みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『恋はデジャ・ブ』についてお話していこうと思います。
確かに今見ると、ちょっと古臭いかなという笑いの取り方もあったりするのですが、その面白さやメッセージ性は普遍的で、今見ても色褪せない名作だと思います。
当ブログ管理人はオールタイムベストに『ライフアクアティック』というウェス・アンダーソン監督の映画を入れているのですが、この作品にも出演しているビル・マーレイが今作の主演を務めています。
俳優としてだけでなく、コメディアンとしても知られる彼は、言わずも知れたコメディ俳優の代表格ですよね。
この映画は内容的には『アバウトタイム』なんかを想起させるタイプの映画です。ジャンルとしては「ループもの」になりますね。
『オール・ユー・ニード・イズ・キル』、『ハッピー・デス・デイ』や『エンドレス 繰り返される悪夢』などが挙げられるでしょうか。
『恋はデジャ・ブ』の劇中にトースターをバスタブに落としてフィルが自殺を試みるシーンがあります。
先ほど紹介した『ハッピー・デス・デイ』の劇中で、ループ地獄に陥った主人公がドライヤーをバスタブに落として自殺を試みるシーンがあるのですが、これなんかは完全に「オマージュ」ですよね。
(C)Universal Pictures
『恋はデジャ・ブ』という作品は、それくらいその後の「ループもの」のジャンルに多大な影響を与えた「元祖」的な存在なのです。
まあ、「ループもの」は昨今もいろいろありますが、やはり僕が印象に残っているのは、テレビアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』のあの伝説のエピソード、「エンドレスエイト」ですね。
このエピソードはリアルタイムで鑑賞したファンたちの間でも「生き地獄」として語り継がれています。
というのも、「8週連続で、ほぼ同じ話を放送する」という前代未聞の実験的な手法を敢行し、視聴者をいつ終わるのかわからない「地獄」に巻き込んだのです(笑)
ということで、今回は、そんな数ある「ループもの」の物語の元祖とも言える映画『恋はデジャ・ブ』についてお話させていただきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となります。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
目次
『恋はデジャ・ブ』
あらすじ
高慢で自己中心的なTVの天気予報士フィルは、その振る舞いから職場でも周囲の人間から疎まれていました。
そんな彼が、毎年2月2日に行われる“Groundhog Day(聖燭節)”の取材のためペンシルバニア州の片田舎の町を訪れることになります。
もちろん自分が「人気予報士」だというプライドのある彼は、「なんで自分が取材に行かねばならないのだ!」と不満顔。
それでも、無事に取材を済ませたフィルはさっさと町を後にしようとしますが、吹雪が町を直撃し、足止めを食らってしまいます。
しぶしぶ泊まっていたペンションでもう1泊することになったフィルは、翌朝、不思議な現象に直面します。
同じラジオの放送。窓の外は昨日と全く同じ風景。廊下に出ると同じ人が同じ言葉で語りかけてくる…。
そして日付は「2月2日」。
なんと彼は昨日と同じ“聖燭節”の日を繰り返していたのです…。
スタッフ・キャスト
本作『恋はデジャ・ブ』の監督を務めたのは、ハロルド・ライミスですね。
彼は、『ゴーストバスターズ』の脚本を担当し、自身も同作に出演していたことで知られています。
しかし、彼はビル・マーレイと今作の撮影を進める中で、方向性の違いが生じたようで、その後は言葉を交わすこともなくなっていたようです。
ただ、ハロルド・ライミスが亡くなった際には、ビル・マーレイも追悼のコメントを出していましたね。
そして、本作の主演を務めたのは名優ビル・マーレイです。
俳優であると共に、コメディアン、映画監督、脚本家など活躍の場は多岐渡り、御年70歳をむかえる彼ですが、2020年には『オン・ザ・ロック』、21年には『ザ・フレンチ・ディスパッチ』で主演を務めるなど今尚現役バキバキの俳優です。
彼は作品の中で変顔や、オーバーリアクションは一切しないのですが、なぜか笑ってしまったり、飄々とした演技で観ているこちら側は知らぬ間に完全に引っ掻き回されていたりするんですよ。
そういうわけで、とにかく映画に出たらその一挙一動に目が離せない人物です。
今作『恋はデジャ・ブ』での彼の演技の魅力を考えた時に、悲劇を喜劇的に見せる技術が卓越していたと感じました。
チャールズ・チャップリンの名言に
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。」
というものがあります。
いろいろと解釈のある言葉ですが、悲劇と喜劇は紙一重という意味にも取ることができます。
本作でビル・マーレイが演じている主人公の置かれている状況は、冷静に考えると「悲劇」だと思います。まあ途中で本人も自殺して、ループから逃れようなんて考えるくらいですからね…。
でも、そういう悲劇的な状況を突き詰めて、映画にすると、それを「遠く=スクリーンの向こう側」からみている私たちには「喜劇」にも見えてくるのです。
このバランスを絶妙に体現できるのが、ビル・マーレイという俳優の凄みなんですよね。
これサラッとやってますが、本当にすごいことです。
そんな『ゴーストバスターズ』で一世を風靡したビル・マーレイとハロルド・ライミスのコンビが手がけた最高の「ループもの」をぜひ多くの人にご覧いただきたいですね。
『恋はデジャ・ブ』感想・解説(ネタバレあり)
なんで「2月2日」なの?
