みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『君は彼方』についてお話ししていこうと思います。
先日鑑賞した『ドクターデスの遺産』がまああまりにも酷い内容だったということもあり、2020年にこれより酷い新作はないだろうと思っていましたが、滑り込みでまた際どい作品に出会ってしまいました。
まあ、今作については鑑賞前から嫌な予感がしまくっていたんですよね。
(C)「君は彼方」製作委員会
まず、ポスターとタイトルが『君の名は。』や『天気の子』の臭いを強く漂わせている上でに、ポスターの下部にある海の上を走る電車という設定も大ヒット映画『千と千尋の神隠し』から引っ張ってきたようなものです。
『千と千尋の神隠し』より引用
作品を見てみると、主人公が死と生の境界の世界を彷徨うという内容になっているのですが、このプロットも『千と千尋の神隠し』っぽいんですよね。
『千と千尋の神隠し』は都市伝説的に死後の世界の話なんて言われることもありますが、そもそも「名前を奪われる」という形で1人の少女の「死」を描いています。
そんな少女の異世界に「行って帰って来る物語」である同作と、主人公が死と生の境界の世界を彷徨って、現実世界に戻って来る物語である『君は彼方』はどことなく似ているわけです。
加えて、物語の全体的な作りは、もう使い古されたなんてレベルではなく、こすられ倒したありきたりなものであり、最近で言うと『泣きたい私は猫をかぶる』に似ていますね。
主人公好きな異性への思いが伝えられず、その葛藤から人在らざるものへと姿を変えてしまうというプロットである同作は、好きな人に思いを伝えられないために現実世界に戻れなくなる主人公を描いた『君は彼方』にそっくりです。
また、物語の中では主人公が次第に意中の相手の名前や思い出を忘れていくという展開もあり、これまた『君の名は。』にそっくりなので笑うしかありません。
しかも物語中盤に、ディズニー映画によくあるミュージカル仕立てなシーンもあったりして、どう考えてもアナ雪を意識してるだろ…としか言えないわけで…。
というように、とにかく既視感の寄せ集め、パッチワークとしか形容できない作品であり、全くもって見どころがないのです。
それで、物語そのものが面白かったら、まだ許せるのですが、そんなこともないので、とにかく苦行に近いと言わざるを得ませんでした。
そんな本作について『君は彼方』について個人的に感じたことや考えたことを綴っていきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『君は彼方』
あらすじ
幼馴染の新のことが気になっている澪は、なかなか思いを打ち明けることができない。
澪は、幼少の頃から何をやっても上手くいかず、そんな自分に諦めめいた感情を抱き、物事に本気で向き合ったり、取り組んだりすることから逃げ続けていた。
ある日、彼女は同じく幼馴染の円佳から、新への好意を打ち明けられる。
動揺した澪は、幼馴染3人の関係を崩したくないと咄嗟に思い、自分は新のことなんか好きじゃないと嘘をついてしまう。
その頃から少しずつ新との関係性がぎくしゃくするようになり、ついには些細なきっかけから喧嘩をしてしまう。
それでも、仲直りをしたいと思い、澪はある雨の日に新のもとへ向かうが、その途中で交通事故に遭ってしまうのだった。
意識を失い病院に搬送された澪。そんな彼女が目を覚ますと、そこは見たこともない異世界が広がっていた。
夢のような世界を前に心躍る澪。
そんな彼女の前にギーモン(澪の部屋に置かれていたぬいぐるみ)が現れ、そして告げる。
ここは君の「望む世界」なんだよ。
スタッフ・キャスト
- 監督:瀬名快伸
- 原作:瀬名快伸
- 脚本:瀬名快伸
- キャラクター原案:はぁおん
- キャラクターデザイン:阿部智之
- 総作画監督:阿部智之
- 演出:浅見隆司 渡聡留
- 撮影監督:長牛豊
- 編集:後藤正浩
- 音楽:斎木達彦
- 主題歌:saji
記事の冒頭にも紹介しましたが、監督・脚本を担当したのは、瀬名快伸さんですね。
後の章で解説しますが、今作の主人公には監督自身の性格や悩み、葛藤が投影されていたようですね。
