みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね『名も無き世界のエンドロール』についてお話していこうと思います。
昨年の暮れごろから映画館でも予告編が流れるようになり、非常に楽しみにしておりました。
メインキャラクターの3人を岩田剛典さん、新田真剣佑さん、山田杏奈さんが演じていると言うのも目を引いた要素の1つです。
原作の方も映画に先駆けてチェックさせていただいたのですが、今作は、実に「映画好きのための映画」的な側面が強いと思います。
この作品のタイトルに「エンドロール」という言葉が入っていることからも分かる通りで、『名も無き世界のエンドロール』という作品は、「映画」というメディアから多大な影響を受けた作品なのです。
後ほど詳細については解説しますが、
- 『理由なき反抗』
- 『フォレストガンプ』
- 『俺たちに明日はない』
といった作品からの引用があり、何と言ってもあの名作『レオン』が作品の根幹となるプロットにも深く関わっています。
また、小説版に関しては、全体的に時系列を前後させて物語を展開させていくクエンティン・タランティーノ監督の『パルプフィクション』なんかを思わせる作りになっていました。
その中で、時系列を通底する「シグナル」のようなものが示され、それが少しずつ繋がっていき、ラストで全て収束するという構成なのです。
そのため、かなり作品の中に散りばめられたヒントは多く、それも丁寧なので、きちんと読み込んでいけばその「結末」を予想することはそう難しくはありません。
そう言った性質もあることから、今作が映画として公開されると、レビューサイトに「展開が読めた。」などという低評価が並びそうな気はします。
しかし、「展開が読める」ことが物語として「ダメ」ではないということは、ぜひ頭に入れておいていただきたいのです。
『名も無き世界のエンドロール』は誰もがアッというような超展開を描く「どんでん返し」というよりは、きちんと伏線を積み重ねてその帰結を丁寧に描くタイプの作品だと思います。
ですので、作品を見ながら、自分なりに「謎解き」をしながらライトに楽しんでいただけると幸いです。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『名も無き世界のエンドロール』
あらすじ
幼なじみのキダとマコトは複雑な家庭環境で育ったもの同士として学校でも仲が良かった。
ある日、彼らの学校に同じような境遇を背負った転校生の少女ヨッチが転校してくる。
内気な性格のヨッチが高圧的な担任の先生に圧倒されていたところを2人が助けたことで3人はいつも一緒に過ごすようになった。
そんな彼らも成人し、キダとマコトは同じ車の整備工場で働き始める。
ある日、2人の働く整備工場に政治家令嬢でトップモデルのリサが現れ、自分の乗っていた父の高級車を秘密裏に修理して欲しいと依頼する。
彼女が言うには、雪道を走っていた時に、飛び出してきた犬を轢き殺してしまったのだとか。
整備工場の上司はその依頼を受けるが、マコトはリサに強い興味を抱く。
何とか彼女をものにできないかと考えるマコトは「金が必要だ」と仕事を辞めて忽然と姿を消してしまう。
そして2年後。キダは「交渉屋」として裏社会で暗躍していた。
一方のマコトは、金を稼ぎ、会社経営者となり、リサと恋人同士になっていたのだ。
そんな2人の再会と共に彼らが長らく練り続けてきたとある計画が実行に移されることとなる。
それはクリスマス・イブの前代未聞の「プロポーズ大作戦」だった…。
スタッフ・キャスト
- 監督:佐藤祐市
- 原作:行成薫
- 脚本:西条みつとし
- 撮影:近藤龍人
- 照明:藤井勇
- 編集:田口拓也
- 音楽:佐藤直紀
- 主題歌:須田景凪
本作『名も無き世界のエンドロール』の監督を務めた佐藤祐市さんは『累 かさね』や『ういらぶ』の監督としても知られています。
前者については、映画ファンの間でも絶賛が続出した傑作と言えます。
一方で、後者は映画ファン並びに当ブログ管理人も含めて作品を最後まで鑑賞することすら危ぶまれたとんでもないダメダメ映画でした。
ただ、映像のスタイルや役者の撮り方はすごく好きな監督なので、今回は非常に期待しております。
