【ネタバレ】『ソウルフルワールド』感想・解説:ピクサーが描いた「夢の続き」の物語!

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『ソウルフルワールド』についてお話していこうと思います。

ナガ
とんでもない傑作が2020年の最後の最後に来てしまったね…。

当ブログでも年間ベストランキングの作成は進めていて、もう1位に関しては圧倒的すぎて動かないだろうと思っていたのですが、まさか最後の最後でこんな対抗馬が出てくるとは思ってもみませんでした。

ピクサーの近年の作品、とりわけラセター退社以降のピクサーは停滞感に満ちていました。

『トイストーリー』『カーズ』と言った作品を生み出し、ピクサーを世界的なアニメーションスタジオへと成長させた立役者でもある天才ジョン・ラセターが2017年にセクハラ問題により、ピクサーを退社しました。

この一件は、ピクサーの作品に大きな影響を及ぼすこととなりました。

『カーズ クロスロード』『インクレディブルファミリー』『トイストーリー4』と続編作品が目立ち、『リメンバーミー』『2分の1の魔法』も良作ながら、今一つ突き抜けない出来栄えでした。

加えて『トイストーリー4』『2分の1の魔法』といった作品のプロットに「さよならラセター」のコンテクストを内在させ、彼の圧倒的な才能によって作られてきたピクサーの伝統に「さよなら」を告げようとしていました。

しかし、なかなか革新的な作品をゼロベースで生み出すというのは、難しいもので、「さよならラセター」からの次なる1歩が踏み出せず、近年のピクサーは停滞している印象すら受けてしまいました。

そんな中で、ピート・ドクター監督が生み出したのが、今作『ソウルフルワールド』なんですね。

彼は『インサイドヘッド』を手掛け、この時にその手腕が高く評価された人物です。

目に見えない世界をファンタジックに可視化する想像力。そこに宿る哲学的な世界観やメッセージ性。そして物語の構成や作り込みの丁寧さ。

『インサイドヘッド』は、脳内の感情のやり取りを描いているということで、プロットそのものが斬新だったというわけではないのですが、その見せ方のユニークさに当時、衝撃を覚えました。

そんな彼が、今回『ソウルフルワールド』を手掛けたわけですが、今作に関しては設定や世界観までもが「斬新」と言えるものになっており、特に生まれる前の人間の魂に焦点を当てるというアプローチには度肝を抜かれました。

2020年、これを見ずには終われない1本だと思いますし、このためにディズニープラスを契約する価値があるとすら思っています。

もし、興味がある方は、この記事を読む前にぜひ作品をご覧ください。

本作は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『ソウルフルワールド』

あらすじ

ニューヨークでジャズミュージシャンになることを夢見ながら音楽教師をしているジョー・ガードナー

彼は、務めている音楽学校から、正規雇用される運びとなり、家族からも喜ばれた。しかし、ミュージシャンの夢を諦めきれない彼は、そのオファーに対する返答に悩む。

そんな時、彼は友人の計らいで憧れのジャズクラブで演奏するチャンスを手にする。

しかし、その直後に運悪くマンホールに落下してしまい、そこから「ソウル」たちの世界に迷い込んでしまう。

そこはソウルたちが死後の世界へ旅立っていく場所であり、人間として現世に生まれる前にどんな性格や興味を持つかを決める場所だった。

ソウルの姿になってしまったジョーは、そこで「22番」と呼ばれるソウルのメンターを務めることとなる。

「22番」は人間の世界が大嫌いで、何の興味も見つけられず、何百年もソウルの姿のままだったのだ。

生まれる決断ができない「22番」と、夢を叶えるためにも何とかして元の世界に戻りたいジョー

冒険を続けていく中で、少しずつ2人の思いは変化していき…。

 

スタッフ

スタッフ
  • 監督:ピート・ドクター
  • 共同監督:ケンプ・パワーズ
  • 製作:ダナ・マーレイ
  • 原案:ピート・ドクター / マイク・ジョーンズ / ケンプ・パワーズ
  • 脚本:ピート・ドクター / マイク・ジョーンズ / ケンプ・パワーズ
  • 編集:ケビン・ノルティング
  • 音楽:トレント・レズナー / アティカス・ロス
ナガ
やっぱりピート・ドクターは信頼できるね!