私は見たことがないのですが、短編映画『奇魂侍』を手掛けたことでも知られているのだとか。
キャラクターデザイン・総作画監督には、『ひぐらしのなく頃に』シリーズをはじめ数多くのテレビアニメを手掛けてきた阿部智之さんが起用されました。
編集には『あさがおと加瀬さん』や『フラグタイム』などで丁寧な恋愛譚を紡いできた後藤正浩さんがクレジットされております。
また、主題歌にはsajiさんの『瞬間ドラマチック』が選ばれています。
- 澪:松本穂香
- 新:瀬戸利樹
- 織夏:土屋アンナ
- 菊ちゃん:早見沙織
- ギーモン:大谷育江
- ギーモン:山寺宏一
- 円佳:小倉唯
- 殯:竹中直人
主人公の2人には俳優の松本穂香さんと瀬戸利樹さんが起用されています。
俳優起用は、当たり外れが綺麗に分かれる印象があるんですが、正直この2人は「あんまり上手くないですね!」という印象を受けました。
特に、新を演じた瀬戸利樹さんの方は、ほとんど棒読みじゃないか…というレベルで、かなり物語に入り込むうえではノイズに感じられました。
最近、俳優起用であっても杉咲花さんや清原果耶さんなど見事なボイスアクトを披露されている方も多いので、正直相性なのでしょうね。松本穂香さんなんかは演技そのものは抜群に上手いですし。
こうした主人公2人のちょっと残念なボイスアクトもあるのか、脇役で起用されている早見沙織さんや小倉唯さんの力量はやっぱり際立ちますよね。
また、今回はギーモン役で大谷育江さんと山寺宏一さんが2人1役を務めたことも話題になっています。こちらも要注目です。
『君は彼方』感想・解説(ネタバレあり)
目新しいものが何もない?既視感のパッチワーク
(C)「君は彼方」製作委員会
さて、記事の冒頭にも書かせていただきましたが、やはり本作の最大の問題点はあまりにも既視感のある展開と要素、ビジュアルを盛り込み過ぎるがあまり、全くもってオリジナリティのない作品になってしまったことでしょう。
もちろんどんな作品も「模倣」から始まるものです。
新海誠監督の映画『君の名は。』だって1982年に公開された大林宣彦監督の『転校生』という映画に設定そのものは着想を得ています。
しかし、そこにセカイ系のプロットや震災のコンテクストを持ち込むことで現代化し、今の人たちに受け入れられる作品に仕上げたわけです。
ですので、模倣や既に存在している物語の方や要素を踏襲することそのものは、ダメではないですし、むしろそこには創作の1つのカタチがあるとも思っています。
ただ、この『君は彼方』に関して言うなれば、オリジナリティが皆無に近いのです。
冒頭にも書きましたが『君の名は。』『天気の子』『アナと雪の女王』『千と千尋の神隠し』といった日本でも大ヒットした映画の要素を適当に持ってきて、それを繋ぎ合わせたら何となく1つの物語になりました程度なんですよね。
とりわけ、アニメーション的な部分、つまり視覚的な情報で驚きを与えられないというのは、もはやアニメ映画としては致命的ではないでしょうか。
近年、日本の作品に限らず、世界的にアニメーションの映像レベルは向上しており、どんどんと視覚的にインパクトのある作品が生まれています。
『君の名は。』が大ヒットした要因の1つにも美麗な背景描写であったり、美しく壮大なアニメーションであったりが与えるインパクトは間違いなく挙げられるでしょう。
そうしたパッと見ただけでも、その映像で人を惹きつける引力がある作品が2020年だけでも数多く後悔されているという状況で、ここまで何の変哲もなく、何の求心力もない映像作品が公開されてしまうことに驚きを隠せません。
というよりも、おそらくは見せ場として意図しているであろう映像があくまでも「借り物」に過ぎず、しかも作画のレベルも高くないので「劣化版」でしかないというのが致命的すぎました。
『君は彼方』を形容する上手い言葉が見つかりませんが、自分としては「過去のヒット作のプラスの要素だけをひたすらに掛け合わせたら、なぜか答えがマイナスになった」みたいな感覚でした。 pic.twitter.com/BCyfY5Pkng
— ナガ@映画垢🐇 (@club_typhoon) November 27, 2020
海の上を走る電車なんて『千と千尋の神隠し』でもう見ましたし、どうやってもあれを超えることはないです。
