みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ワンダーウーマン1984』についてお話ししていこうと思います。
MCUを最後に映画館で見たのが、昨年8月の『スパイダーマン ファーフロムホーム』で、DC作品を最後に映画館で見たのが『ハーレイクインの華麗なる覚醒』でこれが今年の3月です。
そう考えると、実に久しぶりのアメコミ大作公開ということになりますね。
今年公開されていたMCU系列の作品は軒並み公開延期を強いられ、最終的にはディズニープラスでの配信コンテンツに移行していくみたいな話題も上がっています。
そんな中で日本最速上映の決定、そしてその他の国では劇場公開&配信での同時展開という公開方式を選択するなど、新型コロナウイルスが猛威を振るう中でも、映画館を愛する人に配慮してくださるのはありがたいですね。
ほんとこんな贅沢を1年前は、毎月1回くらいのペースでできていたわけですから、それが如何に幸せなことだったのかを、この変わり果てた世界でまざまざと感じさせられました。
さて、本作『ワンダーウーマン1984』ですが、基本的に前情報をほとんど仕入れずに見に行ったので、鑑賞前は映画館で流れていた予告編くらいしか把握していない状態でした。
ですので、何となく
- 胡散臭い投資話を吹っかけてきそうな80年代のアメリカンなおじさんが悪役らしい。
- ダイアナが何か金ぴかのスーツ着てる。かっけえ。
- パラダイス島の運動会、めっちゃ楽しそうやん!
- あと、めっちゃ『コマンドー』や…(笑)
くらいのイメージを何となく頭の片隅において見に行ったのですが、これがまた想像していたのとは全然違う映画でしたね。
というより、自分が想定していたスケールよりも、はるかに大きく、全世界を巻き込んだ物語になっていて、その危機にワンダーウーマンが立ち向かうというすごく象徴的な話になっていたんですよ。
もちろん全体的には「大味」な作りではあるので、ディテールにこだわる方は結構粗が目についちゃうかな…とは思うのですが、十分に楽しめるヒーロー映画になっていたと思います。
余談ですが、当ブログ管理人は実は『ワンダーウーマン』の第1作があまり好きではなったんです。ただ、今作は大いに楽しめました。
ですので、前作でハマらなかったよという方も、もちろん新型コロナの状況も見ながらにはなりますが、ぜひご覧いただきたい作品になっています。
本記事は作品のネタバレになるような要素も含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ワンダーウーマン1984』
あらすじ
幼少のころ、パラダイス島で圧倒的な力を持ちながら、それを正しく発揮する術を知らなかったダイアナ。
そんな彼女に対し、周囲の人は「偽物」に惑わされてはいけない。真実を追求しなさいと語りかけ、ダイアナはその言葉を胸に成長してきたのだった。
1984年、スミソニアン博物館で働く考古学者のダイアナは、ある日、宝石学の専門家としてやってきたバーバラと、彼女の下に調査依頼が舞い込んできた謎の石に不穏な空気を感じる。
何と、その石は神の力が宿ったものであり、人の願いを1つだけ叶えてくれるというものだった。
バーバラは自らの憧れの女性である「ダイアナ」のようになりたいと願い、ダイアナはかつての恋人であるスティーブに再会したいと願う。
石の力に対して半信半疑だった2人だが、その夢は見事に叶えられ、バーバラはホットでパワフルな女性へと変貌し、ダイアナはスティーブとの再会を果たす。
しかし、悪い予感は的中し、博物館への大規模な寄付をするなどして、バーバラに取り入った実業家マックスが強大な力を発揮する石を持ち去ってしまう。
強欲な彼は、自らと石を同化させるという願いを叶え、人々の願いを聞き、それを次々に叶えていくのだが、この石の力には大きなデメリットがあった。
それは、その人の大切なものを1つ失うというもの。
そして人々が願えば願うほどに世界は崩壊へと近づいていくのであった…。
スタッフ・キャスト
- 監督:パティ・ジェンキンス
- 原案:パティ・ジェンキンス ジェフ・ジョンズ
- 脚本:ジェフ・ジョンズ デビッド・キャラハム
- 撮影:マシュー・ジェンセン
- 美術:アリーヌ・ボネット