脚本には高橋一生さんやリリーフランキーさんが出演したことでも話題になった『blank13』の脚本も担当した西条みつとしさんが起用されていますね。
そして、要注目なのは今邦画界で最も高く評価されているといっても過言ではない撮影の近藤龍人さんと照明の藤井勇さんのタッグが実現している点です。
2人は『万引き家族』や『おらおらでひとりいぐも』などでも知られていますね。
編集には同じく『累 かさね』の田口拓也さん、劇伴音楽にはお馴染みの佐藤直紀さんがクレジットされています。
また、本作の主題歌には、須田景凪さんの『ゆるる』が選ばれました。
- キダ:岩田剛典
- マコト:新田真剣佑
- ヨッチ:山田杏奈
- リサ:中村アン
主人公のキダとマコトを演じたのは、それぞれ岩田剛典さんと新田真剣佑さんですね。
個人的に原作を読んだ時点では、役者とキャラクターのイメージが逆だったんですよね。
というのも、圧倒的にマコトの方が岩田さんのイメージに近かったのです。クールで、ただ内面には熱さを秘めていて、そして大人になってからは死んだ目をして生きている。
こうしたマコトのキャラクター性が『去年の冬、君と別れ』なんかの岩田さんの演技にすごく重なったので、完全に彼がマコトを演じるものだと思い込んでいました。
この、役者としてのイメージとキャラクター性が反転していると言うのは、個人的には興味深いポイントなので、どんな演技を見せてくれるのか楽しみです。
そして、ヒロインポジションのヨッチを演じるのは、今注目の山田杏奈さんですね。
昨年は『ジオラマガールパノラマボーイ』が公開され、今年も『哀愁しんでれら』や『樹海村』など立て続けに出演作が公開されます。
『名も無き世界のエンドロール』解説・考察(ネタバレあり)
映画好きにはたまらない物語だ!
さて、まず何と言っても『名も無き世界のエンドロール』という作品について語っておきたいのは、本作が実に「映画」というメディアに強く裏打ちされた作品だということです。
作品の構造そのものが「メタ映画」的になっているという点については、後程もう少し掘り下げてお話させていただきますが、それ以上に「映画」作品の引用が目立ちます。
『理由なき反抗』
まず、キダとマコトが勤めることになる自動車整備会社の名称が「AUTO SHOP JIM」という名前になるのですが、この「JIM」の由来が劇中で「ジェームズ・ディーン」であることが明かされます。
そして、それと連動して引き合いに出されるのが『理由なき反抗』という作品です。
同作で天文台に加えて、もう1つ有名なのが「チキンレース」のパートです。
このレースは崖に向かって車を全速力で走らせて、崖から転落する直前に車から脱出するというある種の度胸試しでした。
しかし、このレースに参加した少年の1人が命を落としてしまうんです。
ここから主人公の少年たちを取り巻く関係性が目まぐるしく変化していきます。
この『理由なき反抗』の仲良しトリオが少年2人(ジムとプレイトウ)と少女1人(ジュディ)というまさしく『名も無き世界のエンドロール』と同じ構成になっている点も要注目です。
この3人は、クラスの不良グループ3人に目をつけられており、そもそもチキンレースにジムが参加させられたのも、そうした「いじめ」によるものでした。
事件の後に、ジムとジュディは恋仲になり、一方で不良グループは事件の詳細を知っているジムを口止めしようと躍起になります。
そして、それに立ち向かおうとした少年プレイトウが父親の銃でプレイトウに発砲してしまうのです。
物語はここから悲劇的な結末へと向かっていきますが、その後の展開も何となく『名も無き世界のエンドロール』に似たところがあります。
ですので、知っておくと、本作の謎や結末を自分なりに推測していく上でのヒントにもなる映画だと思いました。
- 主人公を取り巻くグループのキャラクター構成
- 主人公グループが「いじめ」に直面するという展開
- 事故死を隠ぺいしようとする大人の存在
- 物語が迎える悲劇的な結末
『フォレストガンプ』
そして、トム・ハンクス主演の名作『フォレストガンプ』からもあの名言が引用されています。
Life was like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get.