さて、本作のあらすじのご紹介の中でも、主人公のフィルがループするのが「2月2日」であることをお伝えしました。
でも、そう言われると疑問が生じますよね。なんで「2月2日」なの?と。
その理由は本作の原題を見ていただけるとお分かりいただけます。
『恋はデジャ・ブ』の原題は「Groundhog Day」です。
(映画『恋はデジャ・ブ』より)
実は「2月2日」は、アメリカとカナダでは「グラウンドホッグデー(Groundhog Day)」として知られています。
リスの一種グラウンドホッグ(ウッドチャック)を使った春の訪れを予想する天気占いの行事が開催される日なのですが、本作のタイトルはそんな祭日の名称から取られているんですね。
1年に1回この「祭日」の時にだけイベントに駆り出されるグラウンドホッグが置かれている状況に、「2月2日」を繰り返す主人公の状況を重ねてつけられたタイトルなのだと思います。
劇中で、グラウンドホッグが町のイベント終了後にすぐに檻に入れられて、車に積み込まれている一幕があったのを覚えていますか?
つまり、あのグラウンドホッグも主人公と同様に、檻に入れられて、唯一日の目を見ることを許されるのが「2月2日」なのです。
だからこそ、作品の中盤で自殺を試みたフィルが最初にやったのが、あのグラウンドホッグを連れて、一緒に車で飛び降りるというものだったのではないでしょうか?
このようにフィルとグラウンドホッグが置かれている状況は非常に似ているのです。
それはさておき、この祭日は日本ではほとんどなじみがないので、『恋はデジャ・ブ』なんてめちゃくちゃ引きのあるタイトルをつけた日本の配給会社は良い仕事をしてくれましたね。
このタイトルがつけられたからこそ、日本でも多くの人に親しまれる映画になったのだと思います。
観客が「ゴール」をフィルと共に模索する映画
(映画『恋はデジャ・ブ』より)
そんな本作が、なぜ「ループもの」の元祖として、そして映画史の残る名作として語り継がれているのかを自分なりに考えてみたのですが、それは
観客が「ゴール」をフィルと共に模索する映画
だったからなのではないかと思ったのです。
映画の脚本の基本中の基本として「三幕構成」とよく言われますね。
- 第1幕:セットアップ(ストーリーの背景や登場人物の問題、行動のきっかけとなる情報が提示される)
- 第2幕:コンフリクトや主題の提示(人間関係が発展し、ストーリーが展開される)
- 第3幕:クライマックス(第2幕の行動が導き出す結果が描かれる)
「三幕構成」においては、主人公がどんな動機や目的、葛藤を抱えているのか、そして、「どうなることがゴールなのか?」がきちんと示されます。
『恋はデジャ・ブ』においては、フィルの動機とゴールは明確です。
- 動機:何とかして2月2日のループから脱出したい
- ゴール:ループから脱出する
しかし、主人公が「なぜループに陥ったのか?」そして「どうすればループから脱却できるのか?」という説明が全く存在していないのが特徴です。
そのため、フィルはループから脱出するべく、いろいろと試行錯誤していくわけですが、このパートが何とも面白いわけですよ。
フィルは、開き直ってもうやりたい放題。線路を車でドライブして警察とカーチェイスを繰り広げたり、ちょっとした強盗をしてみたり、見知らぬ女性を引っ掛けて一緒に夜を過ごしたり…。
1日を繰り返すという状況を逆に利用し、もうほとんど「グラセフ」みたいな非日常の生活を送り始めるのです。
この一連の行動ですが、何となく映画を見ている自分たちも同じ状況になったらやりそうなことだと思いませんか?