- 衣装:リンディ・ヘミング
- 編集:リチャード・ピアソン
- 音楽:ハンス・ジマー
本作『ワンダーウーマン1984』の監督を務めたのは、前作から引き続きパティ・ジェンキンスです。
彼女は2003年に公開された映画『モンスター』にて、高い評価を獲得し、同作に出演したシャーリーズ・セロンのアカデミー賞主演女優賞を後押しするなど、注目を集めました。
その後、一度MCUの監督を務めることも発表されていたのですが、処々の事情で降板となり、その後はテレビシリーズをいくつか手掛けるなどしていましたね。
そして、2017年に公開された『ワンダーウーマン』の興行収入が女性監督作品としての最高記録に到達するなどし、再び注目を集めたというわけです。
原案・脚本には、DC映画ではお馴染みのジェフ・ジョンズに加えて、『エクスペンダブルズ』シリーズなどでも知られるデビッド・キャラハムが名を連ねています。
このあたりの人選が、本作の「コマンドー」感と言いますか、大味アクション風味に繋がっている印象は受けました。
撮影には、前作から引き続きマシュー・ジェンセンがクレジットされ、編集を『ジャスティスリーグ』などのリチャード・ピアソンが担当しています。
劇伴音楽には『バットマンVSスーパーマン』以来のDC参戦となる名匠ハンス・ジマーが起用されています。今回劇伴音楽がとにかく素晴らしいので、そこも注目していただきたいですね。
- ダイアナ:ガル・ガドット
- スティーブ:クリス・パイン
- バーバラ:クリステン・ウィグ
- マックス:ペドロ・パスカル
- アンティオペ:ロビン・ライト
- ヒッポリタ:コニー・ニールセン
主人公のダイアナを演じるのは、もちろんガル・ガドットですね。
そして、今作では前作の終盤で命を落としたクリス・パインが演じるスティーブが再び、しかもあの頃のままで登場します。これまた熱い展開ですね。
また、今作のメインヴィランには、今スターウォーズファンを熱狂させているペドロ・パスカルが起用されました。
最近だと『キングスマン ゴールデンサークル』のイメージが強い人も多いのではないでしょうか。
加えて、今作の鍵を握るキャラクターの1人でもあるバーバラ役には、クリステン・ウィグが起用されています。
『ワンダーウーマン1984』感想・解説(ネタバレあり)
「WW1984」というタイトル表記が巧い
記事の冒頭でも今回の『ワンダーウーマン1984』についてあまり前情報を入れていなかったという点をお話しました。
ですので、どんな内容になるのかもほとんど知らず、とりわけこのタイトル表記の仕方が妙に気になっていたんですよね。
(C)2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics
前作の時はポスターで「WW」なんて表記をしているのは見たことがないし、このタイトル略称は物語とどう関係しているんだろうかなんて考えておりました。
この表記の仕方って前作『ワンダーウーマン』で描いた「WWⅠ」つまり第1次世界大戦を意識してつけられているんですね。
つまり、『WW84』は『ワンダーウーマン1984』の略称であり、同時に「World War 1984」の略にもなるというわけです。
もちろん本作が世界を巻き込んだ大戦勃発寸前の状況を描いたという物語的な部分もありますが、「WWⅠ」で出会ったダイアナとスティーブが「WW84」で再会を果たすというコンテクストがこれまたロマンチックです。
『コマンドー』風味の大味感がたまらない
冒頭にも書きましたが、今作『ワンダーウーマン1984』はプロットの作りで言うと、割と大味なところはあります。
というより、勢いと画の強さ、あとはガル・ガドット演じるダイアナの迫力で万事OKみたいなところがあるので、細かい人物の行動の動機や理由づけって割と適当だったりはするんです。
例えばですが、今作の鍵になるキャラクターでもあるバーバラの描写ってめちゃくちゃ雑と言えば雑なんですよ。
冒頭で彼女が地味な人間だから、ダイアナのような華のある女性に憧れるというところまではまだ分かります。
ただ、そこから
- 私を虐げてきた人間は許せねえ、蹴り殺してやるよ!
- ダイアナが世界を救ったら、私は元通り。そんなの嫌だ、ダイアナを殺してやる!
- 私は地球上の生態系の頂上に君臨したい!