監督を務めたのは、2015年に公開されたピクサーの傑作『インサイドヘッド』を手掛けたピート・ドクターです。

ちなみに共同脚本のマイク・ジョーンズは、ディズニーピクサーの次回作『Luca』の脚本にも抜擢されていますね。

編集には、『インサイドヘッド』にも参加していたケビン・ノルティングがクレジットされています。

また劇伴音楽を、デヴィッド・フィンチャー作品などではお馴染みとなっているトレント・レズナーアティカス・ロスの2人が手がけました。

ナガ
ぜひぜひディズニープラスでご覧ください!



『ソウルフルワールド』感想・解説(ネタバレあり)

匂いまで画面越しに届きそうな美しい映像

(C)2020 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

まず、何と言ってもお話しておきたいのが、今作『ソウルフルワールド』のあまりにも圧倒的な映像美です。

ピクサー作品の映像的な質感は、毎年のように進化を遂げています。

例えば、『トイストーリー』シリーズで比較すると分かりやすいのですが、1995年に公開された第1作と2019年に公開された4作目では、その映像の水準は段違いです。

Evolution of Toy Story 1,2,3,4 (1995 - 2019) - YouTube

パッと見た時に、その物体がどんな感触で、どれくらいの重量で、どれくらいの温度なのかということまでもが、視覚情報だけで伝わってくるのです。

そして、今回の『ソウルフルワールド』は、ピクサーが今までに積み上げてきたアニメーション技術の1つの到達点を見せられているような気持ちになります。

ただ、この『ソウルフルワールド』という作品は、そうしたリアリティ溢れるアニメーション技術が担保されていなければ、そもそも成立し得なかった作品だと思います。

というのも、劇中に登場する生まれる前の魂である「22番」が、主人公のジョーの身体に入り込んで、「初めて私たちの世界に触れる」という体験を描いているからです。

「22番」は、ソウルの世界で長い間彷徨っているわけですが、ソウルの世界では「実体」が備わっていませんから、味覚も嗅覚も、触覚も働きません。

ナガ
まさしく食べたピザがそのまま身体をすり抜けて出てくる映像の通りだね!

そんな彼が、初めて人間の世界を身体全体で感じる。その刹那を『ソウルフルワールド』という作品は切り取ります。

正直、私たちの誰もが自分が初めて「世界に触れた瞬間」のことを覚えていないと思いますし、物心がついた時にはこの世界に生きていたくらいの認識が普通でしょう。

だからこそ、その「瞬間」を描くということは、誰もが体感したことがあるのに、誰も覚えていない瞬間をアニメーションで再現するということに他ならないわけです。

ただ、ピクサーはその圧倒的な映像の質感でもって、そうした「世界に初めて触れる」というコンテクストに圧倒的な強度と説得力を与えています。

まず、22番がジョーの身体に乗り移って、病院の正面の扉を開けるシーンなんて、鳥肌が立ちましたね。

言うなれば、私たちが知っている、当たり前のように見ている世界が描かれているにもかかわらず、あたかもそれが「初めて足を踏み入れる世界」かのように錯覚させられるほどの映像的な強度がありました。

そして、その世界の「実存感」を担保するのが、ピクサーが磨き上げてきたリアリティに溢れる物質の描写です。

ザラつく地面の感覚、眩しいほどにギラつく太陽の光、都会の喧騒、人々が身につけている衣類の繊維感に至るまで、徹底的に表現が行き届いており、圧巻です。

そうした質感だけに留まらず、本作は映像から温度感や匂いまでもが伝わって来そうな勢いでした。

とりわけ、22番が入ったジョーが路地裏でピザを食べるシーンでは、ピザの塩っけや少し冷えて固くなっている温度に至るまでが映像を越えて、観客に伝わって来て、見ているだけなのに、何かを味わっているようなそんな感覚すらありました。

このように『ソウルフルワールド』は、ピクサーが培ってきた圧倒的にリアルな映像描写を、物語や設定の中で、最大限に発揮させています。

あの劇中世界のリアルさにこれほどの説得力がなければ、今作は作れなかったでしょうし、作ったとしてもそれほど刺さらなかったような気もしています。

ナガ
その映像を支える音響の方も相当こだわって作ってますよね!