このように『恋はデジャ・ブ』は、フィルという主人公が、あの映画の中で観客の「アバター」のように機能することで、彼と一緒に「ゴール」を暗中模索していくような映画になっているんですよね。
『恋はデジャ・ブ』は作品の「ゴール」を明確にしつ、そこに辿り着くための術を観客がフィルに自分を重ねて共に考えられるような作りにしたことで、自分事として「ループに巻き込まれる」という状況を楽しめる映画として成立し、後世まで語り継がれる名作になり得たのではないでしょうか?
辿り着いたゴールに込められたメッセージとは?
劇中にフィルがバーで出会った男性から残り半分になったビールのジョッキを例にこんなことを言われる一幕がありました。
「もう半分しか残っていないと考えるか、まだ半分あると考えるか、お前は前者なんだな。」
つまり、物事をネガティブに捉えるか、ポジティブに捉えるかで世界はその見え方が変わるということなんですよ。
映画の冒頭に、フィルは自分がペンシルベニア州の片田舎の取材に派遣されると聞くと、それをすごくネガティブに捉えていましたよね。
しかし、最後に彼は「この町に住もう!」と言って、自分が馬鹿にしていたあの田舎町に住むことを決断するのです。
私たちも、つい毎日が単調な繰り返しに思えて、嫌気が刺すことがありますよね。
でも、そんな毎日もあなたの意識や見方次第で劇的に変わる可能性を秘めているのです。
たった1日でも人生は劇的に変わる。あなた次第で「ループしているかのような退屈な日常」は変えられるのだ。
そんな優しいメッセージが込められていた映画なのではないか?と思いました。
そういう意味でも、最近の映画だと『アバウトタイム』にメッセージ性も含めて非常に似ている作品ですね。
1日で変えられるもの、変えられないもの
(映画『恋はデジャ・ブ』より)
また、この映画の作劇の仕方として、何でもありな「ループ」の中に「変えられないもの」を内包させているのが巧いなと思いました。
主人公のフィルが、かなりやりたい放題をやっているので、「あの世界の中なら何でも許されるし、何でも変えられるじゃん!」と序盤はどうしても思ってしまいます。
しかし、中盤過ぎの展開に、フィルが貧困の底で今にも死にそうな老人を何とかして助けようとする一幕がありましたよね。
温かい食事をとらせたり、病院に連れていったりするわけですが、その老人が老衰で死ぬという展開だけはどうしても変えることができません。
つまり、この世界にはいくら繰り返しができたとしても「できないこと」や「変えられないこと」はあるのだという点を作品の中できちんと示してあるのです。
この老人の死は「明日」という未来を手に入れられることの尊さを示しているとも言えますね。
そして、もう1つ変えられないものとして描写されているのが、ヒロインのリタと「2月2日」の内に性的な関係を持つことでしたね。
作品の中盤で、これまたフィルが何とか彼女と関係を持とうと、ギャルゲーの選択肢を試行錯誤するが如く、同じ日を繰り返すのですが、どうしても「ゴール」に辿り着くことはできません。
つまり、彼女と親密な関係になるということもまた1日では「できないこと」として本作の中では示されているわけです。
物語のラストで、フィルとリタは心を通わせ合いますが、最終的に「2月2日」のうちに性的な関係を結ぶことはありませんでした。
そういう意味でも、この『恋はデジャ・ブ』という作品は、出来るだけのことはやるべきだが、もちろん「できないこと」もあるし、それを無理に覆そうとするのは、意味がないことなんだというメッセージをも内包しています。
ただ、そうした「1日では変えられない」という諦念めいた感情が生まれることで、フィルが明日に辿り着くというラストが一層エモーショナルに感じられます。
今日という日を全力で生きる。でもきっと全てを成し遂げることはできません。
だからこそ、「明日」という未来があるのであり、それを迎えられることが何よりも尊いのだと本作は教えてくれます。
本作のラブストーリー要素がある種の「限界」を示したことが、より「明日」という未来の意義や価値を高める方向に寄与していたのではないかと思いました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『恋はデジャ・ブ』についてお話してきました。
本作は結末に至るまでのプロセスが本当に面白い映画だと思います。
内容は主人公フィル・コナーズの息子、フィル・コナーズ・ジュニアになりきり、「彼が友達と家族の本当の価値を学ぶまで」ループする物語なんだとか。
『恋はデジャ・ブ』が志向したフィルと観客が一緒にゴールを探すというアプローチを、よりリアルベースで体感できると思いますので、気になる方はプレイしてみてください。
今回も読んでくださった方、本当にありがとうございました。