と富士急ハイランドの「FUJIYAMA」並みの勢いで、堕ちていく彼女に流石にちょっと笑ってしまいましたね。
このあまりの豹変っぷりにはちょっと驚きましたが、まあそれくらい「石」の力がすごいってことで、ご愛敬。
あと、予告編でも印象的に描かれていた冒頭のショッピングモールの戦闘シーンが想像以上に『コマンドー』だったのは笑わせていただきました。
撮影アングルから、カット割りから、かなりこだわって撮影してるなという作り手の熱が伝わってきましたし、非常に見応えがありました。
ただ、この『ワンダーウーマン1984』は、この『コマンドー』パロディが終わってからも、おおよそ『コマンドー』のようなノリとテンションで話が進んでいく節があります。
個人的によく分からなったのは、石の力を使って、ダイアナがスティーブを召喚したことで力を失ったという設定があったのに、彼女は割と怪力を発揮していた点なんですよね。
以下力を失ったはずのダイアナの行動です。
- 割と頑丈な南京錠を素手でぶっ壊す
- 脚力で車を吹っ飛ばす
- 人智を超えたハイジャンプ
(C)2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics
あとは、予告編でいちばん気になっていたあの黄金のスーツの扱いがあまりにも適当と言うか雑過ぎて大爆笑してしまいましたね。
多くの人がおそらく関心を持っていたのは、あのスーツを手に入れる経緯であったり、彼女がそれを着るに至る決心であったりだと思うんですよ。かくいう私もそこを楽しみにしていた節があります。
しかし本編では、何と最初からダイアナの部屋に置いてあるという設定になっており、「なんやねん、着る気満々やんか!」と思わずツッコミを入れたくなってしまいました。
加えて、そのスーツを着る着ないの葛藤もあんまりなくて、」ちょっと格の高いパーティーにいくから一張羅着て行きますわ!」くらいのノリで黄金のスーツに着替えちゃうので、全然、気持ちが乗ってこないんですよ。
そして、極めつけはチーターとの戦闘シーンでダイアナは「熱いからカーディガンもういらないわ。」くらいの感覚で、黄金のスーツの翼のパーツをポイ捨てする始末ですからね。
(C)2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics
自分の民族の伝説的な英雄から受け継いだ大切なスーツのパーツを邪魔だからと思いっきりポイ捨てしていくスタイルには流石に笑っちゃいました。
その他にもツッコミどころを挙げていくとキリがないのですが、こういう大味な感じがたまらないというのが個人的な感想です。
まあ冒頭に『コマンドー』へのオマージュ全開のシーンがあったことが示唆していたように、本作はもう細かいところを考えたら「負け」みたいなところはありますね。
「筋肉モリモリマッチョマンの変態」ことワンダーウーマンことダイアナが、何もかもをぶっ飛ばして、世界を救う話だと思って見ていただくのが良いんじゃないかなと思いました。
ダイアナとスティーブのロマンスが尊い
さて、この『ワンダーウーマン1984』ですが、何と言ってもその見どころは、ダイアナとスティーブの「尊い」としか表現のしようがない関係性です。
前作の『ワンダーウーマン』は第1次世界大戦期を舞台にしていたわけですが、その時って、ダイアナはあの島から飛び出したばかりで、「外の世界」のことを何も知りませんでした。
ですので、世界のことを彼女に教えたのは、スティーブの方だったわけですよ。
しかし、今回の『ワンダーウーマン1984』では、その関係が見事に反転し、今度はダイアナが「外の世界」のことを教える側になり、スティーブが教えられる側になるのです。
この前作とは、反転した関係性を見るのが何とも面白いですし、前作以上にスティーブのキャラクターとしての魅力が溢れたシーンが多く、好きになってしまいましたね。
そして、何と言っても予告編でも描かれていたステルス飛行機で花火の間を通り抜けていく、あのフライトシーンです。あれ、最高じゃないですか?
個人的に思い出したのが『交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』という作品に登場する主人公とヒロインが繰り出す「手放し運転♡」という伝説のロマンスシーンだったりします。
©2009 BONES/Project EUREKA MOVIE
そして、この描写が何とも「エモい」としか言いようがないのは、前作のラストのポジティブなIFのように思えるからなのかもしれません。
スティーブは前作のラストで、ガスを搭載した輸送機を食い止めるべく、単身で飛行機に乗り込み突撃をするという捨て身の自己犠牲を見せました。
今回のこのフライトシーンは、そのオルタナティブ的に機能していて、あの時は隣にいられなかったダイアナが隣に座っていて、そしてガス薬が積み込まれた飛行機にではなく、花火の中へと突っ込んでいくのです。
(C)2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics
前作の切ないラストシーンが、ずっと浸っていたいと思わせるような甘美な夢へと転じるという状況を、前作のクライマックスと対比させることで、この上なく視覚的に説得力のあるものに演出した点は本当に素晴らしいと思います。
ただ、ですよ。個人的には言いたいのです。
この一連のダイアナとスティーブのロマンスシーン。
ん?「鬼詰」って何ですか?そんなもん、お前、『鬼詰のオメコ 無限発射編』に決まってるやないか。
この別人とロマンスを楽しんでいるのに、「夢」が上書きされて、その人が自分の愛する人に見えるって設定、『鬼詰のオメコ 無限発射編』と全く一緒ですからね!
