悪くも原作に思い入れを持って作品を作り上げるタイプの人ではないと思います。
そもそも山崎監督が評価されるきっかけにもなった『三丁目の夕日』シリーズだって、原作ファンからはいろいろと言われていましたし、あれも要は原作のエピソードを適当に掻い摘んで、「泣ける」アレンジをしているわけですよ。
このように、常に原作ファンの心をざわつかせるような作品を手掛けてきた山崎監督が、2014年以来となる『STAND BY ME ドラえもん』シリーズの続編として本作を手掛けることとなりました。
前作は『のび太の結婚前夜』やら『帰って来たドラえもん』といった有名なエピソードを適当に繋ぎ合わせた内容でしたが、今回のメインに据えられたのは『おばあちゃんの思い出』ですね。
ここに、今回はオリジナル脚本の要素を加えつつ、結婚式前日ではなく、「当日」ののび太のコンフリクトにスポットを当てていきます。
ノベライズを一足先に読ませていただきましたが、まあ正直に申し上げて、プロットはかなり酷いです。
「泣かせる」ための映画としても酷いのですが、『ドラえもん』というシリーズの名前を冠することが許しがたい1作であり、SFとしても最悪の内容でもあり、もう絶望的な気分になりました。
さて、今回はそんな『STAND BY ME ドラえもん2』について、自分なりに感じたことや考えたことを綴っていきたいと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『STAND BY ME ドラえもん2』
あらすじ
物語は『STAND BY ME ドラえもん』の後からスタートします。
前作で、しずかから雪山でプロポーズの返事を受け、しずかちゃんの父の思いに触れ、そして一時はドラえもんが未来に帰ってしまう騒動もありつつも、日常を取り戻したのび太とドラえもん。
ある日、のび太は自室の片隅に1つの古びたクマのぬいぐるみを発見する。
そのぬいぐるみは、今は亡きおばあちゃんとの思い出の品であり、のび太の宝物だった。そのぬいぐるみを見ていると、のび太は無性におばあちゃんに会いたくなる。
彼はドラえもんに頼み込み、タイムマシンを使って過去へと戻り、生前のおばあちゃんと再会することに成功する。
小学生になったのび太の姿を見たおばあちゃんは喜び、別れ際に「のびちゃんのお嫁さんがひと目見たい」と告げる。
その言葉を受けて、結婚式の当日の会場の様子を見に未来を訪れたのび太とドラえもんだったが、なんとそこに大人になったのび太の姿はなかった。
なんと、当日に逃げ出してしまったというのだ。
大慌てで未来ののび太を探す2人。
のび太としずかちゃんの結婚式は無事に行われるのだろうか…?
スタッフ・キャスト
- 監督:八木竜一
- 共同監督:山崎貴
- 原作:藤子・F・不二雄
- 脚本:山崎貴
- 音楽:佐藤直紀
- 主題歌:菅田将暉『虹』
- 主題歌(作詞・作曲):石崎ひゅーい
- 制作:シンエイ動画 白組 ROBOT
前作『STAND BY ME ドラえもん』から引き続き八木竜一さんと山崎貴さんが監督を務める形で今作も作られました
そして、脚本にも引き続き山崎貴さんがクレジットされているということで、原作ファンも映画ファンも震えて見るしかない…というところでしょうか。
個人的には山崎貴さんの『アルキメデスの大戦』が素晴らしい出来だったと思っているので、もっとこのテイストや描き込みで作品を作ってくれると嬉しいのですが…。
劇伴音楽にはこれまでにも多数のアニメや映画に楽曲提供してきた佐藤直紀さん、主題歌には菅田将暉さんの『虹』が選ばれました。
制作には、もはやお馴染みの「白組」がクレジットされており、その独特のVFXは毎度のこと好みを分けることでしょう…。
- ドラえもん:水田わさび
- のび太:大原めぐみ
- しずか:かかずゆみ
- ジャイアン:木村昴
- スネ夫:関智一
- おばあちゃん:宮本信子
- 大人のび太:妻夫木聡
- 入れかえロープ:羽鳥慎一
『STAND BY ME ドラえもん』でのび太を演じたことから、後にトヨタのCMでも実写版のび太に扮した妻夫木聡さんが今回も出演されます。
そしてのび太のおばあちゃんと言えば、やはり峰あつ子さんや高村章子さんのイメージが強い部分はあるのですが、今回は宮本信子さんが演じます。
そして今作のキーアイテムでもある「入れかえロープ」の声をアナウンサーの羽鳥慎一さんが演じられるようです。
その他のキャラクターたちは基本的にアニメシリーズと同様の面々になっています。
『STAND BY ME ドラえもん2』感想・解説(ネタバレあり)
おばあちゃんの思い出(おもいで)とは?
