みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『プラットフォーム』についてお話していこうと思います。
遥か下まで伸びる塔のような建物を舞台にしており、そこでは上下の階層が部屋の中央にある穴でつながっています。
上の階層から「プラットフォーム」と呼ばれる巨大な台座に食べ物が乗せられた状態で降りてきます。
しかし、食事は上の階層にいる人々の残飯であり、下の階層の人間はそれを食べることで命を繋ぎ止めるしかありません。
主人公は、目が覚めると突然そんな塔の下層で目を覚ますという設定のようですが、これはいわゆるワンシチュエーションスリラーというやつですね。
また、世界観としてはポン・ジュノ監督の『スノーピアサー』なんかを思わせますし、上下に階層が生まれていくという構造は同監督の『パラサイト 半地下の家族』を思わせます。
この手のワンシチュエーションスリラーは、アイデア自体は奇抜で魅力的なのですが、物語の展開の面で難があり、イマイチ面白くならない作品も散見されますよね。
ですので、今回の『プラットフォーム』もアイデア自体は間違いなく魅力的なのですが、果たして映画として90分近い時間、鑑賞するに値する作品になっているのかは要注目です。
そんな本作を、早速鑑賞してきましたので、今回は自分なりに感じたことや考えたことを綴っていきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『プラットフォーム』
あらすじ
主人公のゴレンは目が覚めると「48階層」にいた。
そこは遥か下まで伸びる塔のような構造の建物で、上下の階層は部屋の中央にあるエレベーターのようなもので繋がっていた。
上の階層から「プラットフォーム」と呼ばれる巨大な台座に食事が運ばれてくるため、それが塔の人間たちにとっての生命線となる。
しかし、下の階層にいる人間は、上の階層にいる人々の残飯を食べることしか許されない。ましてや残飯にすらありつけない人間もいる始末だ。
そんな「貧富の差」を縦に配列し、視覚化したような世界では、1か月ごとに階層が入れ替わるというルールがあった。
生き残るためには、より上の階層に行くしかないという事実を突きつけられるゴレン。
しかし、それから1カ月後、彼は目を覚ますと、最初よりも遥か下の「171階層」で目を覚まし、その上ベッドに縛り付けられ身動きが取れなくなっていた。
「プラットフォーム」が繋ぐ不思議な建物の正体とは…?
スタッフ・キャスト
- 監督:ガルダー・ガステル=ウルティア
- 脚本:ダビド・デソーラ ペドロ・リベロ
- 撮影:ジョン・D・ドミンゲス
- 美術:アセヒニェ・ウリゴイティア
- 編集:アリッツ・ズビリャガ エレーナ・ルイス
- 音楽:アランサス・カジェハ
さて、映画『プラットフォーム』の監督を務めたのは、スペインの新進気鋭の映画監督ガルダー・ガステル=ウルティアですね。
長編映画の経験なく、短編を2本程度監督したことがあるくらいの人物が、いきなり今作を作ったということもあり、世界中から注目を集めています。
脚本にも、短編映画等をこれまでにいくつか手掛けてきているダビド・デソーラとペドロ・リベロの2人が起用されており、とにかく無名のスタッフが作り出した「意欲作」という側面が際立ちますね。
編集には、『マローボーン家の掟』などでも知られるエレーナ・ルイスも加わり、映像面でもクオリティの高い作品に仕上がっています。
- ゴレン:イバン・マサゲ
- イモギリ:アントニア・サン・フアン
- トリマガシ:ソリオン・エギレオル
- バハラット:エミリオ・ブアレ
海外のサイトで調べていると、基本的にスペインのテレビドラマシリーズなどで活躍している役者さんが大半のようです。
主人公のゴレンを演じたイバン・マサゲは何となく極限状態に陥った時のヴィジュアルが絵画の世界のイエス・キリストを思わせるので、「受難」の印象が強まっていたような気がします。
また、本作で主人公の内部に入り込み、その内なる「悪」的に機能するトリマガシという男を演じたソリオン・エギレオルの演技も素晴らしかったですね。
厭~なねちっこさみたいなものが非常に効いていました(笑)
『プラットフォーム』解説・考察(ネタバレあり)
私の肉を食べる人は…?