夢の中では大好きな人と交わっているつもりのキャラクターたちが、現実では魘夢という鬼にやられているだけというシチュエーション。
さては、パティ・ジェンキンス監督、『鬼詰のオメコ 無限発射編』をご覧になられましたな…?皆まで言わなくても分かりますぞ?(ネタなので、許してください…)
でも、こういうシチュエーションなんというかAVっぽくて好きなので、OKです。
届かなったものに手を伸ばす
今作『ワンダーウーマン1984』ですが、一貫してキャラクターたちが届かなかったものに手を伸ばすという構図にこだわっていたと思いました。
冒頭のパラダイス島の運動会では、ダイアナが何とかしてレースに勝利しようとして、近道を行くというズルをしていました。
彼女は、どうしても何としてでも栄光に辿り着きたかったのであり、だからこそその心の弱みが「偽物」や「虚構」からの誘惑に付け込まれることになったわけです。
誰しもが、「隣の芝生は青く見える」わけで、今の自分ではない何かに、今の自分よりも優れた存在になりたいと願っているはずですよね。
しかし、自分を偽って、その「芝生」に手を伸ばしたとしても、結局それは自分にとって「身の丈に合わない」ものでしかないのかもしれません。
物語の冒頭で、バーバラはダイアナが身につけていたヒョウ(チーター)柄のヒール靴に気がつき、ヒールもまともにはけない彼女はその着こなしにや出で立ちに強い憧れを抱くのです。
結果的に彼女は服装が派手になっていき、チーターのような柄な衣類を身に纏い、最終的には「チーター」と呼ばれるヴィランへと転じてしまうわけですね。
(C)2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics
このプロセスって、まさしくあのヒョウ(チーター)柄のヒールを履きこなしているダイアナのように、自分も履きこなしてやろうと意気込み、それが身に余る力だったが故に、使いこなせず、むしろ自分が取り込まれてしまったという例だと思うんですよ。
ハイブランドの衣類を着ている人を評して、しばしば「服に着られている」という表現を見かけることがありますが、まさしくバーバラの状態ってそうなんですよね。
自分も「チーター」を着こなす、使いこなすつもりだったのに、むしろ「チーター」に着られて、取り込まれてしまったわけです。
なりたい自分を持つことも、そして憧れることも悪いことではありません。しかし、自分を偽ってまでして、自分を大きく見せようとすると、どうしても破綻は免れないということなのでしょう。
そういう意味では、本作でダイアナがスーパーマンのように空を飛べるようになるというくだりも非常に重要です。
彼女は空を飛ぶ力には目覚めていなかったわけですが、本作の中で、虚構のスティーブと決別したことで空を飛ぶことができるようになります。
彼女は飛行場のシーンで、「私にはできない」と語っている通りで、スティーブがいないと空を飛ぶことはできないと思い込んでいました。
しかし、彼女を空へと導いてくれるスティーブはもう「幻想」であり「虚構」でしかありません。彼女は自分の力で「飛ば」なければならないのです。
そうしてダイアナはスティーブと決別することによって、彼に依存していた「空を飛ぶ」という特性を、自分の中に内在化させることに成功します。
彼女のフライトシーンは、図らずも本作のラストシーンにも使われていました。
それは、彼女がスティーブという存在を初めて「外側」に求めることを諦め、自分の中にこれからも存在し続けてくれる存在なのだと受け入れたことを視覚的に表現するためです。
冒頭に彼女がレストランで2人用の席にワインを飲みながら、座っているシーンで、向かい側の席の不在感がやたらと強調されていました。
彼女は第1次世界大戦の時以来、そんなスティーブの喪失感を埋めることができずにいるのです。
そんな彼女に周囲の人は、「新しい恋人を見つけなよ」なんて無責任なことを言いますが、彼女の空白を埋めることができるのは彼だけなんでしょう。
あの石の力によって、ダイアナは一時的にその空白を埋めることができましたが、もちろんそれは「偽物」に過ぎません。
(C)2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics
だからこそ、先ほど話題に挙げた花火の間を通り抜けていく美しい夜のフライトシーンも結局は「甘美な夢」に過ぎないのです。
そして、ダイアナは物語の終盤にかけて、ようやくスティーブという存在の不在を受け入れ、そして彼を心の中で永遠にすることができたのだと思います。
ダイアナのフライトシーンは、確かにスーパーマンさながらではありますが、時折両手を広げて飛行機のようなフォームを取ることがありますよね。
これは、彼女とそして今は亡きスティーブが1つになったということを視覚的に表現しているのだと思います。
だからこそ、本作のラストシーンは、彼女が1人ではありますが、満ち足りた表情で空を飛んでいく姿を映し出しました。
スティーブは死んだ、もういない。
だけど私の背中に、この胸に、ひとつになって生き続ける! 私を誰だと思ってる…! 私はダイアナだ!