(C)2020「STAND BY MEドラえもん2」製作委員会
まずは、『ドラえもん』シリーズの中でも屈指の名作と言われている「おばあちゃんの思い出(おもいで)」というエピソードについてご紹介しておきます。
「小学三年生」の1970年11月号で初めて発表されたこのエピソードは人気を博し、その後何度もアニメシリーズの中で扱われているんですよ。
その中でも多くの人に知られているのは、2000年に公開された『ドラえもん のび太の太陽王伝説』と同時上映公開された劇場版でしょうか。
こちらも非常に人気があるのですが、原作とは微妙に異なる点もあるので、注意してみておく必要があります。
というのも今回の『STAND BY ME ドラえもん2』は、この劇場版にしかない描写と原作にしかない描写のいいところ取りをしているのです。
劇場版にしかないことで有名なのが、スネ夫とジャイアンに意地悪された幼少期ののび太をしずかちゃんが慰めるシーンですね。
これは、『STAND BY ME ドラえもん2』でも印象的にインサートされ、のび太が彼女からのプロポーズの返事の言葉を反芻するきっかけにもなります。
映画版ではのび太がランドセル姿をおばあちゃんに見せてそれで終わりなのですが、原作の方ではおばあちゃんが「おばあちゃん、あんたのおよめさんを、ひと目見たいねぇ。」と告げるシーンがあるんです。
その後に、ギャグマンガ的なオチとして、のび太がしずかちゃんに「今すぐ結婚して」と懇願する場面が用意されています。
そして、まさしく今回の『STAND BY ME ドラえもん2』は、この原作の方のおばあちゃんの言葉に着想を得て作られたものです。
ノベライズ版のあとがきの中で山崎貴さんが次のように語っています。
「おばあちゃん、あんたのおよめさんを、ひと目見たいねぇ。」
ここを深堀りできるなぁと。
(『STAND BY ME ドラえもん』ノベライズ版:あとがきより)
このように、この言葉から徐々にオリジナルプロットが膨らんでいき、今回の『STAND BY ME ドラえもん2』が形作られていったということです。
つまりは、原作の方もそして2000年に公開された劇場アニメ版もどちらも知っておく、鑑賞しておくのが望ましいということになりますね。
「できないこと」を描くのも大切なのでは?
