みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね『今際の国のアリス』についてお話ししていこうと思います。
当ブログ管理人も、情報が出た頃から注目していたシリーズなのですが、何と言ってもこの土屋太鳳さんのタンクトップ姿ですよね。
土屋太鳳さんは『ウルトラマンゼロ』シリーズでエメラナ姫役として出演されていたり、オールスター感謝祭のマラソンで激走を見せたりするなど、身体能力の高さをこれまでにも伺わせてくれました。
しかし、残念ながらそれが発揮されるような役を演じることが少なく、個人的にも悶々としていたのですが、今回正統派アクションヒロインである宇佐木柚葉を演じることとなり、ようやく彼女の本領発揮か…とわくわくしていたんです。
加えて、Netflixが出資した作品と言うことで、監督である佐藤信行さんも予算に頭を抱えることなく、撮影を敢行することができたのではないかと思います。
佐藤監督は邦画の限られた予算の中で、数多くのアクション大作を生み出してきた人物であり、当ブログ管理人は『デスノート Light Up the New World』の冒頭のロシアパートの画作りのリッチさに感動したのを今でも覚えています。
ですので、今回大規模な渋谷スクランブル交差点のオープンセットを使用できたということもありますが、全体的に画作りのクオリティも高く、テレビで放送されている日本の他のドラマ作品とは、比べ物にならないほどのリッチさを有していました。
こうした映像的な部分だけでもかなり胸が熱くなるのですが、プロットも全18巻の同名の大ヒットマンガをベースにしているということもあり、非常に見応えがあります。
特に第3話。第3話は屈指の名エピソードだと思いますので、ここまではとにかく見て欲しいですね。
それ以降は若干トーンダウンする部分はありますので、自分に合わなければ視聴を継続しないという判断を下しても良いと思います。が、第3話まではとりあえず見てください。
今回の記事では、前半に今回のドラマシリーズの、後半に原作のその後の展開についての感想や解説を綴っていきます。
それぞれのネタバレになるような内容に言及することもございますので、未見の方はお気をつけください
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『今際の国のアリス』
あらすじ
有栖良平は大学を中退したこともあり、父と弟からプレッシャーをかけられ、家に居場所を失くしていた。
彼が安らぎを感じるのは、友人である苅部大吉と勢川張太と共に過ごしている時だけだった。
ある日、3人はいつものように連絡を取り合い、渋谷の町へと繰り出していく。
交差点で周りの人どおりや交通を顧みず、暴れ回っていた彼らはスクランブル交差点で交通事故を誘発してしまう。
警察に目をつけられることを恐れた彼らは咄嗟に渋谷駅の公衆トイレの個室に逃げ込むのだが、そこで突然世界が静寂に包まれる。
恐る恐る渋谷の街に繰り出してみると、そこには先刻までの人通りが嘘のようにガランとした街並みが広がっていた。
さっきまで、ここにいた人たちは一体どこ得消えてしまったのか。電子機器も使えない状況の中で、何とか生き延びようとする彼ら。
すると、電光掲示板にあるメッセージが表示される。
それは「ゲーム」への案内状だった。
誰か他の人がいるかもしれない。そんな望みを抱きながら3人は会場を目指すのだが…。
スタッフ・キャスト
- 監督:佐藤信介
- 脚本:渡部辰城 倉光泰子 佐藤信介
- 音楽:やまだ豊
- 撮影監督:河津太郎
- 美術監督:斎藤岩男
- アクション監督:下村勇二
- VFXスーパーバイザー:神谷誠 土井淳
- 企画・制作:ROBOT
まず、監督を務めたのは『GANTZ』シリーズや『アイアムアヒーロー』『いぬやしき』など数多くのマンガの実写版を手掛けてきた佐藤信介さんです。
邦画って大作映画と言われるような作品でも、海外の低予算映画と呼ばれる作品レベルの金額で製作されていますので、やはりアクション映画を撮るとなるとどうしても厳しい部分があります。
そうした障害を乗り越えながら、何とか限られた予算の中で臨場感と迫力のあるアクションやリッチな画を実現しようと試みてきたのが、佐藤信介監督なんですよ。