(人生はチョコレートの箱のようなもの。開けてみないと分からない。)
このセリフは、本作の「びっくり箱」的な展開を示唆する言葉としても機能していますが、それ以上に『フォレストガンプ』の作中での使われ方にも注目する必要があります。
そもそもこの言葉は、余命がわずかとなった母が、息子のガンプに贈った言葉です。
この言葉はガンプの人生を象徴するような言葉となり、映画冒頭(時系列的には後ですが)でバス停のベンチに座った女性にガンプが告げる言葉にもなっています。
つまり、誰かから言われた言葉が、自分にとっての大切な言葉となり、それをまた他の誰かに伝えていくというある種の「言葉のリレー」が劇中で発生しているのです。
『名も無き世界のエンドロール』でも似たような言葉がありましたよね。
「1日あれば、世界は変わっちゃうんだよ。2日あったら、宇宙がなくなってもおかしくない。」
これは、学生時代のヨッチがキダやマコトに告げた言葉です。
そしてキダとマコトはこの言葉を大人になっても大切にしており、彼らが計画している「プロポーズ大作戦」の原動力にもなっています。
こうした1つの言葉が誰かに伝わり、それが人生の象徴になっていくという関係性が『フォレストガンプ』との共通点ではないかなと思いました。
また、物語の構成そのものが非常に似ている点も同じく指摘できるでしょう。
「現在」→「回想」→「回想」→「回想」と断章を挟みつつ展開していき、最終的には「減殺」軸に戻って来て、その先を描くというアプローチは『フォレストガンプ』と全く同じです。
『俺たちに明日はない』
この作品はどちらの視点から見るかによっても見え方が変わってくる作品ですね。
主人公のボニーとそのガールフレンドにあたるクライドは強盗団を形成しており、各地で事件を引き起こしています。
そしてそれを追うテキサス州の刑事がヘイマーという男で、彼は『ルパン三世』の銭形警部のように、ボニーの逮捕に執念を燃やしていたのです。
この対立関係を軸に物語を展開させていくのですが、『名も無き世界のエンドロール』におけるキダとマコトは、どちらかと言うとボニーとクライド側の人間ではありません。
むしろ刑事であるヘイマー側に立っていると考える方が自然だと思います。
彼は、過去に起きた「ヨッチひき逃げ事件」の犯人であるリサをいかにして追い詰めるかを、人生をかけて考えてきたわけで、その姿はヘイマーに重なりますよね。
そうした復讐劇としての側面は、『俺たちに明日はない』から多大な影響を受けて作られたのではないでしょうか。
『レオン』
そして、何と言っても『名も無き世界のエンドロール』を語る上で避けては通れないのが、名作『レオン』ですよね。
こちらは、リュック・ベッソンの代表作で、殺し屋のレオン(ジャン・レノ)と12歳の少女マチルダ(ナタリー・ポートマン)の関係性に焦点を当てた物語になっています。
今作の劇中で、ヨッチというキャラクターはしきりに自分のことを「マチルダ」に重ねています。
なぜ、彼女が「マチルダ」を自分に重ねるのか。それは次の3つの点が密接に関係していると思われます。
- 家族を惨殺されてしまった
- 上記の事件により孤独で複雑な家庭環境を背負っている
- 殺し屋のレオンに生活面だけでなく、精神的にも救われる
これをヨッチに置き換えると
- 小学生の頃に激しい「いじめ」を受けていた
- 複雑な家庭環境を背負っている
- キダとマコトに出会い、精神的に救われた
となりますね。
このように『レオン』に登場するマチルダと『名も無き世界のエンドロール』のヨッチには共通点が多いのです。