(C)2020「STAND BY MEドラえもん2」製作委員会
さて、そんな「おばあちゃんの思い出」という名エピソードをベースに作られた本作ですが、個人的にはこのプロットのアプローチそのものに、『ドラえもん』の名を冠する作品として受け入れ難いものがあります。
ドラえもんって確かにひみつ道具で多くのことを可能にしてくれますし、できないことなんてないんじゃないか?とすら思ってしまいます。
しかし、ドラえもんにももちろんできないことはありますし、どんなひみつ道具にもできることとできないことがありますよね。
「どこでもドア」というアイテム1つをとっても、例えば現在地が分かっていないと作動しない、次元を超えるときには使えないなどと「できること」に限界はあります。
加えて、ドラえもんがのび太に口酸っぱく言っていることでもありますが、ひみつ道具やタイムマシンを使って、やっていいことといけないことの線引きは当然あるわけです。
とりわけタイムマシンというアイテムは、過去に影響を及ぼせてしまうわけですから、安易な行動をとってはいけませんよね。
つまり、『ドラえもん』というシリーズの1つの面白さって、一見ドラえもんとひみつ道具さえあれば何でもできそうなのに、「できないこと」や「やってはいけないこと」というのはきちんと残されているところだと思うんです。
そもそもドラえもんがのび太のところにやって来た目的って、のび太のせいでセワシの肩に重くのしかかっている大きな借金を少しでも減らすためというシビアな内容なんですよ。(諸説ありますが)
でも、ドラえもんであれば、ひみつ道具で借金くらい帳消しにできてしまうじゃないかと思いますし、過去に戻ってのび太を更生させるなんて回りくどいことをする必要もないじゃん!と思う方もいるでしょう。
ただ、ドラえもんは、それは「やってはいけないこと」だと分かっていて、ひみつ道具をそうした私利私欲のために乱用するのは危険だと判断し、結果的にのび太の下に現れたわけです。
この点からも、この『ドラえもん』というシリーズがそもそも「万能の力」を作中に存在させながらも、様々な制約や限界を描き、それによって物語を展開して来たのだということが伺えます。
今回の物語の発端は、おばあちゃんの「おばあちゃん、あんたのおよめさんを、ひと目見たいねぇ。」という言葉です。
ただ、原作では、このおばあちゃんの願いは叶えられることなく、先ほども紹介した小学生のび太が小学生しずかちゃんに求婚するというギャグ路線のオチに結実していくわけです。
この「おばあちゃんの思い出(おもいで)」の素晴らしい点って、ドラえもんの力ないしタイムマシンの力によって、「できること」と「やらないこと」の線引きを明確にしていたことだと個人的には思ってきました。
のび太は、おばあちゃんの「小学生になったのび太を見たい」という願いを叶えるべく、現在にランドセルを取りに帰り、再びおばあちゃんの前に現れるという行動をとりました。
もちろんこれはタイムパラドックスの観点から言えば、やるべきではないことですし、そもそもタイムマシンなんてものがなければ不可能な芸当です。
それでも、おばあちゃんの願いを叶えるために「小さなタブー」を侵すというこの微妙なラインをつく行動が感動を誘う仕上がりになっているわけですよ。
また、このエピソードは自分の大切な人がいつまでも身近にいてくれるわけではないのだということを、子どもにそれとなく教えてくれるエピソードでもあるんです。
大切な人はいつまでもそばにはいてくれない。
それでもクマのぬいぐるみのような形見であったり、形には残っていないけれども一緒に過ごした時間や思い出であったりは永遠のもので、いつまでも自分の中に残り続けるのだという、「目には見えない」ものを推し量らせてくれる内容になっているわけですよ。
だからこそ、このエピソードは、無性におばあちゃんに会いたくなったのび太の思いに対して、小学生になった自分のことをも気にかけてくれるおばあちゃんの眼差しが注がれることで結実します。
まさしく「今の自分」をどこかでおばあちゃんは見守ってくれているんだという「目には見えない何か」をのび太が感じられるというところが、このエピソードの肝だと私は思っているわけです。
それ故に。私は今回の『STAND BY ME ドラえもん2』のプロットそのものがすごく受け入れ難いものに思えたんですよね。
なぜなら、今作では、原作では叶えらえることがなかった、叶えられなかったからこそ良かった「おばあちゃんの2つ目の願い」を叶えてしまうという内容になっているからです。
のび太は小学生になった自分の姿をおばあちゃんに見せることで、同時に自分が見守られているのだという実感を得ます。