記事の冒頭にも書きましたが、『デスノート Light Up the New World』の冒頭のパートの映像クオリティは他の邦画大作とも一線を画する出来栄えでしたので、未見の方はぜひご覧になっていただきたいです。
そしてもう1人、本作を語る上で欠かせないのが、アクション監督であり、自身もスタントマンとして活躍してきた下村勇二さんです。
彼は佐藤監督と長年タッグを組んできた人物で、近年は自らが監督を務める『RE:BORN』が公開されるなど、注目を集めています。
下村勇二さんは近接格闘の描写を得意としており、そのため今回の『今際の国のアリス』ではたびたびそうしたアクションシーンが登場しました。
撮影や劇伴音楽といったセクションにも、これまで佐藤監督を支えてきた面々が名を連ねており、まさしく彼の1つの集大成的位置づけとなるドラマシリーズなのではないでしょうか。
- 有栖良平:山﨑賢人
- 宇佐木柚葉:土屋太鳳
- 苣屋駿太郎:村上虹郎
- 勢川張太:森永悠希
- 苅部大吉:町田啓太
- 安梨鶴奈:三吉彩花
- 韮木傑:桜田通
- 水鶏光:朝比奈彩
- 紫吹小織:水崎綾女
- 加納未来:仲里依紗
主人公の有栖良平を演じるのは、「少年漫画の実写版主人公と言えばこの人!」的なポジションでもある山﨑賢人さんです。
ただ、彼は『羊と鋼の森』のような作品を見ていただけると分かるのですが、演技面でもかなり優れていて、そうしたポテンシャルが結実した1つのカタチが本作の第3話だったような気もしています。
そして、武闘派ヒロインの宇佐木柚葉役には土屋太鳳さんが抜擢され、タンクトップ姿での軽やかなクライミングをたびたび披露し、視聴者を釘付けにします。
他にも重要な役どころには、村上虹郎さん、三吉彩花さん、水崎綾女さん、仲里依紗さんら豪華な顔ぶれが揃っています。
特に作品の中盤以降に登場する「ビーチ」と呼ばれる組織では、全員が水着を着用しているという事情もあり、三吉彩花さんの足の尋常ではない長さが際立っていました。
『今際の国のアリス』感想・解説(ネタバレあり)
Netflixのサポートだからこそ実現したクオリティ
監督の佐藤信行さんは、今回の企画を受けるにあたって経緯を次のように語っています。
2時間に凝縮するとやりすぎてしまうので、映画だったらやり切れるかなとたじろいでいたかもしれません。Netflixとだったら、映画並の規模感も含め、普段自分が映画に込めているものと同等のものをかけてこの作品をやりたいと思いました。Netflixは世界配信のプラットフォームなので、予算はもちろん、全8話を映画と同じ濃度で作ることができました。
(映画comより引用)
クリエイター側としては、Netflixのサポートがあるというだけで制作の状態が大きく変わって来るのだということが、この言葉からも伺えますね。
もちろんNetflixも何でもかんでも予算を出すというわけでなく、むしろ必要と判断できれば、そこに出資は惜しまないという姿勢だと言われています。
今回『サイレントトーキョー』などとの共同出資で実現した渋谷のスクランブル交差点のオープンセットも映像のリアリティを出すうえで欠かせないものでしたし、それ故に大規模な出資が実現したのでしょう。
(『今際の国のアリス』予告編より引用)
他にも、「ディスタンス」の「げぇむ」においては、トンネルを封鎖した上で撮影を敢行したようで、日本のドラマや映画なんかではなかなか実現できない規模感の撮影だったと監督も語っています。
加えて、これはハリウッドの監督たちもしばしば言及していますが、Netflix作品は潤沢な予算に伴って、撮影期間をしっかりと確保してくれるのも強みなんですよ。
今回の『今際の国のアリス』はトータルで撮影に5か月をかけることができたと監督も語っていますね。
ちなみに佐藤監督の作品の中で最も大規模な撮影だったとも言われる実写版『キングダム』が撮影期間2ヵ月程度と言われていますので、全8話のドラマシリーズとは言え、5か月ゆっくり腰を据えて撮影できるのは、クリエイターにとっても大きなメリットです。
もちろんお金があれば、良い映画が撮れるということはありませんし、それを日本の邦画大作にクオリティ的に残念な作品が散見されることの言い訳にしてはいけません。