そして、物語的な側面から見ても『レオン』との関係性は深いと思います。
その中で、個人的に印象に残ったのは「花」を使ったマコトの「ドッキリ」の演出です。
彼は、自分のターゲットであるリサに最初に出会った時に「花」と万国旗のドッキリを披露し、そしてクライマックスの計画の最中でリサに「花」と手榴弾をリンクさせたギミックを披露しました。
(C)行成薫/集英社 (C)映画「名も無き世界のエンドロール」製作委員会
つまり、この「花」というモチーフを使ったドッキリを強烈にマコトはリサの脳裏に焼きつけたわけですが、彼にとっての「花」はヨッチそのものだったんじゃないかなと思いました。
だからこそ、「花」を忘れさせないために、出会った時とそして別れ時にリサに対して突きつけたのではないでしょうか。
終盤に、ヨッチが事故に遭った場所に彼らがコーラ缶に花束を刺して置いてあったというエピソードが合わさることでそのリンクは強まります。
こうした植物に「亡き人」の存在を重ねるという演出が『レオン』で全く同じように登場します。
そして、本作のクライマックスでもあるマコトが手榴弾で自爆して、ヨッチの仇を取るという展開も、全くもって『レオン』からの引用になっています。
なぜ、映画からの引用が多いのか?その「メタ映画」性を読み解く
(C)行成薫/集英社 (C)映画「名も無き世界のエンドロール」製作委員会
さて、ここまで4つの作品に本作『名も無き世界のエンドロール』が多大な影響を受けていることをお話してきました。
では、なぜこんなにも過去の映画作品から展開やキャラクターの設定の面で引用が為されることとなったのでしょうか。
それは、本作におけるキダとマコトの「プロポーズ大作戦」が1つの「メタ映画」のような計画になっていたことに起因するのではないかと思います。
キダがクリスマスのイベント会場に潜入して、マコトとリサのやり取りを動画中継してスクリーンに投影するという展開を描いているのが、本作の「メタ映画」への志向を明確にしていると言えるでしょう。
過去のパートでヨッチが用いた言葉、事物が大人になったキダとマコトの計画に反映されていく様は、何となくクリエイターが映画に自分の人生を投影する様に似ています。
そして、この作品は『パルプフィクション』のような時系列の前後を内包した語り口になっており、さらに『フォレストガンプ』のように「現在」軸の主人公が過去をナラタージュする形で進行していきます。
こうした物語の構成の仕方もどことなく映画的であり、本作の「メタ映画」性の補強になっていると言えるでしょう。
そして、何と言っても本作のタイトルには「エンドロール」という言葉が含まれています。
これはもちろん映画の最後に流れるスタッフやキャストのクレジットが流れていく映像のことを指しているのですが、作中ではこんな形で用いられていました。
ちいさくて、名前もない俺の世界は、粉々に砕けて、跡形もなく消えようとしていた。エンドロールが止まって、ジ・エンドという文字が現れるまで、俺はガードレールに腰を掛けて、世界の終わりを見守っていなければならない。
(『名も無き世界のエンドロール』より引用)
これは、キダとマコトの壮大な計画が幕を閉じた後のシーンでの記述です。
そして何とも面白いのが、キダはこの物語が終わった後に「城田」という自分の名前を放棄している点です。
劇中で、リサに好意を持ってもらうべく、一度「マコト」が自分の名前と履歴をすべて別人である「小野瀬マコト」に書き換えるという作業をやっています。
つまり、「小野瀬マコト」という人間の生きて来た履歴をそっくりそのまま「澤田マコト」に上書きしたわけだ!