(C)BASQUE FILMS, MR MIYAGI FILMS, PLATAFORMA LA PELICULA AIE
さて、この『プラットフォーム』という作品ですが、全体を通じて聖書的な世界観に裏打ちされていると言えます。
劇中でも、『ヨハネによる福音書』に記述されている有名な一節が引用されていました。
「人の子の肉を食べず,その血を飲まない限り,自分の内に命を持てません。私の肉を食べ,私の血を飲む人は永遠の命を受け,私はその人を終わりの日に復活させます。私の肉は真の食物,私の血は真の飲み物です。私の肉を食べ,私の血を飲む人は,ずっと私と結び付いており,私もその人と結び付いています。」
(『ヨハネによる福音書』より引用)
主人公のゴレンが最初にルームメイトになったのは、トリマガシという男でした。
この男は、預言者としてのゴレンを誘惑する堕天使のような存在です。トリマガシは自分が生きるためであれば、その欲望を曝け出すことも厭わない男です。
そのため、プラットフォームの下層に落ちると、すぐさまルームメイトだったゴレンを縛りつけ、自分が飢えを凌ぐために利用しようと考えます。
しかし、ゴレンがいざ肉を断たれる算段になったときに、上層階からやって来たミハルによってトリマガシは殺害されました。
この時、怒りに身を任せてゴレンはトリマガシをめった刺しにしましたね。
まさしく彼の存在は怒りや欲望と言った人間の負の感情を引き出す悪魔のような存在であるわけですが、自分も絶命寸前だったゴレンはミハルに促されて、彼の肉を食べることになります。
しかし、先ほど引用した『ヨハネによる福音書』の一節にあるように、「私の肉を食べ,私の血を飲む人は,ずっと私と結び付いており,私もその人と結び付いています。」であるわけですから、トリマガシを食べたゴレンは彼の幻影から逃れられなくなってしまいます。
そのため、その後のシーンでもたびたび彼がゴレンの前に現れ、欲望のままに振舞うように唆します。
そして、2人目のルームメイトは、元々塔の管理センターで働いていたイモギリという女性でした。
この女性は、塔の事情も知らずに、これまでにも多くの人間を塔へと送り込んできた人物であり、人間の純粋な「連帯」によって世界を変えられると信じています。
そんな彼女が連れてきた犬の名前が「ラムセス2世」でした。
「ラムセス2世」は実在していたとされ、エジプトの各地に神と自身の業績をたたえる数多くの巨大建造物を築き上げ、偉大なファラオとされたようです。
また古代エジプト史上もっとも繁栄した時代を創り上げたとされていて、ヒッタイト帝国の王ハットゥシリ3世とは世界初の平和条約を結ぶなど外交でも手腕を発揮し、70年に渡ってその治世は続きました。
そんな犬を連れてきたイモギリは、必死に下の階の人間に「連帯」の重要性を説き、下の階の人間に食料を残すよう協力して欲しいと懇願します。
しかし、下の階の人間は耳を貸しませんし、トリマガシの一件ですっかり絶望していたゴレンは、そんな彼女に冷ややかな視線を向けていました。
結果的に、ゴレンが食料を人質に取る形で、下の階の人間を従わせることに成功しましたが、当然そんなことでは世界の大勢は変わりません。
その後、イモギリは自分の連れてきた犬である「ラムセス2世」が絶命したことを受け、絶望してしまいます。
「ラムセス2世」はまさしく、外交と交渉、対話によって他層の人間と連帯を結びたいと考えていたイモギリの原動力であり、それが失われたことで、彼女はすっかり意気消沈してしまうわけです。
その後、他層に移ったタイミングで彼女は絶命し、ゴレンは生きながらえるために彼女の肉を食べるかどうかの選択を迫られます。
この時に現れたのは、またしてもトリマガシであり、彼は人の肉を食べるようにゴレンを誘惑しました。
彼は空腹のあまり持ち込んでいたセルバンテスの『ドン・キホーテ』の1ページを体内に取り込みます。
『ドン・キホーテ』が彼の血となり肉となり、そしてその無謀にも大きなものへと立ち向かっていく騎士道精神のようなものが彼の中に宿ります。