物語の中で1つの山場として描かれた新が異世界に澪を救出しに来る描写も、何か『天気の子』で見たなぁと思わざるを得ないような映像で、何とも目新しさがありません。
また、「私はできる!」と高らかに歌い上げる描写も、完全に『アナと雪の女王』を初めとするディズニー映画からの流用でしかないですね。
このように、物語に限らず、映像に節々に至るまでオリジナリティを全く感じない仕上がりになっているわけですよ。
10年前だったら、このクオリティの作品でもある程度は受け入れられたかもしれませんが、アニメーション作品のレベルが急速に高まってきている昨今に、受け入れられるほど甘くはないでしょうね。
もっとこの作品にしかないもの、描けないものを見せて欲しかったと思います。
自己解決で進行する物語はつまらない
(C)「君は彼方」製作委員会
さて、もう1つ本作の物語面での欠点を挙げておきます。
基本的に映画に限らず、どんな物語でも、主人公の葛藤や悩み、成長を描きたければそれを克服することを強いる状況や展開を作り出して、その中で1つずつ壁を越えていく様を描きますよね。
つまり、出来事ベースで話を展開していくのが普通であり、そうすることで登場人物の成長や変化に説得力を持たせることができるわけです。
ただ、この『君は彼方』という作品は、そうした物語の基本的な要素が完全に欠落しているんですよね。
確かに、主人公が生と死の境界の世界に飛ばされてしまって、自分が新たに伝えたかった強い思いを取り戻さなければ現実世界に戻れないというシチュエーション自体は、主人公の澪に成長や変化を求めるものです。
しかし、そうした世界観を用意しつつも、具体的に彼女の成長や変化をどう演出していくのかというと、ひたすらに自分の中で自問自答をして、勝手に解決して、勝手に成長していくというだけだったりします。
これ、ノベライズの方を読んでいただけると顕著なのですが、主人公の心の声がひたすらに羅列されているだけで、彼女に影響を与える外部要因が少なすぎるんですよね。
つまり、異世界でどんな出来事が起きて、それが彼女にどんな変化や成長を求めていて、そのための「きっかけ」を与えてくれる人がいて、という外部要因があまりにも少なく、ただ主人公が自分の中で「禅問答」のごとく問いかけを繰り返して、勝手に自己解決していく様は、一体何を見せられているんだ?という気持ちになります。
というか、そのレベルのことで解決できてしまう問題なら、日常生活の中で普通に乗り越えられるのでは?と思うほどにしょうもないのです。
一応用意されている異世界設定は、主人公が「伝えたい思い」を持ち合わせていないから帰らせませんの1点張りですし、それに対して主人公は「私はできる」「私は変われる」「私は変わったんだ」と勝手に自分に言い聞かせて、力業でどうにかしてしまいます。
簡単に言うと、こういうことなんです。(あくまでもイメージです)
「わたしはできる!わたしは新に伝えなきゃ!だから現実世界に帰らなきゃ!」
「ダメじゃ!お前はまだ大事なものを思い出しておらんからの。」
「何がダメなんだろ…。私は新に何を伝えたかったんだろ。私は何がしたいんだろ…。」
「でも、わたしはできる!わたしは新に伝えなきゃ!だから現実世界に帰らなきゃ!」
「ダメじゃ!お前はまだ大事なものを思い出しておらんからの。」
(以下、この繰り返しで何だかんだ第4回目くらいで現実世界に帰れる)
『君は彼方』
端的に言うと葛藤や悩みを主人公が自己暗示と自己解決で勝手に乗り越えようとするおんなじ過程を3〜4回見せられる話という。1回目も2回目も3回目も4回目も解決を目指す過程が同じに見えるし、なぜ1回目や2回目の時はダメで、4回目は良かったのかよく分かんない。全体的によくわかんない。 pic.twitter.com/bpUopfUH3G— ナガ@映画垢🐇 (@club_typhoon) November 27, 2020
そもそも、「好きな人に好きだと伝えられない」というちょっとした日常の些細な悩みと死と生の境界の異世界という壮大な世界観が不均衡だと思うんですよね。
今年公開された『泣きたい私は猫をかぶる』なんかは、日常の延長線上にあるちょっと不思議な世界観と猫という親しみのあるビジュアルで、「好きと伝えられない」主人公の葛藤を描きました。