そのため、「プロポーズ大作戦」の中に登場する「マコト」は本名の「澤田マコト」とは別人の名前です。
そして、キダも「エンドロール」の後には、「城田」という本名ではなく、「澤田マコト」を名乗っています。
何と彼は「澤田マコト」という「マコト」の本名を受け継いでいるのです。
つまり、「プロポーズ大作戦」の外にいるキダとマコトは2人とも「澤田マコト」であり、逆に作戦の中にいる2人は「城田」と「小野瀬マコト」になるわけです。
これは、映画に出演する際に、役者が架空のキャラクターの名前を背負う構造に非常に似ていると思います。
だからこそ、「エンドロール」というキャストのクレジットが明かされる算段を迎えると、役者とキャラクターという関係が明確になるのです。
そして『名も無き世界のエンドロール』は、この役者とキャラクターの関係性を見事に踏襲し、「エンドロール」でもってキダも、そしてマコトも「澤田マコト」という本来の名前へと戻るように作られているわけですね。
このように本作は、映画というフォーマットを見事に踏襲して作られており、だからこそタイトルに「エンドロール」という言葉を冠するにふさわしい作品と言えるのではないでしょうか。
「喪失」を繋ぎ止めるものとしての「映画」を描く
(C)行成薫/集英社 (C)映画「名も無き世界のエンドロール」製作委員会
そして、今作が「メタ映画」的なアプローチを取ったことには、もう1つ重要な意義があります。
それは、映画ないし創作物には、時の流れと共に忘れられていく何かを繋ぎ止める役割があると言われていますね。
例えば、多くの人がご覧になられたであろう『君の名は。』という作品の中でこんなセリフがあったのを覚えていますか?
「自分は人々の記憶に残る建物を作りたい。いつかどんな建物も風化していく、それでも人の心に残るような…」
これは主人公の瀧が就職活動中の面接で発していた言葉ですが、そっくりそのまま新海監督の考える創作物の震災への向き合い方を表した言葉なのだと思いました。
つまり、映画ないし創作物は、「失われゆくものをその中に閉じ込めて繋ぎ止める」ことができるという点で、存在の有限へのささやかな抵抗の象徴でもあるのです。
今作『名も無き世界のエンドロール』では、主人公のキダとマコトが、大好きだった幼馴染のヨッチの存在の「喪失」に抗うために「プロポーズ大作戦」を決行することになります。
彼らは、いわゆる「上級国民」的な人間の私利のために存在を抹消されかけていたヨッチの存在を自分たちの「作戦=映画」によって奪還し、まさしく世界を変えるのです。
いや、正確に言うと、彼らは世界を変えたわけではないのでしょう。
ここで、当ブログ管理人が大好きで、ブログの中にもたびたび引用している岡真理さんの『アラブ、祈りとしての文学』の帯に書かれていた言葉をご紹介します。
小説を読むことは、他者の生を自らの経験として生きることだ。見知らぬ土地、会ったこともない人々が、いつしか親しい存在へと変わる。小説を読むことで世界と私の関係性が変わるのだ。それは、世界のありようを変えるささやかな、しかし大切な一歩となる。世界に記憶されることのない小さき人々の尊厳を想い、文学は祈りになる。
(岡真理『アラブ、祈りとしての文学』帯文より引用)
この言葉にもありますが、創作物の役割は、世界そのものを変えることでなく、「世界と私の関係性」を変容させることなのです。
創作物ないし映画に世界の在り方を変えてしまうような力はありません。
劇中でヨッチが「1日あれば、世界は変わっちゃうんだよ。2日あったら、宇宙がなくなってもおかしくない。」なんてことを言っていました。
しかし、「プロポーズ大作戦」によってキダとマコトが世界を変えることができたのかと言われると、きっと変わっていないのではないかと思います。
多くの人にとっては、次の日になれば、いつもと変わらない世界が続いていくだけです。
それでも、キダやマコト、そして亡きヨッチたちと世界の関係性は確かに変容したのだと思います。