そうなんです。だからこそ、日本のディズニープラスの環境でこの作品を見る必要があるのが、とてつもなく悔しいのです。

ナガ
映像や音響面で、北米ないし他国で提供されているサービスよりも劣りますからね…。

そういう意味でも、この『ソウルフルワールド』という傑作を映画館で見られなかったことが悔やまれます。



夢は人生の目的じゃない、それを象徴する結末

(C)2020 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

『ソウルフルワールド』という作品を端的に表現するならば、それは「人生のきらめき」に出会う物語と言い表すができるでしょう。

そう聞くと、多くの人が人生のまだ見ぬ目的ややりがいに出会う物語と解釈するかもしれません。

なぜなら、それがこれまでのピクサー作品のメッセージ性の部分においての1つの主軸になっていたからです。

直近で言えば、『トイストーリー4』では、ウッディが新しい世界に触れ、おもちゃはいつだって、どこでだって「子どもたちを楽しめませるもの」なんだという使命感の下にバズや仲間たちとの別れを選択しました。

つまり、人生には何か果たすべき使命のようなものがあって、それは自分のまだ触れていない領域にこそ存在しており、それを追求することに人生の目的があるというようなメッセージになっていたわけです。

『リメンバーミー』も音楽家になるという夢を追求していく作品でしたし、他にもラセターの代表作の1つでもある『カーズ』もそうですよね。

主人公が物語の果てに、夢を追求することを選んだり、人生の使命に目覚めたりといった展開が描かれることで、私たちは夢を追いかけること、使命を全うすることの大切さを教えられてきました。

そうしたメッセージ性に満ちたピクサー作品を見て育った子どもたちもいつか大人になっていきます。

当ブログ管理人もまさしく『トイストーリー』世代なので、ピクサー作品と共に育ってきた人間の1人です。

さて、『ソウルフルワールド』の方に話を戻していくのですが、本作の主人公であるジョーは、そうしたピクサー作品に支えられ、一緒に成長してきた大人のようにも見えます。

彼は、ジャズミュージシャンになるという夢を持っており、その夢が明確でかつ、叶えるためであれば、どんなことでもやってやるというくらいの気概に満ちています。

その点で、これまでの「夢や使命にまだ気がついていないピクサー作品の主人公」とは一線を画していますよね。

そうした「気づき」の部分については、彼の父との思い出の回想パートで描かれているのみで、作品の中でそれほど重要視されていません。

マンホールに落ちて、生死の境界を彷徨ったジョーは、自分の夢がかなう瞬間をただひたすらに追い求めて、行動を開始します。

彼の行動は、まだ見ぬ自分の夢や使命を見つけ出すためのものではなく、目前に迫った自分の夢がかなう瞬間を手に入れるものであり、その位置づけはこれまでのピクサー作品においては描かれてこなかったものとも言えますよね。

ただ、ピクサーはこの『ソウルフルワールド』という作品を通じて、夢や使命を追い求めること、とは違った人生の「味わい深さ」を描き出します。

だからこそ、今作のジョーの物語は、子どもに向けてというよりは、ピクサー作品と一緒に育ってきた大人に向けられたものなのだと思いました。

ナガ
夢や使命というものを追い求めてきて、それが自分なりに形になって来て、でもそれが人生の目的なのだとしたら、その後自分は何をしたら良いのだろうか…。

そんな壁にぶち当たった大人に向けて、今作は「夢を叶えることはあくまでも人生を豊かにするための”きらめき”の1つに過ぎないんだよ」というメッセージを圧倒的な強度で描ききりました。