しかし、昨年の『キングダム』もそうですが、しっかりと予算をかけて作ったものは、観客から評価され、興行収入も回収できるようになっているんですよね。
今回お話している『今際の国のアリス』も公開初日からいきなりNetflixでの視聴ランキングで国内1位に躍り出たわけで、さらに言うなれば世界軸で見ても20位以内に入るという快挙を成し遂げています。
まだまだ日本の映画やドラマのビジネスモデル的に、国内需要を満たすことをメインに作っている事情もアリ、大規模な予算をかけて1つの作品を制作することは難しいでしょう。
それでも、Netflixのサポートも含め、今後こうした状況が少しでも変わっていき、佐藤監督のような予算の製作の中で何とか最善の表現を追求してきたクリエイターが、その足枷なく自由に作品を作り上げていける状況が育っていくと良いなと個人的には思っています。
本作のようなデスゲームものは、これまでの邦画や邦ドラマにもありました。しかし、映像のクオリティやスケール感において、本作は明らかに一線を画していると言えるでしょう。
ぜひ、そうした映像的なリッチさを体感するという意味でも、まずは第1話を、そして欲を言うならば第3話までは見ていただきたいです。
格闘ゲームを想起させるようなアクションシーンの迫力
本作『今際の国のアリス』の基本的に『GANTZ』や『ライヤーゲーム』、あとはアニメですが『ソードアートオンライン』のような世界観と設定に裏打ちされた作品です。
ただ、今回のドラマシリーズは、原作と比較しても、やはり下村さんがアクション監督として参加していることもあり、アクション描写は非常に見応えのあるものになっています。
まず、目を引くのは第2話の「鬼ごっこ」の回での土屋太鳳さん演じるウサギのクライミングシーンと、アグニとチョータの近接格闘でしょう。
土屋太鳳さんが演じたウサギは、タンクトップ姿ということもあり、その身体性が強調されているため、軽い身のこなしで建物を上下する姿が目を引くようになっています。
一方でアグニとチョータの戦闘シーンではアパートの狭い空間を利用した見せ方や動線にこだわっており、空間的な狭さを活かしたダイナミックさと実現していました。
そして、何と言っても必見なのが、第7話のラスボスとクイナの戦いです。
『ジョンウィック』を想起させるような、赤と青の照明が印象的なクラブフロアでの戦闘シーンもそうなのですが、もう見てくださいよ、この画を。
刺青刀男VS水着空手女
(『今際の国のアリス』予告編より引用)
アクションそのものの見応えも素晴らしいのですが、下村さんはアクションの中でキャラクターの特性や成長、変化を演出することにも長けた人物です。
とりわけこの2人の戦いにおいては、「生きる」ということへの覚悟が勝敗を分けます。
それを示すべく、戦いの終盤において裸足で戦っているクイナに床に散らばっているガラスの破片を自ら力を込ませて踏ませるというワンシーンをインサートさせたのが巧かったですね。
しかも刀で戦うラスボスに対して、徹底的に空手スタイルで戦うクイナが本当にかっこよくて、この一連のシーンは皆さんにぜひとも見ていただきたい次第です。
第3話は間違いなく必見の神回
(『今際の国のアリス』予告編より引用)
『今際の国のアリス』は全8話のドラマシリーズなので、見始めるときに少しハードルが高いと感じられるかもしれません。
しかし、まずは第1話だけでも見てみようくらいのノリで見始めるといいと思います。
どんなシリーズものでも、第1話は非常に重要であると言われますが、今作は1話に並々ならぬ力を注いでいると感じましたね。
続きが気になるという意味では、プロット的には完璧な「引き」になっていましたし、渋谷から人が突然いなくなるという光景に、オープンセットを使って撮影したことでリアリティを持たせることに成功し、視聴者を虜にします。
そうして第1話でさらに続きが見たいと思った方は、とにかく第3話までは見てみてください。というか、第1話であんまりかも…と思った人も、第3話まではご覧になって欲しいです。
なぜなら、第3話は物語の大きな転換点でもあり、シリーズを通底するテーマでもある「生きる覚悟」というものを強烈に問われる内容になっているからなんですね。