大切な人が生きた証を、この世界の片隅に刻み込むことができた。
きっとそれだけで、彼らにとっての「世界」の見え方は大きく変わったのです。
ちいさくて、名前もない俺の世界は、粉々に砕けて、跡形もなく消えようとしていた。
(『名も無き世界のエンドロール』より引用)
この記述は、キダと、そしてマコトと世界との関係性が変容したことを端的に表現しています。
そして「エンドロール」については、かつてヨッチが語っていた通りの意味合いが内包されていました。
「映画の世界が終わって、自分だけが現実に弾き出されるのって辛いんだよね。だけど、もうほんとに物語がすべて出し尽くすのを最後まで見て、何もかも終わったら」
ヨッチは一旦息をつき、水を口に含んだ。
「終わったら?」
「あたしはあたしの物語を生きなきゃ、って気になるんだよ。生きなきゃ、って」
(『名も無き世界のエンドロール』より引用)
本作『名も無き世界のエンドロール』は、喪失から大切な人の存在を繋ぎ止め、そして自分にとっての世界の見え方を変容させていくという「映画」の意義が色濃く物語に反映されています。
だからこそ「メタ映画」的な手法で、物語られる意味があったのでしょう。
原作の時系列について
(C)行成薫/集英社 (C)映画「名も無き世界のエンドロール」製作委員会
ここまでにも書きましたが、本作はかなり時系列を前後させて作られた作品です。
今回は「プロポーズ大作戦」そのものの詳細については言及を避けつつそこに至るまでの時系列を表にして整理したので、良かったら参考にしてください。
時系列順 | 物語の順 | 描写 |
1 | 5 | 19年前:11歳(小学5年生)の頃にヨッチがマコトとキダのいるクラスに転校してくる。ヨッチが担任教師に圧をかけられているところをマコトが助ける。3人は友達同士になる。 |
2 | 14 | 断片:小学生の頃の3人。ヨッチが道端で絶命した犬を見つめている。 |
3 | 16 | 16年前:ヨッチが中学時代にいじめられていた過去と、忘れられてしまうことが怖いことを告白する。3人は、ヨッチが以前に通っていた小学校の近くに赴き、かつてのいじめっ子たちと対峙する。何とかいじめっ子たちにヨッチの存在を認めさせ、その後3人は海を目指す。 |
4 | 15 | 16年前:15歳の3人が海に遊びに来ている。ヨッチが「一日あれば、世界は変わっちゃうんだよ」と告げる。海で3人は写真を撮る。 |
5 | 4 | 13年前:17歳の頃のマコトとキダのやり取り |
6 | 6 | 13年前:17歳の3人のやり取り。 |
7 | 7 | 12年前:高校3年生のマコトとキダの高校野球最後の試合。ヨッチがスタンドからエールを送っている。 |
8 | 13 | 12年前:キダとヨッチがファミレスで話している。ヨッチが粉チーズとタバスコを山ほどかけたナポリタンを食べている。2人は「映画」について話している。 |
9 | 21 | 12年前:18歳のキダとヨッチがファミレスで会話をしている。県道46号を2人は歩き、押しボタン信号の話題になる。ヨッチは押しボタン信号の存在意義を保つために、必ず押してから渡るのだと語っている。キダはヨッチに告白する。しかし、おとといマコトがヨッチに告白しており、2人は恋人同士になっていた。 |
10 | 11 | 10年半前:マコトの提案で作業場の看板が「AUTO SHOP JIM」に変えられる。 |
11 | 23 | 10年前のクリスマスイブ:マコトはヨッチにプロポーズしようと準備をしていた。ヨッチはチキンを受け取るために県道46号線沿いを歩いていた。 |
12 | 24 | 10年前のクリスマスイブ直後:ヨッチが突然いなくなり途方に暮れるマコト。 |
13 | 10 | 10年前:20歳のキダとマコトが働いている「AUTO SHOP JIM」にリサの乗った高級車がやって来る。リサは車を秘密裏に修理して欲しいと依頼する。リサは少し前に雪道で犬を轢いてしまったと語る。マコトはリサに一輪の花のドッキリを仕掛けて気を引く。マコトはこの時、何とかしてリサをものにしてみせると決意する。 |