だからこそ、もう彼はそれ以上の「タブー」を犯して、おばあちゃんをお嫁さんに会わせるなんてことはしなくて良いわけですよ。
原作では、「オチ」をつけないといけませんから、そうした実感や成長を得たはずののび太が、しずかちゃんに求婚をしてお嫁さんをおばあちゃんに見せようとしているという描写をギャグとして取り入れています。
このいわゆる「オチ」は、「なんだ結局いつもののび太じゃないか…」と読み手を落ち着かせる効果があると言えるでしょうか。
映画版がこの「オチ」をカットしてあるのは、のび太の「成長」を描くことに力点を置いたからであり、その「成長」を無かったことにして笑いを取りに行くような結末にはしたくなかったということなのだと私は解釈しています
つまり、「おばあちゃんの2つ目の願い」を叶えるという行動を大真面目に描いてしまうのは、明らかに「おばあちゃんの思い出(おもいで)」というエピソードにおけるのび太の「成長」を否定してしまいかねないのです。
加えて、この『ドラえもん』というシリーズを通底する「できないこと」「やらないこと」があるからこそ生まれるドラマがあるという良さをも否定していると思うんですね。
今作のクライマックスでは、のび太の結婚式が行われ、そこにはおばあちゃんの姿もあります。
何と言うか、この描写を見ていると、これまでドラえもんファンないし「おばあちゃんの思い出(おもいで)」を見た人が頭の中で、あくまでも想像として思い描き、大切にしてきたものを勝手に映像化されてしまったという印象を受けました。
もっと言うなれば、見た人の心の中に無限に生まれる可能性を秘めていた、描かれなかったことによる「余白」を埋めてしまうというタブーを犯してしまったような気すらするんです。
おばあちゃんには寿命があります。永遠に生きることはできませんから、のび太の結婚式を見ることはできませんし、お嫁さんの姿を見ることは叶いません。
でもこの「できないこと」をちゃんと物語に残しておくのは、とても大切なことだとは思いませんか。
人間はいつか死んでしまう生き物です。
『鬼滅の刃 無限列車編』でも煉獄さんが「老いることも死ぬことも。人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ死ぬからこそ、たまらなく愛おしく尊いのだ。」と言っていたではないですか。
つまり、のび太の結婚式を「見られないこと」こそが、おばあちゃんとのび太の関係性をより美しいものにする1つのファクターだったんですよ。
会場に来ることができないからこそ、のび太は「どこかで見守ってくれているはず」と思うはずですし、おばあちゃんは「見られないからこそ」一層、彼の「今」に向き合ってあげようと思うものなのではないでしょうか。
そういう「見ることができない」というコンテクストにより成立していた美しき関係性の聖域に、今作は土足で足を踏み入れ、好き放題に歩き回り、最後には「ワスレンボー」で帳尻を合わせるといういい加減にして欲しい愚行をやってのけたような気がしています。
皆さんは、今回の『STAND BY ME ドラえもん2』が描いた「おばあちゃんの思い出(おもいで)」の後日譚についてどう思いましたか。
私は苦言を呈しましたが、きっとこの後日譚の描かれ方が好きだという方ももちろんいらっしゃることでしょう。
ですので、あくまでも自分が感じたこと、思ったことを大切にしていただき、穿った見方をしている映画ファンが勝手にブチ切れているくらいに読んでいただけたらと思います。
「そのままでいいから、そばにいて」というメッセージは好きだ
(C)2020「STAND BY MEドラえもん2」製作委員会
さて、ここまで作品についてオリジナルとの繋がりの観点から、苦言を呈してきましたが、もちろん好きな部分もあります。
それは今作を通底する「そのままでいいから」というメッセージ性です。
そもそもドラえもんはのび太を更生させるためにやって来たわけですが、彼らの日常はのび太が秘密道具を使って安易に何かを成し遂げようとし、失敗するというルーティンの連続ですよね。
「ひみつ道具」というものは、のび太に「背伸び」をさせてしまうアイテムです。つまり、自分の力ではないことも、「ひみつ道具」があればできるようになるんですよ。
しかし、それって結局のところ自分の力ではありませんよね。
ただ、のび太は自分に自信がなくて、何もできないと思っていて、でも見栄っ張りな性格が故に、ドラえもんや「ひみつ道具」に頼って、自分を大きく見せようとしてしまうんです。
しずかちゃんというヒロインは、のび太のそういう性格をよく分かっているのでしょうね。