物語のスケールと世界観のスケールが一致していると、すごくリアリティが出て、同時に親しみがわくんですよ。
この『君は彼方』は世界観が壮大な割には、プロットのスケールは小さく、主人公が乗り越える壁やハードルもすごく低いのです。
それでいて、主人公が壁を乗り越えるブレイクスルーをもたらすのは、ただの自問自答でしかないので、それで解決できるならわざわざ異世界展開持ち出す必要がないだろうと思ってしまうのです。
この『君は彼方』という作品は、とにかく設定や世界観が物語に釣り合っていないのだと私は思っております。
せっかく異世界設定を持ち出したのに、その設定が与えてくれるのは、「思い出すまで帰らせません!」という一種の帰れま10要素だけです。
そして、主人公は何かに求められたり、きっかけを与えられたりすることもなく、勝手に自己解決して、勝手に納得して、勝手に成長して異世界を脱出してしまいます。
こんな物語が描く異世界に何の意義も意図も見出せませんし、主人公の苦悩や葛藤に共感することもありませんし、その成長に勇気をもらうこともないでしょう。
今作は、もっと「成長」というものを物語としてどう見せるのかをしっかりと考えて欲しいんですよね。そこの詰めが甘すぎるというか、詰めてなさすぎます。
観客は、主人公が勝手に悩んで、勝手に成長していくだけの話には惹かれませんし、説得力を感じません。
何が彼女に成長を要求するのか、そして何が彼女の成長のきっかけになるのかという外部要因をもっと明確にしなければ、今作は成長譚としては成立していないに等しいと言えます。
冒頭に新を巡って関係がぎくしゃくしたのに、澪が現世帰って、「やっぱり新のこと私も好きだから」と告げると、他の男と付き合い始めるって、そんな適当な三角関係の締めくくり方あります…?
しかもその付き合い始めた相手に関しては完全にぽっと出のどこの馬の骨かもよく分からない奴ですからね。
これが本当のご都合主義か…と思わず膝から崩れ落ちましたよ(笑)
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『君は彼方』についてお話してきました。
ここまでかなり厳しいことを描いてきましたが、ノベライズの方の原作ないし監督の瀬名快伸さんのあとがきを読んでいると少し心が痛みます。
彼によると、本作の主人公のモデルである澪のうじうじとした性格、何事も諦めがちな気質は、監督自身の投影であり、自分が多くの人に支えられて『君は彼方』という作品を作ったというプロセスを、この作品にも込めたということなのです。
あとがきにこんな一節があります。
「君は彼方」が世の中の人に受け入れられなかったら、次はないと思っています。
(ノベライズ『君は彼方』あとがきより引用)
ただ、監督自身に「何事も諦めたり、躊躇ったりしてしまう自分を払拭して作り出したのが、この作品なんです!」とこうも切実に言われてしまうと、作品を批判することが彼のそうしたプロセスないし『君は彼方』という作品が描いた主人公の成長そのものを否定するような構造になっているのが、私はすごく心が痛むのです。
こうして劇場公開され、多くの人に届くアニメーション作品を1つ作り上げるということは、誰にでもできることではありませんし、そこに漕ぎつけたという点で監督は評価されるべきと私は思います。
ただ、作品のクオリティや出来栄えは、また別問題です。
ですので、最後にもう一度はっきりと言わせていただきますが、この『君は彼方』という作品は、近年稀にみる低クオリティのアニメ映画だと思います。
この評価は、いくら本作に監督自身の物語が投影されているといったバックグラウンドが分かったところで揺らぐことはありません。
ただ、強調しておきたいのは、私が批判しているのは、あくまでも作品そのものであって、それを作り上げた人たちではないということです。そこの線引きは明確にしておきます。
あとがきの中で、瀬名監督はまだまだ作りたいオリジナルアニメがたくさんあるということを綴っておられますので、もしまた別の作品を見ることがあれば、その時はまた拝見させていただきたいですね。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。