14 | 20 | 10年前(マコトがJIMを去ってから半年後):21歳のキダはJIMをクビになり、交渉屋として再就職する。 |
15 | 18 | JIMをマコトが辞めてから半年後:東京でキダとマコトが再会を果たす。マコトはワインの輸入会社を購入することを検討している。 |
16 | 19 | 7年前:24歳のキダが小野瀬マコトの家に潜入し、彼の名前と経歴の一式を購入する。その名前と経歴を澤田マコトに渡し、彼は別人になり替わる。 |
17 | 8 | 7年前:24歳のキダが「交渉屋」として実業家の佐々木という男の家に入る。リサと付き合っている彼に別れるように脅しをかける。 |
18 | 9 | 断片:7年前、交渉屋のキダの暗躍で実業家の佐々木とリサの破局が週刊誌で報じられる。 |
19 | 2 | 半年前:30歳になったマコトとキダがファミレスで食事をする。 キダは粉チーズとタバスコを大量にかけたナポリタンを食べている。マコトは「世界なんて1日あれば変わっちゃうんだよ。」と告げる。マコトはリサと恋人関係になっており、「プロポーズ大作戦」の計画は佳境を迎えている。 |
20 | 3 | 断片:半年前のファミレスでのマコトとキダとの会話。 |
21 | 12 | 5か月前:30歳のキダが「リンゴ=手榴弾」を自分の勤める交渉屋を経由して注文する。 |
22 | 17 | 4か月前:30歳のマコトとキダが打ち合わせをしている。キダは購入した「リンゴ=手榴弾」をマコトに手渡す。(ここでマコトの名字が「小野瀬」であると明かされる。) |
23 | 22 | 前夜:31歳のキダとマコトが「プロポーズ大作戦」の最後の打ち合わせをしている。 |
24 | 25 | 12月24日:「プロポーズ大作戦」当日 |
25※ | 1 | タバコを吸いながら県道46号を歩くマコト(キダ) |
※これは「プロポーズ大作戦」よりも後の時系列の描写です。
時系列と物語の順番の「ズレ」を見ていただけると、この小説が如何に入り組んだ構造になっているかが一目瞭然かと思います。
しかし、それを繋ぐために、セリフや食べ物、ちょっとしたモチーフをシーンを超えて連動させ、読者にも理解できるような作りとなっているわけです。
というより、この作品ってこうやって時系列順に並べると、「プロポーズ大作戦」の詳細を読まなくても、何となくその内容が推測できるように作られているんですよ。
観客の理解を超えた「どんでん返し」ではなく、きちんとフェアにヒントを散りばめつつも、それを時系列をごちゃ混ぜにしてかく乱するというアプローチを取ることで、「どんでん返し」的なギミックになっているわけです。
ここが『名も無き世界のエンドロール』という作品の1つ優れたポイントと言えるのではないでしょうか?
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は『名も無き世界のエンドロール』についてお話してきました。
今作は映画を愛する人にとってはたまらない作品なんじゃないかな?と思います。
まさしく映画というものの意義が詰め込まれた物語ですし、そこに過去の名作たちの引用と、メタ映画的な構成が見事に融合し、「エンドロール」をタイトルに冠するにふさわしい作品になりました。
「どんでん返し」的なことから言うと、伏線をかなり丁寧に貼ってあるという都合もあり、「弱い」と感じる方が多いかもしれません。
しかし、それは観客にも注意して見れば、展開に気づけるように「フェアに」作品の中にヒントを散りばめてあることの証明でもあります。
ぜひ、小説とそして映画版とを併せて楽しんでいただけると嬉しいです。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。
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