「得意じゃないのに、ケンカなんてするから!無理なんてしなくていいの。のび太さんはそのままでいいんだから。」
(『STAND BY ME ドラえもん2』より引用)
このセリフって、のび太に努力しなくていいと言っているわけではなくて、無理に自分を大きく見せる必要はないんだよということを伝えているんですよね。
大人になった結婚式当日ののび太が悩んでいるのもまた、自分ではしずかちゃんを幸せにできないかもしれないという悩みであり、それは自分を大きく見せようとする癖があったのび太がドラえもんないしひみつ道具という梯子を外された成れの果てなのでしょう。
こんな人になれたら、あんな人になれたらしずかちゃんをきっと幸せにできるのに、自分にはそうはなれない。
しかし、しずかちゃんの方は「そのままでいいから、そばにいて」と言ってくれています。
大きく見せる必要も、飾る必要もなくて、等身大ののび太のままで来て欲しいとそう願っているわけです。
子どもの頃はドラえもんやひみつ道具に頼りっきりだった彼が大人になり、結婚という一つの節目を迎えるにあたって、「そのままの自分」を受け入れるという展開は、シリーズに対する1つのアンサーになっているとも言えるでしょう。
そして、鑑賞前に多くの映画ファンが懸念していた「結婚=ゴール」というコンテクストがアウトオブデイトであるという点ですが、個人的にはギリギリクリアしてきたようには感じました。
というのも、今作はのび太が自分を支えてくれた家族の存在性に気がついていくことが、クライマックスの結婚式へと繋がっていく展開にすることで、しずかちゃんと結婚することというよりは、「彼女と家族になること」に重きが置かれていたように思います。
そのため、のび太の新郎スピーチの中でも家族のエピソードに言及され、支え合える関係になって、温かい家庭を築いていくという未来への思いが語られました。
のび太は「こんな僕じゃしずかさんを幸せにできないかもしれない」と語っていましたよね。しかし、彼は物語の果てに気がついたのです。
結婚と言うものは、自分が頑張って彼女を幸せにするための関係ではなく、2人で一緒に努力し、支え合っていくための関係なのだと。
だからこそ、のび太はスピーチの最後にしずかちゃんに向けて「がんばっていっしょに幸せな家庭を作ろう」と呼びかけるんですね。
このように、本作は「そのままのきみで」という言葉を軸に、『ドラえもん』というシリーズに対する1つのアンサーとして「結婚式」のエピソードを描いたように感じます。
オリジナル版と比較して好きになれない部分は多々ありますし、「おばあちゃんの思い出(おもいで)」の後日譚的に見れば、個人的には悪夢に近いです。
それでも、ポストドラえもん、ポストひみつ道具の時代を生きるのび太の「成長」を描く作品として、これは「アリ」だと個人的には思っています。
IMAXで見る価値はあるかどうか?
さて、今回『STAND BY ME ドラえもん2』はIMAX版が上映されています。
どうやら東宝がIMAX社と今後の作品を巡る包括的な契約を結んだようで、『鬼滅の刃』と今作を含めて、今後5作品についてIMAX上映が行われる運びになるようです。
確かにハリウッド大作映画が入ってこないとなると、自国のコンテンツで何とかやりくりする必要があるわけで、そういう意味でも日本の映画館を支えていく上で、この契約は重要でしょう。
とは言っても、日本の映画ってそもそもIMAXシアターでの上映向けに作ったりしないので、結局はアップコンバートして上映するという形になると思うんですよね。
で、今作『STAND BY ME ドラえもん2』はおそらくアメリカンビスタの「1.85:1」のアスペクト比で製作されています。
ただ、今普及しているデジタルIMAX シアターのスクリーンって、基本的に「1.9:1」の映像を映し出すことを念頭に置いて作られているのです。(大阪EXPO CITYの109シネマズとグランドシネマサンシャインのものは例外)
つまるところ、「1.85:1」の映像を「1.9:1」が適性のスクリーンに映し出すことになるわけですから、当然左右に映像が映らない部分ができてしまうんですね。
(C)2020「STAND BY MEドラえもん2」製作委員会
上下に若干映りきらない余白があり、さらに左右にかなり目立つ余白が生まれていて、映像を「額縁」の中に収めたようなある種の閉塞感があるんですよね。
IMAXってスクリーンサイズであったり、音響であったりが注目されることが多いのですが、映像的な観点から言うと「奥行き」がすごく大切だったりします。