ゴレンは自らが食べたものが血肉となり、そして思考の面でもその多大な影響を受けているのです。
それでもその誘惑に打ち勝った彼は、その後上層の第6層へと場所を移します。
救世主を天上に届けるために自らを十字架に架ける
第6層で彼は、聖職者のバハラットに出会います。
彼は塔の中に持ち込んだロープで上層階に上がろうと苦心しますが、第5層の人間に裏切られ、その夢は半ばで砕け散ってしまいました。
そうして悲嘆にくれるバハラットにゴレンは声をかけるわけですが、この時に彼が手渡したのは「リンゴ」でした。
思えば、最初の食事のシーンでゴレンが手に取り、彼がそれを持っていることにより部屋がヒートアップする原因となったのも「リンゴ」でした。
聖書における「リンゴ」と言えば、もちろん旧約聖書創世記の「禁断の果実」を思わせるものですよね。
冒頭のシーンで、ゴレンは「リンゴ」を食べることはなく、それをプラットフォームの方へと投げ捨てました。
しかし、ここではバハラットが手渡された「リンゴ」を齧ります。
旧約聖書において、禁断の果実を食したアダムとイブはエデンの園から追放されてしまいますよね。
この『プラットフォーム』においては、ゴレンとバハラットは自らの意志で上層階の地位を捨て、下層に下り、何とかして食べ物を届けようと試みるわけです。
そうして、2人は最下層へと辿り着くわけですが、最下層の数字は「333」でしたね。
つまり、あの塔には全部で666人の人間がいるということが示唆されているわけです。
この「666」は獣の数字としても知られており、『ヨハネの黙示録』の中にも記述があります。
また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。
賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は666である。
(「ヨハネの黙示録」13章16-18節より引用)
この数字からも本作が聖書的な世界観から多大な影響を受けていることが明らかになっていると言えます。
そして、ゴレンは最下層にいた子どもの命を救いました。
さらに、再び「0=エデンの園」へと上っていくプラットフォームの上にその子どもを乗せ、自らはそこから降りるという選択をするのです。
きっと、彼には自分も生きたいという欲求があるはずです。それは『最後の誘惑』などで描かれたイエスの十字架に架けられる前の葛藤にも似ています。
それでも、彼は自らを犠牲にして、預言者としての役割を全うし、子どもだけをプラットフォームに乗せて、上層へと返す決断をするのです。
そう思うと、本作はイエス・キリストが様々な受難を乗り切り、自分に付き従う人間たちと旅に出て、最後には十字架に架けられて、人間の現在を贖うという聖書の物語に重なるような気もしますよね。
彼は、これまで塔で人間が起こしてきた数々の罪を一身に背負い、そしてメシアを「0=エデン」に届けるという行動を通じて、世界を変えようとするのです。
その行動が実際に世界を救うのかどうかは分かりません。
それでも、『ドン・キホーテ』のように無謀にも大きな何かに立ち向かっていった彼の懸命な祈りが届いて欲しいと、観客はただ願うばかりです。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『プラットフォーム』についてお話してきました。
やはりアメリカやヨーロッパ圏の作る物語の根幹には、こうした聖書的な考え方が根づいているのだと改めて感じさせられます。
ただ、ワンシチュエーション映画としては、少し展開が少なく、画作りも単調だったので、少し退屈に感じられましたね。
設定やモチーフのあしらい方も良かっただけに、もう少し展開で幅を出せたら、ワンランク上の完成度になっていたと思います。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。