主人公はカルベとチョータという2人の親友と共にこの世界に迷い込んだわけですが、この第3話でアリスはそんなかけがえのない2人と自分の命を天秤にかけるという状況を迫られます。
生き残れるのは、3人のうちの1人だけ。そんな状況の中で「生きるべき命」の選択をしなければならないのです。
誰しもが自分のために生きたい、自分が生き残りたい。そう思うのは自然なのことでしょう。
そうした心理を利用したデスゲームになっていたわけですが、彼らは親友の命を見捨てることも、自分の人生を諦めることもできません。
そういう葛藤の中で「命の選択」を行っていくという、あまりにも残酷で悲しすぎる物語に胸が苦しくなりました。
彼女は、どんな手を使っても狡猾に生き残ろうとする人間であり、アリスたちと比較しても自分の邦画キャリアは上なのだから生き残るべきだという持論を展開します。
しかし、「生きる覚悟」というものを本質的に問われた時に、彼女にはそれがあると言える自信がないわけですよ。
原作では紫吹が、カルベやチョータの「生への覚悟」に圧倒され、自分にはそれを背負うことはできないと判断する様がモノローグで綴られています。
しかし、ドラマシリーズではそうしたある種の「諦念」を視覚的に上手く表現しているんですよね。
抵抗していた彼女からふっと力が抜ける瞬間。
当ブログ管理人も、この演出には涙が止まらなかったですし、キャラクターたちの「生への覚悟」というものに圧倒されました。
あの凄まじいまでの圧にリアリティがあったからこそ、それを背負うことから逃れようとするアリスのその後の描写にリアリティがあったのだと思います。
もし、第1話や第2話でストップしている方がいらっしゃいましたら、とにかく第3話まで、第3話までは見てください!
原作『今際の国のアリス』のその後の展開について(ネタバレ注意)
さて、ここからは原作の方の内容に言及していきます。
原作未読の方はご注意いただきまして、Netflixのドラマ版の続編を待ちたいという方は、ここで読むのを止めていただければ幸いです。
まず、『今際の国のアリス』という作品は単行本にして全部で18巻発売されており、後日譚が連載途中ではありますが、原作の方は一旦完結しております。
ちなみにNetflixのドラマシリーズで扱われているのは、第8巻の途中くらいまでで、それ以降の内容が「ねくすとすてーじ」編となり、絵札のトランプを司るキャラクターたちとの直接対決が繰り広げられます。
とりわけ「ビーチ」の幹部陣の中には、体制側の人間、つまりトランプの絵札を司る人間もまぎれてこんでいたことが明かされ、彼らとの高度な心理戦・知能戦が見どころです。
- 第8巻後半~:「ねくすとすてーじ」編始動&「♠13」の東京全域げぇむがスタート
- 第9巻~第11巻:「♣13」編:キューマ VS アリスの「じんちとり」
- 第12巻~第13巻:「♥11」編:「どくぼう」
- 第14巻:「♠13」編:シーラビ VS アグニ
- 第15巻~第16巻:「♦13」編:クズリュー VS チシヤの「びじんとうひょう」
- 第17巻~第18巻:「♥12」編:ミラ VS アリス&ウサギの「くろっけえ」
シリーズ後半のゲームは、「くろっけえ」と「♠13」との戦いを除くと大半が心理戦の側面が強くなっています。
特に「どくぼう」はライヤ―ゲーム的な騙し合いの要素が強く、誰と誰がグルで、誰が悪者なのかが読めない展開に読み進める手が止まらなくなりました。
また、後半の「げぇむ」は基本的に敵が1人であることもあり、1人1人の悪役のバックグラウンドがしっかりと掘り下げられていきます。
そうした特性もあり、時に悪役の過去や背景に感情移入しながら、また主人公サイドとの共通点を見出しながら、単なるゲームの勝ち負け以上の楽しみが生まれていくのも非常に興味深いポイントです。
キャラクター同士の戦いという点で見ると、クズリュー VS チシヤの「びじんとうひょう」は非常に優れています。
単純に心理戦・頭脳戦としても見応えがあるのですが、最終的には2人の信念と思想の衝突というところに落ち着いていき、ゲームの勝ち負けを超えた決着を迎えるのです。
「支配者側」と「被支配者側」の戦いではなく、「被支配者側」と「被支配者側」の戦いを描くからこそ、生まれるドラマがまさしく「ねくすとすてーじ」最大の見どころでした。