ジョーは「22番」との関わりの中で、自分が何気なく過ごしてきた世界や日常に、いかに多くの「きらめき」が隠されていたかに気がつきます。

まだ見ぬどこかへ行かずとも、あなたの人生にはもう既にたくさんの「きらめき」が溢れているじゃないか。

人生はまさに一瞬一瞬がかけがえのない「きらめき」なのであり、その連続に裏打ちされて成立しているのです。

大切なのは、そんな「きらめき」に気がつくことができるかどうかなのだと思います。

劇中に登場したトロンボーンが上手く吹けない少女はなぜ演奏を続けるのか。それは、演奏している時だけは、「きらめき」を感じることができるからであり、それを忘れることができないからなのでしょう。

そして、ジョーもこれまでは大物ミュージシャンと共演して、そしていずれは1人前のジャズピアノ奏者として認められることが夢でした。

しかし、いざその舞台に立ち、演奏が高く評価されても、そこに対しては何の満たされた気持ちも感じることができません。

彼は、ここで地位や実績を築くことに執着することの無意味さに気がつきます。彼が求めていたのは、そうしたものではなく、ステージに立ち演奏する時の、あの一瞬の刹那的な快楽なのです。

それこそが、彼の「きらめき」だったわけですよ。

ナガ
ジャズという音楽そのものが、一瞬の掛け合いの妙を楽しむジャンルであることも相まって、作品のメッセージ性が強まっていましたね!

物語はそうしてフィナーレへと向かっていくのですが、これがまた何とも秀逸です。

きっと私がシナリオを書いたとしたら、ジョーが22番との関わりを経て、音楽を誰かに「教える」ことの魅力に目覚め、楽団の音楽教師として活躍しながらも、ジャズピアノ奏者として活動を続ける描写を映画の最後に入れると思います。

ただ、この『ソウルフルワールド』は、あくまでもジョーが人生の「きらめき」に気づき、現実世界へと戻っていくところで本編を終わらせるのです。

ナガ
ここで切っちゃうところがあまりにも斬新だと思ったね…。

ジョーの「夢」という部分に関しての帰結を作品の中で描くことなく、あくまでも彼が人生の一瞬一瞬の「きらめき」に気がつくところでスパッと物語を終わらせてしまうことで、本作のメッセージ性はより強まっています。

彼が、先生の道を選ぶ、ジャズ奏者の道を選ぶという帰結を描写してしまうと、確かに今作を結局「夢は大切」という言葉で片づけてしまいかねません。

だからこそ、それを描かないという選択にピクサーの気概を感じましたし、「人生は夢も大切だけど、それだけじゃない」という思いに触れ、感動しました。

これまでのピクサー作品における「夢や使命を追い求める主人公像」を脱し、それらを持ち、夢が叶うところまで手が届いた主人公のその後の物語を描く。

そんな形で、ラセターが去った後の「ピクサー新章」が幕を開けたことに、感慨深さと強い高揚感を抱きました。

ピクサーが近年の停滞感を打破して生み出した新作『ソウルフルワールド』は、まさしく2020年を代表する傑作です。



「22番」の存在が意味するものとは?

(C)2020 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

さて、ここまで本作におけるジョーの物語は、あくまでもピクサー作品と共に育った大人に向けられたものであるとお話してきました。

しかし、ピクサーの作る映画はいつだって、子どもたちに向けられたものです。そして『ソウルフルワールド』もそうした例に漏れているなんてことは決してありません。

その象徴とも言えるのが、「22番」というキャラクターの存在です。

このキャラクター生まれる前の魂という設定なので、身体を持たないが故に「性別」らしきものが明確に存在していないのが存在していないのが、興味深かったですね。

まず、この「22」という数字は、ピクサーが『ソウルフルワールド』以前に世に送り出してきた長編映画の数と一致しています。

『トイストーリー』から始まり『2分の1の魔法』まで含めると、ちょうど22作品になります。

そして、「22番」というキャラクターには、まさしく先ほど述べてきたような人生における「夢や使命を見出せていない」という設定が与えられていますよね。

そう考えると、この「22番」というキャラクターは、これまでのピクサー作品を象徴する存在であると言い換えることはできないでしょうか。

「22番」は、これまでに数多くのメンターたちに人生の目的や、夢の大切さ、使命を持つことの意義を説かれてきましたが、自分の進むべき道を見出すことができませんでした。