そうなんです。あれは、IMAXシアター専用に作られた映像なのですが、これは基本的に「1.9:1」で見栄えが良くなるように作られていて、縦横への映像の広がりが没入感を生み出しているのです。
また、IMAXのスクリーンってただの平らな面ではなくて、微妙に曲線を描くように設置されていることが、映画館を訪れていただければお分かりいただけると思います。
これは、没入感を生むための工夫でして、映画は基本的に映像の中央に重要な情報を配置することが多いという特性もありますので、このようにスクリーンが中央に行くほど奥まっていくような曲線形の構造にすることで、映像に奥行きを出せるんですね。
加えて言うなれば、観客が映像に吸い込まれていくような没入感をを抱くことができる仕組みも、ここにあります。
では、これを踏まえて、今回の『STAND BY ME ドラえもん2』が映像的に満足だったかと聞かれると、個人的には「勿体ない」と答えますね。
というのも、今作は未来の世界をタケコプターで浮遊したり、バイクでのチェイスシーンがあったり、タイムホールのIMAXカウントダウンを彷彿させるような映像もあったりと、実は大画面で見る意義のあるシーンがたくさんあるんですよ。
ですので、きちんとIMAXの画角を意識して、没入感を生み出せるようなアスペクト比を実現できていたら、かなり見応えがあったと思うのです。
しかし、公開されたバージョンでは、先ほども紹介したように左右にかなり目立つ余白が残されてしまう形になり、IMAXシアターの特性でもある、左右の広がりと奥行きという強みをほとんど活かせていません。
結果的に、額縁に収められてしまったようなこじんまりとした印象が強まり、IMAXで見る価値が下がっているように思えました。
アスペクト比的な観点から言うなれば、私としては過去と現在、未来で映像のアスペクト比を変えるなんて演出もIMAXシアターでの上映を見越していたなら面白かったかもと思っています。
過去の映像はレトロテレビを見ているような、ただ未来に行くと一気に映像的な広がりが増して…なんてギャップが生み出せていたら、物語としてのエモーションの付加価値になったはずだと考えました。
また、個人的に気になったのは音響面ですね。実は今作、これが結構な曲者です。
というのも、劇伴音楽のボリュームが異常にデカいので、良い音響で鑑賞すればするほど、そうしたBGMの存在感が大きくなりすぎて、物語への没入感が下がるのです。
では、IMAXシアターでの鑑賞は、結局おすすめなのか?と聞かれると、個人的にはあまりおすすめではないです。
というよりも、こういう作品がIMAX初体験なんてことになると、「IMAXってこんなもんか…」思わせてしまう可能性が極めて高いと危惧しています。
それでも、IMAXで見る価値があるとすれば、より映像の質感をクリアに体感できるという点でしょうか。
この『STAND BY ME ドラえもん2』はとにかくおばあちゃんの肌であったり、畳やぬいぐるみといった事物に至るまでの素材の質感が非常に丁寧にCGで再現されています。
特におばあちゃんの手のあの絶妙な質感と陽だまりのような温かさには、見る者の心を動かすクオリティが備わっていました。
これは大画面で、そしてよりクリアな映像を見られる環境で見るほどに、味わい深くなるものです。
ですので、こうした映像の質感や温度感をじっくり堪能したいという方については、IMAXシアターでの鑑賞も「アリ」だとは思います。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『STAND BY ME ドラえもん2』についてお話してきました。
1作目は冒頭にも書きましたが、ただの原作のオムニバスであり、何の脈絡もなく「泣ける」という観点でエピソードをリミックスしたに過ぎない内容です。
特に「帰って来たドラえもん」の扱い方には怒り心頭でしたし、あれを物語の最後に置くことによって、映画における「変化」や「成長」を半ば否定してしまうという構成にも呆れました。
そのため、原作の有名エピソードを軸にしつつも、オリジナル要素が強かった本作は、前作よりはまだマシな内容だとは思いました。
ただ、先ほども書いたように今作は「おばあちゃんの思い出(おもいで)」という作品の良さを真っ向から否定しにかかっているような側面もありますので、やはり好みは大きく分かれることだろうと思います。
皆さんは今回の『STAND BY ME ドラえもん2』、どう感じましたか。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。