ぜひ、Netflixのドラマを鑑賞して、先が気になるよという方は、原作の8巻あたりから読み進めていただけると幸いです。
VSキューマの「じんちとり」:純粋に「げぇむ」を楽しむ男の魅力
(『今際の国のアリス』第10巻より引用)
第9巻から第11巻が「じんちとり」という「げぇむ」を描いているのですが、ここで主人公のアリスたちの前に立ちはだかるのが、キューマという男です。
この男の魅力は何と言っても、「げぇむ」を心の底から楽しんでいること、そしてそのためであれば自分の命を投げ出すことも厭わないこと、さらに言うなれば、仲間を思う熱い心でしょうか。
「じんちとり」というゲームは、自分の持ち点がそのまま自分の強さになり、相手と接触をした時に、その点の優劣によって勝敗がつきます。バトルに負けると、一定の点数が相手に移動します。
その中で、相手の陣地にあるポールにタッチすれば、自分の持ち点を10000点加算することができます。
ただ、これにはリスクがあるんです。
というのもプレーヤーは味方のポールに触れた状態であれば、持ち点が∞、つまりカンスト状態になります。さらにポールに触れた状態で、相手プレーヤーに触れると、相手を一撃で持ち点0にできてしまうのです。
つまり、相手のポールを触れようとすると、一撃必殺で自分の持ち点を0にされてしまう可能性があるわけです。もちろん持ち点が0になれば命を奪われます。
アリスのチームは一旦、ゴールキーパー的に味方を1人だけ陣地に残して、セオリー通りに全員が出撃します。
しかし、その隙を狙って、キューマのチームは4人がかりで味方1人の命を犠牲にする覚悟で特攻を仕掛けてくるのです。
ただ、このシーンが個人的にめちゃくちゃ熱いなと感じたのは、キューマが自ら真っ先に犠牲になることも厭わず、特攻のメンバーに加わっていたことなんですよ。
普通、チームのリーダーないしエース級の人間は、自陣で待機するポジションじゃないですか。しかし、このキューマという男は、自らが相手に触れられて持ち点を0にされるリスクを背負うのです。
ここに、彼が自分の命と仲間の命を本当の意味で対等に見ている様子が表れていて、すごく惹かれました。
敵ながらも、正々堂々と勝負し、そして仲間を重んじ、自分と対等の存在として認めている様が本当に魅力的でしたね。
VSエンジ「どくぼう」:ライヤ―ゲーム的面白さに満ちた最高の「げぇむ」
(『今際の国のアリス』第13巻より引用)
個人的には、第12巻~第13巻で描かれた「どくぼう」の「げぇむ」が一番面白かったですね。
これは、自分の背中に表示されたマークが「♦」「♠」「♣」「♥」のうちのどれかを参加者と協力しながら、当てていくという内容です。
ただし条件があり、解答は独房の中でしなければならず、誤っていた場合はその独房でそのまま命を奪われます。
参加者がコミュニケーションを取る時間が与えられ、その後独房での解答パートがあってという流れを何度も繰り返していき、エンジだけが生き残れば、彼の勝ち、逆にエンジが命を落とせば、その時点でげぇむ終了というルール設定になっていました。
詳細は、皆さんご自身で読んでいただきたいのですが、このゲーム本当に読めないんですよね。
まず、参加者の中で誰がエンジなのかを、観客にも明かすことなく物語が進行していくので、参加者の振る舞いなどから推察していくことになるのですが、これまた全員怪しいんですよ(笑)
その上、ゲームはライヤ―ゲームのような「騙し合い」であり、如何にして信頼できるパートナー、ないしグループを手に入れるかがカギになります。
ゲームの中で、人間が信頼し合うことの難しさも表出していきます。
暴力で従わせようとする者。洗脳紛いの方法で自分を信頼させようとする者。金銭を支払う者。
そうした様々な人間模様を描きつつ、げぇむを進行させていき、最終的に信頼を確固たるものにするためには何が必要なのかと言うところへと迫っていきます。
ちなみにこの「どくぼう」にはアリスやチシヤは参加していません。
VSシーラビ:今際の国で生まれた「疑似家族」
(『今際の国のアリス』第14巻より引用)
シーラビのげぇむはネクストステージ開始直後から、今際の国全域をステージとして開始されました。要は全ての今際の国の住人が強制参加ということですね。