このキャラクターは、むしろこれまでの「22」のピクサー作品のようなメッセージの訴え方が響かなかった子どもたちのメタファーなのではないかとも思えてきます。

ピクサーは、これまでだって自分たちの作品に自信をもっていたはずですし、そこに込めた思いやメッセージが子どもたちに何かを与えられると信じてやってきたはずです。

それでも、それが全員に同じトーンで、温度で届けられるかと言うとそうではありません。

「22番」のように必ず、そこから外れる子どもが出てきますし、単一的なメッセージ性の発信では、どうしても限界があります。

先ほど、ジョーというキャラクターはピクサー作品と一緒に大人になった人物であるという分析をしました。

つまり『ソウルフルワールド』という作品は、ピクサー23作目として、これまでの22作品が夢を与えた大人とこれまでの22作品では夢を持つことができない子どもの交わりと、その化学反応に焦点を当てているのです。

「22番」の視点で描かれていくのは、「22番」が自分なりにやりたいことを見出そうとする過程で、世界そのものの豊かさや面白さに気がついていく過程ですよね。

それらに触れることで、先人たちの言葉をいくら聞いても心が動かなかった「22番」は初めて、世界に飛び出して、生きてみたいと思うようになるわけです。

しかし、「22番」は先人たちの言葉やジョーのきつい言葉に囚われて、物語の後半で「夢や使命を持てない自分には価値がない」という思い込みに囚われて「迷える魂」と化してしまします。

そんな「22番」を突き動かすのは、他でもないジョーです。

ジョーは「夢や使命を持てなくても、君は人生のきらめきの何たるかを知っているだろ」と問いかけ、「22番」を励まし、世界へと飛び出していく後押しをします。

ジョーと「22番」。どちらもこれまでのピクサー作品に触れてきた人を表しているのでしょう。片やその影響で夢へと邁進し、片やそのメッセージに押しつぶされて、自分が無価値に感じられていました。

そして23作目に当たる『ソウルフルワールド』は、その両者を救済し、新しい価値観へと導きます。

夢は全てではない。あくまでもそれは「きらめき」の1つに過ぎない。あなたの今いる場所もまた「きらめき」に満ちているんだよという、これまでのピクサー作品が描いてきたものを包含しつつも、新たな地平を切り開く物語に涙が止まらなくなりました。

ナガ
もうピクサーやりやがった…としか言いようがないですね。

文句のつけようがない傑作だと断言できます。



おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『ソウルフルワールド』についてお話してきました。

ナガ
ピクサーの新しい代表作となる1本でしょうね…。

本当にピクサー作品が大好きだからこそ、近年の作品に顕著に感じるその停滞感には個人的に不安を抱いておりました。

特に最近の作品は「さよならラセター」というある種の脱構築を繰り替えずばかりで、そこから何か新しいものが生まれる予感が見出せませんでした。

しかし、この『ソウルフルワールド』は間違いなくピクサーの新しい地平を切り開いた作品です。

そして、これはこれまでの「22」のピクサーの長編映画と共に育ってきた人のための映画でもあります。

決して、これまでの自分たちの歩みを否定するわけではなく、それらを内包し、より大きな世界観とメッセージで全てを肯定する圧倒的な人生讃歌に震えが止まりません。

この傑作を映画館で見られないことだけが悔やまれますね。

何とか劇場上映もやって欲しいです。やってくれたら5回は最低でも行きますので。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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