そんな力強い叫び声が今にも聞こえてきそうな、素晴らしいラストシーンだったと思います。
真実の愛はいつだって強いんだ
さて、本作『ワンダーウーマン1984』は『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』のような趣がある作品です。
「真実」から目を背けてはならない。「真実」を直視していくことこそが世界にとっては大切なことなんだというメッセージ性が強く込められていました。
なぜ、今このようなメッセージ性が打ち出された作品が、アメリカから生まれたのかと考えてみますと、それはやはり前大統領のドナルド・トランプ氏の数々の「妄想」に基づく政策があったことへのアイロニーなのでしょう。
(C)2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics
例えば、今作『ワンダーウーマン1984』にも描かれていた「国境の壁」問題ですが、あれもかなり幻想に基づく扇動があったと言われています。
そもそもトランプ氏が大統領に就任する以前から不法移民の数は減少傾向にあり、さらに言うなれば、壁を作るという行為は結局のところ不法移民の抑制には効果を為さないとまで言われていました。
それにも関わらず、彼はそうした「真実」を無視して、不法移民の恐怖を扇動し、壁の有用性を虚飾して、その必要性を国民に訴えかける形で支持を得たのです。
つまり、「真実」ではなく「幻想」で多くの国民を惑わし、国民もそれを鵜呑みにしてしまったという現状が確かにあったわけですよ。
先日の大統領選挙においてもトランプ氏は「不正投票だ」という言説をめいかくな根拠や証拠もなく、あたかもそれが「真実」であるかのように流布していましたが、それは流石に無理がありましたね。
このようにアメリカでは、歴史的に、民族的に、文化的に、社会的に、「虚構」というものが市民権を得やすい空気があるんですよ。
この点は、当ブログでたびたび紹介している『ファンタジーランド:狂気と幻想のアメリカ500年史』にて詳細に研究されているので、ご一読をおすすめします。
しかし、そういう空気があるからこそ、もっと「真実」に目を向けていかなければならないのだという意思表示がこの映画には息づいています。
幻想に踊らされるのではなく、今目の前にいる人を、あなたの周りにいる人を大切にして欲しい。愛を忘れないで欲しい。
本作『ワンダーウーマン1984』は悪役を単純に勧善懲悪してしまうような物語ではありません。
むしろダイアナの行動によって、改心させられ、「真実」にそして「愛」に回帰していくという形でヴィランの打倒を描いています。
「虚構」に身をゆだねると、本当に大切なあなたの「真実」が失われてしまう。だからこそ地に足をつけて、真実に視線を据えて、私たちは生きていかなければならない。
そんな一歩を踏み出すアイコンとしてワンダーウーマンという「真実」を象徴するキャラクターを据えたのは、非常に巧かったのではないでしょうか。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ワンダーウーマン1984』についてお話してきました。
前作もノーマンズランドの描写はアメコミ映画史に残る名シーンだったと思っておりますが、全体としては盛り上がりに欠けたな…って感じでした。
ただ、今回は「コマンドー」風味の大味ドッカンドッカン筋肉モリモリマッチョバトルって感じで、そのぶっ飛んだ感じが好みだったんですよね。
あとは、前作と対比的に描かれるあまりにも尊すぎるロマンス描写の数々ですね。
IMAXであの花火のフライトシーンを見たら、もう思わず声が漏れますよ。本当に美しくてこれだけで映画鑑賞料金を払った価値があったな…と思えました。
ぜひぜひ劇場でご覧ください。