クリア条件はもちろんシーラビを殺害することなのですが、彼は元々凄腕の傭兵だったこともあり、次々に参加者を殺害していきます。
そんな中で、彼に立ち向かうのがアグニ、ドードー、ヘイヤの3人ですね。
『今際の国のアリス』においては、異世界で友情や愛情を芽生えさせていく人間模様を描いてきましたが、ここでこの3人の「家族」的な繋がりを疑似的に描いてきたのが非常に面白かったですね。
自分が死なないことが何よりも優先されるはずの世界で、アグニ、ドードー、ヘイヤがお互いを死なせないために戦うという展開には胸が熱くなりました。
そして、シーラビ自身も傭兵時代に致命傷を負った仲間にとどめを刺した経験があり、それがPTSDの原因にもなっています。
アグニとシーラビ。暗い過去を背負った者同士が、ぶつかり合う、あまりにも熱すぎる展開にページを進める手が止まりませんでした。
頭脳戦的な側面が強いセカンドステージにおいて、正統バトルものな雰囲気を内包するこのシーラビのパートは、ある意味異色なのですが、良いアクセントになっていたと思います。
クズリュー VS チシヤ「びじんとうひょう」:生命を選択するということ
(『今際の国のアリス』第16巻より引用)
このシリーズの中で、おそらく1番盛り上がるのが、このクズリュー VS チシヤのパートだと思います。
まず、「びじんとうひょう」というゲームがこれまた頭脳系なんです。5人の参加者が1~100の中から好きな数字を1つ選択して公開し、5つの数字の平均値に最も近い数字を出した人が勝利するというルール自体は非常にシンプルなものです。
正解者以外は持ち点の10点からマイナス1点され、持ち点が0になった時点で命を奪われてしまいます。
このゲームそのものの駆け引きももちろん面白いのですが、このげぇむにおける最大の見どころは、クズリューとチシヤの信念のぶつかり合いです。
命に関心がない男であるチシヤと、命の価値を決めることができないクズリュー。
この2人の生命観の衝突がドラマを巻き起こしていきます。
もう最終的には、頭脳戦は関係なくなっていき、2人の「命の選択」というところにゲームの勝敗も集約されていくのですが、この重厚な人間ドラマがたまらないです。
ドラマシリーズの続編が作られるのであれば、阿部力さんと村上虹郎さんにがっつり演技バトルを見せて欲しいですね。
そして、ここで描かれる生命観の在り様は、後程解説しますが、まさしく本作全体のテーマにも直結しています。
VSミラ「くろっけえ」:ゲームはあくまでも前戯?
(『今際の国のアリス』第17巻より引用)
アリスとウサギが参加するVSミラの最終げぇむは、イギリス式宮廷ゲートボールを楽しむという何ともシンプルなものです。
一体、何が目的なのかもさっぱり分からないままげぇむは進行していくのですが、終盤に差し掛かるにつれて、アリスの様子がおかしくなっています。
まさしく、このシリーズ全体の謎を解き明かしていくげぇむにもなるので、これについてはぜひ皆さんご自身の目で確かめていただきたいですね。
「生きる覚悟」を問う物語構造の面白さ
(『今際の国のアリス』第18巻より引用)
ドラマ版の第3話でまさしく問われた「生きる覚悟」という本作のテーマですが、これは作品の構造そのものを種明かししていく上でも重要なものになっています。
というのも、最終巻まで読んでいただけると判明するのですが、本作は「今際の=死にぎわ。臨終。最期。」というタイトルが示唆している通りで、生と死の世界の境界にある空間を舞台にしているのです。
現実世界では隕石が地球に降り注ぎ、多くの人が同時に致命傷を負うことになりました。
こうして生死の境界を彷徨っている人たちが、あの空間で「げぇむ」に興じる中で、どちらの世界を選択するのか?を問われるのが、本作の主軸です。
今際の国から現実世界に戻るためには、とてつもなく強い「生きる覚悟」が必要です。一度命を落としてしまった人間を繋ぎ止めるためには、本人の強い生命力や意志が求められます。
しかし、主人公であるアリスは、生きる気力を喪失しており、他のキャラクターたちも「ビーチ」で飼いならされ、そこでの生活を謳歌していたり、逆に「げぇむ」そのものに魅力を感じて、元の世界戻りたくないと考える人間もいました。
どこか生命への強い渇望に欠ける人間たちが、今際の国には大勢います。
そんな中で、アリスというキャラクターは、2人の親友の死に直面し、そしてウサギという大切な人の存在ができたことで、何としてでも「生き残る」そして「大切な人を生かしたい」という強い思いを原動力にして、数々の試練を乗り越えていくのです。
「生きる覚悟」もっと言うなれば、「誰かの死や苦しみ、葛藤、直視したくない過去を背負って生きる覚悟」と言うこともできるでしょうか。
本シリーズの中でも屈指の名エピソードであるクズリュー VS チシヤの「びじんとうひょう」では、2人の命というものに対する価値観が衝突します。
まさしく「命の価値を決められない男」と「命の価値に興味がない男」の衝突であるわけですが、その戦いの極限状態の中で、クズリューは、自分がこれまで逃げてきた、そして「げぇむ」というシステムに身を委ねることで放棄した「命の選択」と向き合うことを要求されるわけです。
自分よりも、あの人が生きるべきだ。あんな人間よりも自分が生きるべきだ。自分は価値がないから死んでもいい。
このシリーズには、物語の序盤のシブキも含め、他人の命を計ろうとする人間が多く登場します。
そうした考えは無論、間違っているとも言えますし、正しいとも言えます。ここは難しいところです。
アリスは自分自身には生きる価値や覚悟がないからと、それを親友に明け渡そうとしたこともありましたよね。
しかし、そうした自分を無価値だと判断した先に待っているのは、自らの命を明け渡すという行為になってしまいます。
例えば、物語前半に登場した「ビーチ」という組織は、「げぇむ」に際して多くの人たちを駒のように扱い、その命を価値のないもののように扱う傾向がありました。
「どんな命にも平等に価値がある」とはよくいったものですが、結局のところ、自分自身が価値を決める主体性を喪失してしまうと、誰かに無価値と判断されて消費されてしまうかもしれないわけですよ。
クズリューという男は、誰かの命を決める立場に置かれ、そうした状況に疲弊し、いつしか自分の命の価値すらも判断できなくなった男です。
しかし、彼は最後の最後で自分自身の「生」をそして信念を取り戻し、自分の命の価値は自分で決めるが、他人の命の価値を自分が判断しないという形で自らの「生」を貫くんですよね。
ドラマシリーズの第3話で命を落としたアリスの親友たちも、「生きる覚悟」を捨てたわけではありません。
むしろ彼らは、アリスを生かすという形で、自分たちのとてつもなく強い「生きる覚悟」を示したと言えます。
誰にも委ねない。誰にも決めさせない。自分の価値は自分だけが決められる。
「今際の国での永住権を選ぶ」ということはすなわち、自分自身の命をシステムに委ねるということでもあります。
現代を生きる私たちは、自分自身の価値判断をとにかく他人に委ねたり、外部化しようとしたりする傾向が強まっています。
自分で自分に期待しない、自分が求める自分ではなく他人が求める自分を生きる。
こうやって自分の生の主体性を放棄してしまうことは、とてつもなく楽なことなのです。
そういう意味でも、現代を生きる私たちはその多くが「今際の国の住人」なのかもしれません。
本作の最後には、様々な人たちへのインタビューという形で「なぜ生きるか?」という問いに対する答えが羅列されていきます。
ただ1つ言えることがあるとすれば、その回答があなた自身の選択であり、あなたが価値があると思えるのならば、それで良いということなんですよね。
思えば、今作における「げぇむ」は自分自身の命の価値や他人の命の価値に目を向けさせるものが多かったような気がします。
誰かに肯定される生き方ではなく、自分が肯定できる生き方を。
物語の冒頭で、弟や父から「価値のない人間だ」と評され、生きる意味を見失っていたアリスが、内から湧き出す強い自己肯定と生への渇望でもって、逆境をひっくり返し、「今際の国」からの脱出を獲得するプロセスには胸が熱くなりました。
他人に委ねたり、外部化してしまっていた自分自身に対する価値判断の主体性を取り戻す。
それが「今際の国」からの脱出のキーであり、「生」を取り戻すために最も重要なことであるという本作の全体構造にこそ、強いメッセージ性が込められていると感じました。
続編『今際の国のアリス RETRY』が面白い!
本作『今際の国のアリス』については、続編となる『今際の国のアリス RETRY』が存在しています。
主人公のアリスがひょんなことから再び今際の国に迷い込むという設定なのですが、続編として単なる「繰り返し」にはなっていないのが興味深い点です。
アリスの位置づけと視点を変える
『今際の国のアリス RETRY』第1巻より
まず、アリスは前作のラストで生還し、「今際の国」の記憶についてはほとんど忘れてしまっています。
しかし、この続編で再び「今際の国」へと迷い込むと、その時の記憶をすべて思い出すのです。
その理由は、彼はウサギと結婚しており、加えて彼女のお腹の中には2人の子どもがいるからということになります。
前作でのアリスは、基本的に自分は死んでも良いというようなスタンスも垣間見えていましたし、特に終盤はウサギのためなら自分の命を投げ出すことも厭わない様子でした。
しかし、『今際の国のアリス RETRY』では、彼はそういう利他性を持ち合わせる余裕がないんですよ。
なぜなら、自分がどうしても助からなければならないからです。
本作の最初のげぇむである「ちきゅうしんりゃく」の中で、アリスは何とか自分が犠牲になることを避けようとして、他のプレイヤーたちに「妻が妊娠しているから俺を生かして欲しい」と懇願する描写がありました。
このように、主人公の位置づけや生きることへの動機を前作から一新することで、『今際の国のアリス RETRY』は同じ世界観や設定を踏襲しながらも単なる繰り返しにはなっていないのです。
このアプローチが非常に見事だなと思いましたね。
「うちゅうしんりゃく」を巡る心理戦
『今際の国のアリス』は、げぇむによりますが、基本的に読者が「最適解」や「必勝法」に思いをめぐらせる機会が『ライアーゲーム』のようなタイプの作品と比べると少ないのです。
それはそれで面白いので、構わないのですが、「すっきり感」のようなものを求める読者には、少し腑に落ちない部分もあります。
ただ、『今際の国のアリス RETRY』における最初のげぇむである「ちきゅうしんりゃく」はイかなり謎解き要素も多く、最後の「種明かし」には唸りましたね。
『今際の国のアリス RETRY』第1巻より
背景がアメリカのニューヨークを思わせるような街並みになっており、その手前にカプセルが置かれています。
キャラクターたちは、6つの「ライフ」と1つの「デス」を渡し合う権利を持っており、それを他に人に1ターンに1つ渡すことができます。
そしてターンの終わりにそれぞれがシェルターに入って宇宙からの侵略から身を守るという構図なのですが、「デス」しか渡されていない状態で、「ライフ」を持ち合わせていないプレイヤーはシェルターに入る時にゲームオーバーになるのです。
このように前作の「どくぼう」のような心理戦と椅子取りゲームの要素が合わさったのがこのげぇむなんですね。
マンガを読むときに、何気なく読み飛ばした「1コマ」が実は重大なヒントや伏線だったみたいなことがあると思いますが、この『今際の国のアリス RETRY』では、まさにその現象が起きます。
ぜひ、こちらについては皆さんご自身目で確認いただいて「( ゚д゚)ハッ!」となって欲しいです。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は『今際の国のアリス』についてお話ししてきました。
原作の方も勢いがあって面白いですが、当ブログ管理人としては何と言っても実写版の第3話に度肝を抜かれましたね。
演出的にも優れていましたし、1つ1つの画が本当に素晴らしくて、見ているだけで引き込まれていきました。
特に、カルベがタバコを吸いながら、空を見上げ、アリスと最後の言葉を交わすシーンの画のパワーは圧倒的ですし、見ていて惚れ惚れしましたね。
どうしても予算的に無理をした映画って、画作りの部分がチープになってしまう作品が多いのですが、今回の『今際の国のアリス』はそうしたストレスがなく、物語に没頭できるのが大きな強みでしょう。
個人的にも応援してきた佐藤監督がこうして世界へと羽ばたいていったことが、無性にうれしくなる作品でもありました。
ぜひNetflixにてご覧になってみてくださいね。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。